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年の後の[[ローマ数字]]は初回の[[セルウィウス・トゥッリウス]]王から数えて何回目{{sfn|de Boor}}のルーストルム{{efn|ケンソルの任期終了時に行われる清めの儀式、またその代のケンソルの本来の任期である5年間も指す}} 
===ケンソル以前のケンスス{{sfn|Suolahti|p=689}}=== 
*[[紀元前579年]]~前536年 '''I~IV''' - [[ロームルス]]の定めた3つの[[トリブス]]から[[ローマ]]市内を4つに区切った都市トリブスに行政単位を変更。 
**[[セルウィウス・トゥッリウス]] 
*[[紀元前508年]] '''V''' - 共和政初のケンスス 
**[[プブリウス・ウァレリウス・プブリコラ]] 
**[[ティトゥス・ルクレティウス・トリキピティヌス]] 
*[[紀元前498年]] '''VI''' 
**[[ティトゥス・ラルキウス・フラウス]] 
**[[クィントゥス・クロエリウス・シクルス]] 
*[[紀元前493年]] '''VII''' 
**[[ポストゥムス・コミニウス・アウルンクス]] 
**[[スプリウス・カッシウス・ウェケッリヌス]] 
*[[紀元前474年]] '''VIII''' 
**[[アウルス・マンリウス・ウルソ (紀元前474年の執政官)]] 
**[[ルキウス・フリウス・メドゥッリヌス (紀元前474年の執政官)]] 
*[[紀元前465年]] '''IX''' 
**[[クィントゥス・ファビウス・ウィブラヌス (紀元前467年の執政官)]] 
**[[ティトゥス・クィンクティウス・カピトリヌス・バルバトゥス]] 
*[[紀元前460年]] 
**[[プブリウス・ウァレリウス・プブリコラ (紀元前475年の執政官)]] 
**[[ガイウス・クラウディウス・インレギッレンシス・サビヌス]] 
*[[紀元前459年]] '''X''' 
**[[クィントゥス・ファビウス・ウィブラヌス (紀元前467年の執政官)]] 
**[[ルキウス・コルネリウス・マルギネンシス・ウリティヌス]] 
===紀元前5世紀=== 
*[[紀元前443年]]{{sfn|Broughton Vol.1|pp=53-54}} '''XI''' - 初代ケンソル{{sfn|リウィウス|loc=4.8 
}}{{efn|[[ティトゥス・リウィウス|リウィウス]]はケンソルがこの年設立されたとするが、[[テオドール・モムゼン|モムゼン]]他研究者はこの説を取っていない{{sfn|Broughton Vol.1|p=54}}。}} 
**[[ルキウス・パピリウス・ムギッラヌス (紀元前444年の補充執政官)]] 
**[[ルキウス・センプロニウス・アトラティヌス (紀元前444年の補充執政官)]] 
*[[紀元前435年]]{{sfn|Broughton Vol.1|p=61}} '''XII''' - [[カンプス・マルティウス]]に[[:en:Villa Publica|公共集会場]]が設けられ、そこで[[国勢調査|ケンスス]]が行われるようになった{{sfn|リウィウス|loc=4.22}}。 
**[[ガイウス・フリウス・パキルス・フスス]] 
**[[マルクス・ゲガニウス・マケリヌス]] 
*[[紀元前430年]]{{sfn|Broughton Vol.1|p=64}} '''XIII''' - 罰として数多くの牛や羊を徴収しすぎたため、この年家畜の代わりに貨幣での支払いを可能とする法が[[執政官]]によって成立<ref>[[マルクス・トゥッリウス・キケロ|キケロ]]『国家論』,2.60</ref> 
**ルキウス・パピリウス 
**プブリウス・ピナリウス 
*[[紀元前418年]]{{sfn|Broughton Vol.1|p=72}} '''XIV''' 
**[[ルキウス・パピリウス・ムギッラヌス (紀元前427年の執政官)]] 
**不明{{efn|''[[:en:Fasti Capitolini|Fasti Capitolini]]'' の破損}} 
*不明 '''XV''' 
*[[紀元前403年]]{{sfn|Broughton Vol.1|p=82}} '''XVI''' - 未婚の男性と寡婦の結婚を促進<ref>[[プルタルコス]]『カミッルス』2.2</ref> 
**[[マルクス・フリウス・カミッルス]] 
**[[マルクス・ポストゥミウス・アルビヌス・レギッレンシス]] 
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===紀元前4世紀=== 
*不明 '''XVII''' 
*[[紀元前393年]]{{sfn|Broughton Vol.1|pp=91-92}} - ユリウス・ユッルスが任期中死亡し補充ケンソルが選出されたが、このルーストルム期間中 (5年間)にローマが[[ガリア人]]に占領されたため (前390年)、不吉な前例として補充される事はなくなった{{sfn|リウィウス|loc=5.31}} 
**[[ルキウス・パピリウス・クルソル (紀元前387年の執政武官)]] 
**[[ガイウス・ユリウス・ユッルス (紀元前408年の執政武官)]] 
***マルクス・コルネリウス・マルギネンシス (補充) 
*[[紀元前389年]]{{sfn|Broughton Vol.1|pp=97-98}} '''XVIII''' - [[ウェイイ]]から加わった市民を新設した4つの農村トリブス(選挙区)に登録か{{efn|このケンソルにリウィウスは触れていない。Broughtonは非常に疑わしくみており、ウェイイからの流入者のために立てられた可能性を指摘している}} 
