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{{出典の明記|date=2012201968157日 () 0916:3516 (UTC)}}
{{基礎情報 会社
'''スクールバンド'''('''school band''')は、広義には学校主体で運営される音楽団体のことを指す。狭義には[[小学校]]や[[中学校]]、[[高等学校]](さらには[[大学]])の[[吹奏楽]]またはそれに近い編成の楽団のことを指す。[[音楽大学]]や音楽を専攻する学生のみによる団体を除外する場合もある。
| 社名 = マスプロ電工株式会社
| 英文社名 = MASPRO DENKOH CORP.
| ロゴ = [[File:MASPRO DENKOH Logo.svg|250px]]
| 画像 = [[File:Maspro Denkoh Corp. Headquarter Office (Nissin city. 2016.02.21).JPG|300px]]
| 画像説明 = 本社(2016年2月)
| 種類 = [[株式会社 (日本)|株式会社]]
| 市場情報 = 非上場(以下は過去のデータ){{上場情報 | 東証1部 | 6749 | 1997年3月13日 | 2011年12月15日 }}{{上場情報 | 名証1部 | 6749 | 1991年12月 | 2011年12月15日 }}
| 略称 = MASPRO、マスプロ
| 国籍 = {{JPN}}
| 本社郵便番号 = 470-0194
| 本社所在地 = [[愛知県]][[日進市]][[浅田町 (日進市)|浅田町]]上納80番地
| 本社緯度度 = 35|本社緯度分 = 7|本社緯度秒 = 37.5|本社N(北緯)及びS(南緯) = N
| 本社経度度 = 137|本社経度分 = 1|本社経度秒 = 51.4|本社E(東経)及びW(西経) = E
| 本社地図国コード = JP-23
| 設立 = [[1955年]](昭和30年)[[9月9日]]<br />(昭和電機工業株式会社)(創立 : [[1953年]](昭和28年)[[8月]])
| 業種 = 3650
| 統一金融機関コード =
| SWIFTコード =
| 事業内容 = アンテナ・電子機器製造販売、電気通信工事
| 代表者 = 端山 佳誠(代表取締役社長)
| 資本金 = 10億円
| 発行済株式総数 = 2034万7851株
|売上高 = 172億3,000万円<br>(2024年3月期)<ref name="fy2024">[https://catr.jp/companies/7a5d4/20566/settlements/edf43/365508 マスプロ電工株式会社 第69期決算公告]</ref>
|営業利益 = 8億4,500万円<br>(2024年3月期)<ref name="fy2024" />
|経常利益 = 11億8,800万円<br>(2024年3月期)<ref name="fy2024" />
|純利益 = 10億8,100万円<br>(2024年3月期)<ref name="fy2024" />
|純資産 =
|総資産 = 139億4,800万円<br>(2024年3月期)<ref name="fy2024" />
| 従業員数 = 494人(2018年3月31日現在)
| 決算期 = [[3月31日]]
| 主要株主 = (株)はしやま 13.48%<br />マスプロ電工社員持株会 4.30%<br />[[日本マスタートラスト信託銀行]]株式会社(信託口) 3.50%<br />(2011年3月31日現在)
| 主要子会社 =
| 関係する人物 =
| 外部リンク = {{Official URL}}
| 特記事項 =
}}
'''マスプロ電工株式会社'''(マスプロでんこう、{{Lang-en-short|MASPRO DENKOH CORP.}}<ref group="注釈">「{{Lang|en|MASPRO Corporation}}」と表記されることもある。</ref>)は、[[テレビ]]用受信[[アンテナ]]等を製造・販売する[[日本]]の[[電気]]機器メーカーである。代表キャッチコピーは「'''親切・技術のMASPRO'''」、「'''マルチメディアのMASPRO'''」。
 
== 概要 ==
== 日本のスクールバンド ==
[[1953年]](昭和28年)[[8月]]に当社の前身であるマスプロ技研工業を創立、[[1955年]](昭和30年)[[9月]]に昭和電機工業として当社創業。[[1961年]](昭和36年)[[7月]]に現社名に変更。社名の由来は「'''MAS'''ter of '''PRO'''duction」(生産の覇者)とされる。本社所在地は[[愛知県]][[日進市]]浅田町上納80番地。本社には[[陶磁器]]、[[浮世絵]]を収集した「[[マスプロ美術館]]」を併設する。[[日本アンテナ]]や[[DXアンテナ]]などと共に日本を代表するテレビアンテナメーカーで、日本国内のテレビアンテナはマスプロがトップシェアである。
主に[[クラブ活動]]や部活動として活動している[[吹奏楽]]や[[ブラスバンド|金管バンド]]、[[マーチングバンド]]、[[ビッグバンド]]、またはそれらに近い編成の楽団のことを指す。小学校においては、器楽合奏団のことを指すこともある。
 
東北の一部を除くテレビジョン放送の完全デジタル化による地デジ化バブル崩壊に対処し、新たな成長発展を実現するため、[[2011年]](平成23年)[[7月29日]]、社長の端山が画策していた[[マネジメント・バイアウト]](MBO)による上場廃止の方針が取締役会で承認され、発表された。マスプロ株を買い付ける予定の会社は筆頭株主である株式会社はしやま(端山家の資産運用管理会社)で、MBO成立後はこの会社の完全子会社となり、その後、はしやまを消滅会社としマスプロ電工を存続会社とする吸収合併が行われた<ref>{{Cite press release
[[1930年]](昭和5年) 東京府立第一商業高等学校(現[[東京都立第一商業高等学校]])ほかを指導していた[[廣岡淑生]](後の全国中学校吹奏楽研究協議会会長、[[日本吹奏楽指導者協会]]会長、[[全日本吹奏楽連盟]]会長)が[[東京音楽学校]](現[[東京芸術大学|東京藝術大学]])での音楽教育研究大会で研究発表「スクールバンドに就いて」を行った。これは「スクールバンド」の名称が使用されたものとして最も古い記録である(2024年12月31日現在)。「スクールバンドに就いて」で廣岡は「我国のバンドに付いては軍楽隊位なもので、民間のバンドとしては、大方のものはヂンダンヂンダンとやって居るに過ぎないのである。我国のスクールバンドに付いて考えてみると、運動会用の器具に等しいのである。そこで是からは音楽教育として、学校の一機関として、そうした地位に於いて教育の目的に向かって縦横に馳駆しなければならぬ。」と述べ、「スクールバンド」という名称を[[日露戦争]]を機に増えた[[軍楽隊]]や[[ジンタ]](ヂンタ)と区別するために用い始めたことがわかる。その後も廣岡は[[1933年]](昭和8年)「季刊ブラスバンド vol.1」No.4(管楽器研究会)で「スクールバンドの現在と将来」、[[1933年]](昭和8年)「音楽教育の思潮と研究」([[田村虎蔵]]先生記念刊行会編 目黒書店 1933年)で「スクールバンド」、[[1935年]](昭和10年)「学校音楽」六月号(共益商社書店)で「学校合奏団指導」と題し、同様のことを論じた。
|和書|title=MBOの実施及び応募の推奨に関するお知らせ
|publisher=マスプロ電工
|date=2011-07-29
|format=PDF
|url=http://www.maspro.co.jp/ir/data/oshirase110729.pdf
|accessdate=2011-08-02
}}</ref>。
 
