ヘディ・ラマー
ヘディ・ラマー(Hedy Lamarr、本名:Hedwig Eva Maria Kiesler、1914年11月9日 - 2000年1月19日)は、オーストリア・ウィーン出身の女優・発明家である[1]。1930年に女優としてドイツでデビューしたが、1933年の『春の調べ』をもって結婚を理由に映画界から引退した。しかし、夫への不満が高まったことから、1937年に夫の元から逃げ出し、密かにパリに転居した。そこで彼女はMGMの創始者ルイス・B・メイヤーに出会い、彼の力を借りて1930年代から1950年代までの間、ハリウッドスターの1人となった[2]。
ヘディ・ラマー Hedy Lamarr | |
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![]() 1940年、MGM publicityにて | |
本名 | Hedwig Eva Maria Kiesler |
別名義 | ヘディ・キースラー |
生年月日 | 1914年11月9日 |
没年月日 | 2000年1月19日(85歳没) |
出生地 |
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死没地 |
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国籍 |
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身長 | 5 ft 7 in (170 ㎝) |
職業 | 女優・発明家 |
ジャンル | 映画 |
活動期間 | 1930年 - 1958年 |
配偶者 |
Fritz Mandl (1933-1937) Gene Markey (1939-1941) John Loder (1943-1947) Teddy Stauffer (1951-1952) W. Howard Lee (1953-1960) Lewis J. Boies (1963-1965) |
著名な家族 |
ジェームズ(息子) デニース(娘) アントニー(息子) |
公式サイト | http://www.hedylamarr.com/ |
女優としての彼女は「世界で最も美しい女性」として名を馳せており[3]、公式サイトや彼女に関する文献では"The Most Beautiful Woman in Films"(訳:これまでスクリーンに現れた最も美しい女優の1人)とも謳われている[4]。シャルル・ボワイエ、スペンサー・トレイシー、クラーク・ゲーブル、ジェームズ・ステュアート、ヴィクター・マチュアなど[5]有名な俳優との共演経験が多い。
発明家としての彼女は第二次世界大戦期に作曲家のジョージ・アンタイルと共に、連合国側の魚雷の無線誘導システムが枢軸国側からの通信妨害の影響を受けないための周波数ホッピングスペクトラム拡散の初期的な技術を開発し、その特許を取得した[6][7]。アメリカ海軍は1960年代になってからようやくこの技術を導入したが、この技術の原理は現代の符号分割多元接続・Wi-Fi・Bluetoothなどの技術にも取り込まれている[8][9][10]。また、彼女とアンタイルはこの発明の功績により、2014年に「全米発明家殿堂」入りを果たした[7][11]。
来歴
ユダヤ系の両親のもとにヘドウィヒ・エヴァ・マリア・キースラーとしてウィーンで生まれ、父親エーミール・キースラー(Emil Kiesler)はレンベルク出身のユダヤ人銀行家、母親ゲルトルート・キースラー(旧姓リヒトヴィッツ、Gertrud née Lichtwitz)はブダペシュトのユダヤ人上流階級家庭出身のピアニストである[12]。彼女はユダヤ教から改宗したカトリック教徒であり、よく教会に通っていた[12]:8。
女優に憧れ、プロデューサーのマックス・ラインハルトとともにベルリンに行き、演劇の訓練を受けた。その後またウィーンに戻り、スクリプターとして映画界に入り、まもなく女優となり、17歳のときに端役で映画に出演した。1933年、18歳の時にヘディ・キースラーの名前で性の解放を謳ったグスタフ・マハティ監督のチェコ映画『春の調べ』に出演し、ヒロインの若妻・エヴァ役に扮して映画史上初めての全裸シーンと初めての女性オーガズムを披露した[2]。当時としては、この映画はかなりセンセーショナルであり、アメリカでは上映禁止になっている[2][13]。
