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{{Redirect|戦旗|3=戦旗 (雑誌)}}[[File:Bataillon de la garde autrichienne.jpg|thumb|right|200px|[[2007年]]の[[パリ祭]](7月14日)において[[シャンゼリゼ通り]]を軍旗を先頭に行進する各国軍の隊列。[[オーストリアの軍事|オーストリア軍]]]]
[[File:Garde nationale bulgare.jpg|thumb|200px|同上。手前は[[ブルガリア軍]]、奥は[[スペイン軍]]([[スペイン外人部隊]])]]
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=== 軍旗の奉焼等 ===
1945年(昭和20年)[[8月24日]]、[[下村定]]陸相は翌[[8月25日]]から[[8月31日]]までの間に軍旗を奉焼するように特別命令を通達。内地で179旒、外地で265旒が対象となった<ref>{{Cite book |和書 |author=日置英剛 |title=年表 太平洋戦争全史 |publisher=国書刊行会 |year=2005-10-31 |page=741 |isbn=978-4-336-04719-9 }}</ref>。侍従武官府には[[第36軍 (日本軍)|第36軍]]より隷下の各軍旗を宮中に奉還したいとの申し出があったことから、侍従武官府がこれを受取り同年8月31日までに東京補給廠にて奉焼した<ref>{{Cite book |和書 |author=宮内庁 |title=昭和天皇実録第九 |publisher=東京書籍 |year=2016-09-29 |page=795 |isbn=978-4-487-74409-1}}</ref>。これ以前の奉焼事例は以下の通り。
* 近衛後備歩兵第1連隊(1904年6月15日に奉焼。翌年6月28日に再授与)
** 日露戦争下の1904年(明治37年)6月15日、[[常陸丸事件]]で[[ロシア軍|ロシア帝国軍]]に鹵獲されることを防ぐために連隊長・[[須知源次郎]]陸軍歩兵中佐は軍旗を奉焼させ、次いで自決した。同年6月28日に「曩ニ近衛後備歩兵第一聯隊ニ授与シタル軍旗[[玄界灘]]ニ於テ聯隊長戦死ノ際焼棄セシニ由リ更ニ此軍旗一旒ヲ授ク」という[[勅語]]とともに再授与された。
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* [[歩兵第115連隊]]
** [[ビスマルク海海戦]]で輸送船が撃沈されるが、2名が軍旗を守って30日以上海上を漂流したのち帰還した。
* [[歩兵第57連隊]]
** レイテ島から帰国。靖国神社に保管。
* [[歩兵第321連隊]]
** 靖国神社に保管。
== 陸上自衛隊 ==
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[[File:Flag of the Japan Self-Defense Forces.svg|thumb|right|250px|自衛隊旗]]
[[File:Flag of JSDF(20070408).jpg|thumb|right|250px|自衛隊旗(連隊旗)。中隊旗([[砲兵|特科]])が「立て銃」の要領で地面で支えられているのに対して、自衛隊旗は捧持されたまま]]
[[File:Flag of
[[File:1st Regiment of NPR.JPG|thumb|right|250px|[[日章旗]]と連隊旗を前に行進する警察予備隊普通科第1連隊]]
{{see also|自衛隊の旗}}
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