「ムワンブツァ4世」の版間の差分
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'''ムワンブツァ4世'''(Mwambutsa IV、[[1912年]]-[[1977年]]4月26日)は、[[ブルンジ王国]]の国王。[[1915年]][[12月16日]]から[[1966年]][[7月8日]]までブルンジ国王(ムワミ)の地位にあり、ブルンジが[[ベルギー]]から独立した際の[[元首]]となった。
1915年、3歳の時にかれは前王[[ムタガ4世]]から王位を継承した。当時ブルンジは[[ドイツ帝国|ドイツ]]領であったが、まもなく第1次世界大戦の敗北によってブルンジはベルギー領となり、さらに1962年にブルンジが独立すると、彼は独立国家ブルンジ王国の元首となった。ムワンブツァは立憲君主を目指したものの、少数派でムワンブツァも属する[[ツチ]]人と多数派の[[フツ]]人との対立により政情は非常に不安定なままで、少なくとも3人の首相が[[暗殺]]され、その中には彼の息子であるルワガソレ王子も含まれていた<ref>片山正人「現代アフリカ・クーデター全史」叢文社 2005年 p158 ISBN4-7947-0523-9C3022</ref>。ムワンブツァはそんな中、フツ人とツチ人の首相を頻繁に交代させ、政権維持を図らねばならなかった。
1966年7月、フツ人の大規模な反乱が起こり、ツチ人の[[ミシェル・ミコンベロ]]大尉によって鎮圧されたもののムワンブツァは国内に帰る意思を持たず<ref>片山正人「現代アフリカ・クーデター全史」叢文社 2005年 p159 ISBN4-7947-0523-9C3022</ref>、[[スイス]]へと[[亡命]]し、1977年に[[ジュネー
==脚注==
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[[Category:ブルンジの政治家]]
[[Category:1912年生]]
{{デフォルトソート:むわんふつあよんせい}}▼
[[Category:1977年没]]
{{BI-stub}}
[[en:Mwambutsa IV Bangiriceng of Burundi]]
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