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「天皇陛下御在位20年」は慶祝行事として名詞化したもの。
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[[File:Hayama Shiosai Park.jpg|right|300px|thumb|葉山御用邸]]
'''御用邸'''(ごようてい)とは、[[天皇]]・[[皇后]]・[[皇太子]]や[[皇女]]、[[皇太后]]の[[別荘]]である。年に数回、静養を兼ねて避暑や避寒で訪れる。[[宮内庁]]の定義では、一定規模の建造物と敷地を有するものを[[離宮]]とし、小規模のものを御用邸と称している。
 
== 御用邸の役割 ==
[[幕末]]から[[明治]]にかけて天皇家の子供たちの夭折があまりにも多いことから1883年(明治16年)に[[侍医]]らが連名で改善案をまとめた上申書を提出し、その中に避暑のための離宮の建設があったことから、箱根離宮とともに日光山内御用邸が建設された<ref name="fukase">[http://jsmh.umin.jp/{{Cite journal/61-2/61-2_gencho_3.pdf  |和書 |author=深瀬泰旦 |year=2015 |title=明治16年と同21年の上申書からみた明治天皇皇子女夭折問題]深瀬泰旦、 |journal=日本医史学雑誌 |volume=61巻第 |issue=2号(2015) |pages=163-178 |crid=1520009407247399680 |url=http://jsmh.umin.jp/journal/61-2/61-2_gencho_3.pdf |format=PDF}}</ref>。しかし、[[明治天皇]]自身は[[脚気]]に悩みながらもこれらを一度も利用しなかった<ref name="fukase" />。
 
皇后や[[東宮]](嘉仁親王、後の[[大正天皇]])は他の人と同じ施設を同時期に利用することはしないため、明治期は皇女ごとに御用邸が創設されたが、皇女の結婚後は不要となり関東大震災後に廃止された{{sfn|小沢|2008|p=156}}。御用邸内でも一人に一棟の御殿(付属邸)を用意する方法は、嘉仁親王の皇子にも引き継がれ{{sfn|小沢|2008|p=157}}、嘉仁親王の成長に合わせ、避暑・避寒などの医学的な見地による私的生活空間から執務室など公的な機能を加えた小さな皇居へと役割も変わった{{sfn|小沢|2008|p=158}}
 
御用邸は一見質素に見えつつも、和風建築として最高の材料と技術で造られており、いる。継続的なメンテナンスを行うため、御用邸の周囲にメンテナンスはその技術を持つ職人が集積していた。例えば葉山町の守谷表具店もそれらの一つで、戦前より葉山御用邸の襖や障子のメンテナンスを担当している{{sfn|小沢|2008|p=163}}。
 
== 現存する御用邸 ==
{{座標一覧}}
; {{読み仮名|那須御用邸|なすごようてい}}
: [[栃木県]][[那須郡]][[那須町]]({{Coord|37|5|16.7|N|140|1|25.2|E|region:JP-9|name=那須御用邸}})
: [[1926年]]([[大正]]15年 / [[昭和]]元年)設置 -
: 主に8月 - 9月に訪れている。
: 那須湯本温泉近くに位置し、東京ドーム142個分、皇居の6倍近い広大な敷地である<ref name="20230821nhk">[{{Cite web |url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230821/k10014169041000.html |title=天皇ご一家4年ぶり 那須で夏の静養【Q&Aで詳しく】 |date=2023年8月-08-21 19時39分] |website=[[NHK NEWS WEB]] |language=ja |access-date=2023-08-29 |archive-url=https://web.archive.org/web/20230821104946/https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230821/k10014169041000.html |archive-date=2023-08-21}}</ref>。
: 設置当時から戦前までは9ホールのハーフゴルフコースが造成され、静養に訪れた裕仁と良子がプレイしていた<ref>{{Cite book|和書|author = 田代靖尚|title = 昭和天皇のゴルフ 昭和史を解く意外な鍵|date = 2012-12|publisher = 主婦の友インフォス情報社|isbn = 978-4-07-283914-0|page = 142}}</ref>。
