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{{
{{騎手
|画 = [[File:Masami
|説 = 第137回[[目黒記念]]パドック(2023年5月28日)
|名 = 松岡正海
|国 = {{JPN}}
|出 = [[神奈川県]][[川崎市]]
|生 = {{生年月日と年齢|1984|7|18}}
|死 =
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|血 = B型
|団 = JRA
|厩 =
|初 = 2003年
|区 = 平地<ref>{{Cite web|和書|format=PDF|url=
|引 =
|重 = 38勝(中央34勝、地方4勝、海外2勝)
|G1 = 5勝(中央2勝、地方1勝、海外2勝)<bR>[[ヴィクトリアマイル]](2007年)<bR>[[天皇賞(春)]](2009年)<bR>[[JBCスプリント]](2008年)<bR>[[クイーンエリザベス2世カップ (香港)|クイーンエリザベス2世カップ]](2019年)<bR>[[香港カップ]](2019年)
|通 =12956戦900勝(中央)<br>310戦20勝(地方)
|所 = 前田禎(美浦)→相沢郁
|配偶者=[[杉浦美帆]]}}
'''松岡 正海'''(まつおか まさみ、[[1984年]][[7月18日]] - )は、JRA([[日本中央競馬会]])の[[騎手]]。[[美浦トレーニングセンター|美浦]]の[[前田禎]][[厩舎]]所属でデビューし、[[2005年]]10月に同調教師が死去し厩舎解散になったあとは[[相沢郁]]厩舎に所属
== 来歴 ==
[[神奈川県]][[川崎市]]出身<ref>{{Cite web|和書|publisher=一般社団法人中山馬主協会|url=https://nakayama-racehorseowners.or.jp/main/captain/item/17504/13366|title=【第1回】大きいレースを勝つと騎乗依頼は増えますか? 松岡正海 騎手インタビー|accessdate=2023-08-19}}</ref>。小中学生の時に[[野球]]をやっていた<ref>{{Cite web|和書|publisher=日本中央競馬会|url=https://jra.jp/school/jockey/inexp/int01.html|title=F1レーサーに憧れるような感覚で騎手をめざす|accessdate=2023-08-19}}</ref>。小学校低学年のころから競馬のテレビを見て騎手を志す<ref>{{Cite journal|和書|journal=優駿|issue=2009年9月号|pages=82-83}}</ref>。
[[2003年]][[3月1日]]の[[中山競馬場|中山競馬]]第12競走でプラチナウィンクに騎乗しデビュー(14着)。同年[[3月23日]]の中山競馬第12競走でデュエットシチーに騎乗し初勝利を挙げる。
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その後2005年の[[ダイヤモンドステークス]]でウイングランツに騎乗し[[重賞]]初制覇。美浦所属の2003年デビュー組のなかで一番乗りでの重賞初制覇であった([[栗東トレーニングセンター|栗東]]所属も含めると、前年の[[長谷川浩大 (競馬)|長谷川浩大]]([[福島記念]]優勝)に次いで2人目)。そしてこの年の[[桜花賞]]で[[グレード制|GI]]初騎乗を果たすなど、グレード競走にも徐々に名を連ねるようになり、最終的に49勝をマークした。
[[2006年]][[4月1日]]には中山4Rでコスモメルベーユに騎乗し1着となり、現役では83人目となるJRA通算100勝を
日本復帰後は[[プリサイスマシーン]]、 [[マイネルレーニア]]、 [[サンツェッペリン]]、 [[アイルラヴァゲイン]]と重賞勝ちを積み重ね、勝負強さを際立たせた。
