千代大海龍二

日本の元力士

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千代大海 龍二(ちよたいかい りゅうじ、1976年4月29日 - )は、大分県大分市出身(出生地は北海道千歳市)で九重部屋所属の現役大相撲力士。得意は突き、押し、突っ張りからの叩き、引き、去なし。最高位は東大関。本名は廣嶋龍二(ひろしま りゅうじ)。身長180cm、体重152kg、趣味は音楽鑑賞、インターネット、愛称は「龍二さん」。

千代大海龍二
基礎情報
四股名 千代大海 龍二
本名 廣嶋 龍二
愛称 リュウジ、龍二さん
生年月日 1976年4月29日
出身 大分県大分市
身長 180cm
体重 152kg
BMI 46.91
所属部屋 九重部屋
得意技 突き、押し、叩き、引き、去なし
成績
現在の番付 西大関
最高位 東大関
生涯戦歴 724勝459敗107休(94場所)
幕内戦歴 550勝333敗107休(65場所)
優勝 幕内優勝3回
幕下優勝:2回
三段目優勝:1回
序ノ口優勝:1回
殊勲賞1回、敢闘賞1回、技能賞3回
データ
初土俵 1992年11月場所
入幕 1997年9月場所
趣味 音楽鑑賞、インターネット
備考
金星:1個(貴乃花
2008年7月27日現在

来歴

入門まで

子供の頃から巨漢で、当時のあだ名は「ブッチャー」。しかし運動をよくし、学校から帰ると毎日のように近くの海岸で友達とドッジボールをしていた。中学校時代は大変な悪童として有名になり、2桁人数の高校生相手に単身で喧嘩して勝つ等の武勇伝を轟かせ、大分県最大で九州でも1、2を争う勢力の暴走族「十二単」を率いていた。さらにやくざ数人と喧嘩した所、相手のやくざに気に入られ、スカウトされたことがあった。佐賀県出身で同年代のはなわ曰く「大分の龍二と言えば僕でも知ってる位の凄く有名な男だった」。ただ、ヤンキーではあったが、柔道を習っていたこともあり、礼儀正しく、先生の言うことは素直に聞き、弱い者いじめもしなかったとされる。

一方、中学校2年生の時に柔道の全国大会で3位入賞、3年生の時には年齢を偽って参加した極真空手の九州大会で3位入賞する等、格闘センスは抜群であった。空手の得意技はローキックと掌底。

中学卒業後は一時鳶職に就くが、母親を安心させたいと大相撲入りを決意。どうせなら最も強い人の弟子にと、相撲については殆ど知識が無くとも知っていた元横綱千代の富士の九重部屋に入門志願に行くが、剃りを入れた金髪だったため「頭を何とかしてこい!」と一喝される。九州一の悪童が竦み上がり、翌日、丸刈りにして再び門を叩いた。

大関までの道のり

1992年11月場所に初土俵。千代大海の四股名は大分の「大」と北海道の「海」を合わせて「大海」とし母が考えた。1995年7月場所に19歳で新十両。右肘の怪我と番付運の悪さに泣かされて暫く足踏み状態が続き、昭和50年代生まれの幕内力士第一号を栃東に譲ってしまったが、1997年9月場所に漸く新入幕を果たした。入幕後は順調に番付を上がり、1998年5月場所新小結。翌7月場所には新関脇で11勝。この頃から次期大関候補と言われるようになる。

そして関脇4場所目の1999年1月場所、横綱若乃花との優勝決定戦に勝って13勝2敗の好成績で初優勝を成し遂げ、関脇通算3場所で32勝となり場所後に大関に推挙された。初優勝後、故郷の大分で優勝パレードが行われ、この時、不良だった時代を知る者たちからパトカーに乗せられていた奴がパトカーに先導される様になったとは出世したものだな。」と評された。