: 本邸は1926年7月、付属邸は1935年(昭和10年)完成<ref name=20190423sankei>[https://www.sankei.com/article/20190423-QQTPCLIW4VILFNHXLPBQWAEKFE/ 那須御用邸「早期建て替えを」老朽化で地元が署名活動] 産経新聞 2019年4月19日</ref>。ご休憩所の嚶鳴(おうめい)亭もある<ref name=20190423sankei/>。
: 本邸は1926年7月、付属邸は1935年(昭和10年)完成<ref name="20190423sankei">{{Cite web |url=https://www.sankei.com/article/20190423-QQTPCLIW4VILFNHXLPBQWAEKFE/ |title=那須御用邸「早期建て替えを」老朽化で地元が署名活動 |date=2019-04-19 |website=[[産経新聞]] |language=ja |access-date=2023-03-10}}</ref>。休憩所の{{読み仮名|嚶鳴|おうめい}}亭もある<ref name="dot-asahi202407">{{Cite web |url=https://dot.asahi.com/articles/-/229252?page=1 |title=ようやく「那須御用邸」にエアコン設置! 「質素」な建物 湿気の傷みも心配 |date=2024-07-27 |website=[[AERA dot.]] |language=ja |accessdate=2024-07-27}}</ref>。
: [[2008年]]([[平成]]20年)には[[明仁|天皇]]・[[上皇后美智子|皇后]]の意向を受け、初めて秋の時期(10月24日 - 27日)に訪れた。
: [[1998年]]([[平成]]10年)に本邸の耐震補強工事実施。付属邸は耐震には問題ないため特に実施せず<ref name="dot-asahi202407" />。
: [[2011年]](平成23年)には、同年[[3月11日]]に発生した[[東日本大震災]]により、[[福島県]]から避難した被災者に対し、風呂などの一部施設を天皇・皇后の意向により開放した<ref>[https://web.archive.org/web/20110326215927/http://www.asahi.com/national/update/0325/TKY201103250533.html asahi.com(朝日新聞社):御用邸の風呂、被災者へ提供 眞子さまらタオル袋詰め - 社会]</ref>。
: [[2008年]](平成20年)には天皇[[明仁]]・皇后[[上皇后美智子|美智子]]の意向を受け、初めて秋の時期(10月24日 - 27日)に訪れた。
: 豊かな自然環境を保護しつつ、国民が自然に直接ふれあえる場として活用してはどうかという第125代天皇明仁の意向を受けて、[[2007年]](平成19年)に御用邸敷地の約半分の570[[ヘクタール]]が[[宮内庁]]から[[環境省]]に移管され、一般開放に向けて自然環境のモニタリング調査や、フィールドセンター等の施設整備や[[遊歩道]]などの整備が進められ、2011年(平成23年)[[5月22日]]、天皇陛下御在位20年という節目の機会に[[日光国立公園]][[那須平成の森]]として開園した<ref name="heiseinomori">[https://web.archive.org/web/20190519143915/http://www.nasuheiseinomori.go.jp/parkguide-2 那須平成の森 開園の経緯]</ref>。新型コロナウイルス感染症の流行により那須御用邸での静養は控えられたが2023年8月に4年ぶりに利用された<ref name=20230821nhk/>。
: [[2011年]](平成23年)には、同年[[3月11日]]に発生した[[東日本大震災]]により、[[福島県]]から避難した被災者に対し、風呂などの一部施設を明仁・美智子の意向により開放した<ref>{{Cite web |url=http://www.asahi.com/national/update/0325/TKY201103250533.html |title=御用邸の風呂、被災者へ提供 眞子さまらタオル袋詰め - 社会 |date=2011-03-25 |work=[[asahi.com]] |publisher=朝日新聞社 |language=ja |access-date=2011-03-31 |archive-url=https://web.archive.org/web/20110326215927/http://www.asahi.com/national/update/0325/TKY201103250533.html |archive-date=2011-03-26}}</ref>。
; 葉山御用邸(はやまごようてい)
