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|name= 神の抵抗軍 <br />{{lang|sq|'''the Lord's Resistance Army'''}}
|war= {{仮リンク|ウガンダ・ブッシュ戦争|en|Ugandan Bush War|label=ウガンダ内戦}}、[[第二次コンゴ戦争]]他
|image= [[Image:Flag ofred Lord'syellow Resistance Army5x3.svg|250px]]
|caption=
|leaders= [[ジョゼフ・コニー]]
|ideology=十戒とアチョリの伝統に基づく国家建設
|clans=アチョリ
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== 概要 ==
[[1987年]]に[[ジョゼフ・コニー]]によって結成された。主に[[コンゴ民主共和国]]東部、[[ウガンダ]]の北部地域と[[南スーダン]]の一部で活動しており、いる。彼らとウガンダ政府軍との紛争は、アフリカで進行中の長期紛争の1つである。コニーは自らを[[霊媒]]であると主張し、[[モーセの十戒|十戒]]と[[アチョリ]]の伝統に基づく国家建設を掲げている<ref>[{{Wayback|url=http://www.irinnews.org/InDepthMain.aspx?InDepthId=58&ReportId=72472 |title="Interview with Vincent Otti, LRA second in command"]|date=20070929083137}} and- ''[[IRIN]] In Depth'', June 2007</ref><ref>{{Wayback|url=http://www.irinnews.org/InDepthMain.aspx?InDepthId=58&ReportId=72445 |title=" A leadership based on claims of divine revelations"]|date=20070929120859}} in- ''[[IRIN]] In Depth'', June 2007</ref>。
 
最近では2000年代後半、ウガンダ軍の掃討によってその規模を縮小させているが、依然として住民の殺害や襲撃等を行っている。LRAによる被害の中でも子供に対する犯罪は特に深刻で、子供を拉致し、強制的に[[少年兵]]にしたり、[[性的搾取奴隷]]したりして国際的な非難をあびている<ref>[http{{Cite news|url=https://www.afpbb.com/articlearticles/war-unrest/2520382/?pid=3367260 |title=ウガンダ反政府勢力がコンゴで子ども90人を誘拐、ユニセフが即時解放を要請(AFP|publisher=AFP.BB.News.|date=2008年9月-09-23日)]}}</ref>。
 
== 歴史 ==
{{main|[[:en:Lord's Resistance Army insurgency]]}}
 
=== 背景 ===
1986年1月[[アチョリ]]出身の[[ティトー・オケロ]]大統領が南西部を支持基盤とする[[ヨウェリ・ムセベニ]]の[[国民抵抗軍]]([[NRA]])(NRA)により打倒された({{仮リンク|ウガンダ・ブッシュ戦争|en|Ugandan Bush War|label=ウガンダ内戦}}、ルウェロ戦争)。アチョリは彼らによる伝統となっていた国軍の支配を奪われることを恐れ、またNRAが受けた残忍な[[対反乱作戦]]、特に{{仮リンク|ルウェロ・トライアングル|en|Luwero Triangle|label=ルウェロ三角}}地域での虐殺<ref name=Luwerotriangle>Doom, R. and K. Vlassenroot. "Kony's message: a new ''koine''? The Lord's Resistance Army in Northern Uganda," ''African Affairs'' 98 (390), p. 9</ref>に対する報復を受けることを恐れた。8月までに政府軍占領下の北部で民衆反乱が起こった。
 