**[[マルクス・フリウス・フスス]] 
**[[ルキウス・パピリウス・ムギッラヌス (紀元前380年の執政武官)]] 
*[[紀元前380年]]{{sfn|Broughton Vol.1|pp=105-106}} - 借金を巡って不穏な動きがあり、市民の財産額査定のため選出されたが、ポストゥミウスが任期中死去したためスルピキウスも辞任し、補充が選出されたものの瑕疵があり辞任{{sfn|リウィウス|loc=6.27}} 
**[[ガイウス・スルピキウス・カメリヌス]] 
**[[スプリウス・ポストゥミウス・アルビヌス・レギッレンシス]] 
*[[紀元前378年]]{{sfn|Broughton Vol.1|p=107}} '''XIX'''- 借金を巡って暴動が起きたため、実態調査のため選出されたが戦争で中断{{sfn|リウィウス|loc=6.31}} 
**スプリウス・セルウィリウス・プリスクス 
**クィントゥス・クロエリウス・シクルス 
*[[紀元前366年]]{{sfn|Broughton Vol.1|p=115}} - 翌年ポストゥミウスが疫病で死去{{sfn|リウィウス|loc=7.1}} 
**-・ポストゥミウス・レギッレンシス・アルビヌス 
**[[ガイウス・スルピキウス・ペティクス]] 
*[[紀元前363年]]{{sfn|Broughton Vol.1|p=117}} '''XX''' 
**[[マルクス・ファビウス・アンブストゥス (紀元前381年の執政武官)]] 
**[[ルキウス・フリウス・メドゥッリヌス (紀元前381年の執政武官)]] 
*[[紀元前358年]]{{sfn|de Boor|p=6}} '''XXI''' - 恐らくこの年行われたトリブスのポンプティナ区とプブリリア区の追加{{sfn|リウィウス|loc=7.15}} 
**[[マルクス・ファビウス・アンブストゥス (紀元前360年の執政官)]] 
**不明 
*[[紀元前351年]]{{sfn|Broughton Vol.1|p=127}} '''XXII''' - 初の[[プレブス]]出身ケンソル誕生 (マルキウス) 
**''[[ガイウス・マルキウス・ルティルス (紀元前357年の執政官)]]'' 
**[[グナエウス・マンリウス・カピトリヌス・インペリオスス]] 
*[[紀元前340年]]{{sfn|Broughton Vol.1|p=136}} '''XXIII''' - 成年人口165000人{{efn|翌前339年に成立したプブリリウス法でケンソルの一人はプレブスとする事が決定されており、プブリウスはただ単にルキウスの兄弟であって同僚ではない可能性がある}} 
**[[ルキウス・コルネリウス・スキピオ (紀元前350年の執政官)]] 
**プブリウス・コルネリウス・スキピオ 
*[[紀元前332年]]{{sfn|Broughton Vol.1|p=142}} '''XXIV''' - 2つのトリブスが新設され、マエキア区にはラヌウィウム人が、スカプティア区にはウェリトラエ人が登録された{{sfn|リウィウス|loc=8.17}} 
**''[[クィントゥス・プブリリウス・ピロ]]'' 
**[[スプリウス・ポストゥミウス・アルビヌス]] 
*[[紀元前319年]]{{sfn|Broughton Vol.1|p=154}} 
**[[ガイウス・スルピキウス・ロングス]] 
*[[紀元前318年]]{{sfn|Broughton Vol.1|p=155}} '''XXV''' - 新しいトリブス、オウフェンティナ区とファレルナ区が追加{{sfn|リウィウス|loc=9.20}} 
**ルキウス・パピリウス・クラッスス 
**''ガイウス・マエニウス'' 
*[[紀元前312年]]{{sfn|Broughton Vol.1|p=160}} '''XXVI''' - 無産市民をトリブスに登録。一年半の任期終了後もカエクス辞任せず。[[アッピア街道]][[アッピア水道]]建設{{sfn|リウィウス|loc=9.29、33-34}} 
**[[アッピウス・クラウディウス・カエクス]] 
**''ガイウス・プラウティウス・ウェノクス'' 
*[[紀元前307年]]{{sfn|Broughton Vol.1|p=165}} '''XXVII''' - ブルトゥスによって[[ヒュギエイア|サルース]]神殿建設開始。両者によってウァレリア街道が建設される{{sfn|リウィウス|loc=9.43}} 
**[[マルクス・ウァレリウス・マクシムス・コッリヌス|マルクス・ウァレリウス・マクシムス・コルウィヌス]] 
**''[[ガイウス・ユニウス・ブブルクス・ブルトゥス (紀元前317年の執政官)]]'' 
*[[紀元前304年]]{{sfn|Broughton Vol.1|pp=167-168}} '''XXVIII''' - カエクスによって全トリブスに登録された無産市民らを4つの都市トリブスに集中的に再配置{{sfn|リウィウス|loc=9.46}} 
**[[クィントゥス・ファビウス・マクシムス・ルリアヌス]] 
**''[[プブリウス・デキウス・ムス (紀元前312年の執政官)]]'' 
*[[紀元前300年]]{{sfn|Broughton Vol.1|p=172}} '''XXIX''' - 新しいトリブス、アニエンシス区とテレンティナ区が追加{{sfn|リウィウス|loc=10.9}} 
