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{{Redirect|戦旗|3=戦旗 (雑誌)}}[[File:Bataillon de la garde autrichienne.jpg|thumb|right|200px|[[2007年]]の[[パリ祭]](7月14日)において[[シャンゼリゼ通り]]を軍旗を先頭に行進する各国軍の隊列。[[オーストリアの軍事|オーストリア軍]]]]
[[File:Garde nationale bulgare.jpg|thumb|200px|同上。手前は[[ブルガリア軍]]、奥は[[スペイン軍]]([[スペイン外人部隊]])]]
 
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[[大日本帝国陸軍]]は、[[日本の歴史|日本史上]]において先駆けて'''[[旭日旗]]'''を考案・採用し、「'''軍旗'''(旧称・'''陸軍御国旗''')」として制定した。意匠は[[国旗]]である[[日本の国旗|日章旗]]に準じ[[日章]]は中心に位置し、十六条の[[太陽光|光線]](旭光)を放つ。なお、[[大日本帝国海軍|海軍]]はその陸軍に遅れること19年後の[[1889年]](明治22年)、(陸軍の)「軍旗(陸軍御国旗)」に倣い旭日旗を「[[軍艦旗]]」として制定した(日章位置は旗竿側に寄る)。
 
「軍旗」および「軍旗の意匠の旭日旗」は、[[五芒星]](五光星)や[[サクラ|桜星]]([[桜|桜花]])とともに、明治最初期から「'''帝国陸軍の象徴'''」として国民に広く知られており、[[戦争画]]・[[写真]]、[[軍歌]]、[[メディア (媒体)|メディア]]([[新聞]]・[[ラジオ放送]]・[[ニュース映画]]など)、兵営公開イベントを兼ねた[[軍旗祭]]などを通して一般市民からも親しまれていた存在であった([[#軍旗の意匠]])。 
 
