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{{Redirect|慰安婦問題|韓国軍慰安婦に関する問題|韓国軍慰安婦}}
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| date = 2024-10-20 19:44:54
'''日本の慰安婦問題'''(にほんのいあんふもんだい)は、[[日本の慰安婦|旧日本軍の慰安婦]]に対する[[日本]]の国家責任の有無に関する問題。慰安婦問題には事実関係や評価などで様々な認識の差異や論点があり、日本や、[[北朝鮮]]、[[大韓民国]]、[[国際連合]]などで[[1980年代]]頃から議論となっている。[[太平洋戦争]]まで慰安婦は合法とされた[[公娼]]であり、問題として取上げられる慰安婦については、しばしば、民間経営者により報酬が支払われていたこと、斡旋業者が新聞広告などで広く募集をしていたこと、[[内地]]の日本人女性もいたことなどから、国家責任はないたぐいのものとの主張がある。また、兵士による[[買春]]や性犯罪は日本軍だけの現象ではなく、この問題で日本を非難した韓国や[[アメリカ合衆国]]の軍隊によっても[[第二次世界大戦]]後に至っても行なわれていた(韓国での「[[第五種補給品]]」「[[ライダイハン]]」問題、敗戦直後の日本で[[連合国軍占領下の日本|占領軍]]が利用した[[特殊慰安施設協会|特殊慰安施設(RAA)]]<ref>村上勝彦『進駐軍向け特殊慰安所RAA』([[ちくま新書]]、2022年)</ref>など)。
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== マーベルアニメを放送していた放送局 ==
以下のチャンネルが見つかっているのですが、私が2000年・2003年頃に見ていたもう1つ(もしくは3つ)のテレビ局が見つかりません。探しても無く、ロゴがあるように見えるのに出てこないのです。当時、大和と東関東だったのですが、どこかにありませんでしたか?
[https://www.youtube.com/watch?v=yUkoWW707U0&pp=ygUY44K544OR44Kk44OA44O844Oe44OzIE9Q 日本語版OP]でコメントしてる人がいるんですが、確かにあったはずなんです。2003年10月2日から11月27日までの平日21時00分 - 21時30分でしたし、月曜日の裏番組[[機動戦艦ナデシコ]]も知ってます。スパイダーマン1981年版、アベンジャーズについては2003年4月でしたし、その中でマーベル・スーパーヒーローズ(2003年4月)も日本語吹き替え版でありましたが、シルバーサーファーは恐らく5月辺りでしょうが、超人ハルクは日本語字幕版で放送されてました。この期間、[[NHK教育テレビジョン]]で[[モンタナ]]、[[カスミン]]、[[テレ東]]で[[E'S OTHERWISES]]、[[カレイドスター]]などのアニメがあったの分かってるんですが。
 
日本国内においてテレビでの[[海賊放送]]は存在しない(ラジオは存在する)とお聞きしており、必ずあったと思うのですが、オークションでも売り切れているせいか、調べられない状況です。
一方、戦時下での、女性に対する重大な人権侵害として旧[[国際連合人権委員会]]や[[人種差別撤廃委員会]]が取り扱ってきており、慰安婦は一般女性が官憲や軍隊により[[強制連行]]された{{sfn|尹明淑|2003|pp=232-233}}[[性的奴隷|性奴隷]]であるとの主張<ref>{{cite journal|date=1996-01-04|author=Radhika Coomaraswamy|author2=UN. Commission on Human Rights. Special Rapporteur on Violence against Women|url=http://www.awf.or.jp/pdf/h0004.pdf|title=Report on the mission to the Democratic People’s Republic of Korea, the Republic of Korea and Japan on the issue of military sexual slavery in wartime.|journal=Addendum Report of the Special Rapporteur on violence against women, its causes and consequences, Ms. Radhika Coomaraswamy,in accordance with Commission on Human Rights resolution 1994/45.|page=4|language=en|format=PDF|publisher=[[国際連合人権委員会|国際連合経済社会理事会人権委員会]]|accessdate=2018-10-05}}</ref>や、強制連行の有無とは別に現代の価値観において女性への人権侵害であるとする見解もある。なお、軍や官憲による強制連行を示すような資料は発見されていない<ref>{{Cite web|和書|title=衆議院議員辻元清美君提出安倍首相の「慰安婦」問題への認識に関する質問に対する答弁書 |url=https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b166110.htm |website=www.shugiin.go.jp |access-date=2022-11-27}}</ref>。また、強制連行説を主張した媒体・論者のうち、日本の『[[朝日新聞]]』は吉田清治の証言等の自社記事をのちに取り消し、報道や事後対応の経緯について[[第三者委員会]]に調査を依頼した<ref name="dokurituchousa"/>。
 
本当に[[森川智之]]版のスパイダーマンが2004年7月からしかなく、[[猪野学]]版から始まったというなら、私はこの森川智之版を嫌うことになるのですが、どうも2004年7月に1967年版の第1話があったし、カートゥーンネットワーク版の裏として動いてたとしか思えないため、あったと思われます。2004年8月号は持っているのですが、その時点で既に無いことは確認できています。
== 日韓における慰安婦問題 ==
=== 1970・80年代 ===
初期[[ウーマン・リブ]]の運動家[[田中美津]]は1970年の著作で「従軍慰安婦{{Efn|日本政府は2021年4月27日の「従軍慰安婦」等の表現に関する質問に対する答弁書<ref name="situmon">{{Cite web|title=衆議院議員馬場伸幸君提出「従軍慰安婦」等の表現に関する質問に対する答弁書 |url=https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b204097.htm |website=[[衆議院]] |access-date=2022-10-23}}</ref>で、[[吉田清治 (文筆家)|吉田清治]](後述)による虚偽の証言が「従軍慰安婦問題」として大々的に報道され、軍により強制連行されたという見方が広く流布されたが、そのような事実は存在しなかったことが後に明らかになったことを踏まえ、「政府としては、『従軍慰安婦』という用語を用いることは誤解を招くおそれがあることから、『従軍慰安婦』又は『いわゆる従軍慰安婦』ではなく、単に「慰安婦」という用語を用いることが適切である」とした。また、「従軍」と「慰安婦」の用語を組み合わせて用いるなど、同様の誤解を招き得る表現についても使用すべきでないとした。[[河野談話]]で「いわゆる従軍慰安婦」という用語が用いられていることについては、「慰安婦」という用語が広く社会一般に用いられている状況にあったことから、「いわゆる」という言葉を付した表現が使用されたものと認識しているとした。{{See also|日本の慰安婦#「従軍慰安婦」という呼称}} }}」の「大部分は朝鮮人であった」、「貞女と慰安婦は私有財産制下に於ける性否定社会の両極に位置した女であり、対になって侵略を支えてきた」と記述している{{sfn|小熊英二 |2009|pages=713,721}}<ref name="okinawa">山谷哲夫『沖縄のハルモニ』(晩聲社、1979年){{要ページ番号|date=2013-06-06}}</ref>。
 
でも確かにそのテレビ局が存在していたことは分かっています。
1973年に[[千田夏光]]の『従軍慰安婦』が刊行され、慰安婦を民族ごとに分けて記述した。千田は日本人の慰安婦は自主的な売春婦であり、韓国人の慰安婦を売春を強制された被害者とした<ref name="kinoshita">{{Cite thesis|和書|author=木下直子 |title=「慰安婦」言説再考 : 日本人「慰安婦」の被害者性をめぐって |volume=九州大学 |series=博士(比較社会文化) 甲第11567号 |year=2013 |doi=10.15017/1398291 |hdl=2324/1398291 |id={{naid|500000731363}} |url=https://doi.org/10.15017/1398291}}</ref>。千田の著書は、[[日本キリスト教婦人矯風会]]の[[高橋喜久江]]会長の注目を受けた<ref name="kinoshita" />。『[[産経新聞]]』によると、高橋は慰安婦の社会問題化に関して「私も火付け役をした」と自負したとされ、高橋は千田の著書を韓国に紹介するなどしている<ref>{{cite news|newspaper=産経新聞|date=2014年5月25日|title=火付け、たきつけた日本人たち|url=https://web.archive.org/web/20141102040848/http://www.sankei.com/politics/news/140525/plt1405250012-n1.html|accessdate=2018年8月}}</ref>。千田の著作に関して、いくつかの立場から疑問が呈されている。([[千田夏光#著作『従軍慰安婦』]]参照)そもそも、戦前の公娼や抱え主に管理されて似たような境遇にある私娼らは、当時においても、法的には奴隷制が認められていないにもかかわらず、様々な圧力や暴力により、社会的には罷り通されていた、事実上あるいは文理上で言っても債務奴隷・借金奴隷に他ならないとの意識が実際にはあったとも言われる<ref>{{Cite book|和書 |title=教育革命 焦土の中から |year=1925 |publisher=明治図書 |author=友納友次郎}}</ref>。
 
どうも、放送実績が確認できなかったと書いている人がおかしい気がします。だって、実際に見てる人なんですよ??? もし数百人が見てて「放送実績が確認できなかったため」ってなったら、私がPGnomiさんに嘘を書かせているのと同じ状況になります。
1976年には金一勉『天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦』が出版され、その中で慰安婦の総数を20万人とした。
 
見つからない局
元『[[東亜日報]]』編集局長の[[宋建鎬]](ソン・ゴンホ)は1984年、著書『日帝支配下の韓国現代史』で、[[挺身隊]]として動員された女性は20万人であり、そのうち5万人から7万人が朝鮮人であったとしている。この用語・見解については「[[女子挺身隊#(朝鮮での「挺身隊」と「慰安婦」の混同]]」「[[千田夏光#朝鮮人慰安婦強制連行「20万」説]]」参照。
*?
:* [[マペット・ベイビーズ]]([[真殿光昭]]、[[浅野るり]]、[[落合弘治]]、[[小桜エツ子]])※当時3歳のため、邦題は不明。
:* [[愛をあなたの胸に]](上記の番組からCMで見ただけ、日本語字幕版。日本人の声優がナレーション。)
:* [[スパイダーマン (1967年のテレビアニメ)|スパイダーマン'67]]
:* [[スパイダーマン (1981年のテレビアニメ)|スパイダーマン'81]]
:* [[超人ハルク (1982年のテレビアニメ)|超人ハルク (1982)]]
:* [[マーベル・スーパーヒーローズ (アニメ)]]
:* [[アベンジャーズ:ユナイテッド・ゼイ・スタンド]]
:* [[シルバーサーファー (アニメ)]]
 
*?
=== 1990年代 ===
:* [[スパイダーウーマン (アニメ)]]
1990年6月6日の[[参議院]][[予算委員会]]で、[[労働省]][[清水伝雄]]が「徴用の対象として従軍慰安婦を連行したという事実はなく、民間の業者がそうした方々を軍とともに連れて歩いた」と発言した<ref>[https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=111815261X01919900606 第118回国会 予算委員会 第19号]</ref>ことが韓国で「清水妄言」として騒ぎになり、[[尹貞玉]]が[[挺身隊対策協議会]]を結成、[[海部俊樹]][[内閣総理大臣|首相]]へ公開書簡をおくった<ref>高崎宗司 『反日感情』 講談社現代新書、p130</ref>。その後も韓国、[[フィリピン]]、[[中華民国|台湾]]などで、元慰安婦であったと名乗り出る女性が多数現れ、{{要出典範囲|日本の弁護士らの呼びかけで|date=2013年8月}}、日本政府に謝罪と賠償を求める[[慰安婦訴訟]]([[アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件]]、[[釜山従軍慰安婦・女子勤労挺身隊公式謝罪等請求訴訟]]、[[在日韓国人元従軍慰安婦謝罪・補償請求事件]]など)が多数行われた。
 
*?
=== 吉田証言 ===
:* [[スパイダーマン&アメイジング・フレンズ]](2001年頃)
{{main|吉田清治 (文筆家)}}
:* 超人ハルク (1982年)
元[[労務報国会]]徴用隊長を自称する[[吉田清治 (文筆家)|吉田清治]]は1977年に出版された自著『朝鮮人慰安婦と日本人』([[新人物往来社]])で、慰安婦について「慰安婦徴用」などの表現を用い、[[済州島]]で軍や面職員などの協力を得て、「狩り出し」を行ったと記述した<ref name="sotomura2018413">{{Cite web|和書|url=http://www.sumquick.com/tonomura/note/pdf/180413.pdf|title=「吉田清治証言」の再検証―史実との相違、語りの背景、失敗の教訓|author=外村大|date=2018年4月13日|accessdate=2018年8月|format=pdf}}</ref>。1982年には樺太裁判において、済州島で慰安婦の強制連行を行なったと証言<ref name="karafutosaiban">{{Cite web|和書| url=https://www.sankei.com/article/20150126-BWOT64JHCRPN5FMMXDMNGZU2EI/|title=【挿絵で振り返る『アキとカズ』】(43)朝日の誤報、撤回…すべての“誤りの始まり”は「樺太裁判」での『吉田証言』|publisher=産経新聞|date=2015年1月26日|accessdate=2018年8月20日}}</ref>、続く1983年7月に戦中済州島で自ら200人の女性を拉致し慰安婦にしたと証言する『私の戦争犯罪―朝鮮人強制連行』([[三一書房]])を出版した<ref name="nd20090601">{{cite web|url=http://www.newdaily.co.kr/news/article.html?no=27671| title=그날 나는 왜 그렇게 말하였던가|author=李榮薫|publisher=New Daily|date=2009年6月1日|accessdate=2018年8月}}</ref>。『済州島新報』は吉田証言を否定しているとされる。
 
見つかってる局
==== 朝日新聞による吉田証言の撤回 ====
* [[カートゥーンネットワーク]]
{{main|朝日新聞の慰安婦報道問題}}
:* [[宇宙忍者ゴームズ]]
吉田の一連の証言について、[[秦郁彦]]により事実に基づいていないと主張され、朝日新聞社は同証言に基づく報道について撤回・謝罪している。
:* [[X-メン:エボリューション]]
:* [[スパイダーマン (アニメ)|スパイダーマン'94]]
↑どう考えてもマーベルアニメを一杯放送してた局じゃないでしょ!?
 
* [[アクションチャンネル|AXN(アクションチャンネル)]]
=== 尹貞玉による調査と女性連合会 ===
:* [[スパイダーマン 新アニメシリーズ]]
1990年には、[[梨花女子大]]元教授で韓国教会女性連合会メンバーの[[尹貞玉]](ユン・ジョンオク)により調査が行われ、「挺身隊取材記」として『[[ハンギョレ新聞]]』に4回わたり掲載される<ref name="ianfuryakunenpyo">{{Cite web|和書|url=http://www.dce.osaka-sandai.ac.jp/~funtak/databox/nenpyo.htm|title=「慰安婦」問題と歴史修正主義についての略年表|author=藤永壮|date=2002年5月17日|accessdate=2018年8月}}</ref><ref name="asahihoukoku">{{Cite web|和書|url=https://www.asahi.com/shimbun/3rd/2014122201.pdf|title=報告書|author=朝日新聞社第三者委員会|date=2014年12月22日|accessdate=2018年8月|format=pdf}}</ref>。
:* ドラマ:[[ミュータントX]]
 
* [[トゥーンディズニー]]⇒[[ディズニーXD]]⇒[[ディズニーチャンネル]](現在)
6月6日の[[本岡昭次]][[参議院]]議員([[日本社会党]])による国会質問での日本政府が慰安婦問題について「調査はできかねる」と答弁したことに抗議する公開書簡を、韓国女性団体連合や韓国教会女性連合会など37の女性団体が10月7日に送付した<ref name="ianfuryakunenpyo"/>。翌年4月1日、同じく本岡昭次参院議員がこの公開書簡への回答を求めたことが韓国でも報道され、その中で「従軍慰安婦、約8万人」と共に、同議員の提示する沖縄朝鮮人捕虜リスト(米軍資料マイクロフィルム)が「挺身隊・従軍慰安婦名簿」として紹介された<ref>
:* スパイダーマン'94
{{Cite web
:* [[スペクタキュラー・スパイダーマン]](なぜか[[スぺクタキュラー・スパイダーマン]]でダメ)
| url = https://news.kbs.co.kr/news/pc/view/view.do?ncd=3703207
:* [[アルティメット・スパイダーマン]]
| title = 정신대 명단 공개
:* [[マーベル スパイダーマン]]
| publisher = [[韓国放送公社|KBS]]ニュース{{ko icon}}
:* スパイダーマン&アメイジング・フレンズ
| accessdate = 2021-04-01 }}
:* [[スパイダーマン・アンリミテッド]]
</ref>。
:* [[アベンジャーズ 地球最強のヒーロー]]
:* [[アベンジャーズ・アッセンブル]] ほか
--[[利用者:Nikajp|Nikajp]]([[利用者‐会話:Nikajp|会話]]) 2024年10月20日 (日) 07:18 (UTC)
 
:他にもドラマの宣伝流してたのは覚えています。そのテレビ局は普段、アニメを放送するところではないってことも。--[[利用者:Nikajp|Nikajp]]([[利用者‐会話:Nikajp|会話]]) 2024年10月20日 (日) 07:21 (UTC)
同年11月、韓国教会女性連合会、韓国女性団体連合会等16団体が集まり[[韓国挺身隊問題対策協議会]](挺対協)が結成され、尹貞玉が共同代表に就任した。この時のことについて尹は、「1990年、国会で『慰安婦』問題は業者がやったことであり、日本軍は無関係であると言明した。この嘘が、韓国で挺身隊問題対策協議会が設立されたきっかけとなった」と、説明している<ref name="miyako">{{Cite book|和書|author=日韓共同「日本軍慰安所」宮古島調査団|date=2009|title=戦場の宮古島と「慰安所」|publisher=[[なんよう文庫]]|isbn=978-4904832066}}</ref>{{rp|7}}。
::1967年版のほう書き込みましたけど、これで無かったら家の窓から・・・。--[[利用者:Nikajp|Nikajp]]([[利用者‐会話:Nikajp|会話]]) 2024年10月20日 (日) 08:54 (UTC)
:::これで[[利用者:うさぎ副部長]]が「放送実績を確認できませんでした」と書いたら、PGnomiの嘘になってしまうどころか、私のほうが多くなってしまいますので探していただければ・・・。過去のガイド誌(2003年4月~9月と10月~12月、2004年4月~7月)、売ってないのつら・・・。--[[利用者:Nikajp|Nikajp]]([[利用者‐会話:Nikajp|会話]]) 2024年10月20日 (日) 08:57 (UTC)
::::[[ソニックX]]も忘れてました。しかし、本当にこれで無かったら非常に怖いので、本当にお願いしたいのですが・・・。--[[利用者:Nikajp|Nikajp]]([[利用者‐会話:Nikajp|会話]]) 2024年10月20日 (日) 13:02 (UTC)
{{コメント}}いったい何を言いたいのか、聞きたいのか、さっぱりわかりません。ただ、過去の放送実績に関する文献ですが、BS/CSの放送予定が分かればいいのであれば、国会図書館の蔵書検索で調べて実物を確認するのが良いと思います、としか言えないですね。--[[利用者:VZP10224|VZP10224]]([[利用者‐会話:VZP10224|会話]]) 2024年10月20日 (日) 15:49 (UTC)
 
:そちらの図書館では、スカパーガイド誌を2010年から辿ることになっているようです。しかし、私が求めているのは2003年です。--[[利用者:Nikajp|Nikajp]]([[利用者‐会話:Nikajp|会話]]) 2024年10月20日 (日) 17:34 (UTC)
=== 小学生慰安婦報道 ===
「挺身隊」と「慰安婦」の混同、および「少女・処女」が「強制連行」されたとする認識は韓国(および日本での慰安婦問題活動家)の間では1990年代になっても存続し、1992年1月の宮澤首相の訪韓時に韓国の新聞は「小学生までが挺身隊にされ、慰安婦にされた」と、あたかも女子小学生が慰安婦にされたかのような報道を繰り返した<ref name="hata1999-p368">{{Harvnb|秦郁彦|1999|p=368}} 内務省管理局「昭和19年度内地樺太南洋移入朝鮮人労務者供出割当数調」</ref>。「小学生や乳飲み子の母親までを連行して性の玩具にした」というイメージは韓国社会のなかで繰り返しテレビドラマなどで伝えられ現在にいたっていると、西岡力は述べている<ref>{{Harvnb|西岡力|2007|p=50}}</ref>(詳細は「[[慰安婦の強制連行#韓国における議論]]」を参照)。
 
::国会図書館であれば、手間はかかりますが該当する時期の新聞の縮刷版とかでテレビ欄を追うという手もありますよ。bs/csを記載している新聞も複数あるでしょうし、時期的な抜けは心配ないと思いますが。--[[利用者:Colonan|Colonan]]([[利用者‐会話:Colonan|会話]]) 2024年10月25日 (金) 00:32 (UTC)
[[東亜日報]]は1992年1月14日に「挺身隊、小学生まで引っ張っていった」、[[朝鮮日報]]は同1月15日に「日本、小学生も挺身隊に徴発」との見だしで報道した<ref name="hata1999-p368" />。[[東亜日報]]は1992年1月15日の社説「十二歳の挺身隊員」では次のように[[報道]]した<ref>{{Harvnb|西岡力|2007|pp=48-50}}</ref>。
:::やっぱりそうなりますかね・・・、横浜の新聞(旭?)で横浜ケーブルビジョンの番組表があればまだいいのですが・・・。
 
:::子供の頃に読売新聞を一時期とっており、恐らくAXN辺りは載ってたことは分かってたと思うので(1度だけ早見優さんが広告に出た気がした)、
{{Quotation|本当に天と人とが共に憤怒する日帝の蛮行だった。人面獣心であるとか、いくら軍国主義政府が戦争を遂行するためだったとしても、このようなまでに非人道的残酷行為を敢えて行うことができたのかといいたい。(中略)<br />十二歳の小学生まで動員、戦場で性的玩具にして踏みにじったという報道に再び沸き上がってくる憤怒を抑えがたい。(中略)<br />これまで十五歳の少女が挺身隊に動員されたことは知られていた。しかし、十二歳の幼い子供まで連行されたことは初めて明らかにされたことだ。(中略)<br />勤労挺身隊という名前で動員された後、彼女らを従軍慰安所に回した事実が様々な人の証言で立証されている…(中略)<br />このように何もわからず父母のもとを離れ挺身隊に連行された少女らの数はわからない。泣き叫ぶ女性をなぐりつけ乳飲み子を腕から奪って赤ん坊の母親を連行したこともあった。このように動員された従軍慰安婦が八万〜二十万と推算される。<br /><br />
:::ディレクTVじゃなくてもスカパーガイドじゃなくても調べられるってことなんですね・・・。
--''[[東亜日報]]1992年1月15日社説「十二歳の挺身隊員」''}}
:::というか、なんでこんな質問したんだろうって思いました。本当にすみません。--[[利用者:Nikajp|Nikajp]]([[利用者‐会話:Nikajp|会話]]) 2024年10月25日 (金) 07:05 (UTC)
 
現代朝鮮研究者の[[西岡力]]の調査によれば、[[1992年]][[1月14日]]に報道された「小学生挺身隊」についての記事を初めて執筆したのは[[聯合ニュース|聯合通信]]の[[金溶洙]](キム・ヨンス [http://cdb.chosun.com/search/m-people/mchosun/people_beforeview.jsp?uci=G010+1-02142004091500255108 김용수(朝鮮日報 人物検索)])記者であった<ref>{{Harvnb|西岡力|2007|p=45}}</ref>。西岡が実際に12歳の少女が慰安婦になったことは事実ではないのに、なぜ報道したのかと質問したところ、金記者は、富山県に動員された6人の児童が慰安所でなく工場に動員されたことは事実であるとして
{{Quotation|6人の児童が慰安婦でなかったことは知っていましたが、まず勤労挺身隊として動員し、その後慰安婦にさせた例があるという話も韓国国内ではいわれていますので、この6人以外で小学生として慰安婦にさせられた者もいるかもしれないと考え、敢えて<勤労挺身隊であって慰安婦ではない>ということは強調しないで記事を書きました。}}と弁解した<ref>{{Harvnb|西岡力|2007|p=47}}</ref>。この金溶洙記者による弁解で「小学生慰安婦」の存在が証明されたわけではないことが明らかになり<ref>{{Harvnb|西岡力|2007|pp=47-48}}</ref>、またその後、当時挺身隊だった女性が名乗りでて、新聞報道が誤報であったことが判明する<ref name="hata1999-p368" />。しかし、その後も「小学生慰安婦」について報道した新聞やテレビは報道を修正することはなく、「小学生や乳飲み子の母親までを連行して性の玩具にした」というイメージは韓国社会のなかで繰り返しテレビドラマなどで伝えられて、現在にいたっている<ref>{{Harvnb|西岡力|2007|p=50}}</ref>。慰安婦活動家においてもそのような認識が変更されることはなく、2012年には米国などでの慰安婦(成人女性)像設置運動に続いて「少女」像の建設運動が進められている<ref>[http://japanese.joins.com/article/764/163764.html?servcode=A00&sectcode=A10 中央日報2012年11月25日「在米韓国人 デトロイトに慰安婦少女像の建立推進」]</ref>。
 
=== 元慰安婦らによる訴訟 ===
{{see also|アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件}}
1991年には、[[金学順]]が韓国で初めて元慰安婦として名乗り出て、自らの体験を語った<ref name="ianfuryakunenpyo"/>。同年、金ら元慰安婦3人を含む「太平洋戦争犠牲者遺族会」の35人は[[高木健一]]を主任弁護士とし、日本政府の謝罪と補償を求めて軍属らとともに[[東京地方裁判所]]に提訴、1993年にはマリア・ロサ・ヘンソンらフィリピン人元慰安婦が、1994年にはオランダ人元慰安婦・捕虜などがそれぞれ東京地裁に提訴した<ref name="ianfuryakunenpyo"/>{{sfn|秦郁彦|1999|p=21}}(日本軍は太平洋戦争劈頭の[[南方作戦]]で、[[フィリピン]]や[[オランダ領東インド]]などを占領していた)。
 
1992年12月25日には日本で[[釜山従軍慰安婦・女子勤労挺身隊公式謝罪等請求訴訟]]が始まり、1993年4月3日には、元慰安婦の[[宋神道]]が提訴した[[在日韓国人元従軍慰安婦謝罪・補償請求事件]]の裁判が日本で始まったが、双方とも2003年に[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]で敗訴が確定している。
 
金らによる裁判について、当時『[[毎日新聞]]』ソウル支局の特派員だった[[下川正晴]]は、「朝鮮と朝鮮人に公式謝罪を百人委員会」事務局長だった青柳敦子が1991年11月に永森支局長と下川を訪ね、日本政府に裁判を起こしたいとした上で「原告になってくれる韓国人の犠牲者を探している」と告げたとし、二人は「原告を探す」という発想に仰天したとしている<ref name="FOOTNOTE秦郁彦199921" /><ref name="mainichikishanome">{{cite news|newspaper=『毎日新聞』朝刊|date=1993年9月9日|title=記者の目——日韓関係|author=下川正晴|publisher=毎日新聞東京本社}}</ref>。歴史学者の[[秦郁彦]]は、この際には原告は見つからなかったとし、帰国後に「太平洋戦争犠牲者遺族会」から協力申し入れがあったものの、同遺族会が内紛を起こしたのち主流派が青柳グループと絶縁、高木弁護士らの「日本の戦後責任をハッキリさせる会」に乗り換えたとしている<ref name="FOOTNOTE秦郁彦199921" />。
 
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=== 日本軍「慰安婦」問題解決のためのアジア連帯会議 ===
フリージャーナリストの[[舘雅子]]は、1992年8月にソウルのYMCA会館で開かれた『アジア連帯会議』は、松井と[[福島瑞穂]]が仕切っていたと述べている。舘によると、元慰安婦の女性たちは会議の席上、事前に日本人と韓国人のスタッフから指導された通りに、自身の悲劇的な体験と語り、日本政府を非難した。台湾人の元慰安婦が日本兵に優しくしてもらったことを話し出すと、松井や福島が慌てて発言を遮ろうとしたという。タイの女性が「日本の軍隊ばかり叩くな!」、「イギリス兵はもっと悪いことをした」と異論を述べた際も、松井や福島が抑え込んだという。後にこれらの捏造と悪業を知った人々は日本と日本人男性を侮辱するのは差別的であり非国民、反日だと松井や福島の様な日本人女性を非難した。また男女平等を唱えるフェミニストを名乗りながらこの様な男性差別、女尊男卑的な活動をしている事も非難された<ref>週刊新潮 2014・7・3号</ref>。
なお、産経新聞の記事では、台湾女性やタイ人女性の発言を封じ込めた人物を、舘雅子は松井ではなく、[[高橋喜久江]]としている{{要出典|date=2023年4月}}。
 
これに対し、「日本軍『慰安婦』問題解決全国行動」と「第12回アジア連帯会議実行委員会」は、8月6日付で以下の通りの訂正と取消の要求書を産経新聞社に送付した。①3面写真に「平成4年8月、ソウル市内で開かれた「挺身隊問題アジア連帯会議」で舞台に立つ元慰安婦女性ら(館雅子氏提供)」とのキャプションがつけられているが、この写真はバックに「問われる戦後補償 韓国遺族会 第一回口頭弁論」という文字が見え、「韓国太平洋戦争犠牲者遺族会」訴訟の第一回口頭弁論後の報告集会の写真ではないか、②「慰安婦」被害者は全員普段着で参加しており、チマ・チョゴリを着て参加した人は一人もおらず、必要であれば写真を提示することもできる、③1面記事は、日本からは「日本軍『慰安婦』問題行動ネットワーク」が参加としているが、当時このような名称の団体は存在していない(注:ただし、「従軍慰安婦慰安婦問題行動ネットワーク」が参加していたので、舘の単なる記憶違いと考えられ、実行委員会側もこれについては委員会側の関連ネットページ冒頭にある通り単に初歩的間違いとして、産経に訂正または取消を要求しているように思われる。)、④当日、タイ在住のタイ人女性が1名参加しているがインド在住のタイ人女性が参加した事実はなく、引用のような発言もなく、日本語の怒鳴り声が会場に響いた事実もない、⑤台湾の報告者は「台湾『慰安婦』に関する初の報告書」とのタイトルで報告し、その内容は「これらの女性のほとんどが物質的補償を望んでいる。しかし、補償を望んでいるとはいえ、期待してはいない。もしも、日本政府が韓国の「慰安婦」に補償するなら、台湾の女性たちも補償されなければならない」「何人かは必ずしも物質的補償を受けなければならないとは思っていないが、彼女たちの健康状態が苦しくなれば、特別な支援を受けなければならなくなるだろう。彼女たちが物質的な補償を望む理由は、まず健康上の理由、遺族のため、または現在の窮乏生活のためである」「そのうち2名は特に台湾政府が日本政府から補償を受け取るために支援することを望んでいる」というもので、記事とは全く逆の内容である<ref>{{Cite web|和書|url=https://wam-peace.org/ianfu-topics/3223 |title=第12回アジア連帯会議実行委員会が産経新聞に訂正要求書を送付 – アクティブ・ミュージアム 女たちの戦争と平和資料館(wam) |access-date=2022-05-26 |publisher=NPO法人女たちの戦争と平和人権基金 |website=女たちの戦争と平和資料館}}</ref>。結局1ヶ月後、産経新聞は写真と写真説明を取り消し、団体名を直す訂正記事を掲載したが、その他の点については、舘の主張の信憑性が疑われているにもかかわらず、他の参加者に確認することもなく、"改めて取材先である館雅子氏に確認したが、館氏自身が経験として述べておられる内容であって、事実であると認識している、従って訂正する事情はない”として、産経は訂正しなかった<ref name=":10">{{Cite web|和書|url=https://www.restoringhonor1000.info/2014/09/blog-post_28.html |title=産経新聞の誤報に抗議-日本軍「慰安婦」問題解決全国行動 |access-date=2022-05-26 |publisher=日本軍『慰安婦』問題解決全国行動}}</ref>。なお、舘雅子は、1992年当時、婦人有権者同盟の機関誌1992年11月号に同会議の報告を書いているが、そこでは産経に書いたような事実は報告しておらず、むしろ会議について肯定的に書いていた<ref name=":10" />。
 
=== 日韓メディアによる報道 ===
『[[朝日新聞]]』は、1982年9月2日(大阪版)22面において「朝鮮の女性 私も連行 元動員指揮者が証言 暴行加え無理やり 37年ぶり危機感で沈黙破る」、1983年11月10日朝刊3面「ひと 吉田清治さん」で、[[吉田清治 (文筆家)|吉田清治]]を取り上げて報道<ref name="asahihoukoku" />。1984年11月2日には「私は元従軍慰安婦 韓国婦人の生きた道」と題し、「邦人巡査が[[強制連行]] 21歳故国引き離される」とのキャプション付きで、元慰安婦と主張する女性のインタビュー記事を掲載した<ref name="dokurituchousa">{{Cite web|和書|url=http://www.seisaku-center.net/sites/default/files/uploaded/dokuritsukensyouiinkai20150219-C20150227.pdf|author=朝日新聞「慰安婦報道」に対する独立検証委員会|title=朝日新聞「慰安婦報道」に対する独立検証委員会報告|date=2015年2月19日|accessdate=2018年8月}}</ref><ref name="voice201410">{{cite journal|和書|journal=Voice|issue=平成26年10月号|publisher=[[PHP研究所]]|date=2014年10月|title=朝日の「検証記事」を検証する|author=[[池田信夫]]|accessdate=2018年8月|url=https://books.google.co.jp/books?id=Ab_sBAAAQBAJ&lpg=PT73&ots=ripZzogQUV&dq=%E2%80%9D%E9%82%A6%E4%BA%BA%E5%B7%A1%E6%9F%BB%E3%81%8C%E5%BC%B7%E5%88%B6%E9%80%A3%E8%A1%8C%E2%80%9D&hl=ja&pg=PT73#v=onepage&q&f=false}}</ref>。
 