**''[[プブリウス・センプロニウス・ソプス (紀元前304年の執政官)]]'' 
**[[プブリウス・スルピキウス・サウェッリオ (紀元前304年の執政官)]] 
===紀元前3世紀=== 
*[[紀元前294年]]{{sfn|Broughton Vol.1|p=179}} '''XXX''' - 成年人口262,321人{{sfn|リウィウス|loc=10.47}}{{efn|リウィウスは初代ケンソルから数えて26代目、19回目のルーストルムとしている。初代ケンソル時点で王政時代から数えて11回目}} 
**[[プブリウス・コルネリウス・アルウィナ]] 
**''[[ガイウス・マルキウス・ルティルス・ケンソリヌス]]'' 
*[[紀元前289年]]{{sfn|Broughton Vol.1|pp=184-185}} '''XXXI''' - 成年人口272,000人<ref>リウィウス、ペリオカエ,11</ref> 
**''[[スプリウス・カルウィリウス・マクシムス]]'' 
**[[クィントゥス・ファビウス・マクシムス・グルゲス (紀元前292年の執政官)]] 
*[[紀元前283年]]{{sfn|Broughton Vol.1|p=188}} - 途中辞任 (理由不明) 
**''[[クィントゥス・カエディキウス・ノクトゥア]]'' 
*[[紀元前280年]]{{sfn|Broughton Vol.1|p=191}} '''XXXII''' - 成年人口287,222人。ドミティウスは初めてルーストルムの儀式を行ったプレブス出身ケンソルとなった<ref>リウィウス、ペリオカエ,13</ref> 
**[[ルキウス・コルネリウス・スキピオ・バルバトゥス]] 
**''[[グナエウス・ドミティウス・カルウィヌス・マクシムス]]'' 
*[[紀元前275年]]{{sfn|Broughton Vol.1|p=196}} '''XXXIII''' - 成年人口271,224人。元[[コンスル]]の[[プブリウス・コルネリウス・ルフィヌス (紀元前290年の執政官)|コルネリウス・ルフィヌス]]が10ポンド以上の銀製品を所持していたとして[[元老院 (ローマ)|元老院]]から追放<ref>リウィウス、ペリオカエ,14</ref> 
**''[[ガイウス・ファブリキウス・ルスキヌス]]'' 
**[[クィントゥス・アエミリウス・パプス]] 
*[[紀元前272年]]{{sfn|Broughton Vol.1|p=198}} - 任期中パピリウスが死去したがデンタトゥスは辞任せず[[旧アニオ水道]]建設事業を続行<ref>[[セクストゥス・ユリウス・フロンティヌス|フロンティヌス]]『水道書』1.6</ref>{{efn|フロンティヌスはプラエテクスタトゥスをこの年の執政官[[ルキウス・パピリウス・クルソル (紀元前293年の執政官)|クルソル]]としている}} 
**''[[マニウス・クリウス・デンタトゥス]]'' 
**ルキウス・パピリウス・プラエテクスタトゥス 
*[[紀元前269年]]{{sfn|Broughton Vol.1|p=199}} '''XXXIV''' - この年ローマの人々が初めて銀貨を使いだした<ref>リウィウス、ペリオカエ,15</ref> 
**''[[クィントゥス・マルキウス・ピリップス (紀元前281年の執政官)]]'' 
**[[ルキウス・アエミリウス・バルブラ]] 
*[[紀元前265年]]{{sfn|Broughton Vol.1|p=202}} '''XXXV''' - 成年人口382,234人。マルキウス二度目のケンソルシップ{{efn|そのためケンソリヌスの[[アグノーメン]]がついた}}だがケンソルの再選を禁止する法を作る<ref>[[プルタルコス]]『[[対比列伝|コリオラヌス伝]]』1</ref> 
**[[グナエウス・コルネリウス・ブラシオ]] 
**''[[ガイウス・マルキウス・ルティルス・ケンソリヌス]]'' 
*[[紀元前258年]]{{sfn|Broughton Vol.1|p=206}} '''XXXVI''' 
**''[[ガイウス・ドゥイリウス]]'' 
**[[ルキウス・コルネリウス・スキピオ (紀元前259年の執政官)]] 
*[[紀元前253年]]{{sfn|Broughton Vol.1|p=211}} - ポストゥミウスが任期中死去したためユニウスも辞任{{sfn|de Boor|p=12}} 
**''[[デキムス・ユニウス・ペラ]]'' 
**[[ルキウス・ポストゥミウス・メゲッルス (紀元前262年の執政官)]] 
*[[紀元前252年]]{{sfn|Broughton Vol.1|p=212}} '''XXXVII''' - 成年人口297,797人。16名を元老院から除外<ref>リウィウス、ペリオカエ,18</ref>。400人の騎士の若者を[[シチリア|シキリア]]での命令不服従により[[:en:Aerarii|無産階級]]に降格させる<ref>[[:en:Valerius Maximus|Val. Max.]]『[[:en:Factorum ac dictorum memorabilium libri IX|有名言行録]]』2.9.7</ref> 
**[[マニウス・ウァレリウス・マクシムス・メッサッラ]] 
**''[[プブリウス・センプロニウス・ソプス (紀元前268年の執政官)]]'' 
*[[紀元前247年]]{{sfn|Broughton Vol.1|p=216}} '''XXXVIII''' - 成年人口241,212人<ref name="リウィウス、ペリオカエ,19">リウィウス、ペリオカエ,19</ref>{{efn|リウィウスはこの統計結果を前244年に置いている}} 