== 沿革 ==
戦後、学齢人口の増加に伴いスクールバンドの数が増加した。各コンクールを通して演奏の技術水準が飛躍的に向上し、プロおよびアマチュア音楽愛好家の広い裾野としての役割を果たしてきた。
* [[1953年]](昭和28年)[[8月]] - 端山孝がマスプロ技研工業を創立。
* [[1954年]](昭和29年)[[12月]] - [[名古屋市]][[昭和区]][[円上町]]へ移転。
* [[1955年]](昭和30年)
** [[9月]] - 昭和電機工業株式会社を設立(当社創業)、テレビアンテナの製造販売を開始。端山孝が代表取締役社長に就任。
** [[10月]] - 東京営業所(現・東京支店)を開設。
* [[1956年]](昭和31年)[[3月]] - 大阪営業所(現・大阪支店)を開設。
* [[1957年]](昭和32年)10月 - 名古屋市[[熱田区]][[沢下町]]へ本社および工場を移転。
* [[1961年]](昭和36年)
** [[7月]] - マスプロ電工株式会社に商号変更。
** 8月 - [[愛知郡 (愛知県)|愛知郡]]日進町(現・[[日進市]])の日進工場(現・本社工場)が稼働。
** 10月 - 共同受信機器の製造販売を開始。
* [[1964年]](昭和39年)[[2月]] - 多色塗装カラーアンテナの製造販売を開始。
* [[1966年]](昭和41年)9月 - 本社を愛知郡日進町(現・日進市)に移転。
* [[1968年]](昭和43年)7月 - UHFコンバーターの量産開始。
* [[1969年]](昭和44年)[[5月]] - VU共同アンテナの製造販売を開始。
* [[1969年]](昭和44年)7月 - 電気通信工事部門へ進出。
* [[1970年]](昭和45年)12月 - 本社ビル完成。
* [[1973年]](昭和48年)5月 - [[1972年]](昭和47年)度売上高で業界第1位となる。
* [[1975年]](昭和50年)3月 - マスプロ美術館を開館。
* [[1982年]](昭和57年)[[6月]] - 衛星放送受信機器を開発、アメリカへ輸出を開始。
* [[1984年]](昭和59年)
** 3月 - 衛星放送受信用衛星チューナーと衛星パラボラアンテナ「paRabo」の製造販売を開始。
** 8月 - ヨーロッパ向けに衛星放送受信機器を開発、輸出を開始。
* [[1988年]](昭和63年)6月 - 自動車双方向衛星通信機器を開発、アメリカへ輸出を開始。
* [[1989年]](平成元年)6月 - 通信衛星受信機器の製造販売を開始。
* [[1991年]](平成3年)
** 3月 - 株式会社光照明を合併。
** 12月 - 名古屋証券取引所二部に上場。
* [[1993年]](平成5年)[[11月]] - 高精度方向調整ランプ付BSアンテナの製造販売を開始。
* [[1995年]](平成7年)9月 - [[春日井市]]の[[高蔵寺ニュータウン]]工場が稼働。
* [[1996年]](平成8年)10月 - [[タイ王国|タイ]]に合弁会社マスプロアムテック(MASPRO AMTECH CORP., LTD.)を設立。
* [[1997年]](平成9年)3月 - 東京証券取引所二部銘柄に指定。東京証券取引所・名古屋証券取引所一部銘柄に指定替え。
* [[1998年]](平成10年)2月 - 株式会社デンソーと資本提携。
* [[2002年]](平成14年)
** 6月 - 新本社ビルが竣工。
** 11月 - 新マスプロ美術館を開館。
* [[2005年]](平成17年)6月 - 代表取締役社長に瀬尾英重が創業家以外で初めて就任、創業社長の端山孝は代表取締役会長に就任。
* [[2007年]](平成19年)
** [[4月]] - 創業者端山孝が逝去。
** 12月 - 地上デジタル放送中継機器の製造販売を開始。
* [[2009年]](平成21年)6月 - 代表取締役社長に創業家の端山佳誠が就任、瀬尾英重は代表取締役会長に就任。
* [[2010年]](平成22年)
** 8月 - アナログTV放送受信用VHF及びVU共用アンテナの生産を完全終了(同業他社も追随してVHF及びVU共用アンテナ生産より完全撤退)。
** 10月 - [[スリランカ]]に合弁会社マスプロランカ(Maspro Lanka(Pvt.)Ltd.)を設立。
** 11月 - 株式会社デンソーとの資本提携を解消。
* [[2011年]](平成23年)
** 9月 - マスプロ電工株式会社普通株式の公開買付けにより9月20日の決済開始日をもって株式会社はしやまが93.76%の議決権割合を所有。
** 12月 - 12月16日をもって東京証券取引所および名古屋証券取引所への上場を廃止。
* [[2012年]](平成24年)9月 - 家庭用のホームセキュリティー機器「カメラ付お留守番チェッカー」「お部屋を見守るライブカメラ」を発売。
* [[2015年]]](平成27年)10月 - RFIDアンテナ2機種を新発売。高利得、優れたVSWR・低軸比のRFIDアンテナを開発。
* [[2016年]](平成28年)
** 2月 - 小規模施設向けのセキュリティーカメラ「モニター&ワイヤレスHDカメラセット」を新発売[https://www.maspro.co.jp/new_prod/whc7m/index.html]。
** 5月 - 東京支店が品川区に移転。新たにRFIDショールームを開設。
* [[2020年]](令和2年)10月
** マスプロ美術館がリニューアル。浮世絵「横浜開化絵」「東京開化絵」と「マスプロ電工と創業者 端山孝のあゆみ」のリニューアルを実施[https://www.maspro.co.jp/information/details/2020/10/maspro_art_museum.html]。
** Sigfox通信用CO2温湿度センサー端末の新発売およびデータ閲覧サービスの運用開始[https://www.maspro.co.jp/new_prod/SGTHA-CO2/index.html]。
 
== 主要商品概要 ==
[[2018年問題]]に象徴される[[少子化]]や、[[コロナ禍]]を機とする部員減少、[[学校における働き方改革]]による練習時間短縮、部活動地域移行など様々理由により、スクールバンド全体の活動規模縮小が懸念されている。その一方で小編成スクールバンドのために、[[東日本学校吹奏楽大会]]や[[日本管楽合奏コンテスト]]S部門が開催されたり、[[全日本吹奏楽コンクール]][[全日本吹奏楽コンクール課題曲一覧|課題曲]]公募要項で編成条件を小編成対応にしたり<ref>編成[B][https://www.ajba.or.jp/00ajba/01_coucours/kadaikyoku/34_asahi.pdf 全日本吹奏楽コンクール課題曲 募集要項] - 全日本吹奏楽連盟</ref>、課題曲演奏における規制緩和の実施が行われている。
=== 超高性能UHFアンテナ「ラブストーリー」シリーズ ===
[[パラスタックアンテナ]]で、アナログ放送・デジタル放送共に[[極超短波|UHF]]テレビの[[放送#放送区域|放送区域]]外での受信用途で人気がある。中でも「ラブストーリー」シリーズの30素子タイプは放送区域外受信には適していたため一部のマニアと工事業者には絶大な支持を得ていたものの、アンテナ自体大型でアンテナの設置・維持管理が困難であるという理由で敬遠するユーザーが多かったことから、小型でありながら30素子同等の動作利得が得られるとする「[[三大都市圏|東・名・阪]]専用アンテナ」LS14TMH(13 - 28ch 受信用、若干性能は劣るが29ch - 36chの受信も保証)を発売し、[[2007年]](平成19年)[[6月]]にはLS14TMHと同系統の製品としてLS20TMHとLS30TMHのタイプも発売され、3タイプとなる。東・名・阪専用アンテナLSTMHシリーズの3タイプの他に発売中の「ラブストーリー」シリーズは、13 - 62ch用のLS30(30素子)、LS20(20素子)、LS14(14素子)、LS5(5素子)の4タイプ及び、13 - 44ch用LSL30(30素子)と計8タイプである。なお、「ラブストーリー」シリーズのうち13 - 44ch用20素子および14素子のタイプ(LSL20、LSL14)は廃番となった。パッケージには「マスプロUHF(カラー)アンテナ」と表記されているものが多い。最新カタログによると、13 - 52ch用のLS306(30素子)、LS206(20素子)、LS146(14素子)、がある。
 
ライバル商品として、[[DXアンテナ]]の「UBシリーズ」などがある。
=== 歴史 ===
明治:[[日露戦争]]([[1904年]](明治37年)〜[[1905年]](明治38年))の頃、出兵する兵士を送るため、少年少女たちによる音楽隊や楽隊が全国で組織される。
*[[1869年]](明治2年) 本牧山[[妙香寺]](横浜市中区)にてイギリス陸軍第十連隊第一隊長の[[ジョン・ウィリアム・フェントン]]の指導を受けた30人余りの[[薩摩藩]]「軍楽伝習生」による薩摩藩軍楽隊「[[薩摩バンド]](サツマバンド)」が設立。この軍楽隊が日本初の近代的[[軍楽隊]]とされ、また日本最初の吹奏楽団とされる。
*[[1893年]](明治26年) [[札幌農学校]]([[北海道大学]]の前身)予備科音楽隊が設立。
*[[1895年]](明治28年) [[日清戦争]]終戦。四日市商業学校(現[[三重県立四日市商業高等学校]])音楽部が設立。
*[[1904年]](明治37年)[[10月23日]] 山陰新聞([[山陰中央新報]]の前身)に掲載された川岡楽器店の広告には、「簡易楽隊八人組 30円。大太鼓とシンバル、小太鼓、クラリネット6本のセット。金管楽器の追加は、コルネット28円、アルト30円、バリトン40円」と記載されている。
*[[1904年]](明治37年) 鎌倉郡本郷(現 横浜市栄区)の少年少女音楽隊(大太鼓、小太鼓、アコーディオン、笛による器楽合奏の鼓笛隊)の写真と、[[1904年]](明治37年)〜[[1905年]](明治38年) 久良岐郡金沢村町屋(現 横浜市金沢区)の音楽隊の帳簿(大太鼓、小太鼓、シンバル、風琴(アコーディオン)を購入)が、[[横浜開港資料館]]に展示されている。
*[[1905年]](明治38年) 高知商業学校(現[[高知市立高知商業高等学校]])音楽隊(クラリネット2、トランペット1、バリトン1、バス1、大太鼓1、小太鼓1の7名編成)が設立。
*[[1909年]](明治42年) 京都府立第二中学校(現[[京都府立鳥羽高等学校]])楽団が設立。[[第四師団]]軍楽隊隊長を退役した小畠堅八郎に指導を依頼した。
*[[1909年]](明治42年) 台北第一師範学校(現[[台北市立教育大学]])吹奏楽団が設立。
 