『[[読売新聞]]』でも1987年に「従軍慰安婦とは、旧日本軍が[[日中戦争]]と太平洋戦争下の戦場に設置した「陸軍娯楽所」で働いた女性のこと。[[昭和]]十三年から[[終戦記念日|終戦の日]]までに、従事した女性は二十万人とも三十万人とも言われている。『お国のためだ』と何をするのかも分からないままにだまされ、半ば強制的に動員されたおとめらも多かった。」と説明がされている。読売新聞社の元記者小俣行男は『戦場と記者 - 日華事変、太平洋戦争従軍記』(冬樹社、1967年)にもビルマ(現在の[[ミャンマー]])での従軍慰安婦についても書いていて読売社内での従軍慰安婦についてはいくらか浸透していたと見られる<ref>小倉秀夫弁護士による『読売新聞』1987年8月14日記事</ref>
 
1990年8月9日、[[光復節 (韓国)|光復]]45周年特別企画『太平洋戦争の怨霊たち』にて元慰安婦のインタビューを含む[[ドキュメンタリー番組]]が放送された(後述)。
 
1991年5月22日、『朝日新聞』(東京の社会部市川速水記者が取材チームを率いていた<ref>[[黒田勝弘]] 市川速水 共著『朝日VS.産経 ソウル発』(朝日新書 2006年){{要ページ番号|date=2013-06-06}}</ref>。)大阪版が再び吉田証言を紹介し<ref>1991年5月22日『朝日新聞』大阪版「木剣ふるい無理やり動員」</ref>、同年8月11日には「元朝鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」と題した記事([[植村隆]]韓国特派員・ソウル発)で元慰安婦の[[金学順]]について「『女子挺(てい)身隊』の名で戦場に連行され」たと報道する<ref name="asahihoukoku"/>。
 
同年8月15日、韓国の『[[ハンギョレ新聞]]』は金学順が「親に売り飛ばされた」と報道した<ref>{{cite news|title=종군 위안부 참상 알리겠다|newspaper=ハンギョレ新聞|date=1991年8月15日|url=https://newslibrary.naver.com/viewer/index.nhn?articleId=1991081500289114013&editNo=4&printCount=1&publishDate=1991-08-15&officeId=00028&pageNo=14&printNo=1004&publishType=00010|accessdate=2018年8月}}</ref>。
 
同年8月23日、[[NHK BSプレミアム|NHK BS]]が特集「世界が伝える日本」において、[[韓国放送公社]](KBS)のドキュメンタリー番組『太平洋戦争の怨霊たち』を放送。韓国女性20万人を挺身隊として昼は働かせ、夜は慰安婦をさせた告発ドキュメンタリーと紹介し<ref>
{{Cite web
| url = https://news.kbs.co.kr/news/pc/view/view.do?ncd=3707342
| title = 일본 NHK 위성 텔레비전 "태평양전쟁의 원혼들" 방영
| publisher = KBSニュース{{ko icon}}
| accessdate = 2021-06-10 }}
</ref>。
 
同年10月10日には『朝日新聞』大阪版が再度、吉田清治へのインタビューを掲載<ref name="asahihoukoku"/>。同年12月10日には「第2次大戦の直前から『女子挺身隊』などの名で前線に動員され、慰安所で日本軍人相手に売春させられた」、1992年1月11日には「太平洋戦争に入ると、主として朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は8万とも20万ともいわれる」と報道した<ref name="asahiteishintai">{{Cite web|和書|url=https://www.asahi.com/articles/ASG7M01HKG7LUTIL067.html|title=「挺身隊」との混同 当時は研究が乏しく同一視|publisher=朝日新聞|date=2014年8月5日|accessdate=2018年8月}}</ref>。
 
1991年10月7日から1992年2月6日にかけて、韓国の[[文化放送 (韓国)|MBC]]放送は制作費72億[[韓国ウォン|ウォン]]を投じたドラマ『[[黎明の瞳]]<ref>原題:여명의 눈동자</ref>』を放映し、最高視聴率58.4%を記録した<ref name="kouhouin">{{cite web|url=http://www.kocis.go.kr/koreanet/view.do?seq=6970|title=한국드라마 명작 (5): ‘여명의 눈동자’|publisher=海外文化弘報院|date=2016年11月29日|accessdate=2018年8月|language={{ISO639言語名|ko}}}}</ref>。ヒロインが従軍慰安婦として日本軍に連行されるストーリーで、日本軍兵士が慰安所を利用したり、朝鮮人兵士を虐待したりする場面が放映された<ref name="kandorama">{{cite journal|和書|journal=諸君!|publisher=文藝春秋|volume=36|issue=8|author=野平俊水|title=えっ、「ヨン様」までが反日!?--韓国ドラマ「日本嫌い」事情|pages=176-191|date=2004年8月}}</ref>。原作は[[金聖鍾]]の同名の小説(全10巻)で、1975年10月から韓国の『[[日刊スポーツ新聞]]』で連載されていた<ref name="kouhouin" /><ref>日刊スポーツ新聞(일간스포츠신문)サイト社史。{{Cite web|和書|url=http://isplus.joinsmsn.com/edit/ilgan/history.html |title=アーカイブされたコピー |accessdate=2012-10-22 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20120626041443/http://isplus.joinsmsn.com/edit/ilgan/history.html |archivedate=2012-06-26 |url-status=dead|url-status-date=2017-10 }}</ref>。
 
日本の[[宮澤喜一]][[内閣総理大臣|首相]]の訪韓を前にした1992年1月11日、『朝日新聞』が一面で「慰安所、軍関与示す資料」「部隊に設置指示 募集含め統制・監督」「政府見解揺らぐ」と報じる{{sfn|秦郁彦|1999|pp=11-13}}。同日『朝日新聞』夕刊では「韓国内のテレビやラジオなどでも朝日新聞を引用した形で詳しく報道され」たとのソウル支局電を掲載した{{sfn|秦郁彦|1999|pp=11-13}}。翌1月12日の朝日新聞社説では「歴史から目をそむけまい」として宮澤首相には「前向きの姿勢を望みたい」とした{{sfn|秦郁彦|1999|pp=11-13}}。
 
『[[ジャパン・タイムズ]]』は、1月11日夜のテレビ番組での[[渡辺美智雄]][[外務大臣 (日本)|外務大臣]]の「なんらかの関与があったということは認めざるをえない」との発言を引用し、「日本の政府責任者が戦時中に日本軍がhundreds of thousands(何十万人)ものアジア人慰安婦への強制売春 (forced prostitution) を初めて認めた」と伝える記事を同月13日に掲載した(秦郁彦は、実際の発言内容とは異なるとしている){{sfn|秦郁彦|1999|pp=11-13}}<ref>{{Cite journal|和書|author=[[木村幹]] |date=2015-07 |title=英語メディアの慰安婦報道とその傾向 : 90年代初頭の報道を中心に |url=https://hdl.handle.net/20.500.14094/81009070 |journal=国際協力論集 |publisher=[[神戸大学]]大学院国際協力研究科 |volume=23 |issue=1 |pages=1-19 |naid=110009930926 |doi=10.24546/81009070 |ISSN=0919-8636}}</ref>。
 
1月14日には韓国の『[[東亜日報]]』が「挺身隊が[[国民学校]]生まで連れて行った」との見出しで報道<ref>{{cite news|newspaper=東亜日報|date=1992-1-14|title=挺身隊國校生까지 끌고갔다|url=https://newslibrary.naver.com/viewer/index.nhn?articleId=1992011400209201001&officeId=00020}}</ref>。
 
=== 宮澤首相による謝罪 ===
[[ファイル:Kiichi.jpg|thumb|200px|[[宮澤喜一]]]]
 
同1月14日、宮澤首相は「軍の関与を認め、おわびしたい」と述べ{{sfn|秦郁彦|1999|pp=11-13}}、韓国滞在中の1月16日には[[天皇]]の人形が焼かれる{{sfn|秦郁彦|1999|pp=11-13}}などするなか、訪韓日程における首脳会談や国会演説などで謝罪し、「真相究明」を約束した{{sfn|秦郁彦|1999|pages=14}}。
 
毎日新聞ソウル支局の[[下川正晴]]特派員は当時の韓国の大統領主席補佐官による会見の様子について「『一時間二十五分の首脳会談で、宮澤首相は八回も謝罪と反省を繰り返した』。韓国の大統領主席補佐官は、韓国人記者たちに謝罪の回数まで披露した。こんな国際的に非礼な記者発表は見たことがない」と1993年9月9日の毎日新聞『記者の目——日韓関係』で述べている<ref name="mainichikishanome" />。
 
=== 加藤談話と第一次調査 ===
1992年7月6日、加藤紘一官房長官が従軍慰安婦問題について「お詫びと反省」を表明する談話を発表した<ref>{{Cite press release|和書|url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kato.html|title=朝鮮半島出身者のいわゆる従軍慰安婦問題に関する加藤内閣官房長官発表|publisher=外務省|date=1992-7-6|accessdate=2018-8}}</ref>。これに合わせ、日本政府による関連資料の調査(第一次調査)の結果が公表され、慰安婦問題について「政府の関与」は認めたものの、「強制連行」を立証する資料は見つからなかったとした<ref>{{Cite press release|和書|url=http://wam-peace.org/ianfu-koubunsho/file/file_1.pdf|title=朝鮮半島出身のいわゆる従軍慰安婦について|date=1999-7-6|publisher=内閣官房内閣外政審議室|accessdate=2018-8|format=pdf}}</ref>{{sfn|秦郁彦|1999|page=252}}。
 
=== 日本弁護士連合会による活動 ===
秦郁彦によると、日本弁護士連合会(日弁連)は慰安婦問題に関して、1992年に戸塚悦朗弁護士に海外調査特別委員を委嘱した{{sfn|秦郁彦|1999|page=334}}。
 
1992年2月、戸塚弁護士は[[NGO]][[国際教育開発]](IED)代表として、朝鮮人強制連行問題と「従軍慰安婦」問題を[[国連人権委員会]]に提起し、日本政府に責任を取るよう求めるとともに国連に対応を要請した<ref>{{cite journal|和書|author=戸塚悦朗|title=日本軍性奴隷制問題への国際社会と日本の対応を振り返る|journal=戦争と性|issue=25|pages=123-141|publisher=「戦争と性」編集室|date=2006-6}}</ref><ref name="nisi">{{Cite journal|和書|author=[[西岡力]]|url=http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/sapio-20120913-02/5.htm|title = 世界中にばら撒かれた「慰安婦問題」が捏造である完全なる根拠 |journal=[[SAPIO]]|issue=2012年8月22・29日号|publisher=[[小学館]]|date=2012-09-13|accessdate=2012-10-20|archiveurl=https://web.archive.org/web/20121023034203/http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/sapio-20120913-02/1.htm|archivedate=2012年10月23日|deadlinkdate=2017年10月 }}</ref>。戸塚は、それまで「従軍慰安婦」に関する国際法上の検討がされていなかったために、「従軍慰安婦」を大日本帝国の「性奴隷」(sex slave)と規定したとしている<ref name="nisi" />。
 
1993年6月、日弁連も参加した[[世界人権会議]]において「性的奴隷制」が初めて国連用語となった<ref name="nichibenrenseimei">{{Cite press release|和書|publisher=日本弁護士連合会|title=従軍慰安婦問題への政府の対応に関する声明|date=1995-11-16|url=https://www.nichibenren.or.jp/document/statement/year/1995/1995_15.html|accessdate=2018-8}}</ref>。
 
日弁連は1995年2月、「従軍慰安婦」問題について個人に対する国家補償を行う立法による解決を提言し、これを日本政府や国連女性の地位委員会、第4回世界女性会議などに提出した<ref name="nichibenrenseimei" />。
 
同連合会は1995年11月に日本政府に慰安婦に対する補償を求める声明を発表し、その中で、「日弁連を含むNGOは、一貫して慰安婦問題に関し、『性的奴隷』(Sex Slaves またはSexual Slavery) として日本政府に対し国家による被害者への補償を要求し続けてきた」としている<ref name="nichibenrenseimei" />。
 
=== 河野談話と第二次調査 ===
[[ファイル:Kono Yohei 1-2.jpg|thumb|200px|[[河野洋平]]]]
{{main|慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話}}
韓国政府から実態解明についての強い要請が寄せられたことを受け、日本政府は関連資料の調査に加えて関係者への聞き取りや現地調査、米国公文書の調査などを含む再調査を行い、1993年8月4日、その結果を公表した<ref name="2jichosa">{{Cite press release|和書|url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/pdfs/im_050804.pdf|author=内閣官房内閣外政審議室|date=1993-8-4|publisher=外務省|title=いわゆる従軍慰安婦問題について|accessdate=2018-8|format=pdf}}</ref>。
その中で、慰安婦の募集について、「甘言を弄し、或いは畏怖させる等の形で本人の意向に反して集めるケースが多く…官憲等が直接にこれに加担」したとしている<ref name="2jichosa" />。
 
これに合わせ、河野洋平官房長官は談話を発表し、慰安婦について「募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた」とし、「心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる」とした<ref>{{Cite press release|和書|title = 慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話|publisher = [[外務省]]|date = 1993-08-04|url = https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kono.html|accessdate = 2010-03-08}}</ref>。
 
アメリカ合衆国下院121号決議では、「1993年の河野洋平官房長官による『慰安婦』に関する声明で、日本政府は彼女らの苦難について心からの謝罪と反省の意を述べた」とした上で、慰安婦の強制連行に関して日本政府の公式の謝罪を要求している<ref>{{cite web|url=https://www.congress.gov/bill/110th-congress/house-resolution/121/text/eh|publisher=アメリカ合衆国上院|date=2007-7-30|title=H.Res.121|accessdate=2018-8}}</ref>。
 
1992年・1993年の[[宮澤内閣]]当時の日本政府の調査報告や「[[河野談話]]」においては、「軍当局の要請を受けた慰安所の経営者が、斡旋業者に慰安婦の募集を依頼することが多かった、戦争の拡大とともに慰安婦の必要人数が高まり、業者らが甘言や脅迫等によって集めるケースが数多く、官憲等が直接これに荷担するケースもみられた」と報告されている。ただし、「軍ないし官憲などの公権力による強制連行」を示す資料はなかったが、総合的に判断した結果、一定の強制性があるとしたものであることが1997年の国会での政府答弁<ref name="k19970130">[https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=114015261X00219970130 第140回国会 参議院 予算委員会 第2号] 平成9年(1997年)1月30日</ref><ref name="k19970312">[https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=114015261X00819970312 第140回国会 参議院 予算委員会 第8号] 平成9年(1997年)3月12日</ref> や河野洋平元官房長官、や[[石原信雄]]元官房副長官などによって明らかにされている。
 
==== 関係者による証言 ====
1997年3月9日、[[石原信雄]]元官房副長官は、産経新聞の取材に「日本側としては、できれば文書とか日本側の証言者が欲しかったが、見つからない。…韓国側はそれで納得せず、元慰安婦の名誉のため、強制性を認めるよう要請していた」と応じた<ref name="sankei19970309">{{cite news|newspaper=[[産経新聞]]|date=1997-3-9|title=「強制連行」証拠なく 直前の聞き取り基に}}</ref><ref name="k19970130">[https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=114015261X00219970130 第140回国会 参議院 予算委員会 第2号] 平成9年(1997年)1月30日</ref><ref name="k19970312">[https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=114015261X00819970312 第140回国会 参議院 予算委員会 第8号] 平成9年(1997年)3月12日</ref>。
 
==== 政府見解 ====
{{main|日本の慰安婦問題#日本の各内閣の見解}}
 
==== 第二次安倍内閣での調査 ====
第二次安倍内閣政権下の2014年6月20日、河野談話の作成過程について、内閣官房の検討チーム([[但木敬一]]、[[秋月弘子]]、[[有馬真喜子]]、[[河野真理子]]、[[秦郁彦]])の報告書「慰安婦問題を巡る日韓間のやりとりの経緯〜河野談話作成からアジア女性基金まで〜」が公表され、談話の記載内容について日韓間で折衝が行われていた事実が確認された<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.kantei.go.jp/jp/kakugikettei/2014/__icsFiles/afieldfile/2014/06/20/20140620houkokusho_2.pdf|format=pdf|title=慰安婦問題を巡る日韓間のやりとりの経緯〜河野談話作成からアジア女性基金まで〜|date=2014-6-20|publisher=河野談話作成過程等に関する検討チーム|accessdate=2018-8}}</ref>。この検証報告書について韓国の朴槿恵大統領は7月2日、中国中央テレビのインタビューで「談話を傷つけようとしている。被害者の心に大きな傷を与え、国家間の信頼に背く行為だ」と述べた<ref>{{cite news|agency=時事通信社|date=2014-7-2|title=河野談話検証「信頼に背く」=中韓会談前に日本批判―朴大統領|url=http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140702-00000094-jij-kr|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140707032656/http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140702-00000094-jij-kr|archivedate=2014-7-7}}</ref>。
 
=== 永野茂門法務大臣による「公娼」発言 ===
1994年4月28日、[[永野茂門]][[法務大臣]]は共同通信のインタビューに応じ「慰安婦は当時の公娼であって、それを今の目から女性蔑視とか、韓国人差別とかは言えない。」などと述べ、この発言は5月4日と5日の新聞朝刊で報道された<ref>{{cite court|litigants=釜山従軍慰安婦・女子勤労挺身隊公式謝罪等請求訴訟|vol=1642|opinion=24|reporter=判例時報|date=1998年4月27日|pinpoint=86|court=山口地裁下関支部|url=https://memoryreconciliation.org/wp-content/uploads/2014/09/Pusan-04.27.99.pdf}}</ref>。なお、永野法務大臣は前述の発言の際、南京虐殺を否定する発言もしていたことについて責任を取り、同年5月7日に辞任している<ref>{{Cite journal|和書|author=川野徳幸 |date=2001-01 |url=https://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/00014338 |title=閣僚失言の政治学 【原著論文】 |journal=国際協力研究誌 |ISSN=13410903 |publisher=広島大学国際協力研究科 |volume=7 |issue=1 |pages=19-35 |doi=10.15027/14338 |naid=120000881903 |CRID=1390853649784466816}}</ref>。
 
=== 村山談話 ===
{{main|村山内閣総理大臣談話「戦後50周年の終戦記念日にあたって」}}
[[1995年]][[8月15日]]、[[村山富市]][[内閣総理大臣]]は談話を発表し([[村山談話]])、その中で、従軍慰安婦問題について「女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、私はこの機会に、改めて、心からの深い反省とお詫びの気持ちを申し上げたいと思います」と、政府としての反省の意を示した<ref name="danwa19940831">{{Cite press release|和書|title = 内閣総理大臣の談話 平成六年八月三十一日 |publisher = 首相官邸 |date = 1994-08-31 |url = http://www.kantei.go.jp/jp/murayamasouri/danwa/asia-danwa.html |accessdate = 2010-03-08 }}</ref>。
 
=== アジア女性基金による事業 ===
{{Main|女性のためのアジア平和国民基金}}
1994年にとりまとめられた従軍慰安婦問題に関する第一次報告を受け、村山内閣は元慰安婦に対する「全国民的な償いの気持ち」をあらわす事業と、「女性をめぐる今日的な問題の解決」のための事業を推進することを目的に「基金」を設立することを決定した<ref name="asiawomenfound_tanjo">{{Cite web|和書|url=http://www.awf.or.jp/2/foundation.html|title=アジア女性基金の誕生と事業の基本性格|publisher= 女性のためのアジア平和国民基金|website=デジタル記念館 慰安婦問題とアジア女性基金|accessdate=2018-8}}</ref>。翌1995年には、同年度予算に「基金」経費への補助金として4億8千万円を計上<ref name="asiawomenfound_tanjo" />。
 
同年6月14日、五十嵐広三官房長官は「女性のためのアジア平和友好基金」の設立に際して、
* 元従軍慰安婦の方々への国民的な償いを行うための資金を民間から基金が募金する。
* 元従軍慰安婦の方々に対する医療、福祉などお役に立つような事業を行うものに対し、政府の資金等により基金が支援する。
* この事業を実施する折、政府は元従軍慰安婦の方々に、国としての率直な反省とお詫びの気持ちを表明する。
* また、政府は、過去の従軍慰安婦の歴史資料を整えて、歴史の教訓とする。
ことを行うとした<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.awf.or.jp/6/statement-07.html|title=「基金」構想と事業に関する五十嵐広三内閣官房長官の発表|author=五十嵐広三|date=1995-6-14|accessdate=2018-8}}</ref>。
 
1996年、[[橋本龍太郎]]内閣総理大臣は元慰安婦(アジア女性基金が対象としていない日本人女性を除く)に対して「心からおわびと反省の気持ち」をあらわす手紙を発出した<ref name="橋本総理">{{Cite press release|和書| title = アジア女性基金事業実施に際しての総理の手紙 | publisher = [[総理大臣官邸|首相官邸]] | date = 1996-08-19 | url = http://www.kantei.go.jp/jp/hasimotosouri/speech/1996/0819.html | accessdate = 2010-03-08 }}</ref>。首相官邸ウェブサイトのページでは、前述の手紙と合わせて、「いわゆる従軍慰安婦の問題を含め、先の大戦に係る賠償、財産・請求権の問題については…サン・フランシスコ平和条約、二国間の平和条約およびその他の関連する条約に従って…当事国との間では法的に解決済み」とした上で、「道義的責任の観点から、アジア女性基金の事業に最大限協力してきているところであり…資金拠出などを行うこととした」とする文章が掲載されている<ref name="橋本総理" />。
 
1996年6月に募金額が4億円を超えたことにより、1996年7月、政府は募金から元慰安婦に対して一人当たり200万円の「償い金」を渡すとともに、前述の手紙を届けること、また政府資金により行われる医療福祉支援事業については、総額7億円規模とすることを決定した<ref name="橋本総理" />。
 
アジア女性基金は1996年8月13日からフィリピンで、1997年1月11日から韓国で、同年5月2日から台湾で、それぞれ「償い事業」を開始した<ref name="asiawomenfundpanf">{{Cite web|和書|url=http://www.awf.or.jp/pdf/0111.pdf|title=償い事業を終えたいま 事業報告|publisher=女性のためのアジア平和国民基金|website=デジタル記念館 慰安婦問題とアジア女性基金|date=2003|accessdate=2018-8}}</ref>。同基金は2002年5月までに「償い事業」を終え、国民から寄せられた総額5億6500万円の募金全額と不足分を基本財産の一部から500万円、計5億7000万円を、フィリピン、韓国、台湾の元慰安婦285人に支出したとしている<ref name="asiawomenfundpanf">{{Cite web|和書|url=http://www.awf.or.jp/pdf/0111.pdf|title=償い事業を終えたいま 事業報告|publisher=女性のためのアジア平和国民基金|website=デジタル記念館 慰安婦問題とアジア女性基金|date=2003|accessdate=2018-8}}</ref>。
 
2001年には[[小泉純一郎]]首相がおわびの手紙を<ref name="koizumi_letter">[https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/letter.html 元慰安婦の方々に対する小泉内閣総理大臣の手紙]</ref>各慰安婦に送っている。
 
=== 朝日新聞による報道撤回 ===
{{main|朝日新聞の慰安婦報道問題}}
朝日新聞は[[1997年]]に「[[吉田清治 (文筆家)|吉田]]証言の真偽は確認できない」とする記事を掲載したが、このときは報道の取り消しは行わなかった<ref name="asahihoukoku" />。
 
[[2014年]]、朝日新聞は慰安婦報道に関する検証を行い、吉田氏関連の16本の記事を取り消した<ref name="asahihoukoku" />。
 
=== 慰安婦をめぐる教科書問題 ===
[[ファイル:Demonstration_to_protest_unfair_intervention_in_domestic_affairs2.jpg|thumb|慰安婦を巡る教科書の記述が問題になった2001年<ref name="ianfukyokasho" />、東京で行われた、内政干渉だとして韓国に抗議するデモ<ref>{{Cite web|和書|archiveurl=https://web.archive.org/web/20030310031123/http://haniwa82.hp.infoseek.co.jp/photos/demo1/index.html|archivedate=2003-3-10|url=http://haniwa82.hp.infoseek.co.jp/photos/demo1/index.html|accessdate=2018-9|title=不当な内政干渉に抗議するデモ行進}}</ref>|285px]]
{{see also|歴史教科書問題}}
 
1993年(平成5年)、韓国政府は日本政府に日本の[[教科書]]に慰安婦について記述するよう要求し([[歴史教科書問題]]参照<ref name="wakkumagazinenenpyo">{{Cite web|和書| url = http://www.ianfu.net/history/history.html| title = 慰安婦にまるわる年表| work = いわゆる従軍慰安婦について歴史の真実から再考するサイト| publisher = [[ワック・マガジンズ]]| accessdate = 2010-03-08}}</ref>)、同年6月30日には、日本の高校[[日本史 (科目)|日本史]][[教科用図書検定|検定]]済み教科書7社9種類のすべてに、従軍慰安婦に関する記述が掲載されることがわかった<ref name="wakkumagazinenenpyo" /><ref name="ianfukyokasho">{{Cite book|和書|author=辛珠柏|editor=日韓歴史共同研究委員会|title=日韓歴史共同研究報告書|volume=第2期 教科書小グループ篇|date=2010-3|publisher=日韓歴史共同研究委員会|chapter=韓日歴史教科書問題の史的展開|pages=213-235|url=http://www.jkcf.or.jp/history_arch/second/4-09j.pdf}}</ref>。
 
中学生用の歴史教科書では、1997年には同年度用の7つの教科書全てに慰安婦に関する記載がされていた<ref name="ianfukyokasho" />。
 
1996年、1997年度用中学校歴史教科書の検定を申請した7種の教科書が「慰安婦」に関する記載をしていることに反発し、藤岡信勝と西尾幹二などは1997年1月に「新しい歴史教科書をつくる会」(「つくる会」)を発足させた<ref name="ianfukyokasho" />。「つくる会」は発足直後の1月に文部大臣と面会し、歴史教科書から「従軍慰安婦」の語を削除するよう求めている<ref>{{cite journal|和書|title=日本の歴史認識と東アジア外交 : 教科書問題の政治過程(<特集>しまね学の形成に向けて) |author=別枝行夫|date=2002-3|journal=北東アジア研究|vol=3|pages=131-149|url=http://id.nii.ac.jp/1377/00001432/}}</ref>。
 
「つくる会」は、既存の教科書が日本人としての誇りや国家と国民を守る意識を欠如させたと批判し、『教科書が教えない歴史』『国民の歴史』など同会の主張に基づいた書籍を出版、2000年4月には中学校歴史と公民用教科書の検定を申請し、翌2001年4月に同教科書が検定を通過した<ref name="ianfukyokasho" />。ただし、実際の教育現場での採択率は0.039%に留まった<ref name="ianfukyokasho" />。
 
「つくる会」に反対する「子どもと教科書全国ネット21」は、「つくる会」の活動によって他の教科書から「慰安婦」に関する記述がなくなり、「強制連行」に関する記述も後退したとしている<ref>{{cite journal|和書|author=太田修 |date=2007-03 |title=2005年歴史教科書問題:「対話的」真実に向けて |journal=文学部論集 |publisher=佛教大学文学部 |issue=91 |pages=17-30 |naid=110007974821 |ISSN=09189416 |url=https://archives.bukkyo-u.ac.jp/repository/baker/rid_BO009100003857
}}</ref>。
 
[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]の有志議員でつくる団体「日本の前途と歴史教育を考える議員の会」は、前述の「つくる会」の運動を支援していた<ref>{{cite journal|和書|title=政権交代と社会運動をめぐるイシュー・アテンション : 民主党政権前後を事例として|author1=原田峻|author2=高木竜輔|author3=松谷満|author4=申琪榮|author5=樋口直人|author6=稲葉奈々子|author7=成元哲|date=2012-9|journal=茨城大学人文学部紀要. 人文コミュニケーション学科論集|volume=13|pages=131-162|publisher=茨城大学人文学部|url=https://hdl.handle.net/10109/3303}}</ref>。
 
=== 戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案 ===
{{Main|戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案}}
[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]の本岡昭次衆議院議員は、2000年11月1日、「旧陸海軍の関与の下に、女性に対して組織的かつ継続的な性的な行為の強制が行われ… そのような事実について謝罪の意を表し、…戦時性的強制被害者に係る問題の解決の促進を図」ることを目的とした[[戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案]]を、議員立法として衆議院に提出した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_gian.nsf/html/gian/honbun/houan/g14702009.htm|title=戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案|date=
2000-11-1|website=衆議院ウェブサイト|publisher=衆議院|accessdate=2018-9}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_gian.nsf/html/gian/kaiji147.htm|title=第147回国会 議案の一覧|website=衆議院ウェブサイト|publisher=衆議院|accessdate=2018-9}}</ref>。以降、2001年と、2003年から2006年にかけては毎年、そして2008年に同様の法案が民主党、社民党、共産党議員から提出されている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_gian.nsf/html/gian/kaiji154.htm|title=第154回国会 議案の一覧|website=衆議院ウェブサイト|publisher=衆議院|accessdate=2018-9}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_gian.nsf/html/gian/kaiji156.htm|title=第156回国会 議案の一覧|website=衆議院ウェブサイト|publisher=衆議院|accessdate=2018-9}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_gian.nsf/html/gian/kaiji159.htm|title=第159回国会 議案の一覧|website=衆議院ウェブサイト|publisher=衆議院|accessdate=2018-9}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_gian.nsf/html/gian/kaiji162.htm|title=第162回国会 議案の一覧|website=衆議院ウェブサイト|publisher=衆議院|accessdate=2018-9}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_gian.nsf/html/gian/kaiji165.htm|title=第165回国会 議案の一覧|website=衆議院ウェブサイト|publisher=衆議院|accessdate=2018-9}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_gian.nsf/html/gian/kaiji169.htm|title=第169回国会 議案の一覧|website=衆議院ウェブサイト|publisher=衆議院|accessdate=2018-9}}</ref>。[[2000年代]]から[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]などは、日本軍慰安婦(日本人女性のみ除外<ref name="minshu199912222">[http://archive.dpj.or.jp/news/?num=11043 戦時性的強制被害者間題〔ママ〕の解決の促進に関する法律案(仮称)政策要綱] 民主党公式HP 1999/12/22</ref>)を「戦時性的強制被害者」<ref name="minshu200207233">[http://archive.dpj.or.jp/news/?num=2869 (参院内閣委)戦時性的強制被害者問題法案、審議入り] 民主党ホームページ</ref>としている。
 
=== 地方自治体による決議 ===
2008年3月28日、兵庫県宝塚市議会は、「慰安婦」問題に対して日本政府が誠実な対応をするよう求める意見書を採択した<ref>{{Cite press release|和書|title=日本軍「慰安婦」問題に対して、政府の誠実な対応を求める意見書|date=2008-3-28|url=http://wam-peace.org/ianfu-mondai/intl/jp/takarazuka/|publisher=宝塚市議会|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140904022043/http://wam-peace.org/ianfu-mondai/intl/jp/takarazuka/|archivedate=2014-9-4}}</ref>。
 
2010年6月までに同様の決議は25の地方議会で採択、うち16件については民主党政権発足後に採択している<ref>{{cite news
|url = https://web.archive.org/web/20100717145645/http://sankei.jp.msn.com/politics/local/100715/lcl1007150105000-n1.htm
|title = 「慰安婦」政府への意見書、地方議会で可決広がる 「後世に汚点」批判も
|newspaper = 産経新聞
|date = 2010-07-15
|accessdate = 2010-07-17
|archiveurl = https://web.archive.org/web/20100717145645/http://sankei.jp.msn.com/politics/local/100715/lcl1007150105000-n1.htm
|archivedate = 2010年7月17日
|deadlinkdate = 2017年10月
}}</ref>。
 
同様の決議は、東京の[[清瀬市]]・[[三鷹市]]・[[小金井市]]・[[国分寺市]]・[[国立市]]、千葉[[船橋市]]、大阪[[箕面市]]・[[泉南市]]、京都[[京田辺市]]・[[長岡京市]]、奈良[[生駒市]]、ほか[[札幌市]]、[[福岡市]]・[[田川市]]が採択した<ref name="ianfu_ketsugi">{{Cite web|和書|url=http://www.jca.apc.org/ianfu_ketsugi/ikensho.html |title=アーカイブされたコピー |accessdate=2009-07-19 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20100711195728/http://www.jca.apc.org/ianfu_ketsugi/ikensho.html |archivedate=2010-07-11 |url-status=dead|url-status-date=2017-10}}[http://www.ikoma-shigikai.jp/regula_view/pdf/decision_h21_05.pdf]</ref>{{refnest|2008年6月25日東京都[[清瀬市]]、11月7日北海道[[札幌市]]。2009年3月25日福岡県[[福岡市]]、6月22日大阪府[[箕面市]]、6月23日東京都[[三鷹市]]、6月24日東京都[[小金井市]]、6月29日京都府[[京田辺市]]、9月11日奈良県[[生駒市]]、9月25日大阪府[[泉南市]]、10月1日東京都[[国分寺市]]、12月14日京都府[[長岡京市]]、千葉県[[船橋市]]、12月18日東京都[[国立市]]、12月22日福岡県[[田川市]]の議会で採択<ref name="ianfu_ketsugi" />。}}。
 
=== 自民党国際情報検討委員会の動き ===
2014年9月19日、自民党の国際情報検討委員会は「いわゆる慰安婦の『強制連行』は否定され、性的虐待も否定された」とする決議を採択した<ref>{{Cite press release|和書|title=決議|publisher=自由民主党外交・経済連携本部国際情報検討委員会|date=2014-9-19|url=https://www.tbsradio.jp/ss954/20140919ketsugi.pdf|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140926012859/https://www.tbsradio.jp/ss954/20140919ketsugi.pdf|archivedate=2014-9-26}}</ref>。また同年10月2日には同委員会会長の[[原田義昭]]が会合で、「南京大虐殺や慰安婦の存在自体を、我が国はいまや否定しようとしている」と発言した<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.asahi.com/articles/ASHB263MVHB2UTFK00K.html|title=「南京・慰安婦の存在、我が国は否定」 自民・原田氏|accessdate=2018-9|date=2015-10-2|website=朝日新聞デジタル|publisher=朝日新聞|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160112094123/http://www.asahi.com/articles/ASHB263MVHB2UTFK00K.html|archivedate=2016-1-12}}</ref>。
 