大関在位記録、角番記録の更新

千代大海の大関昇進まで約5年間新大関が誕生していなかったため、若貴に継ぐ新しい時代のヒーローとして期待されたが、新大関の場所は不調で星が伸びず、更に武蔵丸との取り組み中に武蔵丸の頭突きが鼻に当たって鼻骨を折ってしまい、途中休場する羽目になってしまった。その後も怪我等でパッとしない場所もあり、大関としてやや頼りなさを感じさせたが、2002年には優勝1回・同点1回と漸く大関として上を期待できるようになり、2004年前半まではそれなりに強い所を見せ、綱取りを期待される場所もあった。しかし2004年3月場所に13勝を上げたのを最後に成績は低迷し、優勝争いどころか勝ち越すのがやっとという場所も多く、更に怪我も多くなって最大の武器である突っ張りもだんだん効かなくなっていった。

2005年9月場所には当時の史上最多記録に並ぶ8度目の角番となり、2008年7月場所では前5月場所中に右肘の痛みが再発した影響もあってか史上単独1位の12度目の角番となった。但し、大関角番の場所はいずれも勝ち越しているため、大関陥落は一度も無い。

最近は下位力士が相手となる前半戦は連勝を重ね、優勝争いにも顔を見せることがあるが、三役以上の実力者が相手となる後半戦は負けが込んでしまい、結局9勝か10勝で終わることが多い。年齢も2008年4月の誕生日で32歳を迎えることもあって既にピークは過ぎていると見られ、現在彼を横綱候補に挙げる者は皆無である。しかしながら、大関という地位で最上位力士との取組の中で、ほぼ毎場所10勝前後の白星を積み上げていることを考えれば、現在迄の大関としての戦績は、名大関と呼ぶに十分申し分ないものといえる。2007年7月場所では大関在位51場所となり、初代貴ノ花の持つ大関在位50場所の記録を抜き、ついに史上単独1位となった。今後は自身の大関在位数の新記録を、どこまで伸ばせるかが注目の的となっている。

ピークは過ぎた感があったものの、2007年は存在感を見せた1年となった。5月場所12日目にはこれまで全くといっていいほど歯が立たなかった横綱朝青龍を電車道で押し出して優勝争いから引きずりおろす殊勲の星を挙げる。11月場所では破壊力の戻った突き押しを武器に、終盤まで失速することなく優勝争いを展開。14日目には横綱白鵬と相星決戦を闘い、敗れはしたものの全盛期を髣髴させる出足で白鵬を追い詰め、地元九州のファンに千代大海健在を印象付けた。この一番で右肘を負傷し休場に追い込まれたが、まだ力が残っていることを証明しただけに復活が待望されるところである。

2008年1月場所は2007年11月場所で負傷した右肘の影響もあり、初日からの皆勤7連敗を喫した(8日目以降は休場)。これは一場所15日制になってからは清國1973年11月場所で初日からの皆勤6連敗を喫した(7日目以降は休場)のを塗り替える大関ワースト記録となってしまった。同年3月場所の初日に雅山を押し出して、2007年11月場所14日目から続いていた連敗はストップした。2008年5月場所は6日目から6連敗を喫し、11日目に白鵬に敗れ負け越してしまった。翌12日目に朝青龍を破ったものの最終的に5勝10敗に終わり、幕内では初の2桁敗戦を喫した。7月場所は自身12度目の角番となったが、9勝6敗と勝ち越して角番脱出。

取り口

千代大海の最も良い相撲とされるのは、小刻みな突っ張りと同時に足も出て直進し、相手を突き出す(もしくは押し出す)「電車道」と称される勝負の決め方である。しかし、悪癖といわれる引き叩き癖があり、格下の相手であれば突き切る事が多いが上位力士となるとなかなかそうともいかない事が多く、叩いてしまい墓穴を掘る事も少なくない。これは突き押しの力士の多くが悩まされるものであり、なかなか突き押しの力士が上に上がるのは難しい大きな理由である。しかしながら、千代大海の引き、叩きはタイミングが良く余りにもよく決まるため、もはや一種の技能として認めざるを得ないという意見も多い。小刻みな突っ張りからわざと相手を呼び込んで土俵際、片足一本でクルリと廻って相手をかわすその姿は、まるでバレリーナのようである。もっとも、本人は「土俵際の魔術師」とマスコミから水を向けられた際、「土俵際の詐欺師だよ」と自嘲気味に笑った。

