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{{Infobox baseball player
| 選手名 = 川満 寛弥
|選手写真ファイル名 画像 = 2013marines_kawamitsu.jpg
|所属球団 = 千葉ロッテマリーンズ
| 画像説明 = ロッテ時代
|背番号 = 36
| 国籍 = {{JPN}}
|選手写真ファイル名 = 2013marines_kawamitsu.jpg
| 出身地 = [[沖縄県]][[宮古島市]]
|写真のコメント =
| 生年月日 = {{生年月日と年齢|1991|3|4}}
|国籍 = {{JPN}}
| 没年月日 =
|出身地 = [[沖縄県]][[宮古島市]]
| 身長 = 185
|生年月日 = {{生年月日と年齢|1991|3|4}}
| 体重 = 85
|没年月日 =
| 利き腕 = 左
|身長 = 186
| 打席 = 左
|体重 = 80
| 守備位置 = [[投手]]
|利き腕 = 左
| プロ入り年度 = {{NPBドラフト|2012}}
|打席 = 左
| ドラフト順位 = ドラフト2位
|守備位置 = [[投手]]
| 初出場 =
|プロ入り年度 = {{NPBドラフト|2012}}
| 最終出場 =
|ドラフト順位 = ドラフト2位
| 経歴 =
|初出場 =
|最終出場 =
|年俸 = 720万円(2016年)
|経歴 = <nowiki></nowiki>
* [[沖縄県立宮古総合実業高等学校]]
* [[九州共立大学硬式野球部|九州共立大学]]
* [[千葉ロッテマリーンズ]] (2013 - 2016)
* [[沖縄電力硬式野球部|沖縄電力]]
|選出国 =
|選出年 =
|得票率 =
|選出方法 =
}}
'''川満 寛弥'''(かわみつ ひろや、[[1991年]][[3月4日]] - )は、[[千葉ロッテマリーンズ沖縄県]]に所属する[[宮古島市]]出身の元[[プロ野球選手]]([[投手]])。左投左打
 
== 経歴 ==
=== プロ入り前 ===
[[沖縄県]][[宮古島市]]の出身。野球を始めたのは下地小学校3年生から。仲の良い幼馴染みたちが少年野球チームに入ったのをきっかけにして始めたが、最初は軽い気持ちだったという<ref name="kyukyo-intervew-kawamitsu"/>。下地中学校時代は軟式野球部に所属し、ポジションは主に一塁手と外野手だったが、ベンチでスコアブックをつけていることが多かった。
 
高校は[[沖縄県立宮古総合実業高等学校]]に進学。宮古にある4つの高校のうち、甲子園を目指すなら当時は[[沖縄県立宮古高等学校|宮古高等学校]]に入るところ、「楽しく野球が出来れば良い」という理由で[[沖縄県立宮古総合実業高等学校]]を選んだ<ref name="20121025sponichi">{{cite news |title=注目ドラフト候補インタビュー川満寛弥[九共大] |newspaper=週刊ベースボール |url=http://sp.baseball.findfriends.jp/?pid=bbm_page_002_detail&id=002-20121008-01 |date=2012-10-08 |accessdate=2014-03-14}}</ref>。しかし、中学・高校ともに、野球部に専門的な指導が出来るコーチがおらず、高校では野球部に入部後、投手が足りないという理由で本人いわく「行きかがり」でピッチャーに転向<ref name="kyukyo-intervew-kawamitsu"/>。1年夏からベンチ入り。高校時代はまったくの無名で、3年夏の[[全国高等学校野球選手権沖縄大会]]では初戦で[[興南中学校・高等学校|興南高等学校]]と対戦し、0-11で5回コールド負けした<ref name="20121025sponichi2">{{cite news |title=【ロッテ2位】川満寛弥 コールド負け左腕 大学で開花した“大きな杉内” |newspaper=スポーツニッポン|url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/10/25/kiji/K20121025004405280.html |date=2012-10-25 |accessdate=2014-03-14}}</ref>。
しかし、中高校ともに、野球部に専門的な指導が出来るコーチがおらず、[[沖縄県立宮古総合実業高等学校|宮古総合実業]]野球部に入部後、投手が足りないという理由で、本人いわく「行きかがり」でピッチャーに転向<ref name="kyukyo-intervew-kawamitsu"/>。
1年夏からベンチ入り。
高校時代はまったくの無名で、3年夏の[[全国高等学校野球選手権沖縄大会]]では初戦で[[興南中学校・高等学校|興南高等学校]]と対戦し、0-11で5回コールド負けした<ref name="20121025sponichi2">{{cite news |title=【ロッテ2位】川満寛弥 コールド負け左腕 大学で開花した“大きな杉内” |newspaper=スポーツニッポン|url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2012/10/25/kiji/K20121025004405280.html |date=2012-10-25 |accessdate=2014-03-14}}</ref>。
 