=== 慰安婦像設置 ===
{{main|慰安婦像}}
[[2011年]] [[12月14日]]、韓国の民間団体[[韓国挺身隊問題対策協議会]]が慰安婦問題の抗議のため[[ソウル特別市|ソウル]]の[[在大韓民国日本国大使館|日本大使館]]前の歩道に[[慰安婦像]]を違法に設置した。その後、韓国内に次々と計50箇所以上設置している。
 
[[2015年]]12月28日の[[慰安婦問題日韓合意]]後も、ソウルの日本大使館前の慰安婦像は撤去されることはなく、翌年[[2016年]]12月28日から29日にかけて今度は[[釜山広域市|釜山]]の日本総領事館前に合意に反対する市民団体や大学生などが慰安婦像を設置した。[[釜山広域市|釜山市]]により一時撤去されたが<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.asahi.com/articles/ASJDX4SMKJDXUHBI01D.html|title=釜山の日本総領事館前に「少女像」 区当局が強制撤去|accessdate=2018-9|date=2016-12-28|website=朝日新聞デジタル|publisher=朝日新聞|archiveurl=https://web.archive.org/web/20161228104630/http://www.asahi.com/articles/ASJDX4SMKJDXUHBI01D.html|archivedate=2016-12-28}}</ref>、2日後の30日には再び設置された<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.asahi.com/articles/ASJDZ3T7QJDZUHBI00J.html|title=撤去の少女像、再び設置 釜山の日本総領事館前|accessdate=2018-9|date=2016-12-30|website=朝日新聞デジタル|publisher=朝日新聞|archiveurl=https://web.archive.org/web/20161230045429/http://www.asahi.com/articles/ASJDZ3T7QJDZUHBI00J.html|archivedate=2016-12-30}}</ref>。[[2017年]]1月6日、日本政府は少女像の設置は日韓合意に違反しているとして、長嶺安政駐韓大使などを一時帰国させる措置をとった<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.bbc.com/japanese/38527557|title=日本の駐韓大使ら一時帰国へ 「慰安婦」像設置に対抗|accessdate=2018-9|date=|website=BBCニュース|publisher=[[BBC]]|2017-1-6}}</ref>。
 
=== 2015年日韓外相会談における合意 ===
{{main|慰安婦問題日韓合意}}
{{see also|安倍内閣総理大臣談話}}
日本政府は河野談話以来、村山富市、橋本龍太郎、小泉純一郎の各内閣が謝罪と反省を表明し<ref name="橋本総理" /><ref name="koizumi_letter" /><ref name="ianfu_keii">{{Cite journal|和書|author=山本健太郎 |date=2013-09 |title=従軍慰安婦問題の経緯 : 河野談話をめぐる動きを中心に |url=https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/8301279 |journal=レファレンス |publisher=国立国会図書館調査及び立法考査局 |volume=63 |issue=9 |pages=65-78 |naid=40019806957 |ISSN=0034-2912 |id={{NDLJP|8301279}}}}</ref>、またアジア女性基金が償い事業を通じて元慰安婦に「償い金」を支給するなどしてきた<ref name="asiawomenfundpanf" />。
 
しかし、2013年2月に発足した朴槿恵政権は、慰安婦問題について、日本から誠意ある措置を導き出すという方針のもと、日本政府に対し慰安婦問題を議論する実務協議を開催することなどを要求<ref name="goui_kensho">{{cite web|url=http://www.mofa.go.kr/upload/cntnts/www/result_report_jpn.pdf|title=韓․日日本軍慰安婦被害者問題合意(2015.12.28.)検討結果報告書|date=2017-12-27|publisher=韓国外交部|accessdate=2018-9}}</ref>。
 
こうした中、2014年3月35日、ハーグで開催された日米韓首脳会談では、日韓間で慰安婦問題を巡る局長級会合を開始することで合意<ref name="goui_kensho" />。2014年4月16日から合意の発表直前である2015年12月28日にかけ、12回の局長級会合が開催された<ref name="goui_kensho" />。
 
しかし、局長級会合では捗々しい進展がみられなかったため、2015年2月からはハイレベル協議を開始<ref name="goui_kensho" />。同年4月11日の第4次ハイレベル協議では、大部分で妥結し、暫定合意した<ref name="goui_kensho" />。
 
2015年11月2日の日韓首脳会談では、できるだけ早い時期に慰安婦問題を妥結することを確認<ref name="goui_kensho" />。
 
2015年12月28日には、日韓外相会談において両国の合意が妥結に至った<ref name="goui_kensho" />。
 
合意では、日本政府として「当時の軍の関与のもとに多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり,…日本政府は責任を痛感している」と述べ、[[安倍晋三]]首相が「改めて、慰安婦としてあまたの苦痛を経験され心身にわたり癒やしがたい傷を負われた全ての方々に心からおわびと反省の気持ちを表明する」とした<ref name="nikkan_goui">{{Cite press release|和書|title=日韓両外相共同記者発表|date=2015-12-28|url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/a_o/na/kr/page4_001664.html}}</ref>。
 
[[尹炳世|尹外相]]は「両国が受け入れうる合意に達することができた。これまで至難だった交渉にピリオドを打ち、この場で交渉の妥結宣言ができることを大変うれしく思う」と述べ<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkei.com/article/DGXLASFK28H4N_Y5A221C1000000/|title=岸田外相、慰安婦問題「終止符打った」 日韓合意|date=2015-12-28|website=日経電子版|publisher=日経新聞|accessdate=2018-9}}</ref>、慰安婦問題が最終的かつ不可逆的に解決されることを確認した<ref name="nikkan_goui" />。また、在韓国日本大使館前の少女像については、「関連団体との協議を行う等を通じて,適切に解決されるよう努力する。」とした<ref name="nikkan_goui" />。この合意の内容については、日韓で公式な文書を交わすことは行わず、日韓の両外務大臣が共同記者会見を開いて発表するという形式で行った<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sankei.com/article/20151229-56FVYKEJCFPLVASHOQFVJNSMS4/|title=共同文書化できず 「最終決着」は韓国次第 財団への拠出金急ぐ必要なし|date=2015-12-29|website=産経デジタル|publisher=産経新聞|accessdate=2018-9}}</ref>。
 
== 日本の各内閣の見解 ==
=== 第2次橋本内閣での閣議決定 ===
[[1997年]]1月に 第140回[[通常国会]]において、[[第2次橋本内閣]]の[[平林博]]内閣外政審議室長は、「軍や官憲による慰安婦の強制募集を直接示すような記述は見出せませんでした。ただ、総合的に判断した結果、一定の強制性がある」との答弁をおこなった<ref name="sangiin19970130">{{Cite web|和書|url=https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=114015261X00219970130|title=第140回国会 予算委員会 第2号|accessdate=2010-03-08|date=1997-01-30|work=[[参議院]]|publisher=[[国立国会図書館]]}}</ref>。河野談話前の調査の信ぴょう性を問うた高市早苗の質問主意書を受けて、内閣は1997年12月に「軍や官憲による慰安婦の[[強制連行]]を直接的に示すような記述は見られなかった」とする答弁書を閣議決定した。直接証拠は存在しないものの「証言聴取なども参考に総合的に判断した結果」であるとした<ref>{{cite news|title=「慰安婦強制連行 資料なし」橋本内閣で既に決定|newspaper=朝日新聞|date=2013-5-26}}</ref><ref name="TKY201305250416">[http://digital.asahi.com/articles/TKY201305250416.html 「強制連行資料なし」橋本内閣で既に決定 慰安婦問題]{{リンク切れ|date=2017年1月}}</ref>。
 
=== 第1次安倍内閣 ===
2006年10月3日、[[安倍晋三]]内閣総理大臣は「いわゆる従軍慰安婦の問題についての政府の基本的立場は、…河野官房長官談話を受け継いでおります」と答弁した<ref>{{cite conference|date=2006-10-03|url=https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=116505254X00520061003|volume=5|title=衆議院本会議|conference=第165回国会|quote=いわゆる従軍慰安婦の問題についての政府の基本的立場は、平成五年八月四日の河野官房長官談話を受け継いでおります。}}</ref>。
 
同年10月25日、下村博文官房副長官は「河野談話はもう少し事実関係をよく研究し…客観的、科学的知識を収集して考えるべきではないか」と発言<ref>{{cite news|title=河野談話は再調査必要 従軍慰安婦めぐり下村氏|date=2006-10-25|url=http://www.47news.jp/CN/200610/CN2006102501000694.html|agency=共同通信|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130626061407/http://www.47news.jp/CN/200610/CN2006102501000694.html|archivedate=2013-6-26}}</ref>。
 
2007年3月1日、安倍首相は「強制性を裏付ける証拠はなかった」と発言した<ref name="ianfu_keii" />。
同年3月5日には、参議院予算委員会において、「吉田清治という人が慰安婦狩りをしたという証言をしたわけでありますが…後にでっち上げだったことが分かったわけでございます」とした上で、「官憲が家に押し入っていって人を人さらいのごとく連れていくという、そういう強制性はなかった」と答弁している<ref name="sangiin20070305">{{Cite web|和書|url=https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=116615261X00320070305|title=第166回国会 予算委員会 第3号|accessdate=2010-03-08|date=2007-03-05|work=[[参議院]]|publisher=[[国立国会図書館]]}}</ref>。3月16日の「慰安婦」問題への認識に関する質問に対する答弁書<ref name="shugiin20070316">{{Cite web|和書|url=https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b166110.htm|title=衆議院議員辻元清美君提出安倍首相の「慰安婦」問題への認識に関する質問に対する答弁書|accessdate=2018-9|date=2007-3-16|website=衆議院ウェブサイト}}</ref>でも、軍や官憲による強制連行を示す資料がないことが確認されたと述べている。
 
同年4月27日、安倍首相はブッシュ大統領との日米首脳会談後の記者発表で、「元慰安婦の方々に…申し訳ないという気持ちでいっぱいである」と述べた<ref>{{Cite press release|和書|title=平成19年4月27日キャンプ・デービットにて行われた安倍総理とブッシュ大統領による共同プレス行事(概要)|publisher=首相官邸|date=2007-4-27|url=http://www.kantei.go.jp/jp/abespeech/2007/04/27press.html|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180905141044/http://www.kantei.go.jp/jp/abespeech/2007/04/27press.html|archivedate=2018-09-05}}</ref>。
 
=== 野田内閣での答弁 ===
2012年に[[野田佳彦]]首相は、「いわゆる強制連行したという事実を文書では確認できないし、日本側の証言はありませんでしたが、いわゆる従軍慰安婦と言われている人たちの聞き取りの中のことも含めてあの談話ができた」とした上で、「我が政権としても基本的にはこれを踏襲をする」とする答弁をおこなった<ref>{{Cite web|和書|url=https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=118015261X02520120827|title=第180回国会 予算委員会 第25号|accessdate=2018-9|date=2012-8-27|website=国会会議録検索システム|publisher=国立国会図書館}}</ref>。
 
=== 第2次安倍内閣において ===
2013年6月18日、[[第2次安倍内閣]]は、旧日本軍による慰安婦の[[強制連行]]を示す証拠が、政府の発見した資料の中にあった事実を認めたと[[しんぶん赤旗]]は伝えた<ref name="akahata">[https://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-06-19/2013061901_01_1.html 2013年6月19日付しんぶん赤旗]</ref>。
これについて、政府の同6月18日の答弁書では、政府が発見した資料に「バタビア臨時軍法会議の記録」が含まれ、その中に「軍人や民間人が上記女性らに対し、売春をさせる目的で上記慰安所に連行し、宿泊させ、脅すなどして売春を強要するなどした」との記述が存在することは認めたものの、政府の認識については、2007年3月16日の答弁書<ref name="shugiin20070316"/>における「慰安婦問題については…政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかった」と同様としている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b183102.htm|title=衆議院議員赤嶺政賢君提出強制連行の裏付けがなかったとする二〇〇七年答弁書に関する質問に対する答弁書|accessdate=2018-9|date=2013-6-18|website=衆議院ウェブサイト}}</ref>。なお、バタビア臨時軍法会議の記録の「軍人や民間人が上記女性らに対し、売春をさせる目的で上記慰安所に連行し、宿泊させ、脅すなどして売春を強要するなどした」という部分については、「慰安所には自由意思の者だけ雇うように」という上官の司令を無視した軍人や民間人による強姦行為を示したものであり、慰安婦が組織的に強制連行されたことを示すような資料ではない。
 
2015年12月28日の日韓外相会談では、日本政府として「当時の軍の関与のもとに多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題であり、…責任を痛感している」とする旨が述べられ、また総理大臣として「おわびと反省の気持ち」を表明するとした<ref name="nikkan_goui" />。
 
=== 菅内閣での閣議決定 ===
2021年4月27日の答弁書<ref name="situmon"></ref>において菅内閣は、「従軍慰安婦」という用語について「平成四年七月六日及び平成五年八月四日の二度にわたり公表された政府による慰安婦問題に関する調査において、調査対象としたその当時の公文書等の資料の中には、「慰安婦」又は「特殊慰安婦」との用語は用いられているものの、「従軍慰安婦」という用語は用いられていないことが確認されている」とした上で、河野談話において「いわゆる従軍慰安婦」という用語が用いられたことについては、「談話発表当時は、「従軍慰安婦」という用語が広く社会一般に用いられている状況にあったことから、談話においては、「いわゆる」という言葉を付した表現が使用されたものと認識している」とした。
 
さらに、慰安婦が「軍より「強制連行」された」という見方が広く流布された原因については、吉田清治が「日本軍の命令で、韓国の済州島において、大勢の女性狩りをした」という虚偽の事実を発表し、これらの虚偽の事実が大手新聞社によって「従軍慰安婦問題」として大きく報道されたところにあると考えているところ、これらの証言が虚偽であり、このような事実は存在しなかったことが後に明らかになったと承知しているとした。「このような経緯を踏まえ、政府としては、「従軍慰安婦」という用語を用いることは誤解を招くおそれがあることから、「従軍慰安婦」又は「いわゆる従軍慰安婦」ではなく、単に「慰安婦」という用語を用いることが適切であると考えており、近年、これを用いているところである。また、御指摘のように「従軍」と「慰安婦」の用語を組み合わせて用いるなど、同様の誤解を招き得る表現についても使用していないところである」とした。
 
その上で「政府としては、国際社会において、客観的事実に基づく正しい歴史認識が形成され、我が国の基本的立場や取組に対して正当な評価を受けるべく、これまで以上に対外発信を強化していく考えである」とした。
 
== 日本の論壇における主張 ==
=== 池田信夫 ===
;アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件について
評論家の[[池田信夫]]は、金らによる訴訟の目的は敗戦で無効になった軍票で支払われた給与の賠償だったとし<ref name="ikedanob45082">[http://blogos.com/article/45082/ 慰安婦;問題の「主犯」は福島瑞穂弁護士]{{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20130521142307/http://blogos.com/article/45082/|date=2013年5月21日}}</ref>、「このときの訴状は『親に売られてキーセン(娼婦)になった』という話だったのだが、これを朝日新聞が『軍が慰安婦を女子挺身隊として強制連行した』と誤って報じたため、1992年に宮澤首相(当時)が韓国で謝罪するはめになった」と延べている<ref name="ikedanob45082" /><ref name="nw20120824">{{Cite web|和書|url=http://www.newsweekjapan.jp/column/ikeda/2012/08/post-547.php|title=日韓関係をこじらせた「河野談話」の訂正が必要だ|accessdate=2012-09-06|author=[[池田信夫]]|date=2012-08-24|publisher=[[ニューズウィーク]]{{ISO639言語名|ja}}版}}</ref>。
池田はまた、[[福島瑞穂]]や[[高木健一]]らは原告になる元慰安婦を韓国で募集した際に[[金学順]]を見つけたとしており、福島はNHKにこの話を売り込んだ上で、NHKのスタジオに立ち会い、金学順に「親に売られてキーセンになり、義父に連れられて日本軍の慰安所に行った」と証言するようせりふを教えたとしている<ref name="ikedanob45082" />。
;河野談話について
池田は2007年5月1日、自身のブログで、「河野談話の根拠とされたのは…『私の戦争犯罪』(三一書房)という本だが、この内容は捏造であることが後に判明した」と述べている<ref name="minaosigahituyou">[http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/9e5aa6186ca7720af0d709d304c6fb9c 河野談話は見直しが必要だ] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20070501042442/http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/9e5aa6186ca7720af0d709d304c6fb9c |date=2007年5月1日 }} 池田信夫BLOG</ref>。
 
=== 岡田邦宏 ===
;慰安婦訴訟について
[[伊藤哲夫 (政治活動家)#日本政策研究センター|日本政策研究センター]]の岡田邦宏は、機関紙『明日への選択』で、1989年の吉田の著書の韓国出版と「ほぼ同時期」に「日本人女性がソウルで日本政府相手に朝鮮人への公式謝罪と補償要求の訴訟を起こしてほしいと韓国人原告の募集を始め」たとしている<ref name="seisaku20060614">{{Cite web|和書
| author = 岡田邦宏
| date = 2006-06-14
| url = http://www.seisaku-center.net/modules/wordpress/index.php?p=38
| title = 「河野談話」の背景と教訓(『明日への選択』平成15年9月号)
| publisher = 日本政策研究センター
| accessdate = 2010-03-08
|url-status=dead|url-status-date=2017-01-10
}}</ref>。
;宮澤首相による謝罪について
岡田は、同じく機関紙『明日への選択』で、宮澤首相は[[盧泰愚]]大統領との首脳会談で事実関係の調査を経ることなく慰安婦問題について謝罪したとしている<ref name="seisaku20060614"/>。
=== 西岡力 ===
;慰安婦に関する報道について
[[西岡力]]は、1991年5月22日からの朝日新聞の一連の報道について、誤報であると述べている<ref>{{cite journal|和書|journal=文藝春秋|publisher=文藝春秋|volume=70|issue=4|author=西岡力|title=「慰安婦問題」とは何だったのか|pages=300-315|date=1992年4月}}</ref>。
;1993年の世界人権会議について
西岡は、1993年の世界人権会議がきっかけとなり、[[1996年]]の[[クマラスワミ報告書]]では「軍隊性奴隷制 (military sexual slavery)」と明記されることとなったと主張している<ref name="nisi" />。
 
=== 秦郁彦 ===
;陸支密大日記について
歴史学者の[[秦郁彦]]は、1992年1月11日の朝日新聞では陸支密大日記を[[吉見義明]]が「発見」したとしているが、研究者の間ではこの資料は周知のものであったと指摘している{{sfn|秦郁彦|1999|pp=11-13}}。
;日弁連による活動について
秦郁彦は、日本弁護士連合会(日弁連)が慰安婦問題に関して、1992年に戸塚悦朗弁護士に海外調査特別委員を委嘱した{{sfn|秦郁彦|1999|page=334}}ことについて、日弁連は戸塚を通じて海外のNGOと連携を深めることで日本政府に特別法を制定させる戦略をとっていたとしている<ref name="FOOTNOTE秦郁彦1999334" />。
 
=== 林博史 ===
朝鮮半島の慰安婦業者は就業[[詐欺]]行為を行っていたが、警察と軍はそれを黙認し、「軍と共謀して慰安婦集めも組織した」。また警察文書に「内密に」「何処迄も経営者の自発的希望に基く様取運」ように指示している事から<ref>[[南支方面渡航婦女の取り扱いに関する件]]</ref>、「軍と警察が共謀して慰安婦を集めているが、それがばれると困るので、業者が勝手にやっているような振りをした」のだと解釈している<ref>『村山・河野談話見直しの錯誤』p22,23| 安倍首相の歴史認識はどこが問題なのか| 林博史</ref>。ゆえに慰安婦制度は、「国家による大規模な犯罪」であり、それは現在の人権の水準に照らしてそうであるだけではなく、「当時の国際法に照らしても国内法に照らしても犯罪だ」と述べている<ref>『日本軍慰安婦をどう教えるか』p82|国際法に対する犯罪としての日本軍慰安婦制度 | 林博史</ref>。
 
=== 朴斗鎮 ===
[[コリア国際研究所]]所長 朴斗鎮は、従北政権と北朝鮮によるプロパガンダで韓日分断を目的としていると述べている<ref name="youtube.com">https://www.youtube.com/watch?v=l-geHjTysss&t=745s</ref>。
 
== 韓国の論壇における主張 ==
韓国では慰安婦団体や韓国政府により日本の慰安婦制度に対する非難が長期間続き肯定的意見はタブー視されてきたが、最近では学者の間でも日本の慰安婦制度など反日問題に対しても日本政府の考え方を肯定的に捕らえる主張が相次いでいる。
 
=== 尹明淑 ===
[[尹明淑]]は、[[大日本帝国]]は[[韓国併合|朝鮮植民支配]]によって、朝鮮の絶対貧困化を加速させ、農民の70%が食事さえとれない状況になり、農民は極貧層に追い込まれ、慢性的な失業と低賃金、飢餓にさらされ、朝鮮人の多数が国外で彷徨い、数多くの10代の少女が[[家政婦]]、保母、接客、[[妓生]]、[[女工]]、[[慰安婦]]などに転落をせざるをえなくなったのであり、慰安婦徴募・移送に関与した朝鮮人の道知事や班長、区長、警察などの[[親日派|親日勢力]]の責任も忘れてはならないと述べた<ref>[http://japan.hani.co.kr/arti/politics/19946.html インタビュー「日本軍慰安婦問題の主犯は日帝植民支配と親日勢力」] ハンギョレ新聞 2015.03.12</ref>。
 
=== 朴裕河 ===
[[世宗大学校]]教授の[[朴裕河]]は、[[2013年]]8月、著書『[[帝国の慰安婦]]』の中で日本軍慰安婦の性奴隷制に疑問を投げかけたが、ソウル東部地検により内容が「虚偽」だとされ、元慰安婦に対する名誉毀損罪で在宅起訴された<ref>[https://east-asian-peace.hatenablog.com/entry/2015/12/01/202929 日本軍「慰安婦」被害者の名誉毀損事件の捜査結果(ソウル東部地方検察庁 2015 . 11. 18 報道資料)] 2015年11月19日</ref>。
 
=== 李栄薫・李宇衍 ===
元ソウル大学教授で[[落星台経済研究所]]の[[李栄薫]]・[[李宇衍]]は、[[2019年]]7月、著書『[[反日種族主義]]』の中で、日本軍慰安婦の性奴隷制に疑問を投げかけている。李栄薫は[[YouTube]]の[[李承晩学堂]]でもその内容について詳しく説明している。また、[[李宇衍]]はソウルの日本大使館前で行われている慰安婦問題の[[日本軍『慰安婦』問題解決全国行動|水曜デモ]]へ直接抗議も行っている。
 
=== 柳錫春 ===
[[延世大学校|延世大学]]教授の[[柳錫春]]は、[[2019年]]9月に「(慰安婦関連の)直接的な加害者は日本(政府)ではない」「(慰安婦は)売春の一種」と発言し、一部学生から非難された。大学側は同教授を講義から外し、停職1カ月の懲戒処分を下したが、柳錫春は[[2020年]]6月から[[YouTube]]で、自身の見解の配信を始めた<ref>{{Cite news|url=https://s.japanese.joins.com/JArticle/267013?sectcode=400&servcode=400|title=ユーチューバーに変身した「慰安婦妄言」柳錫春教授…学生らは反発|newspaper=[[中央日報]]日本語版|date=2020-06-14|accessdate=2023-12-31}}</ref>。
 
=== 金柄憲 ===
国史教科書研究所所長である金柄憲(キム・ビョンホン)は、「慰安婦問題それ自体が日本人から出発したもの」で、韓国の歴史教科書は「子供たちに嘘を教え続け」ていると述べている<ref>[https://www.sankei.com/article/20221117-3JQH3COHOFNYNEKERCZW5OH5AE/ 韓国教科書「慰安婦」修正求める金柄憲氏:子供に嘘 真実弾圧する社会に「良心的日本人」は立つ瀬なくなる]『産経新聞』朝刊2022年11月18日5面(同日閲覧)</ref>。
 
== 国連などでの慰安婦の扱い ==
=== Sex Slaves(性奴隷) ===
[[1992年]]2月25日、[[NGO]] [[国際教育開発]](IED)代表で弁護士の[[戸塚悦朗]]が[[国際連合人権委員会|国連人権委員会]]で日本軍慰安婦問題を取り扱うように要請したが、これが[[国際連合|国連]]での初めての慰安婦問題提起であった<ref>西岡力2007,p156</ref>。戸塚自身も、当時慰安婦問題に関する国際法上の検討がなされていなかったため、「日本帝国主義の'''[[性奴隷]](sex slaves)'''と規定した」と自分が「性奴隷」という言葉を発案したとしている<ref>「日本軍性奴隷問題への国際社会と日本の対応を振り返る」『戦争と性』第25号、2006年5月号 {{要ページ番号|date=2013-06-09}}</ref><ref>西岡力2007 p156-157</ref>。当初、国連では「性奴隷」という呼称は受入れられなかったが、戸塚は人権委員会の下位にある差別防止少数者保護小委員会(人権小委員会)や、人権小委員会で活動する現代奴隷制作業部会に働きかけた<ref>西岡力2007,p157-158</ref>。[[日本弁護士連合会]](日弁連)会長(当時)で「慰安婦問題の立法解決を求める会」([[1996年]]12月設立)<ref>{{Harvnb|秦郁彦|1999|p=331}}</ref><ref name="hata1999-p334">{{Harvnb|秦郁彦|1999|p=334}}</ref>の[[土屋公献]]も、1992年から日弁連が国連において慰安婦補償を要求するなかで「性的奴隷(Sex SlavesまたはSexual Slavery)」 として扱うように働きかけ<ref name="tsuchiya">[https://www.nichibenren.or.jp/document/statement/year/1995/1995_15.html] 日弁連会長[[土屋公献]]声明「従軍慰安婦問題への政府の対応に関する声明」1995年11月16日。</ref>、その結果、[[1993年]]6月のウィーンの[[世界人権会議]]「[[ウィーン宣言及び行動計画]]」において「性的奴隷制」が初めて「国連の用語」として採用されたとしている<ref name="tsuchiya" />。日弁連会長[[鬼追明夫]]は「軍事的性的奴隷」とも表現している<ref>[https://www.nichibenren.or.jp/document/statement/year/1996/1996_10.html] 日弁連HP:会長声明・日弁連コメント1996年6月20日「従軍慰安婦問題に関する声明」</ref>。
 
1992年、[[NGO]]に日本に招待された{{要出典範囲|[[テオ・ファン・ボーベン]](オランダ)は、元[[日本の慰安婦|慰安婦]]の証言を聞き、その実態に衝撃を受けた|date=2013年6月}}。1992年に、当時日本軍に暴行されたと名乗り出た<ref>{{Harvnb|秦郁彦|1999|p=217}}</ref>オランダ人女性[[ジャン・ラフ・オハーン]]は「慰安婦」という言葉は[[侮蔑]]であり、自身を「戦時強姦の被害者であり、日本帝国軍の奴隷として強制徴集(conscripted)された」と訴えた<ref name="CSarahsoh71722">[https://books.google.co.jp/books?id=GIHcaFVxXf0C&lpg=PA215&dq=%22korean%20war%22%20%22comfort%20women%22&hl=ja&pg=PA215#v=onepage&q=%22korean%20war%22%20%22comfort%20women%22&f=false Chunghee Sarah Soh,The Comfort Woman],pp71-72</ref>。
 
1993年、国連[[人権委員会]]の差別防止・少数者保護小委員会「武力紛争下の強姦、性奴隷制および類似慣行に関する特別報告者」の報告者であった[[リンダ・チャベス]]は準備文書で「性奴隷制度である」と明記した<ref name="ReferenceA">[[女たちの戦争と平和資料館]]事務局長の[[渡辺美奈]]による。渡辺美奈・林博史・俵義文著『村山・河野談話見直しの錯誤』第三章「世界は日本軍慰安婦をどう見てきたか」、[[かもがわ出版]]、2013年4月 {{要ページ番号|date=2013-06-09}}</ref>、これが[[1998年]]の[[マクドゥーガル報告書]]につながったとされる<ref name="ReferenceA"/>。ただし、リンダ・チャベスは報告書をまとめることなく[[1997年]]に辞任した<ref>{{Harvnb|秦郁彦|1999|p=327}}</ref>。
 
[[1996年]]に国連人権委に報告された[[クマラスワミ報告]]には日本軍慰安婦制度([[公娼]]制度<ref>{{Harvnb|秦郁彦|1999|p=191}}</ref><ref>藤目ゆき1997</ref>)を「'''軍用性奴隷制(Military Sexual Slavery)'''<ref>E/CN.4/1996/53/Add.1(付属文書1「戦時における軍事的性奴隷制問題に関する朝鮮民主主義人民共和国、大韓民国および日本への訪問調査に基づく報告書」)[http://www.awf.or.jp/pdf/0031.pdf アジア女性基金による和訳「付属文書1」] p1他で「軍性奴隷制」と明記、p2では「明確に性奴隷制」であるとしている。</ref>)」また「性奴隷制」と明記された<ref>西岡力「世界中にばら撒かれた「慰安婦問題」が捏造である完全なる根拠」SAPIO2012年8月22・29日号</ref><ref>西岡力論文の該当箇所はniftyニュース2012年9月13日で閲覧可{{Cite web|和書|url=http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/sapio-20120913-02/5.htm|title=アーカイブされたコピー|accessdate=2012-10-20|archiveurl=https://web.archive.org/web/20121023034203/http://news.nifty.com/cs/magazine/detail/sapio-20120913-02/5.htm|archivedate=2012-10-23|url-status=dead|url-status-date=2017-10}}(2012年10月20日閲覧)</ref>。
 
慰安婦問題を国連で扱うように活動してきた日弁連海外調査特別委員<ref>{{cite journal |和書|author=龍谷大学法学会 |url=https://hdl.handle.net/10519/686 |title=戸塚悦郎教授、広原盛明教授、山内敏弘教授退職記念論集 |volume=42 |issue=4 |pages=1-12 |date=2010 |NCID=AN00251121 |journal=龍谷法学 |publisher=龍谷大学法学会|accessdate=2020-04-23 }}。</ref>の[[戸塚悦朗]]弁護士は、国連小委員会による日本政府への勧告にはいたらなかったことを失望し、[[ロビー活動]]の不足を訴えた<ref>『法学セミナー』1998年11月号</ref><ref name="hata1999-p328">{{Harvnb|秦郁彦|1999|p=328}}</ref>。のちに戸塚らの政治的活動は日弁連内部から目的外・職務外行為であるとして批判され、戸塚は1998年に解嘱された<ref name="hata1999-p334" />。
 
==== その他の慰安婦の位置づけ ====
{{要出典範囲|日本軍慰安婦については「慰安婦」よりも「[[性的奴隷|性奴隷]]」と表現する方が適切であると民間人・民間団体が1990年代より主唱しはじめ|date=2015年10月7日 (水) 11:24 (UTC)}}、しばしば{{誰範囲|海外政府・国連関係者|date=2015年10月7日 (水) 11:24 (UTC)}}により言及されることがある。
 
[[1997年]]には日本で証言集『私は「慰安婦」ではない 日本の侵略と性奴隷』が出版された。この中で元慰安婦の[[万愛花]]や[[金順徳]]、[[プリシラ・バルトニコ]]、[[ピラール・フリアス]]等がその戦時性暴力被害を訴えた<ref name="CSarahsoh71722">[https://books.google.co.jp/books?id=GIHcaFVxXf0C&lpg=PA215&dq=%22korean%20war%22%20%22comfort%20women%22&hl=ja&pg=PA215#v=onepage&q=%22korean%20war%22%20%22comfort%20women%22&f=false Chunghee Sarah Soh,The Comfort Woman],pp71-72</ref><ref>戦争犠牲者を心に刻む会編『私は「慰安婦」ではない 日本の侵略と性奴隷』p99 - p113 東方出版,1997年</ref>。[[上杉聰|上杉聡]]によれば、支援運動の中では「従軍慰安婦」の代わりに「軍隊慰安婦」「強制軍隊慰安婦」などの名称が提案されており、[[クマラスワミ報告]]の「性奴隷」の概念については継続的な強姦のケースに当てはまり、到達点としてよいが、被害者ご本人の気持ちを確かめなければいけないと述べている<ref>戦争犠牲者を心に刻む会編『私は「慰安婦」ではない 日本の侵略と性奴隷』p193、p194、東方出版,1997年</ref>。
 
このほか、[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]、[[社会民主党 (日本 1996-)|社民党]]らは日本人慰安婦を除外したうえで「戦時性的強制被害者<ref name="minshu200207232">[http://www.dpj.or.jp/news/?num=2869 (参院内閣委)戦時性的強制被害者問題法案、審議入り] 民主党ホームページ[リンク切れ]</ref>」という名称を[[戦時性的強制被害者問題の解決の促進に関する法律案|法案名]]でも使用している<ref name="minshu199912222">[http://archive.dpj.or.jp/news/?num=11043 戦時性的強制被害者間題〔ママ〕の解決の促進に関する法律案(仮称)政策要綱] 民主党公式HP 1999/12/22</ref>。
 