: 豊かな自然環境を保護しつつ、国民が自然に直接ふれあえる場として活用してはどうかという明仁の意向を受けて、[[2007年]](平成19年)に御用邸敷地の約半分の570[[ヘクタール]]が[[宮内庁]]から[[環境省]]に移管され、一般開放に向けて自然環境のモニタリング調査や、フィールドセンター等の施設整備や[[遊歩道]]などの整備が進められ、2011年(平成23年)[[5月22日]]、明仁の「天皇陛下御在位20年」という節目の機会に[[日光国立公園]][[那須平成の森]]として開園した<ref name="heiseinomori">{{Cite web |url=http://www.nasuheiseinomori.go.jp/parkguide-2 |title=那須平成の森 開園の経緯 |publisher=那須平成の森 |language=ja |access-date=2012-10-03 |archive-url=https://web.archive.org/web/20190519143915/http://www.nasuheiseinomori.go.jp/parkguide-2 |archive-date=2019-05-19}}</ref>。
:[[神奈川県]][[三浦郡]][[葉山町]]({{Coord|35|15|40.7|N|139|34|41.4|E|region:JP-14|name=葉山御用邸}})、[[1894年]](明治27年) -
: [[新型コロナウイルス感染症 (2019年)]]の流行により那須御用邸での静養は自粛していたが2023年8月に4年ぶりに[[徳仁]]一家が利用した<ref name="20230821nhk" />。
: [[2023年]](令和5年)、[[エアーコンディショナー|エアコン]]が設置された<ref name="dot-asahi202407" />。
; {{読み仮名|葉山御用邸|はやまごようてい}}
: [[神奈川県]][[三浦郡]][[葉山町]]({{Coord|35|15|40.7|N|139|34|41.4|E|region:JP-14|name=葉山御用邸}})
: [[1894年]](明治27年)設置 -
: 主に2月 - 3月に訪れている。大正天皇が[[崩御]]した所である。
: [[1894年]](明治27年)着工。嘉仁親王は幼小時健康が優れず、侍医の[[エルヴィン・フォン・ベルツ]]が葉山を保養地として勧めたという<ref>{{sfn|澤村[|2014:|pp=20-70]</ref>}}。[[1916年]](大正5年)公的な建物増設{{sfn|小沢|2008|p=157}}。
: [[1926年]](大正15年)[[12月25日]]、[[大正天皇]][[崩御]]に伴い、[[皇太子]]裕仁親王が[[践祚]]した。葉山御用邸に隣接する場所には裕仁親王践祚記念碑が設置されている。
: [[1950年]](昭和25年)、附属地の一部2600坪が用途廃止<ref>{{Cite book |和書 |author=宮内庁 |title=昭和天皇実録 |volume=第十一 |publisher=東京書籍 |date=2017-03-30 |page=88 |isbn=978-4-487-74411-4}}</ref>。
: [[1971年]]([[昭和]]46年)に建物が焼失([[葉山御用邸放火事件]])したが、[[1981年]](昭和56年)に再建された。
: [[1971年]](昭和46年)に建物が焼失([[葉山御用邸放火事件]])したが、[[1981年]](昭和56年)に再建された。昭和天皇が皇位継承した付属邸内「践祚の間」は付属邸の解体に際し現在の御用邸本邸に移築されている。
: [[1987年]](昭和62年)に付属邸跡地が[[葉山しおさい公園]]として開園した<ref>日本国内の優れた日本庭園を選出する[[ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング#「しおさいランキング」|しおさいランキング]]の由来となっている</ref>。公園内のしおさい博物館には[[昭和天皇]]の採集した生物の[[標本]]などが展示されている。
: [[1987年]](昭和62年)に付属邸跡地が[[葉山しおさい公園]]として開園した<ref>日本国内の優れた日本庭園を選出する[[ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング#「しおさいランキング」|しおさいランキング]]の由来となっている。</ref>。公園内のしおさい博物館には焼失を免れた内玄関の御車寄が移築されていて、[[昭和天皇]]の採集した生物の[[標本 (分類学)|標本]]などが展示されている。
: 葉山は、横須賀港から直接訪れる事が可能だったことから、海軍に属していた東伏見宮依仁親王などが葉山に別邸を建設し、最盛期には御用邸を含めて五家の皇族別邸が立ち並んだ{{sfn|小沢|2008|p=168}}。
