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{{日本の脚本家|名前=堀川 とんこう|死没日={{死亡年月日と没年齢|1937|5|24|2020|3|28}}|誕生日={{生年月日と年齢|1937|5|24|no}}|死没地={{JPN}} <br />{{flagicon|神奈川県}} [[神奈川県]][[足柄下郡]][[湯河原町]]|出身地={{JPN}} <br />{{flagicon|群馬県}} [[群馬県]][[吾妻郡]][[中之条町]]|テレビドラマ=『加納大尉夫人』<br />(1961年)<br />『[[七人の刑事]]』<br />(1967年)<br />『[[安ベエの海]]』<br />(1969年)<br />『[[愛子 (テレビドラマ)|愛子]]』<br />(1973年)<br />『[[グッドバイ・ママ]]』<br />(1976年)<br />『[[岸辺のアルバム]]』<br />(1977年)<br />『[[モモ子シリーズ]]1~8』<br />(1982年~1997年 )<br />[[松本清張]]<br />『[[ゼロの焦点]]』<br />(1983年)<br />『私を深く埋めて』<br />(1984年)<br />[[松本清張]]作家活動40周年記念<br />『西郷札』<br />(1991年)<br />『ジャック・アンド・ベティ物語』<br />(1992年)<br />[[松本清張]]一周忌特別企画<br />『或る『小倉日記』伝』<br />(1993年)<br />[[松本清張]]特別企画<br />『父系の指』<br />(1995年)<br />『いじわるばあさん1~3東京卒業』<br />(2009(1996~2011)<br />ドラマW『[[祖国 (テレビドラマ)|祖国]]』<br />(2005年)<br />『[[時は立ちどまらない]]』<br />(2014年)<br />『[[五年目のひとり]]』<br />(2016年)|映画=『[[千年の恋 ひかる源氏物語]]』<br />(2001年 配給[[東映]])|出身校=[[東京大学]][[文学部]][[英文科]]|受賞=小説 『砂の投影』<br />銀杏並木文学賞受賞<br />([[東大]]教養学部時代)<br />
<br />文化庁芸術祭優秀賞<br />
<br />第34回 芸術選奨文部科学大臣新人賞<br />(放送部門)<br />
<br />平成18年日本民間放送連盟賞<br />
<br />番組部門テレビドラマ番組優秀賞
<br />第23回ATP賞テレビグランプリ|画像ファイル=堀川敦厚氏写真.jpg|画像コメント=[[湯河原町]]『五年目のひとり』撮影現場にて|本名=堀川 敦厚(ほりかわ あつたか)|その他=・1998まで[[TBS]]([[TBSホールディングス|東京放送]])にて勤務定年退職。<br />・[[随筆春秋]]の創設者実業家であった母堀川としの長男。<br />・そのが創設に加わった同人誌[[随筆春秋]]の指導者成長を生涯務める見守った。}}
'''堀川 とんこう'''(ほりかわ とんこう、本名・'''堀川 敦厚'''(ほりかわ あつたか)。[[1937年]][[5月24日]] - [[2020年]][[3月28日]]<ref>{{Cite news|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO57642490T00C20A4CC1000/|title=堀川とんこう氏が死去 テレビプロデューサー|newspaper=[[日本経済新聞]]|date=2020-04-03|accessdate=2022-03-22}}</ref><ref name="anp"/><ref name="mnp"/>)は、[[日本]]の[[テレビドラマ]]の[[プロデューサー]]・[[演出家]]ならびに[[映画監督]]である。[[群馬県]][[吾妻郡]][[中之条町]]出身。妻は[[脚本家]]、[[ノンフィクション作家]]の[[高木凛]]。
 
== 来歴 ==
[[群馬県]][[吾妻郡]]の[[中之条町立中之条中学校]]から[[群馬県立高崎高等学校]]に進学。その後、[[東京大学]]に入学し[[東京大学大学院人文社会系研究科・文学部|文学部]][[英文科]]へ進む<ref name=":0">堀川とんこう著『今夜も、ばれ飯』([[1995年の日本|1995年]]、[[平凡社]])の巻末に、以下の記載がある。――堀川とんこう(ほりかわ とんこう)TBSプロデューサー/ディレクター。1937年5月生まれ。東大文学部英文科卒業。1961年東京放送入社。手がけたドラマに『七人の刑事』(1967)、『グッドバイ・ママ』(76)、『岸辺のアルバム』(77)、『モモ子シリーズ』(82~90)、『私を深く埋めて』(84)、『或る「小倉日記」伝』(93)、『ボクの就職』(94)、『父系の指』(95)などがある。――以上</ref>また、少なくとも中学校時代は、第84代[[内閣総理大臣]]の[[小渕恵三]]とは小、中学校時代同級生で幼馴染であった。<ref>◆同人誌 随筆春秋 旧公式HP中之条を離れ大学は違ったが、学生時代は山手線の中で時、以下URLにあるページに、こ話題や文学を語り合った。友として事実親交は小渕記載され亡くなるまで続いている。【た<ref>映画ぺディア 堀川とんこう先生】https://zuishun.jp/99_blank022.htm 現在佐野真一著「凡宰伝」(文春文庫)よりの部分引用。「小渕恵三と閉鎖されてアクセスでき小中学校とも同級生。小渕から「いい大学に進むら高校から東京の高校に通ってたほうがいい」と勧められ東京都立戸山高等学校に編入しようとしたが、結局断念。しかし堀川は高崎高校から東京大学に(現役)合格した。</ref>
 
