「国事行為臨時代行」の版間の差分

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[[ファイル:Crown Prince Naruhito and Sodovjamts Khurelbaatar.jpg|thumb|right|280px|2012年、国事行為臨時代行として、[[信任状捧呈式]]に臨む皇太子[[徳仁]]]]
'''国事行為臨時代行'''(こくじこういりんじだいこう)とは、'''[[国事行為の臨時代行に関する法律]]'''により[[国事行為]]を代行する[[皇族]]のこと、あるいは当該皇族が用いる職名のことである。
 
== 法の根拠 ==
[[国事行為の臨時代行に関する法律]][[s:国事行為の臨時代行に関する法律#1|1条]]および[[s:国事行為の臨時代行に関する法律#2|2条1項]]を参照。
<blockquote {{法令/blockquote@style}}>
 
;国事行為の臨時代行に関する法律
;第一条  :[[日本国憲法第4条|日本国憲法4条]]2項の規定基づく[[天皇]]の[[根拠が、国事行為|国事に関する行為]]委任による臨時代行については、この[[関する法律]]の(1964年5月20日施行)に詳細がそれぞれ定めるところによられている。
;第二条  :天皇は、精神若しくは身体の疾患又は事故があるときは、[[摂政]]を置くべき場合を除き、[[内閣]]の助言と承認により、国事に関する行為を[[皇室典範]] (昭和二十二年法律第三号)第十七条 の規定により摂政となる順位にあたる[[皇族]]に委任して臨時に代行させることができる。
</blockquote>
[[日本国憲法第4条]]第2項に根拠が、[[国事行為の臨時代行に関する法律]](昭和39年法律第83号。[[1964年]][[5月20日]][[公布]]・即日[[施行]])に詳細がそれぞれ定められている。
 
憲法4条2項には「法律で定めるところにより国事行為を委任できる」旨の文言があったものの、この代行法制定まではその「委任実施のための法律」がなかったため事実上死文化しており、いた。摂政以外については1947年5月3日施行日本国憲法5条および現[[皇室典範]]16条に定めがあるものの、短期的代行を天皇が発令することはできなかった。この代行法の不存在がどの程度影響したかは明確でないが、[[昭和天皇]]は日本国憲法施行から代行法制定までの間、(短期的代行を要することとなる)[[外遊|海外訪問]]を全くしていない。
 
== 委任 ==
天皇が未成年又は重篤な疾患等である場合に置かれる'''[[摂政]]'''が、天皇の人事不省等を想定して(天皇の意思にかかわらず)[[皇室会議]]の議により決定されるのに対し、国事行為臨時代行の制度は'''天皇にその発令意思'''(最低限度の意識)があることが前提となっているため、'''条文上の委任元(発令者)も天皇自身'''となっており、委任に際して[[内閣]]の助言と承認は当然必要となるものの皇室会議の議を経ることは手続要件とされておらず、摂政のように皇室会議等で(天皇に無断で一方的に)決定・発令することはできない。
 
委任の対象者は一部の[[皇族]]に限られ、その具体的な範囲及び委任順序(順位)は、国事行為の臨時代行に関する法律により、[[摂政]]設置の場合([[皇室典範]][[s:皇室典範#a17|第17条]])と同じと規定されている。
 
<blockquote {{皇室典範/blockquote@style}}>
#[[皇太子]]、[[皇太子#皇太弟・皇太甥・皇太孫|皇太孫]]
#[[親王]]及び[[王_(皇族)|王]]
#[[皇后]]
#[[皇太后]]<ref>[[天皇の退位等に関する皇室典範特例法]]により、[[上皇后]]が置かれている間は、上皇后は皇太后の例による。</ref>
#[[皇太后]]
#[[太皇太后]]
#[[内親王]]及び[[女王_(皇族)|女王]]
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== 代行する行為の対象 ==
国事行為臨時代行は[[{{独自研究範囲|摂政]]とは異なり|date=2024年3月}}[[国事行為]]のみの代行であり、[[内閣]]の助言と承認により、指定された[[国事行為]]のみを代行する(ただし、指定の仕方によっては包括的に代行することも可能)。
 
