削除された内容 追加された内容
顧客: 修正
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
大比叡 (会話 | 投稿記録)
m テーブルへのリンクを解消、リンク先をテーブル (家具)に変更(DisamAssist使用)
 
(6人の利用者による、間の6版が非表示)
3行目:
 
== 歴史 ==
[[1886年]](明治19年)、旅の途中に軽井沢を訪れた[[宣教師]][[アレクサンダー・クロフト・ショー|A・C・ショー]]と[[英語]][[教員|教師]][[ジェームズ・メイン・ディクソン|J・M・ディクソン]]が、自然の見事さと爽やかな気候に感動し、夏の保養地に選んだことが『[[避暑地]]軽井沢』の始まりである。2年後にショー師が別荘を構えたのを皮切りに、友人の外国人たちが続々と避暑に訪れた。当然彼らは[[西洋]]式の生活をはじめたため、[[テーブル (家具)|テーブル]]・[[椅子]]・サイドボード・[[箪笥|衣装戸棚]]といった洋式家具が必要になった。しかし当時の軽井沢には家具店がなく、大工や建具屋に依頼しても思い通りの品が手に入らなかった。当時、[[栃木県]][[日光市|日光]]には古くから木工の特産品があり、[[日光彫]]と呼ばれる技法が存在していた。そして[[1908年]](明治41年)、日光彫の職人であった清水兼吉と川崎巳次郎の二人が職人仲間を連れて、それぞれ軽井沢初の木彫家具店である『清水テーブル店(現『清水家具店』)』と『川崎屋家具店』を開業し、西洋家具の製造を始めた。<ref name ="net">[https://karuizawanet.com/blogwp/novels/2011/07/01/外国人別荘客の心をとらえたジャポニズム/ 外国人別荘客の心をとらえたジャポニズム] 軽井沢ネット(信州広告社)</ref>
 
当初は日光彫の伝統である[[牡丹]]・[[菊]]・[[松]]・[[竹]]・[[梅]]など一般的な[[植物]]文様を描いた物静かで控えめな製品がほとんどであったが、[[1912年]](明治45年)頃から、更なる華やかさと日本情緒を強調した「満開の[[桜]]」がモチーフに取り入れられるようになり<ref name ="net"/>、この桜の文様はのちに軽井沢彫の大きな特徴となった。
9行目:
[[大正]]時代に入ると、外国人避暑客も増えたが日本人がその数を圧倒的に上回るようになった。しかし軽井沢に来る日本人は西洋式の生活を好んだため、軽井沢彫の需要が停滞することはなく、その後も盛んに製作された。
 
戦後、軽井沢が[[観光地]]として注目されると、小物類の需要が高まり、家具類も[[首都圏 (日本)|首都圏]]を中心に他地域の個人からの注文が多くなった。
 
現在でもいくつかの職人たちがその製法を受け継いでおり、工房は当時と変わらず[[旧軽井沢メインストリート]]を中心に軒を連ねている。
 
== 特徴 ==
家具の全面に草花や桜の木などの彫刻が施されており、[[鎌倉彫]]や日光彫が牡丹や菊などの一輪彫が特徴であるのに対し、軽井沢彫は[[花]]だけでなく[[樹木]]など全体を彫刻している。なお近年は全面に彫るのではなく空白部分を残すような方向に変わりつつある。 また、桜以外に注文者の希望によって[[葡萄]]や竹、菊などを彫ることもある。彫刻方法は鎌倉彫が浅彫、日光彫が深彫であるのに対し、軽井沢彫はその中間である。技法上の特色として図柄の周辺に星打ちという釘を打ったような穴を施している。
 
生産工程は、木地(家具製造)→彫刻→塗装→組立に分かれている。一人の職人が全てを手がけることなく清水家具店。それ以外の製造元は各工程を、工房内で分業生産しているようだ。まず[[木地師]]による家具製造が行われるが、材料は彫刻のしやすさから[[栃]]が一般に使用されている。家具はいったん組み立てられた後分解され、彫刻される。そのため、家具製造に[[釘]]や[[接着剤]]は使用されていない。この手法は外国人が母国に帰るときに持ち帰ることができるようにしたのが由来である。彫刻は[[彫り師]]によって行われ、塗装は環境に配慮した[[ウレタン]]塗装を行っている。
 
特徴的な桜文様を写実を超えた様式化にまで高めたといわれているのが、清水テーブル店の名工・鈴木喜太郎である。空に伸びる大樹とそれをとりまく小枝や花びらを洋家具の前面に配し、周囲に星打ちをしてくっきりと浮き立たせ、後世に残る秀逸な作品を生み出した。同じく清水テーブル店の上田一は、独立して旧軽銀座に『上田商店(現『一彫堂』)』を開業、洋式ホテルや外国人別荘はもとより、日本人別荘客からの特注家具も数多く手掛けた。写実的で流麗な日光彫を地道に踏襲した『大坂屋家具店』の小西寅五郎、繊細で慎ましやかな表現を得意とした『柴崎家具店(現『シバザキ』)』の印南勝栄といった数々の名工の名も、その美しい作品とともに歴史に刻まれている。<ref name ="net"/>
27行目:
別荘客の顧客としては枚挙にいとまがないが、[[ウィリアム・メレル・ヴォーリズ]]の自宅である[[ヴォーリズ記念館]]、[[朝吹常吉]]の別荘である[[軽井沢タリアセン|睡鳩荘]]、[[堀辰雄]]の自宅である[[堀辰雄文学記念館]]、[[室生犀星]]の別荘である室生犀星文学記念館、[[山本有三]]の自宅である[[三鷹市山本有三記念館]]、[[脇田和]]のアトリエである[[脇田美術館]]などに軽井沢彫(一彫堂製)が収蔵されている<ref>[https://www.icchodou.com/otherarchitecture.html 一彫堂とゆかりの建物] 一彫堂</ref>。
 
[[上皇后美智子|美智子]]妃には、[[お印]]である軽井沢の[[白樺]]をあしらった軽井沢彫手箱が[[1959年]](昭和34年)に献上されている。なおこの出来事に関する当時の[[信濃毎日新聞]]の報道で初めて「軽井沢彫」という名称が[[メディア (媒体)|メディア]]に登場したとされ、またこのときに「軽井沢彫」という呼称が誕生したともされる<ref>鍵和田務/上田友彦, 軽井沢における木彫洋家具(1), 93頁, 日本デザイン学会 デザイン学研究 BULLETIN OF JSSD 2001.</ref>。
 
[[第二次世界大戦]]直後には[[進駐軍]]のアメリカ軍人に人気となった。
42行目:
{{DEFAULTSORT:かるいさわほり}}
[[Category:木工]]
[[Category:木彫]]
[[Category:日本の伝統工芸品]]
[[Category:軽井沢町の文化]]