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{{Infobox Musician<!-- プロジェクト:音楽家を参照 -->
|名前 = 宮沢 和史
|画像 =File:Miyazawa Miyazawa2.jpg
|画像説明 =宮沢和史(写真左) 2005年 ポーランド公演にて
|画像サイズ = 220px
|画像補正 =
|背景色 = singer
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|別名 = MIYA
|出生 = {{生年月日と年齢|1966|1|18}}
|出身地 = {{JPN}} [[山梨県]][[甲府市]]
|死没 =
|学歴 = [[明治大学大学院経営学研究科・経営学部|明治大学経営学部]]卒業
|ジャンル = {{Hlist-comma|[[ロック (音楽)|ロック]]|[[オルタナティヴ・ロック]]|[[インディー・ロック]]|[[スカ]]|[[沖縄音楽]]|[[民族音楽]]|[[ブラジル音楽]]|[[サンバ (ブラジル)|サンバ]]}}
|職業 = {{Hlist-comma|[[シンガーソングライター]]|[[俳優]]}}
|担当楽器 = {{Hlist-comma|[[ボーカル]]|[[ギター]]|[[三線]]|[[ハーモニカ]]}}
|活動期間 = [[1986年]] -
|レーベル =[[よしもとミュージック]]
|事務所 =
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|旧メンバー =
|著名使用楽器 =
|配偶者 = [[光岡ディオン]](1994年 - )
|著名な家族 = [[宮沢氷魚]](子)
}}
'''宮沢 和史'''(みやざわ かずふみ、[[1966年]][[1月18日]] - )は、[[日本]]の[[シンガーソングライター]]、[[俳優]]。元[[THE BOOM]]の[[ボーカル]]。[[身長]]171cm。息子は[[宮沢氷魚]]
 
== 来歴 ==
[[山梨県]][[甲府市]]出身。[[甲府市立千塚小学校]]、[[甲府市立北中学校]]を経て[[山梨県立甲府南高等学校]]、明治大学([[明治大学大学院経営学研究科・経営学部|明治大学経営学部]]とされる)卒業{{sfn|『週刊女性』2024年8月6日号}}
 
[[1986年]]に[[THE BOOM]]を結成、[[歩行者天国]]でのライブを積み重ねた後、1989年[[シングル]]「[[君はTVっ子]]」、[[アルバム]]『[[A PEACETIME BOOM]]』で[[ソニー・ミュージックレコーズ|CBS・ソニー]]から[[メジャー・デビュー (音楽家)|メジャー・デビュー]]
 
THE BOOMのほぼ全楽曲を作詞・作曲。グループの知名度を特に高めた楽曲として「[[島唄 (THE BOOM)|島唄]]」「[[風になりたい (THE BOOMの曲)|風になりたい]]」が挙げられる。世界中を旅し、そこで得たインスピレーションで独創的な音楽を生み出してきた。楽曲は[[ロック (音楽)|ロック]]がすべての下敷きになってはいるが、[[サンバ (ブラジル)|サンバ]]、[[ケチャ]]、[[カリプソ (音楽)|カリプソ]]、[[ボサノヴァ]]、[[ジャズ]]、[[ソウルミュージック|ソウル]]、[[スカ]]、[[レゲエ]]、[[HR/HM]]、[[パンク・ロック|パンク]]、[[演歌]]、[[ヒップホップ]]、[[テクノ (ダンスミュージック)|テクノ]]など、あらゆるジャンルに造詣が深い。
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ソロのシンガーソングライターとして楽曲発表、楽曲提供、著書それぞれ多数。以前、俳優としても活動し、ミュージカルやテレビドラマ、映画にも出演した。
 
妻は[[タレント]]・[[ラジオパーソナリティ]]の[[光岡ディオン]](1994年に結婚)。3人の子供(二男一女)を授かり、長男は俳優でモデルの[[宮沢氷魚]]は2015年9月に男性[[ファッション雑誌]]「[[MEN'S NON-NO]]」の専属モデルとしてデビュー<ref name=":0">{{Cite web |和書|date=2015-09-09 |url=https://www.oricon.co.jp/news/2058879/full/ |title=元THE BOOM宮沢和史の長男・氷魚がデビュー 『MEN’S NON-NO』専属モデルに決定 |publisher=[[オリコン|ORICON STYLE]] |accessdate=2015-09-09}}</ref>、次男はアメリカで弁護士をしている<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2023/04/25/kiji/20230425s00041000604000c.html|title=宮沢氷魚 米国でのWBC準決勝、決勝で弟がTVに映ったと明かす 職業聞き中居正広「すごい家族だね」|publisher=スポニチアネックス |date=2023-04-25|accessdate=2023-05-11}}</ref>。
 