== 委任の解除と終了 ==
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== 署名と表記 ==
[[ファイル:Written appointment of prime minister.jpg|代替文=竹下登を内閣総理大臣に任命する官記の写真|サムネイル|[[昭和天皇]]の国事行為臨時代行に伴い、皇太子[[明仁]]の[[御名御璽]]により発せられた[[内閣総理大臣]]の任命の官記]]
天皇が法律・政令・条約の公布文に署名(縦書き。以下同じ)する場合は、原本には所定の位置に天皇の名([[御名御璽|御名]])が毛筆で([[今上明仁天皇]]の例では「[[明仁]]」と)書かれるが、それが官報に公布(掲載)される際には(「貴人の[[諱]]を[[タブー|禁忌]]とする」慣例から)そのまま「明仁」とは活字印刷されず「御名」という2文字に置き換えられる。一方、摂政及び国事行為臨時代行が署名する場合は、まず原本の所定の位置に天皇の御名を代筆し、その左横のしかも字頭を1文字程度下げた位置に当該摂政等の名([[皇太子徳仁親王]]の例では「徳仁」)を添え書きするが、官報掲載では「御名」の置換表記の左行の字頭1字下げた位置に「摂政名」又は「国事行為臨時代行名」という置換表記がなされることとなっている(原本には「摂政」も「国事行為臨時代行」も明記されないことに注意)。
 