慰安婦制度を人権問題や戦争責任問題とする[[ジャパンタイムズ]]や[[ニューヨーク・タイムズ]]は慰安婦を「性奴隷」(sex slave)としているが<ref name="NYtimes200703082">[http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9F06E1DE1231F93BA35750C0A9619C8B63 Denial Reopens Wounds of Japan's Ex-Sex Slaves] New York Times March 8, 2007</ref>、ニューヨーク・タイムズはアメリカ軍相手の女性達については日本軍の慰安婦とは異なるとして「[[娼婦|売春婦]]」(prostitute)と呼称している<ref name="NYTimes200901082">{{cite news|url=http://www.nytimes.com/2009/01/08/world/asia/08korea.html?_r=2&scp=8&sq=Comfort%20Women%20Korean%20War&st=cse|title=Ex-Prostitutes Say South Korea and U.S. Enabled Sex Trade Near Bases|author=CHOE SANG-HUN|newspaper=[[ニューヨーク・タイムズ]]|date=2009-01-08|accessdate=2012-10-31|language=英語}}</ref>。一方、アメリカ軍や韓国軍慰安婦の当時の韓国政府による公式呼称は「慰安婦」である<ref name="アメリカ・国連軍慰安婦">{{cite news|url=http://ws.donga.com/fbin/kisaIdx?word=%EA%D0%E4%CC%DC%FE|title=東亜日報慰安婦掲載一覧|newspaper=[[東亜日報]]|accessdate=2010-03-09|language={{ISO639言語名|ko}}}}</ref><ref name="LeeYoungHoon2">{{Harvnb|李榮薫|2009|p=}}</ref>。
 
[[2000年]]の[[民衆法廷]](模擬法廷)[[女性国際戦犯法廷]]では「日本軍性奴隷」と表現された。
 
[[吉見義明]]の著書の英訳は「Comfort Women:<u>Sexual Slavery</u> in the Japanese Military During the World War II」である<ref>Columbia University Press,2000.</ref>。
 
=== 呼称・表現をめぐる非難 ===
2015年3月、[[安倍晋三]]が[[ワシントン・ポスト]]のインタビューで慰安婦問題を「人身売買 (human trafficking) の犠牲」と表現したことに対し、韓国[[聯合ニュース]]は「20世紀最悪の[[人権蹂躙]]で、国際社会が『性奴隷』事件と規定する日本軍慰安婦問題の本質をぼかすための、計算された発言との指摘もある」と報じた<ref>{{Cite news|title=「『性奴隷』の本質をぼかす」安倍首相の慰安婦発言を韓国メディア非難「日本軍、国家の組織的後押し」|newspaper=[[産経新聞]]|date=2015-03-28|url=https://www.sankei.com/article/20150328-QEMON6XEEBMLDNTSH2NOBM24CY/}}</ref><ref>{{Cite news|title=아베, 美의회 연설 앞두고 '위안부 문제' 교묘한 물타기|newspaper=[[聯合ニュース]]|date=2015-03-28|url=http://www.yonhapnews.co.kr/bulletin/2015/03/28/0200000000AKR20150328002300071.HTML}}</ref>。
 
[[李容洙]]は、慰安婦を「性奴隷」と表現することについて「とても汚くて嫌で仕方ない」と批判した<ref name=":1">{{Cite web|和書|url=https://japanese.joins.com/JArticle/265909|title=慰安婦被害者の李容洙さん「尹美香は良心もない、ありのままに話すべき」(2)|publisher=[[中央日報]]日本語版|date=2020-05-14|accessdate=2023-12-31|language=ja}}</ref>。
 
== 国連人権委員会の報告書 ==
=== クマラスワミ報告 ===
{{main|クマラスワミ報告}}
韓国の運動団体や[[カトリック教会#日本におけるカトリック教会|日本カトリック教団]]<ref name="sakai20100424">{{Cite web|和書|author = [[酒井信彦]]|date = 1996-08-15|url = http://sakainobuhiko.com/1996/08/post-12.html|title = 日本カトリック教団の『戦争の反省』の欺瞞 (2)|work = 月曜評論|publisher = 酒井信彦の日本ナショナリズム|accessdate = 2010-04-24}}</ref>や[[日本弁護士連合会]]<ref>本項「総数」節参照</ref>などの組織が、[[国連人権委員会]]に対して慰安婦問題の積極的な[[ロビー活動]]を行った。[[1996年]]、国連人権委員会は「女性に対する暴力」の審議で[[ラディカ・クマラスワミ]]を特別報告者に任命し、その報告書が国連人権委員会に提出された([[クマラスワミ報告書]])。この報告書の附属文書では慰安婦制度を[[国際法]]違反とし、日本政府に対して慰安婦に対する賠償を勧告している。しかし、この報告書が典拠としている[[吉田清治 (文筆家)|吉田清治]]の証言([[#吉田証言とその影響]]も参照)について後に虚偽であったことが判明しており、同じく典拠としている[[ジョージ・ヒックス]]の著作『性奴隷』について二次文献をまとめたもので研究書としての価値は低く事実誤認と歪曲が多数あるとの指摘がある<ref>{{Harvnb|秦郁彦|1999|p=266}} 9章「クマラスワミ旋風」</ref>。他にも多数問題点があるとして、日本の運動団体「[[日本の戦争責任資料センター]]」の[[荒井信一]]<ref name="araisinitikuwarasuwamihoukoku">[http://space.geocities.jp/japanwarres/center/library/cwara.HTM 「クマラスワミ報告」解説 【荒井信一】]{{要ページ番号|date=2013-06-06}}</ref>や[[吉見義明]]、[[秦郁彦]]らの歴史学者による批判がある<ref>{{Harvnb|秦郁彦|1999|p=280}}</ref>。[[麗澤大学]]教授の[[西岡力]]はクマラスワミ報告は吉田清治やジョージ・ヒックスの著作(ヒックスは吉田証言や当時のうわさ話を歴史的な真実として記載している)に依拠しており、慰安婦を「貧困を原因とする人身売買の被害者」としてでなく「国家権力による強制連行の犠牲者だと決めつけている」と批判している<ref>{{Harvnb|西岡力|2007|pp=161-165}}</ref>。
 
=== マクドゥーガル報告書 ===
{{main|マクドゥーガル報告書}}
[[1998年]]に[[マクドゥーガル報告書]]が提出された<ref>{{Harvnb|秦郁彦|1999|page=327}}</ref>が、その序論において「1932年から第二次世界大戦が終わるまで、日本政府と日本帝国軍は20万以上のアジア女性を強制的にアジア各地のレイプセンターの[[性奴隷]]とした。」「連日の虐待を生き延びた女性はわずか25%にすぎないと言われる。」(アジア女性基金 訳)としている。この「20万」や「25%」という数字について、日本の[[アジア女性基金]]の調査では出典の信憑性がないとした([[マクドゥーガル報告書]]を参照)が、マクドゥーガル報告書が提出されると、報告書を検証することなしに日本のカトリック教会[[枢機卿]][[白柳誠一]]は日本政府に謝罪と補償を求める<ref>カトリック新聞で発表 {{いつ|date=2013-06-09}}</ref>とともに「応じよ!国連勧告」100万人署名運動を呼びかけた<ref name="sakai20100424"/>。[[2000年]]には、朝日新聞元編集委員の[[松井やより]]が主催する[[「戦争と女性への暴力」日本ネットワーク]]や[[韓国挺身隊問題対策協議会]]などの団体によって「[[女性国際戦犯法廷]]」という[[民衆法廷]]が開かれた。「法廷」では「[[昭和天皇]]および日本国は有罪」との「判決」が下され、取材をおこなった海外のメディアが「日本国が女性を強制連行して性奴隷にした」と報じたことで慰安婦問題は世界各国でも認識されるようになった。
 
[[2004年]][[8月10日]]、[[東京造形大学]]教授で国際人権活動日本委員会の[[前田朗]]は、[[ジュネーブ]]で開かれた[[国際連合人権委員会|国連人権促進保護小委員会]]において20万人もののコリア、中国などの女性が日本軍の慰安婦としての性労働を強いられたうえに[[拷問]]や[[栄養不良]]などで殺害されたり、なかには爆撃下のたこつぼ([[塹壕|蛸壺壕]])で[[強姦|レイプ]]された女性もいたとして大量虐殺的強姦という概念を提唱し、日本政府は何も聞こうともせず、いまだ何も行っていないと非難し、[[犯罪]]者である日本を処罰する権利と[[被害者]]の救済を要請した<ref>[https://megalodon.jp/2013-0129-0218-20/jwchr.s59.xrea.com/x/shiryou/040810maeda.htm 前田朗「大量虐殺的強姦」国連人権促進保護小委員会第56回会期2004年8月10日]</ref>。
 
当時、[[慰安所]]営業者の半数は朝鮮人であり<ref name="dailyseop20061206">{{ko icon}}{{Cite web|和書
|url = http://www.dailyseop.com/section/article_view.aspx?at_id=52265
|title = 教科書フォーラムの安秉直、「慰安婦は自発的」妄言で波紋
|publisher = デイリー・サプライズ
|accessdate = 2008-12-09
|date = 2006-12-06
|archiveurl = https://web.archive.org/web/20080129121328/http://www.dailyseop.com/section/article_view.aspx?at_id=52265
|archivedate = 2008年1月29日
}}</ref>、日本軍は慰安婦募集の誇大広告を禁止するとともに渡航する女性が本人自ら警察署で身分証明書の発給を受けて誘拐でないことを確認するよう通達を出していた<ref>{{Cite web|和書
|url = http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/MetaOutServlet?DB_ID=G0000101EXTERNAL&IS_STYLE=default&XSLT_NAME=photo_up.xsl&ID=M2006090417401308686&NO=2&IMAGESIZE=54&MAX=17&DJVU_V=true&JPEG_V=true&JP2_V=false&TYPE=DjVu&NAME=%E6%94%AF%E9%82%A3%E6%B8%A1%E8%88%AA%E5%A9%A6%E5%A5%B3%E3%81%AE%E5%8F%96%E6%89%B1%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E4%BB%B6%EF%BC%88%E5%BA%81%E5%BA%9C%E7%9C%8C%EF%BC%89
|title = 支那渡航婦女ノ取扱二関スル件
|work = 陸軍省
|publisher = 国立アジア歴史資料センター
|date = 1938-02-18
|accessdate = 2010-03-10
|url-status=dead|url-status-date=2017-10
|archiveurl = https://web.archive.org/web/20160304234425/http://www.jacar.go.jp/DAS/meta/MetaOutServlet?DB_ID=G0000101EXTERNAL&IS_STYLE=default&XSLT_NAME=photo_up.xsl&ID=M2006090417401308686&NO=2&IMAGESIZE=54&MAX=17&DJVU_V=true&JPEG_V=true&JP2_V=false&TYPE=DjVu&NAME=%E6%94%AF%E9%82%A3%E6%B8%A1%E8%88%AA%E5%A9%A6%E5%A5%B3%E3%81%AE%E5%8F%96%E6%89%B1%E3%81%AB%E9%96%A2%E3%81%99%E3%82%8B%E4%BB%B6%EF%BC%88%E5%BA%81%E5%BA%9C%E7%9C%8C%EF%BC%89
|archivedate = 2016-03-04
}}</ref>。[[日本統治時代の朝鮮|朝鮮]]では日本の官憲が日本人や朝鮮人の女性を誘拐して売買をおこなった者を取り締まっていたが<ref>[http://ws.donga.com/fbin/kisaIdx?word=%EB%AF%EC%DA%D3%A5%E2%CF%CE%DA 東亜日報1936年4月4日]{{リンク切れ|date=2017年1月}}[http://ws.donga.com/fbin/kisaIdx?word=%E1%B4%D2%B3%D5%D3%F6%A2 東亜日報1933年6月30日]{{リンク切れ|date=2017年1月}}、[http://ws.donga.com/fbin/kisaIdx?word=%DB%F3%EC%D1%E7%EF%EF%E1%FC%BA 東亜日報1933年5月5日]{{リンク切れ|date=2017年1月}}、[http://ws.donga.com/fbin/kisaIdx?word=%D5%DE%CA%AB%F4%A5%D2%B3%EB%AF 東亜日報1938年12月4日]{{リンク切れ|date=2017年1月}}</ref>、戦後1993年の一部官憲の関与を認めた[[河野談話]]以降は、海外から「日本政府が数十万人の女性を強制連行して性奴隷にした」として非難され、日本国内では女性の[[人権]]などの観点をめぐって様々な議論となった。元慰安婦を名乗る韓国人女性たちの証言の信憑性についても疑問視されてもおり、証言が虚偽または創作でないかの検証が韓国や日本で行われている<ref>詳細は[[#元慰安婦の証言に関する問題点]]参照</ref>。
 
歴史家の[[秦郁彦]]はこのマグドゥーガル報告書の「レイプ・センター」について、[[撫順市|撫順]]の日本兵戦犯が認罪の過程で「慰安所」を「強姦所」と書き直すように[[撫順戦犯管理所|戦犯収容所]]から強要された表現の英訳ではないかとしている<ref>{{Harvnb|秦郁彦|1999|pp=328-329}}</ref>。
 
日本政府は、マクドゥーガル報告書は[[ゲイ・マクドゥーガル]]の個人報告書にすぎず、受け入れられないと回答した<ref name="hata1999-p328" />。
 
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== 日本・韓国・フィリピンでの「慰安婦」関連訴訟 ==
韓国人、中国人などを中心に元日本軍慰安婦であると名乗り出た人々が強制的に慰安婦にされたとして日本国に対し謝罪と賠償を求める訴訟、及びそれに関する訴訟が日本、アメリカ合衆国、韓国、フィリピンなどで多数起こされて来た。しかし、[[時効]]・[[除斥期間]]の経過、[[大日本帝国憲法]]が定めていた「[[国家賠償法#制定の背景|国家無答責の法理]]」([[官吏]]が公権力の行使に当たる行為によって市民に損害を加えても国家は損害賠償責任を負わないとする)、「個人を国際法の主体と認めない」などの理由で全て敗訴している。
 
一方、日本においては慰安婦を強制的に連行したと報道を行ってきた[[朝日新聞]]([[2014年]]に記事取消を行っている)に対して「ねじ曲げられた歴史を国際社会に拡散させた」、「日本人の尊厳を傷つけて国際社会における客観的評価を下げた。」として訴訟が行われている。{{Main|朝日新聞#慰安婦「強制連行」報道}}
 
=== 日本の裁判所での判決 ===
*[[1991年]]、[[アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件]]。[[2004年]]最高裁で敗訴。
*[[1992年]]、[[釜山従軍慰安婦・女子勤労挺身隊公式謝罪等請求訴訟]]。[[2003年]]最高裁で敗訴。- この関釜裁判における一審判決([[1998年]]4月27山口地裁下関支部)では、原告らが売春を強制されたことを[[事実認定]]し、国の立法義務、立法の不作為を認め、一人あたり30万円の支払いを命じた。しかし、[[控訴]]審([[2001年]]3月29日、広島高裁)は一審判決を破棄し、立法行為への規制が司法判断になじまない事、該当事項に関する立法責任が明文化されていない事などを理由に原告側の請求を「全面[[棄却]]」。最高裁への[[上告]](2003年3月25日)も棄却、原告敗訴が確定。この一審判決は現在唯一の原告の勝訴であるが、国際法学者の[[大久保昭]]は「法理論構成上きわめて無理の多い判決」と評している<ref>『慰安婦問題とは何だったのか』中公新書,2007,p144</ref>。
*[[1993年]]4月5日、[[在日韓国人元従軍慰安婦謝罪・補償請求事件]]。元慰安婦の在日韓国人[[宋神道]]が767億5893万7500円の支払い補償と謝罪を日本国に対して提訴した。[[2000年]]11月30日、[[東京地方裁判所|東京地裁]]は請求棄却。{{要出典範囲|この際、判決効力に関連のない[[傍論]]において、裁判長は旧日本軍の慰安婦に対する行為が[[国際法]]違反であるとの意見を述べた。この傍論をもって[[VAWW-NETジャパン]]は「国際法違反であると[[事実認定]]された」と解釈している。|date=2013年6月}} 2003年3月28日、[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]が上告棄却により原告敗訴確定。
 
==== 模擬裁判 ====
これらの裁判の他、[[2000年]]に東京で国際[[NGO]]や[[市民]]らによって自主的に開催された[[民衆法廷]](模擬法廷)である[[日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷]]([[女性国際戦犯法廷]])が開かれた。(自主的な裁判であり公式の裁判ではない)。この市民法廷では「[[昭和天皇]]と日本国は[[奴隷制度]]・[[強制連行]]・[[強姦]]・[[人身売買]]により[[人道に対する罪]]で有罪」と判決。
 
=== 韓国の裁判所での判決 ===
*[[1966年]]、[[大韓民国大法院]]は慰安婦として35歳までに得られるはずであった報酬に見合う損害賠償を求めた慰安婦の告訴を棄却<ref name="law196610182">[http://www.law.go.kr/precInfoP.do?precSeq=153273#AJAX "손해배상[대법원 1966.10.18, 선고, 66다1635,1636, 판결](損害賠償[大法院1966.10.18宣告, 66ダ1635, 1636判決])"], [[大韓民国法制処]]国家法令情報センター.</ref>。
 
==== 韓国行政裁判所による判決 (2009) ====
その後、[[2009年]]8月14日、[[ソウル特別市|ソウル]][[行政裁判所]]は「[[1965年]]に締結された[[財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定|日韓請求権並びに経済協力協定]]により日本政府から[[無償]]で支給された3億ドル(1965年当時のレートで1080億円)で徴用者への未払い賃金への対日請求が完結しており、[[大韓民国外交通商部]]としては「すでに補償は解決済み」とした<ref>{{cite news|url=http://english.yonhapnews.co.kr/news/2009/08/14/0200000000AEN20090814005900315.HTML|title=Seoul draws fire for snubbing compensation for colonial-era laborers|newspaper=聯合ニュース|date=2009-08-14|accessdate=2010-03-08|language=英語}}</ref><ref name="yonhapnews20090814">{{cite news|url=http://japanese.yonhapnews.co.kr/relation/2009/08/14/0400000000AJP20090814001100882.HTML|title=徴用被害者の未払い賃金請求は困難、政府が立場表明|newspaper=聯合ニュース|date=2009-08-14|accessdate=2010-03-08}}</ref>。
 
==== 韓国外務省による再請求と韓国憲法裁判所判決 (2011) ====
しかし、[[大韓民国外交通商部]]は[[2010年]]3月15日に、慰安婦については「[[1965年]]の対日請求の対象外」として「日本政府の法的責任を追及し、誠意ある措置を取るよう促している」と発表<ref>{{cite news|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100315/plc1003152251018-n1.htm|title=慰安婦、日本に法的責任 韓国政府が再確認|newspaper=産経新聞|date=2010-03-15|accessdate=2010-03-16|archiveurl=https://web.archive.org/web/20100323061205/http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100315/plc1003152251018-n1.htm|archivedate=2010年3月23日|deadlinkdate=2017年10月}}</ref>。同年3月17日、日本政府は改めて「日韓請求権並びに経済協力協定により、両国間における請求権は、完全かつ最終的に解決されている」とする見解を発表した<ref>{{cite news|url=http://japanese.yonhapnews.co.kr/relation/2010/03/18/0400000000AJP20100318002200882.HTML|title=「個人請求権は解決済み」日本外務省が立場表明|newspaper=聯合ニュース|date=2010-03-18|accessdate=2010-03-21}}</ref>。
 
[[2011年]]8月10日、韓国の[[憲法裁判所]]が「韓国政府が元慰安婦の賠償請求に関する日韓間の協定解釈の相違をめぐる争いを解決しないことは憲法違反」と判決<ref>[http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/legis/pdf/02490115.pdf] 従軍慰安婦及び原爆被害者に関する違憲決定</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/legis/pdf/02490115.pdf|title=アーカイブされたコピー|accessdate=2013-06-03|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130205162840/http://www.ndl.go.jp/jp/data/publication/legis/pdf/02490115.pdf|archivedate=2013-02-05|url-status=dead|url-status-date=2017-10}}従軍慰安婦及び原爆被害者に関する違憲決定</ref><ref>[http://www.wam-peace.org/wp/wp-content/uploads/2011/09/64e1569fcbc532fd1df34f353e7e7f09.pdf 韓国憲法裁判所判決全文(日本語)] WAM女たちの戦争と平和資料館</ref><ref name="nisiii">{{Cite web|和書|url=http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111114/plc11111413070002-n2.htm|title=アーカイブされたコピー|accessdate=2012-10-25|archiveurl=https://web.archive.org/web/20120504043427/http://sankei.jp.msn.com/politics/news/111114/plc11111413070002-n2.htm|archivedate=2012-05-04|url-status=dead|url-status-date=2017-10}}[[西岡力]]「韓国よ、いい加減にせんか 危険水位を超えた「慰安婦」対日諜略」産経新聞2011.11.11.,月刊正論2011年12月号</ref>。9月15日、[[大韓民国外交通商部|韓国外交通商省]]の[[趙世暎]]東北アジア局長は「慰安婦と被爆者の賠償請求権が請求権協定により消滅したのかどうかを話し合うため、[[財産及び請求権に関する問題の解決並びに経済協力に関する日本国と大韓民国との間の協定|日韓請求権・経済協力協定]]第3条により両国間協議を開催することを希望する」という口上書を日本側に提出、9月24日の[[ニューヨーク]]での日韓外相会談、10月6日のソウルでの日韓外相会談でも同様の要求をおこなう<ref name="nisiii" />。しかし10月19日のソウルでの日韓首脳会談では、慰安婦問題は議題にならなかった<ref name="nisiii" />。[[2013年]]5月22日、この件に関して岸田外務大臣が国会で「具体的な協議等が行われたということは承知しておりません。」と答弁した<ref>2013年5月22日衆議院外務委員会</ref>。
 
=== フィリピンの裁判所での判決 ===
[[2010年]]4月28日、フィリピン最高裁は自国民の日本政府に対する謝罪要求について裁判所がフィリピン政府に意見することは出来ないとして請求棄却<ref>{{cite news|url=http://sankei.jp.msn.com/world/asia/100504/asi1005041916004-n1.htm|title=従軍慰安婦の訴え退ける フィリピン最高裁|work=共同通信|publisher=産経新聞|date=2010-05-04|accessdate=2010-05-04|archiveurl=https://web.archive.org/web/20100507104555/http://sankei.jp.msn.com/world/asia/100504/asi1005041916004-n1.htm|archivedate=2010年5月7日|deadlinkdate=2017年10月}}</ref>。また、日本との外交関係を混乱させ地域の安定を損なうとの外務省の判断があったと指摘した<ref name="phili2">[http://www.gmanetwork.com/news/story/190031/news/nation/sc-dumps-demand-of-wwii-filipino-comfort-women] GMA News,SC dumps demand of WWII Filipino comfort women,May4,2010.</ref>。原告の慰安婦たちは、当局に国際司法の場に持ち込むよう要求、また[[1951年]]の[[日本国との平和条約]]は無効とし、[[女性のためのアジア平和国民基金|アジア女性基金]]から償い金を受け取り謝罪を受け入れたフィリピン政府を国際法違反と主張した<ref name="phili2" />。
 
== 米国での慰安婦訴訟 ==
=== ヘイデン法 ===
{{main|ヘイデン法}}
[[1999年]][[2月26日]]、元反戦運動家で[[カリフォルニア州]]の上院議員{{仮リンク|トム・ヘイデン|en|Tom Hayden}}と{{仮リンク|ロッド・パチェコ|en|Rod Pacheco}}下院議員・[[マイク・ホンダ]]下院議員らが、[[第二次世界大戦]]中に[[ナチス]]ドイツや日本から[[強制労働]]を強いられた被害者が州裁判所レベルで賠償を求めることができるとする[[州法]]の「戦時強制労働補償請求時効延長法」<ref name="yamate2001">{{Cite journal|和書|author=山手治之 |date=2001-03 |url=https://kyotogakuen.repo.nii.ac.jp/records/543 |title=第二次大戦時の強制労働に対する米国における対日企業訴訟について |journal=京都学園法学 |ISSN=09164715 |publisher=京都学園大学法学会 |volume=33/34 |pages=115-186 |naid=110004687902 |CRID=1050564288369460224}}</ref>(朝日新聞は「第2次世界大戦奴隷・強制労働賠償法」と表記<ref name="rou">朝日新聞1999年8月12日「日本の炭坑で「強制労働」、元米兵捕虜が4社に賠償請求」</ref>)いわゆる「ヘイデン法」を提案した<ref name="yamate2001"/>(法案番号SB1245「補償- 第二次世界大戦奴隷・強制労働」、法律216号「補償に関して民事訴訟法に第354条第6項<ref>原文 [http://www.gwu.edu/~memory/data/legislative/california/California%20Code%20of%20Civil%20Procedure%20section%20354.6.pdf] California Code of Civil Procedure section 354.6. ジョージ・ワシントン大学Memory & Reconciliation in the Asia - Pacific.</ref>を追加し、即時に発効さすべき緊急性を宣言する法律」<ref name="yamate2001"/><ref>戸塚悦朗「戦後補償問題に踏み込む米国- カリフォルニア州で戦時奴隷・強制労働補償請求の民事消滅時効延長立法」法学セミナー1999年10月号p73</ref>。)。同州法は1999年7月15日にカリフォルニア州議会両院で全会一致で可決、施行された<ref name="yamate2001"/>。この州法は1929年から1945年までの間のナチスドイツによる強制労働の被害者補償を目的としたもので、ナチスの同盟国であった日本の責任も追及できるとされた<ref name="rou"/>。提訴期限は2010年末で、それまでに提訴すれば[[時効]]は適用されない<ref name="sosyomai">毎日新聞1999年9月15日「<強制労働訴訟>ドイツや日本の戦争犯罪追及の動き」</ref>。
 
==== 対日非難決議 ====
[[ファイル:Mike Honda, 2006.jpg|thumb|マイク・ホンダ下院議員]]
ヘイデン法成立直後の8月には[[マイク・ホンダ]]下院議員<ref name="yamate2001"/>が、第二次世界大戦時の[[戦争犯罪]]について日本政府が公式謝罪と賠償を求める[[決議]]を提案、カリフォルニア州議会は採択した<ref name="sosyomai"/><ref>朝日新聞1999.8.27.</ref>。ホンダ議員が提案した「日本の戦争犯罪」とは、強制労働と多数の捕虜抑留者の死{{Efn|捕虜抑留者のうち、死亡者の数は約5万人と言われる。}}、多数の中国人の死傷者を出したとされる[[南京事件]]{{Efn|中国政府は、南京事件の犠牲者数を30万人と主張しているが、学会では、南京事件の犠牲者数を30万人とする説は、当時の南京市の人口などから、明らかに膨大であり、あり得ない数字と認定されている。また、南京事件の真偽や実情については資料の上で疑問が出され、様々な見解があり、今日でも研究が続いている。}}、慰安婦の強要を指す<ref name="yamate2001"/>。議会ではジョージ・ナカノ下院議員が「日本に対する古い敵意をあおることは、日系人に対する反発を駆り立てる」として反対し、また原爆投下は残虐行為ではないかとする緑の党議員に対して民主党議員は「原爆投下によって戦争終結をはやめ、多くの人命が救われた」と反論するなどした<ref name="yamate2001"/>。ホンダ議員とナカノ議員の対立は、日系アメリカ人社会の内紛ともなり、[[ダニエル・イノウエ]]上院議員がナカノ議員側を支持した<ref name="nakanohanntai">産経新聞2007.4.16.「慰安婦決議案「負の結果招く」…日系有力指導者、ナカノ氏反対」</ref>。マイク・ホンダ議員は中国系の[[反日]]団体の世界抗日戦争史実維護会から多額の献金を受領し緊密な連携をとっているとして、ナカノ議員はホンダ議員が対日非難活動を行う理由は「選挙キャンペーンでの政治献金の問題だ」と語っている<ref name="nakanohanntai"/>。なお、決議には法的拘束力はない<ref name="yamate2001"/>。
 
=== 慰安婦訴訟 ===
[[2000年]]9月18日、第二次世界大戦中に日本軍に慰安婦にさせられたとする在米中国人や韓国、フィリピン、台湾人女性ら計15人が、日本政府を相手取って損害賠償請求の集団訴訟を[[ワシントンD.C.|ワシントン]]連邦地方裁判所で起こした<ref name="sosyobei"/><ref name="yamate2002">{{Cite journal|和書|author=山手治之 |date=2002-07 |url=https://kyotogakuen.repo.nii.ac.jp/records/584 |title=第二次大戦時の強制労働に対する米国における対日企業訴訟について(続編)(2) |journal=京都学園法学 |ISSN=09164715 |publisher=京都学園大学法学会 |volume=38 |pages=28-92 |naid=110004687906 |CRID=1050845763346175488}}</ref>。
 
原告のなかにはアメリカ市民でないものも多かったが[[外国人不法行為請求権法]]に依拠した<ref name="yamate2002" /><ref name="byou" />。アメリカに限らず[[国際民事手続法|国際民事訴訟]]においては外国[[主権国家]]に対して[[主権免除]]の原則があり、外国の国家を裁くことはできない<ref name="sosyobei" /><ref name="byou" />が、[[アメリカ法]]の'''外国主権者免責法''' ([[:en:Foreign Sovereign Immunities Act|Foreign Sovereign Immunities Act]]; FSIA)<ref>または主権免除法。</ref>では国家の商業行為は例外とされており、元慰安婦ら原告側は「日本軍慰安婦制度には商業的要素もあった」として訴えをおこした<ref name="sosyobei" />。日本政府は「[[日本国との平和条約]]([[サンフランシスコ講和条約]])での国家間の合意で解決ずみ」としてワシントン地裁に訴えの却下を求めた<ref name="sosyobei" />。
 
<!--=== 連邦地方裁判所判決「ウォーカー判決」と米政府見解 ===
2000年9月21日、サンフランシスコ[[アメリカ合衆国連邦裁判所|連邦地方裁判所]]は「[[日本国との平和条約]]において請求権は決着済み」「追加賠償を求めることは同条約によって阻まれている」として元米兵や元連合軍人らの集団訴訟12件に対して請求棄却した<ref name="yamate2001"/>。集団訴訟の請求内容が[[日本国との平和条約]]に密接に関係するため、サンフランシスコ[[アメリカ合衆国連邦裁判所|連邦地方裁判所]]の{{仮リンク|ボーン・R・ウォーカー|en|Vaughn Walker}}判事が「アメリカの連邦法や条約に関わる訴訟は[[アメリカ合衆国連邦裁判所|連邦裁判所]]が裁判管轄権を有する」として27件を一括処理した<ref name="yamate2001"/>。ウォーカー判事は、元軍人による13件の訴訟については、連合国が対日賠償請求権を放棄した[[日本国との平和条約]]14条に抵触することは明白とし、さらに原告が[[日本国との平和条約]]26条について「日本は他の六カ国との協定で賠償責任を認める好条件を出したから、連合国国民も請求できる」と主張した件については「26条の適用請求を決定するのは条約の当事者である米国政府であって、原告個人ではない」と却下した<ref name="yamate2001"/>。他方、中国・韓国人・フィリピン人らの集団訴訟には他の争点があるため審理継続とされた<ref name="yamate2001"/>。
 
[[2000年]][[10月31日]]、米上院は「強制労働被害者と日本企業の賠償問題について政府は最善の努力をすべき」とする決議案<ref>Senate Concurrent Resolution 158</ref>を全会一致で可決した<ref name="yamate2001"/>。
 
[[2000年]][[12月13日]]の法廷でウォーカー連邦裁判事は5件を請求棄却し、これにより元軍人の請求はすべて棄却され、「戦後補償は平和条約で解決済み」とする日米両政府の立場が司法判断で確認された<ref name="yamate2001"/>。被告側のマーガレット・ファイファー弁護士は「フィリピンは平和条約を批准しており、賠償請求権はない」とし、条約締結国でない韓国と中国については日韓基本条約と日中共同声明が[[日本国との平和条約]]の枠内にあり、請求権は放棄されていると述べ、また米司法省代理人も「カリフォルニア州法それ自体が合衆国憲法に違反し、アメリカと日本、韓国、中国、フィリピンの国際関係を破壊するもの」と指摘した<ref name="yamate2001"/>。
 
[[ビル・クリントン|クリントン]]民主党政権下の米政府の意見書では
{{Quote|「平和条約は中国や韓国との賠償問題については二国間条約で解決するよう求め、日本はそれを果たした」<br />「こうした各条約の枠組みが崩れた場合、日本と米国および他国との関係に重大な結果をもたらす」}}
と明記された<ref name="yamate2001"/><ref>読売新聞2000.12.17.</ref>。
 
2001年5月、[[共和党 (アメリカ)|共和党]][[ジョージ・W・ブッシュ|ブッシュ]]政権下の[[アメリカ合衆国司法省|司法省]]はワシントン地裁に法廷助言([[アミカス・キュリエ]])を行い、「[[日本国との平和条約]]の解釈が論点となる訴訟の管轄権は連邦裁判所に属する」とし<ref name="yamate2001"/>、またアメリカ政府は外国主権者免責法にもとづき日本政府の要請を支持すると表明した<ref name="byou">[http://www.wcl.american.edu/journal/ilr/17/park.pdf] Byoungwook Park,Comfort Women during WWII:Are U.S.Courts a final Resort for Justice?,[[アメリカン大学]]Washington College of Law.2002年1月2日</ref>。2001年6月にはアメリカ上院司法委員会の公聴会で[[アメリカ合衆国国務省|国務省]]・[[アメリカ合衆国司法省|司法省]]ともに「訴訟は無効」とした<ref name="yamate2001"/><ref>産経新聞2001.9.12.</ref>。
 
2001年9月4日、元米兵が日本政府に1兆ドルの賠償金を請求して提訴<ref name="a010907">朝日新聞2001.9.7.</ref>。9月6日に、米国務省のバウチャー報道官が対日賠償請求運動について「平和条約で決着済み」と声明を出し<ref name="a010907"/>さらに8日にはパウエル国務長官が同見解を述べた<ref>読売新聞2001.9.10</ref>。
 
しかし、9月10日には米上院で、司法省と国務省が対日賠償訴訟に関して意見陳述を行うことを禁じる修正条項法案が可決した<ref>産経新聞2001.9.11.</ref>(提案者は共和党ボブ・スミス上院議員)。[[2001年]][[9月11日]]、[[アメリカ同時多発テロ事件]]が発生。10月には元駐日大使の[[トーマス・フォーリー]]、[[ウォルター・モンデール]]、[[マイケル・アマコスト]]が修正法案は「米国の安全保障に緊要な条約の破棄になりかねない法案」であり、「訴訟に根拠を与えるいかなる措置も平和条約の重要な条項に違反する」として、[[日本国との平和条約]]は米国の太平洋地域の安全保障の要石であり、またドイツは連合国と平和条約を締結しなかったが、日本はドイツと異なり明確に決着したこと、また元軍人には日本からの接収資産から一人3000ドル(2万3000ドル)の補償もすでに行われていると批判した<ref>ワシントン・ポスト。産経新聞2001.10.1.</ref>。11月20日、米国議会は上下両院で可決した修正法案を最終審議の議会両院協議会で抹消した<ref>産経新聞2001.11.21.</ref>。
 