== 人物 ==
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三線の棹に使われる[[黒檀]]の植樹活動をしている。
 
1989年のシングル「気球に乗って」が天安門事件をモチーフにしているなど、デビュー当時から社会問題を時々歌に取り入れている{{Efn2|他にも、「TROPICALISM」(1996年のTHE BOOMのアルバム『[[TROPICALISM -0°]]』の収録曲)、「ゲバラとエビータのためのタンゴ」(2001年の宮沢のシングル「[[沖縄に降る雪]]」の収録曲)など、社会風刺的な楽曲を書いている。}}{{Efn2|楽曲制作に社会問題を取り入れることついて本人は後年、「[[ジョン・レノン]]、[[U2]]、[[スティング (ミュージシャン)|スティング]]たちは、世の中で起きる物事を見て率直に感じたことを曲にしていました。彼らは社会を変えることはできなくても、世の中に一石を投じる形で音楽に昇華できていた。そういうことを試みる人が好きなので、僕も社会に訴えかける曲を作ってきた、というのがあります」と語っている{{sfn|『週刊女性』2024年8月6日号}}}}。
 
== 経歴 ==
=== 学生時代 ===
幼少期は体が弱くて内向的な性格だったが、近所の友達に釣りに誘われたのをきっかけに自然を駆け回る活発な性格になった{{sfn|『週刊女性』2024年8月6日号}}。小学校高学年の時、好きな女の子が書いていた詩の意外性に衝撃を受けのをきっかけに言葉の面白さに目覚めた{{sfn|『週刊女性』2024年8月6日号}}。
 
中学生頃から将来は音楽の道に進むことを望んで中学2年生から作曲を始め、高校進学後は帰宅すると自宅で毎日2時間ほど弾き語りに励んだ{{sfn|『週刊女性』2024年8月6日号}}。高校では普段目立つタイプではなくシャイな性格だったが、文化祭で生徒たちの前で歌を披露して同級生を驚かせた{{sfn|『週刊女性』2024年8月6日号}}。
 
=== THE BOOMのデビュー ===
高校卒業と同時に上京し{{sfn|『週刊女性』2024年8月6日号}}、1986年11月、THE BOOMを結成。1987年7月26日、歩行者天国で路上ライブ開始。
1986年11月、THE BOOMを結成。
 
大学卒業の前年、周りからの勧めで1988年12月18日の[[ソニー・ミュージックレコーズ|CBS・ソニー]]のオーディションを受け、グランプリを受賞して合格{{sfn|『週刊女性』2024年8月6日号}}。
1987年7月26日、[[歩行者天国]]で[[路上ライブ]]開始。
 
1989年5月21日、シングル「[[君はTVっ子]]」・アルバム『[[A PEACETIME BOOM]]』でメジャー・デビュー。ほどなくして、毒気を叙情性でくるんだ耳に残る楽曲と跳んだり走ったりの派手なパフォーマンスで一躍人気を集めた{{Efn2|ただし、本人は後年「プロの中には10代で音楽や歌唱パフォーマンスが完成されている人がいます。僕はそうじゃなかった。デビューはしたものの、このままじゃとてもこの世界で生きられないと焦りを感じました」と述懐している{{sfn|『週刊女性』2024年8月6日号}}}}。
1988年12月18日、[[ソニー・ミュージックレコーズ|CBS・ソニー]]の[[オーディション]]に合格。1989年5月21日、シングル「[[君はTVっ子]]」・アルバム『[[A PEACETIME BOOM]]』でメジャー・デビュー。
 
=== 「島唄」のヒット ===
ある時レコード会社から沖縄民謡のカセットテープをもらったのを機に、旋律の心地よさと三線の音色の虜になって琉球音階を用いた曲作りを始めた{{sfn|『週刊女性』2024年8月6日号}}。
1990年9月21日、3rdアルバム『[[JAPANESKA]]』で初めて沖縄音楽に触れる。前2作が[[スカ]]や[[ロック (音楽)|ロック]]など、オーソドックスな音楽スタイルであったが、この時期から、バンドの音楽の方向性が著しく変わっていく。
 
