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'''小日本主義'''(しょうにほんしゅぎ)は、[[1910年代]]から[[1920年代]]の[[日本]]で経済雑誌『[[東洋経済新報社#週刊東洋経済|東洋経済新報]]』に拠る[[三浦銕太郎]]・[[石橋湛山]]らが主張した外交思想。当時の国策の主流であった「[[大日本主義]]」を批判するものとして提唱され、政治的・経済的[[自由主義]]と結びついていた点に特徴がある。'''満韓放棄論'''とも言い、ま、より範囲を限定して'''満州放棄論'''とも呼ばれる<ref name=NHK_E>{{Cite web|和書
| title = ETV特集▽昭和天皇が語る 開戦への道 前編 張作霖爆殺事件から日中戦争
| website = [[NHKプラス]]
| work = [[ETV特集|ETV特集]]
| author = [[NHK教育テレビジョン|NHK教育テレビ]](Eテレ)
| publisher = [[日本放送協会]]
| date = 2021-12-04
| url = https://plus.nhk.jp/watch/st/e1_2021120411042?t=1697
| accessdate = 2021-12-08
<!-- | url-status=dead|url-status-date=2021-12-11 -->}}</ref>。
 
== 概要 ==
小日本主義の体系は[[19世紀]]後半より[[イギリス]]で盛んになった「[[小イギリス主義]]」([[w:Little Englander|Little Englandism]])を模範としている。大植民地帝国であった[[大英帝国]]は、実は[[19世紀]]末には[[インド帝国|インド]]を初めとした[[植民地]]が経営上「'''赤字'''」に転落していたといわれ、それと同様でしかもさらに国力が微弱な日本は[[日本統治時代の朝鮮|朝鮮]]、[[日本統治時代の台湾|台湾]]などの植民地経営を行っても行政コストなどの面でやはり「出超」となり無駄が多く、それらの領有を放棄し独立させ、「[[主権]]線」としては[[内地]]すなわち日本本土のみの軍事負担も小さい「通商国家」として繁栄を謳歌しよう、という思想であった。
 
== 歴史的展開 ==
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{{参照方法|date=2014年5月|section=1}}
; 著作集
* 『石橋湛山評論集』([[松尾尊兊]]編・解説)[[岩波文庫]]、[[1984年]]
* 『石橋湛山著作集3:政治・外交論 大日本主義との闘争』([[鴨武彦]]編・解説)[[東洋経済新報社]]、[[1996年]]
* 『大日本主義か小日本主義か:[[三浦銕太郎]]論説集』(松尾尊兊編・解説)[[東洋経済新報社]]、[[1995年]]
; 研究書
* 井口和起『日本帝国主義の形成と東アジア』[[名著刊行会]]、[[2000年]]
** 第二部第三章「『東洋経済新報』の植民政策論 - 一九一〇年代の朝鮮政策論を中心として - 」
* [[松尾尊兊]]『大正デモクラシー』(日本歴史叢書)[[岩波書店]]、[[1974年]]
** 第9章「民本主義者の朝鮮論」
 
=== 脚注 ===
{{脚注ヘルプ}}
<references/>
 
== 関連項目 ==
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*[[小ドイツ主義]]
*[[吉野作造]]
*[[松尾尊兌|松尾尊兊]]
*[[民本主義]]