**''[[アウルス・アティリウス・カラティヌス]]'' 
**[[アウルス・マンリウス・トルクァトゥス・アッティクス]] 
*[[紀元前241年]]{{sfn|Broughton Vol.1|p=219}} '''XXXIX''' - 新トリブスのウェリナ区とクィリナ区が追加<ref name="リウィウス、ペリオカエ,19"/> 
**''[[ガイウス・アウレリウス・コッタ (紀元前252年の執政官)]]'' 
**[[マルクス・ファビウス・ブテオ]] 
*[[紀元前236年]]{{sfn|Broughton Vol.1|p=222}} - ルタティウス任期中死去{{sfn|de Boor|p=13}} 
**[[ルキウス・コルネリウス・レントゥルス・カウディヌス (紀元前237年の執政官)]] 
**''[[クィントゥス・ルタティウス・ケルコ]]'' 
*[[紀元前234年]]{{sfn|Broughton Vol.1|p=224}} '''XL''' 
**''[[ガイウス・アティリウス・ブルブス]]'' 
**[[アウルス・ポストゥミウス・アルビヌス (紀元前242年の執政官)]] 
*[[紀元前231年]]{{sfn|Broughton Vol.1|p=226}} - 選出に瑕疵あり辞任{{sfn|de Boor|p=13}} 
**[[ティトゥス・マンリウス・トルクァトゥス (紀元前235年の執政官)]] 
**''[[クィントゥス・フルウィウス・フラックス]]'' 
*[[紀元前230年]]{{sfn|Broughton Vol.1|p=227}} '''XLI''' 
**[[クィントゥス・ファビウス・マクシムス]]・ウェッルコスス ('''ローマの盾''') 
**''[[マルクス・センプロニウス・トゥディタヌス (紀元前240年の執政官)]]'' 
*[[紀元前225年]]{{sfn|Broughton Vol.1|p=231}} '''XLII''' - ローマ人とカンパニア人あわせて歩兵約25万、騎兵2万3千<ref>[[ポリュビオス]]『[[歴史 (ポリュビオス)|歴史]]』2.24</ref> 
**[[ガイウス・クラウディウス・ケント]] 
**''[[マルクス・ユニウス・ペラ]]'' 
*[[紀元前220年]]{{sfn|Broughton Vol.1|p=235}} '''XLIII''' - 成年人口270,212人。[[解放奴隷]]をエスクィリナ区、パラティナ区、スブラ区、コッリナ区の4つに集中再配置。[[フラミニア街道]]と[[キルクス]]・フラミニア建設<ref>リウィウス、ペリオカエ,20</ref> 
**[[ルキウス・アエミリウス・パプス]] 
**''[[ガイウス・フラミニウス]]'' 
*[[紀元前214年]]{{sfn|Broughton Vol.1|p=259}} - [[カンナエの戦い]]後イタリアを捨てようとしていた[[クァエストル]]のカエキリウス・メテッルスを無産階級に落とすなど、兵役拒否に対して厳しい処置をとる。翌年[[護民官]]となったメテッルスから告発されるも、任期中フリウスが死去しアティリウスも辞任{{sfn|リウィウス|loc=24.18、43}}。 
**''[[マルクス・アティリウス・レグルス (紀元前227年の執政官)]]'' 
**[[プブリウス・フリウス・ピルス]] 
*[[紀元前210年]] - ウェトゥリウスが死去しリキニウスも辞任{{sfn|Broughton Vol.1|p=278}} 
**[[ルキウス・ウェトゥリウス・ピロ (紀元前 
**''[[プブリウス・リキニウス・クラッスス・ディウェス]]'' 
*[[紀元前209年]] '''XLIV''' - [[カンパニア州|カンパニア]]の土地を分配。カンナエ後の降格処分を反映し元老院を再編成。ファビウス・マクシムス・ウェッルコススを元老院第一人者に{{sfn|Broughton Vol.1|p=285}}。成年人口137,108人{{sfn|リウィウス|loc=27.36}} 
**''[[プブリウス・センプロニウス・トゥディタヌス]]'' 
**[[マルクス・コルネリウス・ケテグス (紀元前204年の執政官)]] 
*[[紀元前204年]]{{sfn|Broughton Vol.1|p=306}} '''XLV''' - 7名を元老院から除名。ウェッルコススを第一人者に再指名。[[マグナ・マーテル]]神殿建設などインフラ整備。新しい塩税をかけたためリウィウスはサリナトル (塩売り)の[[コグノーメン|あだ名]]がついた。12の植民市を統計に加え成年人口214,000人{{sfn|リウィウス|loc=29.37、36.36}} 
**''[[マルクス・リウィウス・サリナトル]]'' 
**[[ガイウス・クラウディウス・ネロ]] 
===紀元前2世紀=== 
*[[紀元前199年]]{{sfn|Broughton Vol.1|p=327}} '''XLVI''' - [[カプア]]・[[ポッツオーリ|プテオリ]]間の関税や[[スクイッラーチェ]]付近のカストラ・ハンニバルに300人の植民を送り港湾使用料を徴収。カプアの土地を売却{{sfn|リウィウス|loc=32.7}} 