署名については摂政及び国事行為臨時代行の名も墨書されるが、璽(印章)については両者独自のものはなく[[御璽|天皇御璽]]を押すのみとなる。
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! 備考
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|rowspan="7" style="font-weight: bold;"|昭<br />和<br />天<br />皇<br />に<br />よ<br />る<br />委<br />任||1971年9月25日|| style="white-space: nowrap;"|同月27日|| style="white-space: nowrap;"|[[上皇明仁|皇太子明仁親王]]||外国旅行|| style="white-space: nowrap;"|外国旅行の間||全般||1971年10月14日||帰国||nowrap|[[ベルギー|ベルギー国]]、[[イギリス|英国]]及び[[西ドイツ|ドイツ連邦共和国]]<br />([[デンマーク|デンマーク国]]、[[フランス|フランス国]]、<br />[[オランダ|オランダ国]]及び[[スイス|スイス国]])
|-
|1975年9月29日||同月30日||皇太子明仁親王||外国旅行||外国旅行の間||全般||1975年10月14日||帰国||[[アメリカ合衆国]]
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|1987年10月3日||同日||[[皇太子徳仁親王|徳仁親王]]|| style="white-space: nowrap;"|病気療養中<br>皇太子明仁親王<br />外国旅行||当分の間||全般||1987年10月10日||皇太子明仁親王<br />帰国||皇太子訪問先:アメリカ合衆国
|-
|rowspan="2"|1987年10月10日||rowspan="2"|同日||rowspan="2"|皇太子明仁親王||rowspan="2"|病気療養中<br />皇太子明仁親王<br />帰国||rowspan="2"|当分の間|| style="white-space: nowrap;"|全般(憲法第7条第5号から<br />第9号までに規定する<br />行為を除く)||1987年12月15日||nowrap|病気快復の状況<br />にかんがみ||第110回第111回国会を召集
竹下登を第74代内閣総理大臣に任命
|-
|憲法第7条第5号から<br />第9号までに規定する行為||rowspan="2" style="white-space: nowrap;"|1989年1月7日(終了)||rowspan="2"|崩御<br />皇太子明仁親王<br />皇位継承||
|-
|1988年9月22日||同日||皇太子明仁親王|| style="white-space: nowrap;"|病気療養の状況<br />にかんがみ||当分の間||全般(憲法第7条第5号から<br />第9号までに規定する<br />行為を除く)||第114回国会を召集
|-
|rowspan="2223" style="font-weight: bold;"|<br />上<br />天<br />皇<br />に<br />よ<br />る<br />委<br />任||1991年9月25日||同月26日||皇太子徳仁親王||外国旅行||外国旅行の間||全般||1991年10月6日||帰国||[[タイ王国|タイ国]]、[[マレーシア|マレイシア国]]及び[[インドネシア|インドネシア国]]
|-
| style="white-space: nowrap;"|1992年10月22日||同月23日||皇太子徳仁親王||外国旅行||外国旅行の間||全般||1992年10月28日||帰国||[[中華人民共和国]]
77行目:
|1993年8月5日||同月6日||皇太子徳仁親王||外国旅行||外国旅行の間||全般||1993年8月9日||帰国||ベルギー国 ※故・国王[[ボードゥアン1世 (ベルギー王)|ボードワン一世]]<br />の[[国葬]]参列のため
|-
|1993年9月2日||同月3日||皇太子徳仁親王||外国旅行||外国旅行の間||全般||1993年9月19日||帰国||[[イタリア|イタリア国]]、ベルギー国及び[[ドイツ|ドイツ国]]([[バチカン|バチカン市国]])
|-
|1994年6月9日||同月10日||皇太子徳仁親王||外国旅行||外国旅行の間||全般||1994年6月26日||帰国||アメリカ合衆国
113行目:
|2015年4月7日||同月8日||皇太子徳仁親王||外国旅行||外国旅行の間||全般||2015年4月9日||帰国||[[パラオ|パラオ国]]
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|[[:s:国事に関する行為の委任について (平成28年内閣告示第1号)|2016年1月25日]]||同月26日||皇太子徳仁親王||外国旅行||外国旅行の間||全般||[[:s:国事に関する行為の委任の解除について (平成28年内閣告示第2号)|2016年1月30日]]||帰国||[[フィリピン|フィリピン国]]
|-
|2017年2月27日||同月28日||皇太子徳仁親王||外国旅行||外国旅行の間||全般||2017年3月6日||帰国||[[ベトナム|ベトナム国]](タイ国)
|-
|rowspan="4" style="font-weight: bold;"|徳<br />仁<br />に<br />よ<br />る<br />委<br />任||2022年9月16日||同月17日||[[秋篠宮文仁親王|皇嗣文仁親王]]||外国訪問||外国訪問の間||全般||2022年9月20日||帰国||英国
|-
|2023年6月16日||同月17日||皇嗣文仁親王||外国旅行||外国旅行の間||全般||2023年6月23日||帰国||インドネシア国
|-
|2024年6月21日||同月22日||皇嗣文仁親王||外国訪問||外国訪問の間||全般||2024年6月29日||帰国||英国
|-
|2025年7月4日||同月6日||皇嗣文仁親王||外国訪問||外国訪問の間||全般||継続中|| ||[[モンゴル国|モンゴル]]
|}
* 「委任年月日」左欄に記載の年月日は代行委任の内閣告示の官報掲載日。同右欄記載の期日(代行開始期日=外国旅行出発日等)とは必ずしも一致しない(旅行の場合は出発数日前に告示されるのが慣例)。ただし、旅行に起因する委任の解除年月日については、帰国当日付けとなる。
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* 官報における使用例(日付等の漢数字は算用数字に置換)
** 「皇太子明仁親王殿下は、天皇陛下の御名代として、同妃美智子殿下を御同伴の上、11月12日から12月9日までの間イラン、エティオピア、インド及びネパールの4国を御訪問になる。」 - 昭和35年11月4日付け官報本紙第10163号・皇室事項欄
** 「11月26日正午東京都千代田区紀尾井町7番地[[聖イグナチオ教会]]において執行された[[ジョン・F・ケネディ|故ジョン・エフ・ケネディ米国大統領]]の弔祭式に、天皇陛下御名代として皇太子明仁親王殿下を、皇后陛下御名代として皇太子妃美智子殿下を差し遣わされた。」 - 昭和38年11月28日付け官報本紙第11087号・皇室事項欄
** 「第110国会の開会式は、11月6日天皇陛下の御名代皇太子明仁親王殿下の御臨席のもとに参議院議場において行われた。」 - 昭和62年11月7日付け官報本紙第18216号・国会事項欄
** 「天皇陛下は、7月19日午後3時、第113回国会開会式に御名代として、皇太子明仁親王殿下を差し遣わされた。」 - 昭和63年7月21日付け官報本紙第18423号・皇室事項欄
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== 外部リンク ==
{{Wikisource|国事に関する行為の委任について}}
* [httphttps://www.kunaicho.go.jp/about/seido/seido05.html 国事行為の臨時代行] - 宮内庁
 
{{DEFAULTSORT:こくしこういりんしたいこう}}