1933年8月10日、19歳となった彼女はヒルテンベルク弾薬工場(現・ヴェラースドルフ製作所)の所有者である裕福な兵器製造業者フリッツ・マンドルと結婚した。マンドルは非常に嫉妬深い男で、彼女の濡れ場には大反対し、誰も彼女のヌードが見られないようにするため『春の調べ』のプリントを買い占めようとした[14]。彼女の自伝『Ecstasy and Me』によると、マンドルは独占欲が強く、彼女を当時の住居であるシュヴァルツェナウ城に幽閉し、映画界を半ば強制的に引退させた。親の片方がユダヤ人にもかかわらず、マンドルはドイツのナチス政権とイタリアのファシスト党とは親密な社会・経済的な関係にあり、ムッソリーニ政権に軍需品を売ったことがある[12]。また、マンドル宅の高級パーティーにムッソリーニとヒトラーが出席したこともある。その時期、彼女はよくマンドルを伴ってビジネスの場に出席し、そこで軍事技術に携わる科学者や専門家たちに会うことになった。こういった経験は彼女に応用科学の分野に興味をもたらせ、彼女の科学的才能を培った土壌とも言える[15]。
最終的に彼女はマンドルとの結婚に嫌気が差し、夫と母国オーストリアを離れることに決心した。自伝によると、彼女は1937年にメイド姿に変装しパリへと逃げた。ただし、噂では彼女はある晩餐会の前に、マンドルに宝飾品を身につけるため部屋に戻りたいという嘘をついて逃げたという[16]。
ハリウッド時代
彼女はパリで俳優スカウト中の映画プロデューサーのルイス・B・メイヤーと出会った[17]。メイヤーは彼女と契約を結んだが、話題作『春の調べ』のヒロインとして名を馳せた彼女に改名を要求した。最終的に彼女はサイレント映画時代の女優バーバラ・ラ・マー[14]の苗字を取って「ヘディ・ラマー」と名前を変えてハリウッドに渡った[18]。1938年、メイヤーは「世界で最も美しい女性」と銘打ち彼女を宣伝した[19]。
ハリウッドデビュー作は1938年、シャルル・ボワイエと共演する『カスパの恋』であった[12]:77。当時のアメリカ人にとって彼女の名前こそ分からないが、話題のオーストリア人女優として観客に期待を持たせることができた。メイヤーは彼女がグレタ・ガルボやマレーネ・ディートリヒのような大女優に成長することを期待したという[12]:77。黒髪を中央で分けた彼女の髪型は、『風と共に去りぬ』でヴィヴィアン・リーも真似をしている。その後のハリウッド映画には、彼女はいつも同じような異国風で魅惑的な女性を演じた。1940年の『ブーム・タウン』でスペンサー・トレイシー、『ブーム・タウン』と同年の『同志X』でクラーク・ゲーブルと、1941年の『美人劇場』でジェームズ・ステュアート、ラナ・ターナー、ジュディ・ガーランドと、1942年の『Tortilla Flat』でトレイシーとジョン・ガーフィールドと、1949年の『サムソンとデリラ』でヴィクター・マチュアと共演するなど[5]、有名な俳優との共演経験が多い。
彼女は1940年から1949年までの間、18本の映画に出演したとともに、2人の子供を出産した。1945年にMGMを去った後、セシル・B・デミル監督の『サムソンとデリラ』にヴィクター・マチュアとともに出演した。彼女はデリラを扮したこの映画は1949年の最高興行収入を上げた。しかし、1951年のボブ・ホープ出演のコメディ映画『腰抜けモロッコ騒動』でヒロインを務めた後、彼女の事業は不振期に入った。それ以降も断続的に映画に出演していたが、1958年の『フィーメイル・アニマル』をもって彼女は映画界を引退した。
発明
非常に聡明な女優であり、初期の発明として、改良の交通信号機と水に溶けて炭酸水を作る錠剤が挙げられる。ただし錠剤について本人が「アルカセルツァーの味をする」失敗作であると言った[20]。
第二次世界大戦が激化していた最中、彼女は海軍の作戦に重要な役割を果たす魚雷の無線誘導システムはよく枢軸国側の通信妨害を受け目標に攻撃することに失敗したことを知り、作曲家で友人のジョージ・アンタイルに協力を求めて、妨害の影響を受けないような無線誘導システムを開発しようとした。彼女は最初の夫であるマンドルと結婚していた間に得た無線の知識を元に、ピアノロールの仕組みを参照しながら、彼女たちは魚雷に送る電波の周波数を頻繁に変えれば妨害されにくいと思い、周波数ホッピングシステムの設計案を作成した。彼女は1942年8月11日に、ヘディ・キースラー・マーキー(Hedy Kiesler Markey)の名義でアンタイルとともにこの技術に関する特許を取得していた[6][21][22]。
しかし、この技術の実装が困難であることに加え、アメリカ海軍は軍隊の外から来た発明を受け入れがたい体制であったから、この技術は長い間棚上げにされた[20]。1962年のキューバ危機の時になってからようやくこの技術の改良版が軍艦に使われようになった[23]。