**[[スキピオ・アフリカヌス|プブリウス・コルネリウス・スキピオ・アフリカヌス]] ('''大スキピオ''') 
**''[[プブリウス・アエリウス・パエトゥス (紀元前201年の執政官)]]'' 
*[[紀元前194年]]{{sfn|Broughton Vol.1|p=343}} '''XLVII''' - スキピオ・アフリカヌスを第一人者に。3名を元老院から除名、少数の騎士を降格。キルクス (競技場)に元老院用座席を設置。[[:it:Atrium Libertatis|アトリウム・リベルタティス]]や公共集会場の修復拡張。成年人口243,704人{{sfn|リウィウス|loc=34.44、35.9}} 
**''[[セクストゥス・アエリウス・パエトゥス・カトゥス]]'' 
**[[ガイウス・コルネリウス・ケテグス]] 
*[[紀元前189年]]{{sfn|Broughton Vol.1|pp=360-361}} '''XLVIII''' - 4名を元老院から除外。スキピオ・アフリカヌスを三度目の第一人者に。インフラ整備とカンパニア人もローマで統計し成年人口258,318人{{sfn|リウィウス|loc=38.28、36}} 
**[[ティトゥス・クィンクティウス・フラミニヌス]] 
**''[[マルクス・クラウディウス・マルケッルス (紀元前196年の執政官)]]'' 
*[[紀元前184年]]{{sfn|Broughton Vol.1|pp=374-375}} '''XLIX''' - [[紀元前192年]]の執政官[[ルキウス・クィンクティウス・フラミニヌス|クィンクティウス・フラミニヌス]]{{efn|前189年のケンソル、ティトゥス・クィンクティウスの兄弟}}を含む7名を元老院から除外{{sfn|リウィウス|loc=39.42}}<ref>[[マルクス・トゥッリウス・キケロ|キケロ]]『[[大カトー・老年について]]』42</ref>。大スキピオの死後、フラックスを第一人者に指名{{sfn|Broughton Vol.1|p=375}}。 
**[[ルキウス・ウァレリウス・フラックス (紀元前195年の執政官)]] 
**''[[マルクス・ポルキウス・カト・ケンソリウス|マルクス・ポルキウス・カト]]'' ('''''大カト''''') 
*[[紀元前179年]]{{sfn|Broughton Vol.1|p=392}} '''L''' - レピドゥスは自らを第一人者にし、土地を所有していた[[テッラチーナ|テッラキナ]]に公費で防波堤建設。[[バシリカ・アエミリア]]他多くのインフラ整備を手がけ、私物化されていた国有地から賃貸料を徴収し公共施設も開放、市民の地位や所得に応じて所属トリブスを再設定{{sfn|リウィウス|loc=40.51}} 
**[[マルクス・アエミリウス・レピドゥス (紀元前187年の執政官)]] 
**''[[マルクス・フルウィウス・ノビリオル (紀元前189年の執政官)]]'' 
*[[紀元前174年]]{{sfn|Broughton Vol.1|p=404}} '''LI''' - [[プラエトル]]経験者の[[スキピオ家]]の二人{{efn|この年の外国人プラエトル、L・コルネリウス・スキピオと、前176年の[[ヒスパニア・ウルテリオル]]担当プラエトル、M・コルネリウス・スキピオ・マルギネンシス}}やフラックスの兄弟を含む9名を元老院から除名、数名の[[エクィテス|騎士]]降格。レピドゥスを第一人者に (2回目)。キルクスにプラエトルと[[アエディリス]]専用席を設置し、ラップ数を分かりやすくし動物を闘技場に導入した。多数のインフラ整備をし、特にフラックスは私費で[[:en:Temple of Fortuna Equestris|神殿]]建設などを行ったが、元ある[[:en:Temple of Juno Lacinia (Crotone)|神殿]]から建材を剥ぎ取ったため元老院に召喚された{{sfn|リウィウス|loc=41.27、42.3}} 
**''[[クィントゥス・フルウィウス・フラックス (紀元前179年の執政官)]]'' 
**[[アウルス・ポストゥミウス・アルビヌス・ルスクス]] 
*[[紀元前169年]]{{sfn|Broughton Vol.1|pp=423-424}} '''LII''' - レピドゥスを第一人者に (3回目)。7名を元老院から除名。マケドニア戦線からの離脱者を原隊へ復帰させた他厳しい取締りに反感が募り、プルケルは護民官に告発され無産階級へ落とされる所をグラックスの弁護により無罪となった。多くのエクィテスが降格され、[[バシリカ・ユリア|バシリカ・センプロニア]]建設{{sfn|リウィウス|loc=43.15-16、44.16}} 
**[[ガイウス・クラウディウス・プルケル (紀元前177年の執政官)]] 
**''[[ティベリウス・センプロニウス・グラックス・マイヨル|ティベリウス・センプロニウス・グラックス]]'' ('''''大グラックス''''') 
*[[紀元前164年]] '''LIII''' - 3名を元老院から除名。マルキウスは[[コンコルディア (ローマ神話)|コンコルディア]]像を[[フォルム]]に立て、正確な日時計を設置{{sfn|Broughton Vol.1|p=439}}。成年人口337,022人。レピドゥスを第一人者に (4回目){{sfn|リウィウス|loc=ペリオカエ、46}} 
**[[ルキウス・アエミリウス・パウルス・マケドニクス]] 
**''[[クィントゥス・マルキウス・ピリップス (紀元前186年の執政官)]]'' 
*[[紀元前159年]] '''LIV''' - フォルムから法的根拠の薄い政務官の像を撤去。スキピオ・ナシカは昼夜を等分した水時計を設置{{sfn|Broughton|pp=445-446}}。成年人口328,316人。レピドゥスを第一人者に (5回目){{sfn|リウィウス|loc=ペリオカエ、47}} 
