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  • 最新 16:212025年7月23日 (水) 16:21 ~2025-25085-9 会話 投稿記録 62,414バイト +2,022 1980年5月17日以降: 戒厳令自体は朴正煕暗殺以降ずっと続いている。全斗煥が治安司令官に加えてKCIA長官を兼ねることになったことで、民主勢力側も不安を感じて民主化運動がさらに強まり機動隊との衝突や逮捕は続いていたが、18日反政府運動が一気に激化したのは戒厳令拡大というより戒厳司令部による26人の政治的逮捕があり、いよいよ軍が民主勢力の完全弾圧に乗り出したとみられたためである。誤解がありそうな文章を直す。なお、光州の地元有力者などによる「収拾対策委員会」とは、市民・学生側による光州制圧後の22日にいわば第三者的な立場に立つ地元知名人らによって事態収拾のために結成された委員会のほうである。21日の大衝突前に交渉にあたった委員会は6名ほどの委員会で、おそらく民主化運動を行っている市民・学生ら自身の代表か依頼されて代弁する形で交渉にあたったと思われ、性格が異なると考えられる。 取り消し タグ: ビジュアルエディター

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