=== 壁面取付用UHFアンテナ「SKY WALLIE(スカイウォーリー)」シリーズ ===
通常、屋外設置型のUHFアンテナはフィッシュボーン(魚の骨)に似た形状で、屋根の上に取り付けるものが多いが、昨今は住宅の美観にこだわるが故、屋根の上にアンテナを取り付けたくない、あるいは、外壁にあわせた目立たない高性能アンテナを求めるユーザーが増えてきた。そんなユーザーに応えるべく、[[2009年]](平成21年)4月にラウンドフォルム形状の高性能アンテナ「SKY WALLIE(スカイウォーリー)」を発売。付属の本体取付工具のみで壁面だけでなくベランダやマストにもそのまま取り付けられるため、アンテナ取付工具を追加で購入する必要がなく、取付後でも広[[指向性]]設計と独自のアンテナ可動構造により±45度の範囲内で可動するため、電波到来方向に合わせてフレキシブルに方向調整も可能である。また、多重[[ループアンテナ|ループ]]を上下2段に積み重ねたマルチループツイン方式の採用により、14素子アンテナに相当する高い利得性能(5.5 - 8.5dB)もある。
 
当初はウォームホワイト('''U2SWL''')のみだったが、[[2010年]](平成22年)1月に新色のベージュ('''U2SWL(BE)''')を追加。さらに、同年5月には比較的電波の弱い地域や垂直偏波の受信にも対応すべく、壁面取付用の薄型アンテナとしてトップクラスとなる24素子アンテナ相当(8.0 - 9.7dB)の利得性能を実現すると共に、DHマークも取得したハイスペックモデル('''U2SWL24、U2SWL24(BE)''')を追加。ハイスペックモデルでは取付金具の向きを変えることで垂直偏波にも対応しており、水平偏波・垂直偏波どちらの場合でも取り付け後の角度調整が可能(水平偏波時±60度、垂直偏波時±15度)。併せて、U2SWLにはブラウン('''U2SWL(BR)''')が追加され、3色展開となった。また、同年11月には垂直偏波用のスタンダードモデル('''U2SWLV''')を追加発売。垂直偏波向けに設計されている点以外は水平偏波用のU2SWLと同等であるため、U2SWLVのフロントカバーには英語で垂直を意味するVerticalの頭文字である“V”を表記して区別している。2011年10月には既存ラインナップの中間モデルの位置づけとして、本体の厚さ58mm、質量約2.3 - 2.4kgのコンパクトモデルながら20素子アンテナ相当(7.7 - 9.6db)の動作利得を実現するとともに、組付けアシスト構造と新構造の防水キャップの採用で設置工事の効率を高めた'''U2SWL20'''と、BS・CSミキサー([[混合器]])を搭載した[[ブースター]]内蔵型'''U2SWL20B'''の2機種を発売。2012年3月には同モデルのベージュ色('''U2SWL20(BE)、U2SWL20B(BE)''')を追加した。2013年(平成25年)3月には、[[リフレクター|反射器]]のスロット形状を[[ダイヤモンド]]型にしてスロットの配置数を増量した「ダイヤモンドスロット構造」と、放射器をデルタ(三角)型の構造とすることで[[スタック]]効果と広帯域化を実現させる「デルタインクワッド構造」を採用したことで、26素子アンテナに相当する利得(8.4 - 9.8db:実力値)を実現すると同時に、本体アンテナ部の厚さ65mm、質量約2.9 - 3.0kgと小型・軽量設計を両立し、本体背面にケーブル固定部(4ヶ所)と取っ手(2ヶ所)を設けたことで利便性を高めた'''U2SWL26、U2SWL26(BE)'''及びブースター&BS・CSミキサー内蔵型'''U2SWL26B、U2SWL26B(BE)'''の4機種を追加。さらに、20素子アンテナ相当モデルにはブラック('''U2SWL20(BK)、U2SWL20B(BK)''')を追加した。2014年(平成26年)3月には強電界地域用に、本体アンテナ部の高さを36cm、横幅15cmと壁面設置用アンテナとしては最小サイズを実現し、付属の据置用スタンドを用いることで室内設置にも対応したコンパクトモデル「SKY WALLIE mini」を発売。ラインナップはスタンダードタイプの'''U2SWLC3'''とブースター内蔵型の'''U2SWLC3B'''の2機種を設定し、それぞれにウォームホワイトとブラック('''U2SWLC3(BK)、U2SWLC3B(BK)''')を設定する。
大正〜昭和・戦前:街頭での出征兵士への壮行演奏や国威高揚を目的とした演奏だけでなく、学校行事等での式典演奏を行うスクールバンドが現れ、学校の音楽会で行進曲以外にも編曲された[[クラシック音楽]]も演奏されるようになった。[[昭和]]に入り、各地域で吹奏楽連盟が組織されたことで、クラシック音楽を演奏する大演奏会や競技会が開催されるようになった。
*[[1923年]](大正12年) 八街農林学園(現[[千葉黎明高等学校]])軍楽部(指導者:西村繁)が設立。
::指導者の西村は留学した[[コロンビア大学]]で目の当たりにした学校行事等で中心的な役割を担うスクールバンドの効用を実感し、学校創立と同時にバンド編成の準備を進めた。入学式・卒業式などの式典演奏、応援演奏、近隣の小学校の運動会での演奏などコミュニティバンドとして活動した記録が残っている。
*[[1925年]](大正14年) 旭川師範学校(現[[北海道教育大学]]旭川校)吹奏楽団(指導者:町井八郎)が設立。
*[[1928年]](昭和3年) 東京府立第一商業学校(現[[東京都立第一商業高等学校]])吹奏楽団(指導者:[[廣岡淑生]])が設立。
::指導者の廣岡は「スクールバンド」という名称を用い、これまでの軍楽やジンタ等の実用音楽と区別し、学校生徒・児童の発達段階に応じた音楽教育及び人間教育の一環と捉えて指導にあたった。
*[[1929年]](昭和4年) [[堀内敬三]]が「吹奏楽論」(フィルハーモニー、1929年)で「吹奏楽」という訳語を評論する。日本初の吹奏楽連盟となる旭川吹奏楽連盟が結成される。
*[[1927年]](昭和2年) [[陸軍戸山学校]][[軍楽隊]]楽長の[[大沼哲]]の発案により日本管楽器製作所(ニッカン)([[ヤマハ]]管楽器製造の前身)が「喇叭鼓隊」という編成<ref group = "注">小・中・大のピストンのない三種の喇叭と、大太鼓、小太鼓、シンバルによる編成。<br/>1931年(昭和6年)[[ギャルド・レピュブリケーヌ管弦楽団|ギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団]]での留学から帰国した[[陸軍戸山学校]][[軍楽隊]]の[[山口常光]]の発案により小喇叭を長く伸ばし、旗を取り付けることができるようにした「長喇叭」が編成に加わる。<br/>一方、[[海軍]][[軍楽隊]]と結び付きが強かった田邊吹奏楽器製造所(タナベ)は、顧問に[[海軍]][[軍楽隊]]隊長を退役した[[瀬戸口藤吉]]を迎え入れ、「旋律喇叭隊」という編成の普及を試みる。</ref>の音楽隊の普及を進める。
*[[1930年]](昭和5年) 大阪市天王寺商業学校(現[[大阪市立大阪ビジネスフロンティア高等学校]])吹奏楽団(指導者:高丘黒光、和田義助ほか)が設立。
*[[1937年]](昭和12年) 天理中学校(現[[天理高等学校]])吹奏楽部(指導者:[[矢野清]])が設立。
*[[1937年]](昭和12年) 埼玉県大宮工業学校(現[[埼玉県立大宮工業高等学校]])喇叭隊(指導者:岡本末蔵)が設立。[[1939年]](昭和14年) 音楽部に改組。
*[[1937年]](昭和12年) [[日中戦争]]開戦。街頭での出征兵士への壮行演奏や国威高揚を目的とした演奏が増えていく。
*[[1939年]](昭和14年)[[11月11日]] 大日本吹奏樂聯盟(現[[全日本吹奏楽連盟]])<ref group ="注">[[貴族院 (日本)|貴族院]]議員、宮内省式部次長、陸軍政務次官、[[大政翼賛会]]総務であった[[子爵]]の[[岡部長景]]が会長に就任。</ref>が設立。
*[[1940年]](昭和15年)[[11月23日]] 第1回全日本吹奏樂競演會 紀元二千六百年奉祝 集團音楽大行進並大競演會(現[[全日本吹奏楽コンクール]])が開催される。部門「吹奏楽部」が現在の[[全日本吹奏楽コンクール]]、部門「喇叭鼓楽部」が現在の[[全日本マーチングコンテスト]]の礎となる。
 