**[[プブリウス・コルネリウス・スキピオ・ナシカ・コルクルム]] 
**''[[マルクス・ポピッリウス・ラエナス (紀元前173年の執政官)|マルクス・ポピッリウス・ラエナス]]'' 
*[[紀元前154年]]{{sfn|Broughton Vol.1|p=449}} '''LV''' - 劇場を建設するもスキピオ・ナシカによって無用な上に公衆道徳に反するとして取り壊される。成年人口324,000人。レピドゥスを第一人者に (6回目){{sfn|リウィウス|loc=ペリオカエ、48}}。カッシウスはコンコルディア像を元老院へ移し聖別しようとするが、[[最高神祇官]]に民衆によって指名されなければ法的根拠がないとされる<ref>キケロ,''De Domo Sua''、130-136</ref> 
**[[マルクス・ウァレリウス・メッサッラ (紀元前161年の執政官)]] 
**''[[ガイウス・カッシウス・ロンギヌス (紀元前171年の執政官)]]'' 
*[[紀元前147年]] '''LVI''' - スキピオ・ナシカ・コルクルムを第一人者に{{sfn|Broughton Vol.1|p=463}} 
**[[ルキウス・コルネリウス・レントゥルス・ルプス]] 
**''[[ルキウス・マルキウス・ケンソリヌス (紀元前149年の執政官)]]'' 
*[[紀元前142年]] '''LVII''' - 小スキピオは[[アエミリウス橋]]を完成させ、厳しい取締りを行い[[ティベリウス・クラウディウス・アセッルス]]を無産階級に降格させた{{efn|前140年に護民官となったアセッルスは復讐のためスキピオを告発}}。ムンミウスは取締りを仲裁し[[アカエア]]での戦利品で[[カンピドリオ|カピトリヌス]]を飾った{{sfn|Broughton Vol.1|pp=474-475}}。成年人口328,442人{{sfn|リウィウス|loc=ペリオカエ、54}} 
**[[小スキピオ|プブリウス・コルネリウス・スキピオ・アフリカヌス・アエミリアヌス]] ('''小スキピオ''') 
**''[[ルキウス・ムンミウス]]・アカイクス'' 
*[[紀元前136年]] '''LVIII''' - プルケルは厳しく、ノビリオルは寛大に取締り、プルケルが第一人者に{{sfn|Broughton Vol.1|p=486}}。成年人口317,933人{{sfn|リウィウス|loc=ペリオカエ、56}} 
**[[アッピウス・クラウディウス・プルケル (紀元前143年の執政官)]] 
**''[[クィントゥス・フルウィウス・ノビリオル]]'' 
*[[紀元前131年]]{{sfn|Broughton Vol.1|p=500}} '''LIX''' - 両ケンソルがプレブスは初。プルケルを第一人者に (2回目)、死去後は[[ルキウス・コルネリウス・レントゥルス・ルプス]]を指名。メテッルスは人口増のため全市民に婚姻を強制する演説を行い、護民官[[ガイウス・アティニウス・ラベオ・マケリオ]]を元老院から除名{{efn|怒ったラベオはメテッルスを[[タルペーイアの岩]]から落とすよう命令、阻止される}}。成年人口318,823人{{sfn|リウィウス|loc=ペリオカエ、59}} 
**''[[クィントゥス・カエキリウス・メテッルス・マケドニクス]]'' 
**''[[クィントゥス・ポンペイウス]]'' 
*[[紀元前125年]] '''LX''' - [[テプラ水道]]建設、カエピオの宿敵で[[アウグル]]の[[マルクス・アエミリウス・レピドゥス・ポルキナ]]を6000[[セステルティウス]]で家を借りたとして処罰。コルネリウス・レントゥルスを第一人者に{{sfn|Broughton Vol.1|p=510}}。成年人口394,736人{{sfn|リウィウス|loc=ペリオカエ、60}} 
**[[グナエウス・セルウィリウス・カエピオ (紀元前141年の執政官)]] 
**''[[ルキウス・カッシウス・ロンギヌス・ラウィッラ]]'' 
*[[紀元前120年]] '''LXI''' - コルネリウス・レントゥルスを第一人者に{{sfn|Broughton Vol.1|p=523}} 
**''[[クィントゥス・カエキリウス・メテッルス・バリアリクス]]'' 
**''[[ 
*[[紀元前115年]] '''LXII''' - [[ガイウス・リキニウス・ゲタ]]を含む32名を元老院から除名、[[マルクス・アエミリウス・スカウルス]]を第一人者に{{sfn|Broughton Vol.1|pp=531-532}}。成年人口394,336人{{sfn|リウィウス|loc=ペリオカエ、62-63}} 
**''[[ルキウス・カエキリウス・メテッルス・ディアデマトゥス]]''または''[[ルキウス・カエキリウス・メテッルス・ダルマティクス]]'' 
**''[[グナエウス・ドミティウス・アヘノバルブス (紀元前122年の執政官)]]'' 
*[[紀元前109年]] - ドルススは任期中死去したがスカウルスは辞任拒否{{efn|護民官に逮捕されそうになるまで}}、{{仮リンク|アエミリア・スカウリ街道|en|Via Aemilia Scauri}}建設や[[ミルヴィオ橋]]の修復、[[ガリア・キサルピナ]]の排水事業を手がける{{sfn|Broughton Vol.1|p=545}} 
