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愛称は「'''峻ちゃん'''」。若年層の競艇ファンからは、その功績を称えて「'''御大'''」とも称される。
兄
== 来歴 ==
[[サッカー]]少年として育ったが、実兄がオートレーサーになっていたため、自身も16歳の頃にはその同じ道に進もうとしていた。試験にも受かっていたが、養成の関係から2年程待たされるため、[[競艇]]に種目換えした。[[埼玉県立小鹿野高等学校]]を2年で中退し、競艇選手を目指す<ref name=":0" />。[[1959年]][[7月24日]]に[[桐生競艇場|桐生]]でデビュー<ref name=":0" /><ref name=":2">{{Cite web|和書|url=https://sports.yahoo.co.jp/boatrace/column/detail/20120401|title=世界に誇るボートレースの偉人 加藤峻二(前編) - ボートレース - スポーツナビ|accessdate=2018-08-30|website=スポーツナビ|language=ja-JP}}</ref>するが、当時まだ17歳であった。デビュー節は5着・5着・5着・6着と来た3日目の後半戦で初勝利を挙げたが、うねる水面を長尺・幅広の荒天用のボートでグングン突き進み、一気にかましたのである。テクニシャンにして無類の波・風巧者である後年のイメージが早くも出されたが、当時とすれば画期的な成績であった。当時は、先輩には[[軍隊]]出身の猛者もいて強面ぶりを発揮していた環境で、「新人は外から外へ」が習いであり、コース取りに欲を出すようならば、たちどころに一喝された。同年夏には、連合会養成の5期生として[[北原友次]]と加藤が、年末には6期生として[[岡本義則 (競艇選手)|岡本義則]]・[[彦坂郁雄]]・[[浅見敏夫]]・高田登がデビューしたが、初勝利まで北原は1ヵ月半、彦坂は3ヶ月もかかり、岡本などは丸1年、157走もして11勝しか出来なかった。一方の加藤は5戦目に初勝利、1年目は83戦して7勝に甘んじたものの、2年目の[[1960年]]には155戦44勝と一気に数字を伸ばしている。デビューからの4期の勝率も、北原が3.14→4.53→5.07→5.89、岡本が2.79→4.71
→6.01→5.64、彦坂が3.52→4.87→5.73→5.47であるのに対し、加藤は4.19→4.76→5.97→6.87と優秀な数字で4選手の中でもいち早く一線に飛び出していった。[[栗原孝一郎]]も「この世界に天才は2人しか現れていない。加藤さんと[[今村豊|今村]]だけだ」と語っており、[[1962年]]には[[全国地区対抗競走]]7名のメンバーに選出され、[[関東地方|関東]]地区を代表する選手の一人に認められたこの年が、記念キャリアの始まりとなった。[[1965年]]の[[地区選手権競走|関東地区選手権競走]](桐生)でGI初制覇を果たし、[[1969年]]には2回行われた[[全日本選手権競走]]([[3月]]・[[平和島競艇場|平和島]]、[[12月]]・[[住之江競艇場|住之江]])で共に優出。彦坂が1962年に[[尼崎競艇場|尼崎]]10周年を獲って全日本選手権に優出、北原もこの年に全国地区対抗に優出し翌[[1963年]]には[[福岡競艇場|福岡]]10周年を奪取、岡本にしても[[1964年]]には[[徳山競艇場|徳山]]11周年、全国地区対抗と[[競艇の競走格付け#
[[1970年代]]には金子と共に「'''埼玉KK砲'''」としてその名を全国的に轟かせ、4つのSG競走で優勝した。GIも通算21回優勝し、通算3294勝は同期の北原に次ぐ歴代2位の記録である<ref name=":2" />。また、笹川賞のファン投票では得票数第1位を3度経験し<ref>[https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2013/03/26/kiji/K20130326005477070.html 71歳“生きる伝説”加藤、公営最年長V「えらいことしちゃった」] - スポニチアネックス 2013年3月26日付</ref>、[[2003年]]に平和島で行われた第30回笹川賞競走に61歳4ヶ月で出場。更に優出も果たし(結果は5着)、当時のSG最年長出場記録、SG最年長優出記録を更新した<ref name=":3">{{Cite web|和書|url=https://sports.yahoo.co.jp/boatrace/column/detail/20120415|title=世界に誇るボートレースの偉人 加藤峻二(後編) - ボートレース - スポーツナビ|accessdate=2018-08-30|website=スポーツナビ|language=ja-JP}}</ref>。[[2004年]][[1月4日]]、戸田一般戦「第34回埼玉選手権競走」2日目3Rで、競艇史上4人目となる通算3000勝(3号艇2コース進入)を達成<ref>[http://www.boatrace-db.net/race/detail/date/20040104/pid/02/rno/03/ 2004年1月4日 戸田3R | 艇国データバンク]</ref>。[[2007年]]、[[大村競艇場|大村]]で行われた[[名人戦競走|第8回競艇名人戦競走]]において、65歳3ヶ月で優出を果たした<ref name=":3" />。これにより、GI及び一般戦における最年長優出記録を更新した<ref group="注">それまでの最年長優出記録は、[[1998年]]に一般戦競走で記録された[[森田敏]]の64歳10ヶ月。</ref>。同年後期にはA1級に復帰し、[[2009年]]7月24日には艇界初となる選手登録50年を迎え、[[2010年]]には現役選手としてボートレースの殿堂入りを果たした<ref>{{Cite web|和書|url=http://omurakyotei.jp/special/2012anniv/dendou/dendou.php?touban=1485|title=ボートレース大村 > ボートレース大村 60周年記念 > ボートレース殿堂 > ボートレース殿堂|accessdate=2018-08-25|website=omurakyotei.jp|language=ja}}</ref>。
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[[Category:競艇選手]]
[[Category:埼玉県出身のスポーツ選手]]
[[Category:秩父市出身の人物]]
[[Category:1942年生]]
[[Category:存命人物]]
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