現在は14素子アンテナ相当モデル(垂直偏波用のU2SWLVは継続販売)及び24素子アンテナ相当モデルは製造を終了しており、初期のラインナップに比べて利得性能は全体的にスペックアップされている。
 
ライバル商品として、[[日本アンテナ]]の「UDFシリーズ」、[[DXアンテナ]]のデジキャッチフラット「UAシリーズ」などがある。
昭和・戦後:[[全日本吹奏楽コンクール]]、[[全日本マーチングコンテスト]]、[[全日本小学校バンドフェスティバル]]等が開催される。中学校と高等学校、大学においては、吹奏楽コンクール課題曲の編成に準じた編成を整えていくようになり、団体によってはソプラノ・サックスや[[フリューゲルホルン]]のほか、[[コーラングレ|イングリッシュホルン]]や[[コントラバスクラリネット]]、[[ハープ]]、[[マリンバ]]など高価の楽器を揃えるようになる。小学校においては、各団体の方針に基づいて吹奏楽だけでなく、[[ブラスバンド|金管バンド]]、[[マーチングバンド]]、[[ビッグバンド]]、器楽合奏など多様な編成での活動が盛んになる。高校においては、[[全日本吹奏楽コンクール]]で優秀な成績を収めた団体が海外のイベントに招待され演奏したり、海外のコンテストに出場し優秀な成績を収めたことで、日本のスクールバンドのレベルの高さを世界に伝えることとなった。
*[[1953年]](昭和28年) ホームこどもコンクール(現[[こども音楽コンクール]])(独唱と独演のみ)が初開催。
::[[1954年]](昭和29年) 合唱と合奏の2つの団体部門を追加。
*[[1956年]](昭和31年)[[12月9日]] [[第4回全日本吹奏楽コンクール]]が開催。
*[[1957年]](昭和32年) 全日本器楽合奏コンクールが初開催。
::[[1962年]](昭和37年) [[NHK全国学校音楽コンクール]]合奏の部として開催。
::[[1968年]](昭和43年) 全国学校合奏コンクールとして開催。
::[[2012年]](平成24年) [[日本学校合奏コンクール]]として開催。
*[[1965年]](昭和40年) [[天理高等学校吹奏楽部]]が、アメリカの[[ローズ・パレード]]に初の海外団体として参加。
*[[1973年]](昭和48年)4月 [[静岡県立浜松工業高等学校]]吹奏楽団(指揮:[[遠山詠一]])が、[[:en:American Bandmasters Association|アメリカ吹奏楽指導者協会]]の招待によりアメリカとメキシコにおいて演奏。
*[[1973年]](昭和48年)[[12月23日]] [[マーチングバンド・バトントワーリング全国大会]](現 マーチングバンド全国大会)が初開催。
*[[1977年]](昭和52年) [[全国高等学校総合文化祭]]が初開催。
*[[1980年]](昭和55年)7月 [[関東第一高等学校]]吹奏楽部(指揮:[[塩谷晋平]])が、[[:en:Summa Cum Laude Festival|ウィーン国際青少年音楽祭]]の吹奏楽部門コンクールにおいて第1位を受賞。
*[[1982年]](昭和57年)[[11月7日]] [[全日本小学校バンドフェスティバル]](現 全日本小学生バンドフェスティバル)が初開催。
::[[1997年]](平成9年) 座奏形式もマーチング形式も「全日本マーチングフェスティバル 小学校バンドの部」に統一され、「全日本マーチングフェスティバル パレードコンテスト中学の部/同高校の部/フェスティバル中学の部/同高校・一般の部」の前日に同会場で開催。
::[[2019年]](令和元年) 「全日本小学生バンドフェスティバル」に名称変更。小学生による地域バンドや合同バンドが出場できるようになった。
::[[2024年]](令和6年) ステージパフォーマンス部門(全日本吹奏楽コンクール大学・職場一般の部と同会場)とマーチング部門(全日本マーチングコンテストと同会場)に分けて開催。
*[[1986年]](昭和61年)3月 [[秋田県立花輪高等学校]]吹奏楽部(指揮:[[小林久仁郎]])が、第1回環太平洋音楽祭(PACIFIC BASIN MUSIC FESTIVAL)([[ハワイ]])においてグランプリを受賞。
*[[1987年]](昭和62年)12月 福岡工業大学附属高等学校(現[[福岡工業大学附属城東高等学校]])吹奏楽部(指揮:[[鈴木孝佳]])が、[[:en:Midwest Clinic|ミッドウエスト・クリニック]]に日本の吹奏楽団として初めて出場。
*[[1988年]](昭和63年)[[11月13日]] 全日本マーチングフェスティバル(現[[全日本マーチングコンテスト]])が初開催。
 
=== その他 ===
* アンテナ関連商品のレベルチェッカーは、地上デジタル放送が開始され従来のアナログ用レベルチェッカーでは、方向調整はできるが、電界強度が正確に表示されないため、地上デジタル放送対応のレベルチェッカーへの代替需要が生じている。
* 2000年発売の衛星アンテナ「BS45LEDM」は「方向および角度調整用赤色LEDランプ」がコンバータ部に搭載されており、「電波方向が正しく定まればLEDランプが消える」方式を採用することで・市販レベルチェッカーを使わなくてもアンテナ角度および方向調整ができた。しかし後継モデルの「BSC45R」以降は方向および角度調整用LEDランプが廃止されたため、正しいアンテナレベルにするにはテレビ画面の「アンテナレベル表示」を見ながら向きや角度を正しくするか、市販レベルチェッカーが必要となった(衛星アンテナは・方向や角度が正しい位置から少しでもずれると映像が全く映らなくなるので、設置工事は専門店への依頼を推奨)。
* また、「ウェーブハンター」のブランド名でVHF・UHFの[[アマチュア無線]]用アンテナを販売していた時期もあった。ブーム長が短いため他社に比べると性能が今一つであったが、安価であったため入門用として人気があった。市場の縮小により撤退している。
* 当社製の[[パラボラアンテナ|衛星アンテナ]]は「paRabo(パラボ)」という名称で親しまれており、このうち[[N-SAT-110#東経110度CS放送|東経110度CS放送]]の右旋・左旋両円偏波対応品のみ、[[ライオン]]のマークと「百獣(110°)の王」と書かれたシールが貼られていた。2013年1月に11年9ヶ月ぶりとなる新モデルとして発売されたBC45R、BC45R-SET(取付工具・ケーブル付セット)では「MASPRO」の社名ロゴのみで、ロゴの色も紺に変更されている。2015年に[[4K]]・[[8K]]放送が始まると衛星アンテナはモデルチェンジされ、左旋円偏波に対応した「BC45RL」を発売。従来のホワイトモデルに加え、(地デジフラットアンテナ「スカイウォーリー」・「ユニコーン」シリーズと共に)家の外壁色に合わせたブラックモデルが初登場している(取付金具・同軸ケーブル・接栓・防水キャップ・ケーブル固定具が付属されたモデルは白のみ)。
* [[2010年]](平成22年)8月には[[ウォルト・ディズニー・ジャパン]]との[[ライセンス]]契約を結び、[[ミッキーマウス]]の形状をしたBS・110°CSアンテナ(BSC45RMC-SET)を発売。また、同年11月には壁面取付用UHFアンテナ「SKY WALLIE(スカイウォーリー)」の新たなラインナップとして、ハイスペックモデルをベースにディズニーキャラクターが描かれたU2SWL24(MC2)及びU2SWL24(DC2)を発売した(いずれも2022年限りで販売終了)。
* 当社が開発したボディースキャナー([[ミリ波]]で[[旅客]]の服を[[透視]]し、[[金属探知機]]で検知できない[[化学物質]]等を発見する「[[ミリ波パッシブ撮像装置]]」)の仕様について、[[国土交通省]]が認可する方針を固めている。
* かつては超高性能遠距離用FMアンテナとして「FM10」を生産していたが、76 - 88MHzとFM全帯域でのカバーはできなかったために製造が打ち切られ、高性能遠距離用で全帯域カバーしている「FM8」がFMアンテナの最上位製品となっている<ref group="注釈">ただしFM3, 5, 8に付属する説明書には、超高性能遠距離用であるFM10の特徴も表記されていた。</ref>。なお2010年まで生産されていたVHFアンテナ(112C8など)およびVU共用アンテナ(162B58など)は・地デジ化後もFM屋外アンテナとして使用可能で、VU共用アンテナは地デジとFMラジオ放送が1台のアンテナで受信できる(老朽化した地上波アンテナ交換時、FMラジオを引き続き屋外アンテナで受信したい場合はFMアンテナと地デジ・FM混合器が別途必要)。
* [[2014年]](平成26年)10月には[[アメリカ合衆国|アメリカ]]のJK Imaging Ltd.との間で「PIXPRO」の製造を手掛ける[[コダック]]ブランドの[[デジタルカメラ]]及びデジタルムービーの日本総代理店契約を締結し、翌月に、世界で初めて[[水平]]方向に360度撮影できるアクションカメラ「PIXPRO SP360」並びに「PIXPRO SP1」、ミラーレス一眼カメラ「PIXPRO S-1」の3機種<ref>[http://www.maspro.co.jp/new_prod/sp360/index.html Kodakブランドのカメラを日本国内で独占販売! 「360°アクションカメラ」を新発売!] - マスプロ電工 新製品情報 2014年10月23日(2015年8月25日閲覧)</ref>から日本でのコダックブランドのデジタルカメラの販売を開始した。翌年の2015年(平成27年)4月には防水対応スポーツカメラ「PIXPRO WP1」を発売した<ref>[http://www.maspro.co.jp/new_prod/wp1/index.html Kodak PIXPRO 防水対応「スポーツカメラ」を新発売!] - マスプロ電工 新製品情報 2015年4月2日(2015年8月25日閲覧)</ref>。
* 地デジアンテナ「U206/146」と衛星アンテナ「BC45RL」は[[サン電子]]へも[[OEM]]供給されている。また国内大手電機メーカーは全社がTVアンテナ自社生産より撤退したため、マスプロ製アンテナとその周辺部品は[[系列電器店]]([[パナソニックショップ]]・[[日立チェーンストール]]・[[東芝ストアー]]・[[三菱電機ストアー]]・[[シャープフレンドショップ]]・[[ソニーショップ]])へも供給されている。また全国の家電量販店([[ケーズホールディングス]]・[[コジマ×ビックカメラ]]・[[エディオン]]・[[ノジマ]]・[[ジョーシン]])やホームセンター([[DCMホールディングス]]など)でも販売されている(取付工事費別)。
* [[ブースター]]の現行モデルは「地デジ専用」と「地デジおよびBS4K/8K用」のみでFM増幅には非対応なので、FM屋外アンテナ線を混合伝送したい場合は「地デジ・FM混合器」が別途必要。
* 壁に穴を開けなくてもサッシの隙間を利用してアンテナ線を引き込める「サッシ隙間ケーブル」は、強い衝撃が加わると断線しやすいため「普段開閉しない側の窓へ線を引き込む」よう指示されている。またアンテナ線を室内へ引き込む際は「室内への雨水侵入を防ぐため、ケーブルは壁や天井に沿わせずたるませる」よう指示されている。
* 発売当初の衛星アンテナは、アンテナコンバータへの接栓接続部防水処理方法が「ビニールテープを巻く方式」だったが、現行モデルは「雨水侵入によるショートや機器故障防止のため・コンバータにつないだ接栓へのテープ巻きは禁止」となっており、「付属の防水キャップを隙間なくかぶせる」よう指示されている(ケーブルへの接栓接続後も防水キャップを装着可能。発売当初斜め向きだったコンバータ部のアンテナ出力端子は、年式が進むにつれ「下向き」へ変化して雨水が入りにくくなり防水性が向上)。またアナログ時代の樹脂製アンテナプラグは外れやすく・かつ電気特性が異なるため、(TV受像機にある)衛星アンテナ入力端子への接続には使えない(4K/8Kに対応した接栓または金属製プラグを用いるよう指示)。
 