1990年9月21日、3rdアルバム『[[JAPANESKA]]』で初めて沖縄音楽を取り入れた{{Efn2|同アルバムのジャケット撮影で初めて沖縄に訪れた時点では、収録曲となる「ひゃくまんつぶの涙」の歌詞が保留状態だったが、滞在中に歌詞がどんどん浮かんでくるという不思議な体験をしたという{{sfn|『週刊女性』2024年8月6日号}}}}。前2作が[[スカ]]や[[ロック (音楽)|ロック]]など、オーソドックスな音楽スタイルであったが、この時期から、バンドの音楽の方向性が著しく変わっていく。
 
1992年1月22日、4thアルバム『[[思春期 (アルバム)|思春期]]』発表。本作で後の大ヒット曲となる「[[島唄 (オリジナル・ヴァージョン)]]」が初めて発表された。この歌は、“二度と戦争を起こしてはいけない”という思いから生まれた{{Efn2|具体的には、1991年に沖縄に訪れた際、平和記念資料館で元学徒隊の女性から[[沖縄戦]]について聞き、激しいショックを受けた。反戦の思いに加えて、それまで沖縄戦について知らなかった自分に対しても怒りのような感情が溢れたことが、楽曲誕生に繋がったとのこと。また、当初“本土の人間である自分が三線を持って沖縄戦を扱う歌を歌ってもいいのか”という迷いがあったが、ある時沖縄出身の歌手・[[喜納昌吉]]から「もし君が魂までコピーすれば、それはもう真似じゃない」という言葉に背中を押され、楽曲の発表を決めた{{sfn|『週刊女性』2024年8月6日号}}}}。
1992年1月22日、4thアルバム『[[思春期 (アルバム)|思春期]]』発表。本作で後の大ヒット曲となる「[[島唄 (オリジナル・ヴァージョン)]]」が初めて発表された。
 
1992年12月12日、「島唄」を[[沖縄方言|ウチナーグチ]]で歌ったシングル「[[島唄 (ウチナーグチ・ヴァージョン)]]」を[[沖縄県|沖縄]]限定で発売。[[泡盛]]のCMタイアップ曲にも使用されヒットした。
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=== THE BOOMの活動休止〜ソロ活動開始 ===
1994年、初めてブラジルの[[リオデジャネイロ]]に訪れ、現地の人達の生きるエネルギーに圧倒された{{sfn|『週刊女性』2024年8月6日号}}。これをきっかけに、サンバのリズムに乗せて日本人が踊れて気持ちよく開放されるような音楽を作り始めた{{sfn|『週刊女性』2024年8月6日号}}。同年11月21日、6thアルバム『[[極東サンバ]]』を発表。このアルバムには、先のリオデジャネイロの[[イパネマ]]の海岸でメロディーが浮かび、帰国後に歌詞を書いた「[[風になりたい (THE BOOMの曲)|風になりたい]]」が収録され、代表曲の一つとなった{{sfn|『週刊女性』2024年8月6日号}}。
1994年11月21日、6thアルバム『[[極東サンバ]]』を発表。これまでの沖縄音楽やアジアの音楽的要素から完全に脱却。以降、1997年初頭にグループとしての活動を一時休止するまでブラジル音楽に傾倒<ref group="注">コンサートでは「島唄」などこれまでの音楽も演奏されている</ref>。この頃の代表曲が「[[風になりたい (THE BOOMの曲)|風になりたい]]」である。
 
上記を境にこれまでの沖縄音楽やアジアの音楽的要素から完全に脱却。以降、1997年初頭にグループとしての活動を一時休止するまでブラジル音楽に傾倒<ref group="注">コンサートでは「島唄」などこれまでの音楽も演奏されている</ref>。1996年5月、念願であったTHE BOOMのブラジルでの初のコンサート{{sfn|『週刊女性』2024年8月6日号}}を3都市で行う(4公演)。
 
1997年1月、表立ったTHE BOOMの活動を一時休止、各人ソロ活動に専念。9月10日、[[久石譲]]とのコラボレーション・シングル「[[旅立ちの時〜Asian Dream Song〜]]」を発表。本楽曲は『[[1998年長野パラリンピック|長野パラリンピック]]』のテーマソングとして制作され、『長野パラリンピック』の開会式で、同曲を披露した。
 
1998年、全曲ポルトガル語のソロアルバム『[[AFROSICK]]』を南米のアーティストと制作し、ブラジルでコンサートを行った{{sfn|『週刊女性』2024年8月6日号}}。同アルバムが評判になったのを受けて、多国籍ミュージシャンたちと中南米やヨーロッパを回るツアーを行った{{sfn|『週刊女性』2024年8月6日号}}。
 