**[[マルクス・アエミリウス・スカウルス]] 
**''[[マルクス・リウィウス・ドルスス]]'' 
*[[紀元前108年]] '''LXIII''' - エブルヌスは自らの息子を不貞行為で処刑。アエミリウス・スカウルスを第一人者に再指名{{sfn|Broughton Vol.1|pp=548-549}} 
**[[クィントゥス・ファビウス・マクシムス・エブルヌス]] 
**''[[ガイウス・リキニウス・ゲタ]]''{{efn|前115年に元老院から除名されている}} 
*[[紀元前102年]] '''LXIV''' - [[ルキウス・アップレイウス・サトゥルニヌス]]と{{仮リンク|ガイウス・セルウィリウス・グラウキア|en|Gaius Servilius Glaucia}}を元老院から除名しようとする{{efn|サトゥルニヌスが[[ティベリウス・グラックス]]の子と偽って解放奴隷をエクィテスにねじ込もうとしたが拒否したため、後にそれを材料に反撃される}}。{{sfn|Broughton Vol.1|p=567}} 
**''[[クィントゥス・カエキリウス・メテッルス・ヌミディクス]]'' 
**''[[ガイウス・カエキリウス・メテッルス・カプラリウス]]'' 
===紀元前1世紀=== 
*[[紀元前97年]]{{sfn|de Boor|p=24}} '''LXV''' - 祝日や普段使える[[アス (青銅貨)]]の制限などを定めたリキニウス法を撤廃しようとした護民官マルクス・ドゥロニウスを元老院から除外{{efn|後にアントニウスはドゥロニウスから収賄罪で告訴される}}。[[ロストラ]]を[[キリキア]]での戦利品で飾る。アエミリウス・スカウルスを第一人者に再指名{{sfn|Broughton Vol.2|pp=6-7}} 
** 
**'' 
*[[紀元前92年]]{{sfn|de Boor|p=25}} - 行きすぎた[[ラテン語]]の[[修辞技法]]を制限。ドミティウスは同僚クラッススの贅沢を攻撃した。スカウルスを第一人者に留任{{sfn|Broughton Vol.2|p=17}} 
**''[[グナエウス・ドミティウス・アヘノバルブス (紀元前96年の執政官)]]'' 
**''[[ルキウス・リキニウス・クラッスス]]'' 途中辞任 
*[[紀元前89年]]{{sfn|de Boor|p=25}} - この年、[[同盟市戦争]]の結果市民権を得たイタリア人を登録するため新しく10の農村トリブスが追加される事が決定していたが、護民官[[プブリウス・スルピキウス・ルフス]]の提出した新市民を旧農村トリブスに登録する法案が可決されたため中断{{Sfn|Taylor|loc=p.103}} 
**''[[プブリウス・リキニウス・クラッスス (紀元前97年の執政官)]]'' 
**[[ルキウス・ユリウス・カエサル (紀元前90年の執政官)]] 
*[[紀元前86年]] '''LXVI''' - 解放奴隷が35のトリブスに登録される。成年人口463,000人{{sfn|de Boor|p=26}}。この時ローマを支配していたのは[[ルキウス・コルネリウス・キンナ|キンナ]]で、新市民の登録が間に合わなかったともみられているが、トリブスへの配分は済んでいた可能性がある{{sfn|砂田|pp=27-31}}。 
**''[[ルキウス・マルキウス・ピリップス (紀元前91年の執政官)]]'' 
**'' 
*[[紀元前70年]]{{sfn|de Boor|pp=26-27}} '''LXVII''' - 64名を元老院から除名、成年人口90万人{{sfn|リウィウス|loc=ペリオカエ、98}}。この年の執政官[[グナエウス・ポンペイウス]]の影響で、スッラ派に対抗するため主にケントゥリアの第一クラシスを大量に登録したと考えられている{{Sfn|Taylor|loc=p.120}} 
**''[[グナエウス・コルネリウス・レントゥルス・クロディアヌス]]'' 
**''[[ルキウス・ゲッリウス・プブリコラ (紀元前72年の執政官)|ルキウス・ゲッリウス・プブリコラ]]'' 
*[[紀元前65年]]{{sfn|de Boor|p=27}} - [[ポー川]]以北の人々(トランスパダニ)に[[ローマ市民権]]を与えるかどうかで意見が対立<ref>[[カッシウス・ディオ]]『ローマ史』,37.9.3</ref>。クラッススは恐らく[[ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]の支援を得てトランスパダニに市民権を与える法案提出を図ったがカトゥルスに阻止された{{Sfn|Taylor|loc=p.125}} 
**''[[クィントゥス・ルタティウス・カトゥルス・カピトリヌス]]'' 
**''[[マルクス・リキニウス・クラッスス]]'' 途中辞任 
*[[紀元前64年]]{{sfn|de Boor|pp=27-28}} - 前年と同じ理由で対立<ref>[[カッシウス・ディオ]]『ローマ史』,37.9.4</ref>。元老院リスト更新を護民官に妨害され途中辞任{{sfn|Broughton Vol.2|p=161}} 
**''[[ルキウス・アウレリウス・コッタ (紀元前65年の執政官)]]'' 
**不明 
*[[紀元前61年]]{{sfn|de Boor|p=28}} - 元老院全員を留任、定員オーバー<ref>[[カッシウス・ディオ]]『ローマ史』,37.46.4</ref>。[[アシア属州]]でのスキャンダラスな不当契約に絡んでいた可能性{{sfn|Broughton Vol.2|p=179}} 