[[東京大学]]に在学中、[[小説]]『砂の投影』で、「銀杏並木文学賞」<ref>[https://gakuyu-kai.org/ichou.html 第32回銀杏並木文学賞] - 東京大学教養学部学友会学生理事会</ref>を受賞。作品は、その学友会発刊の雑誌『学園』<ref>[https://ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000003601 書誌情報] - [[国立国会図書館]]サーチ</ref>に掲載された。その後も『駒場文学』(10号、11号)や『新思潮』(創刊号、4号)などに堀川敦厚名で小説を発表する一方、ジャーナリストを目指し東大新聞研究所にも通っていた。大学卒業後は、1961年4月[[TBSテレビ|TBS]]に入社。当初は報道志望であったが、ドラマ部門に配属されドラマ一筋の人生を歩んだ。[[アシスタントディレクター]]を皮切りに[[ディレクター]]・[[演出家]]となり、[[プロデューサー]]としても活動。後輩の八木康夫プロデューサーは、「プロデューサーとディレクターは全く違う職能で、向き不向きがある。大山勝美さんや堀川さんはどっちもできたからすごい』(民放2020年07月p50)と評する。堀川はテレビドラマの世界で、自ら企画し、演出するという、他局では実現しにくい方法を手にし、「社会と人間」を鋭く、深く描き続けた<ref>[[GALAC]] No.277/2020年6月号 ●追悼 堀川とんこう/鈴木嘉一(p38)「2時間ドラマ隆盛の時代、作家性を存分に発揮する作品を生み出してテレビドラマの領域を拡大した堀川とんこうさん。[[松本清張]]から[[黒井千次]]、[[池澤夏樹]]まで多くの文学作品の映像化を手掛け、高い評価を得た。」</ref>。
◆ https://www.kantei.go.jp/jp/rekidainaikaku/084.html 左記は、首相官邸の運営する小淵恵三のウェブページである。ここに小渕恵三の生年月日が、1937年6月25日であることが記されている。
 
1977年には[[山田太一 (脚本家)|山田太一]]の新聞連載『[[岸辺のアルバム]]』に[[プロデューサー]]としてドラマ化に参画。テーマ曲、[[ジャニス・イアン]]の『Will You Dance?』は日本のテレビドラマで初めて洋楽を採用。タイトルバックの多摩川決壊のシーンや最終回等数本を演出した。TBSにて毎週金曜日(6月24日から9月30日)午後10時から全15回で放送された<ref>TBS塔友127号p49.50 堀川大人 田沢正稔 「鴨下さんと岸辺(アルバム)」、大山さんと「岸辺」が、話題に上ることがあっても「堀川さんの岸辺」 について語られる話はあまり耳にしません。プロデューサーとして、地味に舞台の袖に退いている、といった風情です。(略)功を語らない、のは性分なのでしょう。</ref>。
◆https://www.pref.gunma.jp/01/a0700192.html 左記は、群馬県が運営する小渕恵三のウェブページである。タイトルは、――【名誉県民】小渕 恵三――。冒頭には、略歴として以下の記述がある。――昭和12(1937)年6月に群馬県吾妻郡中之条町で小渕光平、ちよ夫妻の二男として生まれ、中之条中学在学中に学習院中等科に編入するまで、幼少年時代を地元で過ごす。その後、都立北高等学校を経て、昭和37(1962)年3月早稲田大学第一文学部を卒業、同年4月早稲田大学大学院へ進学。――
 
1980年から90年代にかけて各局で盛んに作成されたサスペンスを中心とした2時間ドラマ枠では、企画・演出・編集まですべてひとりで担う意欲的な作品を作り続けた。妻殺しの新聞記事からヒントを得てドラマ化され、竹下景子がソープランド嬢を演じた異色作の[[モモ子シリーズ]](脚本[[市川森一]])1作目『十二年間の嘘~乳と蜜の流れる地よ~』は、文化庁芸術祭優秀賞を受賞。モモ子シリーズ2作目の『聖母モモ子の受難』他で、[[芸術選奨新人賞]]を受賞した。モモ子シリーズはその後15年間にわたり、市民社会の欺瞞や偽善を鋭く風刺し、8作制作された。
◆https://eiga.fandom.com/ja/wiki/%E5%A0%80%E5%B7%9D%E3%81%A8%E3%82%93%E3%81%93%E3%81%86 左記は、「映画ペディア」の堀川とんこう、のページ。以下に抜粋した。――堀川 とんこう(ほりかわ とんこう、本名・堀川 敦厚(読みは同じ)。1937年5月24日 - )は、日本のテレビドラマの演出家・プロデューサー並びに映画監督である。群馬県吾妻郡中之条町出身。中之条町立中之条中学校、群馬県立高崎高等学校、東京大学文学部卒業。――
 
1991年、[[松本清張]]の作家活動40周年を記念する競作シリーズが民放4局により企画された。堀川は初映像化となる『[[西郷札 (松本清張)#1991年版|西郷札]]』(脚本[[金子成人]])をプロデュースし、[[文化庁芸術作品賞]]を受賞した。1993年には清張の芥川賞受賞作『或る「小倉日記伝」』(脚本金子成人)で、日本民間放送連盟賞最優秀賞受賞。94年には清張の私小説的な短編から膨大な執筆の原風景に迫る『[[父系の指]]』(脚本[[高木凛]])でギャラクシー大賞受賞。清張の純文学的作品の映像化に挑んだ堀川の清張3部作は高く評価された<ref>[[GALAC]] No.277/2020年6月号 ●追悼 堀川とんこう/鈴木嘉一(p38)「文学の世界によりかかるのではなく、映像で拮抗し、テレビドラマの領域を広げようとする姿勢は際立っていた。〈視聴者の見たがる物はこれだ、と言われても、そう簡単に自分を手放せない。どこかに自分の生き方や考え方を込めようと、身をよじるように作ってきた。〉」</ref>。また、[[黒井千次]]原作「袋の男」を『恋人たちのいた場所』、[[池澤夏樹]]の芥川賞受賞作『[[スティル・ライフ (小説)|スティルライフ]]』、[[上野瞭]]原作『アリスの穴の中で』を『父さんが子供を産むことになった理由』とタイトルして、企画・演出。次々と異色作に挑んだ。
◆堀川とんこう著『ずっとドラマを作ってきた』(1998年、新潮文庫)のカバーを裏表紙に挟み込んだ部分に、堀川とんこうの略歴が記されている。それによると、堀川とんこうの誕生日は、1937年5月である。
 