; {{読み仮名|須崎御用邸|すざきごようてい}}
: [[静岡県]][[下田市]]須崎({{Coord|34|40|6.9|N|138|58|32.1|E|region:JP-22|name=須崎御用邸}})
: [[1971年]](昭和46年)設置 -
: 主に7月 - 8月に訪れている。
: 廃止した沼津御用邸の代わりとして{{sfn|星野|1987|p=279}}、かつての[[三井財閥]]の[[別荘]]の敷地を、[[日本国政府]]が買い取り御用邸にした。
: 本邸は海岸から少し上がった場所に鉄筋コンクリート造の平屋と地下室があり邸内には海洋生物研究用の研究室もある。本邸から少し坂を下った場所にある1934年(昭和9年)建設の三井家別荘を増改築したスペイン風の建物(地上2階、地下1階)を附属邸としている。御用邸敷地内には、昭和天皇が好んだパッション・ジュース用の柑橘園{{sfn|星野|1987|p=285}}や、[[プライベートビーチ]]がある。
: 邸内には[[プライベートビーチ]]がある。
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== かつて存在した御用邸 ==
{{座標一覧}}
: 1930年(昭和5年)、宮内省は[[離宮]]、御用邸の整理計画を策定。名古屋城のほか、武庫離宮、静岡御用邸、熱海御用邸、鎌倉御用邸、小田原御用邸、宮ノ下御用邸の廃止が打ち出された<ref>廃止に決定した一離宮、五御用邸『東京日日新聞』昭和5年8月24日夕刊(『昭和ニュース事典第2巻 昭和4年-昭和5年』本編p113 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)</ref>が、実際の廃止時期にはばらつきが出た。
: 1930年(昭和5年)、宮内省は[[離宮]]、御用邸の整理計画を策定。[[名古屋城]]のほか、[[須磨離宮公園|武庫離宮]]、静岡御用邸、熱海御用邸、鎌倉御用邸、小田原御用邸、宮ノ下御用邸の廃止が打ち出された<ref>{{Cite book |和書 |editor=昭和ニュース事典編纂委員会 |editor2=毎日コミュニケーションズ |title=昭和ニュース事典 |volume=第2巻(昭和4年〜昭和5年) |publisher=毎日コミュニケーションズ |at=本編 p.113 |date=1994-06 |chapter=廃止に決定した一離宮、五御用邸『東京日日新聞』昭和5年8月24日夕刊 |isbn=4-89563-138-9}}</ref>が、実際の廃止時期にはばらつきが出た。
* 横浜御用邸([[伊勢山皇大神宮#伊勢山離宮|伊勢山離宮]])([[神奈川県]][[横浜市]]) - [[1875年]](明治8年)設置、[[1884年]](明治17年)廃止。[[1885年]](明治18年)、横浜港の海軍東海鎮守府跡を代用。[[伊勢山皇大神宮]]隣接地。
; 横浜御用邸([[伊勢山皇大神宮#伊勢山離宮|伊勢山離宮]])
* [[神戸御用邸]]([[兵庫県]][[神戸市]]) - [[1886年]](明治19年)設置、專崎彌五平邸を買い上げ。[[1907年]](明治40年)廃止・[[三菱倉庫|東京倉庫]]に払い下げ。跡地は[[神戸ハーバーランド]]の一部。
:
* [[熱海御用邸]](静岡県[[熱海市]]) - 嘉仁親王の避寒用{{sfn|小沢|2008|p=167}}として[[1888年]](明治21年)設置、[[1928年]](昭和3年)廃止。1936年(昭和11)年から「逍遥先生記念熱海図書館」に。[[1950年]](昭和25年)の[[熱海大火]]で焼失。敷地は熱海市役所に払い下げ。
: 神奈川県[[横浜市]]({{coord|35|27|4.54|N|139|37|37.20|E|name=横浜御用邸}})
* [[伊香保御用邸]]([[群馬県]][[伊香保町]]) - [[1890年]](明治23年)設置、[[1945年]](昭和20年)廃止。跡地は[[群馬大学]]伊香保研修所。
: [[1875年]](明治8年)5月24日設置 - [[1885年]](明治18年)2月25日廃止
* [[山内御用邸|山内(さんない)御用邸]](栃木県[[日光市]]) - 昌子内親王と房子内親王用として{{sfn|小沢|2008|p=156}}、[[日光東照宮]]迎賓館「朝暘館」を買い上げ[[1890年]](明治23年)設置。1947年(昭和22年)廃止。ホテルを経て、[[1963年]](昭和38年)から現在まで[[輪王寺]]本坊として現存。
: 横浜港から船舶利用時の休憩所として、三井組所有の家屋を神奈川県が買取したのを宮内省に引き渡され、当初は伊勢山離宮と命名されたが規模が小さいので、[[1881年]](明治14年)横浜御用邸に改称{{sfn|澤村|2014|p=108}}。(新)横浜御用邸整備後の1885年に役割を終えて神奈川県知事に払い下げ{{sfn|澤村|2014|p=110}}。
