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{{Otheruses|日本の格闘家|漫画『[[キン肉マン]]』に登場する「超人」|ラーメンマン}}
{{基礎情報 皇族・貴族
{{Infobox プロレスラー
| 人名 = レオノール・デ・アウストリア<br>エレオノール・ドートリッシュ
| 名前 = モンゴルマン
| 各国語表記 = Leonor de Austria<br>Éléonore d'Autriche
| リングネーム = '''モンゴルマン'''<br />ザ☆モンゴルマン<br />斉藤 旭資
| 家名・爵位 = ポルトガル王妃<br>フランス王妃
| 本名 = 斉藤 俊一
| 画像 = Joos_van_Cleve_003.jpg
| ニックネーム =
| 画像サイズ = 160px
| 画像説明身長 = 183cm
| 続柄体重 = 110kg
| 誕生日 = {{生年月日と年齢|1970|4|28}}
| 称号 =
| 全名死亡日 =
| = [[千葉県]][[旭市]]
| 敬称所属 =
| スポーツ歴 = [[柔道・空手]]
| 出生日 = [[1498年]][[11月15日]]
| トレーナー =
| 生地 = [[ルーヴェン]]
| 死亡日デビュー = [[15581991年]][[28257日]]
| 称号引退 =
| 没地 = {{ESP1506}}、タラベラ・ラ・レアル
| 埋葬日 =
| 埋葬地 =
| 配偶者1 = [[ポルトガル王国|ポルトガル]]王[[マヌエル1世 (ポルトガル王)|マヌエル1世]]
| 配偶者2 = [[フランス王国|フランス]]王[[フランソワ1世 (フランス王)|フランソワ1世]]
| 子女 = カルロス<br>[[マリア・デ・ポルトゥガル (1521-1577)|マリア]]
| 父親 = [[フェリペ1世 (カスティーリャ王)|フィリップ美公]]
| 母親 = [[カスティーリャ王国|カスティーリャ]]女王[[フアナ (カスティーリャ女王)|フアナ]]
| 役職 =
| 宗教 =
| サイン =
}}
'''レオノール・デ・アウストリア'''([[スペイン語]]名:Leonor de Austria, [[1498年]][[11月15日]] - [[1558年]][[2月25日]])は、[[ハプスブルク家]]の[[フェリペ1世 (カスティーリャ王)|フィリップ美公]]と[[カスティーリャ王国|カスティーリャ]]女王[[フアナ (カスティーリャ女王)|フアナ]]の長女。[[ポルトガル王国|ポルトガル]]王[[マヌエル1世 (ポルトガル王)|マヌエル1世]]の王妃、後に[[フランス王国|フランス]]王[[フランソワ1世 (フランス王)|フランソワ1世]]の王妃となった。[[フランス語]]名は'''エレオノール・ドートリッシュ'''(Éléonore d'Autriche)または'''エレオノール・ド・アブスブール'''(Éléonore de Habsbourg)。名前は他にも[[ドイツ語]]名でエレオノーレ(Eleonore)などとも呼ばれる。
 
'''モンゴルマン'''([[1970年]][[4月28日]] - )は、[[日本]]の[[プロレスラー]]、[[格闘家]]。本名:'''斉藤 俊一'''(さいとう しゅんいち)。
==生涯==
[[フランドル]]の[[ルーヴェン]]でフィリップとフアナの第1子として生まれる。
 
== 系譜経歴 ==
若い頃には[[イングランド王国|イングランド]]([[ヘンリー7世 (イングランド王)|ヘンリー7世]]や[[ヘンリー8世 (イングランド王)|ヘンリー8世]])、フランス([[ルイ12世 (フランス王)|ルイ12世]]やフランソワ1世)、[[ポーランド王国|ポーランド]]([[ジグムント1世]])など、数々の王家から結婚の申し入れがあったが、1518年にポルトガル王マヌエル1世の3番目の王妃となった。マヌエル1世の2人の先妻[[イサベル・デ・アラゴン・イ・カスティーリャ|イサベル]]と[[マリア・デ・アラゴン・イ・カスティーリャ|マリア]]は、いずれもレオノールの母フアナ女王の姉妹であった。マヌエル1世とレオノールとの間には王子カルロス(夭逝)、王女[[マリア・デ・ポルトゥガル (1521-1577)|マリア]]の2子が生まれたが、マヌエル1世は1521年に死去した。
[[1991年]]8月、[[東京]]・[[後楽園ホール]]で行われた[[W★INGプロモーション|世界格闘技連合W★ING]]の旗揚げでの対ジェット・ジャガー戦にてデビュー。
 