2001年9月17日、米連邦裁ウォーカー判事は中国・韓国・フィリピン人による対日賠償請求訴訟について「フィリピンは平和条約を批准しており、賠償請求をできない」、中国・韓国人については「ヘイデン法が憲法違反であり、したがって訴訟も無効」と判決し、訴えを却下した<ref>朝日新聞2001.9.20.産経新聞9.21.</ref>。原告は控訴。
 
2001年10月4日、ワシントン米連邦地裁は慰安婦訴訟について日本側の主張を認め請求棄却<ref name="yamate2002"/><ref>Hwang Geum Joo v. Japan, 172 F. Supp. 2d 52 (D.C.D. 2001). 山手治之・香西茂編集代表『現代国際法における人権と平和の保障』(東信堂、2003年)</ref>。原告側は[[連邦巡回区控訴裁判所|D.C.巡回区控訴裁判所]](高裁)へ[[控訴]]。-->
 
=== 米最高裁判決 ===
[[2003年]][[1月15日]]にカリフォルニア[[州裁判所 (アメリカ合衆国)|州高裁]]は、1999年に施行された戦時中の強制労働への賠償請求を認めたカリフォルニア州法は合憲とした<ref name="renpoukosai"/>。
 
しかし、[[1月21日]]にサンフランシスコ[[アメリカ合衆国連邦裁判所|連邦高裁]]は
{{Quotation|「[[アメリカ合衆国憲法]]は[[外交権]]を連邦政府のみに与えており、戦後補償をめぐりカリフォルニア州が訴訟を起こす権利を州法でつくり出すことはできない<ref name="renpoukosai"/>」<br />「個人の賠償を解決するために裁判所を使うことは米国の外交権に反する<ref name="s030123">産経新聞2003.1.23.</ref>」}}
としてカリフォルニア州法のヘイデン法を[[憲法]]違反と司法判断し、日本企業への集団訴訟28件をすべて却下した<ref name="renpoukosai">[https://megalodon.jp/2013-0205-1721-43/www.47news.jp/CN/200301/CN2003012201000094.html] 共同通信2003.1.22.「強制労働の賠償請求は違憲 米連邦高裁 日本企業への訴え退ける」</ref><ref name="s030123"/>。
 
慰安婦訴訟についてワシントン[[連邦巡回区控訴裁判所|D.C.巡回区控訴裁判所]](高裁)が[[主権免除]]の商業活動例外は[[法の不遡及]]によって適用されないとして[[2003年]][[6月27日]]に一審判決を支持し棄却<ref>DC巡回区控訴審判決 (Hwang Geum Joo, et al. v. Japan, 332 F.3d 679; 2003 U.S. App. LEXIS 13185) (D.C. Cir., 2003)</ref>。[[2003年]][[10月6日]]、米国[[アメリカ合衆国連邦裁判所|連邦最高裁判所]]は上告棄却<ref>毎日新聞2003.10.7.</ref>。[[2004年]][[6月14日]]、米国[[アメリカ合衆国連邦裁判所|連邦最高裁判所]]は[[連邦巡回区控訴裁判所|ワシントン高裁]]へ差し戻す<ref>[http://page.freett.com/haruyamate/new_page_3-5.htm#米連邦最高裁、アジア人元慰安婦訴訟など4件控訴審に差戻し] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20141101162624/http://page.freett.com/haruyamate/new_page_3-5.htm|date=2014年11月1日}}山手治之HP(130)</ref>、[[2005年]][[6月28日]]、[[連邦巡回区控訴裁判所|ワシントン高裁]]は平和条約と請求権については司法府に審査権が付与されない政治的問題として一審判決を再び支持した<ref>[http://page.freett.com/haruyamate/new_page_3-1.htm 山手治之HP(154#)] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20141107230338/http://page.freett.com/haruyamate/new_page_3-1.htm |date=2014年11月7日 }}</ref>。原告側は最高裁へ再審請求し、[[2006年]][[2月21日]]にアメリカ[[合衆国最高裁判所]]は、却下の最終司法判断を下した<ref name="sosyobei">[[産経新聞]] 朝刊 国際面 2006年3月18日[[古森義久]]「米国での慰安婦訴訟の教訓」。[http://komoriy.iza.ne.jp/blog/entry/245122/ 古森義久「アメリカ最高裁は慰安婦の訴えを却下した」] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20130717054637/http://komoriy.iza.ne.jp/blog/entry/245122 |date=2013年7月17日 }}古森義久公式ブログ2007年7月25日記事。2013年2月5日閲覧([https://megalodon.jp/2013-0205-1504-28/komoriy.iza.ne.jp/blog/entry/245122/ web魚拓])。</ref><ref>[http://www.awf.or.jp/pdf/h0076.pdf アジア女性基金HP内] Congressional Research Service Memorandum「Japanese Military's Comfort Women」by Larry Niksch,US Congressional Research Service(米国議会調査部)10 April 2006。[[:s:en:Japanese Military's "Comfort Women" System#Comfort Women Suits in Japanese and U.S. Courts]]</ref><ref>[[産経新聞]] 朝刊 国際面 2006年3月18日</ref>。このアメリカ最高裁の判決によって米国の司法当局および裁判所が日本軍慰安婦案件については米国で裁くことはできなくなり、また米国で訴訟を起こすこともできなくなった<ref name="sosyobei"/>。これらの集団訴訟に際してアメリカ合衆国政府・国務省・司法省は一貫して「[[サンフランシスコ平和条約]]で解決済み」との日本政府と同じ立場を明言している<ref name="sosyobei"/>。ただし、[[立法府]](議会)はこの限りではない<ref name="sosyobei"/>ため、その後も下院などで非難[[決議]]が出されていく。
 
=== 日本への慰安婦に対する謝罪要求決議案提出 ===
{{main|アメリカ合衆国下院121号決議}}
[[2007年]]1月末にアメリカ[[民主党 (アメリカ合衆国)|民主党]]の[[マイク・ホンダ]] [[アメリカ合衆国下院|下院]]議員らが慰安婦問題に関する日本への謝罪要求決議案を提出した。過去にも同種の決議案は提出されていたが、いずれも廃案になっていた<ref name="refMK">[[マイク・ホンダ]]参照</ref>。2月15日の下院[[公聴会]]で、[[李容洙]]、[[金君子]]、[[ジャン・ラフ・オハーン]]の3人の元慰安婦が証言。2007年2月25日[[フジテレビ]]放送の『[[報道2001]]』でホンダ議員は「反日決議案ではなく和解を意識したもの」と述べた<ref name="refMK"/>。
 
==== 安倍発言 ====
[[安倍晋三]]首相は[[2006年]]の組閣後、2007年3月1日に「旧日本軍の強制性を裏付ける証言は存在していない」と発言<ref>[[2007年の政治]]参照。</ref><ref name="abeian">[https://megalodon.jp/2012-1203-1913-46/www.afpbb.com/article/1407058 AFPBBNews2007年3月11日「慰安婦問題の第一人者である吉見教授、安倍首相の発言に苦言 - 東京」]</ref>、3月5日には対日決議案は「客観的事実に基づいていない」と述べた<ref>[[#年表|年表]]参照。</ref>。安倍首相は他方で当時の慰安婦の経済状況について考慮すべきこと、斡旋業者が「事実上強制していたケースもあった。広義の解釈では強制性があった」とも発言した<ref name="abeian"/>。この安倍発言は国内外で大きな波紋を呼び、[[ワシントンポスト]]は「二枚舌」と批判した<ref name="ワシントンポスト2007年3月24日">[http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/03/23/AR2007032301640.html ワシントンポスト2007年3月24日][https://megalodon.jp/2012-1203-1926-30/www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2007/03/23/AR2007032301640.html web魚拓]</ref>。対日非難決議案の動きについて[[麻生太郎]][[外務大臣 (日本)|外務大臣]]は3月11日の[[フジテレビ]]番組で[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]、韓国、[[中華人民共和国|中国]]などによる日米離間(分断)の[[反日]]工作と指摘した<ref>時事ニュース」 2007/03/11-10:49</ref>。3月31日には元慰安婦へ補償を行なってきた[[アジア女性基金]]が解散。また[[アルジャジーラ]]は「アメリカ合衆国は日本と中国・韓国との間に問題を作り出そうとしている」と報じた<ref>{{cite news
|url = https://megalodon.jp/?url=http%3A%2F%2Fwww.aljazeera.com%2Fnews%2Fnewsfull.php%3Fnewid%3D17377&date=20070801185806
|title = “The U.S. wants to create trouble between Japan, China and Korea”
|newspaper = [[アルジャジーラ]]
|date = 2007-04-07
|accessdate = 2010-03-08
|language = 英語
|archiveurl = https://web.archive.org/web/20111219061416/https://megalodon.jp/?url=http%3A%2F%2Fwww.aljazeera.com%2Fnews%2Fnewsfull.php%3Fnewid%3D17377&date=20070801185806
|archivedate = 2011年12月19日
|deadlinkdate = 2017年10月
}}</ref>。
 
安倍内閣は、2007年3月16日付で、「河野談話をこれからも継承していく」としつつ、「官憲が家に押し入って人さらいのごとく連れて行くという強制性、狭義の強制性を裏付ける証言はなかった」とし、「政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述は見当たらなかった」とする政府答弁書を閣議決定した<ref>2013年5月14日 読売新聞</ref><ref>[http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b166110.htm 閣議決定] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20130516051306/http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b166110.htm |date=2013年5月16日 }}</ref>。また第二次安倍内閣においては、総裁選から衆議院選挙を経て一貫して「河野談話の見直し・改変」を唱えていたが<ref>産経ニュース「[http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121228/plc12122800060000-n2.htm 河野談話見直しを視野安倍首相、有識者会議を検討] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20130507072815/http://sankei.jp.msn.com/politics/news/121228/plc12122800060000-n2.htm |date=2013年5月7日 }}」</ref>、2013年5月24日、「安倍内閣の閣議決定は河野談話を引き継いでいる」と辻元清美の質問主意書には応えている<ref>[http://www.kiyomi.gr.jp/blogs/2013/05/24-943.html 辻元清美オフィシャルサイト:つじもとWEB]</ref><ref>[http://www.kiyomi.gr.jp/blogs/files/documents/20130524hodosiryo-ianhu.pdf 報道資料]</ref>。
 
[[2007年]]4月3日、米議会調査局報告書で日本軍は朝鮮半島での直接の徴集を行っていないこと、これまでに日本は謝罪や賠償努力を行なってきたことを指摘して、これ以上の賠償要求を行うことに疑問を呈した<ref>「組織的強制徴用なし」 慰安婦問題 米議会調査局が報告書(『[[産経新聞]]』2007年4月12日)</ref>。安倍首相は[[4月27日]]に初訪米し「私の真意が正しく伝わっていない」と、また慰安婦が当時苦しい状況にあったことに「心から同情する」と述べた。前日の4月26日には[[ワシントン・ポスト]]に[[在米韓国人]]団体が「日本は全面的な責任をとったことは一度もない」と[[意見広告]]を掲載していた。
 
=== 米国下院121号決議 ===
{{main|アメリカ合衆国下院121号決議}}
[[2007年]]6月26日[[アメリカ合衆国下院外交委員会]]で、旧日本軍の慰安婦制度を[[人身売買]]による[[性的奴隷|性奴隷]]であるとした[[アメリカ合衆国下院121号決議]]が可決(賛成39票、反対2票)。続く7月30日、米[[アメリカ合衆国下院|下院]]本会議で[[ナンシー・ペロシ]]下院議長のもと可決した。下院121号決議では日本軍慰安婦制度を「かつてないほどの残酷さと規模であった[[20世紀]]最大の人身売買の1つ」とし、「[[性奴隷]]にされた慰安婦とされる女性達への公式な謝罪、歴史的責任、あらゆる異論に対する明確な論破及び将来の世代にわたっての教育をすることを日本政府に要求する」と明記された。これに対し、日本では[[読売新聞]]、[[日本経済新聞]]、[[産経新聞]]、[[毎日新聞]]が米下院決議を批判し、[[朝日新聞]]は社説で[[安倍晋三|安倍首相]]は[[河野談話]]と同様の談話を出すべきと報じた<ref>2007年8月1日社説。{{cite news
| url = https://www.j-cast.com/2007/08/01009899.html?p=all
| title = 慰安婦決議で新聞「猛反発」 朝日社説だけが「孤立」
| newspaper = J-CASTニュース
| date = 2007-08-01
| accessdate = 2010-04-13
}}</ref>。日本政府は反論も抗議もせずに、安倍首相も「残念だ」とコメントするにとどまったが<ref name="canad"/>、この米国下院での決議以降、カナダ、ヨーロッパ、アジアでも対日謝罪決議が続いた。
 
また、[[2009年]]9月、米下院外交委員会は対日謝罪要求決議を[[国連]]でも採択するよう働きかけている<ref>{{cite news
| url = http://japanese.yonhapnews.co.kr/Politics2/2009/09/02/0900000000AJP20090902003800882.HTML
| title = 慰安婦決議案国連に上程を、米下院外交委小委員長
| newspaper = 聯合ニュース
| date = 2009-09-02
| accessdate = 2010-03-08
}}</ref>。
 
=== 韓国系・中国系住民によるロビー活動 ===
==== 在米韓国人のロビー活動と政治資金提供 ====
対日謝罪要求決議の採択は、[[在米韓国人]]によって全米各地に慰安婦謝罪決議案採択のための汎対策委員会が設立され、対日謝罪要求決議が可決されるよう[[韓国系アメリカ人]]による[[アメリカ下院議員]]へのロビー活動の結果だった<ref name="mindan20070829">{{cite news
| url = http://www.mindan.org/search_view.php?mode=news&id=8564
| title = <民論団論>目をそらすな「慰安婦」問題 米下院決議案採択の意味と課題 国際世論の日本政府指弾続く
| newspaper = [[民団新聞]]
| publisher = [[在日本大韓民国民団]]
| author = [[韓国挺身隊問題対策協議会]]常任代表ユン・ミヒャン
| date = 2007-08-29
| accessdate = 2010-02-25
}}{{リンク切れ|date=2017年1月}}</ref>。日本政府も採択阻止のため4200万円かけてロビー活動を展開したが、失敗した<ref name="sankei20090829">{{cite news
|url = https://web.archive.org/web/20090901035435/http://sankei.jp.msn.com/world/america/090829/amr0908292151008-n1.htm
|title = 慰安婦決議阻止へ4200万円 日本政府 米ロビー会社に支払う
|newspaper = [[産経新聞]]
|date = 2009-08-29
|accessdate = 2010-03-07
|archiveurl = https://web.archive.org/web/20090901035435/http://sankei.jp.msn.com/world/america/090829/amr0908292151008-n1.htm
|archivedate = 2009年9月1日
|deadlinkdate = 2017年10月
}}</ref>。在米韓国人による米国議員への政治後援金は2007年から2011年までで総額300万ドルにおよび、政党別では民主党へ179万7155ドル、共和党へ114万8597ドルで、年度別では2007年に70万4669ドル、2008年に101万2195ドル、2009年に86万4099ドル、2010年に36万4789ドルであった<ref name="koreatimes"/>。議員別では[[マイク・ホンダ]]が米国議員のなかで最も多額である13万9,154ドルの政治資金を集めた<ref name="koreatimes">[http://www.koreatimes.com/article/642310 뉴욕시 출마자에 108만달러] The Korea Times,2011年2月4日 [https://megalodon.jp/2012-1205-1435-38/www.koreatimes.com/article/642310 web魚拓]</ref>。
 
==== 在外中国人団体・世界抗日戦争史実維護連合会のロビー活動 ====
[[マイク・ホンダ]]議員は在米中国人の[[反日]]団体の[[世界抗日戦争史実維護連合会]]([[抗日連合会]]、Global Alliance for Preserving the History of WW II in Asia<ref>[http://www.global-alliance.net/ 公式サイト]</ref>)からも政治資金の提供を受けている<ref name="naka">[[中西輝政]]「ホワイト・プロパガンダで対抗しなければ対日一兆ドル訴訟が動き出す」SAPIO2007年5月9日 {{要ページ番号|date=2013-06-06}}</ref><ref name="kawazoe">[[河添恵子]]『豹変した中国人がアメリカをボロボロにした』産経新聞出版2011年,pp71-4</ref><ref>[[櫻井よしこ]]『異形の大国 中国』新潮文庫2008年 {{要ページ番号|date=2013-06-06}}</ref>。抗日連合会の本部は米国[[カリフォルニア州]]クパナティノで、ホンダ議員の選挙区内である<ref name="canad"/>。その対日戦略の基本方針はアジアでの中国の覇権を確保するために日本の力を何があっても阻止するというもの<ref name="naka"/>で、公式サイトでも「過去を忘却する民族がその過ちを今後繰り返すたびに、そのつど非難されねばならない」等と明記されている<ref>[http://www.global-alliance.net/ 公式サイト] ミッション(使命)</ref>。同団体は1997年に[[アイリス・チャン]]の『レイプ・オブ・南京』の宣伝と販売促進<ref name="kawazoe"/>、2005年には日本の国連安保理常任理事国入りに反対するために全世界で数千万人の署名を集めたり<ref name="kawazoe"/>、日本国内でも憲法9条改正の阻止<ref name="naka"/>、慰安婦問題・南京事件・靖国神社問題などで[[戦争責任]]を繰り返し日本に叩きつけ、また米国をはじめとする世界各国での[[反日]][[プロパガンダ]]によって日米分断させ、日本の孤立化と弱体化をめざす<ref name="naka"/>。2002年2月には上海で中国政府が開催した「第2次世界大戦の補償問題に関する国際法律会議」にも参加しており、中国政府との連携も指摘されている<ref name="naka"/>。カナダでも抗日連合会支部が活動し、対日謝罪決議が採択された<ref name="canad"/>(後述)。
 
下院決議採択直後の2007年8月末には[[マイク・ホンダ]]議員が中国系アメリカ人[[ノーマン・シュー]]から資金提供を受けていたことが発覚し、謝罪した<ref>[http://www.nytimes.com/2007/08/30/us/politics/30bundler.html 「Clinton Donor Under a Cloud in Fraud Case」August 30, 2007,New York Times]</ref>。
 
米国での採択を受けて[[韓国挺身隊問題対策協議会|挺対協]]は対日謝罪要求決議が各国でもなされるよう運動し<ref name="mindan20070829"/>、[[在日本大韓民国民団|民団]]機関誌「民団新聞」も[[8月29日]]記事で日本への謝罪要求決議がアメリカに続けて世界各国で決議されるように活動することを呼びかけた<ref name="mindan20070829"/>。2007年[[9月20日]]に[[オーストラリア上院慰安婦問題和解提言決議|オーストラリア上院]]、[[11月20日]]に[[オランダ下院慰安婦問題謝罪要求決議|オランダ下院]]、[[11月28日]]に[[カナダ下院慰安婦問題謝罪要求決議|カナダ下院]]で対日謝罪決議が採択された。
 
==== 世界抗日戦争史実維護連合会カナダ支部のロビー活動 ====
カナダの決議案では「日本政府は日本軍のための『慰安婦』の性的な奴隷化や人身売買は実在しなかったとするような主張は明確かつ公的に否定していくこと」と明記された<ref name="canad"/>。カナダで対日謝罪決議を推進したのは野党の新民主党の中国系女性議員オリビア・チョウ(鄒至蕙)で<ref name="canad"/>、またカナダには[[世界抗日戦争史実維護連合会]]の支部[[カナダALPHA]](第二次世界大戦アジア史保存カナダ連合)が[[ロビー活動]]を持続的に行なっており2005年にはカナダの教科書に南京事件がユダヤのホロコーストに並んで記載され、この対日決議案も推進した<ref name="canad">[http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/i/63/index3.html] 古森義久コラム「外交弱小国・日本の安全保障を考える」第63回「慰安婦決議、カナダやオランダも 〜やまない日本糾弾」日経BPネット2007年12月4日(全6ページ、カナダALPHAについては特にp3 - p6参照 [http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/i/63/index2.html p3](魚拓 [https://megalodon.jp/2012-1205-1712-25/www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/i/63/index2.html p3], [https://megalodon.jp/2012-1205-1536-20/www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/i/63/index3.html p4], [https://megalodon.jp/2012-1205-1637-41/www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/i/63/index4.html p5], [https://megalodon.jp/2012-1205-1638-41/www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/i/63/index5.html p6]))。</ref>。カナダでの決議採択は2007年3月27日に国際人権小委員会で賛成4票、反対3票で可決、次にカナダ下院外交委員会で5月10日に審議されたがカナダ保守党議員らが「日本への内政干渉だ」「日本はすでに謝罪している」と反対、再調査として差し戻された<ref name="canad"/>。以降、カナダALPHAの活動は過激化し、カナダ全土の中国系住民をはじめ韓国系・日系住民を動員し、トロントALPHA、ブリティッシュコロンビアALPHAなどの組織を編成、セミナーや[[ロビー活動]]を展開した<ref name="canad"/>。
 
2007年10月4日から6日まで米国ロスアンジェルスで開催された[[抗日連合会]]主催の日本糾弾国際会議<ref name="canad"/>でエニ・ファレオマバエンガ米国下院議員が「今後は女性の弾圧や人権の抑圧に関して、日本の慰安婦問題から次元を高めて、国際的な条約や協定の違反行為へと監視の視線を向けていくべきだ。日本ばかりを糾弾しても意味がない。日本にいまさら慰安婦問題などで賠償を払わせることはできない」と主張したが、カナダALPHA議長セルカ・リットは「日本国民の意識を高めるために日本政府を非難し続けることの方が必要」と反論、同会議の声明では日本のみを対象とした謝罪賠償が要求された<ref name="canad"/>。
 
2007年[[12月13日]]に[[欧州連合|EU]]の欧州議会本会議でも対日謝罪決議が採択された<ref>{{cite news
| url = https://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-12-15/2007121507_01_0.html
| title = 欧州も「慰安婦」決議 日本政府に公式謝罪要求
| newspaper = [[しんぶん赤旗]]
| date = 2007-12-15
| accessdate = 2010-03-08
}}</ref>。翌[[2008年]][[3月11日]]に[[フィリピン]]下院外交委<ref>[http://ajwrc.org/jp/modules/bulletin/index.php?page=article&storyid=266 フィリピン下院外交委で「慰安婦」決議を採択]</ref>、[[10月27日]]に[[韓国国会]]は[[謝罪]]と賠償、[[歴史教科書]]記載などを求める決議採択<ref name="sankei20081027">{{cite news
|url = https://web.archive.org/web/20081031003643/http://sankei.jp.msn.com/world/korea/081027/kor0810271309001-n1.htm
|title = 韓国国会が慰安婦問題めぐり決議、日本に謝罪などを要求
|newspaper = 産経新聞
|date = 2008-10-27
|accessdate = 2010-03-08
|archiveurl = https://web.archive.org/web/20090211001449/http://sankei.jp.msn.com/world/korea/081027/kor0810271309001-n1.htm
|archivedate = 2009年2月11日
|deadlinkdate = 2017年10月
}}</ref>、[[11月11日]]に[[台湾]]の立法院(国会)が日本政府による公式謝罪と被害者への賠償を求める決議案を全会一致で採択する<ref>[http://ajwrc.org/jp/modules/bulletin/index.php?page=article&storyid=402 台湾でも「慰安婦」決議を採択]</ref>など、[[サンフランシスコ講和条約]]締結国<ref>[http://www.taiwandocuments.org/sanfrancisco01.htm Treaty of Peace with Japan] Taiwan Documents Project</ref>を多く含む国から日本のみを対象とする決議が次々に出された。
 
これらの対日決議を採択した国には[[朝鮮戦争]]に国連軍として参加した国も含まれ<ref>[http://www.kwva.org/brief_account_of_the_korean_war.htm A BRIEF ACCOUNT OF THE KOREAN WAR] Korean War Veterans Association</ref>、それらの国は戦時中に韓国の慰安所を利用していた<ref>大韓民国軍慰安婦参照</ref>。[[古森義久]]や[[渡部昇一]]は[[極東国際軍事裁判|東京裁判]]や[[日本国との平和条約|サンフランシスコ講和条約]]で日本軍の[[戦争責任]]や賠償は終わっており、講和条約以前のことを持ち出すことは[[国際法]]違反と批判している<ref name="nikkeibpfurumori">[http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/i/44/ なぜ今? 慰安婦問題が浮上する米国を読み解く 国際問題評論家古森義久氏] [[日経BP|日経BP社]] 2007年3月16日</ref><ref name="watanabeshoichi">[http://www.ianfu.net/opinion/watanabe-shoichi.html 渡部昇一の考える、いわゆる慰安婦問題について] [[ワック・マガジンズ]]</ref>。
 
2009年8月には韓国江原道知事の招待で[[マイク・ホンダ]][[アメリカ合衆国下院|米下院]]議員が訪韓し、江原大学名誉博士号を受けたり韓国の[[ナヌムの家]]を訪れた<ref>{{cite news
| url = https://japanese.joins.com/JArticle/119169
| title = ホンダ米下院議員が元慰安婦女性を訪問
| newspaper = 中央日報
| date = 2009-08-13
| accessdate = 2010-03-08
}}</ref><ref>{{cite news
| url = http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2009/08/13/0200000000AJP20090813001900882.HTML
| title = ホンダ米議員「過去史に対する日本の謝罪は不十分」
| newspaper = 聯合ニュース
| date = 2009-08-13
| accessdate = 2010-03-08
}}</ref>。また韓国外務省はホンダ議員の対日行動に感謝の意を表明するとともに[[自由貿易協定|FTA]]批准の協力を求めた<ref>{{cite news
| url = http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2009/08/11/0200000000AJP20090811004600882.HTML
| title = 柳外交通商部長官、訪韓中のホンダ米下院議員と面談
| newspaper = 聯合ニュース
| date = 2009-08-11
| accessdate = 2010-03-08
}}</ref>。
 
日本国内では2010年頃より、[[在日特権を許さない市民の会]]や[[主権回復を目指す会]]などの「保守系住民団体<ref name="sankei20100407">{{cite news
|url = http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/100407/crm1004072311030-n1.htm
|title = JR大阪駅前歩道橋で慰安婦支援団体と保守系住民団体が“衝突”
|newspaper = 産経新聞
|date = 2010-04-07
|accessdate = 2010-04-16
|archiveurl = https://web.archive.org/web/20100410110528/http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/100407/crm1004072311030-n1.htm
|archivedate = 2010年4月10日
|deadlinkdate = 2017年10月
}}</ref>」は、「日本軍の従軍慰安婦への謝罪と補償」を要求している団体と激しく対立している<ref name="sankei20100407"/>。
 
== 「慰安婦問題」の政治的な背景 ==
=== 韓国による政治的利用 ===
{{誰範囲2|自国にも慰安婦が存在したにもかかわらず日本のケースのみを韓国(韓国軍がベトナム戦争時に現地女性を多数強姦し、私生児を残したことが社会問題になった)<ref name="seiron200503">『正論』2005年3月号 {{要ページ番号|date=2013-06-07}}</ref>や中国が殊更取り上げることについては、政治的なカードとして利用する[[プロパガンダ]]であるとの主張もある|date=2018年7月}}<ref name="seiron200503" /><ref>「日豪安保宣言が中国『慰安婦カード』を無効にする」 [[浅川晃広]](『[[諸君!]]』2007年6月号) {{要ページ番号|date=2013-06-07}}</ref>。また{{誰範囲2|日本に対する道徳的優位を誇示することで得られる[[ナショナリズム]]的な「民族的快感」のために韓国は慰安婦問題を[[国際社会]]において利用しているとする見方もある|date=2018年7月}}<ref>「[http://www.sankei.co.jp/kokusai/usa/070314/usa070314000.htm 民族的快感、沸く韓国 米の慰安婦決議案 ホンダ議員、英雄扱い]{{リンク切れ|date=2017年1月}}」(『Sankeiweb』 2007/03/14 03:24)は日本に対する道徳的優位を誇示するために韓国は慰安婦問題を日本の国家的強制によるものとすることに力を注いできていると指摘している。</ref>。
 
[[アジア女性基金]]の[[大久保昭]]も「1990年代の韓国では、慰安婦問題は建国以来一貫して世論の底流をなす反日ナショナリズムの象徴となり、聖化された」「挺体協は90年代韓国のヒロインだった」と述べている<ref name="『慰安婦問題とは何だったのか』中公新書,2007,p62" />。
 
[[韓国系アメリカ人]]の研究者で[[サンフランシスコ州立大学]]教授のサラ・ソー (C. Sarah Soh) は2009年の著書で、慰安婦を「性奴隷」や戦争犯罪とむすびつけて描写するのは不正確であるとしたうえで、韓国政府と韓国議会が日本軍慰安婦問題を[[扇情主義|扇情的]]に扱い、異論を許さないまま「日帝による被害の物語」を国民に押し付け、誤導したと批判している<ref name="sarah">Chunghee Sarah Soh:The Comfort Woman (University of Chicago Press, 2009)。[https://megalodon.jp/2013-0131-0837-47/www.japantimes.co.jp/culture/2009/05/10/books/continuing-controversy-of-comfort-women/] JEFF KINGSTON,Continuing controversy of 'comfort women,May10,2009.(同書ジャパンタイムズ書評)</ref>。ソー教授は「慰安婦が強制連行された」という物語は陳腐な教義<ref>shibboleth</ref>であり、韓国政府の政治戦略的な誇張が慰安婦問題の深い理解とその解決を妨害しているとして、韓国社会が[[被害者]]意識から脱却すること、また韓国もまた元慰安婦に[[トラウマ]]を与えた共犯者であり、慰安婦制度それ自体は[[戦争犯罪]]ではなかったことを受け入れるべきだとした<ref name="sarah" />。[[テンプル大学]]のジェフリー・キングストン教授はこの本について、勇気あるこの著書は慰安婦問題への理解を深めるものであり、また日本と韓国の[[和解]]を期待させると評した<ref name="sarah" />。
 
==== 北朝鮮の関与 ====
コリア国際研究所所長の[[朴斗鎭]]は、従北政権と北朝鮮によるプロパガンダで韓日分断を目的としていると述べている<ref name="youtube.com"/>。
 
==== 日韓基本条約「無効」論 ====
* 日本政府は[[日韓基本条約]]および[[日韓請求権並びに経済協力協定]]で日韓の戦時中の補償問題は解決を見ているとの立場を一貫している。
*しかし、2009年1月27日、法改正推進国会の[[金映宣]]政務委員長は「[[日帝下日本軍慰安婦被害者に対する生活安定支援および記念事業等に関する法律]]」<ref name="nichibenren">{{Cite web|和書|url=http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/kokusai/humanrights_library/sengohosho/horei_08.pdf|title=日帝下日本軍慰安婦被害者に対する生活安定支援及び記念事業に関する法律|author=日弁連|format=PDF|accessdate=2015-08-14}}</ref><ref name="ianfuhigaishahou">略称:慰安婦被害者法。{{Cite web|url=http://www.law.go.kr/lsInfoP.do?lsiSeq=98626#0000|title=일제하 일본군위안부 피해자에 대한 생활안정지원 및 기념사업 등에 관한 법률|author=大韓民国法務部|accessdate=2015-08-14}}</ref>改正案を国会に提出した際、日韓基本条約については無効と主張した<ref>「元慰安婦の損害賠償請求権譲渡を可能に、法改正推進」聯合ニュース2009-01-27</ref>。2011年8月16日には、韓国で「[[日韓協定無効化のための国民行動]]」準備委員会が発足し、同団体は「日韓基本条約は無効」と主張し、韓国政府に日韓基本条約の破棄とその無効性を認めるよう働きかけるとしている<ref>[https://news.livedoor.com/article/detail/5789740/ 「日韓基本条約は無効」、国民行動を呼び掛ける委員会が発足―韓国] Livedoor news2011年8月17日</ref>。
2017年11月、8月14日を「日本軍慰安婦被害者追悼の日」として国家記念日に定め、翌年に[[忠清南道]][[天安市]]で政府主催の式典を開催し、文在寅大統領、鄭鉉栢女性家族部長官らが参加した<ref>[https://dl.ndl.go.jp/view/download/digidepo_11179154_po_02770214.pdf?contentNo=1 国立国会図書館 【韓国】慰安婦問題をめぐる韓国側の最近の動向 関西館アジア情報課 田中 福太郎]</ref>。
 
=== 日本の運動家による工作 ===
「河野談話」発表に関わった当時、内閣官房副長官だった[[石原信雄]]は、国会議員との会合において、初期の段階では韓国政府が慰安婦問題をあおるということはなく、むしろこの問題をあまり問題にしたくないような雰囲気を感じたが、ある日本の弁護士が韓国で慰安婦問題を掘り起こして大きくし、それに呼応する形で国会で質問を行うという連携プレーのようなことがあり「韓国政府としてもそう言われちゃうと放っておけない」という状況があったと語っている<ref name="kyoukasyohenogimon">日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会(編)『歴史教科書への疑問』[[展転社]] 1997年12月23日、p314</ref>。韓国の[[盧泰愚]]大統領も、慰安婦問題の発生について「日本の言論機関の方がこの問題を提起し、我が国の国民の反日感情を焚きつけ、国民を憤激させてしまいました。」と語っている<ref>『[[文藝春秋 (雑誌)|文藝春秋]]』1993年3月号 {{要ページ番号|date=2013-06-07}}</ref>。
 
