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{{別人|x1=大名の|阿部正教}}
'''阿部 正権'''(あべ まさのり、[[文化 (元号)|文化]]3年[[1月9日 (旧暦)|1月9日]]([[1806年]][[2月26日]]) - [[文政]]6年[[10月6日 (旧暦)|10月6日]]([[1823年]][[11月8日]]))は、[[江戸時代]]後期の大名。[[武蔵国|武蔵]][[忍藩]]主、[[陸奥国|陸奥]][[白河藩]]主。忠秋系阿部家9代。
{{基礎情報 武士
| 氏名 = 阿部正権
| 画像 =
| 画像サイズ =
| 画像説明 =
| 時代 = [[江戸時代]]後期
| 生誕 = [[文化 (元号)|文化]]3年[[1月9日 (旧暦)|1月9日]]([[1806年]][[2月26日]])
| 死没 = [[文政]]6年[[10月6日 (旧暦)|10月6日]]([[1823年]][[11月8日]])
| 改名 = 銕丸(幼名)、正権
| 別名 =
| 諡号 =
| 神号 =
| 戒名 =
| 霊名 =
| 墓所 = [[多磨霊園]]
| 官位 =
| 幕府 = [[江戸幕府]]
| 主君 = [[徳川家斉]]
| 藩 = [[武蔵国|武蔵]][[忍藩]]主→[[陸奥国|陸奥]][[白河藩]]主
| 氏族 = [[阿部氏 (徳川譜代)#阿部正勝流|阿部氏]]
| 父母 = 父:[[阿部正由]]、母:泰寿院
| 兄弟 = 酉次郎、'''正権'''
| 妻 =
| 子 = 養子:'''''[[阿部正篤|正篤]]'''''
| 特記事項 =
}}
'''阿部 正権'''(あべ まさのり、[[文化 (元号)|文化]]3年[[1月9日 (旧暦)|1月9日]]([[1806年]][[2月26日]] - [[文政]]6年[[10月6日 (旧暦)|10月6日]]([[1823年]][[11月8日]]))は、[[江戸時代]]後期の[[大名]]。[[武蔵国|武蔵]][[忍藩]]9代藩主、[[陸奥国|陸奥]][[白河藩]]主。忠秋系阿部家9代。
 
== 略歴 ==
[[武蔵国|武蔵]][[忍藩]]8代藩[[阿部正由]]の次男としてまれる。幼名は銕丸。[[文化 (元号)|文化]]5年([[1808年]])、3歳の時に父が死去し[[家督]]を相続した。正権は病弱であったため、藩政は実母・泰寿院と本家筋の[[備後国|備後]][[備後福山藩|福山藩]]主・[[阿部正精]]が後見した。
 
文化13年([[1816年]])4月に、[[美濃国]]・[[伊勢国]]・[[尾張国]]および[[東海道]]にある諸河川の修復助役を命じられ、この普請経費を工面するために藩内の村々へ[[御用金]]を賦課した。その結果、以前から逼迫していた藩財政が益々悪くなり、藩士や領民の生活までも苦しくなった。[[文政]]元年([[1818年]])には藩内の足軽65人が諸手当の支給、借金返済の延期などを要求して江戸藩邸に強訴する事件が起きている。
 
文政6年([[1823年]])3月24日、幕府より忍藩、[[伊勢国|伊勢]][[桑名藩]]、[[陸奥国|陸奥]][[白河藩]]の[[三方領知替え]]を命じられ、阿部家は183年にわたって統治した忍より白河に移封されることになった。同年([[1823年]])10月6日、江戸藩邸にて死去。将軍家への[[御目見]]が済まないうちに死去したため、官位はない。なお、家督は従兄である[[阿部正篤|正篤]]([[松平頼興]]の子)が相続した。
 
==参考文献==
== 系譜 ==
*工藤寛正編『江戸時代全大名家事典』東京堂出版、2008年。
'''父母'''
* [[阿部正由]](父)
* 泰寿院 ー 側室(母)
 
'''養子'''
* [[阿部正篤]] ー [[松平頼興]]の子
 
== 参考文献 ==
* [[工藤寛正]]編『江戸時代全大名家事典』東京堂出版、2008年。
 
{{忍藩主|阿部氏|9代|1808年 - 1823年}}
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{{Japanese-history-stub}}
 
{{デフォルトソートDEFAULTSORT:あへ まさのり}}
[[Category:阿部豊後守家|まさのり]]
[[Category:譜代大名]]
[[Category:忍藩主]]
[[Category:白河藩主]]
[[Category:阿部氏|まさのり]]
[[Category:1806年生]]
[[Category:1823年没]]
[[Category:多磨霊園に埋葬されている人物]]