1992年、戦後、洋食器製造でにぎわった燕市を舞台に、アメリカに追いつき追い越そうと生きた人々の愛と野望を描いた『ジャック・アンド・ベティ物語』(脚本[[今野勉]])は構想から企画が実現するまで14年という時がかかった。八木康夫は、「制作者として見習うべき情熱」と敬意を抱く(民放 2020.7 p50)。『ジャック・アンド・ベティ物語』は大型特別企画として前後編に分けて放映された。1996年には、離婚した両親と東京で夢を追う3姉妹の家族の再生を描いた3時間ドラマ『[[東京卒業]]』(脚本[[竹山洋]])を企画演出した(第34回ギャラクシー賞優秀賞受賞)。
◆https://jimbutsu.jitenon.jp/cat/kentown10.php?town=495 左記は、人物事典オンライン。群馬県中之条町出身の有名人の一覧が掲載されている。そこに、小渕恵三と堀川とんこうの名前が見つかる。二人の生年は同じである。
 
退職後の2001年、[[なかにし礼]]の[[直木賞]]受賞作『[[長崎ぶらぶら節]]』(テレビ朝日)演出。また同年、[[吉永小百合]]主演『[[千年の恋 ひかる源氏物語]]』([[東映]]配給)で初めての映画監督に挑戦。。堀川の映画監督作品はこの1本にとどまった<ref>民放 2020.7(p49) 個性派ディレクターの時代 ―堀川とんこうさんを悼む― 鈴木嘉一 堀川の後に映画監督デビューすることになった鶴橋は「映画作りの苦労や失敗談を聞かされた。<誰かの悪口や愚痴じゃなくて、客観的なアドバイスだった>と思い起こす。」</ref>。
◆つまり、小渕恵三と堀川とんこうは、同じ群馬県吾妻郡中之条町の出身であり、生年は同じで、誕生月は、それぞれ6月と5月である。そして、少なくとも中学校では同級生である。</ref>
 
2005年、[[WOWOW]]戦後60年特別企画 [[山田洋次]]原作・脚本、[[上川隆也]]、[[マコ岩松]]主演『[[祖国 (テレビドラマ)|祖国]]』、演出。(第60回芸術祭優秀賞受賞など)
[[東京大学]]に在学中、[[小説]]『砂の投影』で、「銀杏並木文学賞」<ref>[https://gakuyu-kai.org/ichou.html 第32回銀杏並木文学賞] - 東京大学教養学部学友会学生理事会</ref>を受賞。主催は、同大学[[東京大学大学院総合文化研究科・教養学部|教養学部]] 学友会学生理事会である。作品は、 その学友会発刊の雑誌『学園』<ref>[https://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000000003601-00 書誌情報] - [[国立国会図書館]]サーチ</ref>に掲載された。大学卒業後は、[[TBSテレビ|TBS]]に入社(1961年4月、当時23歳)。その後は、[[アシスタントディレクター]](略称:AD)を皮切りに[[ディレクター]](略称:D)となり、さらには[[プロデューサー]](略称:P)、[[演出家]]として活躍することになる。
2007年、テレビ東京2夜連続スペシャルドラマ、[[上戸彩]]主演『[[李香蘭]]』演出。
2009年、[[松本清張]]・『一応の推定』脚本[[竹山洋]](ATPグランプリ2010優秀賞)。
2010年、[[BS-TBS]]開局10周年記念ドラマ・[[松本清張]]特別企画[[市原悦子]]・[[夏川結衣]]主演『[[一年半待て]]』(脚本[[竹山洋]])演出。
 
2014年、[[東日本大震災]]の被災者や遺族に寄り添い3年後の姿を描いた[[山田太一 (脚本家)|山田太一]]ドラマスペシャル・[[中井貴一]]主演『[[時は立ちどまらない]]』(テレビ朝日)を演出(芸術祭大賞など受賞多数)。
入社4年目の1964年(当時27歳)で結婚。相手は学生時代からの知り合いの中学教師だった。<ref>堀川とんこう著『ずっとドラマを作ってきた』([[1998年の日本|1998年]]、[[新潮社]])の52ページに、このあたりのことが綴られている。</ref>1971年(当時34歳)に1度だけ、団地9階にある2DKの自宅のベランダから飛び下りようとしたことがあった。連続ドラマの第1回の完成試写会を見て絶望していた。当時の堀川は仕事人間で、休む間もなく働いていた。<ref>堀川とんこう著『ずっとドラマを作ってきた』([[1998年の日本|1998年]]、[[新潮社]])の54ページにこのあたりのことが綴られている。</ref>
 
2016年、前作に続いて[[山田太一 (脚本家)|山田太一]]が[[東日本大震災]]から5年後の被災者を描いた[[渡辺謙]]主演『[[五年目のひとり]]』(テレビ朝日)を演出。(第71回)文化庁芸術祭賞テレビ・ドラマ部門優秀賞、東京ドラマアウォード2017作品賞単発ドラマ部門優秀賞受賞。この作品が遺作となった。
[[プロデューサー]]としての代表作は、『[[岸辺のアルバム]]』である。ただし、本人はそう言われるのを素直には喜べない、という<ref>堀川とんこう著『ずっとドラマを作ってきた』([[1998年の日本|1998年]]、[[新潮社]])〔四〕ウィル・ユー・ダンス? 『岸辺のアルバム』のこと――の70ページで、堀川は、「そういう訳で、せっかくの『岸辺のアルバム』については書きにくいところがある。なにをいっても俺が俺がの自慢話になるかもしれない。それで無理して自分の経歴から『岸辺のアルバム』を消していた時期もあったが、それはそれで、この番組に対する自分の素直な愛着を押し殺しているようで気持が悪かった」と述懐している。</ref>。堀川は、当時40歳だった。毎週金曜日、午後10時から全15回で放送された[[TBSテレビ|TBS]]の[[TVドラマ]]だ。 期間は、[[1977年の日本|1977年]](昭52)6月24日から9月30日。[[台風]]シーズンに合わせた放送スケジュールとなっていた。当時では珍しかった辛口の[[ホームドラマ]]である。今(2022年)から44年前、この番組を[[リアルタイム]]で観た世代は、2022年現在、50代後半以降となっている。
 