[[2007年]][[5月13日]]に12番[[人気]]の[[コイウタ]]で[[ヴィクトリアマイル]]を制し、JpnI(GI)初勝利を挙げた<ref>{{Cite web |title=JRAホームページ|データファイル|競走成績データ |url=https://www.jra.go.jp/datafile/seiseki/g1/victoria/result/victoria2007.html |website=www.jra.go.jp |access-date=2025-04-19}}</ref>。また[[4月15日]]の皐月賞でも15番人気の[[サンツェッペリン]]をハナ差の2着に持ってきており、ともに大波乱を演出する。同年6月26日から再び、アイルランドのジョン・オックス厩舎へ武者修行へ出るが、相沢調教師の呼びかけに応えて予定の9月3日を繰り上げ、7月28日に帰国する<ref>{{Cite web |title=松岡騎手が帰国 {{!}} 競馬ニュース |url=https://dir.netkeiba.com/keiba/news/news_preview_amp.html?no=21955 |website=netkeiba |access-date=2025-04-19 |language=ja}}</ref>。
2008年3月29日、中山1Rでケージーハッピーに騎乗し1着となり、現役53人目となるJRA通算200勝を2944戦で達成した<ref>{{Cite web |title=松岡正海騎手、JRA通算200勝達成 {{!}} 競馬ニュース |url=https://news.sp.netkeiba.com/?pid=news_view&no=27192 |website=netkeiba |access-date=2025-04-19 |language=ja}}</ref>。
[[地方競馬]]での騎乗にも積極的で、[[2008年]][[11月3日]]、公営[[園田競馬場]]で開催された[[JBCスプリント]]を[[バンブーエール]]で制覇し、交流Jpn競走初勝利を挙げた。また地方競馬場では、とくに[[南関東公営競馬]]で交流競走以外に条件競走・特別競走・地元重賞を問わず、地元馬にも多く騎乗している<ref>[[内田博幸]]や[[岩田康誠]]のように古巣で地元馬に騎乗する例はあるが、JRAデビューの騎手で地元の条件競走にまで騎乗することはめずらしい。</ref>。
2009年4月18日、中山7Rでヒカリマーガレットに騎乗して1着となり、JRA通算300勝を3829戦目で達成した<ref>{{Cite web |title=松岡正海騎手、JRA300勝達成 |url=https://p.keibabook.co.jp/news/detail/47941 |website=競馬ブック |access-date=2025-04-19}}</ref>。同年[[5月3日]]の[[天皇賞・春]]では、前走の[[日経賞]]で[[アルナスライン]]の2着にもってきた[[マイネルキッツ]]に引き続き騎乗し、12番人気という低評価を覆し、[[八大競走]]初制覇。前走敗れたアルナスラインにクビ差競り勝った<ref>{{Cite web |title=マイネルキッツが重賞初V/競馬の天皇賞・春 |url=https://www.shikoku-np.co.jp/sports/general/20090503000205 |website=四国新聞社 |access-date=2025-04-19}}</ref>。
[[2010年]]5月9日、東京3Rでアプローチミーに騎乗し1着となり、現役32人目のJRA通算400勝を達成した<ref>{{Cite web |title=松岡正海騎手 JRA通算400勝達成|競馬実況web|競馬|ラジオNIKKEI |url=https://www.radionikkei.jp/keiba_article/news/entry-183963.html |website=ラジオNIKKEI |access-date=2025-04-19 |language=ja}}</ref>。同年[[12月4日]]、中山12Rでヒットジャポットに騎乗し1着となり、自身初となるJRA年間100勝を達成した<ref>{{Cite web |title=松岡正海騎手、JRA年間100勝達成 |url=https://p.keibabook.co.jp/news/detail/53454 |website=競馬ブック |access-date=2025-04-19}}</ref>。
[[2011年]]からは[[落馬]]負傷による戦線離脱が相次いでいる。[[8月28日]]に左[[腓骨]]、[[11月19日]]には右[[鎖骨]]を骨折。明け[[2012年]]には[[1月5日]]に[[京都金杯]]を[[マイネルラクリマ]]で制覇し1年ぶりの重賞勝ちとなった直後の京都競馬第12競走で競走中に落馬。検査の結果左足関節内果骨折、左手関節捻挫と診断された。[[2020年]]には[[2月8日]]の東京競馬第6競走にて騎乗していたゴールドミッションの故障による転倒で落馬し、左大腿骨骨折と診断された。