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'''植木 宣隆'''(うえき のぶたか [[1951年]]9月 - )は[[京都府]]出身の[[編集者]]で、出版事業家である。[[株式会社]][[サンマーク出版]] [[代表取締役]][[社|取締役会長]]。
 
== 経歴 ==
1951年[[京都]]生まれ。1976年[[京都大学大学院文学研究科・文学部|京都大学文学部]]独文科卒業。
=== 年少期 ===
[[京都市]][[下鴨]]にて、7人兄弟の末弟に生まれる。父は[[曹洞宗]]の住職の長子で[[新潟医大]]と[[京都大学]]哲学科に学び、[[兵庫師範学校]]の[[教師]]と[[書家]]をしていた。
 
株式会社[[潮文社]]を経て78年、[[サンマーク出版]]の前身である株式会社[[サンマーク出版#沿革|教育研究社]]に入社。
[[京都府立洛北高等学校・附属中学校|京都府立洛北高等学校]]2年生のとき父を亡くす。2年浪人して[[京都大学]][[文学部]]に入学。[[京都大学大学院理学研究科・理学部|理学部]][[数学科]]志望だったが[[哲学]]専攻を考え、さらに[[独文学]]を学んだ。
 
戦後2番目(当時)の大ヒットとなった[[春山茂雄]]著『[[脳内革命]]』(1995年、410万部)をはじめとして、[[久徳重盛]]著『[[母原病]]』(1979年)や[[船井幸雄]]著『これから10年 生き方の発見』(1992年)などを企画編集した。[[リチャード・カールソン (作家)|リチャード・カールソン]]著『小さいことにくよくよするな!』(1998年、173万部)や[[稲盛和夫]]著『生き方』(2004年、150万部)、[[新谷弘実]]著『病気にならない生き方』(2005年、140万部)、[[近藤麻理恵]]著『[[人生がときめく片づけの魔法]]』(2011年、159万部)など、編集長として、また経営者として8冊の単行本ミリオンセラーに恵まれてきた。
=== 入社後 ===
[[1976年]]に大学を[[卒業]]し、上京して[[潮文社]]に入る([[筑摩書房]]の入社試験には失敗)。入社早々編集した「一輪の愛をください」が[[ベストセラー]]になったが、[[社長]]と反りが合わずに2年で退社。[[1978年]]、教育研究社に入社(のち[[サンマーク出版]]と改名)。[[1979年]]、[[久徳重盛]]の「[[母原病]]」を編集、50万部を超えるベストセラーとなる。以後、「脳内革命」(410万部)、「小さいことにくよくよするな!」(171万部)、「脳内革命2」(134万部)などのミリオンセラーを出す。
 
[[著作権|ライツ]]の海外販売にも早くから取り組み、[[江本勝]]著『[[水は答えを知っている]]』(2001年)は世界35か国で累計300万部、『生き方』は中国で600万部を突破した。2015年には『人生がときめく片づけの魔法』が世界20か国で大ヒット。アメリカではアマゾンの年間総合第2位、400万部を突破。サンマーク出版の海外発行総部数は累計3300万部超となっている。
ミリオンセラー作りの名人として知られ、[[井狩春男]]は「この本は100万部売れる」の中で、植木を手練れ編集者ベストテンの一人に挙げている。
 
2002年より20年余にわたり株式会社サンマーク出版 代表取締役社長を務め、2023年3月より現職。
[[出版科学研究所]]平成18年度第2回「[[出版セミナー]]」で講演。テーマは「ベスト&ロングセラーのつくり方 - サンマーク出版の出版作法」。
 
著書に『思うことから、すべては始まる』がある。
 
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[[category:日本の書籍編集者]]
[[category:21世紀日本の実業家]]
[[Category:京都大学出身の人物]]
[[Category:京都府立洛北高等学校・附属中学校出身の人物]]