堀川は、[[竹下景子]]、[[小林薫]]、[[蟹江敬三]]、[[橋爪功]]<ref>{{Cite news|url=https://www.asahi.com/articles/DA3S15676878.html|title=(語る 人生の贈りもの)橋爪功:11 僕の放哉、渥美さんが見て…|newspaper=[[朝日新聞]]|date=2023-07-03}}</ref>、[[市原悦子]]をたびたび自身の作品に起用している<ref>堀川とんこうの自著『ずっとドラマを作ってきた』に[[竹下景子]]、[[小林薫]]、[[蟹江敬三]]、[[橋爪功]]らとの関係を示す文章がある。また、堀川とんこうの作品群に、[[市原悦子]]の名前がたびたび掲載されている。</ref>。
[[原作]]、[[脚本]]が[[山田太一 (脚本家)|山田太一]]、[[プロデューサー]]が堀川敦厚(あつたか)、[[監督]]が[[鴨下信一]]などである。[[山田太一 (脚本家)|山田太一]]の[[小説]]が採用され(当時としては異色の辛口ホームドラマであったため、堀川の英断で採用を決定した)、ドラマが滞りなく最終回まで放送された、という点で一番の立役者は、[[プロデューサー]]の堀川敦厚である。後の堀川とんこうだ。[[プロデューサー]]というのは、番組に対する全責任を負っている。第12回では、その堀川が自ら[[演出]]も手がけた。
 
[[2020年]][[3月28日]]、[[肺癌]]のため、[[神奈川県]][[足柄下郡]][[湯河原町]]の自宅で逝去<ref name="anp">{{Cite news|url=https://www.asahi.com/articles/DA3S14427749.html|title=堀川とんこうさん死去|newspaper=[[朝日新聞]]|date=2020-04-03|accessdate=2022-03-21}}</ref><ref name="mnp">{{Cite news|url=https://mainichi.jp/articles/20200427/ddm/005/070/002000c|title=悼む:テレビ演出家・堀川とんこうさん=3月28日死去・82歳|newspaper=[[毎日新聞]]|date=2020-04-27|accessdate=2022-03-21}}</ref>。享年82歳<ref name="anp"/><ref name="mnp"/>。遺骨は東京都杉並区[[福相寺 (杉並区)]]の堀川家の墓所に納められた<ref>{{Cite news|url=https://www.asahi.com/articles/DA3S14487285.html|title=(惜別)堀川とんこうさん テレビプロデューサー・演出家|newspaper=[[朝日新聞]]|date=2020-05-23}}</ref><ref name="福相寺の由来">[https://fukusoji.org/origin 福相寺の由来] 正住山福相寺オフィシャルサイト</ref>。
オープニングの、[[マイホーム]]が[[多摩川]]の濁流に飲み込まれていくシーンには、実際の[[ニュース]]映像が使われた。これが、多くの[[視聴者]]に鮮烈な印象を与えた。この趣向は、当時の堀川敦厚(あつたか)プロデューサーが考え出したものである。そのことは、堀川とんこうの著書である『ずっとドラマを作ってきた』([[1998年の日本|1998年]]、[[新潮社]])にも記されている。新人だった[[国広富之]]を起用し育て上げたのも、堀川である。<ref>堀川とんこう著『ずっとドラマを作ってきた』([[1998年]]、[[新潮社]])の――[四]ウィル・ユー・ダンス? 『[[岸辺のアルバム]]のこと』――の章には、69ページから75ページにかけて、このあたりのことが、写真入りで、綴られている。</ref>
 
1984年には、『[[ゼロの焦点]]』『聖母モモ子の受難』(小見出し2:<u>[[堀川とんこう#プロデューサー時代(1977年5月、40歳となる)|'''プロデューサー時代''' 参照]]</u>)が、第34回 [[芸術選奨文部科学大臣新人賞]](放送部門)を受賞した。堀川はこの2作品とは[[プロデューサー]]、[[演出]]として関わっている。[[1997年の日本|1998年]](当時60歳)、[[TBSテレビ|TBS]]を定年退職後は監督業もこなし、[[2001年]]に『[[千年の恋 ひかる源氏物語]]』(小見出し2:[[堀川とんこう#%E7%9B%A3%E7%9D%A3%E3%83%BB%E6%BC%94%E5%87%BA%E5%AE%B6%E6%99%82%E4%BB%A3%EF%BC%881998%E5%B9%B4%E3%80%8160%E6%AD%B3%E3%80%82%E5%AE%9A%E5%B9%B4%E9%80%80%E8%81%B7%EF%BC%89|<u>'''監督・演出家時代''' 参照</u>]])の監督を務めた。[[東映]]の配給で、興行収入は21億円に達した。日本映画では同年トップテンの6位に入る。先輩の[[大山勝美]]が代表を務める、テレビ制作会社『[[カズモ]]』に所属していたが、[[2006年]]に独立する。
 
堀川は、[[竹下景子]]、[[小林薫]]、[[蟹江敬三]]、[[橋爪功]]、[[市原悦子]]をたびたび自身の作品に起用している。うち4人との関係は、自著『ずっとドラマを作ってきた』に綴られている。<ref>堀川とんこう著『ずっとドラマを作ってきた』([[1998年]]、[[新潮社]])に、このあたりに関しての記述がある。
 
◆カバーの裏表紙に織り込まれた部分には堀川とんこうの略歴が記述されていて、そこに㈱カズモのプロデューサー兼ディレクターであったことが記されている。
 
◆以下は、[六]俳優たちへの片思い~四通の恋文、という章の中の4つの節である。片思い、恋文という言葉からも分かるとおり、堀川とんこうは、これらの俳優を自分が関わった作品の中で頻繁に起用している。
 
・97ページから102ページにの「モモ子に子供を産めと迫った夜――[[竹下景子]]さんのこと」には、堀川とんこうと竹下景子との関係性が綴られている。
 
・102ページから107ページの「花束とキッス――[[橋爪功]]さんとのこと」には、堀川とんこうと橋爪功との関係性が綴られている。
 
・108ページから114ページの「写真集『ヴェルーシュカ』の思い出――[[蟹江敬三]]さんとのこと」には、堀川とんこうと蟹江敬三との関係性が綴られている。
 
・「となり駅のアパート――[[小林薫]]さんとのこと」には、堀川とんこうと小林薫との関係性が綴られている。
</ref> 市原悦子だが、TBSを定年退職後の堀川の作品に頻繁に出演している。(小見出し2:[[堀川とんこう#監督・演出家時代(1998年、60歳。定年退職)|<u>'''監督・演出家時代''' 参照</u>]])
 