* [[沼津御用邸]](静岡県[[沼津市]]) - 嘉仁親王用として{{sfn|小沢|2008|p=156}}、[[1893年]](明治26年)設置。設置当時は御座所と御学問所を兼ねる1棟と玄関棟のみの小規模な構成で、2年後の1895年(明治28年)に新御座所と女官棟が造設、1900年(明治33年)の嘉仁親王の結婚の翌年には、洋館の御書斎と御食堂(設計は片山東熊{{sfn|小沢|2008|p=158}})が建てられ、旧御座所は東宮妃の御座所とされた{{sfn|小沢|2008|p=156-157}}。1945年(昭和20年)の[[沼津大空襲]]で本邸を焼失[[1969年|。1969年]](昭和44年)廃止。現在の[[沼津御用邸記念公園]]。西附属邸と東附属邸が現存。
; (新)横浜御用邸
* [[宮ノ下御用邸]](神奈川県[[箱根町]]) - 允子内親王および聡子内親王用として{{sfn|小沢|2008|p=156}}、[[1895年]](明治28年)設置。後に[[高松宮]]家別邸。1946年(昭和21年)[[富士屋ホテル]]に払い下げ、現在は同ホテル別館「菊華荘」。
: 神奈川県横浜市
* [[高輪南町御用邸]]([[東京都]][[港区 (東京都)|港区]]) - [[後藤象二郎]]旧邸を買い上げ[[1898年]](明治31)年設置、宮家の御仮寓所として[[朝香宮]]家、[[東久邇宮]]家などが使用。戦後、[[京浜急行電鉄]]が取得し、[[1971年]](昭和46年)「[[ホテルパシフィック東京|ホテル・パシフィック東京]]」が開業(2010年閉業)。
: [[1884年]](明治17年)、横浜港の海軍東海鎮守府が横須賀に移転し跡地を宮内省管理として御用邸化。[[1907年]](明治40年)廃止となり御殿は[[周布公平]]へ、土地と残りの建物は翌年に帝室林野管理局へ引き渡し{{sfn|澤村|2014|p=110}}。[[伊勢山皇大神宮]]隣接地。
* [[日光田母沢御用邸記念公園|田母沢御用邸]](栃木県日光市) - 嘉仁親王用として{{sfn|小沢|2008|p=156}}、[[1899年]](明治32年)設置、1945年(昭和20年)廃止し、[[大蔵省]][[財務局|関東財務局]]の管理下に。[[2000年]]([[平成]]12年)、修復工事を経て[[日光田母沢御用邸記念公園]]として一般公開。[[2003年]](平成15年)国の[[重要文化財]]に指定。
; [[神戸御用邸]]
* [[鎌倉御用邸]](神奈川県[[鎌倉市]]) - 允子内親王および聡子内親王用として{{sfn|小沢|2008|p=156}}、[[1899年]](明治32年)設置。[[1923年]](大正12年)の関東大震災で大破し、[[1931年]](昭和6年)廃止。跡地は[[鎌倉市立御成小学校]]、[[鎌倉市役所]]、[[鎌倉市図書館#図書館サービスの拡大|鎌倉市中央図書館]]。
: [[File:Kobe-meijitenno-goyotei.JPG|thumb|[[神戸ハーバーランド|神戸御用邸]]跡の石碑]]
* [[静岡御用邸]](静岡県[[静岡市]]) - [[1900年]](明治33年)設置、[[1930年]](昭和5年)廃止。1945年(昭和20年)[[静岡大空襲]]で焼失。跡地は[[静岡市役所]]。
: [[兵庫県]][[神戸市]]({{coord|34|40|51.72|N|135|10|56.64|E|name=神戸御用邸}})
* [[小田原御用邸]](神奈川県[[小田原市]]) - 昌子内親王および週宮房子内親王用として{{sfn|小沢|2008|p=156}}、[[1901年]](明治34年)設置。1923年(大正12年)の関東大震災で損壊し1930年(昭和5年)廃止。[[小田原城]]二の丸に設けられる。[[恒久王妃昌子内親王|常宮]]御座所は[[光明寺 (横浜市南区)|光明寺]]書院客殿として現存。
: [[1886年]](明治19年)8月25日設置 - [[1907年]](明治40年)廃止
* [[塩原御用邸]](栃木県[[那須塩原市]]) - 嘉仁親王用として{{sfn|小沢|2008|p=156}}、[[1904年]](明治37年)設置、[[1946年]](昭和21年)廃止。後の[[国立光明寮]]国立塩原視力障害センター。天皇御座所が「[[塩原温泉天皇の間記念公園]]」に移築され現存。
: 行在所でもあった專崎彌五平邸を買い上げ御用邸とした。静養地としての御用邸より宿泊休憩地として使われた。宇治川河口にあり宇治川御用邸ともいわれた{{sfn|澤村|2014|p=110}}。[[1897年]](明治30年)に改築する計画ができ礎石工事が行われたが中止され資材は静岡御用邸に転用。[[1907年]](明治40年)[[三菱倉庫|東京倉庫]]に払い下げ。跡地は[[神戸ハーバーランド]]の一部{{sfn|澤村|2014|p=110-114}}。{{Clear|right}}