その後、沖縄県内の大学からも声が掛けられていたが福岡の[[九州共立大学]]経済学部に進学<ref name="kyukyo-intervew-kawamitsu">{{cite news |title=在校生インタビューvol.11 川満寛弥 |newspaper=九州共立大学 |url=http://www.kyukyo-u.ac.jp/interview/s11.html |accessdate=2014-03-14}}</ref>。九共大硬式野球部監督の仲里清からは、投げる時の身体の使い方や連動が素晴らしく、日本を代表する投手になれる素質と見いだされた<ref name="20131026tospo"/>。入学時は体重65キロと細身だったため、入学後は1日4食に夜食を詰め込む努力で15キロの増量にも成功した<ref name="20120608yomiuri">{{cite news |title=【<中>宮古島の原石 輝き放つ…川満寛弥投手(九州共立大4年) |newspaper=読売新聞 |url=https://web.archive.org/web/20140314085605/http://www.yomiuri.co.jp/sports/ajub/2012/feature/aj_fe_120608_01.htm |date=2012-06-08 |accessdate=2014-03-14}}</ref>。1年秋に初登板を果たす<ref name="sponichi-player">{{cite news |title=川満寛弥(九州共立大)~大学生選手名鑑~ |newspaper=スポーツニッポン |url= http://www.sponichi.co.jp/baseball/university/meikan/2012/143.html|accessdate=2013-02-03}}</ref>。2年春には、5勝0敗<ref name="20121025sponichi2"/>という成績を挙げ、福岡六大学野球リーグで最優秀選手賞を獲得した。3年春季リーグでベストナイン選出、防御率1位<ref>『[[週刊ベースボール]]』2012年1月30日号、[[ベースボールマガジン社]]、2012年、雑誌20445-1/30、28頁。</ref>。3年時には、第38回日米大学野球選手権大会の大学日本代表選手選考合宿(6月17-19日)へのメンバーに選出され<ref>{{cite news |title=第38回日米大学野球選手権大会 代表選手選考合宿への参加選手 |newspaper=全日本大学野球連盟 |url=http://www.jubf.net/us/jp_member38_candidate.html |date=2011-06-11 |accessdate=2014-03-14}}</ref>、最終代表からは漏れたものの、この時の合宿で当時東洋大学のエースだった[[藤岡貴裕]]からスライダーの投げ方を教わるなど目標とする選手への「弟子入り」も経験した<ref>{{cite news |title=“厳しい秋”へ ロッテが来季へ始動 |newspaper=スポーツナビ |url=http://sportsnavi.yahoo.co.jp/sports/baseball/npb/2012/columndtl/201210310007-spnavi |date=2012-11-01 |accessdate=2014-03-14}}</ref>。2011年10月にパナマで開催された[[第39回IBAFワールドカップ]]に大学生として唯一選出され、アメリカ戦とプエルトリコ戦の2試合で先発<ref name="20120608yomiuri" />、2試合計投球回数7回で8失点という結果だったが社会人野球の選手たちとの差など実感することも多く国際舞台での貴重な経験となった。11月には翌年の世界大学野球選手権大会に出場する大学日本代表選手の選考強化合宿(愛媛県松山市/12月)に参加する40人の中に選出<ref>{{cite news |title=大学日本代表候補に亜大・東浜ら40人選出 |newspaper=スポーツナビ |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/11/15/kiji/K20111115002033090.html |date=2011-11-15 |accessdate=2014-03-14}}</ref>。2012年、4年では春季・秋季リーグで防御率1位<ref>{{cite news |title=福岡6大学野球連盟  歴代表彰選手一覧  |newspaper=福岡6大学野球連盟 |url=http://fukuokabig6.web.fc2.com/fukuroku.kojinkiroku.html |accessdate=2014-03-14}}</ref>。リーグ通算33試合17勝5敗、防御率1.51<ref>週刊ベースボール増刊 大学野球2012秋季リーグ戦決算号 ベースボールマガジン社</ref>。
その後、沖縄県内の大学からも声が掛けられていたが福岡の[[九州共立大学]]経済学部に進学<ref name="kyukyo-intervew-kawamitsu">{{cite news |title=在校生インタビューvol.11 川満寛弥 |newspaper=九州共立大学 |url=http://www.kyukyo-u.ac.jp/interview/s11.html |accessdate=2014-03-14}}</ref>。九共大硬式野球部監督の仲里清からは、投げる時の身体の使い方や連動が素晴らしく、日本を代表する投手になれる素質と見いだされた<ref name="20131026tospo"/>。
入学時は体重65キロと細身だったため、入学後は1日4食に夜食を詰め込む努力で15キロの増量にも成功した<ref name="20120608yomiuri">{{cite news |title=【<中>宮古島の原石 輝き放つ…川満寛弥投手(九州共立大4年) |newspaper=読売新聞 |url=http://www.yomiuri.co.jp/sports/ajub/2012/feature/aj_fe_120608_01.htm |date=2012-06-08 |accessdate=2014-03-14}}</ref>。
1年秋に初登板を果たす<ref name="sponichi-player">{{cite news |title=川満寛弥(九州共立大)~大学生選手名鑑~ |newspaper=スポーツニッポン |url= http://www.sponichi.co.jp/baseball/university/meikan/2012/143.html|accessdate=2013-02-03}}</ref>。
2年春には、5勝0敗<ref name="20121025sponichi2"/>という成績を挙げ、福岡6大学野球リーグで最優秀選手賞を獲得した。3年春季リーグでベストナイン選出、防御率1位。<ref>『[[週刊ベースボール]]』2012年1月30日号、[[ベースボールマガジン社]]、2012年、雑誌20445-1/30、28頁。</ref>
 