なお、制式・正式の名称は「軍旗」であるが「'''連隊旗'''('''聯隊旗''')」の通称・呼称も採用当時から多々使用されている。
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* [[1870年]][[6月13日]](明治3年[[5月15日 (旧暦)|5月15日]]) - 陸軍国旗章並諸旗章及兵部省幕提灯ノ印ヲ定ム([[太政官布告]]第355号)により「'''陸軍御国旗'''(''陸軍御國旗'')」が各「[[大隊]]旗」とともに定められる。
** この陸軍御国旗は、縦4[[尺]]4[[寸]](約1.33[[メートル|m]])で横5尺(約1.51m)の房なし十六条旭日旗である。なお、この旗の制定当時は[[御親兵]]が正式に発足する以前であり、考案は[[兵部省 (明治時代)|兵部省]]による。
* [[1874年]](明治7年)1月23日 - 初めて軍旗が[[近衛歩兵第1連隊]]および[[近衛歩兵第2連隊]]に対し、[[明治天皇]]親臨のもと[[日比谷公園|日比谷操練所]]にて親授された。
** 親授に際して、近衛歩兵第1連隊は明治天皇より「''近衛歩兵第一連隊編制成ルヲ告ク 仍テ今軍旗一旒ヲ授ク 汝軍人等協力同心シテ益々武威ヲ発揚シ以テ国家ヲ保護セヨ''」の[[勅語]]を賜り、連隊長[[野崎貞澄]][[中佐|陸軍歩兵中佐]]は「''敬デ明勅ヲ奉ズ 臣等死力ヲ竭シ誓テ国家ヲ保護セム''」と奉答した。
* [[1879年]](明治12年)12月2日 - 「太政官布告第130号」により、[[歩兵連隊]]・[[騎兵連隊]]・[[砲兵|砲兵連隊]]の「'''軍旗'''」が定められる。
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『[[陸軍礼式令]]』(昭和15年1月25日[[軍令|軍令陸]]第3号)によると、第4章に軍旗に関する敬礼が定められている。
; 軍旗の敬礼
: 軍旗は、天皇に対するときおよび拝神の場合に限り敬礼を行うものとされ、連隊旗手、軍旗衛兵ならびに軍旗中隊および誘導将校、護衛[[下士官]]ならびに軍旗誘導部隊は、軍旗の敬礼を行う場合に限り敬礼を行うものとされた。
; 軍旗に対する敬礼
: 抜刀将校や武装下士官兵の軍旗に対する敬礼は天皇に対する敬礼に同じであり、抜刀将校は刀の礼、武装下士官兵は[[捧銃]]・捧刀の礼を行う。室内においては、拝礼する。軍旗に行き遇いまたはその傍を通過する者は、行進間においては停止し、乗馬者は乗馬のまま、乗車者は乗車のまま軍旗に面して敬礼を行う。
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=== 軍旗の奉焼等 ===
1945年(昭和20年)[[8月24日]]、[[下村定]]陸相は翌[[8月25日]]から[[8月31日]]までの間に軍旗を奉焼するように特別命令を通達。内地で179旒、外地で265旒が対象となった<ref>{{Cite book |和書 |author=日置英剛 |title=年表 太平洋戦争全史 |publisher=国書刊行会 |year=2005-10-31 |page=741 |isbn=978-4-336-04719-9 }}</ref>。侍従武官府には[[第36軍 (日本軍)|第36軍]]より隷下の各軍旗を宮中に奉還したいとの申し出があったことから、侍従武官府がこれを受取り同年8月31日までに東京補給廠にて奉焼した<ref>{{Cite book |和書 |author=宮内庁 |title=昭和天皇実録第九 |publisher=東京書籍 |year=2016-09-29 |page=795 |isbn=978-4-487-74409-1}}</ref>。これ以前の奉焼事例は以下の通り。
* 近衛後備歩兵第1連隊(1904年6月15日に奉焼。翌年6月28日に再授与)
** 日露戦争下の1904年(明治37年)6月15日、[[常陸丸事件]]で[[ロシア軍|ロシア帝国軍]]に鹵獲されることを防ぐために連隊長・[[須知源次郎]]陸軍歩兵中佐は軍旗を奉焼させ、次いで自決した。同年6月28日に「曩ニ近衛後備歩兵第一聯隊ニ授与シタル軍旗[[玄界灘]]ニ於テ聯隊長戦死ノ際焼棄セシニ由リ更ニ此軍旗一旒ヲ授ク」という[[勅語]]とともに再授与された。
* [[歩兵第49連隊]](1906年10月2日に失火により焼失。同年12月14日に再授与)
** [[大韓帝国|北韓]]警備に当たっていた1906年(明治39年)10月2日、火災によって連隊長室ともに焼失する。[[旅団長]]は5日、連隊長・'''太田朗'''陸軍歩兵中佐および連隊旗手は軽謹慎30日、連隊長代理および[[週番]][[司令]]は軽謹慎25日、連隊附少佐および連隊[[副官]]は軽謹慎20日の処分を受けた。なお、軽謹慎処分は懲罰処分であって、[[軍法会議]]にかけられたわけではない。同年12月14日に「曩ニ歩兵第四十九聯隊ニ授与シタル軍旗ハ不慮ノ災ニ罹リ亡失セシニヨリ更ニ此軍旗一旒ヲ授ク」という勅語とともに再授与される。
* [[歩兵第64連隊]](1939年8月29日に奉焼)
** [[ノモンハン事件]]下の1939年(昭和14年)8月29日、ソ連軍に包囲され脱出が困難となったため、連隊長・[[山県武光]]陸軍歩兵大佐は軍旗を奉焼させ、次いで自決した。
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** 1942年(昭和17年)11月16日、[[パラオ]]沖で[[アメリカ海軍]][[潜水艦]]の[[雷撃]]により輸送船とともに海没する。連隊長の再三の再交付申請も、[[大本営]][[参謀]]・[[辻政信]]により、連隊解散、激戦地への所属兵員の配置が懲罰的に行われ再交付されなかった。帝国陸軍史上前代未聞の軍旗海没事例であった。
* [[歩兵第28連隊]](1942年8月21日に奉焼)
** [[ガダルカナル島の戦い]]下の1942年8月21日午後3時、[[ガダルカナル島]]で奉焼。連隊長・[[一木清直]]陸軍大佐は[[自殺|自決]](日本側の[[戦闘詳報]])。その後、証言により軍旗は埋没処理と判明している。
* [[歩兵第29連隊]](1942年10月・1945年9月)
** ガダルカナル島の戦い下の1942年10月頃、埋没処理を行う。連隊長・[[古宮正次郎]]陸軍大佐は自決。連隊再建後の1944年1月31日に再授与、終戦時は[[仏印]]のビエンホア付近で奉焼。
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* [[歩兵第113連隊]](1944年9月)
**諸説ある
**1.7日夕方  大尉が最後の切込みの際に襷掛けにした。(上等兵が目撃した。)
**2.7日  大尉が横股陣地の中で奉焼した。
**3.6日夜  大尉の腹に巻き、紋章は音部山と西山の間に埋めた。(大尉から中尉が聞いた)
 
*[[歩兵第148連隊]](1944年9月11日9時奉焼)
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* [[歩兵第115連隊]]
** [[ビスマルク海海戦]]で輸送船が撃沈されるが、2名が軍旗を守って30日以上海上を漂流したのち帰還した。
* [[歩兵第57連隊]]
** レイテ島から帰国。靖国神社に保管。
* [[歩兵第321連隊]]
** 靖国神社に保管。
 
== 陸上自衛隊 ==
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[[File:Flag of the Japan Self-Defense Forces.svg|thumb|right|250px|自衛隊旗]]
[[File:Flag of JSDF(20070408).jpg|thumb|right|250px|自衛隊旗(連隊旗)。中隊旗([[砲兵|特科]])が「立て銃」の要領で地面で支えられているのに対して、自衛隊旗は捧持されたまま]]
[[File:Flag of JPRNPR Regiment.svg|thumb|250px|[[警察予備隊#編成(1950年12月以降)|警察予備隊普通科第1連隊]]の連隊旗]]
[[File:1st Regiment of NPR.JPG|thumb|right|250px|[[日章旗]]と連隊旗を前に行進する警察予備隊普通科第1連隊]]
{{see also|自衛隊の旗}}
 