また、突き押しの力士は同型の突き押しの力士に弱いとされており、千代大海もその例に漏れない(対戦成績で劣っているわけではないが、雅山垣添といった押し相撲の力士を比較的苦手にしている)。更に、朝青龍白鵬といった圧力に強く下がらない力士に対しては突き押しが通じない場合が多く、捕まってしまうことが多い。そうなってしまうと、全く為す術無く寄り切られるのが特徴である。当然、自分から四つ身になる事はまずないが、格下相手に組まれてしまったときや突きが通じなかったときには上手投げを見せたときもあった(2004年11月場所7日目の旭天鵬戦が好例)。

苦手力士

朝青龍との取組成績は2008年9月場所現在、8勝25敗であり非常に苦手としている。2005年以降は全く相手にすらしない朝青龍の圧勝ぶりであったが、2006年9月場所は両者突っ張りの応酬で朝青龍の髷に手が入っているかどうかの物言いがつきながらも素首落としで久々に勝って連敗を8で止めた。さらに2007年5月場所では鋭い当たりと強烈な喉輪で一気に押し出し完勝した。あまりの快勝に、当日の大相撲中継で解説していた毒舌で鳴らす北の富士も、「千代大海ファンには謝らにゃいかんね」「素晴らしい」とコメントした。

魁皇との取組成績は2008年9月場所現在19勝28敗(1つは不戦敗)である。2005年9月場所まで15連敗中だったが、11月場所13日目に久しぶりに勝って連敗を15で止め、翌年3、5月場所も勝って15連敗の後の3連勝となった。なお直近1年間のみ見ると3勝2敗(2007年11月場所は千秋楽休場のため不戦敗、1月場所は途中休場のため対戦なし)とむしろ好成績を挙げている。

近年では豊ノ島を苦手としており、初顔から5連敗中を喫し、2008年9月場所でようやく初白星を挙げた。

略歴

  • 1992年11月場所 - 初土俵
  • 1995年7月場所 - 新十両
  • 1997年9月場所 - 新入幕
  • 1998年5月場所 - 新三役(小結)
  • 1999年1月場所 - 幕内初優勝
  • 1999年3月場所 - 新大関、鼻骨骨折のため11日目から途中休場
  • 1999年7月場所 - 初の角番。
  • 2001年 - 年寄名跡・「佐ノ山」を取得
  • 2001年1月場所 - 右足関節脛腓靱帯損傷及び右距骨有痛性三角骨のため4日目から途中休場
  • 2001年5月場所 - 2度目の角番
  • 2001年9月場所 - 中足基節関節靱帯断裂のため9日目から途中休場
  • 2002年1月場所 - 3度目の角番
  • 2002年5月場所 - 4度目の角番
  • 2002年7月場所 - 2回目の優勝
  • 2002年11月場所 - 右上腕三頭筋損傷のため9日目から途中休場
  • 2003年3月場所 - 5度目の角番を3回目の優勝で飾る
  • 2005年1月場所 - 6度目の角番
  • 2005年5月場所 - 7度目の角番
  • 2005年7月場所 - 左膝側副靱帯損傷のため9日目から途中休場
  • 2005年9月場所 - 8度目の角番
  • 2006年1月場所 - 右大胸筋部分断裂及び頸椎捻挫のため8日目から途中休場
  • 2006年3月場所 - 9度目の角番
  • 2006年7月場所 - 大関在位45場所となり、元大関・北天佑を抜いて歴代単独2位に踊り出た。7日目の露鵬戦では勝ったものの、勝負決着後の土俵下で露鵬とにらみ合い、口論となった。千代大海は自ら北の湖理事長の所へ行き謝罪したものの、厳重注意を受けた。
  • 2007年3月場所 - 栃東の休場で12日目は不戦勝で7勝5敗としたが、その後体調を崩した事もあってパッとせず、千秋楽の横綱朝青龍戦で横綱の立合いの変化で敗れ、大関になって4回目の皆勤負け越しとなってしまった。
  • 2007年5月場所 - 史上1位タイの10度目の角番。大関在位50場所となり、元大関・初代貴ノ花と並ぶ歴代1位タイ記録。10日目に角番脱出。
  • 2007年7月場所 - 大関在位51場所となり、歴代単独1位となる。
  • 2007年11月場所 - 調子よく前に出る相撲が復活。本人の経営する飲食店が潰れたことで相撲の稽古をしっかりやるようになったからだとも言われている。終盤まで横綱・白鵬と共に優勝争いを展開したが、14日目、白鵬との一番で白鵬にとったりを仕掛けられた際に右肘を負傷してしまった。この結果、千秋楽の土俵に上がれず無念の休場となった。奇しくも横綱白鵬は千秋楽結びの一番で大関・琴光喜に黒星を喫した為、もし出場して、かつ対戦予定だった大関・魁皇に勝っていたならば優勝決定戦進出の可能性もあった。
  • 2008年1月場所 - 先場所で負傷した箇所が十分に治癒していない中出場したこともあり、大きく精彩を欠く取組が続き、7日目までに7連敗を喫し、年6場所制になってからの大関の初日からの連敗ワースト記録(不戦敗を除く)をつくってしまった。8日目から途中休場。
  • 2008年3月場所 - 史上1位タイの11度目の角番。12日目に白鵬を破り、角番脱出。
  • 2008年7月場所 - 5月場所中に右肘の痛みが再発した影響もあり、史上単独1位の12度目の角番。11日目に琴光喜を破り、角番脱出。