* [[常盤松御用邸]](東京都[[渋谷区]]) - 戦災で焼け残った[[依仁親王妃周子|東伏見宮妃周子]]の邸宅を、1945年(昭和20年)から皇族の共用殿邸として使用。[[1949年]](昭和24年)から[[明仁|皇太子明仁親王]]の東宮仮御所、[[1964年]](昭和39年)から現在まで[[常陸宮]]邸。
; [[熱海御用邸]]
: 静岡県[[熱海市]]({{coord|35|5|46|N|139|4|18|E|name=熱海御用邸}})
: [[1888年]](明治21年)設置 - [[1928年]](昭和3年)廃止
: 嘉仁親王の避寒用として使われた。1936年(昭和11年)から「逍遥先生記念熱海図書館」に。[[1950年]](昭和25年)の[[熱海大火]]で焼失。敷地は熱海市役所に払い下げ。{{Clear|right}}
; [[伊香保御用邸]]
: [[群馬県]][[伊香保町]]({{coord|36|29|48|N|138|55|6|E|name=伊香保御用邸}})
: [[1890年]](明治23年)設置 - [[1945年]](昭和20年)廃止
: [[1952年]](昭和27年)焼失。跡地は[[群馬大学]]伊香保研修所となり、沓脱石が玄関に残されている。{{Clear|right}}
; [[山内御用邸|日光御用邸]]
: 栃木県[[日光市]]({{coord|36|45|16|N|139|35|57|E|name=日光御用邸}})
: [[1890年]](明治23年)設置 - [[1945年]](昭和20年)廃止
: {{読み仮名|山内|さんない}}御用邸とも。[[恒久王妃昌子内親王|昌子内親王]]と[[北白川房子|房子内親王]]用として{{sfn|小沢|2008|p=156}}、[[日光東照宮]]迎賓館「朝暘館」を買い上げた。[[太平洋戦争]]中は[[常陸宮正仁親王|正仁親王]]の疎開先として使われた{{sfn|星野|1987|p=122}}。廃止後は栃木県が無償で借り受け外国人用ホテルや博物館として使用{{sfn|安生|2018|p=82}}、[[1960年]](昭和35年)に二社一寺に払い下げられ、現在まで[[輪王寺]]本坊として現存{{sfn|安生|2018|p=83}}。{{Clear|right}}
; [[沼津御用邸]]
: [[File:Numazu Goyotei Park1.JPG|thumb|[[沼津御用邸記念公園]]西附属邸の車寄(2008年6月17日撮影)]]
: 静岡県[[沼津市]]({{coord|35|4|17|N|138|52|23|E|name=沼津御用邸}})
: [[1893年]](明治26年)設置 - [[1969年]](昭和44年)廃止
: 嘉仁親王用として設置{{sfn|小沢|2008|p=156}}され、後に昭和天皇が毎年冬に使用し、太平洋戦争後は貞明皇后が西付属邸に長期間滞在した{{sfn|星野|1987|p=277}}。設置当時は御座所と御学問所を兼ねる1棟と玄関棟のみの小規模な構成で、2年後の1895年(明治28年)に新御座所と女官棟が造設、1900年(明治33年)の嘉仁親王の結婚の翌年には、洋館の御書斎と御食堂(設計は片山東熊{{sfn|小沢|2008|p=158}})が建てられ、旧御座所は東宮妃の御座所とされた{{sfn|小沢|2008|p=156-157}}。1945年(昭和20年)の[[沼津大空襲]]で本邸を焼失。現在の[[沼津御用邸記念公園]]。西附属邸と東附属邸が現存。{{Clear|right}}
; [[宮ノ下御用邸]]
: 神奈川県[[足柄下郡]][[箱根町]]({{coord|35|14|42.42|N|139|3|30.37|E|name=宮ノ下御用邸}})
: [[1895年]](明治28年)設置 - [[1946年]](昭和21年)廃止
: [[鳩彦王妃允子内親王|允子内親王]]および[[東久邇聡子|聡子内親王]]用として{{sfn|小沢|2008|p=156}}使われ、後に[[高松宮]]家別邸。1946年(昭和21年)[[富士屋ホテル]]に払い下げ、主要部のみ残し、現在は同ホテル別館「菊華荘」。{{Clear|right}}
; [[高輪南町御用邸]]
: [[東京都]][[港区 (東京都)|港区]]({{coord|35|37|47|N|139|44|9|E|name=高輪南町御用邸}})
: [[1898年]](明治31)設置 - [[1945年]](昭和20年)廃止
: [[後藤象二郎]]旧邸を買い上げ、宮家の御仮寓所として[[朝香宮]]家、[[東久邇宮]]家などが使用。戦後、解体され、土地の一部を[[京浜急行電鉄]]が取得し、[[1971年]](昭和46年)「[[ホテルパシフィック東京|ホテル・パシフィック東京]]」が開業(2010年閉業)。{{Clear|right}}
; [[日光田母沢御用邸記念公園|田母沢御用邸]]
: [[File:Tamozawa06.jpg|thumb|[[日光田母沢御用邸記念公園]]]]