=== 初期 ===
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|place=[[ウガンダ]]北部,[[南部スーダン]],[[コンゴ民主共和国]]北東部
|result=進行中
|combatant1={{Flagicon|Uganda}} [[国民抵抗軍]]</br />
{{Flagicon|Uganda}} {{仮リンク|ウガンダ人民国防軍|en|Uganda People's Defence Force}}</br />
[[アロー・ボーイズ]]<br />[[スーダン人民解放軍|南スーダン自治政府軍]]<small>(SPLA)</small>
[[矢集団]]
|combatant2={{仮リンク|聖霊運動 (ウガンダ)|en|Holy Spirit Movement|label=聖霊運動}}</br />
{{仮リンク|ウガンダ人民民主軍|en|Uganda People's Democratic Army}}</br />
[[ファイル:Flag ofred Lord'syellow Resistance Army5x3.svg|20px|LRAの旗]] 神の抵抗軍
|commander1=[[ヨウェリ・ムセベニ|ヨウェリ・ムセヴェニ]]</br />[[ポール・カガメ]]</br />{{仮リンク|ベティ・オイェラ・ビゴンベ|en|Betty Oyella Bigombe}}<br />[[:en:James Kazini|James Kazini]]
|commander2=[[アリス・アウマ]]</br />{{仮リンク|オドン・ラテク|en|Odong Latek}}</br />[[ジョゼフ・コニー]]
|strength1=
|strength2=
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|notes=
}}
{{main|[[:en:Lord's Resistance Army insurgency (1987–94)]]}}
1987年1月ジョゼフ・コニーは[[アリス・アウマ]]の{{仮リンク|聖霊運動 (ウガンダ)|en|Holy Spirit Movement|label=聖霊運動}} (HSM)に連なる霊媒として現れた。コニーは元{{仮リンク|ウガンダ人民民主軍|en|Uganda People's Democratic Army}} (UPDA) 司令官{{仮リンク|オドン・ラテク|en|Odong Latek}}から村などの一般市民を標的にしたゲリラ作戦の指示を受け、元UPDA師団を掌握した。1991年まで LRA 調達のために人々を襲撃し、短期間誘拐された村人によって略奪が実行された。いくらかの NRA部隊もまた残忍な行動で知られていたことから、LRA は少なくともアチョリ人の何割かから受動的な支持を得た<ref name="O’Kadameri">O’Kadameri, Billie. [http://www.c-r.org/accord/uganda/accord11/lra.shtml "LRA / Government negotiations 1993-94"] in Okello Lucima, ed., [http://www.c-r.org/accord/uganda/accord11/index.shtml ''Accord magazine: Protracted conflict, elusive peace: Initiatives to end the violence in northern Uganda''], 2002.</ref>。
 
[[1991年]]3月に、ウガンダ政府による「北部作戦」が開始された。れは高圧的な戦術によって住民のLRAへの支持を根元から切り崩し、LRAを壊滅させることを図るものであった<ref name="Operation North">Gersony, Robert. [{{Wayback|url=http://www.usaid.gov/regions/afr/conflictweb/reports/gersony/gersony_uganda.pdf |title=The Anguish of Northern Uganda: Results of a Field-based Assessment of the Civil Conflicts in Northern Uganda]|date=20031118234726}} (PDF), US Embassy Kampala, March 1997, and </ref><ref>[[アムネスティ・インターナショナル|Amnesty International]], [{{Wayback|url=http://www.amnestyusa.org/countries/uganda/document.do?id=25BBAD1C8FE337DF802569A600601142 |title=Human rights violations by the National Resistance Army]|date=20041129224108}}, December 1991.</ref>。この北部作戦の一環として和平担当相にアチョリの{{仮リンク|ベティ・オイェラ・ビゴンベ|en|Betty Oyella Bigombe}}が任命された。また弓矢[[西エクアトリア州]]武装した地域防衛のための「矢集団」をつくった。LRA最新の兵器で武装しているので、弓矢で武装した自警団「[[矢集団アロー・ボーイズ]]」(矢集団)が作られたが、LRAこれを圧倒された。それでもしかし、コニーは矢集団の創設そのものに怒り、彼が住民からもはや支持されていないと感じ始めた。そしてLRAは政府支持者である看做みなうる多数のアチョリを殺害した。政府試みは失敗したが、結果的にアチョリの大半はLRAの反乱に反対するようになった。しかし、これは政府占領軍との根深い対立によって和らげられた。
 