=== THE BOOMの活動再開 ===
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2008年9月、[[ジルベルト・ジル]]の日本公演にて、スペシャル・プレゼンターとして参加。また、この頃にTHE BOOMとしての活動も再開。以後はTHE BOOMとGANGA ZUMBAの活動を並行して行なっている。
 
遡って2005年のある日、首にバットで殴られたような痛みが走り、以後定期的に同様の痛みの発作が起きるようになり、時には痛みで眠れないほどで歌唱にも影響が出始めた{{sfn|『週刊女性』2024年8月6日号}}。
2013年11月、[[頚椎症|頚椎症性神経根症]]治療のため約4ヶ月の活動休止を発表<ref name=":1">[http://www.miyazawa-kazufumi.jp/html/notice11071311.pdf 宮沢和史(THE BOOM)歌手活動休止のお知らせ] 2013年11月7日</ref>。
 
その後症状が悪化して2013年11月、[[頚椎症|頚椎症性神経根症]](または頚椎ヘルニア{{sfn|『週刊女性』2024年8月6日号}})の治療のため約4ヶ月の活動休止を発表<ref name=":1">[http://www.miyazawa-kazufumi.jp/html/notice11071311.pdf 宮沢和史(THE BOOM)歌手活動休止のお知らせ] 2013年11月7日</ref>。
 
=== THE BOOMの解散〜ソロ活動の休止 ===
2014年12月、自分の病気のことでメンバーに迷惑をかけられないとの理由からTHE BOOM解散{{sfn|『週刊女性』2024年8月6日号}}。個々で音楽活動を継続。
 
2015年6月より、本格的なソロ活動として、弾き語りツアー 寄り道2015『連れづれなるままに…』開催。
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2015年10月19日、翌2016年4月から[[那覇市]]の[[沖縄県立芸術大学]]で講師を務めることが明らかになる<ref name=":2">{{Cite news |url=https://ryukyushimpo.jp/news/entry-157032.html |title=宮沢和史さん 来春から県芸大講師に |newspaper=琉球新報 |publisher=琉球新報社 |date=2015-10-20 |accessdate=2017-12-01}}</ref>。
 
その後首の痛みが限界を感じたため、医師から「手術する場合は声帯を移動すること」及び「仮に失敗すれば下半身不随になる可能性もゼロではない」という話を聞き、歌手活動を休止して症状と付き合うことを決意{{sfn|『週刊女性』2024年8月6日号}}。2016年1月3日、同年春を目処に表舞台における歌唱活動の無期限休養を発表<ref name=":3">{{Cite news |url=https://www.oricon.co.jp/news/2064771/full/ |title=宮沢和史、歌唱活動の無期限休養を発表「心身ともに歌う力を持ち続けることができません」 |newspaper=ORICON NEWS |publisher=oricon ME |date=2016-01-03 |accessdate=2017-12-01}}</ref>。
 
=== ソロ活動再開〜現在まで ===
2017年1月7日、Twitterおよび公式サイトにて、歌唱活動を少しずつ再開していくことを発表<ref name=":4">{{Twitter status2|@miyazawa_info|817578838502715392|2017年1月7日12時49分|accessdate=2017-12-01}}</ref><ref name=":5">{{Cite news |url=httphttps://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2017/02/04/kiji/20170204s00041000430000c.html |title=THE BOOM宮沢和史が歌手活動再開へ 首のヘルニア良化「少しづつ歌い始めたい」 |newspaper=Sponichi Annex |publisher=スポーツニッポン新聞社 |date=2017-02-04 |accessdate= 2017-12-01}}</ref>。2017年3月11日、震災チャリティ・イベント「The Unforgettable Day 3.11」で歌手活動復帰<ref>{{Cite news |url=httphttps://natalie.mu/music/news/224266 |title=震災から6年、仙台PIT復興応援ライブに岸谷香やCHEMISTRYら集結 |newspaper=音楽ナタリー |publisher=ナターシャ |date=2017-03-12 |accessdate=2017-12-01}}</ref>。
 
