「渡邉恒樹」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
m →楽天時代 |
m カテゴリの追加 |
||
(14人の利用者による、間の20版が非表示) | |||
1行目:
{{別人|渡辺洪基}}
{{Infobox baseball player
|選手名 = 渡邉 恒樹
|所属球団 =
|背番号 =
|選手写真ファイル名 = 渡邉恒樹_October_15,_2011_(6248662873)_(cropped).jpg
|写真サイズ = 280
|写真のコメント = 東京ヤクルトスワローズでの現役時代<br>(2011年10月15日)
|国籍 = {{JPN}}
|出身地 = [[埼玉県]][[所沢市]]
32行目:
|選出方法 =
}}
'''渡邉 恒樹'''(わたなべ こうき、[[1978年]][[5月17日]] - )は、[[埼玉県]][[所沢市]]出身の元[[プロ野球選手]]([[投手]])。左投左打。[[東京ヤクルトスワローズ]]時代の[[登録名]]は「'''渡辺''' 恒樹」(読み同じ)だった。{{by|2013年}}よりヤクルトの[[打撃投手]]を務める。
== 経歴 ==
=== プロ入り前 ===
幼稚園の時に熱烈な[[読売ジャイアンツ]]ファンだった父親の影響で野球(キャッチボール)を始める。[[所沢市立若松小学校]]2年生では少年野球チーム「若松サンダ
大学卒業後は[[NTT東日本硬式野球部|NTT東日本]]に入社し、4年連続で[[都市対抗野球大会]]に出場した。{{by|2004年}}の[[社会人野球日本選手権大会]]では[[野間口貴彦]]([[シダックス硬式野球部|シダックス]])・[[能見篤史]]([[大阪ガス]])と優秀選手賞を受賞した。
2004年のドラフト会議において、新規参入の[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]から2巡目で指名を受け、入団。1巡目に相当する[[自由獲得枠]]の[[一場靖弘]]はドラフト前に入団が決まっていたため、実質的に楽天が初めてドラフト指名した選手は渡邉である。背番号は'''18'''で、同球団の初代[[エースナンバー]]を背負った。[[読売ジャイアンツ]]元オーナーの[[渡邉恒雄]]と名前が一字違いであることから、入団時に登録名を'''ナベツネ'''とする案があった(ただし、名前の読みはツネキではなくコウキである)<ref>[http://www.asahi.com/sports/bb/OSK200411240038.html 登録名は「ナベツネ」? 楽天指名の投手「目立ちたい」]</ref>。
=== 楽天時代 ===
{{by|2005年}}6月1日の対[[横浜DeNAベイスターズ|横浜]]戦でプロ初登板を果たしたが、これは先発の[[山村宏樹]]が初回に1イニング4被本塁打を喫し、1死も取れずにKOされたのを受けた緊急登板だった。6月12日の対[[広島東洋カープ|広島]]戦で、同点で迎えた6回表1死に救援登板し、三塁の[[ルイス・ロペス (1973年生の内野手)|ルイス・ロペス]]の失策で[[緒方孝市]]を出塁させたが、その緒方を牽制球で刺して2死とする。続く[[木村拓也]]に四球を与えるも、木村の盗塁失敗により3死となった。その裏の攻撃で楽天が決勝点を挙げたため、幸運なプロ初勝利が転がり込んだ。打者1人も打ち取らずに勝利投手となっているので、「こんなんでいいのかな」と感想をもらした<ref group="注">打者と対戦、投球しており、打者あるいは投球数0の勝利というわけではない。</ref><ref>詳細は楽天イーグルス公式サイト Featured Players vol.7 渡邉恒樹</ref>。この年は17試合に登板し、1勝2敗、防御率1.93の成績を残した。オフには[[フェニックスリーグ]]に参加し、優勝(楽天は5勝1敗4引き分けで1位)を経験した。
{{by|2006年}}は、監督就任直後の[[野村克也]]から「オープン戦で自分からマウンドへ行って投手交代を告げるのは初めて」と言われるほど結果を残せず、二軍スタートとなる。8月11日に一軍登録し、当日の対[[埼玉西武ライオンズ]]戦でシーズン初登板。以降シーズン終了まで二軍に落ちることはなかった。一軍登板は前年より2試合減
{{by|2007年}}はプロ入り3年目で初めて、開幕からシーズン終了まで一軍登録された。4月3日の対[[北海道日本ハムファイターズ|日本ハム]]戦から6月3日の対広島東洋カープ戦まで22試合連続無失点を記録する大活躍でチームを支えた。後半戦は疲れもあり好調さを維持できなかったが、勝ち試合での左の[[リリーフ]]として[[有銘兼久]]とともに起用され、チームトップの15[[ホールドポイント]]を挙げた。65試合登板はリーグ最多の登板数であり、楽天球団の登板数では新記録である。
{{by|2008年}}は開幕2戦目にして腰のヘルニアのために離脱を余儀なくされ
{{by|2010年}}6月14日に[[鎌田祐哉]]との[[トレード]]で[[東京ヤクルトスワローズ]]
=== ヤクルト時代 ===
2010年[[8月10日]]の対[[読売ジャイアンツ|巨人]]戦で、同点の延長11回表、1死一、二塁で登板し、[[古城茂幸]]を1球で三ゴロ併殺打に打ち取り、その裏にチームがサヨナラ勝ちをしたため1球勝利投手を記録した。28試合に登板し、1勝1敗4ホールド。防御率4.61の成績でシーズンを終えた。
{{by|2012年}}10月2日に球団から[[戦力外通告]]を受け<ref>{{Wayback |url=http://www.yakult-swallows.co.jp/information/detail.php?article_seq=15264 |title=来季の契約について|date=20140420181727 }}東京ヤクルトスワローズ公式サイト(2012年10月2日)</ref>、そのまま現役を引退 === 現役引退後 ===
引退後は[[打撃投手]]としてチームに留ま
== 選手としての特徴 ==
113行目:
* '''34''' (2007年 - 2010年途中)
* '''48''' (2010年途中 - 2012年)
* '''105''' (2013年 -
=== 登録名 ===
* '''渡
* '''渡辺 恒樹''' (わたなべ こうき、2010年6月17日 - 2012年)
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Reflist|group="注"}}
=== 出典 ===
{{Reflist}}
130 ⟶ 134行目:
== 外部リンク ==
{{NPB|51655110|渡辺恒樹}}
{{
* {{Ameba ブログ|watanabekoki|渡辺恒樹オフィシャルブログ}}
142 ⟶ 146行目:
[[Category:東京ヤクルトスワローズ及びその前身球団の選手]]
[[Category:日本の打撃投手]]
[[Category:
[[Category:埼玉県出身のスポーツ選手]]
[[Category:所沢市出身の人物]]
[[Category:1978年生]]
[[Category:存命人物]]
|