[[2020年]][[3月28日]]、[[肺癌]]のため、[[神奈川県]][[足柄下郡]][[湯河原町]]の自宅で逝去<ref name="anp">{{Cite news|url=https://www.asahi.com/articles/DA3S14427749.html|title=堀川とんこうさん死去|newspaper=[[朝日新聞]]|date=2020-04-03|accessdate=2022-03-21}}</ref><ref name="mnp">{{Cite news|url=https://mainichi.jp/articles/20200427/ddm/005/070/002000c|title=悼む:テレビ演出家・堀川とんこうさん=3月28日死去・82歳|newspaper=[[毎日新聞]]|date=2020-04-27|accessdate=2022-03-21}}</ref>。享年82歳<ref name="anp"/><ref name="mnp"/>。
 
== エピソード ==
 
* 『[[岸辺のアルバム]]』初放送の3年前、1974年9月1日から3日にかけて、[[台風]]16号のもたらした豪雨で[[多摩川]]が増水した。[[狛江市]]では左岸の堤防が260メートルにわたって決壊し、宅地3000平方メートルが濁流にえぐり取られ、住宅など19戸が流された。幸いにも住民は避難を済ませており、死傷者は1人も出なかった。[[マイホーム]]が庶民の夢であった当時、[[多摩川]]沿いのしゃれた住宅が次々と流されていく光景は、そんな人々の夢を壊す残酷なものだった。映像の中では、木造の賃貸アパートが、壊れずにそのままの形で流されていくところが、はっきりと見てとれた。その様子を、 毎週繰り返し、[[ドラマ]]のオープニングで見せられた当時の視聴者が、この事実に注目しないわけがなかった。そのアパートは、木質系パネル工法の採用を売りにしていた、[[ミサワホーム]]の手がけた物件だった。<ref>https://www.misawa.co.jp/kodate/technology/mokusitu/safety/kouho/ 左記は、ミサワホームのウェブページである。ここに、当該事実に関する技術的な説明と写真が公開されている。また、ネット上からページ内を閲覧することはできないが、ミサワホームが出版公開している『ミサワホーム テクノロジー』という冊子にも、このあたりの技術的説明や画像が掲載されている。これらをまとめると以下のようになる。――木質系パネルというのは、木製の芯材を縦横に組み、それを両側から合板でサンドし、中の空間にはグラスウール(断熱材)を詰め込んだものである。そのパネルを使い現地で組み立てる工法を、木質系パネル工法という。在来工法とは異なり、柱を立てない。壁自体が、構造体(耐力壁)となっているのだ。発想は、ツーバイフォーとも似ている。その意味で、木質系パネル工法というのは、現地で施行を行うツーバイフォーをプレハ化したもの、ということもできる。木質系パネルは、予め、工場で生産される。つまり、これがプレハブという意味である。 なお、木質系パネル工法による住宅は、強固なモノコック構造となる。モノコック構造とは、切れ目のない箱型ということだ。乗用車のボディーなども、板金による箱型となっていることから、モノコックボティーと呼ばれている。それと同じだ。どちらも軽量で、とても頑丈である。ミサワホームの社員研修では、いまだに、『岸辺のアルバム』のオープニング映像が使われることがある、という。折しも1976年(昭51)9月、ミサワホームからは、この木質系パネル工法を採用した、O型という企画住宅が発売となっていた。価格帯は、当時のサラリーマンにも手が届く設定だった。O型は、その後十数年間にわたり販売され続け、累計5万戸も売れている。驚くべき数字である。 このO型は、実は日本では初めてのLDKを取り入れた間取りとなっていた。LDKというのは、リビング、ダイニング、キッチンとが一体となった間取りだ。現在では、日本全国に普及している。それらの陰には、ドラマの影響があった。つまり、『岸辺のアルバム』以降、木質系パネル工法を得意とするミサワホームや、大手住宅メーカーのツーバイフォーの住宅が注目されるようになった。そしてミサワホームO型の出現により、そのLDKという間取りも日本中に伝播した。こうして堀川とんこうは、図らずも、日本の住宅文化に影響を与えることになった。―― 以上</ref>このオープニングを考えたのは、[[TBSテレビ|TBS]][[プロデューサー]]の堀川とんこうである。そのことは、堀川の著書『ずっとドラマを作ってきた』([[1998年の日本|1998年]]、[[新潮社]])にも記されている。<ref>堀川とんこう著『ずっとドラマを作ってきた』(1998年、[[新潮社]])には、以下のように記されている。79ページより抜粋した。――ドラマのタイトルバックの画面はディレクターが作るのが普通だが、『岸辺のアルバム』ではどういう事情だったか私が作った。人から指摘されたことはないが、プロデューサーとしては視聴率対策をたっぷり施した画面である。そのことを再放送のたびに思い出す。つまり、多摩川の堤防決壊のニュース・フィルムが最初についていて、そのあとで平和な川岸の風景になって、タイトルの文字が入る。更に途中でも短く家族が暴風のなかで叫ぶスチール映像が入る。しかし、ドラマで堤防の決壊が起こるのが最終回だ。少しでもドラマチックな印象を与えようとしているのだが、最終回のクライマックスを冒頭で明かすのは実は変なものなのだ。―― 以上</ref>
* 元[[フジテレビジョン|フジテレビ]]プロデューサーの[[横澤彪]]は東大文学部の同級生で、大学時代からの友人である<ref>[http://www.j-cast.com/tv/2007/02/16005592.html 【横澤彪のチャンネルGメン69】李香蘭になりきれなかった「上戸彩」]</ref>。ただし、横澤は在学中に留年したため、堀川の[[TBSテレビ|TBS]]入社(1961年)から1年遅れて[[フジテレビジョン|フジテレビ]]に入社した。
* 堀川とんこうは[[TBSテレビ|TBS]]時代、『[[安ベエの海]]』(1969年)、『愛子』(1973年)という[[佐藤愛子 (作家)|佐藤愛子]]原作のテレビドラマと関わった。前者は[[プロデューサー]]助手として、後者では[[プロデューサー]]だった。『[[安ベエの海]]』は、[[佐藤愛子 (作家)|佐藤愛子]]の初期の[[短編小説]]で[[芥川賞]]候補ともなった『加納大尉夫人』が原作だ。『愛子』は、やはり[[佐藤愛子 (作家)|佐藤愛子]]の自伝的小説である。堀川は、[[佐藤愛子 (作家)|佐藤愛子]]の自宅を時々訪れては、取材などを行うようになっていた。堀川とんこう著『ずっとドラマを作ってきた』([[1998年の日本|1998年]]、[[新潮社]])の58ページ以降に、上記事実が綴られている。
* 実母の堀川とし([[実業家]])が、1993年に同人誌 [[随筆春秋]]を創設した。[[エッセイ]]が専門の[[純文学]]の[[同人誌|同人]]である。<ref>https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000001-I000007703166-00 左記は、国立国会図書館オンラインの、検索結果ページである。ここに、随筆春秋 創刊号に関しての詳細情報がある。当該冊子に、このあたりの事情が記述されている。――嬉しい仲間たち…序にかえて…(『随筆春秋』講師 齋藤信也)――という序文がそれである。なお、随筆春秋創刊号に関しては、Amazonで復刻版が販売されている。以下である。https://www.amazon.co.jp/dp/B08CF1CJFZ/</ref>長男である堀川とんこう([[随筆春秋]]創設当時、56歳)は、その後生涯にわたって、[[随筆春秋]]の指導者を務める。<ref>このあたりのことは、一般社団法人 随筆春秋が春と秋に発刊している随筆春秋(同人誌)を閲覧すると、その事実が理解できる。例えば、2020年の第53号の巻頭に、「僕たちの秋(10)」という堀川とんこうの文章が掲載されている。巻頭には指導者の文章が掲載されるようだ。随筆春秋は、国立国会図書館オンラインで、その創刊号についての詳細を閲覧することができる。以下である。https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000001-I000007703166-00 そこに、「刊行状態:継続刊行中」との記述がある(2022.05.29現在)。</ref>[[随筆春秋]][[同人誌|誌]]に文章を掲載するほか、毎年開催される[[随筆春秋賞]]の選考委員も、長く務めた。<ref>https://zuishun.themedia.jp/ 左記は、随筆春秋公式HPである。この「沿革」セクションに、堀川とんこうが生涯、随筆春秋と関わりを持ったことについて理解できる記述がある。</ref><ref>同人誌 随筆春秋 旧公式HPの中の、以下URLにあるページに、この事実が記載されている。【堀川とんこう先生】https://web.archive.org/web/20210926085242/https://zuishun.jp/99_blank022.html
 