2018年夏、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]『[[THE MUSIC DAY]]』、[[テレビ朝日]]『[[ミュージックステーションウルトラFES]]』にソロとして初出演。THE BOOMでの出演以来、実に9年振りに同番組に出演となり、「島唄」を25年振りに披露した。その他、[[高野寛]]・[[おおはた雄一]]らとライブを頻繁に行なっている。
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# [[沖縄に降る雪]](2001年11月7日)オリコン39位
# [[コシカ/ひとつしかない地球]](2005年4月20日)<br />「ひとつしかない地球」は、教育団体「[[ラボ・パーティ]]」のために書かれた楽曲。
# 午前0時の近景(2023年5月31日)配信限定
# 島唄 ~琉奏~ / 宮沢和史 with 親川遥(2023年9月13日)配信限定
# 遠影 / 宮沢和史 with [[藤巻亮太]](2024年2月14日)配信限定
 
=== アルバム ===
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# 留まらざること 川の如く(2019年5月22日)<br />2001年の『[[MIYAZAWA]]』以来17年半ぶり、4作目のオリジナル・アルバム。
#次世界(2021年1月20日)<br />5作目のオリジナル・アルバム。新曲4作品に加え、新録「[[旅立ちの時〜Asian Dream Song〜|旅立ちの時]]」を収録。
#〜35〜{{Efn2|読み:サンゴー}}(2024年4月24日)<br />6作目のオリジナル・アルバム。THE BOOM時代のセルフカバーと先行配信された3曲に加え、[[TRICERATOPS]]との新曲「[[恋をする時]]」を含む新曲4作品を収録。
 
=== 映像作品 ===
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* LOVE IS DANGEROUS<ref name=":0" />(1994年4月21日)
** 「MIYA & YAMI」名義アルバム
* [[二人のハーモニー]](1995年5月1日)
** 「[[矢野顕子]]&宮沢和史」 名義
* [[旅立ちの時〜Asian Dream Song〜]](1998年9月10日)
** 「宮沢和史 with [[久石譲]]」名義
* カノン(1998年11月26日)
* LIVE Beautiful Songs<ref>{{Cite web |title=大貫妙子/LIVE Beautiful Songs |url=https://tower.jp/item/591039/LIVE-Beautiful-Songs |website=tower.jp |accessdate=2022-04-08}}</ref>(2000年10月20日)
** [[手塚治虫]]の[[トリビュート・アルバム]]『[[ATOM KIDS]]』に収録。手塚治虫の漫画「[[カノン (手塚治虫の漫画)|カノン]]」をもとに作詞・作曲。
 
* [[Beautiful Songs (コンサート)#LIVE Beautiful Songs|LIVE Beautiful Songs]]<ref>{{Cite web|和書|title=大貫妙子/LIVE Beautiful Songs |url=https://tower.jp/item/591039 |website=tower.jp |accessdate=2022-04-08}}</ref>(2000年10月20日)
** 「[[大貫妙子]]・[[奥田民生]]・[[鈴木慶一]]・宮沢和史・[[矢野顕子]]」名義で発表したライヴ・アルバム
* [[ひとりぼっちじゃない]](2002年7月10日)
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* シ・ア・ワ・セ(2005年12月21日)
** 「[[山下久美子]] feat. 宮沢和史」名義。
** [[小野リサ]]に提供した楽曲の[[セルフカバー]]で、山下久美子のカバー・アルバム『[[Duets (山下久美子のアルバム)|Duets]]』に収録されている<ref>{{Cite web |和書|url=https://www.cdjournal.com/main/news/-/10154 |title=山下久美子、豪華ゲストとのデュエット・アルバムを発売 |work=CDジャーナル |publisher=[[音楽出版社 (企業)|音楽出版社]] |date=2005-11-10 |accessdate=2021-11-10}}</ref>。
* [[笑ってみせてくれ]](2008年6月25日)
** [[日本オリンピック委員会|JOC]][[2008年北京オリンピック|北京オリンピック]]・日本代表選手団公式応援ソング。[[BAND FOR "SANKA"]]の一員として参加。
200 ⟶ 223行目:
** 「宮沢和史+[[ディアマンテス|DIAMANTES]]+シンカヌチャー」名義
* MIYATORA<ref name=":4" />(2013年11月6日)
** 「宮沢和史&[[TRICERATOPS]]」名義
* ひとりひとつ<ref name=":5" />(2015年10月1日)
** [[青年海外協力隊]]50周年イメージソング。「16 voices」の一員として参加。
** [[アレクサンドラ・ブンスアイ]]、[[アンダーグラフ]]、[[遠藤久美子]]、[[乙武洋匡]]、[[カズン (歌手グループ)|カズン]]、[[川嶋あい]]、[[北澤豪]]、[[倉木麻衣]]、[[庄野真代]]、[[FUNKIST#メンバー|染谷西郷]]、[[高橋尚子]]、[[武田鉄矢]]、[[JiLL-Decoy association#メンバー|chihiRo]]、[[D-51]]、[[D.W.ニコルズ#メンバー|わたなべだいすけ]]と共演。
* 沖縄からの風(2021年10月6日)
 