ジェット・ジャガーが、旗揚げ前の宣伝で、有名な[[格闘家]]の変身であるかのような扱われ方をされたため、その対戦相手として過度の期待をされてしまうが、実際の試合はお世辞にもレベルが高い試合とは言えず、観客から失笑される(これについては、後にモンゴルマン本人が、「プロレスのリングに上がるために無理なウエイトアップを行ったため、動きが鈍くなってしまった」と発言している)。
その後しばらくは未亡人として暮らしていたが、1530年に弟カール5世と敵対していたフランス王[[フランソワ1世 (フランス王)|フランソワ1世]]と再婚した。2人の間に子供は生まれず、またフランス宮廷において政治に関わることはほとんどなかったが、カール5世とフランソワ1世との間の橋渡し役になった。
 
W★INGにはその一戦のみの登場となり、その後、[[フリーランス]]として[[IWA格闘志塾]]等のインディー団体に活動の場を移し、[[喧嘩プロレス二瓶組]]に所属した後、現在は[[サンライズねわざワールド]]所属。
1558年に死去したが、同じ年に弟カール5世、妹マリアも死去している。
 
プロレスデビュー前は創成期の総合格闘技大会に出場しており、格闘技志向が強かったと思われる。実際、プロレスを引退して総合格闘家に転身。柔術の大会にも出場を続け、全日本優勝などの実績も残している。
== 系譜 ==
{| class="wikitable"
|-
| rowspan="8" align="center" style="background-color:#fdd"| '''レオノール'''
| rowspan="4" align="center"| '''父:'''<br />[[フェリペ1世 (カスティーリャ王)|フィリップ美公<br>(カスティーリャ王フェリペ1世)]]
| rowspan="2" align="center"| '''祖父:'''<br />[[マクシミリアン1世 (神聖ローマ皇帝)]]
| align="center"| '''曽祖父:'''<br />[[フリードリヒ3世 (神聖ローマ皇帝)]]
|-
| align="center"| '''曽祖母:'''<br />[[エレオノーレ・フォン・ポルトゥガル|エレオノーレ (ポルトガル王女)]][1]
|-
| rowspan="2" align="center"| '''祖母:'''<br />[[マリー・ド・ブルゴーニュ|マリー (ブルゴーニュ女公)]]
| align="center"| '''曽祖父:'''<br />[[シャルル (ブルゴーニュ公)]]<br>(突進公/豪胆公)[2]
|-
| align="center"| '''曽祖母:'''<br />[[イザベル・ド・ブルボン]]
|-
| rowspan="4" align="center"| '''母:'''<br />[[フアナ (カスティーリャ女王)]]
| rowspan="2" align="center"| '''祖父:'''<br />[[フェルナンド2世 (アラゴン王)|フェルナンド2世 (アラゴン王)<br>(カスティーリャ王フェルナンド5世)]]
| align="center"| '''曽祖父:'''<br />[[フアン2世 (アラゴン王)]]
|-
| align="center"| '''曽祖母:'''<br />[[フアナ・エンリケス]]
|-
| rowspan="2" align="center"| '''祖母:'''<br />[[イサベル1世 (カスティーリャ女王)]]
| align="center"| '''曽祖父:'''<br />[[フアン2世 (カスティーリャ王)]]
|-
| align="center"|'''曽祖母:'''<br />[[イサベル・デ・ポルトゥガル (カスティーリャ王妃)|イサベル (ポルトガル王女)]][3]
|}
[1]の父は[[ドゥアルテ1世 (ポルトガル王)]]。[[ジョアン1世 (ポルトガル王)]]の子で、弟に[[エンリケ航海王子]]や[3]の父[[ジョアン・デ・ポルトゥガル (1400-1442)|ジョアン]]、妹に[2]の母[[イザベル・ド・ポルテュガル|イザベル]]がいる。よって、[1]と[2]と[3]は、共にジョアン1世を祖父とするいとこ同士となる。
 