この北部作戦の失敗の後、ビゴンベ大臣はLRAと政府の代表の間で初の対面の交渉を始めた。LRAは戦闘員の恩赦を求め、彼らは降伏しないが「帰郷する」意思があると述べた。しかただし、政府の姿勢はLRAの交渉者の信憑性に関する内部の意見の相違と政治的な接近戦によって妨げられの影響を受けた。特に軍はコニーがビゴンベ大臣と交渉しながらつつも、スーダン政府から支援を受けるべく交渉していたことを知り、コニーが時間稼ぎをしているだけだと感じた。[[1994年]]1月10日第二次後、交渉でコニー部隊厳しさ再編制するため6ヶ月を要求た。2月までに交渉の様子は益々トゲトゲしいものとなり1994年2月2日に LRA NRA が自分たちを嵌めようとしていると宣言して交渉から離脱した。この4日後にムセヴェニ大統領は7日後を最終期限として LRA掃討を再開すると発表した<ref name="O’Kadameri"/>。この最後通告でビゴンベ大臣による和平交渉は中断された。
 
=== 国際紛争化 ===
{{main|[[:en:Lord's Resistance Army insurgency (1994–2002)]]|[[:en:Lord's Resistance Army insurgency (2002–05)]]|[[:en:2006–08 Juba talks]]}}
1994年[[2月6日]]にムセヴェニが最後通告を発して2週間後、LRAの兵士が北部国境を越え、スーダン(当時)の南部において「スーダンでハルツーム政府の用意した訓練基地で活動していると報告された<ref name="O’Kadameri"/>。スーダン政府のLRAへの支援は、「ウガンダ政府による[[スーダン人民解放軍]]への支援に対する報復であるとされた。また、アチョリがもはやムセベニ政権に協力していると確信したコニーは増強された軍事力で民間人を標的とした攻撃を強めた。人体の切断(特に耳、唇、鼻を切り落すこと)は当り前になった。そして、1994年にはこどもや青年の最初の大規模な拉致が初めて行われた。これらのうち最も有名なのは[[1996年]]に139人の女生徒が誘拐されたアボケの誘拐である。大部分のLRAの戦闘員は誘拐された子供達なので、LRAに対する軍事攻勢は「犠牲者の虐殺」とも考えられている。このように誘拐された若い反抗者が残忍な行為の犠牲者であり犯人であるこの状況の道徳的な曖昧さは、この紛争を理解する為には不可欠である
 
[[1995年]]4月には、Atiakで大虐殺が起きた[[:en:Atiak massacre]]。
1996年から始められた政府の「保護村」の創設で、特に住民が「保護キャンプ」の中でさえLRAに攻撃され続けるようになり、多くのアチョリが政府への敵対的な態度を深めた。キャンプは混雑し不衛生で生活するには惨めな場所である<ref name=miserable_camps>Dolan, Chris. [http://www.acord.org.uk/r-pubs-Cope%20Working%20Paper%2033.PDF What do you remember? A rough guide to the war in Northern Uganda 1986-2000] (PDF), COPE Working Paper No. 33, 2000, p. 19, and Weeks, Willard. [http://www.db.idpproject.org/Sites/IdpProjectDb/idpSurvey.nsf/wViewCountries/B77144C5987AE5D6C1256B8F0040C5C9/$file/Weeks+march+2002.pdf Pushing the Envelope: Moving Beyond 'Protected Villages' in Northern Uganda] (PDF), for [[国際連合人道問題調整事務所|UNOCHA]] Kampala, March 2002, p. 4</ref>。一方で1997年にスーダンの[[民族イスラム戦線]]政権は、強硬な姿勢を後退させ始めた。
 
LRAによる大虐殺のうち、最も有名なものは、[[1996年]]に139人の女生徒が誘拐された{{仮リンク|アボケの誘拐|en|Aboke abductions}}である。
{{節stub}}
 