** 「[[夏川りみ]]と[[大城クラウディア]]と宮沢和史」名義
* 沖縄からの風 ~沖縄から生まれた名曲たち~(2021年12月8日)
** 「夏川りみと大城クラウディアと宮沢和史」名義
* 恋をする時(2024年4月24日)
** 「宮沢和史 with TRICERATOPS」名義
== 楽曲提供 ==
=== アーティスト ===
;
; [[新垣勉 (歌手)|新垣勉]]
; [[新垣勉 (歌手)|新垣勉]]
*「白百合の花が咲く頃」(作詞・作曲)
 
215 ⟶ 244行目:
 
; [[石川さゆり]]
*「ニヒルに愛して」(作詞)<ref>{{Cite web |和書|url=httphttps://natalie.mu/music/news/158114 |title=新「ルパン三世」ED曲は石川さゆり×つんく×大野雄二 |publisher=音楽ナタリー |date=2015-08-26 |accessdate=2015-08-26}}</ref>
 
; [[INSPi]]
*「ちっぽけなボクにできること」(作曲)
'''江口透子'''
*「[[『Tauko』は、江口透子のアルバム。1994年10月26日発売。|Cobalt]]」(作詞)
 
; [[MCU (ラッパー)|MCU]]
230 ⟶ 261行目:
 
; [[織田裕二]]
*「[[『My Pocket』は、織田裕二のアルバム。1999年9月29日発売。|いちばん小さな島で]]」(作曲)
'''[[小野リサ]]'''
*「[[シングル1997年11月7日発売。アルバム『ESSÊNCIA』1997年11月19日発売。|シ・ア・ワ・セ]]」(作詞)
 
; [[上條恒彦]]
*「何もいらない」(作詞・作曲)
 
; [[喜納昌吉]]&[[チャンプルーズ]]
 
*「愛は私の胸の中」(作詞・作曲)
* 「[[『RAINBOW MOVEMENT』は、喜納昌吉&チャンプルーズのアルバム。1993年12月5日発売。|地球の涙に虹がかかるまで]]」(作曲)
 
*「[[『RAINBOW MOVEMENT』は、喜納昌吉&チャンプルーズのアルバム。1993年12月5日発売。|愛は私の胸の中]]」(作詞・作曲)
 
; 我如古より子
*「[[シングル 1994年11月2日発売。 アルバム『恋の花』1995年4月1日発売。|あの海へ帰りたい]]」(作詞・作曲・編曲)
*「島唄南の四季」(作曲)
 
259 ⟶ 295行目:
; [[坂本冬美]] with M2
*「花はただ咲く」(作曲)
'''[[坂本龍一]]'''
*「[[スムーチー|HEMISPHERE]]」(作詞)
'''サヨコ'''
*「[[シングル『上を向いて歩こう』1995年1月11日発売。 アルバム『MI・LUV・YU』1995年2月22日発売。|夢の旅人]]」(作曲)
*「[[『MI・LUV・YU』は、サヨコのアルバム。1995年2月22日発売。|SPIRITEK]]」(作曲)
*「[[シングル1997年9月26日発売。アルバム『Peep』1998年1月21日発売。|MIX UP]]」(作曲)
*「[[『PeeP』は、サヨコのアルバム。1998年1月21日発売。|空にはばたいてゆく日]]」(作曲)
'''SANDII'''
*「[[『DREAM CATCHER』は、SANDIIのアルバム。1994年1月21日発売。|DREAM CATCHER]]」(作曲)
*「[[『WATASHI』は、SANDIIのアルバム。1996年1月21日発売。|Pulse]]」(作曲)
*「[[『WATASHI』は、SANDIIのアルバム。1996年1月21日発売。コーラスで参加。|Sambinha]]」(作曲)
'''[[島田歌穂]]'''
*「[[プロデューサー 久保田麻琴とデュエット。アルバム『MALACCA』は、島田歌穂のアルバム。1997年11月12日発売。|涙の浜辺]]」(作曲)
'''JAJAJAH ALL STARS featuring NAHKI&BABY BABY'''
*「[[シングル 1995年7月1日 発売|女と兵器とラガマフィン]]」(作詞)
'''JUDITH BANAL'''
*「[[『TOKYO LOVE』は、JUDITH BANALのアルバム。1996年9月1日発売。|コーヒーの花]]」(作曲)
 