**''[[ガイウス・スクリボニウス・クリオ (紀元前76年の執政官)]]''? 
**不明 途中辞任 
*[[紀元前55年]]{{sfn|de Boor|pp=28-29}} - この年[[テヴェレ川|ティベリス川]]が大氾濫して多くの死傷者が出た<ref>[[カッシウス・ディオ]]『ローマ史』,39.61</ref>。彼らは治水工事を行った。任期満了まで務めたがルストルムは行えなかった{{sfn|Broughton Vol.2|p=215}} 
**''[[プブリウス・セルウィリウス・ウァティア・イサウリクス (紀元前79年の執政官)]]'' 
** 
*[[紀元前50年]]{{sfn|de Boor|p=29}} - [[ポンペイウス]]派のプルケルは贅沢や不品行を徹底的に調査すると多くのエクイテスと元老院議員を除名し結果的に[[ガイウス・ユリウス・カエサル|カエサル]]派で固め、解放奴隷を元老院から除名。[[ガイウス・サッルスティウス・クリスプス]]もこのとき除名されている。カエサル派のピソは[[ガイウス・スクリボニウス・クリオ]]の除名撤回を嘆願した<ref>[[カッシウス・ディオ]]『ローマ史』,40.63</ref>。ピソはカエサルとの調停も図った{{sfn|Broughton Vol.2|p=248}} 
**[[アッピウス・クラウディウス・プルケル (紀元前54年の執政官)]] 
**''[[ルキウス・カルプルニウス・ピソ・カエソニヌス]]'' 
*[[紀元前42年]]{{sfn|de Boor|pp=29-30}} 
**'' 
**プブリウス・スルピキウス・ルフス 
*[[紀元前28年]]{{sfn|de Boor|p=30}} '''LXVIII''' - 元老院が千人を超えたため190名に自主的に返上させ、[[内乱の一世紀]]で激減していた[[パトリキ]]を元老院の許可の下増やし、元老院議員が許可なくイタリア半島から出ることを禁じた<ref>[[カッシウス・ディオ]]『ローマ史』,52.42</ref> 
**[[アウグストゥス|インペラトル・カエサル・オクタウィアヌス]] 
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**''[[ルキウス・ムナティウス・プランクス]]'' 
**{{仮リンク|ルキウス・アエミリウス・レピドゥス・パウッルス (紀元前34年の執政官)|en|Lucius Aemilius Lepidus Paullus (consul 34 BC)}} 
*[[紀元前8年]]{{sfn|de Boor|p=30}} '''LXIX''' 
**[[アウグストゥス|インペラトル・カエサル・アウグストゥス]] (アウグストゥス) 
*[[14年]]{{sfn|de Boor|p=31}} '''LXX''' 
**[[アウグストゥス|インペラトル・カエサル・アウグストゥス]] (アウグストゥス) 
**[[ティベリウス|ティベリウス・カエサル・インペリオ]] (ティベリウス) 
*[[47年]]{{sfn|de Boor|pp=32-33}} '''LXXI''' 
**[[クラウディウス|ティベリウス・クラウディウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクス]] (クラウディウス) 
**[[ルキウス・ウィテッリウス]] 
*[[72年]]{{sfn|de Boor|p=33}} '''LXXII''' 
**[[ウェスパシアヌス|インペラトル・カエサル・ウェスパシアヌス・アウグストゥス]] (ウェスパシアヌス) 
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===出典=== 
{{Reflist| 
==参考文献== 
* {{Cite book|和書|ref={{sfnref|リウィウス}}|author= 
* [https://en.wikisource.org/wiki/From_the_Founding_of_the_City Livy, From the Founding of the City] 
* {{Cite book|洋書|ref={{sfnref|Broughton Vol.1}}|author=[[:en:Thomas Robert Shannon Broughton|T. R. S. Broughton]]|title=The Magistrates of the Roman Republic Vol.1| publisher= 
* {{Cite book|洋書|ref={{sfnref|Broughton Vol.2}}|author=[[:en:Thomas Robert Shannon Broughton|T. R. S. Broughton]]|title=The Magistrates of the Roman Republic Vol.2| publisher=American Philological Association | year=1952 }} 
* {{Cite book|洋書|ref={{sfnref|de Boor}}|author=Carl de Boor|title=Fasti Censorii| publisher=Apud Weidmannos | year=1873 |oclc=28619073|}} 
* {{Cite book|洋書|ref={{sfnref|Taylor}}|author=[[:en:Lily Ross Taylor|L. R. Taylor]]|title=The Voting Districts of the Roman Republic. The Thirty-five Urban and Rural Tribes| publisher= American Academy in Rome| year=1960}} 
* {{Cite book|洋書|ref={{sfnref|Suolahti}}|author=[[:fi:Jaakko Suolahti|Jaakko Suolahti]]|title=The Roman Censors. A Study on Social Structure| publisher=[[:en:Finnish Academy of Science and Letters|Finnish Academy of Science and Letters]] | year=1963 }} 
* {{Cite book|和書|ref={{sfnref|砂田}}|author=砂田徹|authorlink=砂田徹|title=共和政ローマの内乱とイタリア統合 退役兵植民への地方都市の対応|publisher=北海道大学出版会| year=2018|ISBN=9784832968431}} 
==関連項目== 
*[[ケンソル]] 
*[[国勢調査]] 
{{DEFAULTSORT:きようわせいろおまかんさつかんいちらん}} 
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