エピソード

  • 強い霊感の持ち主(ブログより)
  • 近鉄バファローズ読売ジャイアンツのファンである。
  • 母親は後に再婚したが、千代大海自身は母親の再婚後の戸籍に入らなかったため、現在も本名は出生時の姓名のままである。
  • タレントの川村ひかると交際、後に破局したことが報じられたが、最近テレビ番組で未練があることを匂わせた。
  • 東京都渋谷区ちゃんこ料理店「Chez Taikai(シェ・タイカイ)」と、同じ敷地内のスポーツバー「BIGSEA45」を片山晋呉と共同でプロデュースしたことがある。(現在は共に閉店している)
  • 1999年1月場所での初優勝のとき、当時まだ面識のない黒木瞳から花束が贈られたが、千代大海本人は誰かのいたずらだと思ったという。のちにメル友となった。
  • 実家の隣に住んでいたと言う元内閣総理大臣村山富市とも面識、交流がある。(当時の村山の家は千代大海の実家よりもボロボロだったと語っている。)
  • 2006年1月1日放送の、TBS最強の男は誰だ!壮絶筋肉バトル!!スポーツマンNo.1決定戦には、琴欧洲(当時琴欧州)・高見盛らと共に、パワー系種目に出場。THE GALLON THROW(樽投げ)で6m00cmの壁を越えた。これは、後に出場した朝青龍の記録と並ぶ大相撲記録である。(全体では5名同記録の6位。)
  • 2006年大晦日、フジテレビでオンエアされた占い番組内で、細木数子に「2007年か2008年に横綱になる」と言われたが、その直後に「正月場所(初場所)はだめだ。でも3月場所で活躍するよ。」と言われた。しかし実際は、初場所は10勝5敗とまずまずの成績で、3月場所では7勝8敗と負け越してしまった(ちなみに、当時関脇雅山に対する占いも大きくはずれている)。その後、2007年5月8日、TBS系ズバリ言うわよ!にゲスト出演し再び細木と共演した際は、細木に「3月場所は『予言通り』だめだったね。」と、なぜか矛盾していることを言われた。
  • 2006年11月4日放送の世界ふしぎ発見に、力士としては初めてゲスト出演した。(後に琴欧洲も出演。)
  • 2007年1月31日、テレビ朝日愛のエプロンの「鍋王決定戦」には、高見盛と共に、角界初のエプロンボーイズとして出場。塩レタスちゃんこを手掛けて96点の高得点をマークしたが、99点を叩き出した杉本彩に惜敗した。
  • 好きな芸能人は、倖田來未リア・ディゾンである(ジャンクSPORTSにゲスト出演した際に語った)。
  • 最近ではトレーナーと契約してヤンキース井川慶投手も肩の張りを取り除く時に用いる高周波治療器で1日1時間程度、下半身の関節をほぐしている。痛みが消えたことで心に余裕も出てきた。「プロだから」と、土俵上で体をきれいに見せるため、場所入り前に40分間のオイルマッサージも欠かさない。