; [[SMAP]]
270 ⟶ 323行目:
 
; [[高橋幸宏]]
*「[[『MR.YT』は、高橋幸宏のアルバム。1994年11月16日発売。|Wind that blow to bikalBikal]]」(作詞)
 
; [[竹中直人]]
*「[[『EREASER HEAD』は、竹中直人のアルバム。1996年10月18日発売。|国分寺1976]]」(作詞・作曲)
'''[[谷理佐]]'''
*「[[『素敵を探す』は谷理佐のアルバム。1994年4月25日発売。|橋]]」(作曲)
'''[[藤井珠緒|Tamao]]'''
*「[[『Talking Marimba』は、Tamaoのアルバム。1996年8月25日発売。|夏が終わる]]」(作詞)
 
; [[CHAKA (歌手)|CHAKA]]
 
* 「[[『with friends』はCHAKAのアルバム。1996年9月21日発売。|Dawn ~はじまりの唄]]」(作曲)
 
*「僕等はもっとすごいはず」(作曲)
*「新しい日々」(作曲)
'''[[チト河内]]'''
*「[[『CHITOTIHC KULA-kura』は、チト河内のアルバム。1993年11月21日発売。|Boroboe ボロボエの吹く朝]]」(作詞)
'''[[ちわきまゆみ]]'''
*「[[『Singles』は、ちわきまゆみのアルバム。1994年9月25日発売。|ため息つかせて]]」(作詞・作曲 作詞はちわきまゆみとの共作)
 
;
;
; [[ディアマンテス]]
 
*「魂をコンドルにのせて」(作詞。アルベルト城間との共作)
* 「[[シングル『魂をコンドルにのせて』1995年1月25日発売。アルバム『CONQUISTA』1996年6月1日発売。|魂をコンドルにのせて]]」(作詞。アルベルト城間との共作)
 
*「太陽の祭り」(作詞)
'''[[ディック・リー]]'''
*「[[アルバム『SECRET ISLAND』1995年4月21日発売。|Antonio(with live from Miya and Dick)]]」(作曲)
 
; [[友部正人]]
291 ⟶ 361行目:
; [[中島美嘉]]
*「[[永遠の詩 (中島美嘉の曲)|永遠の詩]]」(作詞)
 
; [[夏川りみ]]
*「[[愛よ愛よ]]」(作詞・作曲)
*「あしたの子守唄」(作詞・作曲)<ref name=natalie161109>{{Cite news |url=httphttps://natalie.mu/music/news/208653 |title=夏川りみ、5年ぶりシングルに宮沢和史書き下ろしナンバー3曲 |newspaper=音楽ナタリー |date=2016-11-09 |accessdate=2016-11-10}}</ref>
*「夏花の唄」(作詞・作曲)<ref name=natalie161109/>
*「月の蛍」(作詞・作曲)<ref name=natalie161109/>
 
; [[浜本沙良|sarah]]
*「[[SARAH (sarahのシングル)|We're gonna go home]]」(作詞)
*「[[優しい日々|あたたかな夢]]」(作曲)
 
; P.J
*「[[『ACTION!』は、P.Jのアルバム。1992年7月22日発売。|FRIEND]]」(作詞)
 
;
; [[本田美奈子.]]
*「[[晴れ ときどき くもり|月見草]]」(作詞・作曲。編曲のみ[[チト河内]]との共作)
*「[[晴れ ときどき くもり|僕の部屋で暮らそう]]」(作詞・作曲・編曲)
*「[[晴れ ときどき くもり|かげろう]]」(作詞・作曲。編曲のみ安斎直宗との共作)
 
; [[MISIA]]
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*「[[SINGER FOR SINGER|風のない朝 星のない夜]]」(作詞・作曲)
*「[[ASCENSION|月]]」(作詞)
'''南佳孝'''
*「[[『Festa de Verão』は、南佳孝のアルバム。1996年7月25日発売。|太陽のメロディ -Melodia do Sol-]]」(作曲。南佳孝との共作)
'''宮野弘紀'''
*[[『道の陽』は、宮野弘紀のアルバム。1997年6月18日発売。|道の陽]](作詞)
 
; [[矢野顕子]]
 