同年10月に復帰するも患部の状態が思わしくなく、12月の[[香港カップ]]での[[ウインブライト]]騎乗を最後にふたたび休養に入った<ref>{{Cite web|和書|title=松岡正海騎手、3度の左足手術乗り越え22日に騎乗再開 早ければ来月レース復帰も|url=https://hochi.news/articles/20211018-OHT1T51170.html|website=スポーツ報知|date=2021-10-19|accessdate=2021-11-09|language=ja}}</ref>。翌2021年11月6日東京競馬第7Rで328日ぶりの復帰を果たした<ref>{{Cite web|和書|title=松岡正海騎手が復帰、328日ぶりの実戦(2021年11月6日)|BIGLOBEニュース|url=https://news.biglobe.ne.jp/sports/1106/spn_211106_2804865879.html|website=BIGLOBEニュース|accessdate=2021-11-09|language=ja}}</ref>。
2013年3月31日、中山6Rでカフェリュウジンに騎乗し1着となり、中央競馬史上65人目、現役27人目となるJRA通算600勝を達成<ref>{{Cite web |title=松岡正海騎手 JRA通算600勝達成|競馬実況web|競馬|ラジオNIKKEI |url=https://www.radionikkei.jp/keiba_article/news/post_65.html |website=ラジオNIKKEI |access-date=2025-04-19 |language=ja}}</ref>。
2016年1月10日、中山3Rでイルフォーコンに騎乗して1着となり、中央競馬史上55人目、現役23人目となるJRA通算700勝を8838戦目で達成した<ref>{{Cite web |title=松岡正海騎手がJRA通算700勝達成|競馬実況web|競馬|ラジオNIKKEI |url=https://www.radionikkei.jp/keiba_article/news/post_7812.html |website=ラジオNIKKEI |access-date=2025-04-19 |language=ja}}</ref>。
2017年10月22日、東京6Rでパラノーマルに騎乗し、史上32人目、現役20人目となるJRA通算10000回騎乗を達成した<ref>{{Cite web |title=松岡正海騎手がJRA通算10000回騎乗達成|競馬実況web|競馬|ラジオNIKKEI |url=https://www.radionikkei.jp/keiba_article/news/post_13027.html |website=ラジオNIKKEI |access-date=2025-04-19 |language=ja}}</ref>。
2018年9月2日、札幌11Rでリッジマンに騎乗し1着となり、史上50人目、現役25人目となるJRA通算800勝を1万615戦目達成した<ref>{{Cite web |title=松岡正海騎手、JRA通算800勝達成|競馬実況web|競馬|ラジオNIKKEI |url=https://www.radionikkei.jp/keiba_article/news/post_15704.html |website=ラジオNIKKEI |access-date=2025-04-19 |language=ja}}</ref>。
[[2019年]][[4月28日]]、[[香港]]・[[沙田競馬場]]にて開催された[[クイーンエリザベス2世カップ (香港)|クイーンエリザベス2世カップ]]を[[ウインブライト]]にて勝利し海外G1レース初制覇。勝利後の現地メディアによるインタビューには流暢な英語で応対した。同年5月26日、京都1Rでストームガストに騎乗し、中央競馬史上30人目、現役18人目となるJRA通算11000回騎乗を達成した<ref>{{Cite web |title=松岡正海騎手がJRA通算11000回騎乗を達成|競馬実況web|競馬|ラジオNIKKEI |url=https://www.radionikkei.jp/keiba_article/news/post_17938.html |website=ラジオNIKKEI |access-date=2025-04-20 |language=ja}}</ref>。
2023年4月1日、中山1Rでペイシャアンジェロに騎乗して、史上33人目、現役20人目となるJRA通算1万2000回騎乗を達成した<ref>{{Cite web |title=松岡正海がJRA通算1万2000回騎乗 史上33人目 {{!}} 競馬ニュース |url=https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=226706 |website=netkeiba |access-date=2025-05-24 |language=ja}}</ref>。
