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=== 横浜時代 ===
{{by|2009年}}はシーズン途中で一軍に昇格すると中継ぎとして起用され、8月15日の対[[広島東洋カープ]]戦で3年ぶりの勝利を挙げる<ref>{{cite news|url=
{{by|2010年}}も主に中継ぎとして起用された。しかし、49試合に登板するも防御率7.81と結果を残せず、10月1日に2度目の戦力外通告を受ける。合同トライアウトには参加しなかった。12月3日、左の中継ぎ投手を探していた阪神が獲得を発表した<ref>{{
=== 阪神時代 ===
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{{by|2012年}}は[[西村憲]]の怪我による戦線離脱もあり、中継ぎとして41試合に登板。敗戦処理または大量リードしている場面での登板が主となるも、防御率0.83と安定感を見せた。
{{by|2013年}}は開幕当初から中継ぎとして活躍、開幕当初の守護神だった[[久保康友]]の不調により[[セットアッパー]]として起用された<ref name="hoteishiki">{{Cite web|和書|url=http://www.sanspo.com/baseball/news/20130515/tig13051505040010-n2.html|title=虎・加藤、代打・糸井斬り!勝利の方程式入りへ(2/2ページ)|publisher=サンケイスポーツ|date=2013-05-15|accessdate=2013-06-03|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130608150311/http://www.sanspo.com/baseball/news/20130515/tig13051505040010-n2.html|archivedate=2013-06-08}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.sanspo.com/baseball/news/20130607/tig13060705030008-n1.html|title=流れ変えた!阪神・加藤、10戦連続0封|publisher=サンケイスポーツ|date=2013-06-07|accessdate=2013-06-07|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130609071244/http://www.sanspo.com/baseball/news/20130607/tig13060705030008-n1.html|archivedate=2013-06-09}}</ref>。[[6月28日]]の対広島戦([[阪神甲子園球場]])では、プロ13年目にして一軍公式戦での自身初セーブを記録した<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.sanspo.com/baseball/news/20130629/tig13062905030009-n1.html|title=13年目!虎・加藤、初Sしみじみ「気持ちいい」|publisher=サンケイスポーツ|date=2013-06-29|accessdate=2013-07-11|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130702070359/http://www.sanspo.com/baseball/news/20130629/tig13062905030009-n1.html|archivedate=2013-07-02}}</ref>。加藤曰く、復活への支えになったのは横浜時代の同僚で先輩だった[[工藤公康]]の存在を挙げている<ref>[
{{by|2014年}}も開幕から中継ぎとして1軍起用されるが、不安定な投球が続き7月14日に1軍登録を抹消。8月8日に再昇格するも、8月12日に[[ぎっくり腰]]によって再び登録抹消される。8月26日に三度再登録されるが、8月29日のヤクルト戦で1イニング2失点と不安定な投球を見せると即日抹消される。その後は登録されることなく、[[日本シリーズ]]の40人枠にも入らずにシーズンを終えた。
{{by|2015年}}には長年酷使し続けた右股関節にある大腿骨の骨頭が耐えられなくなり、骨頭全体に骨棘が
=== BCリーグ・福島時代 ===
2015年11月10日に、地元・静岡市の[[草薙球場]]で開催の12球団合同トライアウトへ参加。野手を含めた参加選手では最年長(37歳)であったが、打者3人を8球で三者凡退に抑えた<ref>{{Cite web|和書|url=
福島ホープスでは2年間コーチ兼任選手としてプレーしたが、2017年に同年限りでの選手としての現役引退を決断。10月6日に甲子園球場を訪れ、元同僚や球団スタッフに現役引退のあいさつを行った<ref>{{cite news | title =元虎戦士・
=== 現役引退後 ===
2020年途中、母校日本大学のコーチに就任<ref>{{Cite web
== 選手としての特徴・人物 ==
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登板時はサングラス(ゴーグル)を着用する。
阪神時代には、甲子園球場で試合や練習があるたびに、自宅から球場まで電車で通っていた<ref name="hoteishiki"/>。2013年8月31日の広島戦(甲子園)では、1点リードの8回表に3番手で登板すると、3者連続三振を奪ってホールドポイントを記録。チームも勝利したため、試合後には、移籍後初めてヒーローインタビューを受けた。ゴーグルを外して臨んだインタビューでは、「(甲子園のお立ち台からの眺めは)最高です…。(お立ち台は阪神移籍後)初めてです。涙が出そうなんですけど、本当に嬉しいです。(同じくインタビューを受けた先発投手の藤浪)[[藤浪晋太郎|晋太郎]]が頑張っていて、(高卒新人投手では[[セントラル・リーグ]]史上5人目のシーズン)10勝がかかっていたので、(自分も)頑張りました」と言いながら、感極まって涙を流している<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.sanspo.com/baseball/news/20130901/tig13090105010007-n1.html|title=阪神・加藤、炎の3者連続K!男泣き初お立ち台|publisher=サンケイスポーツ|date=2013-09-01|accessdate=2013-09-01|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130903231511/http://www.sanspo.com/baseball/news/20130901/tig13090105010007-n1.html|archivedate=2013-09-03}}</ref>。
前述の通り、[[アトピー性皮膚炎]]を持病として抱えており、2003年1月に治療法を変えたことから悪化。ロッテ時代には医師から「マウンドの土の菌がアトピーの小さな傷から入ると[[蜂窩織炎]]になり、最悪、足を切断する可能性もある」と告げられたことがある。引退後の現在も、重度の全身症状を抱えている<ref>{{Cite news|title=最悪足切断も…元阪神左腕が闘うアトピー性皮膚炎|newspaper=日刊スポーツ|date=2020-06-11|author=酒井俊作|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/202006100000897.html|accessdate=2020-06-11}}</ref>。
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* 初ホールド:2006年5月28日、対[[読売ジャイアンツ]]3回戦([[東京ドーム]])、7回裏に2番手で救援登板、1/3回無失点
* 初セーブ:2013年6月28日、対[[広島東洋カープ]]6回戦([[阪神甲子園球場]])、9回表に4番手で救援登板・完了、1回無失点
* 1球敗戦投手:2013年7月16日、対[[読売ジャイアンツ]]13回戦(阪神甲子園球場)、7回表に2番手で救援登板、0/3回1失点(自責点0)<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.sanspo.com/baseball/news/20130718/tig13071805030010-n2.html|title=阪神・加藤、G斬り「やり返すつもりでした」|publisher=サンケイスポーツ|date=2013-07-18|accessdate=2013-07-18|archivedate=2013-07-21|archiveurl=https://web.archive.org/web/20130721181624/http://www.sanspo.com/baseball/news/20130718/tig13071805030010-n2.html}}</ref> ※史上25人目(26度目)
=== 独立リーグでの投手成績 ===
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[[Category:阪神タイガース及びその前身球団の選手]]
[[Category:福島レッドホープス及びその前身球団の選手]]
[[Category:日本の野球指導者]]▼
[[Category:完全試合達成者]]<!--イースタン・リーグ公式戦-->
▲[[Category:日本の野球指導者]]
[[Category:大学野球指導者]]
[[Category:静岡市立清水商業高等学校出身の人物]]
[[Category:静岡県出身のスポーツ選手]]
[[Category:静岡市出身の人物]]
[[Category:1978年生]]
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