* 「[[LOVE LIFE (矢野顕子のアルバム)|湖のふもとでねこと暮らしている]]」(作詞。矢野顕子との共作)
* 「[[LOVE IS HERE (矢野顕子のアルバム)|TIME IS]]」(作詞。矢野顕子・糸井重里との共作)
* 「[[LOVE IS HERE (矢野顕子のアルバム)|LIVING WITH YOU]]」(作曲)
* 「[[LOVE IS HERE (矢野顕子のアルバム)|あなたには言えない(CAN'T TELL YOU)]]」(作詞。矢野顕子との共作)
 
*「[[Piano Nightly|虹が出たなら]]」(作詞・作曲)
320 ⟶ 400行目:
 
; [[RIKKI]]
*「[[アルバム『RIKKI』1995年12月16日発売。|哀しみにバンソウコウ]]」(作曲)
*「涙のようにきれいな星」(作曲)
*「巡る想い」(作曲)
'''Regine'''
 
*「[[『My Love Emotion』は、Regineのアルバム。1995年12月21日発売。『SPIRITEK』のカバー。|WAIT AND SEE]]」(作曲)
; [[Letit go]]
Letit go
*「地球の上で」(作曲)
*「[[シングル 1996年4月25日発売。TBS系TV 「世界ふしぎ発見!」10周年記念エンディングテーマ。|地球(ほし)の上で]]」(作曲・プロデュース)
 
=== 学校校歌 ===
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* [[二千年の恋]](2000年 [[フジテレビジョン|フジテレビ]]系・主演[[中山美穂]])
* [[恋を何年休んでますか]](2001年 [[TBSテレビ|TBS]]系・主演[[小泉今日子]])
* [[JIN-仁-# (テレビドラマ)|JIN-仁- 完結編]](2011年 TBS系・主演[[大沢たかお]])- [[近藤勇]] 役
* [[南極大陸 (テレビドラマ)|南極大陸]](2011年 TBS系・主演[[木村拓哉]])- 岩城昌隆 役
* [[コールドケース 〜真実の扉〜]](2016年、[[WOWOW]]・主演[[吉田羊]]) - 大江嗣久 役
 
=== 映画 ===
* [[パイパティローマ]](1994年、監督・[[中江裕司]]、主演・[[今野登茂子]])
* [[(ハル)]](1996年、監督・[[森田芳光]]、主演・深津絵里)- 山上博幸 役 主題歌もTHE BOOMが担当
* [[るろうに剣心 (実写映画)#るろうに剣心 京都大火編 / 伝説の最期編|るろうに剣心 京都大火編 / 伝説の最期編]](2014年、監督・[[大友啓史]]、主演・[[佐藤健 (俳優)|佐藤健]])[[大久保利通]]役
 
=== 舞台 ===
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* [[MIYA THE WORLD]]
** パーソナリティー(2008年10月1日-2015年3月・[[全国FM放送協議会|JFN]]系列全国23局ネット)
*宮沢和史の琉球ソングブック([[ラジオ沖縄]] 2021年7月5日-・[[FM COCOLO]]、[[北日本放送]]、[[山梨放送]]にネット
 
=== CM ===
* [[ネスレ日本]]「[[ブライト#Brite|ブライト]]」(1995年、[[矢野顕子]]との共演)
* [[日通]](1998年、CM曲に宮沢名義の楽曲「故郷になってください」)
* [[KDDI]] 企業広告「塾帰り」篇(ナレーション、2008年)
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=== 出典 ===
{{Reflist}}
 
== 参考文献 ==
* {{Cite journal|和書|title=人間ドキュメント「次の世代に美しいものを手渡すことが役目~宮沢和史」 |date=2024-07-23 |publisher=主婦と生活社 |journal=週刊女性 |issue=2024年8月6日号 |id={{JAN|4910203610844}} |pages=36-42 |ref={{sfnref|『週刊女性』2024年8月6日号}} }}
 
== 外部リンク ==
*{{Official website|https://miyazawa-kazufumi.jp/|Kazufumi Miyazawa Official Web}}
*{{Twitter|miyazawa_info}}
*[[クーリエ・ジャポン|「クーリエ・ジャポン」]]連載 [{{Wayback|url=https://courrier.jp/series/?tag=%E6%97%85%E3%81%AE%E6%9E%95 |title=「旅の枕」] |date=20170922230828}}
 
{{Normdaten}}
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[[Category:よしもとミュージックのアーティスト]]
[[Category:明治大学出身の人物]]
[[Category:山梨県甲府市出身の人物]]
[[Category:1966年生]]
[[Category:存命人物]]