1996年から始められた政府によって「保護村」創設されたが特に住民が「はこの保護キャンプの中でさえLRAに攻撃され続けるようになり、多くのアチョリが政府への敵対的な態度を深めた。キャンプは混雑し不衛生で生活するには惨めな場所である<ref name=miserable_camps>Dolan, Chris. [{{Wayback|url=http://www.acord.org.uk/r-pubs-Cope%20Working%20Paper%2033.PDF |title=What do you remember? A rough guide to the war in Northern Uganda 1986-2000]|date=20030112235343}} (PDF), COPE Working Paper No. 33, 2000, p. 19, and .</ref><ref>Weeks, Willard. [{{Wayback|url=http://www.db.idpproject.org/Sites/IdpProjectDb/idpSurvey.nsf/wViewCountries/B77144C5987AE5D6C1256B8F0040C5C9/$file/Weeks+march+2002.pdf |title=Pushing the Envelope: Moving Beyond 'Protected Villages' in Northern Uganda]|date=20050922025245}} (PDF), for [[国際連合人道問題調整事務所|UNOCHA]] Kampala, March 2002, p. 4</ref>。一方で1997年にスーダンの[[民族イスラム戦線]]は、強硬な姿勢を後退させはじめた。
 
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=== ガランバ攻勢 ===
{{main|{{仮リンク|ガランバ攻勢 (2008年 - 2009年)|en|2008–09 Garamba offensive|label=ガランバ攻勢}}|[[:en:2008 Christmas massacres]]|{{仮リンク|マコンボ虐殺|en|Makombo massacre}}}}
 
第二次コンゴ戦争以降、ウガンダとコンゴ民主共和国の政府間関係は険悪化していたが、2008年12月には、コンゴ民主軍、ウガンダ軍、[[スーダン人民解放軍|南スーダン自治政府軍]](SPLA、現・南スーダン軍)共同のLRA掃討作戦「ライトニング・サンダー」(2008年12月14日 - 2009年3月15日)が行われた<ref>[http://www.anzen.mofa.go.jp/info/pcterror_093.html 海外安全ホームページ]、日本国外務省、2009年12月末現在。</ref>。この作戦にはアメリカも支援を行った。アメリカの議会は2009年に[[LRA非武装・北ウガンダ再建法案]]([[:en:Lord's Resistance Army Disarmament and Northern Uganda Recovery Act|Lord's Resistance Army Disarmament and Northern Uganda Recovery Act]])を可決した。
 
2009年、[[コンゴ民主共和国]][[東部州 (コンゴ)]][[:en:Haut-Uele District]]の{{仮リンク|マコンボ|en|Makombo}}で、LRAによる{{仮リンク|マコンボ虐殺|en|Makombo massacre}}(12月14日 - 12月17日)が起こった。
 
第二次コンゴ戦争以降ウガンダとコンゴの政府間の関係は険悪化していたが、2008年12月には、コンゴ民主軍、ウガンダ軍、南スーダン自治政府軍(現・南スーダン軍)共同のLRA掃討作戦「ライトニング・サンダー」([[2008年]][[12月14日]] - [[2009年]][[3月15日]])が行われた。<ref>[http://www.anzen.mofa.go.jp/info/info4_T.asp?id=093 海外安全ホームページ]、日本国外務省、2009年12月末現在。</ref>。この作戦にはアメリカも支援を行った。アメリカは、その後、2009年にLRA非武装・北ウガンダ再建法案を可決。2011年10月には約100名の戦闘部隊をウガンダに派遣した後、南スーダンや中央アフリカ、コンゴ民主共和国の賛同を得ながら各国に展開し、LRAの指導者や幹部の捕捉を支援すると表明している<ref>[http://www.cnn.co.jp/world/30004280.html{{Cite ウガンダに米軍兵士を派遣、武装勢力指導者の捕そく支援(CNN.co.jp.2011.10.15)2011年10月閲覧]</ref>。news
|url=http://www.cnn.co.jp/world/30004280.html |title=ウガンダに米軍兵士を派遣、武装勢力指導者の捕そく支援|publisher=CNN.co.jp|date=2011-10-15|archiveurl=|archivedate=}}{{リンク切れ|date=2017年11月}}</ref>。
 