11月21[[2012年度新人選手選択会議 (福岡県北九州市内本プロ野球)|2012年プロ野球ドラフト会議]]で、[[九州共立大学千葉ロッテマリーンズ]]キャンパスにおいて、から2巡目で指名。契約金8000万円、年俸1300万円(金額は推定)でロッテと仮契約を結び「やっとロッテの一員になったという実感が湧きま条件で入団た」と笑った。背番号は「36」<ref name="20121025sponichi4">{{cite news |title=川満寛弥投手、ロッテと仮契約 |newspaper=琉球新報 |url=http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-199500-storytopic-2.html |date=2013-11-21 |accessdate=2014-03-14}}</ref>。
3年時には、第38回日米大学野球選手権大会の大学日本代表選手選考合宿(6月17-19日)へのメンバーに選出され<ref>{{cite news |title=第38回日米大学野球選手権大会 代表選手選考合宿への参加選手 |newspaper=全日本大学野球連盟 |url=http://www.jubf.net/us/jp_member38_candidate.html |date=2011-06-11 |accessdate=2014-03-14}}</ref>最終代表からは漏れたものの、この時の合宿で当時東洋大学のエースだった[[藤岡貴裕]]からスライダーの投げ方を教わるなど目標とする選手への「弟子入り」も経験した<ref>{{cite news |title=“厳しい秋”へ ロッテが来季へ始動 |newspaper=スポーツナビ |url=http://sportsnavi.yahoo.co.jp/sports/baseball/npb/2012/columndtl/201210310007-spnavi |date=2012-11-01 |accessdate=2014-03-14}}</ref>。
 