== 韓国運動団体による和解拒否 ==
{{see also |女性のためのアジア平和国民基金|慰安婦問題日韓合意|日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯}}
日本政府が主導した[[女性のためのアジア平和国民基金|アジア女性基金]]が償い金を給付すると発表し、[[1997年]]1月から韓国人、フィリピン人など計285名の元慰安婦に対し、一人当たり200万円の「償い金」を受給を開始した<ref name="asahi20020220">{{cite news|url=http://www.asahi.com/national/update/0220/018.html|title=韓国での慰安婦基金、受給拒まれたまま事業終了へ|newspaper=[[朝日新聞]]|date=2002-02-20|accessdate=2010-03-08|archiveurl=https://web.archive.org/web/20020224032420/http://www.asahi.com/national/update/0220/018.html|archivedate=2002年2月24日}}</ref>。韓国政府は当初は日本政府・アジア女性基金による償い金給付を歓迎した。しかし、[[日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯|韓国挺身隊問題対策協議会]]の反対を受けて、韓国政府もアジア女性基金からの給付を拒否する一方、日本からの償い金を受けとらないと誓約した元日本軍慰安婦には生活支援金を支給し、韓国政府認定日本軍慰安婦207人のうち、アジア女性基金から受給した元慰安婦や既に死去したものを除く142人に生活支援金の支給を実施した<ref name="asahi20020220" /><ref name="Former sex workers in fight for compensation" /><ref name="awfkorea" />。
 
償い金給付に先立つ[[1996年]]10月、アジア女性基金に反対する「強制連行された日本軍『慰安婦』問題解決のための市民連帯」が韓国で結成され、独自の募金活動を行う<ref name="usuki">[http://www.zephyr.dti.ne.jp/~kj8899/teitai_kai.html 臼杵敬子「「基金」受け取り7人を差別した 韓国「市民連帯」の人権感覚を疑う」1997.6.1「ハッキリニュース」NO.55] [http://www.zephyr.dti.ne.jp/~kj8899/hakkiri-kai.main.html 日本の戦後責任をハッキリさせる会] HP内2012年11月2日閲覧。[https://megalodon.jp/2012-1102-0258-37/www.zephyr.dti.ne.jp/~kj8899/teitai_kai.html web魚拓]</ref>。
 
1997年5月28日、同市民連帯は目標の約30億ウォン(約4億円)には及ばなかったが、日本の[[市民運動]]から9731万ウォン(約1500万円)、全体で5億5000万ウォンの募金が集まったとして、必要経費を除き、一人当たり約350万ウォン(約46万6000円)を元慰安婦151人に配布すると発表した<ref name="usuki" />。しかし、「日本からの一時金200万円と医療福祉事業としての300万円の計500万円を受け取った7人の元「慰安婦」に対しては配布しない」とした<ref name="usuki" />。さらに、他の運動関係者らが償い金を受け取った7人の慰安婦に対して「いくら受け取った?」「通帳を見せろ!」と脅迫したり、「日本からの汚れた金を受け取れば、本当の娼婦になる。7人は娼婦だ!」と中傷したり、韓国政府の生活援助金を7人に対し打ち切るように働きかけた<ref name="usuki" /><ref>挺身隊問題対策活動便り11号 {{要ページ番号|date=2013-06-07}}</ref>。
 
挺対協の[[尹貞玉]]は「一部の人たちは、ハルモニたちが日本の募金を受け取ろうとするのをなぜ挺対協は邪魔するのかと言っているが、糖尿病にかかった夫が甘いものを食べようとすれば、涙をのんでもこれを止めさせるのが愛する妻のつとめである。ハルモニたちが、民族の自尊心と尊厳を日本に売り渡すことのないよう我々はハルモニたちを支えねばならない。」と弁明した<ref name="usuki" />。
 
こうした日本からの償い金を受け取った慰安婦に対する[[差別]]や嫌がらせなどの行動について、日本の支援団体「日本の戦後責任をハッキリさせる会」の[[臼杵敬子]]は、「あらゆる活動、行事から7人を疎外する韓国運動体の制裁は、被害当事者の人権を無視した行動で慰安婦被害者をさらなる被害者とするもの」として批判し、75歳前後の高齢の被害者に対し、深い人権的な配慮を持つべきで、当事者が選択する意思が尊重されるべきだと主張した<ref name="usuki" />。臼杵敬子は、アジア女性基金への考え方が違うとの理由から、挺対協が韓国政府に働き掛けて1997年に入国拒否指定させている<ref>{{Cite web|和書|title=「韓国政府からあなたを入国禁止に、と電話が」慰安婦支援30年の日本人をハメた挺対協の謀略|url=https://bunshun.jp/articles/-/38627|website=文春オンライン|accessdate=2020-07-08|author=赤石晋一郎|publisher=[[文藝春秋]]}}</ref>。
 
また[[アジア女性基金]]の[[大沼保昭]]も、もともと多様であった被害者のなかにも「お金がほしい」という者も多数いたのであり、「そうした被害者の声が、過剰に倫理主義的な支援団体、NGO、メディアによってつくられた世論によって抑圧されていた」として、日本の歴代首相の謝罪手紙やアジア女性基金の償い事業に感謝した元慰安婦もおり、そのような被害者を「ありえない」と主張するのであれば「それは自分の被害者像を唯一の被害者像とする傲慢というもの」ではないかと批判した<ref>『慰安婦問題とは何だったのか』中公新書,2007,p90-91</ref>。
 
=== 韓国運動団体の補償金詐欺 ===
2011年5月、韓国[[ソウル地方警察庁|ソウル市警察]]は、[[太平洋戦争犠牲者遺族会]]や[[民間請求権訴訟団]]などの団体幹部39名を[[詐欺]]の容疑で摘発した<ref name="sagi">産経新聞2011年5月9日 「「日本から補償金」3万人だました反日団体幹部ら摘発、遺族会長にも容疑」[[黒田勝弘]]記事。</ref>。摘発された団体は慰安婦問題や[[強制連行]]問題について活動してきた[[反日]]団体で、日本政府から補償金を受け取ってやるといって弁護士費用などの名目で会費15億ウォン(約1億2千万円)をだまし取っており、被害者は3万人に上った<ref name="sagi" />。
 
ソウル市警察の発表によれば[[梁順任]]太平洋戦争犠牲者遺族会会長は各種団体への会員を募集する際に「'''動員犠牲者でなくても当時を生きた者なら誰でも補償を受け取れる'''」といって[[勧誘]]していた<ref name="sagi" />。また会員を集めてきた場合には手当を支払うなどしていた<ref name="sagi" />。
 
この梁順任会長は、[[1991年]][[8月11日]]に「女子挺身隊の名で戦場に連行され」と[[朝日新聞]]紙面で誤報記事を執筆した記者[[植村隆]]の義母でもある<ref>{{Harvnb|西岡力|2007|pp=52-53}}</ref>。
 
<small>(本項[[#日韓メディアによる報道]]、[[慰安婦#日本軍の慰安婦]]も参照)</small>
 
=== 支援団体代表の政界進出と告発 ===
[[2020年]]4月、慰安婦支援団体の[[日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯]]代表[[尹美香]]が韓国の第21代総選挙に与党の[[共に民主党]]から比例で出馬し当選、政界に進出した。しかし、2020年5月7日に30年間に彼女らの活動に元慰安婦の一人として参加し続けていた[[李容洙]]は慰安婦支援団体やその関連組織に利用だけされていたことを告発。更に「募金集め目的の水曜集会なくすべき」「寄付金・基金などが集まれば慰安婦らに使うべきだが、使われたことがない」「もう二度と慰安婦団体と関わらない」と批判した<ref>{{Cite news|url=https://www.sankei.com/article/20200508-ENVZAYGAHZOGNDFPTFUCFGNMHI/|title=「日本大使館前の集会は憎悪煽る」韓国元慰安婦が慰安婦支援団体などを強く批判|newspaper=産経新聞|date=2020-05-08|accessdate=2020-07-08}}</ref>。[[李容洙]]の告発以降、支援団体の過去の不正会計疑惑や、前代表に対する各種疑惑が次々と報じられ、韓国内で波紋を広げている。
 
== 慰安婦像・慰安婦の碑 ==
[[ファイル:Japanese Embassy in Seoul and watched from behind a bronze statue of comfort women.JPG|thumb|ソウルの日本大使館前に設置された慰安婦像。正面の建物が日本大使館。]]
{{main|慰安婦像|慰安婦の碑}}
[[日本の慰安婦|旧日本軍慰慰安婦]]に関する[[石碑]]や像が、韓国、中国、台湾、日本、フィリピンに設置されている他、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]、[[カナダ]]、[[オーストラリア]]、[[ドイツ]]では、韓国韓国系や中国系住民が多い地域を中心に、それらの団体や勢力により設置されている。特に韓国では、慰安婦問題を追及する民間団体である[[韓国挺身隊問題対策協議会]]が中心となり50体以上の慰安婦像を設置しており、[[ソウル特別市|ソウル]]の[[日本大使館]]前や[[釜山広域市|釜山]]の日本総領事館前の慰安婦像は、日韓の外交問題に発展している。
日本では、「[[性奴隷]]」や「20万人以上の慰安婦」など事実にそぐわない碑文や像の設置に抗議している。
 
== その他の近年の動向 ==
<!--テーマ・問題ごとに記載しないと非常に読みにくくなるので、単独節にするほどのものではないものは、できる限り[[慰安婦の年表]]への記載をお願いします。-->
{{see also|慰安婦の年表}}
[[2012年]][[8月14日]]には李明博大統領によって天皇に謝罪を求める発言が行われた([[李明博による天皇謝罪要求]])。
 
[[2013年]][[1月16日]]、ニューヨーク州議会でトニー・アベラ上院議員らが「日本軍慰安婦は[[人道に対する罪]]で20世紀最大の人身売買」と断定し、日本に謝罪を求める決議案を提出<ref>産経新聞2013.1.17.「日本政府に謝罪要求 慰安婦でNY州決議案「最大規模の人身売買だ」</ref>、[[2013年]][[1月29日]]に上院で採択された<ref>産経新聞2013.1.30「慰安婦は「人道への罪」 NY上院が決議採択」</ref>。
 
2013年5月13日に[[橋下徹]]大阪市長が「歴史をひもといたら、いろんな戦争で、勝った側が負けた側をレイプするだのなんだのっていうのは、山ほどある。そういうのを抑えていくためには、一定の慰安婦みたいな制度が必要だったのも厳然たる事実だ」などと慰安婦問題について発言し、日本、韓国、アメリカなどで話題になった([[橋下徹#慰安婦問題について]]参照)
 
同年5月14日、読売新聞は、朝日新聞が1992年1月に報じた、[[女子挺身隊]]制度を「慰安婦狩り」とする[[誤報]]を含む、「日本軍が慰安所の設置や、従軍慰安婦の募集を監督、統制していた」との記事を発端とし、さらにその後、河野談話(謝罪)が曲解されたことで、日韓間の外交問題に発展したとする見解を示した<ref>[https://web.archive.org/web/20130514054646/http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20130514-OYT1T00220.htm 従軍慰安婦問題、河野談話で曲解広まる]{{リンク切れ|date=2017年1月}} - 読売新聞 2013年5月14日09時08分版</ref>。
 
2015年12月28日の日本と韓国の合意について、12月29日に台湾の外交部長が記者会見し、台湾とも協議に応じるよう日本に要求した<ref>{{Cite web|和書|date=2015-12-29 |url=http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151229/k10010356361000.html |title=台湾が慰安婦問題で「日本に協議要求」 |publisher=NHKニュース |accessdate=2015-12-31 |url-status=dead|url-status-date=2017-10 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20151231040900/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20151229/k10010356361000.html |archivedate=2015-12-31 }}</ref>。
 
2017年1月31日に韓国教育省が発表した国定歴史教科書最終版では、慰安婦が「集団虐殺」されたとする記述が新たに加わることになった<ref>[https://www.sankei.com/article/20170206-FJLC7GZFP5L7XJKGWTKEOFJVSY/2/ 正気を失い暴走する韓国、教科書に「慰安婦の集団虐殺」と大嘘 一時帰国駐韓大使「無期限待機」] 産経ニュース 2017年2月6日</ref>。
 
韓国では複数の元セックスワーカーが、韓国政府とアメリカ政府が1960年代から1980年代にかけ、アメリカ軍基地周辺における違法な売春や性的な目的での人身売買に関与していたと主張しており、謝罪と賠償を求めている<ref name="Former sex workers in fight for compensation">{{cite news|title=Former sex workers in fight for compensation|newspaper=中央日報|date=2008-10-30|url=http://joongangdaily.joins.com/article/view.asp?aid=2896741|accessdate=2010-03-08|language=英語}}</ref><ref name="NYTimes20090108">{{cite news|title=Ex-Prostitutes Say South Korea and U.S. Enabled Sex Trade Near Bases|newspaper=The New York Times|date=2009-1-7|url=https://www.nytimes.com/2009/01/08/world/asia/08korea.html?_r=3&scp=8&sq=Comfort%20Women%20Korean%20War&st=cse&%20Ex-Prostitutes%20Say%20South%20Korea%20and%20U.S.%20Enabled%20Sex%20Trade%20Near%20Bases|language=english|article=CHOE SANG-HUN}}</ref>。ニューヨークタイムズの取材では、「彼女らはまた、自国の歴史に厳しい目を向けることなく日本から賠償を求めてきた歴代の韓国政府の偽善を非難している」としている<ref name="NYTimes20090108" /><ref>原文:"they accuse successive Korean governments of hypocrisy in calling for reparations from Japan while refusing to take a hard look at South Korea’s own history."</ref>。
 
2000年代以降も、[[挺対協]]や韓国政府主催の[[世界韓民族女性ネットワーク]]は日本軍慰安婦への謝罪と賠償を求める活動を世界各地でおこなっており<ref name="chuonippou20040317">[https://japanese.joins.com/JArticle/49730 慰安婦「水曜デモ」、8カ国で同時開催] 中央日報 2004.03.17</ref><ref name="yonhapnews20070806">{{cite news|title=慰安婦問題関連の世界連帯集会、光復節に開催|newspaper=[[聯合ニュース]]|date=2007-08-06|url=http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2007/08/06/0200000000AJP20070806002200882.HTML|accessdate=2010-03-08}}</ref><ref name="ohmynews">{{cite news|title={{lang|ko|"사과하라!" 베를린에 울려퍼진 '700회 수요집회'출처 : "사과하라!" 베를린에 울려퍼진 '700회 수요집회' - 오마이뉴스}}( "謝罪せよ!"ベルリンに響いた'700回要求集会'-オーマイニュース)|newspaper=オーマイニュース|date=2006-03-16|url=http://www.ohmynews.com/NWS_Web/view/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0000316972|accessdate=2010-03-08|language={{ISO639言語名|ko}}}}</ref><ref name="mindan20061220">{{cite news|title=韓国女性家族部関係者、在日婦人会と懇談|newspaper=民団新聞|date=2006-12-20|url=http://www.mindan.org/shinbun/news_bk_view.php?corner=2&page=1&subpage=2256|accessdate=2010-03-08}}{{リンク切れ|date=2017年1月}}</ref><ref>{{cite news|title=慰安婦問題訴える世界連帯集会、12日ワシントンで|newspaper=聯合ニュース|date=2009-08-11|url=http://japanese.yonhapnews.co.kr/relation/2009/08/11/0400000000AJP20090811000500882.HTML|accessdate=2010-03-08}}</ref>、日本からは[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]の[[岡崎トミ子]]議員が韓国でのデモに合流している<ref>{{cite news|title=【写真】日本の参議員、水曜集会に|newspaper=中央日報|date=2003-02-12|url=http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=37408&servcode=400&sectcode=400|accessdate=2010-03-08}}{{リンク切れ|date=2017年1月}}</ref>。
 
2005年1月17日、韓国で日韓国交正常化交渉の関連資料が公開され、その中で、1964年5月2日に経済企画院長官が「民間人保有対日財産に対する補償措置」に関して「財産請求権の補償を前提に…個別的な補償を行わない」か否かを韓国外務部長官に問い合わせ、これに対し外務部長官は「日本と請求権問題を解決することになれば…個人請求権も含まれ解決される」と答えたことが明らかになった<ref>{{cite journal|和書|author=太田修|date=2006-3|title=日韓財産請求権問題の再考——脱植民地主義の視角から——|url=https://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/BO/0090/BO00900L001.pdf|journal=文学部論集|volume=90|pages=1-11|publisher=佛教大学文学部|format=pdf}}</ref>。これについて韓国政府は2005年8月、1965年に日韓で結ばれた協定で反人道的違法行為は解決されていないとの見解を示した<ref name="yonhapnews20090814" />。
 
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== 日本軍慰安婦問題の論点 ==
=== 「慰安婦の強制連行」をめぐる議論 ===
{{Main|慰安婦の強制連行}}
 
日本政府の調査では、慰安婦の強制連行説を裏付ける資料は見つかっていない<ref name="shushitsu110">{{Cite web|和書|url=https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_shitsumon_pdf_t.nsf/html/shitsumon/pdfT/b166110.pdf/$File/b166110.pdf |title=内閣衆質一六六第一一〇号 |date=2007-03-16 |publisher=衆議院 |format=pdf |quote=同日の調査結果の発表までに政府が発見した資料の中には、軍や官憲によるいわゆる強制連行を直接示すような記述も見当たらなかったところである。 | accessdate=2020-03-08 }}</ref>。
 
事実上の「強制性」があったという議論もあるが、これに対しては、論点のすり替えという批判がある(「[[慰安婦の強制連行]]」参照)。
 
[[吉見義明]]は、1992年以降、詐欺などを含む「“広義”の強制連行」というものも問題であると主張している<ref>{{Harvnb|吉見義明|1992}} {{要ページ番号|date=2015年11月}}</ref>(「広義の強制連行」については、「[[慰安婦の強制連行#広義の強制連行]]」を参照)。
 
インドネシアのスリ (Sri Soekanti) は、わずか9歳で「性奴隷にされた」と証言している<ref>[http://www.thejakartapost.com/news/2014/05/30/ex-comfort-woman-testify-japan.html JakartaPost、May 30]</ref>。
 
[[インドネシア]]で起きた[[スマラン慰安所事件|スマラン事件]]が、「慰安婦の強制連行」のケースに当たるかどうかで、見解が分かれている。日本政府は否定的である。詳しくは、「[[スマラン慰安所事件]]」を参照のこと。
 
=== 軍の関与 ===
[[中央大学]]教授[[吉見義明]]は、警察資料、拓務省・内務省の資料の一部、従軍日誌や軍の業務日誌類、法務省・外務省の戦犯裁判資料、厚生省の復員・援護関係資料などが非公開なので事実究明には制約があると主張している<ref>{{Harvnb|吉見義明|1995|p=}} {{要ページ番号|date=2015年2月13日}}</ref>。
 
吉見義明は軍の関与について以下の例を挙げている。
*1932年3月:上海派遣軍は上海で慰安所を作った、[[岡村寧次]]上海派遣軍参謀副長や[[岡部直三郎]]高級[[参謀]]が慰安所を作る指示を出し、永見俊徳参謀が設置を行った<ref name="okabenikki">[[岡部直三郎]] 『岡部直三郎大将の日記』 [[芙蓉書房]] [[1982年]]3月</ref><ref name="okamurasiryou">[[岡村寧次]](著)、[[稲葉正夫]](編) 『岡村寧次大将資料』 [[原書房]] [[1970年]]</ref>。
*1937年12月:[[中支那方面軍]]は慰安所設置の指示を出した。これを受けた上海派遣軍では参謀第二課が案を作成、長勇参謀が設置を担当した<ref name="nankinsensisiryousyuu">南京戦史編集委員会(編)『南京戦史資料集』(非売品) 偕行社 1993年 {{要ページ番号|date=2013-06-18}}</ref>。
*1937年12月:第十軍参謀[[寺田雅雄]]中佐は憲兵を指揮して湖州に慰安所を設置した<ref name="nankinsensisiryousyuu"/>。
*1938年6月:北支那方面軍の参謀岡部直三郎中将は、指揮下の区部隊に慰安所の設置を指示を出している<ref name="comfort-material-collection">[[吉見義明]](編)『従軍慰安婦資料集』I[[大月書店]] 1992年12月,p91p92</ref>。
*<!--{{要検証範囲|[[1938年]]11月:第21軍は慰安所を作るため参謀久文有文[[少佐]]を日本に派遣。久文少佐は陸軍省人事局の小松光彦大佐と共に内務省警保局長に対して「慰安婦」を募集するように要請。また第21軍は台湾総督府に対して「慰安婦」を募集するよう要請。これを受けて内務省は400名の[[台湾総督府]]は300名の慰安婦を集め[[広東省]]に送り出した<ref name="sinatokou">内務省警保局事務官「支那渡航婦女に関する件」昭和13年(1938年)11月4日, アジア歴史資料センター リファレンスコード A05032044800.</ref>|date=2014年12月}}→資料からどの様な論理で、第21軍が台湾総督府と陸軍省に、陸軍省が内務省に「慰安婦」募集を要請し、内務省と台湾総督府が慰安婦を集めたと結論付けたのか?-->
*[[千田夏光]]が自著『従軍慰安婦』(1978年)において、[[1941年]]7月:関東軍は2万人の朝鮮人「慰安婦」を徴募しようと計画、原善四郎参謀は朝鮮総督府に依頼して八千人の朝鮮人慰安婦を集め満州に送った(P102-105)と書いており、最初は原から直接聞いたとしていたが、後に、『関東軍』(中公新書、1965年)(島田俊彦 『関東軍―在満陸軍の独走』 講談社学術文庫, 2005/06 {{ISBN2|978-4061597143}})が出処原典とした。しかし、その書には人物や数字は存在しないという{{要ページ番号|date=2007年12月}}。しかし、千田夏光の著作には数々の問題点が指摘されている。
{{see also|千田夏光}}
*1939年:海南島の海軍部隊のため慰安所設置を計画、海軍第4根拠地隊司令部が台湾総督府海軍武官に{{要検証範囲|特要員(慰安婦のこと)|date=2014年12月}}50名の徴募を要請。台湾総督府の武官からは特要員50人を送るという電報がきた<ref>日本海軍風流譚〈4〉―短篇逸話集 (1981年) 海軍思潮研究会)</ref>。<!--特要員は慰安婦ではない。-{{要検証範囲|海軍:1942年5月:海軍省事務局長岡敬純少将と兵備局長保科善四郎少将の連名で、東南アジア方面への特要員(慰安婦)の配置と運営の方針を決定。計215人を[[スラウェシ島|セレベス島]]などに送ると南西方面艦隊参謀長に通達している<ref>特要員と言う名の部隊、特集文藝春秋1号、1955)</ref>|date=2013年7月}}。-->
 
ただし、歴史学者の[[秦郁彦]]は、軍の関与については当初から研究者の間でも異論はなく、映画などのたぐいも多く軍が関与していないと思う人の方が珍しかったろうとし、政府が「国としての関与を認めてこなかった」と報じた1992年1月11日の朝日新聞の報道を批判している<ref>{{Harvnb|秦郁彦|1999|p=12}}</ref>。
 
=== 慰安婦の総数 ===
慰安婦の総数が把握できる正確な資料が発見されていないため、軍人の総数・[[公娼]]の人数などから複数の研究者により推論されている。その数は2万~40万人と幅広く、中でも20万人説が広く流布されているが、この20万人説については根拠がないとの反論も多い。([[千田夏光#朝鮮人慰安婦強制連行「20万」説]]も参照)
 
==== 推考資料 ====
*[[外地]]の日本軍・[[軍属]]の総数は、満州(40 - 66万人)を別として、[[太平洋]] - ビルマ(現:[[ミャンマー]])に展開した時期で140 - 150万人、「[[大陸打通作戦]]」の末期においては280万人程度とされている<ref name="senjyounosei">{{Harvnb|秦郁彦|1999|page=401}}</ref>。
*当時の朝鮮半島の総人口は約2500万人前後<ref>『[[朝鮮総督府]]統計年報 明治42-昭和15年度』 {{要ページ番号|date=2013-06-06}}</ref>で、20歳前後の女性は約280万人とも推算される<ref>実質最高寿命60歳とすると、20±5歳の間の女性の人口は、世代平均(30歳)の4/3倍であり、全体の10/60 × 1/2 × 4/3=1/9という計算が可能。総人口を2500万人とすれば、約280万人となる。[https://web.archive.org/web/20020226021647/http://www.asahi.com/national/update/0223/028.html]</ref>。
*内地の[[公娼]]は、[[第二次上海事変]]以前の[[1937年]]の21万をピークに太平洋戦争初期の[[1942年]]には14.5万人に減少するのに対し、中国本土の日本人娼婦は[[1935年]]よりも1940年時点では約1.2万人増加している<ref>{{Harvnb|秦郁彦|1999|p=30}}</ref><ref>{{Harvnb|秦郁彦|1999|p=48}}</ref><ref>{{Harvnb|秦郁彦|1999|p=399}}</ref>。朝鮮での[[公娼]]の総数は[[1930年代]]から1942年までは日本人を含めて約1万人である<ref>{{Harvnb|秦郁彦|1999|p=41}}</ref>。
*慰安婦の総数の計算法には、日本軍総数を母数とした慰安婦数の推算方法があり、交代率なども考慮されるが、いずれも各研究者によって異なる<ref name="iannhuonokazu" />。[[女性のためのアジア平和国民基金|アジア女性基金]]は、慰安婦の総数について、日本軍の兵員総数を慰安婦一人あたり兵員数で除した上で交代率、帰還による入れ替りの度合いを考慮に入れるという手法で行われた各研究者の推算を、以下のように公表している<ref name="asianwomensfund">{{Cite web|和書|url=http://www.awf.or.jp/1/facts-07.html|author=アジア女性基金|title=慰安所と慰安婦の数|accessdate=2018年8月21日}}</ref>。<!--西川清氏の朝鮮総督府官吏最後の証言では、総督府勤務時代、全てを知りうる立場でありなが、慰安婦たるものは無いと明言している。←西川清って誰ですか?-->
{| class="wikitable" style="text-align:center"
|+研究者たちの推算
!研究者名
!発表年
!兵総数
!パラメーター
!交代率
!慰安婦数
|-
|秦郁彦
|1993
|300万人
|兵50人に1人
|1.5
|9万人
|-
| rowspan="2" |吉見義明
| rowspan="2" |1995
| rowspan="2" |300万人
|兵100人に1人
|1.5
|4万5000人
|-
|兵30人に1人
|2
|20万人
|-
| rowspan="2" |蘇智良
| rowspan="2" |1999
| rowspan="2" |300万人
| rowspan="2" |兵30人に1人
|3.5
|36万人
|-
|4
|41万人
|-
|秦郁彦
|1999
|250万人
|兵150人に1人
|1.5
|2万人
|}
 
==== 民族別内訳 ====
慰安婦の民族別内訳は、日本政府の調査においては、慰安婦には[[日本人]]、[[朝鮮民族|朝鮮人]]、[[台湾人]]、[[中国人]]、フィリピン人、インドネシア人、オランダ人がいた。
 
[[日本大学]]教授[[秦郁彦]]は、その正確な内訳を把握することは困難であるとしており<ref>{{Harvnb|秦郁彦|1999|page=408}}</ref>、例えば『慰安婦と戦場の性』においては日本国内の[[遊廓]]などから応募した者が40%程度、現地で応募した者が30%、朝鮮人が20%、中国人が10%程度として、慰安婦の出身者は日本人が最も多かったろうと推定したが<ref>{{Harvnb|秦郁彦|1999|p=410}}</ref>、『昭和史の謎を追う』においては日本人慰安婦と朝鮮人慰安婦では3対7ないし2対8の比率で朝鮮人慰安婦が多く、慰安婦の主力は若い朝鮮人女性であったとした<ref>{{Harvnb|秦郁彦|1999b|p=487}}</ref>。日本政府のアジア女性基金調査では、朝鮮人慰安婦は多かったが日本人慰安婦も多く、朝鮮人慰安婦が絶対的多数を占めるにはいたっていないとしている<ref name="iannhuonokazu" />。
 
==== 日本における諸説 ====
*日本政府・[[アジア女性基金]]調査では、慰安所および慰安婦が存在したことは認められるものの、慰安婦の総数は不明とした<ref name="iannhuonokazu">[http://www.awf.or.jp/1/facts-07.html 「慰安所と慰安婦の数」慰安婦問題とアジア女性基金デジタル記念館] 2012年9月22日閲覧</ref><ref name="kankeisiryousyuusei">「女性のためのアジア平和国民基金」(編)[http://www.awf.or.jp/program/pdf/ianfu_1.pdf 『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』]{{リンク切れ|date=2017年1月}} [[龍溪書舎]] 1997年3月20日</ref>。
*[[日本大学]]教授[[秦郁彦]]は慰安婦総数を当初9万人としていたが、[[1999年]]計算を修正し約'''2万人'''と推定している<ref name="iannhuonokazu" />{{Efn|1993年時点では兵50:慰安婦1の比率から、6万、交代して9万としていたが、1999年に計算を修正した。華南での兵力と慰安婦の比率、慰安所の数、経営上の計算、[[コンドーム]]使用量、国内公娼の客と[[娼妓]]の比率、どれからしても3万以下が妥当で、交代率をかけずに2万人程度と推定<ref>{{Harvnb|秦郁彦|1999|p=}} {{要ページ番号|date=2013-06-06}}</ref>。}}<ref>アジア女性基金 [http://www.awf.or.jp/1/facts-07.html 「慰安所と慰安婦の数」]</ref><ref>秦郁彦 『慰安婦と戦場の性』 新潮社 1999年{{要ページ番号|date=2013-05-29}}</ref>。
*[[中央大学]]教授[[吉見義明]]は、総数を'''4万5000人~20万人'''と推算(1995年)<ref name="iannhuonokazu" />。
*[[民主党 (日本 1998-2016)|民主党]]は、'''8 - 20万人'''としている<ref name="minshu200207233">[http://archive.dpj.or.jp/news/?num=2869 (参院内閣委)戦時性的強制被害者問題法案、審議入り] 民主党ホームページ</ref>。
 
==== 韓国における諸説 ====
*韓国政府は資料不足のため慰安婦にされた女性の数は正確には分からないとしているが、'''最小3万人最大40万人'''の学説があると述べている<ref>[http://www.hermuseum.go.kr/japan/sub.asp?pid=137 日本軍慰安婦 (大韓民国 女性家族部)]</ref>。
*[[1993年]]に「[[挺身隊研究会]]」会長の[[鄭鎮星]](チョン・ジンソン)[[ソウル大学]]教授は「'''8万人から20万人'''と推定される慰安婦のうち、絶対多数を占めると思われている朝鮮人慰安婦」とした<ref>{{Harvnb|韓国挺身隊問題対策協議会・挺身隊研究会(編)|1993|pages= 23,26}}</ref>。
*[[2009年]] [[中央日報]]は、歴史学者たちによると'''20万人以上'''としている<ref>[http://joongangdaily.joins.com/article/view.asp?aid=2908760 U.S. lawmaker seeks Japan apology] 中央日報 August 14, 2009</ref>。
 
===== 国定教科書における記載 =====
韓国国定教科書では'''朝鮮女性数十万人'''を慰安婦にし、650万人を強制連行したと記載している<ref name="pre20050426">{{Cite web| url = http://www.pressian.com/article/article.asp?article_num=30050426144804&Section=04| title =李栄薫、国史教科書、日帝被害誇張されている 慰安婦数十万 - 強制連行650万は虚構、国史学界論争予告("국사 교과서 일제피해 과장됐다""위안부 수십만-강제 연행 650만은 허구", 국사학계 논란 예고)| publisher = PRESSIAN| date = 2005-04-26| accessdate = 2012-07-23|language={{ISO639言語名|ko}}}}</ref><ref name="han20050519">{{Cite web| url = http://weekly.hankooki.com/lpage/people/200505/wk2005051913552937470.htm| title =ハンコク招待席 ソウル大経済学部李栄薫教授 日帝清算、正確な事実に基づかなければ 社会的通念に挑戦して常識の壁を超えた勇気ある学者 日本軍慰安婦·徴用者は誇張 国民感情に反する主張で波紋(한국 초대석 서울대 경제학부 이영훈 교수"일제 청산, 정확한 사실에 기초해야"사회적 통념에 도전하고 상식의 벽을 넘어선 용기있는 학자"일본군 위안부·징용자 수 과장"국민정서에 反한 주장으로 파문("국사 교과서 일제피해 과장됐다""위안부 수십만-강제 연행 650만은 허구", 국사학계 논란 예고))| publisher = ハンコクドットコム| date = 2005-05-19| accessdate = 2012-07-23|language={{ISO639言語名|ko}}}}</ref><ref name="『中央日報』2005年4月23日付">『[[中央日報]]』2005年4月23日付</ref>が、学術的な根拠は不明。[[李榮薫]] [[ソウル大学]]教授は、[[1937年]]に日本軍首脳は兵士150人につき1名の慰安婦を充当せよという指令を出したとしている<ref name="LeeYoungHoon">大韓民国の物語 [[李榮薫]]著 永島広紀訳 文藝春秋 2009/02 ISBN 4-16-370310-1</ref>。
 
===== 韓国政府による認定者 =====
[[2004年]]までに[[韓国|韓国政府]] [[女性家族部 (大韓民国)|女性家族部]]認定の元日本軍慰安婦は、既に死去した人を合わせて計207人<ref name="awfkorea">{{Cite web|和書
| url = http://www.awf.or.jp/3/korea.html
| title = 各国・地域における償い事業の内容-韓国
| publisher = アジア女性基金
| accessdate = 2010-03-08
}}</ref>、[[2005年]]には計215人で内88人が死亡した<ref>『[[朝鮮日報]]』 2005年1月11日付</ref>とし、[[2009年]]<ref>[http://japanese.yonhapnews.co.kr/headline/2009/08/10/0200000000AJP20090810001400882.HTML <インタビュー>世界に慰安婦問題解決を訴え続ける吉元玉さん] 聯合ニュース 2009/08/10</ref>と[[2011年]]には合計234人としている<ref>{{cite web
|publisher=[[ハンギョレ]]
|accessdate=2011-12-17
|date=2011-12-14
|author=[[パク・ヒョンジョン]]
|title=20年間 水曜日ごとに日本大使館前 千回泣いたけれど…
|url=http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/510249.html
}}</ref>。
 