== 主な商品・事業 ==
平成:[[全日本高等学校選抜吹奏楽大会]]、[[日本管楽合奏コンテスト]]、[[全日本高等学校吹奏楽大会in横浜]]、[[シンフォニックジャズ&ポップスコンテスト]]、[[全国ポピュラーステージ吹奏楽コンクール]]等が開催される。従来の吹奏楽コンクールだけではなく、様々な目的をもったコンテストが開催されるようになる。
商品名には長い間「'''デジタル'''」でなく「'''ディジタル'''」と表記していたが、近年は「'''デジタル'''」を表記している。
*[[1989年]](平成元年)[[3月26日]] [[全日本高等学校選抜吹奏楽大会]]が初開催。
*[[1995年]](平成7年)[[7月23日]] [[日本管楽合奏コンテスト]]が初開催。
*[[1999年]](平成11年)[[8月28日]] [[全日本高等学校吹奏楽大会in横浜]]が初開催。
*[[2001年]](平成13年)[[11月3日]] [[東日本学校吹奏楽大会]]が初開催。
*[[2013年]](平成25年)[[2月3日]] [[シンフォニックジャズ&ポップスコンテスト]]が初開催。
*[[2013年]](平成25年)[[12月25日]] [[全日本小学生金管バンド選手権]]が初開催。
*[[2015年]](平成27年)[[11月21日]] [[全国ポピュラーステージ吹奏楽コンクール]]が初開催。
*[[2018年]](平成30年) [[日本管楽合奏コンテスト]]にS部門<ref group ="注">演奏人数が3名以上15名以下</ref>が新設。
 
* [[日本の地上デジタルテレビ放送|地上デジタルテレビ放送]]受信・通信機器
* [[衛星放送]]受信・通信機器
* [[ケーブルテレビ|CATV]]機器・工事・設計
* [[インターネット]]機器
* [[放送]]中継機器
* セキュリティ機器
* [[カーナビゲーション]]用[[グローバル・ポジショニング・システム|GPS]]アンテナ - かつては自社ブランドでカーナビを発売したこともあったが、現在ではアンテナなどの[[OEM]]供給にとどまっている。
 
== 宣伝広告・テレビCM ==
令和:地域バンドへの移行が始まる。
* 当社の[[コマーシャルメッセージ|テレビCM]]に登場する、頭にアンテナ風の[[角|ツノ]]がある[[雷神]]兄弟の[[マスコット]]は'''マスプロサンダーズ(MASPRO THUNDERS)'''と呼ぶ。[[1969年]](昭和44年)にテレビCMで登場し、その後、[[1977年]](昭和52年)までテレビCMや雑誌広告に用いられていた。[[2006年]](平成18年)8月よりテレビCMに復活した。
*[[2021年]](令和3年) [[東日本学校吹奏楽大会]]に地域バンドの[[真岡市|真岡]]キッズハーモニー(指揮:有馬大志)が出場し、金賞を受賞。
** '''マス坊(MAS-BOH)''':雷神の少年。
*[[2023年]](令和5年) 部活動の地域移行が始まる<ref>[https://www.mext.go.jp/content/20220728-mxt_kyoiku02-000023590_2-2.pdf 文化部活動の地域移行について] - 文化庁</ref>。
** '''プロ子(MISS PRO-KO)''':雷神の女性。
*[[2024年]](令和6年) [[全日本吹奏楽コンクール]]において「中学校の部」から「中学生の部」に名称変更。中学生による地域バンドや合同バンドが出場できるようになった。[[全日本吹奏楽コンクール]]全国大会に[[加古川市立中部中学校]]・[[加古川市立浜の宮中学校]]の合同バンド(指揮:中原淳子)が出場し、銀賞を受賞。
** '''テナ子(TENA-KO)''':雷神の少女。
* [[1969年]](昭和44年)から始まった、女性モデルが[[ネグリジェ]]姿で[[ハンドマイク]]を持ち「見えすぎちゃって困るの」と唄い(実際の歌声は[[伊藤アイコ]])、マスプロサンダーズのマス坊が雲の上から立小便(後に、[[じょうろ]]に変更)で雨を降らせ、ネグリジェが濡れ透けて[[ビキニ (水着)|ビキニ]]が見えてしまった後に、マス坊の「見えすぎちゃったね」とのセリフで締め括るテレビCMがお馴染みとなった。このテレビCMは「[[色気|お色気]]コマーシャル」として当時強いインパクトを持って受け入れられ、また、女性モデルを毎年のように変更(秋月ミカ、藤ミツ子、他)しながら[[1977年]](昭和52年)まで流されたこともあり、マスプロ電工・マスプロアンテナの宣伝広告として大きな効果を挙げた。さらに、「〜過ぎちゃって、困る」というフレーズは[[森尾由美]]やマス坊のセリフにも引き継がれ、「便利過ぎちゃって、困る」と機能の優秀性を訴えるコピーに使われた(森尾時代には、「困る」の部分だけ音声をカットしたバージョンも存在。変更の意図は不明)。
* 歌手の[[青江三奈]]が、[[1970年]](昭和45年)より[[1979年]](昭和54年)まで、当社のテレビCMへ出演していた。「あなた知ってる〜 マスプロアンテナ〜 見えすぎちゃって 困ァるのォ〜」と、「[[伊勢佐木町ブルース]]」の替え歌を唄い、[[サンバイザー]]に[[ミニスカート]]姿で[[ゴルフ]]の[[グリーン (ゴルフ)|グリーン]]でパッティングをしているものが最初である。こちらのテレビCMも、パッティングする際にミニスカートの中が見えるシーンが強調されていることから、「お色気コマーシャル」として当時強いインパクトを持って受け入れられた。その後、青江三奈が出演する当社テレビCMは「お色気コマーシャル」では無くなった。なお、上述の伊藤アイコ版のCMソングと一部歌詞が共通であるが、曲調は全く異なる。
* [[1980年代]]に入ると、当社内でテレビCMの効果を疑問視する声が出て放送をやめることとなったが、製品等の売上は減少することなく、テレビCMの放送をやめた事で抑制された広告宣伝費用の減少額分がそっくりそのままの金額で利益に移動する形となった。このことはテレビ関連機器のメーカーがテレビCMを否定しかねない皮肉な結果となったが、[[1970年代]]に流された前述のテレビCMが「テレビアンテナ=マスプロ電工」を強く印象付け、テレビCMをやめてもその遺産が残っていたに過ぎない、とも指摘された。その後、テレビCMの放送は再開され、[[1999年]](平成11年)放送バージョンには[[葵千智]]が出演している。
* [[1977年]](昭和52年)で「お色気コマーシャル」は止めたものの、伊藤アイコ版のCMソング「見えすぎちゃって困るの」は[[1993年]](平成5年)に再び使われ、こちらのCMでは「うっそみたい」というセリフで締め括っていた。
* 一方、マスプロサンダーズの登場するCMは[[2006年]](平成18年)8月より[[ハイビジョン]]サイズで復活使用している。
* [[1980年代]]に[[川崎球場]]のバックネット裏に「MASPRO マスプロ電工」の看板がかけられていた。[[東京ドーム]]にも外野フェンス(左中間近辺)にも[[2000年代]]中期まで看板あった(現在は撤退)。現在は[[ナゴヤドーム]]外野に「MASPRO」のロゴのみの看板がある。
* 会社設立当時は本社・工場は[[愛知県]][[名古屋市]]にあったが、[[1961年]](昭和36年)に名古屋市郊外の[[愛知郡 (愛知県)|愛知郡]]日進町(現・日進市)に日進工場を建設、[[1966年]](昭和41年)に本社も同所に移転した。しかし、愛知郡日進町大字浅田という地名から、名古屋の会社であることを認識してもらえないこと<ref group="注釈">本社の電話は名古屋[[単位料金区域|MA]]内のため、市外局番は052。</ref>などもあり、資料請求の住所を「名古屋市外日進町浅田」<ref group="注釈">類似例が[[スズキ (企業)|スズキ]]の本社所在地の表記である。[[1991年]]([[平成]]3年)[[4月30日]]までの本社所在地は[[静岡県]][[浜名郡]][[可美村]]であり、「静岡県浜松市外高塚300」と表記していた。現在は名実ともに[[浜松市]]の企業となっている。</ref>として字名・番地を省略していた。変則的な表記であったが、これも一種の企業イメージ宣伝とも言え、折しもUHFテレビ局の大量開局に伴うUHF受信機器の売上などで、多くマスコミに取り上げられて会社の知名度を上げたことと、[[1968年]](昭和43年)に導入された[[日本の郵便番号|郵便番号]]制度のお陰で、誤配されることは少なかった。日進町が[[1994年]](平成6年)に日進市となると、「名古屋市外日進町浅田」は使用されなくなったが、[[1998年]](平成10年)の郵便番号7桁化により、大口事業所として会社独自の郵便番号「470-0194」を取得した。今でも一部媒体では所在地住所を「愛知県日進市浅田町」のように、旧字名と番地を省略した形で紹介している。
* 製品パッケージ・取扱説明書・カタログ等に記載されている規格表には、「マスプロの規格表に絶対うそはありません。ご理解と信頼あるデータにご期待ください。(または「保証します。」)」の文言が書き添えられている。
 