2012年5月13日、ウガンダ軍は、LRA掃討作戦の中で、神の抵抗軍LRAの5人の最高幹部の1人であるアチェラム司令官を拘束した<ref>{{Cite news
| url = http://sankei.jp.msn.com/world/news/120513/mds12051323580000-n1.htm
| title = 「神の抵抗軍」幹部を拘束 ウガンダ軍
| newspaper = 産経新聞
| date = 2012-05-13
|archiveurl=https://web.archive.org/web/20120514012442/http://sankei.jp.msn.com/world/news/120513/mds12051323580000-n1.htm
|archivedate=2012-05-14
}}</ref>。
 
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[[ファイル:Labujecamp1.jpg|thumb|キトゥグム近郊のラブジェ[[国内避難民]] (IDP) キャンプ ([[アメリカ合衆国国際開発庁|USAID]])]]
[[画像:Uganda night commuters - full room.jpg|thumb|神の抵抗軍による拉致を避けるため、子供たちは毎晩、教会、病院、駅などに集まり、そこで眠って翌日に自宅へ帰るという生活を続けている。]]
[[画像:Gulu women - cut lips.jpg|thumb|神の抵抗軍によって唇を切断された女性]]
[[国際刑事裁判所]]の引用する情報によると、1980年代後半からの内戦でLRAによって拉致された子供は20,000人以上にのぼり、LRAの戦闘員の85%は11歳から15歳の拉致されてきた子供たちである。彼らは、反政府運動への加入の儀式として行われる殺人・手足の切断を含む非人道的行為、重労働や略奪、放火、市民の殺害、子供の拉致などを強いられている。女の子の場合はLRA指導者の使用人として扱われ、長時間にわたる家事労働を強いられたり、性的に搾取されて、望まない妊娠や性病感染の危険にさらされている。この様子はドキュメンタリー映画『[[インビジブル・チルドレン]]』で扱われた。
 
[[国際刑事裁判所]]引用している情報によると、1980年代後半からの内戦でLRAによって拉致された子供は20,000人以上にのぼり、LRAの戦闘員の85%は11歳から15歳の拉致されてきた子供たちである。彼らは、反政府運動への加入の儀式として行われる殺人手足の切断を含む非人道的行為、重労働略奪、放火、市民の殺害、子供の拉致などを強いられている。女子の場合はLRA指導者の使用人として扱われ、長時間にわたる家事労働を強いられたり、性的に搾取されて、望まない妊娠や性病感染の危険にさらされている。この様子はドキュメンタリー映画『[[インビジブル・チルドレン]]』で扱われた。
ウガンダのムセヴェニ大統領は、このような事態に終止符を打つため、LRAの幹部を処罰すべく、2003年12月に国際刑事裁判所の検察官に事態を付託、捜査を要請した。これを受け、国際刑事裁判所の主任検察官は2004年1月29日、予備捜査を開始することを発表、2004年6月23日に公式に捜査を開始したと発表した。2005年10月5日、国際刑事裁判所は、ジョセフ・コニーを含む5人のLRA幹部の国際逮捕状を発行した。
 
ウガンダのムセヴェニ大統領は、このような事態に終止符を打つため、LRAの幹部を処罰すべく、2003年12月に国際刑事裁判所の検察官に事態を付託、捜査を要請した。これを受け、国際刑事裁判所の主任検察官は2004年1月29日、予備捜査を開始することを発表、2004年6月23日に公式に捜査を開始したと発表した。2005年10月5日、国際刑事裁判所は、ジョセフ・コニーを含む5人のLRA幹部の国際逮捕状を発行した。
2008年12月30日キリスト教系国際慈善団体カリタス(本部[[ヴァチカン]])は30日、コンゴ民主共和国(旧ザイール)北部で先週のクリスマス期間中、LRAが住民約480人を殺害したとする声明を出した。
 