「[[軍隊]]」ではないとされる[[陸上自衛隊]]において、「軍旗」に相当するものは'''自衛隊旗'''(じえいたいき)である。意匠は八条の'''旭日旗'''で、旗地の彩色は白色、日章および光線の彩色は[[紅色]]、縁の彩色は金色とされている。縦87.5 [[センチメートル|cm]]、横は108.9 [[センチメートル|cm]]、日章は直径41.5cm5 cm。旗の生地は綾錦織。連隊名は旗竿に付されている[[銘板]]に記入される。
 
[[自衛隊法]](昭和29年6月9日[[法律]]第165号)第4条により[[内閣総理大臣]]<ref>連隊編成の式典では[[防衛大臣]](旧・[[防衛庁長官]])から授与されることが多い。</ref>は自衛隊旗を交付し、[[自衛隊法施行令]](昭和29年6月30日[[政令]]第179号)第1条の2第1項により[[日本の連隊#陸上自衛隊|陸上自衛隊の連隊]]にのみ交付されることとなっているため、「'''連隊旗'''」の通称・呼称も多々使用されている。
 
なお、陸上自衛隊の前身である[[警察予備隊]]および[[保安隊]]にも連隊旗が制定されていたが、旧軍との関連性を排する意図から旭日旗の意匠は用いられておらず(これは[[海上自衛隊]]の前身である[[警備隊 (保安庁)|警備隊]]の警備隊旗も同様)、旗地の彩色は連隊職種を示す色(普通科は赤、特科は黄)とし、中央には警察予備隊の[[帽章]]であった「[[旭日章 (警察章)|旭日章]]に[[鳩]]」が意匠として配置されたものであった。旗竿には菊紋ではなく[[桜|桜花]]が用いられた。警察予備隊の連隊旗は[[警察予備隊令]](昭和25年8月10日、{{Wikisource-inline|警察予備隊令}})により警察予備隊が発足した翌[[1951年]](昭和26年)に制定され、旗のサイズは帝国陸軍の軍旗(連隊旗)にほぼ準じた縦80cm80 cm、横100cm100 cmのもので、「旭日章に鳩」の意匠の下に白字で連隊番号が記入されていた。[[保安庁法]](昭和27年7月13日)により保安隊への改編が行われると、旗のサイズが現在の自衛隊旗と同じ縦87.5cm5 cm、横108.9cm9 cmとなり、連隊番号は帝国陸軍と同じく旗の左下に白布に黒字で記入される形に変更された。これらの連隊旗は昭和29年の自衛隊の発足とともに廃止され、先述の旭日旗を意匠とする自衛隊旗となった<ref>[http://j-flags-java.jimdo.com/日本の旗/軍旗-自衛隊旗/ 軍旗・自衛隊旗 - 日本旗章学協会]</ref>。
 
=== 自衛隊旗の扱い ===
陸上自衛隊には連隊以外にも、[[群 (軍事)|群]]旗・大隊旗・[[中隊]]旗(甲)および中隊旗(乙)に隊旗が授与されるが、次のような差異・特異点がある。
# 法律の正条に規定されている(他の隊旗は[[訓令]]<ref>「自衛隊の旗に関する訓令」(昭和47年3月14日防衛庁訓令第3号)</ref>に規定されている)。
# 内閣総理大臣から授与される(他の隊旗については特別な規定はない)<ref>ただし、政治的に重要視される状況下での授与式を除いては防衛大臣や政務官、陸上幕僚長および方面総監が代理人として授与する</ref>。
# 旭日旗である(他の隊旗の意匠は[[帽章]])。
# 恒久的・伝統的な部隊単位である連隊にのみ授与される。
# 旗手には主に防大卒の[[少尉|3等陸尉]]が充てられる(国旗および他の隊旗の旗手は、主に各部隊の訓練[[准尉]]又は訓練[[陸曹]]等)。
# 一度使用された連隊旗は当該部隊が廃止後別の部隊に授与されることなく広報館等に展示されるか保管される<ref>ただし、師団隷下から旅団・混成団等の隷下に再編成される場合は、形式上一度返納後に翌日旗本体を再交付の関係から新品に交換の上、編成完結式時に連隊旗として再交付される場合もある。付属品等は破損・汚損が無ければ基本的に返納時のまま再交付の際に再利用される。事後経年劣化等汚損や破損が見られる場合等やむを得ない場合は旗のみ再交付される事もある。破棄は基本的に行われず旗本体と付属品とを単体毎分割し所在していた駐屯地の記念館・顕彰室・資料館等にて厳重保管される事が多い。また、連隊廃止後に当該部隊の一部をもって同種の部隊が再編制されている場合、当該部隊が独自に顕彰室や顕彰コーナー等を設けて歴史紹介を兼ねて展示している場合もある([[第9普通科連隊|9連隊]]の後身である[[第26普通科連隊|26連隊]]4中隊など)</ref>。
# 部隊旗および帝国陸軍の軍旗と違い、旗に部隊名は直接記載されない<ref>ただし付属品には部隊名が記されており、それで連隊名が判別できる</ref>
 
自衛隊旗を含む隊旗については