*2015年12月現在、計238人。内、生存者は46人。平均年齢は89,2歳<ref>毎日新聞2015年12月29日 [http://mainichi.jp/articles/20151229/ddm/007/010/134000c 日韓解決合意 元慰安婦「名誉回復を」 意向聞かれず「拙速」]</ref>(終戦当時19歳)。
 
==== 北朝鮮の見解 ====
[[北朝鮮]]は[[2005年]]4月に国連代表部[[金永好]]書記官が[[ジュネーヴ]] [[国連人権委員会]]で、'''朝鮮人慰安婦の総数は20万人'''、強制連行された人数は840万人だと主張している<ref name="pre20050426" /><ref name="han20050519" /><ref name="『中央日報』2005年4月23日付"/><ref>朝鮮中央通信社 日帝の罪状録を発表 {{Cite web|和書|url=http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2010/04/1004j1124-00001.htm |title=アーカイブされたコピー |accessdate=2010-12-11 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20101201100816/http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2010/04/1004j1124-00001.htm |archivedate=2010-12-01 |url-status=dead|url-status-date=2017-10 }}</ref>。
 
==== 中国における諸説 ====
[[上海師範大学]]「[[中国慰安婦問題研究中心]]」所長の[[蘇智良]]は[[1999年]]、[[荒舩清十郎]]発言(14万2000人説)に依拠し、'''慰安婦総数は36万から41万'''で、このうち'''中国人慰安婦は20万'''と推算<ref name="iannhuonokazu" /><ref>蘇智良『慰安婦研究』上海書店出版社、1999年 {{要ページ番号|date=2013-06-06}}</ref>。日本政府・[[アジア女性基金]]はこの推算について、根拠が荒船発言という個人の見解に基づくものであり、誤導された推論として批判している<ref name="iannhuonokazu" />。
 
なお、蘇智良は[[1996年]]の計算では中国[[天津]]慰安所研究により、慰安婦総数を40万人、朝鮮人慰安婦20万人、中国人と日本人の慰安婦が各10万ずつとしていた。
 
==== アメリカ合衆国における記述 ====
*[[ニューヨーク・タイムズ]]記者[[ノリミツ・オオニシ]]は名前は明らかにしないが[[日本人]][[歴史学者]]達によると日本軍慰安婦は'''最大20万人'''であるとしている<ref name="NYtimes200703082">[http://query.nytimes.com/gst/fullpage.html?res=9F06E1DE1231F93BA35750C0A9619C8B63 Denial Reopens Wounds of Japan's Ex-Sex Slaves] New York Times March 8, 2007</ref>。慰安婦のほとんどが家庭から拉致され[[最前線]]に連行された10代の朝鮮女性であるとしており、アメリカ軍の場合とはこの点で大きく異なるものであるとしている<ref name="NYTimes19951027">{{cite news| url = http://www.nytimes.com/1995/10/27/world/fearing-gi-occupiers-japan-urgesd-women-into-brothels.html?pagewanted=all&src=pm| title =Fearing G.I. Occupiers, Japan Urgesd Women Into Brothels| newspaper = [[ニューヨーク・タイムズ]]| date = 1995-10-27| accessdate = 2012-07-08| language = 英語 }}</ref>。
* アメリカ合衆国の[[歴史教科書]]『Tradition & Encounters:A Global Perspective on the Past』では、最大で'''30万人'''もの14-20歳の女性たちを強制的に徴集して性行為を強要したとしている<ref name="yonhapnews20070328" />。さらに、「日本軍は慰安婦たちを[[天皇]]の贈り物と言いながら兵士などに提供した。慰安婦たちは韓国と台湾、満洲、フィリピンなど東南アジア各国から連れてこられ、80%が韓国出身であった。逃げようとしたり性病にかかると日本兵などによって殺され、戦争が終わるころには兵士などが隠蔽するために慰安婦たちを大挙虐殺した。」などとしている<ref name="yonhapnews20070328" />。この歴史教科書は[[2003年]]より数千校で100万人以上の学生に使用されている<ref name="yonhapnews20070328">[https://web.archive.org/web/20070920084015/http://www.yonhapnews.co.kr/bulletin/2007/03/28/0200000000AKR20070328002600071.HTML アメリカの歴史教科書"日本軍、慰安婦の強制動員"" 1日20-30人の相手"の惨状詳しく記録"日王の贈り物として提供..隠すために殺害"(美{{lang|ko|역사교과서 "일본군, 위안부 강제 동원""하루 20-30명 상대" 참상 상세히 기록"日王 선물로 제공.. 은폐 위해 학살도}}")] 聯合ニュース 2007/03/28{{ko icon}}</ref>。
* 韓国系米国人の運動により全米に建立された[[慰安婦の碑]]の多くには慰安婦の数を'''20万人以上'''と記している。
 
==== 国連人権委員会の報告書 ====
[[国連人権委員会]]に採択された[[マクドゥーガル報告書]]では慰安婦の総数を'''20万人以上'''としている。
 
数値の根拠には、[[1965年]]11月20日に自民党議員[[荒舩清十郎]]が選挙区の集会(秩父郡市軍恩連盟招待会)で発言した「朝鮮の慰安婦が14万2000人死んでいる」を引用しているが(マグドゥーガル報告書では「14万5000人の朝鮮人性奴隷が死んだという日本の自民党国会議員荒舩清十郎の1975年の声明」として誤った数字を記載している)<ref name="iannhuonokazu" />、[[女性のためのアジア平和国民基金|アジア女性基金]]はこの慰安婦の数値は荒船議員が勝手にならべたものであり、これが根拠とされることは遺憾だとしている<ref name="iannhuonokazu" />。(詳しくは[[マクドゥーガル報告書]]を参照)
 
==== その他 ====
*[[1967年]]、韓国で出版された[[文定昌]]『軍国日本朝鮮強占三六年史・下』(柏文堂)には、「[[1933年]]ごろからは[[花街|花柳]]界の朝鮮人・日本人女性たちを慰安婦という名称で[[満州]]から北支方面に出動させたが、その数は世間では'''20万人'''と言われ、[[1941年|41年]]ごろからは良家の乙女たちを奪って[[女子挺身隊]]という名で、どこかへと連行し始めた」という記述があり、根拠不明の慰安婦20万人という数字が初めて現れる。
*[[1972年]]、『現代の眼』4月号に掲載された作家[[金一勉]]の「[[荒舩清十郎|荒船]]暴言は未見の『震災大虐殺』を呼んでいる」と題した記事で、慰安婦について「戦争中、朝鮮各地から十六歲〜十九歳の娘ばかりを強制的に集めて『特志看護婦』にするとだまして、戦地へ送り込み、いきなり『軍隊女郎』に仕立てたものである。その数は『推定'''二十万人'''』といわれる」としている。金は[[1976年]]の著書『天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦』でもこれを繰り返した。歴史学者の[[吉見義明]]や[[日本軍性奴隷制問題解決のための正義記憶連帯|韓国挺身隊問題対策協議会]]共同代表の[[尹貞玉]]などがこれを典拠に20万人説を唱えた。
*[[1973年]]、作家[[千田夏光]]は、[[女子挺身隊|挺身隊]]という名のもとに総計20万人(韓国側の推計)の朝鮮人が集められ、うち'''5万人~7万人'''が慰安婦にされたとしている。(詳細は「[[千田夏光#朝鮮人慰安婦強制連行「20万」説]]」を参照)
*『[[マンガ 嫌韓流|マンガ嫌韓流]]』の著者[[山野車輪]]等は、総数を'''4000人'''程度としている。
 
=== 千田夏光 著作『従軍慰安婦』の問題点 ===
{{main|千田夏光#著作『従軍慰安婦』}}{{See also|女子挺身隊#朝鮮での「挺身隊」と「慰安婦」の混同}}
千田夏光が[[1973年]]に発表した著書『従軍慰安婦』の中で、<u>「挺身隊」という名のもとに慰安婦が集められた</u>とし、総計20万人の挺身隊のうち5~7万人が慰安婦にされたとしている。これは[[1970年]]8月14日付けソウル新聞の「挺身隊に動員された韓・日の2つの国の女性は全部でおよそ20万人。そのうち韓国女性は5〜7万人と推算されている」と書かれた記事の誤読ではないかとされている。
 
=== 元慰安婦の証言に関する問題点 ===
=== 「公娼」か「性奴隷」か ===
==== 「性奴隷」言説 ====
日本軍慰安所における慰安婦を「性奴隷」と表現する潮流がある。これについては[[日本弁護士連合会]]および日弁連海外調査特別委員の戸塚悦朗弁護士を中心に1992年頃から「慰安婦」という言葉でなく「'''Sex Slaves'''(性奴隷)」という表記の方が正しいとして国連でロビー活動を続けた結果、1993年以降、国連で浸透していったことが明らかになっており、日弁連も公式サイトでその旨を明記している<ref>[https://megalodon.jp/2012-1202-1608-02/www.nichibenren.or.jp/activity/document/statement/year/1995/1995_15.html] 日弁連1995年11月16日「従軍慰安婦問題への政府の対応に関する声明」</ref><small>([[#国連などでの慰安婦の扱い]]および[[#宮澤首相による謝罪]]を参照)</small>。以降、1996年の[[クマラスワミ報告]]、1998年の[[マクドゥーガル報告書]]でも「性奴隷」と明記された。
 
インドネシア等で外国人収容者らから表立って問題にされ発覚し、日本軍自ら(なあなあで軽く済ましたとはいえ)処罰が行われた例もあり、秦郁彦のように、性奴隷に等しい例もあったこと自体については認める研究者は少なからず日本にも存在する。
 
しかし、朝鮮人女性については、奴隷狩りのように強制的に狩り集めたと証言してきた[[吉田清治 (文筆家)|吉田清治]]が1996年5月に自らの証言について、関係者に迷惑をかけないため、事実を変えた部分もあることを『[[週刊新潮]]』で告白して以降<ref>『週刊新潮』1996年5月2月9日号{{要ページ番号|date=2013-06-07}}</ref><ref>{{Harvnb|秦郁彦|1999|p=246}}</ref>、慰安婦強制連行問題を追及してきた[[吉見義明]]も1997年には、朝鮮で官憲ないし軍による奴隷狩りを行ったとする証拠は確認されていないと発言した<ref name="yosihimikawata">吉見義明・川田文子『「従軍慰安婦」をめぐる30のウソと真実』大月書店,1997年,p24</ref>(「[[#強制連行の有無]]」参照)。もっとも、その後の今田真人らによる国会図書館等での記録調査により、従来は歴史家にもあまり知られていなかった日本軍の要請や内務省の指示による慰安婦集めが、[[吉田清治 (文筆家)|吉田清治]]が証言したように、行われていたことも可能性としてはあり得ることが確認されている<ref>{{Cite book|和書 |title=極秘公文書と慰安婦強制連行 |date=2018-2-15 |publisher=三一書房 |pages=62-67 |author=今田真人}}</ref>。
 
[[中国帰還者連絡会]]会員の[[湯浅謙]]も1998年に季刊『[[中帰連]]』に発表した文章において、戦時中、湯浅が中国の[[山西省]]南部の陸軍病院の[[軍医]]として従軍し、朝鮮人慰安婦の性病検査なども行なったとして、「当時の軍人にとって慰安婦は料金も払うし愛想もよかったので「[[公娼]]」に見えたが、[[植民地]]支配下にあって、彼女たちは抵抗することも「強制され連れて来られた」と異議を唱えることもできない状況下にあったので、「[[性的奴隷]]」であった旨を語っている<ref name="watasigasiru">[http://www.ne.jp/asahi/tyuukiren/web-site/backnumber/05/yuasa_ianhu.htm 私が知る「従軍慰安婦」] 湯浅謙(季刊『中帰連』第五号 1998年6月)</ref>。
 
日本の戦争犯罪・戦争責任を追及しているNGO「[[日本の戦争責任資料センター]]」は2007年2月の声明において「『日本軍慰安婦』制度は、慰安婦たちに居住の自由、廃業の自由、外出の自由や慰安所での使役を拒否する自由をまったく認めていなかった」「故郷から遠く離れた占領地から逃亡することは不可能だった」などの理由から、「公娼制度を事実上の性奴隷制度とすれば、『日本軍慰安婦』制度は、より徹底した、露骨な性奴隷制度であった」旨を主張している<ref name="nihongunianhmondainikansuruseimei">[http://space.geocities.jp/japanwarres/center/hodo/hodo37.htm 「日本軍「慰安婦」問題に関する声明」] 日本の戦争責任資料センター 2007年2月23日</ref>。2007年7月に採択された[[アメリカ合衆国下院121号決議]]では「強制軍売春という『慰安婦制度』は“残忍さという点で前例のないもの”と認識されており、“20世紀における最大の人身売買の一つ”である」と主張した。
 
こうした性奴隷説について、韓国の評論家[[金完燮]]は2004年に「軍隊という血気さかんな若者の集団にどうやって性欲を発散させるかは、どの国の軍隊にとっても重要な問題であり、“性奴隷”というのは反日キャンペーンのために発明された用語だ」と批判した<ref name="sintihanotamenobenmei2">『親日派のための弁明2』([[扶桑社]] 2004年11月27日){{要ページ番号|date=2013-06-07}}</ref>。『産経新聞』は2007年5月18日記事で、[[米国戦争情報局心理作戦班報告]]には「慰安婦の雇用条件や契約条件が明記されており、慰安婦の女性が一定額の借金を返せば解放されるという条項があるという点で、当時の米軍当局が日本軍の“強制徴用”や“性奴隷”とは違った認識を持っていた証拠になる」と指摘している<ref name="sankei20070518">※記事名不明※『産経新聞』2007年5月18日付</ref>。
 
[[アジア女性基金]]で東京大学教授の[[大久保昭]]は「元慰安婦が性的奴隷にさせられたのはすべて日本の軍や警察権力による強制にもとづくという、一部の学者、NGO、メディアによって1990年代初期に唱えられた主張も、歴史的事実とは懸け離れた思い込みにすぎない」と批判している<ref name="『慰安婦問題とは何だったのか』中公新書,2007,p62">『慰安婦問題とは何だったのか』([[中公新書]]、2007年)p.62</ref>。
 
[[李栄薫]]は、韓国の運動団体などが日本の国家的責任を追及する武器にしている「性奴隷説」は、元々は日本の歴史学者が提起し、韓国の研究者や運動団体を鼓舞したと述べた。李は、これを歴史学の本分を超えた高度に政治化した学説だと批判している<ref name="yonfun">{{Cite news | url =https://www.sankei.com/article/20191121-6Q274ADJINMYJOJT2N2K4NNE5E/4/ | title =李栄薫氏「韓国人の自己批判書だ」発言全文(p.4) | newspaper =産経新聞 | date =2019-11-21 | accessdate = 2019-11-26 |quote= 皮肉にも、強制連行説と性奴隷説は、日本で作られたものです。ある日本人は、朝鮮の女性を強制連行した自身の犯罪を告白する懺悔録を書きました。ある歴史学者は、性奴隷説を提起して、韓国の研究者と運動団体を鼓舞しました。それは、歴史学の本分を超えた高度に政治化した学説でした。}}</ref>。
 
『産経新聞』は、アメリカ政府が2007年4月にまとめた「[[ナチス戦争犯罪と日本帝国政府の記録の各省庁作業班]] (IWG)米国議会あて最終報告」の内容について、「日本の慰安婦にかかわる戦争犯罪や「女性の組織的な奴隷化」の主張を裏づける米側の政府・軍の文書は一点も発見されなかった、としている<ref name="sankei20141127">{{Cite news|author=[[古森義久]]|url=https://www.sankei.com/article/20141127-P6D7Y65FOJPVNJO4RGRF6SEPCA/|title=米政府の慰安婦問題調査で「奴隷化」の証拠発見されず…日本側の主張の強力な後押しに (1/2)|work=産経ニュース|publisher=産経新聞|date=2014-11-27|accessdate=2019-02-19}}</ref>。[[マイケル・ヨン]]は「これだけの規模の調査で何も出てこないことは『20万人の女性を強制連行して性的奴隷にした』という主張が虚構であることを証明した。日本側は調査を材料に、米議会の対日非難決議や国連の[[クマラスワミ報告]]などの撤回を求めるべきだ」と述べた<ref name="sankei20141127-2">{{Cite news|author=古森義久|url=https://www.sankei.com/article/20141127-P6D7Y65FOJPVNJO4RGRF6SEPCA/2/|title=米政府の慰安婦問題調査で「奴隷化」の証拠発見されず…日本側の主張の強力な後押しに (2/2)|work=産経ニュース|publisher=産経新聞|date=2014-11-27|accessdate=2019-02-19}}</ref>。
 
[[李容洙]]は、[[尹美香]]に対し「性奴隷」表現を批判した際、尹が「こう表現してこそ米国が怖がる」と答えたと述べている<ref name=":1"/>。
 
==== 「公娼」言説 ====
{{see also|公娼}}
他方、日本軍慰安婦制度を「[[公娼]]」制度として認識する歴史学者もいる。1997年に発表した研究において歴史学者の[[藤目ゆき]]は、日本では前近代より[[公娼]]制度があったが、近代日本の公娼制度はヨーロッパの近代公娼制度をモデルとして再編成されたものと指摘したうえで<ref name="fujime1997p88">{{Harvnb|藤目ゆき |1997|page=88}}</ref>、
{{Quotation|日本における従来の公娼制度と廃娼運動の研究は、一般に、近代日本の公娼制度を前近代の公娼制度からの延長線上に把握し、これを'''特殊日本的で'''前近代的な制度として認識してきた。「欧米の文明国」には公娼制度は存在しないと信じ込み、近代日本の公娼制度の存在をもっぱら日本の後進性・前近代性の表出と錯覚するのである<ref name="fujime1997p88" />。}}
と指摘し、「日本にのみ公娼・慰安所があった」とする見方について批判し、各国における近代公娼制度の比較研究を展開した<ref>{{Harvnb|藤目ゆき |1997}}{{要ページ番号|date=2013-06-07}}</ref>。また、[[秦郁彦]]は、慰安婦を「戦前の日本に定着していた公娼制度の戦地版と位置づけるべき」と主張している<ref>{{Harvnb|秦郁彦|1999|page=27}}</ref>。このほか、[[山下英愛]]<ref name="yamashita">山下英愛「朝鮮における公娼制度の実施」尹貞玉編著『朝鮮人女性がみた慰安婦問題』三一新書,1992年.</ref>、[[川田文子]]<ref name="kawata7677">川田文子『戦争と性』(明石書店、1995年)pp.76-77</ref>、[[宋連玉]]<ref name="sou">宋連玉「日本の植民地支配と国家的管理売春-朝鮮の公娼を中心にして」『朝鮮史研究会論文集』32集(緑陰書房、1994年)pp.37-88</ref>、藤永壮<ref name="fujinaga">藤永壮「[http://www.dce.osaka-sandai.ac.jp/~funtak/papers/seoul/index.html 植民地朝鮮における公娼制度の確立過程―1910年代のソウルを中心に―]」[[京都大学]]大学院文学研究科・文学部・現代文化学系「二十世紀」編『二十世紀研究』第5号、2004年12月</ref>、眞杉侑里<ref name="masugi">「[https://www.ritsumei.ac.jp/acd/re/k-rsc/hss/book/pdf/no93_08.pdf 人身売買排除」方針に見る近代公娼制度の様相]」『[[立命館大学]]人文科学研究所紀要』93(2009年)237-268頁のうち237-238頁</ref>らも公娼制という概念によって研究をしている。ただし、公娼制の意味については論者によって異なるところもあり、統一見解がだされているわけではない<ref name="masugi" />。
 
商社員として約三年半の間、中国[[漢口]]の慰安所について見聞きして来た小野田寛郎は2005年の文章で、慰安婦制度の背景について「兵士も、やはり(女性を求める)若い人間であり、一方にはそうまでしてでも金を稼がねばならない貧しい不幸な立場の女性のいる社会が実際に存在した」とし、「『従軍慰安婦』なるものは存在せず、ただ戦場で「春を売る女性とそれを仕切る業者」が軍の弱みにつけ込んで利益率のいい仕事をしていたと言うだけのことである。」と述べている<ref name="watasigamita">小野田寛郎:私が見た「従軍慰安婦」の正体『[[正論 (雑誌)|正論]]』2005年1月号{{要ページ番号|date=2013-06-09}}</ref>。
 
その他、歴史学者の倉橋正直は2010年の著書<ref>倉橋2010 {{要ページ番号|date=2013-06-07}}</ref>で日本軍慰安婦には「性的奴隷型」と「売春婦型」の2つのタイプがあったとして、画一的な「従軍慰安婦」解釈を批判している。また倉橋は「近代日本における公娼制は検黴制などの近代的要素と前借制、楼主への人身の隷属などの封建的要素が複合している」と書いている<ref>倉橋正直『[[愛知県立大学]]文学部論集』第43号「公娼制度について」p.18</ref><ref>倉橋正直『歴史評論』540号「近代日本の公娼制度」1995-4</ref>。
 
[[朴裕河]][[世宗大学]]』教授は自著『帝国の慰安婦』において慰安婦を「精神的な慰安者」「軍人の戦争遂行を助けた愛国女性」「自発的な売春婦」とする自身の研究結果を発表した、として元慰安婦9名からこの著書の出版停止を求めて提訴され、ソウル東部地裁は当該記述を削除しなければ、出版することを禁じる判決を下した<ref>[https://megalodon.jp/2015-0319-0236-30/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20150218-00000010-xinhua-cn 韓国人執筆の「帝国の慰安婦」は名誉棄損、韓国地裁が“事実上の出版禁止”に…][[FOCUS-ASIA.COM]] 2015年2月18日</ref><ref>[http://www.sankei.com/world/news/150217/wor1502170037-n1.html 韓国地裁、慰安婦研究書の出版禁止] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20150323033640/http://www.sankei.com/world/news/150217/wor1502170037-n1.html |date=2015年3月23日 }}『産経新聞』2015年2月17日</ref>。しかし朴裕河本人は「自発的売春婦とは書いていない」とこれを否定し、争う姿勢を見せている<ref>[http://mainichi.jp/articles/20151130/k00/00m/030/062000c 帝国の慰安婦 朴教授「自発的な売春婦とは書いていない」] {{webarchive|url=https://web.archive.org/web/20151209051423/http://mainichi.jp/articles/20151130/k00/00m/030/062000c |date=2015年12月9日 }}『毎日新聞』2015年11月29日 21時43分</ref>。
 
=== 日本政府による資料の保管 ===
作家[[千田夏光]]は自著『従軍慰安婦』([[1973年]]、[[双葉社]])で、朝鮮人慰安婦に関する資料は朝鮮で「焼却されたと伝えられる」として、しかし残った資料は[[朝鮮総督府]]東京事務所にあり、敗戦後には[[朝鮮銀行]](のちの[[日本債券信用銀行]])の大金庫に保管されているとしている<ref>1978年の三一新書版の「新版にあたって」pp.11-12</ref>。
 
自民党の議員(当時)[[戸井田徹]]が、[[2007年]]時点で植民地時代の[[朝鮮総督府警察]]の[[刑事手続|刑事事件]]の記録などが[[国立公文書館]]に移管されていないことを指摘し、[[情報公開法]]に基づいて移管し公開すべきだと2007年4月25日の[[衆議院]][[内閣委員会]]で政府に要請した。政府は努力すると答弁した<ref>[https://www.shugiin.go.jp/internet/itdb_kaigirokua.nsf/html/kaigirokua/000216620070425015.htm 2007年4月25日の衆議院内閣委員会「戸井田とおる質問」]。</ref>。
 
=== 元慰安婦の証言に関する問題点 ===
==== 元慰安婦の証言の検証と真正性 ====
証言している慰安婦には、[[金学順]]、[[李容洙]]、[[姜徳景]]、[[金君子]]、[[金順徳]]、[[李玉善]]、[[鄭書云]]、[[文玉珠]]、[[黄錦周]]、[[宋神道]]、[[ジャン・ラフ・オハーン]]、[[ビクトリア・ロペス]]、[[プリシラ・バルトニコ]]、[[レメディオス・バレンシア]]など{{要出典範囲|およそ80人がいる|date=2013年6月}}。
 
韓国で初めて慰安婦であったことを名乗り出た金学順をはじめ、元慰安婦の証言の中に矛盾があるとして、その証言の信憑性を疑問視する指摘がこれまである<ref name="minouebanasi">慰安婦「身の上話」を徹底検証する」『[[諸君!]]』1996年12月号{{要ページ番号|date=2013-06-07}}</ref>。慰安婦問題について日本政府を糾弾し続けてきた[[千田夏光]]も金学順の証言について、親族が業者に[[人身売買|売却]]したということからすると、日本軍による強制連行であったかどうかは不明確と述べている<ref>「歴史論争を総括する」『[[論座]]』(朝日新聞社 1999年9月号){{要ページ番号|date=2013-06-07}}</ref>。
 
[[秦郁彦]]は慰安婦たちの身の上話(証言)について「検証ぬきで採用するわけにいかない」としている<ref>{{Harvnb|秦郁彦|1999|p=177}}</ref>。秦はさらに「だまして連行した朝鮮人周旋人や数年間起居を共にした慰安所の経営者についてもフルネームを陳述したケースがまったくないのは不自然きわまる」と指摘している<ref>{{Harvnb|秦郁彦|1999|p=275}}</ref><ref>秦は『諸君』2007年5月号でも旧軍人との証言の突合せなどにより疑問を提起している。{{要ページ番号|date=2013-06-07}}</ref>。
 
元駐日韓国大使の[[呉在煕]]は[[1993年]][[1月7日]]に「政府の調査は徹底した[[証拠主義]]だから『一方的な証言』は認定できない」として、日本政府調査で証拠が出てこなかったことに関しても「当事者の言葉だけを信じてどうして認定するのですか。それは公的な調査をする我が政府でも同じです。日本政府が故意的に強制動員についての資料を隠しているとは思いません」と記者会見で述べた<ref>※記事名不明※『[[中央日報]]』1993年1月7日</ref><ref name="nishioka2007p103">{{Harvnb|西岡力|2007|p=103}}</ref>。また、呉は「真相にはきりがなく、一定の線を引かなければならない」とも述べた<ref name="nishioka2007p103" /><ref>[[統一日報]]1993年1月8日</ref>。しかし、この発言が報じられると関係団体から抗議をうけたため[[金泳三]]時期大統領から謝罪を命じられ、大使職も交代となった<ref>{{Harvnb|西岡力|2007|pp=103-104}}</ref>。なお呉在煕は1992年1月の宮澤訪韓の際の韓国政府内会議でも「トップ会談では慰安婦問題を出すべきではない」と進言したが、大統領府は慰安婦問題を積極的に持ち出すことで対日貿易赤字について日本側の譲歩を引き出せると反論した<ref>月刊朝鮮1992年7月号</ref><ref>{{Harvnb|西岡力|2007|p=104}}</ref>。
 
ほかに[[フェミニズム]]研究者の[[上野千鶴子]]は「<善意>のインタビュアーたちは、自分が聞きたい物語を聞き出すように、語りの図式を変形するという[[権力]]を、その聞き取りの現場において行使している」として聞き取り調査のあり方を批判している<ref>『ナショナリズムとジェンダー』(青土社,1998年)p.177</ref>。
 
[[小室直樹]]は、慰安婦問題の核心は'''[[挙証責任]]([[証明責任]])'''にあると指摘している<ref name="komuro">『日本国民に告ぐ 誇りなき国家は、必ず滅亡する』第二章(ワック出版、2005年。原著は1996年、クレスト社){{要ページ番号|date=2013-06-07}}</ref>。刑事裁判および民事裁判において証明責任は原告(検察)側にあり、検事は合法的に被告が有罪であることを完全に証明しなくてはならない<ref name="komuro" />。証明責任のない被告は[[アリバイ]]を証明する必要もない<ref name="komuro" />と指摘したうえで、慰安婦問題について被告は日本政府であり、原告を日本や韓国の運動団体とすれば、証明責任は運動側にあると主張した<ref name="komuro" />。また[[無罪推定の原則]]によって、合理的な疑いを入れないまでに立証されない場合は被告人は無罪となる(「[[証明責任]]」参照)。さらに小室は[[国際法]]上、国家が「謝罪」するということは[[国家責任]]を負うことを意味し、賠償に応ずることを意味すると指摘し、首相や外相が「可哀想なひとたちだから」という理由だけでひとたび謝罪すれば挙証責任を日本が負わされることになるとして「[[謝罪外交]]」を強く批判している<ref name="komuro" />。
 
中国[[海南島]]戦時性暴力被害裁判の支援団体[[ハイナンNET]](は大学生や[[フリーター]]など、10代から20代の若者が中国[[海南島]]戦時性暴力被害裁判の支援を行なっているネットワーク)による台湾元慰安婦の調査報告や石田米子・内田知行ら<ref>石田米子・内田知行『黄土の村の性暴力』([[創土社]] 2004年){{要ページ番号|date=2013-06-07}}</ref>によれば、最近(2004年時点)の調査では1人の元慰安婦に数時間のインタビューを数回行い、日時・場所などについては他の資料とつき合わせて確認しており、研究者は証言の信頼性を確認しながら調査を行っているという。ただし、石田・内田らは1990年代の元慰安婦証言の批判的検証を行なっているわけではない。
 
他方、「被害者の証言を疑い、歴史学者や政府がその真偽を検討して判定しようとすること自体が被害者に対する抑圧であり、認められない」という主張がある<ref name="okubo30" />。東京大学教授で[[国際法]]学者の[[大久保昭]]はそのような主張を「被害者の聖化にほかならず、実際的意義を欠く」として、「『自分は慰安婦だった』と主張する人のなかに偽ってそう称する人が含まれることは、人間性の現実を受け入れるかぎり否定できない」と指摘している<ref name="okubo30">『慰安婦問題とは何だったのか』中公新書,2007,p30</ref>。また、「真偽の判定にあたって被害者(と主張する人)に最大の配慮をすべきことは当然だが、個人への償いは、被害者を認定するという作業を経なければならない。その際、『自分は慰安婦だった』と主張する人のなかに虚偽の主張者が含まれる可能性がある以上、すべての人を元慰安婦と認定することはできない。主張の真実性を認定する基準と手続きをつくらなければならない」と提言した<ref name="okubo30" />。
 
==== 安秉直による検証調査 ====
[[ソウル大学]][[名誉教授]][[安秉直]]を代表とする「挺身隊研究会」は[[韓国挺身隊問題対策協議会]]と共同で1992年7月から12月にかけて慰安婦と名乗り出たうちの生存者55人中約40人に聞き取り調査を行なった{{sfn|西岡力|2007|p=93-94}}。一人あたり5、6回以上の長時間の面接調査、記録資料との確認、スタッフは報告書を3回以上輪読、その後の再面談を経てまとめられた。調査の結果は半数以上が「意図的に事実を歪曲していると感じられる」などの理由から脱落し、最終的に証言集に掲載できたのは19人であった<ref>{{Harvnb|西岡力|2007|p=96}}</ref>。この調査報告書では強制連行は詐欺(主)を含めて大部分だとしている<ref name="syougen">韓国挺身隊問題対策協議会・挺身隊研究会(編)『証言・強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち』([[明石書店]] 1993年){{要ページ番号|date=2013-06-06}}</ref>p26p27)。調査は1993年2月に韓国で挺対協・挺身隊研究会編『証言集1 強制で連れて行かれた朝鮮人慰安婦たち』として刊行された<ref>{{Harvnb|西岡力|2007|p=91}}</ref>。しかし安秉直は「歴史学的に検証に堪える緻密な調査をすべきという私の考えに運動の論理が対立した」と挺対協との対立について回想し、証言集を発表してからは研究会を離れたとしている<ref>{{Harvnb|西岡力|2007|p=94}}</ref>。[[2006年]]、安は「強制動員されたという一部の慰安婦経験者の証言はあるが、韓日とも客観的資料は一つもない」「無条件による強制によってそのようなことが起きたとは思えない」と述べ、慰安婦は「自発的」であったことを述べ、現在の韓国における私娼窟における慰安婦をなくすための研究を行うべきであり、また共同調査を行った韓国挺身隊問題対策協議会は慰安婦のことを考えるより日本との喧嘩を望んでいるだけであったと非難している<ref>{{ko icon}}{{Cite web|和書
|url = http://www.dailyseop.com/section/article_view.aspx?at_id=52265
|title = 教科書フォーラムの安秉直、「慰安婦は自発的」妄言で波紋
|publisher = デイリー・サプライズ
|accessdate = 2008-12-09
|date = 2006-12-06
|archiveurl = https://web.archive.org/web/20080129121328/http://www.dailyseop.com/section/article_view.aspx?at_id=52265
|archivedate = 2008年1月29日
}}</ref>。
 
