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'''浮世亭 夢丸'''(うきよてい ゆめまる、[[1896年]] - [[1978年]][[4月3日]])は、昭和期の[[漫才師]]。本名は北村誠一。
 
実の弟は[[浮世亭歌楽・ミナミサザエ|浮世亭歌楽]]で[[砂川捨丸・中村春代|砂川捨丸]]門下。
 
芸名の由来は師・捨丸は音頭取り系漫才師であったが自身主に[[浪花節]]の節真似を売りにしていたために捨丸から「音頭やらんのやったら、砂川返せ」と言われ同じ浪花節の節真似を売りにした[[浮世亭雲心坊]]から浮世亭を拝借し「夢が浮き世か、浮き世が夢か」から「浮世亭夢丸」を名乗り浮世亭派(または浮世派)家元と称した。
 
== 来歴・人物 ==
[[1921年]]に[[神戸市|神戸]][[新開地]]南座で[[初代砂川菊丸|<ref>初代、二代目は[[砂川菊丸・照代]]の砂川菊丸</ref>の名で初舞台。戦前、戦時中から数々のコンビを変え、[[1925年]]には[[大八会]]から[[吉本興業|吉本]]に移る。戦後は[[戎橋松竹]]を経て吉本に出演。十八番ネタは浪花節の節真似で、相方の弾く三味線がうまく夢丸の唸る浪曲に合わず、夢丸がつっこむもの。また、大八会時代やアチャコと組んでいたときは[[活動弁士]]の真似をやったり、その他にも三曲漫才も時折披露していた。戦後は[[吾妻ひな子]]、[[美山なをみ・白川珍児|美山なをみ]]らと組んだ
 
1975年頃には病気のため第一線を退いた。1978年4月3日、大阪市住之江区の松下病院にて脳出血により死去。82歳没<ref>訃報欄 浮世亭夢丸(うきよていゆめまる=漫才師、本名、北村誠一)『朝日新聞』1978年(昭和53年)4月4日朝刊、13版、23面</ref>。
[[花菱アチャコ]]、[[柳家語楽・大和家こたつ|大和家こたつ]]、[[ミヤコ蝶々]]、[[吾妻ひな子]]、[[荒川キヨシ・小唄志津子|浮世亭静江]]、[[美山なをみ・白川珍児|美山なをみ]]、[[有明和子]]、[[五味満里子]]、[[京山円嬢|京山圓嬢]]等の女性と組んだ。
 
弟子には[[浮世亭出羽助・八丈竹幸]]、[[浮世亭夢路]]、[[松鶴家光晴・浮世亭夢若|浮世亭夢若]]。
十八番ネタは浪花節の節真似で、相方の弾く三味線がうまく夢丸の唸る浪曲に合わず、夢丸がつっこむもの。また、大八会時代やアチャコと組んでいたときは[[活動弁士]]の真似をやったり、その他にも三曲漫才も時折披露していた。
 
== 元相方 ==
1978年4月、大阪市住之江区松下病院にて脳出血で死去。
[[花菱アチャコ]]、[[柳家語楽・大和家こたつ|大和家こたつ]]、[[ミヤコ蝶々]]、[[吾妻ひな子]]、[[荒川キヨシ・小唄志津子|浮世亭静江]]、[[美山なをみ・白川珍児|美山なをみ]]、[[有明和子]]、[[2代目天光軒満月嬢|五味満里子]]、[[京山円嬢|京山圓嬢]]等の女性と組んだ。
 
== 脚注 ==
弟子には[[浮世亭出羽助・八丈竹幸]]、[[浮世亭夢路]]、[[松鶴家光晴・浮世亭夢若|浮世亭夢若]]。
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
 
== 参考文献 ==
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== 関連項目 ==
* [[日本お笑い史]]
* [[砂川菊丸・照代]]
 
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:うきよていゆめまる}}
[[Category:お笑い芸人]]