この技術は現代の周波数ホッピングスペクトラム拡散技術の前身の1つであり、その原理はGPS・Bluetooth・携帯電話・Wi-Fiなどの技術にも取り込まれている。この功績を讃えられ、彼女たちは1990年代のEFF Pioneer Awardを受賞した[24]。2014年に、彼女はアンタイルとともに「全米発明家殿堂」入りを果たした[7][11]。
また、大戦期に彼女はこの発明で「全米発明家協議会」(National Inventors Council)に入りたがったが、会員のチャールズ・ケタリングや他の会員に有名人の地位を利用して戦争債券を売った方がより良いではないかと勧められ、それ以降戦争債券キャンペーンに頻繁に参加したという[25][26]。
彼女の生誕101年に当たる2015年11月9日には、彼女のアニメーション動画が制作され、Googleのロゴに採用されると共に[27][28][29]、YouTubeにもアップロードされている[30]。
引退後
彼女は1953年4月10日、38歳の時にアメリカ合衆国に帰化した。1966年、彼女はロサンゼルスで万引きで逮捕されたが、起訴がまもなく取り下げられた。1991年に彼女はまたフロリダ州で合計21.48ドルの下剤と目薬を万引きして逮捕された。この時、彼女は不抗争(Nolo contendere)を申し立て出廷を回避できたが、引き換えに1年間にいかなる法律を破らないと約束した。起訴もその後また取り下げられた[31]。
主な出演作品
公開年 | 邦題 原題 |
役名 | 備考 |
---|---|---|---|
1931 | O・F氏のトランク Die Abenteuer des Herrn O. F. |
ヘレン | |
1932 | 春の調べ Extase |
エヴァ | ヘディ・キースラー名義 |
1938 | カスバの恋 Algiers |
ギャビー | |
1939 | レディ・オブ・ザ・トロピクス Lady of the Tropics |
キラ・キム | |
1940 | ブーム・タウン Boom Town |
カレン・ヴァンネア | |
1941 | 美人劇場 Ziegfeld Girl |
サンドラ | |
1944 | 復讐!反ナチ地下組織/裏切り者を消せ The Conspirators |
イレーネ | |
恐ろしき結婚 Experiment Perilous |
アリダ | ||
1945 | 夢のひととき Her Highness and the Bellboy |
ヴェロニカ王女 | |
1946 | 奇妙な女 The Strange Woman |
ジェニー・ハガー | |
1948 | キッス・タイム Let's Live a Little |
J・O・ローリング | |
1949 | サムソンとデリラ Samson and Delilah |
デリラ | |
1950 | パスポートのない女 A Lady Without Passport |
マリアンヌ | |
銅の谷 Copper Canyon |
リサ | ||
1951 | 腰抜けモロッコ騒動 My Favorite Spy |
リリー |
脚注
- ^ “Hedy Lamarr: Inventor of more than the 1st theatrical-film orgasm”. Los Angeles Times (Tribune Publishing). (28 November 2011). ISSN 0458-3035. OCLC 3638237 2016年2月6日閲覧。.
- ^ a b c “Hedy Lamarr: Secrets of a Hollywood Star”. Edition Filmmuseum 40. Edition Filmmuseum.com. 2016年2月6日閲覧。
- ^ Rhodes (2011)
- ^ Barton (2010)
- ^ a b Haskell, Molly (10 December 2010). “European Exotic”. The New York Times (The New York Times Company). ISSN 0362-4331. OCLC 1645522 2016年2月6日閲覧。.
- ^ a b c “Patent #: US002292387” (PDF). 米国特許商標庁. 2016年2月6日閲覧。
- ^ a b c “Movie Legend Hedy Lamarr to be Given Special Award at EFF's Sixth Annual Pioneer Awards” (Press release). Electronic Frontier Foundation. 11 March 1997. 2016年2月6日閲覧.