== 過去のスポンサー番組 ==
=== 全日本吹奏楽連盟の加盟団体数の推移 ===
* [[踊る!さんま御殿!!]] - [[日本テレビ放送網|日本テレビ]]
<ref>[https://www.ajba.or.jp/00ajba/07_pdf/jittaichosa/jittaichosa2023.pdf 2023 年度実態調査報告] - 全日本吹奏楽連盟</ref>
* [[モクスペ]] - 日本テレビ
* [[SUPER SURPRISE|サプライズ]](月曜日) - 日本テレビ
* [[しゃべくり007]] - 日本テレビ
* [[火曜スーパーワイド]] - [[テレビ朝日]]
* [[ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!]] - [[フジテレビジョン|フジテレビ]]
* [[FNSの日]]([[平成教育テレビ|第1回平成教育テレビ(1992年)]]) - フジテレビ
* [[日経スペシャル ガイアの夜明け]] - [[テレビ東京]]
 
== 脚注 ==
{|class=wikitable | style="text-align:right;"
{{脚注ヘルプ}}
|-
=== 注釈 ===
!年度||小学校||中学校||高等学校||大学||職場||一般||合計||備考
{{Reflist|group=注釈}}
|-
|昭和43年度<br />1968年度||44||1,846||1,158||59||144||57||3,308||
|-
|昭和54年度<br />1979年度||238||3,057||2,053||112||96||382||5,938||
|-
|平成元年度<br />1989年度||842||5,722||3,326||207||102||955||11,154||
|-
|平成22年度<br />2010年度||1,125||7,188||3,792||<span style="background-color:#ffff00">331</span>||88||1,771||<span style="background-color:#ffff00">14,295</span>||大学と合計が最多
|-
|平成25年度<br />2013年度||<span style="background-color:#ffff00">1,173</span>||7,192||3,810||323||75||1,692||14,265||小学校が最多
|-
|平成26年度<br />2014年度||1,145||<span style="background-color:#ffff00">7,214</span>||<span style="background-color:#ffff00">3,823</span>||313||80||1,666||14,241||中学校と高校が最多
|-
|令和6年度<br />2024年度||<span style="background-color:#000000"><span style="color:#ffffff">840</span></span>||7,086||3,616||281||66||1,472||13,361||平成元年度以降で小学校が最少
|}
 
=== 出典 ===
== アメリカやカナダのスクールバンド ==
{{Reflist}}
<ref>[[:en:School_band|英語版Wiki「スクールバンド」]]</ref>
 
== 関連項目 ==
[[アメリカ合衆国|アメリカ]]や[[カナダ]]などでは、[[音楽教育|音楽の授業]]として活動している[[吹奏楽]]またはそれに近い編成の楽団のことを指す。
* [[スカパー! (東経110度BS・CSデジタル放送)]]
* [[スカパー!プレミアムサービス]]
* [[セットトップボックス]]
* [[ケーブルテレビ局の一覧]]
* [[ケーブルテレビ]]
* [[日本CATV技術協会]]
* [[日本ケーブルラボ]]
* [[日本ケーブルテレビ連盟]]
* [[デジタルCATV実験協議会]]
* [[アンテナ]]
* [[パラボラアンテナ]]
* [[日本の地上デジタルテレビ放送]]
 
=== 同業他社 ===
=== 小学校バンド・中学校バンド ===
* [[日本アンテナ]]
* [[DXアンテナ]]
* [[マックステル]](アンテナ本体は非生産)
* サン電子
 
== 外部リンク ==
中学校に入学する前に楽器を習う子供もいますが、米国およびカナダの音楽教育プログラムの生徒は、一般的に6年生または7年生から毎日の吹奏楽の授業を始めます。多くの吹奏楽プログラムは、4年生または5年生から始まり、通常は学年に基づいて吹奏楽団を構成します。その後、楽器ごとの指導をより良くするために、セクションに分割されることがあります。初心者の生徒は、音階やアンブシュアなどの基本を簡単に教えることができるように、他の楽器を学ぶ前に1年間リコーダーを演奏することが求められる場合があります。その他の要件には、基本的な音楽理論や記譜法などを理解するためにピアノやギターを学ぶことが含まれる場合があります。
* [http://www.maspro.co.jp/index.html マスプロ電工|MASPRO]
 
** [http://www.maspro.co.jp/recruit/product/pop7.html 当社のマスコット「マスプロサンダーズ」]
学校の最年少の生徒で構成される「初心者」バンドは、通常、年に2~3回のコンサートを開催し、地域や州のコンテストに参加することもあります。これらのバンドには、多くの重複したパートと単純なリズムを含む、覚えやすい曲が与えられます。生徒は、12の長音階を暗記しなければならないこともあります。学校の規模に応じて、初心者バンドの後に1~3つの「上級」バンドが存在する場合があります。これらのバンドは通常、高校バンドと同様に分けられます。一部の学校では、生徒にオーディションを受けさせ、楽器の能力に応じてバンドに配置する必要があります。他の学校では、授業での演奏に基づいて生徒を割り当てます。また、生徒を年齢や学年レベルに応じて分類するだけの場合もあります。これらの決定のほとんどは、指揮者が行います。これらの上級バンドは、高校の試合や壮行会で演奏し、地元の高校バンドを補助しますが、小規模な学校では、常にこれらのイベントに参加します。初心者バンドは、通常、選択科目の枠で行われます。
 
