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{{出典の明記|date=2018年8月}}
{{競艇選手
|画 =
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|身 = 157cm
|体 = 50kg
|血 = [[ABO式血液型|O型]]
|所 = 岡山支部
|登 = 1710
|期 = 13期
|級 = B1級
|特 = 自在
|デ = [[1963年]][[4月13日]]
|引 = [[2013年]]12月
|記 =
|SG =
|G1 =
|G2 =
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|一 =
|優 =
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|そ =
|タ =
* [[競艇の競走格付け#GI (G1)GI(G1)|GI]] [[名人戦競走|名人戦]](2006年)
}}
'''万谷 章'''(まんたに あきら、[[1943年]][[11月19日]] - )は岡山支部所属の[[競艇選手]]である。

登録番号は1710、登録期は13期。身長156cm、[[ABO式血液型|血液型]]は[[ABO式血液型|O型]]。
 
== 略歴 ==
* [[1943年]]([[昭和]]18年)[[11月19日]][[岡山県]]に生まれる<ref>{{Cite web|和書|title=ボートレース大村 > ボートレース殿堂・殿堂マイスター > マイスターリスト|url=http://omurakyotei.jp/special/2013dendo/meister/?touban=1710|website=omurakyotei.jp|accessdate=2020-02-14}}</ref>。
* [[昭和]]18年([[1943年]])[[11月19日]][[岡山県]]に生まれる。
* 昭和38年([[1963年]][[4月13日]]、13期生として[[競艇選手]]デビュー
*唯一の[[スペシャルグレード|SG]]の優出は [[1992年]][[10月]]に[[平和島競艇場]]で行われた[[全日本選手権競走]]にて[[スペシャルグレード|SG]]初優出。5号艇で3コース進入、結果は5着。このときの優勝は史上最年少[[スペシャルグレード|SG]]優勝を果たした[[服部幸男]]。14年後、万谷は史上最年長[[競艇の競走格付け#GI (G1)|GI]]優勝を果たす事となった
:(2012年前期現在、13期で現役なのは万谷選手のみである。)
* [[スペシャルグレード|SG]]・[[競艇の競走格付け#GI (G1)|GI]]で優勝がないまま43年が過ぎたが、[[2006年]]4月、G1第7回[[名人戦競走|競艇名人戦競走]]([[尼崎競艇場]])でGI初優勝。62歳5ヶ月でのGI初優勝となり、G1最年長優勝記録を更新し<ref>{{Cite web|和書|title=Web週間レース・5月20日号<競艇>|url=http://www.syukan-race.co.jp/old_site/back_number/2006/0520/kyoutei_0520.html|website=www.syukan-race.co.jp|accessdate=2020-02-14|publisher=株式会社週間レース社|date=2006-5-20}}</ref>
* [[2007年]]3月昨年の名人戦2優勝により[[鳳凰賞競走|総理大臣杯競走]]に出場し、63歳4か月のSG最年長出場記録者となった(従来の記録は[[加藤峻二]]の62歳5か月)。周囲の「ゴンロク(5着、6着)を並べるのでは」との不安をよそに3着3本と健闘した。なおこの年の名人戦は連覇がかかっていたが、[[スタート事故|フライング休み]]により斡旋されなかった。
*[[2007年]]現在、優勝回数は99回。
*唯一の[[スペシャルグレード|SG]]の優出は[[1992年]][[10月]]に[[平和島競艇場]]で行われた[[全日本選手権競走]]。5号艇で3コース進入、5着。優勝は史上最年少[[スペシャルグレード|SG]]優勝を果たした[[服部幸男]]。14年後、万谷は史上最年長[[競艇の競走格付け#GI (G1)|GI]]優勝を果たす事となった。
*2007年の[[総理大臣杯競走]]に出場し、63歳4か月のSG最年長出場記録者となった。(従来の記録は[[加藤峻二]]の62歳5か月)
*[[2009年]][[5月22日]]、通算2700勝達成(現役勝利数2位、歴代10人目)。
*[[2010年]][[11月14日]]、[[若松競艇場]]での「ビッグベアーズカップ」で最年長優出記録(6666歳11ヶ月)を更新したが、[[2012年]][[12月11日]]、[[福岡競艇場]]優出。当時「日本財団会長杯争奪戦」で最年長優出記録を更新した。結果は5着
*[[2012年]][[12月11日]]、[[福岡競艇場]]での「日本財団会長杯争奪戦」で69歳1ヶ月で優出。自身の持つ最年長優出記録<ref group="注釈">2014年5月6日、[[加藤峻二]]が72歳3ヶ月で優出し記録を更新。</ref>を再更新した。結果は5着。
*[[2013年]]12月、70歳で現役を引退。通算2857勝、優勝回数は99回であった<ref>{{Cite web|和書|title=【ボート】70歳万谷ラストランで1着/デイリースポーツ online|url=https://www.daily.co.jp/horse/2013/12/30/0006606276.shtml|website=デイリースポーツ online|accessdate=2020-02-14|language=ja|publisher=|date=2013-12-30}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=【想艇部】引退・万谷章、地元で惜別白星締め!|url=http://race.sanspo.com/boatrace/news/20140101/btrnws14010104010000-n1.html|website=予想王TV@SANSPO.COM|date=2014-01-01|accessdate=2020-02-14|language=ja-JP}}</ref>。
 
== 人物、エピソード ==
*岡山支部には「イーグル会」をはじめ有力プロペラグループが多いが、万谷はずっと1人でプロペラをやっている。しかし一匹狼と言うわけではなく、[[名人戦競走|名人戦]]優勝の際、岡山支部の選手を筆頭に数多くの選手が水神祭に参加した。しかし実万谷は泳げず、しかも[[4月]]とは言え冷え込んでいたので当初、水神祭は行う予定がなかったが、[[長嶺豊]]が音頭をとり水神祭は行われた<ref>{{Cite web|和書|title=ボートレース特集 競艇:62歳の水神祭!|url=http://kyotei.cocolog-nifty.com/kyotei/2006/04/62_5755.html|website=kyotei.cocolog-nifty.com|accessdate=2020-02-14|publisher=|author=黒須田守|date=2006-04-23}}</ref>
*[[宮島競艇場|宮島]]で行われた[[モーターボート大賞競走|モーターボート大賞]]の優勝戦で[[スタート事故|フライング]]をした時、その後1年ほど控え室に返還額が貼られて非常に気まずい思いをした。
*当時艇王と呼ばれた[[彦坂郁雄]]の最後に出走したレースで1着を獲ったのは万谷だった。彦坂はそのまま整備違反で引退。
*[[総理大臣杯競走]]時、[[ヘルメット]]には[[孫]]2人からの直筆のメッセージが書かれていた。
*[[名人戦競走|名人戦]]優勝により[[2007年]]の[[平和島競艇場]]で開催の[[スペシャルグレード|SG]][[総理大臣杯競走]]の出走権を得て、63歳で出場。周囲の「ゴンロク(5着、6着)を並べるのでは」との不安をよそに3着3本と健闘した。
 
*[[総理大臣杯競走]]時、[[ヘルメット]]には[[孫]]2人からの直筆のメッセージが書かれていた。
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
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== 関連項目 ==
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== 外部リンク ==
* [http://app.boatrace.jp/data/racer_search/1710.php?type=yotei 万谷 章 - BOAT RACE OFFICIAL WEB SITE]
 
{{名人戦競走優勝者}}
{{DEFAULTSORT:まんたに あきら}}
[[Category:競艇選手]]