2025年4月19日、中山8Rでマンダリンボレロに騎乗し1着となり、JRA通算900勝を1万2953戦目で達成した<ref>{{Cite web |title=松岡正海騎手がJRA通算900勝 「騎手はあなたが好きな競馬、馬、騎手、その一部になれればと全力」 {{!}} 競馬ニュース |url=https://news.netkeiba.com/?pid=news_view&no=294732 |website=netkeiba |access-date=2025-04-19 |language=ja}}</ref>。同年5月24日、東京9Rでコスモイシュタルに騎乗して、史上29人目、現役17人目となるJRA通算1万3000回騎乗を達成した<ref>{{Cite web |title=松岡正海騎手が東京9Rで史上29人目、現役17人目となるJRA通算1万3000回騎乗達成 |url=https://umatoku.hochi.co.jp/articles/20250524-OHT1T51148.html |website=UMATOKU {{!}} 馬トク - スポーツ報知' |date=2025-05-24JST15:52:00+0900 |access-date=2025-05-24 |language=ja-JP}}</ref>。
== エピソード ==
* 元騎手で競馬評論家の[[坂井千明]]に師事しており、坂井が主催する若手騎手の勉強会、通称「千明塾」門下生の代表的な存在である。
* [[サンツェッペリン]]で2着に入った[[皐月賞]]では、わずか[[着差 (競馬)|ハナ差]]で敗れたことに相当悔しがり、検量室前で思わずヘルメットを叩きつけた。
* 独身時代は[[キャバクラ]]好きとして知られ、『[[競馬最強の法則]]』([[KKベストセラーズ]])誌上で[[ターザン山本]]と対談した際には「(キャバクラは)わが国の宝ですから!(笑)」とまで語っていた。当時はそのこともあり金遣いも荒く、年間数千万円の収入があるにも
* [[野球]]をプレーした経験があり、[[2006年]][[5月22日]]に行われたJRA騎手東西対抗野球大会では、[[投手]]として[[完投]]勝利しMVPを受賞した。
* [[第27回ジャパンカップ]]より、[[五十嵐冬樹]]に代わり[[コスモバルク]]の[[主戦騎手]]を任され、2008年には同馬とともにシンガポールに遠征し、[[5月18日]]にシンガポールで初騎乗を迎え、[[高岡秀行]]厩舎所属のアストラトレスに騎乗して11着だった。なおこの日は[[シンガポール航空]]国際カップを含め3戦騎乗したが未勝利だった。
* タレントの[[ほしのあき]]が名付け親で有名な[[ハシッテホシーノ]]の主戦騎手に指名されたことがきっかけで[[みんなのウマ倶楽部]]のレギュラー、[[木下優樹菜]]と知合い、「G1で勝ったら、インタビューで(木下の口癖である)''『チョリース!』''を披露する。」と約束。その後、上述の通り[[マイネルキッツ]]で勝利したため約束を実行に移す。しかし、伝統の[[天皇賞]]ゆえその行為には批判の声もあった。
* 競馬評論家のなかでは[[清水成駿]]のファンで、『1馬』(現・[[優馬]])で「今日のスーパーショット」を連載していたころからの愛読者だという。清水が[[東京スポーツ]]に移籍してからも同紙の「馬単三国志」を愛読している<ref>『競馬最強の法則』2009年7月号・p.29</ref>。
* 2009年12月に[[杉浦美帆]](タレント、『[[馬三郎]]』で競馬予想を掲載していた)と結婚。[[2011年]][[5月4日]]に第1子となる長女が誕生した<ref>[http://www.sanspo.com/keiba/news/110506/kba1105060506007-n1.htm 【NHKマイルC】松岡、パパ初GI獲り!] サンケイスポーツ 2011年5月6日付記事参照</ref>。
* JRA騎手の[[黛弘人]]、調教助手の[[南田雅昭]]、[[西塚信人]]<ref>元調教師の[[西塚十勝]]の孫で元調教師の[[西塚安夫]]の息子。</ref>とは[[バンド (音楽)|バンド]]仲間であり、「[[ノビーズ]]」というバンド名でライブ活動を行っている<ref>[http://www.tanuki.co.jp/nobbys/ ノビーズ]</ref>。現在は『東京ノビーズ』に改名しており、編成は松岡 (ボーカル・ギター)、西塚 (ベース・リーダー)、カトウマサタカ (ギター)、浦松直輝 (ドラムス)の4人。 <ref>https://x.com/tokyonobbys?t=hrsMg5_yFYCTwYzHFsVbOQ&s=09 (東京ノビーズのX)</ref>