=== 高校バンド ===
高校バンドは、一般的に、中学校バンドよりも音楽的に難しい課題を生徒に課します。音楽は、より複雑なパッセージ、入り組んだリズム、より複雑なフレージングなど、はるかに難しくなります。選曲もスタイルがさまざまです。バランスの取れた吹奏楽団は、本格的な「プログラム音楽」からより軽い「ポップスタイル」の音楽まで、幅広い音楽を演奏できることが求められます。多くの高校生にとって、スクールバンドは学校で受けられる音楽教育の主な形態です。行進曲は、吹奏楽部のレパートリーに最初に大きく貢献しました。現在、行進曲以外にも吹奏楽部用に書かれた曲は数多くありますが、上級アンサンブルのレパートリーに含めるべき歴史的なスタンダード曲がいくつかあります。これらの曲の中で最も有名なものには、[[グスターヴ・ホルスト|ホルスト]]の「[[第1組曲]]変ホ長調」と「[[第2組曲]]変ヘ長調」、[[パーシー・グレインジャー|グレインジャー]]の「子供たちのマーチ」や「[[リンカンシャーの花束]]」などがあります。
アメリカで最初の高校バンドは[[1856年]]に設立されたボストン・ファーム・アンド・トレード・ス​​クールバンドである。アメリカで現在も活動している最も古い高校バンドは[[1872年]]に設立された[[:en:Christian Brothers High School (Memphis, Tennessee)|クリスチャン・ブラザーズ高校]]の[[:en:The Christian Brothers Band|クリスチャン・ブラザーズ・バンド]]([[メンフィス]])である。
 
=== 大学バンド ===
高等教育機関では、多くの大学が吹奏楽プログラムを正式なコースとして提供しており、多くの場合、より広範な音楽カリキュラムに組み込まれています。これらのコースは、学生に音楽の才能を伸ばすための体系的な教育プラットフォームを提供し、音楽理論、テクニック、アンサンブル パフォーマンスへの理解を深めます。
これらの大学バンドは、規模が大きく、音楽の熟練度が高いという点で、高校バンドと一線を画しています。大学バンドのメンバーが増え、スキルレベルが多様化することで、より豊かで複雑な音楽体験が実現します。大学の環境では、音楽の概念をより専門的かつ高度に探求できるため、これらのプログラムに参加する学生は通常、音楽の才能と熱意のレベルが高くなります。
 
=== その他のスクールバンド ===
生徒には、他にも多くのスクールバンドに接する機会があります。これらのほとんどは、小グループが毎日または学校時間中に集まるかどうかに関係なく、毎日のバンドの授業を指導するディレクターの管轄下にあります。
 
==== マーチングバンド ====
多くの学校、特にアメリカの高校にはマーチングバンドがあります。学校のマーチングバンドには、11人から500人を超える生徒が含まれます。マーチングバンドは夏の終わりから秋の初めにかけて頻繁に練習し、学校の[[フットボール]]の試合に参加して、スタンドで音楽を演奏し、ハーフタイムにマーチング・ショーをすることが最も多いです。ショーは通常6分から10分ですが、多くのコンテストでは時間制限があります。バンドはマーチング・シーズン(通常はフットボールシーズンと同じ時期)を通してマーチングバンドのコンテストに参加することがよくあります。コンテストの難しさは様々です。地域によっては、個々の学校が主催する小規模なローカル大会が多数開催されています。地域大会を主催するところもあります。[[:en:Bands of America|バンズ・オブ・アメリカ]]などの大会はアメリカ全土に知られており、専門的なアリーナで開催されます。
マーチングバンドはショーに加え、パレードに参加することもよくあります。多くの場合、これは市や町の自治体のパレードに限られますが、[[メイシーズ・サンクスギヴィング・デイ・パレード]]や元旦のトーナメント・オブ・[[ローズ・パレード]]など、よく知られたパレードに参加するために遠征するバンドもあります。
 
==== ジャズバンド ====
多くの学校には、コンサート・プログラムに加えてジャズ・プログラムがあります。学校によって、ジャズバンドの時間帯は異なります。学校時間中に実際の授業として集まるところもあれば、週に2~3回、放課後または登校前に練習するところもあります。学校時間中に授業として集まると、生徒の学業の授業とスケジュールが重なることがよくあります。ジャズバンドは、多くの場合、自習室、自由時間、または昼休みの一部にリハーサルを行います。ジャズ・アンサンブルの一般的な楽器には、トランペット、トロンボーン、アルト・サックス、テナー・サックス、バリトン・サックス、ドラム・セット(「トラップ・セット」と呼ばれることが多い)、ギター、ベース ギター、ピアノ、クラリネット、そして多くの場合、ビブラフォンまたはマリンバが含まれます。多くの地域でジャズ・フェスティバルが開催されますが、これらの人気は国内のさまざまな地域によって大きく異なります。ジャズバンドは、バンド・プログラム全体のアンバサダー・アンサンブルとして使用されることが最も多いです。さらに、ジャズ教育は学校の音楽科内の専門分野として人気が高まっていると見られています。
 
==== 室内楽アンサンブル ====
学校には、実際の授業として集まる室内楽アンサンブルはほとんどありません。通常は、地域、州、予算によって異なります。これらのグループのほとんどは、コンテストやリサイタルのために指揮者または生徒自身が結成した臨時のアンサンブルです。例としては、クラリネット四重奏、木管五重奏、金管五重奏、二重奏、三重奏などがあります。木管または金管セクション全体、またはバンドの打楽器セクションで構成されるグループが結成されることもあります。
 
==== 全地域バンド ====
おそらく個々の学校とは関係ありませんが、全地域バンドは各学校の最上級の演奏者のためのオーディションのみのグループです。最もローカルな「全郡」または「全地区」(学区を指す場合) から、より権威のある「全州」まで、さまざまな「全地域」バンドがあります。多くの州では、郡と州のバンドの間にレベルがあり、地域によって名前が異なります。これらのイベントは、参加する学生に大いに楽しんでもらえることがよくあります。コンサートでは音楽作品の難易度が上がることが多く、学校では見られない挑戦を提供します。また、学生は同じ楽器の新しい演奏者と出会い、自分のバンド体験談を共有することもできます。全地域バンドは通常、週末で終わリますが、コンサートを行う前に1週​​間以上集まるバンドもあります。
全州とは関係ありませんが、フロリダ州には「フェスティバル・オブ・ウィンズ」と呼ばれる州全体のバンド・フェスティバルがあり、12月の最初の週末に[[タンパ]]の[[サウスフロリダ大学]]で開催されます。また、[[フロリダ]]、[[アラバマ]]、[[ジョージア州|ジョージア]]には「トライステート」と呼ばれるバンド・フェスティバルがあり、「フェスティバル・オブ・ウィンズ」と同じ時期にフロリダ州[[タラハシー (フロリダ州)|タラハシー]]の[[フロリダ州立大学]]で開催されます。
 
==== モダンバンド ====
モダンバンドは、アメリカの公立学校で教えられている楽器と声楽の音楽プログラムです。楽器には通常、[[アコースティック・ギター]]、[[エレキ・ギター]]、[[エレキ・ベース]]、[[キーボード (楽器)|キーボード]]、[[ボーカル]]、コンピューター、打楽器が含まれます。モダンバンドのレパートリーは、ポップ、ロック、ディスコ、レゲエ、ヒップホップなど、商業的に支配的で現代的な音楽スタイルを取り入れながら進化しています。
モダンバンド・プログラムを提供している主な公立学校システムには、ニューヨーク市教育局、ロサンゼルス統一学区、シカゴ公立学校などがあります。モダンバンドは、公立学校の音楽教育界における新しい動きです。「モダンバンド」という用語は、音楽教育の非営利団体[[:en:Music Will|Music Will]]によって造られました。Music Willは、経済的に困難な地域の学区と提携して音楽​​プログラムの拡大に取り組んでいます。
 
== シンガポールのスクールバンド ==
<ref>[[:en:School bands in Singapore|英語版Wiki「シンガポールのスクールバンド」]]</ref>
 
シンガポールのスクールバンドは、シンガポールの小学校、中学校、短期大学で行われる課外活動(CCA)の1つです。課外活動として、バンドは生徒の総合的な教育の不可欠な部分を形成し、生徒の資質を養い、急速に変化する世界に適応して成功できるように準備することを目指しています。他のCCAと同様に、シンガポールのスクールバンドのプログラムは、団結心と責任感を育み、専門化の機会を備えた幅広い基盤を持ち、国民的価値観と技術を植え付け、社会的統合を促進するという、シンガポール教育省(MOE)のCCAの指導原則に従っています。
一般的に、小学校や中学校のバンドには入団基準はありませんが、短期大学のバンドでは経験豊富な演奏者を望む場合があります。スクールバンドの平均規模は約60人ですが、バンドによっては100人から160人になることもあります。
 