現在は閉鎖されてアクセスできない。随筆春秋は、一般社団法人という法人格を有している。</ref>
 
== 主な作品 ==
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*ヨイショ(1974年、[[渥美清]]、[[小倉一郎]]、[[賀原夏子]]、[[松村達雄]]、[[松原智恵子]]ほか)- ディレクター
*[[あこがれ共同隊|あこがれ共同体]](1975年、[[郷ひろみ]]、[[西城秀樹]]、[[桜田淳子]]、[[森本レオ]]ほか)- ディレクター
*なつかしき海の歌(1975年、[[吉田拓郎]]、[[浅田美代子]]、[[加山雄三]]、[[香山美子 (女優)|香山美子]]ほか)- ディレクター 
*ガラスの森(1975年、[[田村正和]]、[[竹脇無我]]、[[酒井和歌子]]、[[紀比呂子]]ほか)- ディレクター
*[[君の歌が聞きたい]](1975年、[[古谷一行]]、[[小川知子 (女優)|小川知子]]、[[島田陽子]]ほか)- ディレクター
*[[グッドバイ・ママ|グッドバイママ]]'''('''1976年、[[坂口良子]]、[[平幹二朗]]、[[篠田三郎]]、[[風間杜夫]]、[[岡田裕介]]ほか)- '''プロデューサー'''
[[ファイル:Muga Takewaki.jpg|サムネイル|'''[[竹脇無我]]'''(俳優)。'''[[TBSテレビ|TBS]]ドラマ『[[岸辺のアルバム]]』'''で、中流家庭の専業主婦・則子('''[[八千草薫]]''')と不倫関係になる。当時の<u>[[ホームドラマ]]のタブーを破るストーリー展開</u>である。]]
<blockquote><small>堀川は、[[プロデューサー]]となるべく、『安ベエの海』で事前教育を受けた。そのとき堀川は、不本意にも[[プロデューサー]]助手を務めなければならなかった。『愛子』『グッドバイママ』ではいよいよ、[[プロデューサー]]として看板を掲げることになる。そして次の『岸辺のアルバム』(小見出し2:<u>[[堀川とんこう#プロデューサー時代(1977年5月、40歳となる)|'''プロデューサー時代''' 参照]]</u>)からは、プロデューサーとして本格的な仕事をこなすようになる。堀川とんこう著『ずっとドラマを作ってきた』([[1998年の日本|1998年]]、[[新潮社]])の55ページから56ページ、69ページ以降に、それらが記されている。</small></blockquote><blockquote><small>その『安ベエの海』であるが、原作は作家 [[佐藤愛子 (作家)|佐藤愛子]]の『加納大尉夫人』([[芥川賞]]候補作品)である。実は堀川はAD時代、同名のドラマを担当している。(小見出し2:<u>[[堀川とんこう#AD時代(1961年4月、23歳。TBSへ入社)|'''AD時代''' 参照]]</u>)[[東芝日曜劇場]]枠だった。そのとき演出を務めた[[TBSテレビ|TBS]]の蟻川茂男(堀川の遠い[[親戚]])が、「あれは[[連続ドラマ]]になる」といって、[[テレビ小説]]の企画になった。それが『[[安ベエの海]]』である。堀川とんこう著『ずっとドラマを作ってきた』([[1998年の日本|1998年]]、[[新潮社]])の55ページに当該事実が記されている。</small></blockquote>[[ファイル:Muga Takewaki.jpg|サムネイル|'''[[竹脇無我]]'''(俳優)。'''[[TBSテレビ|TBS]]ドラマ『[[岸辺のアルバム]]』'''で、中流家庭の専業主婦・則子('''[[八千草薫]]''')と不倫関係になる。当時の<u>[[ホームドラマ]]のタブーを破るストーリー展開</u>である。]]
==== プロデューサー時代(1977年5月、40歳となる) ====
[[ファイル:Yachigusa-Kaoru-1.jpg|サムネイル|'''[[八千草薫]]'''(女優)。'''[[TBSテレビ|TBS]][[ドラマ]]'''『'''[[岸辺のアルバム]]'''』で、中流家庭の専業主婦・則子を演じる。画像は23歳当時。八千草がこの役を演じたのは42歳のときである。]][[ファイル:Monument of the Tama River collapse1.JPG|代替文=|サムネイル|[[多摩川水害|'''多摩川決壊の碑''']]
 