現代朝鮮研究者の[[西岡力]]は安秉直調査による証言集に掲載された19人のうち、官憲等による「強制連行」だったと証言する女性は4人だけであり、その4人のうちの2人が語ったのは日本[[内地]]の[[富山県]]と、朝鮮半島南部にある[[釜山広域市|釜山]]の「慰安所」であった<ref name="nishioka2007p98">{{Harvnb|西岡力|2007|p=98}}</ref>。しかしいずれも戦地ではなく、現地には[[公娼]]にいた[[遊廓]]があったため、軍がわざわざ強制連行する必然性がなく、信ぴょう性がないとした<ref name="nishioka2007p98" />。残り二人は[[金学順]]と[[文玉珠]]であり、[[文玉珠]]は当時2万6145円を貯金していた(当時の3万円は現在での約1億3606万<ref>「[[#韓国の裁判所での判決]]」節参照</ref>)慰安婦であるが、高木弁護士の作成した訴状ではビルマの慰安所に連行されたと証言しているのに、安秉直教授らの調査ではビルマの前に[[満州]]に連行されたと異なる証言をしたが、訴状作成の時点でなぜ満州への連行を陳述しなかったのか、その合理的理由が不明であり、信ぴょう性にかけると西岡は指摘している<ref>{{Harvnb|西岡力|2007|pp=98-99}}</ref>。また両名共、日本政府を訴えた裁判の[[訴状]]では元「[[妓生|キーセン]]」であったと自ら認めていると西岡が『文藝春秋』1992年4月号に発表した「慰安婦問題とは何だったのか」(以下「西岡論文」)で指摘した<ref name="subetehaasahi">[[西岡力]]「すべては朝日新聞の捏造から始まった」『[[WiLL (雑誌)|WILL]]』2007年5月号 {{要ページ番号|date=2013-06-07}}</ref><ref name="nishioka">『[[日本文化チャンネル桜]]』2005年6月15日</ref><ref>{{Harvnb|西岡力|2007|p=61}}</ref>ところ、西岡の指摘後、金学順は「キーセンに売られて中国に連れて行かれたのだけど、業者の人と[[北京]]の食堂でご飯を食べていたら日本の軍人が来て連行された」とそれまでの証言を変えた<ref name="subetehaasahi" /><ref>{{Harvnb|西岡力|2007|p=90}}</ref>。金学順は1991年12月の訴状作成の時点では「養父に連れられて中国に渡った」と証言していたのを、1992年7月からの安秉直教授らの調査では「北京で日本軍人に暴力的に連行された」と証言を変更しており<ref name="nishioka2007pp90-92">{{Harvnb|西岡力|2007|pp=90-92}}</ref>、西岡は、裁判に有利なことを訴状で意図的に隠すとは思えず、こうした証言の変化は西岡論文での指摘を受けて付け加えたものとみるのが自然であると主張した<ref name="nishioka2007pp90-92" />。また、信ぴょう性のある証言を行った日本軍に強制連行された朝鮮人慰安婦は一人もいなくなるとしている<ref name="nishioka2007pp90-92" />。
 
吉見義明は1997年、研究者も[[強制連行]]のケースとは認定していない文玉珠に対し、強制連行ではないと主張しても研究上は意味をなさないと主張した<ref name="yosimi30true&false">吉見義明、[[川田文子]] 『「従軍慰安婦」をめぐる30のウソと真実』([[大月書店]]、1997年7月){{要ページ番号|date=2013-06-03}}</ref>。{{要出典範囲|date=2015-3-13| しかし、文玉珠の証言は1993年の韓国の挺対協による調査においては、そのときの最も明白な強制連行の証言であった。それ以前の訴状には、騙されて掠われたことになっている}}。
 
==== 非公開証言と日本外務省による「強制性」認定 ====
宮澤内閣は1993年の「[[河野談話]]」発表以前に韓国政府の強い要請を受け、元慰安婦16人の証言を聞いたが、この時の元慰安婦の人選は韓国の太平洋戦争犠牲者遺族会が行い、証言には[[福島瑞穂]]弁護士などの立会い人が付き添った<ref name="mitsuyaku" />。日本政府はこの証言に対する質問も、裏付け調査をすることも許されず、この調査における慰安婦の氏名も証言内容も非公開とされた<ref name="mitsuyaku">[[櫻井よしこ]]「密約外交の代償」(『[[文藝春秋 (雑誌)|文藝春秋]]』1997年4月号){{要ページ番号|date=2013-06-07}}</ref>。
 
この時内閣官房副長官であった[[石原信雄]]は、当時どれだけ歴史資料を探しても「日本側には強制連行の事実を示す資料も証言者もなく、韓国側にも通達、文書など物的なものはなかったが」、元慰安婦は強制性があると証言するので、「総合的に判断して強制性を認めた」と語っている<ref name="ishinobu" />。そのような判断に至った理由を「強制性を認めれば、問題は収まるという判断があった」と語っている<ref name="ishinobu" />。石原は、当時韓国政府は国家賠償を求めていなかったため、元慰安婦の名誉回復と日韓関係のために日本軍による強制性を認めたが、もし当時韓国側が日本政府による個人補償・国家賠償を求めていたら「'''通常の裁判同様、厳密な事実関係の調査に基づいた証拠を求めていた'''」と語っており、この非公開の「聞き取り調査」における元慰安婦の証言に裏付けはなく一方的な被害証言であったことを認めている<ref name="mitsuyaku" /><ref name="ishinobu">「強制連行」証拠なく 直前の聞き取り基に『産経新聞』1997年3月9日</ref>。なお慰安婦を被告として[[裁判]]したケースはないため、[[偽証罪]]([[刑法 (日本)|刑法]]第169条)や[[事実認定]]([[刑事訴訟法]]第317条)が法的に適用されたことはない。
 
[[平林博]][[内閣外政審議室]]室長は、[[1997年]][[3月12日]]の国会での[[小山孝雄]]参議院議員の質問に「政府が調査した限りの文書の中には軍や官憲による慰安婦の強制募集を直接示すような記述は見出せなかった」と答弁<ref name="nishioka2007pp139-143">{{Harvnb|西岡力|2007|pp=139-143}}</ref>、翌日の新聞では『[[産経新聞]]』を除き、この「裏取りもせず、非公開のものだけで強制連行を認めた」とする政府答弁について報道するメディアはなく公聴会が開かれることもなかった<ref>{{Harvnb|西岡力|2007|p=145}}</ref>。西岡力は金縛りにあったように「誰も、なにもいえなかった」として、これは1988年に[[梶山静六]]がアベック失踪について[[北朝鮮による拉致]]が濃厚と答弁したときの翌日に産経と日経以外のメディアが報道しなかったことと同じ構図だったと述べている<ref>{{Harvnb|西岡力|2007|p=146}}</ref>。
 
この時の証言認定が[[河野談話]]の前提ともなり、また、韓国政府はその河野談話を日本政府が強制連行を認めた証拠として提示するようになる。
 
なお、[[河野洋平]]は河野談話発表後、「半世紀以上も前の話だから場所とか状況とかに記憶違いがあるかもしれない。だからといって、一人の女性の人生であれだけ大きな傷を残したことについて、傷そのものの記憶が間違っているとは考えられない。実際に聞き取り調査の証言を読めば、被害者でなければ語り得ない経験だとわかる。相当な強圧があったという印象が強い。」と、元慰安婦の証言の裏付けをとらずに証言は真正のものと認定している<ref>1997年3月31日付『朝日新聞』※記事名不明※</ref>。
 
== 人権・人道に対する罪 ==
戦後、ドイツは「人道に対する犯罪([[人道に対する罪]])には[[時効]]はない」と宣言した<ref>{{Harvnb|秦郁彦|1999|p=149}}</ref>。ただし、ドイツ軍([[ドイツ国防軍]]および[[武装親衛隊]])慰安婦への戦後補償は実施されていない<ref>「[[慰安婦#ドイツ軍の慰安婦]]」参照</ref>)。ほか、{{誰範囲|日本の[[フェミニスト]]・[[女性学]]者|date=2018年7月}}や、クマラスワミ報告書やマクドゥーガル報告書などでは慰安婦問題を女性に対する暴力・[[性犯罪]]・[[強姦罪]]として問題にしている。
 
[[韓国系アメリカ人]]による[[ロビー活動]]においては近年、[[ホロコースト]]問題と日本軍慰安婦制度問題とを同列に考えようとして[[ユダヤ人|ユダヤ系アメリカ人]]との連携を進行させており、[[2011年]]12月15日には[[コロンビア大学]]で「女性の権利」フォーラム主催のシンポジウム「人類の希望:ホロコーストと慰安婦の生存者の声」が開かれホロコーストの生存者である女性2名と、元慰安婦2名、[[チャールズ・ランセル]]下院議員、韓国系アメリカ人投票者協議会(KAVC)のドンチャン・キム会長らが参加した<ref>{{Harvnb|東郷和彦|2012|page=143}}</ref>。また2012年5月に慰安婦の碑を建てたパリセイズ・パーク市に対して日本側が抗議を開始した直後に訪韓した[[ヒラリー・クリントン]]国務長官は「(日本軍慰安婦制度の問題)は性奴隷の話であり、女性の権利と人道に対する罪の文脈で考えられなければならない」と内輪の席で述べたうえで、日本軍慰安婦制度は「唾棄すべきもの」で「巨大な規模の重大な人権侵犯」と語った<ref>{{Harvnb|東郷和彦|2012|pages=143-144}}</ref>。
 
他方、当時は国が売春を認める「公娼制度」があった時代であり、性に対する倫理感覚、女性に対する[[人権]]感覚は現在と違っているのに、過去の歴史の出来事を現在の基準で裁くのは間違いだとの指摘もある<ref name="seiron200303">『正論』 2003年3月号 {{要ページ番号|date=2013-06-07}}</ref>。[[政策研究大学院大学]]教授の[[北岡伸一]]も「21世紀の人権感覚を過去の歴史に適用するのは、いかにも乱暴」と述べている<ref>[https://www.nikkei.com/article/DGXNASFK07037_X00C12A9000000/ 従軍慰安婦問題 米国でも強まる「対日不信」]『[[日本経済新聞]]』2012年9月12日</ref>。
 
元[[外交官]]の[[東郷和彦]]は日本での「強制連行」に関する議論に対して「必ずしも誤りでない」と理解を示しながらも<ref name="wp1">{{Harvnb|東郷和彦|2012|page=138}}</ref>、[[#安倍発言|2007年の安倍発言]]直後の[[カリフォルニア大学サンタバーバラ校|カリフォルニア大学]]でのシンポジウムにおいて米国人女性の、米国における慰安婦問題の視点は「強制」であるかどうかなどは誰も関心がなく、「自分の娘が慰安婦にされていたらどう考えるか」という嫌悪感にもとづくものであり、「これは非歴史的(ahistoric)な議論である。現在の価値観で過去を振り返って議論しているのだ」という発言を紹介している<ref name="wp2">{{Harvnb|東郷和彦|2012|page=141}}</ref>。東郷は日本国内の慰安婦についての議論は国内でしか通用せず[[ガラパゴス化]]しており<ref>{{Harvnb|東郷和彦|2012|pages=138-139}}</ref>、今後の日本政府の対応次第では、日韓のみならず日本と欧米間に「深刻な対立を引き起こす可能性がある」と警告した<ref name="wp1" />。他方で慰安婦問題とホロコースト問題とを同列に扱いえないことはユダヤ・ロビー自身が最も理解できるに違いないとしたうえで日本の外交戦略としてユダヤ・ロビーとの連携を訴えた<ref name="東郷和彦 2012">{{Harvnb|東郷和彦|2012}}{{要ページ番号|date=2013-06-07}}</ref>。また東郷は韓国政府がアジア女性基金による補償を受けようとした元慰安婦を[[非国民]]扱いしたことを強く批判し、戦後日本の法的秩序を全壊させかねないような過剰な「法的責任の追及」は遠慮してもらいたいと述べている<ref name="東郷和彦 2012"/>。
 
「いわゆる従軍慰安婦問題」について、具体的に(たとえば国家による強制連行の)証拠を明示せよと指摘された「慰安婦擁護側」が、証拠を明示できない場合に、この「人道的な価値観」を持ち出すことで、無意識のうちに問題をすり替えてしまうという指摘がある<ref>[[福井雄三]]『[[司馬遼太郎]]の「意外な歴史眼」』([[主婦の友社]] ISBN 978-4-07-260681-0)p.111</ref>。また、いわゆる[[進歩的文化人]]の論法の特徴の一つに、正面切って反対しにくい事柄を振りかざし、それに少しでも異議を唱えるものに「人道の敵」「人権侵害者」とレッテルを貼り、「慰安婦がかわいそうだとは思わないのか」と居丈高に断罪するというものがある、そこには事実に基づいた冷静で客観的な議論は無理であるという指摘もある<ref>[[稲垣武]]『「悪魔祓い」の戦後史 進歩的文化人の言論と責任』[[文春文庫]] ISBN 4-16-736504-9、539p</ref>。
 
== 『広辞苑』での「慰安婦・従軍慰安婦」の記載の変遷 ==
* 『[[広辞苑]]』初版([[1955年]])慰安婦「戦地の部隊に随行、将兵を慰安した女」。1970年代以降になって「従軍慰安婦」問題が社会問題となり<ref name="amako">[http://www.tokibo.co.jp/vitalite/pdf/no32/v32p05view.pdf#search='戦線女人考' 慰安婦問題の問いかけているもの]</ref>、日韓の外交問題にまで発展。
* 『広辞苑』第4版([[1991年]])慰安婦「戦地の将兵を慰安する女性。」
* 『広辞苑』第5版([[1998年]])従軍慰安婦「[[日中戦争]]、[[太平洋戦争]]期、日本軍によって将兵の性の対象となる事を強いられた女性。多くは強制連行された朝鮮人女性。」[[谷沢永一]]と[[渡部昇一]]らが、史実と異なる記述であり、[[イデオロギー]]にもとづく記述は辞書に値しないと批判<ref>『広辞苑の嘘』光文社2001,pp210-211</ref><ref>[[新井佐和子]]:『広辞苑』が載せた「朝鮮人強制連行」のウソ。[[正論 (雑誌)|正論]](1998/5)pp46-53</ref>。
* 『広辞苑』第6版([[2008年]])従軍慰安婦「日中戦争、太平洋戦争期、日本軍によって将兵の性の対象となる事を強いられた女性。植民地・占領地出身の女性も多く含まれていた」、「[[日本統治時代の朝鮮人徴用|朝鮮人強制連行]]」の項目「日中戦争・太平洋戦争期に100万人を超える朝鮮人を[[内地]]・[[樺太]](サハリン)・[[沖縄戦|沖縄]]・[[東南アジア]]などに強制的に連行し、労務者や軍夫などとして強制就労させたこと。女性の一部は日本軍の<u>慰安婦</u>とされた。」
*『広辞苑』第7版([[2018年]])記載されず
 
=== 他の事典・辞書の記載 ===
*『[[世界大百科事典]]』第2版([[2006年]])従軍慰安婦「[[十五年戦争]]期に、戦地・占領地で日本軍の監督下に置かれ、軍人・軍属の性交の相手をさせられた女性。」「その本質は軍[[性的奴隷|性奴隷]]である」と解説している<ref>[https://kotobank.jp/word/%E5%BE%93%E8%BB%8D%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6-686270 世界大百科事典 第2版【従軍慰安婦】]</ref>。
* 『[[大辞林]]』第3版(2006年)慰安婦「日中戦争や太平洋戦争中、朝鮮などアジアから集められ、戦地で日本軍将兵の性の相手となることを強要された女性たち。」<ref>[https://kotobank.jp/word/%E6%85%B0%E5%AE%89%E5%A9%A6-429966 大辞林 第三版 【慰安婦】]</ref>
* 『[[大辞泉]]』(2006年)慰安婦「かつて、主に戦地で将兵の性の相手をさせられた女性。」
 
== 公的資料 ==
※当時の日本軍、政府が発令した通達は本文を参照。
 
'''朝鮮での慰安婦'''
朝鮮半島では[[国家総動員法]]に次ぐ[[国民徴用令]]に基づいた挺身隊(女子の動員は1943年9月から)から、[[植民地]]女性を中心に慰安婦にさせられた場合があったとされているが、当時の朝鮮では「挺身隊」を「慰安婦」と混同する[[デマゴギー|デマ]]が流布しており(韓国における「挺身隊」と「慰安婦」の混同と流言参照)、また慰安婦と称する者の証言以外には「慰安婦強制連行」の客観的証拠は見つかっておらず、朝鮮半島における命令書等の公文書は現在までに発見されていない。[[クマワスラミ報告書]]も「慰安婦の募集に関する公文書はなく、証拠は元慰安婦の証言だけ」としている<ref name="senjyounosei" />。吉見義明も[[1997年]][[2月27日]]の『[[朝鮮時報]]』([[在日本朝鮮人総聯合会|朝鮮総連]]機関紙)で「『官憲による奴隷狩りのような連行』を裏付ける文書は今のところ出ていない」と認め、またアジア女性基金呼びかけ人で、[[東京大学]]教授の[[和田春樹]]も「官憲による直接的強制」を立証する文書資料はまだ発見されていないと述べた<ref>{{Harvnb|西岡力|2007|p=128}}</ref><ref>『アジア女性基金ニュース』8号(1997年3月5日)</ref>。
 
[[千田夏光]]や吉見義明らは「強制連行」を指示する資料が見つからないのは旧日本軍が資料を焼却処分したためであり、また、未だ公開されていない資料もあると推測している。[[河野洋平]]も2007年3月、「従軍慰安婦の徴集命令に関する旧日本軍の資料は処分されていたと推定もできる」と発言している<ref>※記事名不明※[[朝日新聞デジタル|asahi.com]]2007年3月27日付</ref>が、確実な資料が発見されたわけではなく、推測の域にとどまっている<ref>{{Harvnb|西岡力|2007|p=}} {{要ページ番号|date=2013-06-09}}</ref>。
 
'''東京裁判における資料'''
 
* [[支那派遣軍|中国占領日本軍]]による、工場就職を口実とした従軍慰安婦の詐欺的募集に対する[[極東国際軍事裁判]](東京裁判)判決<ref>[http://www.ibiblio.org/hyperwar/PTO/IMTFE/IMTFE-8.html Judgment International Military Tribunal for the Far East] , p.1022</ref>)
*[[日本国との平和条約|サンフランシスコ講和条約]] 11 条項: Japan accepts the judgments of the International Military Tribunal for the Far East(日本は「極東国際軍事裁判」の判決を認める)
 
'''アメリカによる調査結果'''
 
* 『産経新聞』2014年11月27日記事”米政府の慰安婦問題調査で「奴隷化」の証拠発見されず…日本側の主張の強力な後押しに”(https://www.sankei.com/article/20141127-P6D7Y65FOJPVNJO4RGRF6SEPCA/<nowiki/>)によると、”米政府が[[ビル・クリントン|クリントン]]、[[ジョージ・W・ブッシュ|ブッシュ]]両政権下で8年かけて実施したドイツと日本の戦争犯罪の大規模な再調査で、日本の慰安婦にかかわる戦争犯罪や「女性の組織的な奴隷化」の主張を裏づける米側の政府・軍の文書は一点も発見されなかったことが明らかとなった。”とある。
*この文書は”Nazi War Crimes & Japanese Imperial Government Records Interagency Working Group”というタイトルで<nowiki/>https://www.archives.gov/files/iwg/reports/final-report-2007.pdf<nowiki/>に挙げられている。序文に残念ながら証拠が見つからなかったとあるため、見つかることを期待して調査が行われたことがうかがえる。日本の分で14万ページを超える分量の調査が行われたとのこと。
 
'''日本政府による調査'''
 
* 1992年(平成4年)7月6日、[[加藤紘一]][[内閣官房長官]]が「朝鮮半島出身者のいわゆる従軍慰安婦問題に関する加藤内閣官房長官発表」を行い、慰安所の設置などに関して当時「政府の関与があったことが認められた」と発表した<ref>[https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kato.html 「朝鮮半島出身者のいわゆる従軍慰安婦問題に関する加藤内閣官房長官発表」]</ref>。
* 1993年(平成5年)8月4日、[[宮澤改造内閣]]は慰安婦調査の結果「いわゆる従軍慰安婦問題について」<ref>[https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/pdfs/im_050804.pdf 「いわゆる従軍慰安婦問題について」]</ref>を発表した。同日、[[河野洋平]]内閣官房長官が[[慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話]](河野談話)<ref>[https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/kono.html 「慰安婦関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話」]</ref>を発表した。この談話は以後、その意義や根拠について賛否両論を呼んだ。[[平林博]][[内閣外政審議室]]室長は、[[1997年]][[3月12日]]の国会での[[小山孝雄]]参議院議員の質問に「政府が調査した限りの文書の中には軍や官憲による慰安婦の強制募集を直接示すような記述は見出せなかった」と答弁<ref name="nishioka2007pp139-143" />。同1997年3月には当時宮澤内閣の内閣官房副長官であった[[石原信雄]]も「随分探したが、日本側のデータには強制連行を裏付けるものはない」とし<ref>『産経新聞』でのインタビュー(※記事名・掲載日不明※)</ref>、また元慰安婦を強制的に連れてきたという軍関係者の証言を探したがなかったと明かした<ref name="sankei19970309" />。他方、1998年4月に慰安婦訴訟「関釜裁判」で[[山口地方裁判所]]下関支部は[[河野談話]]発表によって国会議員に賠償立法の義務が生じたとし、国の立法義務、立法の不作為を認め、国に対し慰安婦側の損害賠償の訴えを一部認めた(後に控訴審で棄却)。[[西岡力]]は、河野談話では朝鮮人慰安婦に触れた段落では「官憲等」の加担については述べられていないと指摘している<ref>{{Harvnb|西岡力|2007|p=114}}</ref>。
* 宮澤内閣以降、[[アジア女性基金]]によるその後の調査は「政府調査「従軍慰安婦」関係文書資料」としてまとめられ、龍溪書舎から全5巻刊行され、公式HPでも公開されている<ref>[http://www.awf.or.jp/6/document.html 慰安婦関連歴史資料]</ref>。この資料集にはこれまでの当時の日本軍慰安婦関連の資料が網羅されている。
* 2011年(平成23年)8月、[[日本国外務省]]は「慰安婦問題に対する日本政府のこれまでの施策」を発表し、これまでの慰安婦関連事業および日本政府による償い事業について再度説明した<ref>[https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/ianfu.html 「慰安婦問題に対する日本政府のこれまでの施策」]</ref>。
 
== 年表 ==
{{see|慰安婦の年表}}
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
{{Reflist|3}}
 
== 参考文献 ==
'''政府資料'''
{{Refbegin}}
* 「[[女性のためのアジア平和国民基金]]」編『政府調査「従軍慰安婦」関係資料集成』[[龍溪書舎]] 1997年3月20日
{{Refend}}
 
<small>※以下参考文献、発行年代順.</small>
<!---出典は発行年代順で。発行年についての明記も必要。--->
* [[山本優美子]]・細谷清 共著2005『国際連合 自由権規約委員会 第111会期 日本政府第6回報告書検討会 記録と解説(資料集)』慰安婦の真実国民運動 対国連委員会調査団
* {{Cite book|和書|author=千田夏光|authorlink=千田夏光|date=1973-10|title=従軍慰安婦―"声なき女"八万人の告発|publisher=[[双葉社]]|asin=B000J9FP34|ncid=BN14173749|ref=harv}}
* {{Cite book|和書|author=金一勉|authorlink=金一勉|date=1976-1|title=天皇の軍隊と朝鮮人慰安婦|publisher=[[三一書房]]|isbn= 978-4-380-76229-1|ref=harv}}
* {{Cite book|和書|author=吉田清治|authorlink=吉田清治 (文筆家)|title=私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行|date=1983-1|isbn=4-380-83231-7|ref~harv}}
* {{Cite book|和書|author=吉見義明|authorlink=吉見義明|date=1992-12|title=従軍慰安婦資料集|publisher=[[大月書店]]|series=|isbn=978-4-272-52025-1|ref=harv}}
* {{Cite book|和書|author=韓国挺身隊問題対策協議会・挺身隊研究会(編)|translator=従軍慰安婦問題ウリヨソンネットワーク|title=証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち|date=1993-11|publisher=[[明石書店]]|series=|isbn=978-4-7503-0548-6|ref=harv}}
* {{Cite book|和書|author=倉橋正直|authorlink=倉橋正直|date=1994|title=従軍慰安婦問題の歴史的研究-売春婦型と性的奴隷型-|publisher=共栄書房|isbn=|ref=harv}}
* {{Cite book|和書|author=吉見義明|date=1995-04|title=従軍慰安婦|publisher=[[岩波書店]]|series=[[岩波新書]]|isbn=978-4-00-430384-8|ref=harv}}
* {{Cite book|和書|author=吉見義明|coauthors=[[林博史]]|date=1995-08|title=共同研究 日本軍慰安婦|publisher=大月書店|series=|isbn=978-4-272-52039-8|ref=harv}}
* {{Cite book|和書|author=ジョージ・ヒックス|authorlink=ジョージ・ヒックス|date=1995-10|title=性の奴隷 従軍慰安婦|publisher=三一書房|series=|isbn=978-4-380-95269-2|ref=harv}}
* {{Cite book|和書|author=国際法律家委員会|authorlink=国際法律家委員会|date=1995|国際法からみた「従軍慰安婦」問題|publisher=明石書店|isbn=|ref=harv}}
* {{Cite book|和書|author=藤目ゆき|authorlink=藤目ゆき|date=1997-03|title=性の歴史学―公娼制度・堕胎罪体制から売春防止法・優生保護法体制へ―|publisher=[[不二出版]]|series=|isbn=978-4-938303-18-1|ref=harv}}
* 吉見義明・川田文子『「従軍慰安婦」をめぐる30のウソと真実』[[大月書店]] 1997年6月 ISBN 4-272-52050-4
* [[アジア女性資料センター]]編『「慰安婦」問題Q&A編―「[[自由主義史観]]」へ 女たちの反論』明石書店 1997年
* [[藤岡信勝]]『自虐史観の病理』文春文庫、2000年(『[[文藝春秋 (雑誌)|文藝春秋]]』1997年8月号掲載)
* [[大師堂常慰]]『慰安婦強制連行はなかった―河野談話の放置は許されない』[[展転社]] 1999年2月 ISBN 978-4-88656-163-3
* {{Cite book|和書|author=秦郁彦|authorlink=秦郁彦|date=1999-6-30|title=慰安婦と戦場の性|publisher=[[新潮社]]|series=[[新潮選書]]|isbn=978-4-10-600565-7|ref=harv}}
* {{Cite book|和書|author=秦郁彦|year=1999b|date=1999-12-8|title=昭和史の謎を追う 上|publisher=[[文藝春秋]]|series=[[文春文庫]]|isbn=978-4-16745304-6|ref=harv}}
* [[池田恵理子]]他『慰安婦戦時性暴力の実態1:日本・台湾・朝鮮編』緑風出版 2000年
* 池田恵理子他『慰安婦戦時性暴力の実態2:中国東南アジア太平洋編』緑風出版 2000年
* ゲイ・J. マクドゥーガル他著、バウネットジャパン訳『戦時・性暴力をどう裁くか―国連マクドゥーガル報告全訳』凱風社 2000年
* [[朱徳蘭]]『台湾慰安婦関係資料集』第1巻・第2巻 不二出版 2001年
* [[「戦争と女性への暴力」リサーチ・アクション・センター|VAWW-NETジャパン]]他著『裁かれた戦時性暴力―「日本軍性奴隷制を裁く女性国際戦犯法廷」とは何であったか』白沢社 2001年
* {{Cite book|和書|author=尹明淑|authorlink=尹明淑|date=2003-02|title=日本の軍隊慰安所制度と朝鮮人軍隊慰安婦|publisher=[[明石書店]]|series=|isbn=978-4-7503-1689-5|ref=harv}}
* [[阿部晃]]『日本人なら知っておきたい「慰安婦問題」のからくり』[[夏目書房]] 2005年5月 ISBN 978-4-86062-039-4
* 西岡力『日韓「歴史問題」の真実 「朝鮮人強制連行」「慰安婦問題」を捏造したのは誰か』[[PHP研究所]] 2005年6月 ISBN 978-4-569-64316-8
* [[鈴木裕子 (女性史研究家)|鈴木裕子]]『日本軍「慰安婦」関係資料集成』上下 明石書店 2006
* {{Cite book|和書|author=西岡力|authorlink=西岡力|year=2007|month=6|title=よくわかる慰安婦問題|publisher=[[草思社]]|series=|isbn=978-4-7942-1601-4|ref=harv}}
* [[黄文雄 (評論家)|黄文雄]] 『「従軍慰安婦」問題』[[ワック (出版社)|WAC]],2007年
* [[浜日出夫]]2007「歴史と記憶」,[[長谷川公一]]、浜日出夫、[[藤村正之]]、[[町村敬志]]『社会学Sociology:Modernity, Self and Reflexivity』[[有斐閣]]
* Hata Ikuhiko([[秦郁彦]]),[http://www.sdh-fact.com/CL02_1/31_S4.pdf NO ORGANIZED OR FORCED RECRUITMENT: MISCONCEPTIONS ABOUT COMFORT WOMEN AND THE JAPANESE MILITARY],2007,Society for the Dissemination of Historical Fact.
* 梶村太一郎、村岡崇光、糟谷廣一郎『「慰安婦」強制連行 ~史料:オランダ軍法会議資料、ルポ「私は日本鬼子」の子』週刊金曜日 2008年
* {{Cite book|和書|author=李榮薫|authorlink=李榮薫|translator=[[永島広紀]]|date=2009-02|title=大韓民国の物語|publisher=[[文藝春秋]]|series=|isbn=4-16-370310-1|ref=harv}}
*Chunghee Sarah Soh,The Comfort Woman,University of Chicago Press([[シカゴ大学出版局]]), 2009年2月
* {{Cite book|和書|author=小熊英二|authorlink=小熊英二|title=1967|volume=下|date=2009-7-7|publisher=[[新曜社]]|isbn=978-4-7885-1163-7|ref=harv}}
* [[倉橋正直]]『従軍慰安婦と公娼制度―従軍慰安婦問題再論』共栄書房 2010年8月 ISBN 4-7634-1040-7
* {{cite journal|和書|author=[[東郷和彦]]|date=2012-12|title=私たちはどのような日韓関係を残したいのか ─「普遍的人権」問題としての慰安婦|journal=[[世界 (雑誌)|世界]]|publisher= 岩波書店|volume=837|pages=137-145|ref=harv}}
* [[朴裕河]] 『제국의 위안부 - 식민지지배와 기억의 투쟁(帝国の慰安婦-植民地支配と記憶の闘争)』 뿌리와이파리(「根と葉」出版)2013-08-05 ISBN 978-89-6462-030-4
* マルゲリート・ハーマー著、村岡崇光訳『折られた花。日本軍「慰安婦」とされたオランダ人女性たちの声』新教出版社2013年11月。
**{{Cite book|和書|date=2014-11-07 |title=帝国の慰安婦 植民地支配と記憶の闘い |author=朴裕河|authorlink=朴裕河 |publisher=[[朝日新聞出版]] |isbn=978-4-02-251173-7 |ref={{SfnRef|朴|2013}} }}
* {{Cite book|和書|date=2014-10-20 |title=日韓歴史認識問題とは何か |author=木村幹|authorlink=木村幹 |publisher=[[ミネルヴァ書房]] |isbn=978-4-623-07175-3 |ref={{SfnRef|木村|2014}} }}
* {{Cite journal|和書|date=2014-10-29 |title=週刊 金曜日増刊 特別編集 従軍慰安婦問題 |journal=[[週刊金曜日]] |asin=B00OHZ9TK6 |ref={{SfnRef|週刊金曜日|2014}} }}
* {{Cite book|和書|date=2014-11-18 |title=慰安婦問題世界の眼日本の声 |author=読売新聞取材班|authorlink=読売新聞 |publisher=[[中央公論新社]] |series=[[ムック (出版)|中公ムック]]|isbn=978-4-623-07175-3 |ref={{SfnRef|読売新聞取材班|2014}} }}
* {{Cite book|和書|date=2014-12-13 |title=「慰安婦」問題を/から考える――軍事性暴力と日常世界 |author1=歴史学研究会|authorlink1=歴史学研究会 |author2=日本史研究会|authorlink2=日本史研究会 |publisher=[[岩波書店]]|isbn=978-4-00-061005-6 |ref={{SfnRef|歴史学研究会、日本史研究会|2014}} }}
* {{Cite book|和書|date=2014-12-17 |title=抵抗の拠点から 朝日新聞「慰安婦報道」の核心 |author=青木理|authorlink=青木理 |publisher=[[講談社]] |isbn=978-4-623-07175-3 |ref={{SfnRef|青木|2014}} }}
 
== 関連項目 ==
※本文で明記されたもの以外。
* [[日本の歴史家たちを支持する声明]]
* [[ライダイハン]] - 大韓民国による[[ベトナム戦争]]当時の慰安婦
* [[城田すず子]] - 日本人慰安婦
* [[NHK番組改変問題]]
* [[芸娼妓解放令]]
* [[歴史教科書問題]]
* [[売春]]/[[妓生]]/[[遊女]]
* [[遊廓]]/[[女衒]]/[[人買]]
* [[セックスワーカー]]
* [[ニコン慰安婦写真展中止事件]]
* [[記憶と生きる]] - 慰安婦問題を扱ったドキュメンタリー映画。
* [[主戦場]] - 日本の慰安婦問題を扱ったドキュメンタリー映画。
* [[反日種族主義]]
 
'''強制連行肯定派'''
*[[上杉聰]]、[[辛淑玉]]
 
'''強制連行否定派'''
* [[主権回復を目指す会]]、[[酒井信彦]]、[[西村修平]]、[[西岡力]]、[[櫻井よしこ]]、[[中西輝政]]、[[李栄薫]]、[[池萬元]]、[[行動する保守]]
 
== 外部リンク ==
{{commons|Category:Comfort women of the Empire of Japan}}
* [https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/taisen/ianfu.html 慰安婦問題に対する日本政府のこれまでの施策] 日本国 外務省 {{ja icon}}
* [https://www.archive814.or.kr/ アーカイブ814] {{ko icon}}
* {{Wikisourcelang-inline|en|Enforced prostitution in Western Borneo during Japanese Occupation}}
* {{Wikisourcelang-inline|en|Japanese Military's "Comfort Women" System}}
* {{Wikisourcelang-inline|en|Japanese Prisoner of War Interrogation Report 49}}
 
{{慰安婦}}
 
{{DEFAULTSORT:にほんのいあんふもんたい}}
[[Category:慰安婦問題|*]]
[[Category:戦争における女性]]
[[Category:日本の戦争犯罪]]
[[Category:日本統治時代の朝鮮]]
[[Category:日本統治時代の台湾]]
[[Category:占領下の日本]]
[[Category:日本軍]]
[[Category:在日米軍]]
[[Category:日韓関係]]
[[Category:歴史認識問題]]
[[Category:日本の戦後処理]]