: 栃木県日光市({{coord|36|45|9|N|139|35|29|E|name=田母沢御用邸}})
: [[1899年]](明治32年)設置 - [[1945年]](昭和20年)廃止
: 嘉仁親王用として{{sfn|小沢|2008|p=156}}使われた。廃止後は物納され[[大蔵省]][[財務局|関東財務局]]の管理下に。日光御用邸とともに栃木県が借り受け、修学旅行用の宿泊施設兼博物館として使用{{sfn|安生|2018|p=82}}。[[2000年]]([[平成]]12年)、修復工事を経て[[日光田母沢御用邸記念公園]]として一般公開。[[2003年]](平成15年)国の[[重要文化財]]に指定。
: 近くに北白川宮と竹田宮が別邸を構えていた{{sfn|安生|2018|p=86-88}}。{{Clear|right}}
; [[鎌倉御用邸]]
: 神奈川県[[鎌倉市]]({{coord|35|19|8|N|139|32|49|E|name=鎌倉御用邸}})
: [[1899年]](明治32年)設置 - [[1931年]](昭和6年)廃止
: 允子内親王および聡子内親王用として{{sfn|小沢|2008|p=156}}使われた。[[1923年]](大正12年)の関東大震災で大破し解体され、跡地は[[鎌倉市立御成小学校]]、[[鎌倉市役所]]、[[鎌倉市図書館#図書館サービスの拡大|鎌倉市中央図書館]]。冠木門のみ現存。{{Clear|right}}
; [[静岡御用邸]]
: 静岡県[[静岡市]]({{coord|34|58|30|N|138|22|58|E|name=静岡御用邸}})
: [[1900年]](明治33年)設置 - [[1930年]](昭和5年)廃止
: 1945年(昭和20年)[[静岡大空襲]]で焼失。跡地は[[静岡市役所]]。{{Clear|right}}
; [[小田原御用邸]]
: 神奈川県[[小田原市]]({{coord|35|15|3|N|139|9|23|E|name=小田原御用邸}})
: [[1901年]](明治34年)設置 - [[1930年]](昭和5年)廃止
: 昌子内親王および房子内親王用として{{sfn|小沢|2008|p=156}}、[[1901年]](明治34年)設置。1923年(大正12年)の関東大震災で損壊し解体。[[小田原城]]二の丸に設けられる。[[恒久王妃昌子内親王|常宮]]御座所は[[光明寺 (横浜市南区)|光明寺]]書院客殿として現存。{{Clear|right}}
; [[塩原御用邸]]
: 栃木県[[那須塩原市]]({{coord|36|57|47|N|139|50|31|E|name=塩原御用邸}})
: [[1904年]](明治37年)設置 - [[1946年]](昭和21年)廃止
: 嘉仁親王用として{{sfn|小沢|2008|p=156}}使われた。廃止後は[[国立光明寮]]国立塩原視力障害センターとして[[2013年]](平成25年)まで使用された。[[1981年]](昭和56年)センターの整備拡充のためた天皇御座所が「[[塩原温泉天皇の間記念公園]]」へ移築され現存。御用邸跡地には防空壕跡と冠木門のみ残る。{{Clear|right}}
; [[常盤松御用邸]]
: 東京都[[渋谷区]]({{coord|35|39|27|N|139|42|45|E|name=常盤松御用邸}})
: 1945年(昭和20年)設置 - [[1964年]](昭和39年)廃止
: 戦災で焼け残った[[依仁親王妃周子|東伏見宮妃周子]]の邸宅を、1945年(昭和20年)から皇族の共用殿邸として使用。[[1949年]](昭和24年)から[[明仁|皇太子明仁親王]]の東宮仮御所、[[1964年]](昭和39年)から現在まで[[常陸宮]]邸。
 
== 計画倒れの御用邸 ==
{{座標一覧}}
; {{読み仮名|初声御用邸|はっせごようてい}}
: 神奈川県[[三浦郡]][[初声村]](現在の[[三浦市]])({{coord|35|10|11.34|N|139|37|8.21|E|name=初声御用邸}})
: [[1928年]](昭和3年)に昭和天皇が[[ヒドロ虫]]の研究の為に海辺の御用邸を希望したため、御用邸を建設する計画が立てられたが、[[1929年]](昭和4年)に[[世界恐慌]]が発生したため、建設の延期がされた。しかし[[1930年]](昭和5年)に[[昭和恐慌]]が発生し、計画は立ち消えになった。[[光照寺 (三浦市)|光照寺]]の裏手が御用邸の建設予定地とされていて、三浦市道17号線は通称「御用邸道路」と名を残している<ref>{{Cite web |url=https://www.sankei.com/article/20161024-4CCYXHBZ2BKWZAMOEUS3KCCZSU/ |title=三浦に「幻の御用邸」 昭和初期計画、道の名に残る面影 |date=2016-10-24 |website=産経新聞:産経ニュース |language=ja |access-date=2024-09-26}}</ref>。
 