- ^ “Hollywood star whose invention paved the way for Wi-Fi”. New Scientist. (8 December 2011). ISSN 0262-4079. OCLC 477034269 2016年2月6日閲覧。.
- ^ Craddock, Ashley (11 March 1997). “Privacy Implications of Hedy Lamarr's Idea”. Wired (Condé Nast Digital). ISSN 1059-1028. OCLC 24479723 2016年2月6日閲覧。.
- ^ “Hedy Lamarr Inventor”. The New York Times (The New York Times Company). (1 October 1941). ISSN 0362-4331. OCLC 1645522 2016年2月6日閲覧。.
- ^ a b “Spotlight – National Inventors Hall of Fame”. invent.org. 2016年2月6日閲覧。
- ^ a b c d e Shearer, Stephen Michael (2010). Beautiful: The Life of Hedy Lamarr. Thomas Dunne Books. ISBN 978-0-312-55098-1
- ^ “Czech Film Series 2009–2010 – Gustav Machatý:Ecstasy”. Russian & East European Institute, Indiana University (2009年9月2日). 2009年9月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年2月6日閲覧。
- ^ a b “The ecstasy”. The Independent (Independent News & Media). (October 9 2011). ISSN 0951-9467. OCLC 185201487 2015年11月9日閲覧。.
- ^ “Happy 100th birthday, Hedy Lamarr, movie star who paved way for Wi-Fi”. CNET. 2016年2月6日閲覧。
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- ^ Donnelley, Paul. Fade to Black: 1500 Movie Obituaries, Omnibus Press (2010), p. 639.
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- ^ Katz, Ephraim. The Film Encyclopedia, 3rd ed. HarperPerennial (1998), p. 780.
- ^ a b “'Most Beautiful Woman' By Day, Inventor By Night”. NPR (2011年11月22日). 2016年2月6日閲覧。
- ^ “MicroTimes: The Birth Of Spread Spectrum”. Harvard John A. Paulson School of Engineering and Applied Sciences. 2015年11月9日閲覧。
- ^ a b “特許 US2292387 - Secret communication system”. Google特許検索. Google (1942年8月11日). 2016年2月6日閲覧。
- ^ Long, Tony (2011年8月11日). “This Day in Tech: Aug. 11, 1942: Actress + Piano Player=New Torpedo”. Wired. 2016年2月6日閲覧。
- ^ “Honorary grave for Hollywood pin-up”. 2016年2月6日閲覧。
- ^ Scholtz, Robert A. (May 1982). “The Origins of Spread-Spectrum Communications”. IEEE Transactions on Communications 30 (5): 822. doi:10.1109/tcom.1982.1095547.
- ^ Price, Robert (January 1983). “Further Notes and Anecdotes on Spread-Spectrum Origins”. IEEE Transactions on Communications 31 (1): 85. doi:10.1109/tcom.1983.1095725.
- ^ “ヘディ・ラマー生誕 101 周年”. Doodle. Google (2015年11月9日). 2015年11月9日閲覧。
- ^ 町田光 (2015年11月9日). “本日のGoogleロゴはヘディ・ラマー生誕記念Doodle”. 財経新聞 2015年11月9日閲覧。
- ^ “今日のGoogleロゴはヘディ・ラマー生誕101周年”. MdN Design Interactive. (2015年11月9日) 2015年11月9日閲覧。
- ^ Hedy Lamarr's 101st Birthday Google Doodle - YouTube
- ^ Salamone, Debbie (1991年10月24日). “Hedy Lamarr Won't Face Theft Charges If She Stays In Line”. Orlando Sentinel. 2016年2月6日閲覧。
参考文献
- Barton, Ruth (June 7, 2010). Hedy Lamarr: The Most Beautiful Woman in Film. Screen Classics. Lexington: University of Kentucky Press. ASIN 0813126045. ISBN 978-0-8131-2604-3. OCLC 697175256. ASIN B004EHZC76 (Kindle)
- Rhodes, Richard (November 29, 2011). Hedy's Folly: The Life and Breakthrough Inventions of Hedy Lamarr, the Most Beautiful Woman in the World. New York: Doubleday. ASIN 0385534388. ISBN 0-385-53438-8. OCLC 707235824. ASIN B004QZ9ZP6 (Kindle)