テレビ番組「[[男女8人恋愛ツアー!TOKIOのな・り・ゆ・き!!|なりゆき]]」(「[[あいのり]]」の前身番組)の初代出演メンバーでもある。ここではモンゴルマンのキャラクターが視聴率に大きく貢献し、彼を中心とするイベントも多数開催された。その後は[[SPEED]]主演映画に出演するなど人気を集めたが、芸能界を引退し、斉藤俊一のリングネームで格闘技の世界に戻っている。
なお、最初の夫である[[ポルトガル王国|ポルトガル]]王[[マヌエル1世 (ポルトガル王)|マヌエル1世]]の父[[フェルナンド (ヴィゼウ公)]]もドゥアルテ1世の子であり、[1]の兄である。
 
2006年、総合格闘技団体UBJ SUNRISEにおいて、対戦相手を2ちゃんねるで募集し、応募した2ちゃんねらー「J」(柔道・フルコンタクト空手の使い手の巨漢)と対戦も判定負け。大石道場主催の格闘技イベント『御用改め』で和地康彦(未来格闘塾)と対戦し3R1分45秒腕ひしぎ十字固めで勝利。2007年12月、『御用改め』で、相良イツキ(フリー)との対戦が決まるも、試合直前に[[網膜剥離]]であることが発覚し、総合格闘技からは引退。
弟に
*[[神聖ローマ皇帝]][[カール5世 (神聖ローマ皇帝)|カール5世]](兼[[スペイン]]王)
*[[フェルディナント1世 (神聖ローマ皇帝)|フェルディナント1世]](兼[[ボヘミア王国|ボヘミア]]王・[[ハンガリー王国|ハンガリー]]王)
妹に
*[[イサベル・デ・アウストリア|イサベル]]([[デンマーク]]王[[クリスチャン2世 (デンマーク王)|クリスチャン2世]]の妃)
*[[マリア・フォン・エスターライヒ|マリア]](ハンガリー王・ボヘミア王[[ラヨシュ2世]]の妃)
*[[カタリナ・デ・アウストリア|カタリナ]](マヌエル1世の息子[[ジョアン3世 (ポルトガル王)|ジョアン3世]]の妃)
がいる。
 
柔術家として再起し、2009年6月、日本ブラジリアン柔術連盟「第3回関東ブラジリアン柔術選手権」でシニア青帯ペサディシモ級優勝。2010年4月「第11回全日本選手権大会」アダルト紫帯ペサディシモ級優勝。2011年8月「第12回全日本選手権」でアダルト紫帯ペサディシモ級優勝。2012年3月、「第6回全日本ブラジリアン柔術シニア選手権」で紫帯ウルトラヘビー級/ペサディシモ級優勝。2013年3月「THE柔術FIGHTERS.6」で男子マスター紫帯オープンクラス準優勝。ほか多数の入賞をしているほか、ブラジルで4度の大会出場も果たした。
 
現在の本業は盲学校の教員である。
 
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{{DEFAULTSORT:れおのる}}
 
[[Category:ポルトガルの王妃]]
{{DEFAULTSORT:れおのもんこまん}}
[[Category:フランスの王妃]]
[[Category:カスティーリャ王女日本の総合格闘家]]
[[Category:日本のプロレスゴン王女]]
[[Category:ヴァ覆面レスラーとして活動していたプワ朝の人物レスラー]]
[[Category:W★INGに所属したロレブルク家ラー]]
[[Category:ルーヴェン千葉県出身の人物スポーツ選手]]
[[Category:1498年生旭市出身の人物]]
[[Category:15581970]]
[[Category:存命人物]]