([[東京都]][[狛江市]])。[[1974年の日本|1974年]][[9月1日]]、台風による増水で<u>堤防が決壊し、マイホームなど19戸が流された</u>。この出来事が、'''[[TBSテレビ|TBS]][[TVドラマ|ドラマ]]『[[岸辺のアルバム]]』'''のモチーフとなっている。]]
*[[岸辺のアルバム]](1977年、出演・[[八千草薫]]、[[竹脇無我]]、[[国広富之]]、[[杉浦直樹]]、[[中田喜子]]) - 演出・プロデューサー(略称:P)
 
<blockquote><small>東京郊外の[[多摩川]]沿いに暮らす中流家庭を舞台に、当時のホームドラマではタブーとされていたエピソードが次々と展開される。幸せそうに見える4人家族。実はそれぞれが問題を抱えていた。母・則子([[八千草薫]])は、典型的な良妻賢母で専業主婦。その則子に、見知らぬ男([[竹脇無我]])から電話がかかってくるようになった。はじめは無視していたが、やがてふたりは会うようになり、[[不倫]]へと発展する。父・謙作([[杉浦直樹]])は一流商社のサラリーマン。だが倒産寸前の状態で、会社は金のため違法な商売を行っていた。娘・律子([[中田喜子]])は大学生。優秀で入試も容易に突破したが、この一年は家族に対して心を閉ざしていた。そんな彼女は白人男性と交際するようになり、やがて抜き差しならない事態を招いてしまう。息子・繁([[国広富之]])は大学受験を控えた高校生である。決して勉強のできる方ではないが優しい性格の持主だ。両親や姉の異変に気づき、思い悩む日々を送ることに……。[[TBSテレビ|TBS]]チャンネルの『[[岸辺のアルバム]]』<ref>https://www.tbs.co.jp/tbs-ch/item/d0038/ 左記は、[[TBSチャンネル]]のウェブページで、ここに[[TBSテレビ|TBS]]ドラマ『[[岸辺のアルバム]]』についてのさまざまな番組データが記載されている。</ref>より抜粋、その後修正加筆。</small></blockquote>
*[[茜さんのお弁当]](1981年、[[八千草薫]]、[[川谷拓三]]) - プロデューサー
<blockquote><small>「あかね弁当」という弁当屋を舞台に、夫亡き後店を切り盛りする茜と、そこで働くことになった保護観察処分を受けている不良少年たちとの交流を描く。</small></blockquote>
* [[拳骨にくちづけ]](1981年、[[大原麗子]]、[[丹波哲郎]]、[[山岡久乃]]、[[細川俊之]]、[[北詰友樹]]、[[本間優二]]) - プロデューサー
<blockquote><small>大原麗子扮する2734歳の薫は鉄を使ったアートを作る現代彫刻家である。結婚を考え始めた彼女の前に、魅力的な2人の独身男性が現れた。</small></blockquote>
*[[モモ子シリーズ]]1 / 十二年間の嘘 乳と蜜の流れる地よ(1982年)([[竹下景子]]、[[佐藤慶]]、[[岩崎加根子]]、[[根岸季衣]]、[[蟹江敬三]]、[[小野武彦]]、[[大門正明]]、[[坂口芳貞]]ほか)- 演出・プロデューサー
*[[ゼロの焦点#1983年版|松本清張のゼロの焦点]](1983年) - プロデューサー
*[[昭和四十六年 大久保清の犯罪]](1983年) - 制作
*[[モモ子シリーズ]]2/ 聖母モモ子の受難(1983年、[[竹下景子]]、[[柄本明]]、[[根岸季衣]]、[[蟹江敬三]]、[[橋爪功]]、[[初井言榮]]、[[ケーシー高峰]]、[[広田レオナ]]、[[小野武彦]]、[[角野卓造]]ほか) - 演出・プロデューサー
*私を深く埋めて(1984年) - ディレクター、演出、プロデューサー
*[[モモ子シリーズ]]3 / スキャンダル黙示録(1985年、[[竹下景子]]、[[柄本明]]、[[柳沢慎吾]]、[[根岸季衣]]、[[五代高之]]、[[鈴木光枝]]、[[高岡健二]]、[[蟹江敬三]]、[[橋爪功]]、[[小野武彦]]、[[萩原流行|萩原流]]ほか) - 演出・プロデューサー
<blockquote><small>「ソープランド」に改称した直後の放送で、冒頭に[[トルコ風呂 (性風俗)|トルコ風呂]]の看板を付け替えるシーンがある。</small></blockquote>
*受胎の森(1985年) - プロデューサー
*[[モモ子シリーズ]]4 / グッバイ・ソープガール(1986年、[[竹下景子]]、[[かとうかず子]]、[[大和田獏]]、[[本間優二]]、[[轟二郎]]、[[三浦浩一]]、[[小野武彦]]、[[蟹江敬三]]、[[佐藤慶]]ほか) - 演出・プロデューサー
*[[モモ子シリーズ]]5 / サザエロード巡礼(1987年[[竹下景子|、竹下景子]]、[[根岸季衣]]、[[段田安則]]、[[三浦浩一]]、[[橋爪功]]、[[蟹江敬三]]ほか) - 演出・プロデューサー
*魔夏少女(1987年) - 製作
*[[松田聖子]]のスイートメモリーズ(1987年) - プロデューサー
109 ⟶ 89行目:
*帰っていいのよ、今夜も(1988年) - 演出
*スティル・ライフ(1989年) - 演出
*[[モモ子シリーズ]]6 / 芸者モモ子の復活(1989年、[[竹下景子]]、[[平田満]]、[[橋爪功]]、[[根岸季衣]]、[[いしのようこ]]ほか) - 演出・プロデューサー
*[[モモ子シリーズ]]7 / モモ子の罪と罰 恋追いかけて信州路(1990年、[[竹下景子]]、[[風間トオル]]、佐藤慶、[[原知佐子]]ほか) - 演出・プロデューサー
*[[西郷札 (松本清張)#1991年版|松本清張作家活動40年記念・西郷札]](1991年) - プロデューサー
*[[丘の上の向日葵]](1993年) - プロデューサー
118 ⟶ 98行目:
*[[きのうの敵は今日も敵]](1995年) - プロデューサー
*[[東京卒業]](1996年) - 演出・プロデューサー
*[[モモ子シリーズ]]8 / 最後の審判 あのソープ嬢が欲と利権の老人ホームで巨悪を相手に大暴れ!(1997年、[[竹下景子]]、[[柄本明]]、[[根岸季衣]]、[[岡本麗]]、[[佐藤慶]]ほか) - 演出・プロデューサー
*[[職員室]](1997年、[[浅野温子]]、[[仲村トオル]]、[[野際陽子]]) - 演出・プロデューサー
<blockquote><small>女教師が、中学校の職員室に潜む教師同士の軋轢や生徒のいじめ問題など、教育現場を蝕むさまざまな現実に挑む。</small></blockquote>
131 ⟶ 111行目:
* [[千年の恋 ひかる源氏物語]](映画) (2001年、配給[[東映]]) - 脚本:[[早坂暁]]、演出:堀川とんこう
<blockquote><small>[[光源氏]]という男役に扮した[[天海祐希]]と、[[紫の上]]を演じる[[常盤貴子]]とが話題となった。出演者らの衣装や映像技術にも高い評価を得た。興行収入21億円。2002年度の日本映画では、トップテンの6位に入る。</small></blockquote>
*女と男と物語 PART:II(Episode 2)2)結婚願望(2003年、[[朝日放送テレビ|ABCテレビ]]、出演・[[高橋和也]]、[[板谷由夏]]) - 演出:堀川とんこう
<blockquote><small>突然、薫が電話で別れ話を切り出してきた。フリーのデザイナーになったばかりの薫にとって、今は結婚を考えられない。裕輔は早く結婚したがっている。薫には、そんな裕輔が苦痛で重荷だった。</small></blockquote>
* [[女将になります!]](2003年、[[日本放送協会|NHK]]、出演・[[酒井法子]]、[[高橋惠子|高橋恵子]]) - 演出:堀川とんこう
137 ⟶ 117行目:
*[[やがて来る日のために]](2005年、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]、主演・[[市原悦子]]、[[星野真里|星野真理]]、[[井川比佐志]]、[[堺雅人]]、[[上野樹里]])- 演出:堀川とんこう
<blockquote><small>花山美代([[市原悦子]])は、訪問看護師として、死を間近に意識した患者たちの自宅療養を支えている。一度倒れて以来、妻が口をきいてくれなく……。</small></blockquote>
*[[祖国 (テレビドラマ)|祖国]](2005年、[[WOWOW|WOWOW、]]出演・[[上川隆也]]、[[マコ岩松]]、[[木村佳乃]]、[[森口瑤子]]、[[高橋マリ子]]、[[谷村美月]]、[[吹越満]]、[[南田洋子]])- 原作・脚本:[[山田洋次|山田洋治]]、監督:堀川とんこう
<blockquote><small>出張で、ある南の島を訪れた商社マン・小野寺([[上川隆也]])が出会った現地人パイロット・レオ([[マコ岩松]])。3ヵ月後、小野寺を訪ねて来日したレオは能登へ行くと言い残し姿を消す。彼の真実の姿は……。</small></blockquote>
*[[李香蘭 (テレビドラマ)|李香蘭]](2007年、[[テレビ東京]]、出演・[[上戸彩]]、[[菊川怜]]、[[橋爪功]]) - 監督:堀川とんこう
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*いじわるばあさん3 - 第2話「こんにちはモンスター」(2011年、フジテレビ、主演・[[市原悦子]]) - 脚本:[[井上由美子 (脚本家)|井上由美子]]、演出:堀川とんこう
 