* 2010年7月に公開されたJRAのキャンペーン用映像作品『[[CINEMA KEIBA/JAPAN WORLD CUP]]』に、実在する騎手として唯一登場している。同作品では「無敗の三冠馬・ギンシャリボーイの[[主戦騎手]]」という設定。
* 2013年5月26日に、[[東京優駿|日本ダービー]]80周年の記念競走として開催された「ホープフルジョッキーズ([[若手騎手限定競走]])」に騎乗した。これは[[杉原誠人]]の落馬負傷により急遽騎乗したものだが、若手騎手ではない騎手が騎乗するのは、2009年の[[赤木高太郎]]以来2例目。
* [[徳本一善]]が監督を率いている[[駿河台大学]]駅伝部とはトレーナーを通じて交友関係がある。この事から2024年1月2日に行われた[[第100回東京箱根間往復大学駅伝競走|第100回]][[東京箱根間往復大学駅伝競走]]の往路では3区において、同大学の給水係として参加した<ref>{{Cite web |title=箱根駅伝往路でJRAのG1ジョッキーが選手にサプライズ給水!「めっちゃいい顔していたので感動した」 |url=https://hochi.news/articles/20240103-OHT1T51151.html?page=1 |website=スポーツ報知 |date=2024-01-03 |access-date=2024-01-04}}</ref><ref>{{Cite web |title=箱根駅伝、TVに映らなかった「豪華すぎる」給水係にファン驚き「その場面の中継なかったの残念」 |url=https://the-ans.jp/news/381973/ |website=THE ANSWER |date=2024-01-04 |access-date=2024-01-04}}</ref>。
== 評価 ==
66 ⟶ 80行目:
* 一方、[[田原成貴]]は、松岡について注目する若手騎手とし<ref>「馬券と闘う方法」 『競馬最強の法則』2008年2月号</ref>つつも「いい意味でのヤンチャとただ荒々しいことを取り違えているんじゃないかと疑いたくなるほどもつれた場面で危険な乗り方をしているレースがある」との懸念も表明している<ref>「馬券と闘う方法」 『競馬最強の法則』2008年3月号</ref>。
== 主な騎乗馬 ==
'''太字'''はGI級競走
*[[2005年]]
**[[ダイヤモンドステークス]](ウイングランツ)
143 ⟶ 109行目:
**[[ユニコーンステークス]](バーディバーディ)
**[[新潟2歳ステークス]]([[マイネイサベル]])
**[[ステイヤーズステークス]]([[コスモヘレノス]])
*[[2011年]]
**[[中山金杯]]([[コスモファントム]])
154 ⟶ 121行目:
**[[新潟記念]]([[コスモネモシン]])
*[[2014年]]
**[[ラジオNIKKEI賞]]([[ウインマーレライ]])
*[[2015年]]
**[[アーリントンカップ]]([[ヤングマンパワー]])<ref name=":0">[
*[[2016年]]
**マーチステークス([[ショウナンアポロン]])
*[[2017年]]
**[[スプリングステークス]]([[ウインブライト]])
164 ⟶ 131行目:
*[[2018年]]
**[[中山記念]](ウインブライト)
**[[関東オークス]]([[ハービンマオ]])
*[[2019年]]
**[[中山金杯]](ウインブライト)
**[[中山記念]](ウインブライト)
**'''{{flagicon|HK}}[[クイーンエリザベス2世カップ (香港)|クイーンエリザベス2世カップ]]'''(ウインブライト)
**'''{{flagicon|HK}}[[香港カップ]]'''(ウインブライト)
*[[2022年]]
**[[中山牝馬ステークス]]([[クリノプレミアム]])
*[[2023年]]
**スワンステークス([[ウイングレイテスト]])
=== 表彰 ===
175 ⟶ 148行目:
:2008年第2、3回22勝
== 騎乗成績 ==
{| class="wikitable" style="font-size:100%; text-align:center; border-collapse:collapse; padding: 1px;"