2008年12月30日、キリスト教系国際慈善団体カリタス(本部[[ヴァチカン]])は、LRAがその前週のクリスマス期間中に、コンゴ民主共和国(旧ザイール)北部で住民約480人を殺害したとする声明を出した。この声明によれば、スーダン国境沿いにあるファラジェで25、26の両日、教会などがLRA部隊に襲われ、約150人が死亡。このしたほか、少なくとも4地域でも同様の襲撃があり、計336人が殺害された。また、避難民は65006,500人に上り、拉致された子供もいるという。
 
2010年3月27日国際人権団体の[[ヒューマン・ライツ・ウオッチ]]は、2009年末、LRAが少なくとも民間人321人を殺害、女性ら250人を拉致したとする報告書を発表した<ref>{{Cite web|url=http://www.cnn.co.jp/world/CNN201003280018.html|title= 住民321人を殺害、250人拉致 コンゴの反政府武装組織|date=2010年3月28日|publisher=CNN.co.jp|accessdate=2010-03-29}}{{リンク切れ|datearchiveurl=https://web.archive.org/web/20100401123947/http://www.cnn.co.jp/world/CNN201003280018.html|archivedate=2010年5月-04-01}}</ref>。連れ去らまた、拉致された者には少なくとも子供80人が含まれるというこの報告書によると、この虐殺が起きたのは2009年12月14日から17日までで、少なくとも10カ所の村落襲撃され、住民は[[斧]]や[[鉈|なた]]、大型の木製棒などで惨殺されたとの事いう犠牲者また、被害から逃れた村民よると、拉致された子供3歳、命令に従わない子供を殺害するよう強制されているという。ヒューマン・ライツ・ウオッチは、LRAによる23年間女児武装闘争の中でこの虐殺は最悪の規模だと非難した。また、この虐殺が数か月表面化しなかったことについて、コンゴ民主共和国とウガンダの両政府の責任にも言及している。
 
同時に、コンゴ民主共和国北東部に展開する国連平和維持軍約10001,000人による住民保護は不十分な態勢にあると指摘している。同国政府は「神の抵抗軍は国内の治安維持で重大な脅威でない」と主張していた。
被害から逃れた村民によると、拉致された子供は、命令に従わない子供を殺害するよう強制されているともいう。神の抵抗軍による23年間の武装闘争の中で、この虐殺は最悪規模と非難。数カ月も表面化しなかったことについて同国、ウガンダ両政府の責任にも言及している。
 
2015年1月、ウガンダ軍は、国際刑事裁判所が逮捕状を出している幹部の1人、ドミニク・オングウェンが中央アフリカ国内で投降し、拘束していることを発表した<ref>{{Cite news
同時に、コンゴ民主共和国北東部に展開する国連平和維持軍約1000人による住民保護は不十分な態勢にあると指摘している。同国政府は「神の抵抗軍は国内の治安維持で重大な脅威でない」と主張していた。
|url=https://www.afpbb.com/articles/-/3035921|title=「神の抵抗軍」幹部を米軍が拘束、ウガンダ軍発表|work=AFPBBNews|publisher=フランス通信社|date=2015-01-08|accessdate=2015-01-11}}</ref>。
 
2021年2月4日、オランダ・ハーグの国際刑事裁判所は、ドミニク・オングウェン被告に対し殺人や拷問、奴隷行為、レイプ、強制妊娠などの戦争犯罪で有罪の判決を言い渡した。最大30年の禁錮刑が言い渡される見込みである<ref>{{Cite web |date=2021-02-07 |url=https://www.cnn.co.jp/world/35166137.html |title=ウガンダ「神の抵抗軍」幹部に有罪判決、遺族「生涯刑務所に」 |publisher=CNN |accessdate=2021-02-06}}</ref>。
 
== 画像 ==
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== 脚註 ==
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[[Category:ウガンダの軍事]]
[[Category:南スーダンの軍事]]
[[Category:南スーダンの組織]]
[[Category:コンゴ民主共和国の軍事]]
[[Category:アメリカ合衆国によりテロリスト認定された組織]]
[[Category:公安調査庁の国際テロリズム要覧で言及されたテロ組織]]
{{Link GA|es}}
[[Category:ゲリラ組織]]
{{Link GA|sv}}