== 御用邸における対応 ==
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[[第二次世界大戦]]後の1947年(昭和24年)、御用邸へ行幸啓する際の人員の見直しが行われ、供奉員は侍従長、侍従2人、侍医1人、女官長、女官1人、事務官2人、殿部仕人4人、内舎人1人等と大幅な削減が行われた。また、葉山御用邸の場合、[[神奈川県知事]]以下の県職員、地元の葉山町関係者の随行、参邸が行われていたが、これを遠慮することとした<ref>{{Cite book |和書 |author=宮内庁 |title=昭和天皇実録 |volume=第十 |publisher=東京書籍 |date=2017-03-30 |page=778 |isbn=978-4-487-74410-7}}</ref>。
ファイル:Kobe-meijitenno-goyotei.JPG|[[神戸ハーバーランド|神戸御用邸]]跡の石碑
File:Numazu Goyotei Park1.JPG|[[沼津御用邸記念公園]]西附属邸の車寄(2008年6月17日撮影)
ファイル:Tamozawa06.jpg|[[日光田母沢御用邸記念公園]]
</gallery>
 
== 出典 ==
{{Reflist|12}}
 
== 参考文献 ==
* {{cite book |和書 |author=星野甲子久 |title=天皇陛下 : Data-book |publisher=[[日本テレビ放送網]] |date=1987-04-12 |ISBN=4-8203-8721-9 |ref={{sfnref|星野|1987}}}}
*[[澤村修治]]『天皇のレゾート 御用邸をめぐる近代史』2014年 [[図書新聞]] ISBN 978-4-88611-460-0
* {{cite book |和書 |author=小沢朝江 |title=明治の皇室建築 |publisher=[[吉川弘文館]] |date=2008-11-01 |ISBN=978-4-642-05663-2 |ref={{sfnref|小沢|2008}}}}
**上記の本は御用邸一般に関しても詳しい。
**オンデマンド版[https://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b594441.html] 2021年 ISBN 9784642756631
* {{cite book|和書|author=小沢朝江 |title=明治の皇室建築 |publisher=吉川弘文館 |date=2008-11-01 |ISBN=978 4-642-05663-2 |ref={{sfnref|小沢|2008}}}}
* {{cite book |和書 |author=澤村修治 |author-link=澤村修治 |title=天皇のリゾート 御用邸をめぐる近代史 |publisher=[[図書新聞]] |date=2014-12-10 |ISBN=978-4-88611-460-0 |ref={{sfnref|澤村|2014}}}}
* {{cite book|和書|author=安生信夫|title=忘れられた明治の日光 近代日光の史跡を訪ねて|publisher=随想舎|date=2018-04-18|isbn=978-4-88748-348-4|ref={{sfnref|安生|2018}}}}
 
== 関連項目 ==
* [[皇居]] - [[御所]]
* [[御用地]]
* [[宮邸]]([[宮家]]の[[邸宅]])
* [[御殿・御茶屋]]([[将軍家]]の[[別荘]])
* [[御苑]]
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== 外部リンク ==
* [https://www.kunaicho.go.jp/about/shisetsu/kokyo/goyotei.html 御用邸 - 宮内庁]
* [https://shoryobu.kunaicho.go.jp/Kobunsho/Search?Keyword=%E5%BE%A1%E7%94%A8%E9%82%B8%EF%BC%88%E5%86%99%E7%9C%9F%E5%B8%B3%EF%BC%89&KeywordOp=0&HasImage=true&Sort=refNo&limit=50&searchType=Freeword&Offset=0&HasImage=false 御用邸(写真帳)]
 
{{天皇項目}}
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{{デフォルトソート:こようてい}}
[[Category:別荘御用邸|*]]
[[Category:日本の別荘|*]]
[[Category:皇室建築]]
[[Category:皇室の施設]]