! ||日付||競馬場・開催||競走名||馬名||頭数||人気||着順
|-
|初騎乗||2003年3月1日||3回中山1日2R||4歳上1000万円下||プラチナウィンク||16頭||11||14着
|-
|初勝利||2003年3月23日||3回中山8日12R||4歳上1000万円下||デュエットシチー||16頭||6||1着
|-
|重賞初騎乗||2003年12月21日||6回中山6日11R||フェアリーステークス||コスモキャンドル||16頭||6||11着
|-
|重賞初勝利||2005年2月13日||1回東京6日11R||ダイヤモンドステークス||ウイングランツ||14頭||10||1着
|-
|GI初騎乗||2005年4月10日||2回阪神6日11R||桜花賞||マイネコンテッサ||18頭||16||17着
|-
|GI初勝利||2007年5月13日||2回東京8日11R||ヴィクトリアマイル||コイウタ||18頭||12||1着
|}
{| class="wikitable" style="font-size:100%; text-align:center; border-collapse:collapse; padding: 1px;"
!年度!!1着!!2着!!3着!!騎乗数!!勝率!!連対率!!複勝率!!表彰
|-
|2003年||11||13||11||271||.041||.089||.129||
|-
|2004年||28||34||26||510||.055||.122||.173||
|-
|2005年||49||47||49||744||.066||.129||.195||
|-
|2006年||28||33||38||503||.056||.121||.197||
|-
|2007年||64||59||75||727||.088||.169||.272||[[中央競馬騎手年間ホープ賞]](関東)
|-
|2008年||91||73||80||825||.110||.199||.296||
|-
|2009年||98||82||93||844||.116||.213||.323||
|-
|2010年||109||105||80||844||.129||.254||.348||
|-
|2011年||53||70||72||683||.078||.180||.286||[[フェアプレー賞]](関東)
|-
|2012年||58||54||63||705||.082||.159||.248||
|-
|2013年||36||43||58||732||.049||.108||.187||
|-
|2014年
|41
|34
|49
|721
|.057
|.104
|.172
|
|-
|2015年
|33
|38
|43
|715
|.046
|.099
|.159
|
|-
|2016年
|35
|46
|45
|682
|.051
|.119
|.185
|
|-
|2017年
|37
|40
|40
|622
|.059
|.124
|.188
|
|-
|2018年
|35
|32
|28
|670
|.052
|.100
|.142
|
|-
|2019年
|22
|24
|38
|528
|.042
|.087
|.159
|
|-
|2020年
|2
|4
|8
|108
|.019
|.056
|.130
|
|-
|2021年
|3
|4
|0
|54
|.056
|.130
|.130
|
|-
|2022年
|14
|19
|27
|403
|.035
|.082
|.149
|
|-
|2023年
|26
|38
|27
|458
|.057
|.140
|.199
|
|-
|2024年
|22
|19
|33
|470
|.047
|.087
|.157
|
|-
!中央||900||921||936||12120||.071||.143||.220
|-
!地方||20||27||25||310||.065||.152||.232
|-
!海外
!2
!1
!0
!5
!.400
!.600
!.600
|}
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
183 ⟶ 320行目:
== 外部リンク ==
* [
{{
[[Category:日本の騎手]]
[[Category:日本中央競馬会の騎手]]
[[Category:美浦トレーニングセンターの人物]]
[[Category:神奈川県出身の
[[Category:川崎市出身の人物]]
[[Category:1984年生]]
[[Category:存命人物]]
|