==== 一般情報 ====
*活動プログラム
スクールバンドは、さまざまな機会に音楽を届けるため、校内の式典に出席したり、校外での公演に参加したりすることが多い。さらに、スクールバンドは地元や海外の音楽祭のコンテストにも参加する。生徒たちは、フットドリルやミュージックドリルのどちらかでバンドのリハーサルを経験する中で、規律、チームワーク、責任、約束の価値を学ぶことができる。また、コンテストに参加する中で、生徒たちは謙虚さを保ちながら成果を祝うことや、敗北を潔く受け入れることも学ぶ。これらは、スクールバンドのメンバーがプログラムを通じて得る経験である。
MOEが運営する[[:en:Singapore Youth Orchestra|シンガポール青少年管弦楽団]] (SYO) は、スクールバンドの生徒を受け入れ、メンバーである生徒の課外活動として公式に認定しています。専門的に訓練された音楽家(シンガポール交響楽団の出身者や音楽学校の卒業生)が、ほとんどの学生音楽家に対して、1対1で全面的に補助金付きの指導を行っています。
シンガポールのスクールバンドが今日までに達成した音楽水準は、いくつかのスクールバンドが参加するよう招待された国際的に認められたコンテストやイベントに例証することができます。一例としては、2000年にオーストラリアで開催された[[2000年シドニーオリンピック|シドニーオリンピック]]の開会式において、選抜された6つのスクールバンドのメンバーが21ヵ国から集った2000人の青少年による国際マーチングバンドに参加しました。
 
*専門家協会
シンガポールのスクールバンドは、専門団体であるシンガポール吹奏楽指導者協会シンガポール(BDAS)によって調整されています。最初のスクールバンド指導者会議は1990年8月29日に開催され、その後1995年、2001年、2004年にも開催されました。BDASは、バンド・プログラム、カリキュラム、監督、指導の開発と改善を主な目的として、吹奏楽指導者に一連の目標を定めています。
 
==== 歴史 ====
1965年、教育省は、小中学校両方で課外活動プログラム(ECA)(1999年に課外活動またはCCAに改名)の一環として吹奏楽プロジェクトを初めて立ち上げました。これは、[[リー・クアンユー]]首相の指示によって支援され、スクールバンドの結成は「最優先事項」とみなされるべきであると指示されました。当初、このプロジェクトは、支援を受けた中学校の4つのブラスバンドと、主にボーイズ・ブリゲイドと[[ボーイ・スカウト]]の旗の下で活動していた小学校の9つの[[ビューグル]]と笛のバンドから始まりました。その後、6年以内にスクールバンドの数は急増し、1971年には中学校で77のブラスバンド、小学校で78のビューグルと笛のバンドになりました。2000年の時点で、44の小学校、132の中等学校、14の短期大学が独自のスクールバンドを持ち、その年には12,000人の学生が吹奏楽活動に参加していました。この数字は、2000年にCCA音楽に参加した学生の約27.5%がバンドに参加していたことを意味します。このように、スクールバンド活動は1965年に始まって以来進化しており、年々スクールバンドの数と質の両方が向上しています。
政府は、その後、スクールバンドを設立したが、その本来の目的は、吹奏楽にECAとして参加する生徒の集団規律、団結心、国民意識を育むことだった。スクールバンドは、学校精神の向上にも貢献し、式典での学校プログラムを強化するものであった。さらに、政府は1960年代の国民の大半が音楽に疎いことを考慮し、学校に通う子供たちに音楽への興味を抱かせるためにスクールバンドを設立したいと考えた。
吹奏楽プロジェクトの初期に直面した課題には、スクールバンドの指導者や教師の不足が含まれていました。このような課題は、音楽教育に興味のある人々を奨励するための現職研修と奨学金によって克服されました。
こうした困難を乗り越え、シンガポールの吹奏楽プロジェクトが開始されてから25年後の1990年に、ECAセンターは、かつて約2万人の学生がスクールバンドのメンバーであり、スクールバンド運動の恩恵を受けていただろうと推定しました。
 
==== シンガポール青少年フェスティバル ====
[[:en:Singapore Youth Festival|シンガポール青少年フェスティバル]](SYF)は1966年に初めて開催されました。開会式は1967年に[[ジャラン・ベサール・スタジアム]]で開催されました。初期のフェスティバルでは音楽とダンスのみが活動の中心でしたが、徐々にフィールドスポーツ、芸術、そして後には[[マスゲーム]]へと広がりました。
SYF中央審査は、その後、1968年に導入されました。これは、ほとんどの学校の舞台芸術グループがそれぞれのレベルで競い合う、毎年恒例のイベントであり続けています。吹奏楽プロジェクトが開始されてから3年後の1968年に、スクールバンドがSYF中央審査で競い合うようになりました。教育省のCCA支部は、コンサートバンドの中央審査(小学校、中学校、短期大学)、ディスプレイバンドの中央審査(中学校)、マーチングバンドの評価 (中学校) を交互に開催しています。毎年のSYFへのスクールバンドの関与は明らかで、2001年のSYFコンサートバンドの中央審査には、117の中等学校バンドと14の短期大学バンド、7,709人が参加しました。
 
 
== ノルウェーのスクールバンド ==
<ref>[[:no:Skolekorps|ノルウェー語版Wiki「スクールバンド」]]</ref>
 
スクールバンドは、地元の学校に所属する子供や若者のための、通常は管楽器と打楽器で構成される音楽隊です。学校の音楽グループは、希望者に楽器やドリルのトレーニングを提供します。スクールバンドの奏者は通常7歳から19歳で、15歳になるとアマチュアバンドを始めることができます。
ノルウェーのスクールバンドは、プロの音楽生活を送れる音楽家を募集する重要な教育機関です。楽団は主に保護者が運営し、専門家を雇用しています。
 
=== 背景 ===
 
現代的なバンドの形は1850年代に[[プロイセン]]で軍楽にチューバとサックスが追加されたときに誕生しました。ノルウェーでは、早くも10年後に男子アマチュアが軍楽隊が結成され、1901年に最初の少年軍楽隊が設立されました。ノルウェーの少女が正式に参加を許可されたのは1956年になってからでした。住民の数から見ると、ノルウェーは世界で最も活発なバンドミュージシャンがいる国です。
ノルウェーの音楽隊は、5月17日のノルウェー憲法記念日の祝賀行事で中心的な役割を果たしています。
 
=== 編成 ===
スクールバンドには、吹奏楽やブラスバンドがあります。違いは、吹奏楽では楽団が金管楽器、木管楽器、打楽器で構成されているのに対し、ブラスバンドでは金管楽器と打楽器のみであることです。スクールバンドの最も一般的な形式は吹奏楽です。
 
 
== 台湾のスクールバンド ==
 
[[1909年]](明治42年) 台北第一師範学校(現[[台北市立教育大学]])吹奏楽団が設立。
 
[[File:ASC Leiden - Coutinho Collection - G 14 - Life in Ziguinchor, Senegal - PAIGC boarding school band, Ziguinchor - 1973.tif|thumb|[[ギニア・カーボベルデ独立アフリカ党]] 、セネガル、 [[ジガンショール]] の高等学校バンド、1973]]
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== 参考文献 ==
 
*{{Cite book|和書|author='''[[秋山紀夫]]'''|title=吹奏楽の歴史〜学問として吹奏楽を知るために〜|year=2013|publisher=[[ミュージックエイト]]|isbn=9784871643139|ref={{SfnRef|秋山|2013}}}}
*{{Cite book|和書|author='''[[秋山紀夫]]'''|title=吹奏楽「昭和の資料集」~吹奏楽の歩み: 初期から成熟期にかけて~|year=2022|publisher=[[ロケットミュージック]]|isbn=978-4-86679-882-0|ref={{SfnRef|秋山|2022}}}}
*{{Cite journal|和書|author = [[都賀城太郎]]|title = 日本の学校文化とスクールバンド 黎明期〜戦前|journal = 日本管打・吹奏楽研究冊子シリーズ No.8|date = 2019.3.25|edition = 初|publisher = 一般社団法人[[日本管打・吹奏楽学会]]|pages = |isbn =|ref = harv }}
*{{Cite journal|和書|author = [[篠田雄一]]|title = 日本の吹奏楽黎明期に関する資料〜イラストで見る日本国吹奏楽の歴史〜|journal = 吹奏楽紀要 第18号|date = 2021.1.16|edition = 初|publisher = 公益社団法人[[日本吹奏楽指導者協会]]|pages = |isbn =|ref = harv }}
*{{Cite journal|和書|author = [[都賀城太郎]]|title = 日本における吹奏楽の普及 その1 - 学校との結びつきはなぜ生まれたのか|journal = 吹奏楽紀要 第19号|date = 2024.2.29|edition = 初|publisher = 公益社団法人[[日本吹奏楽指導者協会]]|pages = |isbn =|ref = harv }}
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注"}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
 
{{日本DIY・ホームセンター協会}}
{{Music-stub}}
{{DEFAULTSORT:ますふろてんこう}}
{{School-stub}}
[[Category:日本の電気機器メーカー]]
{{DEFAULTSORT:すくうるはんと}}
[[Category:吹奏楽日進市の企業]]
[[Category:音楽教育1955年設立の企業]]
[[Category:学校文化1991年上場の企業]]