「長崎市への原子爆弾投下」の版間の差分

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=== 長崎上空 ===
長崎に向かう途中、ボックスカーではとんだ椿事が発生した。グレート・アーティストの居場所について声をかけられた航法士が、インターフォンのボタンを押したつもりが誤って無線の送信機のボタンを押してしまったのである。直後、「チャック!! どこにいる?」という、いまだ屋久島上空で旋回しているホプキンズからの返事が返ってきた。結果的に無線封止を破ってしまったボックスカーは、なぜか急旋回してグレート・アーティストと[[ニアミス]]。危うく空中衝突をするところであった。
 
長崎天候観測機ラッギン・ドラゴンは「長崎上空好天。しかし徐々に雲量増加しつつあり」と報告していたが、それからかなりの時間が経過しておりその間に長崎市上空も厚い雲に覆い隠された。
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ボックスカーは小倉を離れて約20分後、長崎県上空へ侵入、午前10時50分頃、ボックスカーが長崎上空に接近した際には、高度1800メートルから2400メートルの間が、80~90%の積雲で覆われていた<ref>『私はヒロシマ、ナガサキに原爆を投下した』242頁</ref>。
 
補助的にAN/APQ-7"7“イーグル"レーダーを用い、北西方向から照準点である長崎市街中心部上空へ接近を試みた。スウィーニーは目視爆撃が不可能な場合は太平洋に原爆を投棄せねばならなかったが、兵器担当のアッシュワース海軍中佐が「レーダー爆撃でやるぞ」とスウィーニーに促した<ref>レーダーモニター要員のビーザー中尉の回想でもアッシュウォース中佐がレーダー爆撃の命令を出す責任を取ったとしている。一方、スウィーニー少佐の回想ではレーダー(照準)で投下しようと提案したのはスウィーニーであり、アッシュウォース中佐は「わからんな」「精度に自信が持てるか?」と応え、スウィーニーがそれに対し「全責任を負う」と言ったとしている。出典:『私はヒロシマ、ナガサキに原爆を投下した』242頁</ref>。命令違反のレーダー爆撃を行おうとした瞬間、本来の投下予定地点より北寄りの地点であったが、雲の切れ間から一瞬だけ眼下に広がる長崎市街が覗いた。ビーハンは大声で叫んだ。
: 「街が見える!」
: 「タリホーTallyho!(※) 雲の切れ間に第2目標発見!」
: ※タリホー は 「攻撃目標発見確認」の意
スウィーニーは直ちに自動操縦に切り替えてビーハンに操縦を渡した。工業地帯を臨機目標として、高度9000メートルからMk-3核爆弾[[ファットマン]]を手動投下した。ファットマンは[[放物線]]を描きながら落下、約1分後の午前11時2分、長崎市街中心部から約3kmもそれた別荘の[[テニス]]コート上空、高度503mプラスマイナス10メートル<ref>1976年にアメリカ・オークリッジ国立研究所のジョージ・D・カーの検討による数値。</ref>で炸裂した(松山町171番地)<ref>当初の投下目標は市街地の中心を流れる中島川にかかる常盤橋だった。実際の[[爆心地]]一帯は、予定通り当初の目標上空で爆発した場合、被害地域の最北端と試算された場所であった。</ref>。
[[Image:Nagasakibomb.jpg|right|250px|thumb|キノコ雲]]<!-- http://www.archives.gov/education/history-day/bright-ideas/digitized-images.html -->