「TBS大型時代劇スペシャル」の版間の差分
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『'''大型時代劇スペシャル'''』(おおがたじだいげきスペシャル)は、[[TBSテレビ]]の[[時代劇]][[テレビ映画]]。[[Japan News Network#TBSネットワークとJNN|TBSテレビ系列]]で[[1987年]]([[昭和]]62年) - [[1997年]]([[平成]]9年)の間、元日や改編期に放送された。それぞれの作品に映画やテレビドラマなどで活躍する俳優・監督・スタッフが結集している。『[[坂本龍馬 (テレビドラマ)|坂本龍馬]]』を除き、[[JNNニュース]]が放送中に差し込まれた。『[[大忠臣蔵 (1994年のテレビドラマ)|大忠臣蔵]]』『[[愛と野望の独眼竜 伊達政宗]]』以外の各作品はDVDで販売されている。
== 概要 ==▼
== 歴代作品 ==
{|class="wikitable"
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!作品||放送日||主人公||主演||監督||制作会社||備考
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|'''[[太閤記 (1987年のテレビドラマ)|太閤記]]'''||[[1987年]][[1月1日]]||[[豊臣秀吉]]||[[柴田恭兵]]||[[岡本喜八]]||[[東映]]||「新春特別企画ドラマ」として放送
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|'''[[徳川家康 (1988年のテレビドラマ)|徳川家康]]'''||[[1988年]]1月1日||[[徳川家康]]||[[松方弘樹]]||[[降旗康男]]||東映||「新春特別企画ドラマ」として放送
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|'''[[織田信長 (1989年のテレビドラマ)|織田信長]]'''||[[1989年]]1月1日||[[織田信長]]||[[渡辺謙]]||[[中島貞夫]]||東映||
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|'''[[坂本龍馬 (テレビドラマ)|坂本龍馬]]'''||1989年[[3月31日]]||[[坂本龍馬]]||[[真田広之]]||中島貞夫||東映||「大型時代劇特別企画」として放送
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|'''[[源義経 (1990年のテレビドラマ)|源義経]]'''||[[1990年]]1月1日||[[源義経]]||[[東山紀之]]||[[舛田利雄]]||東映||
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|'''[[武田信玄 (1991年のテレビドラマ)|武田信玄]]'''||[[1991年]]1月1日||[[武田信玄]]||[[役所広司]]||中島貞夫||東映||
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|'''[[平清盛 (1992年のテレビドラマ)|平清盛]]'''||[[1992年]]1月1日||[[平清盛]]||[[松平健]]||[[工藤栄一]]||東映||
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|'''[[天下を獲った男 豊臣秀吉]]'''||[[1993年]]1月1日||豊臣秀吉||[[柳葉敏郎]]||中島貞夫||東映||
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|'''[[大忠臣蔵 (1994年のテレビドラマ)|大忠臣蔵]]'''||[[1994年]]1月1日||[[大石良雄|大石内蔵助]] ||松方弘樹||舛田利雄||東映||
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|'''[[愛と野望の独眼竜 伊達政宗]]'''||[[1995年]]1月1日||[[伊達政宗]] ||柴田恭兵||降旗康男||東映||
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|'''[[竜馬がゆく#1997年版|竜馬がゆく]]'''||[[1997年]]1月1日||坂本龍馬||[[上川隆也]]||脇田時三||テレパック||「元日特別企画 司馬遼太郎源作ドラマ」として放送
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|}
== スポンサー ==
*[[大幸薬品]]
*[[日本ペイント]]
*[[大和証券グループ本社|大和證券]]
*[[積水化学]]
*[[武田薬品工業]]
他、曜日配列による通常レギュラー枠のスポンサー一部
== 制作経緯 ==
[[東映]]の[[映画プロデューサー|プロデューサー]]・[[日下部五朗]]が映画『[[道 (1986年の映画)|道]]』を製作している頃、[[TBSテレビ|TBS]]から「正月の5時間ドラマを作ってくれないか」という要請があった<ref name="日下部">{{Cite book |和書 |author = 日下部五朗 |authorlink = 日下部五朗 |title = シネマの極道 映画プロデューサー一代 |pages = 171-172 |publisher = [[新潮社]] |year = 2012 |id = ISBN 978-4-10-333231-2 }}</ref>。TBSはそれまでも正月に[[沢田研二]]主演で『源氏物語』などを放映していたが、文句なしの成功を収めるには至っておらず、東映のヒットメーカーである日下部に白羽の矢を立てたようだった<ref name="日下部"/>。日下部はテレビドラマでの仕事と聞き、乗り気ではなかったが、『道』の監督・[[蔵原惟繕]](特に1970年代に多数のテレビドラマ演出を経験していた)から「五朗ちゃん、テレビもね、やりようによっては面白いよ」と背中を押され、決意した<ref name="日下部"/>。[[赤坂 (東京都港区)|赤坂]]でTBS側と会食し、「3億円で5時間の時代劇ドラマを作ってくれ」と具体的な条件提示の上で正式に頼まれた<ref name="日下部"/>。当時の東映はテレビ時代劇を1時間1,500万から2,000万で請け負っていたため、通常の3倍でのオファーとなり、日下部はその場で「僕は東映でも好き勝手に作っていますから、テレビでも同じようにやります。題材も監督・配役もTBSは企画に一切口を出さない、その条件でいいですか?」と伝え、[[磯崎洋三]]TBS編成局長から承諾を得た<ref name="日下部"/>。日下部は東映の社員プロデューサーであったが、実質上、当時の東映は[[岡田茂 (東映)|岡田茂]]東映社長の独裁国家で<ref name="日下部"/>、岡田社長の諒解さえ取れば、どんな作品であろうと営業も宣伝も文句を一切言わない、好き勝手に作れる、というのが日下部の局側への問いの意味だった<ref name="日下部"/>。何度も岡田に企画を潰されてきた日下部であり、TBSでの仕事についても岡田の説得は難儀だったが、局幹部からの直々の要請となると、岡田といえども諒解せざるをえなかったという<ref name="日下部"/>。日下部は[[岡本喜八]]作品のファンで、予て岡本と組んでみたいと要望してきたが、岡田は岡本が好きでなく、何度岡本監督の起用を頼んでも「あかん!八の字がつく奴は使わん!」など、到底筋の通らない理由を持ち出しては蹴られ続けてきており<ref name="日下部"/>、ようやく岡田が介入できない状況が生まれ、念願の岡本監督と仕事が出来た<ref name="日下部"/>。[[1987年]]の第一回『[[太閤記 (1987年のテレビドラマ)|太閤記]]』以降、東映が製作した[[1995年]]の『[[愛と野望の独眼竜 伊達政宗]]』まで、全て日下部のプロデュース<ref name="日下部"/>。このため監督・脚本陣・俳優陣まで東映色の強い構成で<ref name="日下部"/>、その上でテレビらしく旬の若手俳優や[[アイドル]]を入れた配役となっていた<ref name="日下部"/>。
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* [[新春ドラマスペシャル (TBS)]] - TBS正月ドラマ枠の後身。
* [[新春ワイド時代劇]] - [[テレビ東京]]で同じく正月に放送されていた時代劇のテレビ映画枠。
{{TBSのテレビドラマ}}
{{DEFAULTSORT:TBSおおかたしたいけきすへしやる}}
[[Category:TBS大型時代劇スペシャル|*おおかたしたいけきすへしやる]]
[[Category:日本のテレビ映画]]
[[Category:かつて存在したTBSの年末年始特番]]
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