*[[時は立ちどまらない]](2014年、テレビ朝日、出演・[[中井貴一]]、[[樋口可南子]]、 [[黒木メイサ]]、[[吉行和子]]、[[柳葉敏郎]]、[[橋爪功]]、[[岸本加世子]]、[[倍賞美津子]]、[[渡辺大]]、[[神木隆之介]])- 脚本:[[田太一 (脚本家)|山田太一]]、演出:堀川とんこう
<blockquote><small>子供同士の結婚で一緒になるはずの2組の家族を、[[東日本大震災]]の[[津波]]が襲った。西郷家は被害を免れ、浜口家は津波で家と家族を失う。2組の家族の運命の歯車が大きく狂い始める。</small></blockquote>
*[[五年目のひとり]](2016年、テレビ朝日、出演・[[渡辺謙]]、[[高橋克実]]、[[木村多江]]、[[柳葉敏郎]]、[[板谷由夏]]、[[西畑大吾]]、[[蒔田彩珠]]、[[山田優 (モデル)|山田優]]、[[市原悦子]])- 作:[[田太一 (脚本家)|山田太一]]、演出:堀川とんこう
<blockquote><small>パン屋で働く中年 木崎秀次([[渡辺謙]])は、[[東日本大震災]]の大津波で家族8人を1度に失った。あることで木崎と顔見知りになった中学生の美松永亜は、その木崎の過去を知りまだ癒えぬその心の傷に触れていく。</small></blockquote>
 
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== 脚注 ==
{{Reflist}}
 
== 関連項目 ==
*[[ファイル:2022年3月発刊「随筆春秋」第57号.jpg|サムネイル|'''[[随筆春秋]]'''第57号(2022年3月)]][[TBSテレビ|TBS]]
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* [https://www.tbs.co.jp/ TBSテレビ]
* [https://zuishun.themedia.jpnet/ 随筆春秋ポータル(随筆春秋公式ホームページ]
* [https://zuishun-episode.amebaownd.comnet/note-tonko-horikawa/ 堀川とんこう先生とドラマ『岸辺のアルバム』‐ 随筆春秋資料室ポータル]
* [https://zuishun-episode.amebaownd.com/posts/33741697 『岸辺のアルバム』と住宅文化 ‐ 随筆春秋資料室]