幕内での場所別成績

  • 通算成績(2008年(平成20年)9月場所終了現在)
559勝 - 339敗 - 107休場
優勝3回、殊勲賞1回、敢闘賞1回、技能賞3回、金星1個[1]
場所 地位 勝数 敗数 休場 備考
平成9年(1997年)9月 西前頭11枚目 8 7 0 新入幕
平成9年(1997年)11月 東前頭5枚目 6 9 0 -
平成10年(1998年)1月 東前頭8枚目 9 6 0 -
平成10年(1998年)3月 東前頭筆頭 8 7 0 技能賞(初)、金星(貴乃花)
平成10年(1998年)5月 東小結 8 7 0 新小結
平成10年(1998年)7月 西関脇 11 4 0 新関脇、技能賞(2)
平成10年(1998年)9月 東関脇 9 6 0 技能賞(3)
平成10年(1998年)11月 東関脇 10 5 0 -
平成11年(1999年)1月 東関脇 13 2 0 優勝(初)、殊勲賞(初)、敢闘賞(初)
平成11年(1999年)3月 西大関 3 8 4 新大関、途中休場・負け越し
平成11年(1999年)5月 西大関2 0 0 15 公傷制度適用
平成11年(1999年)7月 西大関 10 5 0 角番(1)
平成11年(1999年)9月 東大関 10 5 0 -
平成11年(1999年)11月 東大関 9 6 0 -
平成12年(2000年)1月 西大関 9 6 0 -
平成12年(2000年)3月 西大関 8 7 0 -
平成12年(2000年)5月 東大関2 11 4 0 -
平成12年(2000年)7月 東大関 11 4 0 -
平成12年(2000年)9月 東大関 10 5 0 -
平成12年(2000年)11月 西大関 9 6 0 -
平成13年(2001年)1月 西大関 2 2 11 途中休場・負け越し
平成13年(2001年)3月 東大関3 0 0 15 公傷制度適用
平成13年(2001年)5月 東大関3 12 3 0 角番(2)
平成13年(2001年)7月 東大関 11 4 0 -
平成13年(2001年)9月 西大関 4 5 6 途中休場・負け越し
平成13年(2001年)11月 西大関 0 0 15 公傷制度適用
平成14年(2002年)1月 東大関2 13 2 0 角番(3)、優勝決定戦で栃東に敗れる
平成14年(2002年)3月 西大関 7 8 0 大関として初の皆勤負け越し
平成14年(2002年)5月 西大関2 11 4 0 角番(4)
平成14年(2002年)7月 西大関 14 1 0 優勝(2)
平成14年(2002年)9月 東大関 10 5 0 -
平成14年(2002年)11月 西大関 6 3 6 途中休場・負け越し
平成15年(2003年)1月 西大関2 0 0 15 公傷制度適用
平成15年(2003年)3月 東大関2 12 3 0 角番(5)、優勝(3)
平成15年(2003年)5月 東大関 10 5 0 -
平成15年(2003年)7月 西大関 11 4 0 -
平成15年(2003年)9月 西大関 11 4 0 -
平成15年(2003年)11月 東大関 10 5 0 -
平成16年(2004年)1月 西大関 10 5 0 -
平成16年(2004年)3月 東大関 13 2 0 -
平成16年(2004年)5月 東大関 9 6 0 -
平成16年(2004年)7月 西大関 10 5 0 -
平成16年(2004年)9月 西大関 8 7 0 -
平成16年(2004年)11月 西大関 7 8 0 大関二度目の皆勤負け越し
平成17年(2005年)1月 西大関 8 7 0 角番(6)
平成17年(2005年)3月 東大関 6 9 0 大関三度目の皆勤負け越し
平成17年(2005年)5月 西大関2 10 5 0 角番(7)
平成17年(2005年)7月 西大関 3 6 6 途中休場・負け越し
平成17年(2005年)9月 西大関2 10 5 0 角番(8)
平成17年(2005年)11月 西大関 11 4 0 -
平成18年(2006年)1月 東大関 4 4 7 途中休場・負け越し
平成18年(2006年)3月 東大関2 9 6 0 角番(9)
平成18年(2006年)5月 東大関2 10 5 0 -
平成18年(2006年)7月 西大関 9 6 0 -
平成18年(2006年)9月 西大関 10 5 0 -
平成18年(2006年)11月 東大関 9 6 0 -
平成19年(2007年)1月 西大関2 10 5 0 -
平成19年(2007年)3月 東大関 7 8 0 大関四度目の皆勤負け越し
平成19年(2007年)5月 西大関3 10 5 0 角番(10)
平成19年(2007年)7月 西大関 9 6 0 大関在位単独一位となる在位51場所目
平成19年(2007年)9月 東大関 9 6 0 -
平成19年(2007年)11月 西大関 11 4 0 14日目の取組で負傷した為、千秋楽を休場(不戦敗)
平成20年(2008年)1月 東大関 0 8 7 途中休場・負け越し
平成20年(2008年)3月 西大関2 8 7 0 角番(11)
平成20年(2008年)5月 東大関2 5 10 0 大関五度目の皆勤負け越し
平成20年(2008年)7月 西大関2 9 6 0 角番(12)
平成20年(2008年)9月 西大関2 9 6 0  
通算 559 339 107 -