なお、[[2014年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|2014年のプロ野球ドラフト会議]]では、大学の同期生で[[社会人野球]]に進んでいた[[竹下真吾]]・[[福地元春]](いずれも左投手)が指名。指名後に竹下が[[東京ヤクルトスワローズ]]、福地が[[横浜DeNAベイスターズ]]と契約したため、川満を含めた左投手3人が[[NPB]]でのプレーに至った。大学の同期生だった3人の左投手が、同じ時期にNPBの球団に在籍した事例は、[[東北福祉大学]]出身の[[吉見祐治]]・[[洗平竜也]]・[[歌藤達夫]]以来である。
2011年10月にパナマで開催された[[第39回IBAFワールドカップ]]に大学生として唯一選出され、アメリカ戦とプエルトリコ戦の2試合で先発<ref name="20120608yomiuri"/>、2試合計投球回数7回で8失点という結果だったが社会人野球の選手たちとの差など実感することも多く国際舞台での貴重な経験となった。11月には翌年の世界大学野球選手権大会に出場する大学日本代表選手の選考強化合宿(愛媛県松山市/12月)に参加する40人の中に選出<ref>{{cite news |title=大学日本代表候補に亜大・東浜ら40人選出 |newspaper=スポーツナビ |url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2011/11/15/kiji/K20111115002033090.html |date=2011-11-15 |accessdate=2014-03-14}}</ref>。
 
=== ロッテ時代 ===
2012年、4年では春季・秋季リーグで防御率1位<ref>{{cite news |title=福岡6大学野球連盟  歴代表彰選手一覧  |newspaper=福岡6大学野球連盟 |url=http://fukuokabig6.web.fc2.com/fukuroku.kojinkiroku.html |accessdate=2014-03-14}}</ref>。
入団後は{{by|2014年}}と{{by|2015年}}に運動障害のイップスによる制球難に苦しむなど<ref name="okiden" />、4年間で一軍公式戦への登板機会がないまま、{{by|2016年}}[[10月1日]]に球団から[[戦力外通告]]を受け<ref>{{Cite web|和書|date=2016-10-01 |url=http://www.marines.co.jp/news/detail/18214.html |title=来季契約について |publisher=千葉ロッテマリーンズ公式サイト |accessdate=2016-10-01}}</ref>、12月2日に自由契約公示された<ref>{{Cite web|和書|date=2016-12-02 |url=http://npb.jp/announcement/2016/pn_released.html |title=自由契約選手|2016年度公示 |publisher=NPB.jp 日本野球機構 |accessdate=2016-12-03}}</ref>。
 
=== 入りッテ退団 ===
2012年10月25日、[[2012年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|ドラフト]]で[[千葉ロッテマリーンズ]]から2位で指名され、「いずれは沢村賞を取れるような投手になりたいです」と意気込みを語った<ref name="20121025sponichi3">{{cite news |title=プロ野球ドラフト会議 川満選手、武田選手が指名されました。 |newspaper=学校法人福原学園 九州共立大学 |url=http://www.fukuhara-gakuen.jp/news/post-63.html |date=2013-10-26 |accessdate=2014-03-14}}</ref>。
NPB他球団での現役続行を希望し、{{by|2016年}}[[11月12日]]に[[阪神甲子園球場]]で開催の[[12球団合同トライアウト]]に参加。[[打撃 (野球)#練習方法|シートバッティング]]形式の対戦で打者3人を無安打に抑え、1つの三振を奪った<ref>{{Citenews|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/1736002.html|title=65人が参加/12球団合同トライアウト詳細|newspaper=日刊スポーツ|date=2016-11-12|accessdate=2016-11-13}}</ref>。
11月21日福岡県北九州市内の[[九州共立大学]]キャンパスにおいて、契約金8000万円、年俸1300万円(推定)でロッテと仮契約を結び「やっとロッテの一員になったという実感が湧きました」と笑った。背番号は「36」<ref name="20121025sponichi4">{{cite news |title=川満寛弥投手、ロッテと仮契約 |newspaper=琉球新報 |url=http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-199500-storytopic-2.html |date=2013-11-21 |accessdate=2014-03-14}}</ref>。
大学で同期の[[竹下真吾]]・[[福地元春]]が[[2014年度新人選手選択会議 (日本プロ野球)|2014年のドラフト]]で指名を受け、川満と合わせ大学同期の左投手3人がプロ入りすることとなったが、これは[[吉見祐治]]・[[洗平竜也]]・[[歌藤達夫]]以来のことである。
 