主な力士との幕内対戦成績

2008年7月場所終了現在

力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数 力士名 勝数 負数
琴龍 7 2 土佐ノ海 21 10 黒海 8 4
敷島 5 2 出島 20 14 白鵬 6 15
琴錦 7 3 若の里 25 5 露鵬 6 4(1)
濱ノ嶋 4 1 海鵬 4 1 琴欧洲 5 13
栃乃和歌 3 1 小城錦 3 1 和歌乃山 3 1
朝乃若 3 2 闘牙 14 0 普天王 3 2
肥後ノ海 4 1 旭鷲山 16 1 琴奨菊 12 2
湊富士 3 2 雅山 23 19(1) 稀勢の里 12 3
貴ノ浪 21 7(1) 旭天鵬 25 4 時天空 8 4
貴闘力 10 1 栃乃花 4 1 安馬 7 7
若乃花 5 3 隆乃若 4 3(1) 把瑠都 4 2
貴乃花 6(1) 9 琴光喜 20 16 豊ノ島 1 5
安芸乃島 10 3 朝青龍 8 25 豊真将 2 2
栃東 16(1) 18 玉乃島 13 7 豪風 2 2
玉春日 7 3(1) 安美錦 17 2 鶴竜 4 1
栃乃洋 20 9 高見盛 9 3 豪栄道 1 1(1)
4 7 北勝力 7 3 若ノ鵬 1 1
武蔵丸 9 11 霜鳳 7(1) 0
武双山 10(1) 14 朝赤龍 8 4
魁皇 19 28(1) 岩木山 8 4
琴ノ若 12 2 垣添 7 5

(カッコ内は勝数、負数の中に占める不戦勝、不戦敗の数。太字は2008年7月場所現在、現役力士。)

主な成績

2008年9月場所終了現在

  • 通算成績:733勝465敗107休(95場所)
  • 幕内成績:559勝339敗107休(66場所)
  • 大関在位:52場所(歴代1位)
  • 三役在位:5場所(関脇4場所、小結1場所)

各段優勝

  • 幕内最高優勝:3回(1999年1月場所、2002年7月場所、2003年3月場所)
  • 十両優勝:2回(1997年3月場所・7月場所)
  • 三段目優勝:1回(1994年1月場所)
  • 序ノ口優勝:1回(1993年1月場所)

三賞・金星

  • 三賞:5回
  • 殊勲賞:1回(1999年1月場所)
  • 敢闘賞:1回(1999年1月場所)
  • 技能賞:3回(1998年3月場所、1998年7月場所、1998年9月場所)
  • 金星:1個(貴乃花)

脚注

  1. ^ 貴乃花

関連項目

外部リンク

先代
貴ノ浪貞博
武蔵丸光洋
大関
(在位:1999年3月-)
次代
出島武春