{{by|2017年}}から地元の沖縄県を本拠地としている[[社会人野球]]チームの[[沖縄電力硬式野球部|沖縄電力]]でプレーすることになった<ref name="okiden">{{Cite web|和書|url=http://ryukyushimpo.jp/news/entry-457185.html |title=沖電に県出身プロ加入 投手力増強 日本一へ |publisher=琉球日報 |date=2017-03-08 |accessdate=2017-03-29|archiveurl=https://web.archive.org/web/20170330001026/http://ryukyushimpo.jp/news/entry-457185.html |archivedate=2017-03-30}}</ref>。{{by|2018年}}シーズン末をもって退部した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.okiden.co.jp/active/baseball/article/181225_01.html|title=勇退者のあいさつ |publisher=沖縄電力|date=2018-12-25 |accessdate=2019-08-20}}</ref>。
===プロ入り後===
2015年までの3年間で一軍での登板は無し。
 
二軍では2013年こそ5試合20イニングを投げて16被安打、7四球、防御率3.15と比較的安定した投球を見せていたが、2014年、2015年と制球に苦しみイニング数を上回る四球を記録し、防御率もそれぞれ9.00、10.98と結果を残せていない。
 
{{by|2016年}}10月1日に、球団より戦力外通告を受けた<ref>{{Cite web |date=2016-10-01 |url=http://www.marines.co.jp/news/detail/18214.html |title=来季契約について |publisher=千葉ロッテマリーンズ公式サイト |accessdate=2016-10-01}}</ref>。
 
== 選手としての特徴 ==
股割りで足が180度で開いて胸まで着くという<ref name="20131026tospo">{{cite news |title=ロッテ2位・川満は“打倒・東浜” |newspaper=東京スポーツ新聞社 |url=https://web.archive.org/web/20121110212412/http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/50607/ |date=2013-10-26 |accessdate=2014-03-14}}</ref>関節が非常に柔らかい柔軟性のある186センチの長身で、手足と指が長い投手体型。
 
ストレートの最速は143km147km/h伸びのある[[速球|ストレート]]と、落差の大きい[[カーブ (球種)|カーブ]]で緩急をつけたピッチングが売り<ref name="shuube20130819P54">週刊ベースボール2013年8月19日号 P54</ref><ref name="shuube20130819P55">週刊ベースボール2013年8月19日号 P55</ref>。特にカーブの制球力は高く評価されている。変化球はカーブのほかに、[[スライダー (球種)|スライダー]][[フォークボール]]を投げる。課題は低目への制球と立ち上がり<ref name="shuube20130819P54"></ref>。
 
== 人物 ==
理想とする投手は、元[[中日ドラゴンズ]]の[[今中慎二]]<ref name="kyukyo-intervew-kawamitsu"/>。プロ入り時の会見では、目標とする選手の名前に同じチーム所属となる[[成瀬善久]]を挙げ、高校時代から好きな投手で動画や連続写真などをよくみていたという<ref>{{cite news |title=【ロッテ】ドラ2川満、成瀬にナルゼ! |newspaper=日刊スポーツ |url=httphttps://www.nikkansports.com/baseball/professional/draft/2012/news/f-bb-tp0-20121212-1058978.html |date=2012-12-12 |accessdate=2014-03-14}}</ref>。
 
== 詳細情報 ==
=== 年度別投手成績 ===
* 一軍公式戦出場なし
 
=== 背番号 ===
* '''36''' (2013年 - 2016年
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
 
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== 外部リンク ==
{{BASEBALLstats|brjpn=kawami000hir}}
* {{NPB|61565137}}
 
{{千葉ロッテマリーンズ}}
{{千葉ロッテマリーンズ2012年ドラフト指名選手}}
{{第39回IBAFワールドカップ日本代表}}
 
{{DEFAULTSORTデフォルトソート:かわみつ ひろや}}
[[Category:日本の野球選手]]
[[Category:九州共立大学硬式野球部の選手]]
[[Category:千葉ロッテマリーンズ及びその前身球団の選手]]
[[Category:沖縄県出身電力硬式野球部人物選手]]
[[Category:沖縄県出身のスポーツ選手]]
[[Category:1991年生]]
[[Category:存命人物]]
[[Category:宮古島市出身の人物]]