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[[画像:Medal of Honour Japan chart.png|250px|thumb|褒章の旧デザイン(1881([[1881]]から[[2003年]]まで)と新デザイン(2003年以降)および綬の各色]]
'''褒章'''(ほうしょう)は、[[日本]]の[[栄典]]の一つ。[[社会]]や[[公共の福祉]][[文化]]などに貢献した者を[[顕彰]]するため、[[天皇]]から対象者に授与される。
 
顕彰の対象となる事績により、'''[[#紅綬褒章|紅綬褒章]]'''、'''[[#緑綬褒章|緑綬褒章]]'''、'''[[#黄綬褒章|黄綬褒章]]'''、'''[[#紫綬褒章|紫綬褒章]]'''、'''[[#藍綬褒章|藍綬褒章]]'''、'''[[#紺綬褒章|紺綬褒章]]'''の6種類が定められている。授与の対象者は、[[日本国籍]]を持つ[[個人]]のみならず、[[外国人]]および[[法人]]を含む。
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[[日本国政府]]による英訳では、[[勲章]]は"order"であり、褒章は[[記章]]([[記念章]]および[[従軍記章]])と同様に"medal"とされている。欧米で日本の勲章、褒章および記章に相当するものには、英語で"order"、"decoration"、"Cross"、"medal"と名付けられたものがある。
 
しかし、日本と欧米ではこれら「勲章等」(勲章等着用規程(昭和39年4月28日総理府告示第16号)第1条)の分け方が異なっており、日本には無い“Cross”の扱いは{{ruby|区々|まちまち}}であり<ref group=注釈>例:[[#君塚|君塚]](記章説)と[[#小川|小川]](勲章説)の著書における扱い。</ref>、“medal”と称されるものの一部は記章ではなく勲章とされることもある。一方、日本の法令上は、他国の褒章に相当するものは記章として扱われる(勲章等着用規程(昭和39年4月28日総理府告示第16号)第11条第1項4号)。
 
== 概要 ==
[[画像:Mitsuru Sakurai 20121113 1.jpg|200px|thumb|褒章伝達式にて[[章記]](褒章の記)を伝達する[[厚生労働副大臣]][[井充]]]]
褒章は、天皇が授与する[[栄典]]である。法的には、戦前は[[大日本帝国憲法]]第15条の「其ノ他ノ栄典」であり、戦後は[[日本国憲法第7条|日本国憲法第7条7号]]に該当する[[国事行為]](同7条柱書き)であることに基づく。詳細は[https://www8.cao.go.jp/shokun/shiryoshu/hosho_1881.pdf 褒章条例](明治14年[[太政官布告・太政官達|太政官布告]]第63号)により定められ、同条例1条において各褒章の授与対象が規定されている。
 
[[勲章 (日本)|勲章]]は長年にわたる功績に注目する側面が強く、人命救助のように功績顕著であっても一過性の行為は叙勲対象となりにくいのに対して、褒章は[[叙勲]]対象とはなりにくいが、顕著な功績と認められるものに対しても授与される。
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褒章は、授与された本人に限り終身これを{{ruby|佩用|はいよう}}(公的な場で着用)することができる(条例4条)。褒章を佩用する際は、「左肋ノ辺」(左胸のあたり)に着ける(条例8条)。ただし受章者が、[[懲役]]刑・[[禁錮]]刑・[[死刑]]に処された場合、褒章は没収されて受章者としての地位は{{ruby|褫奪|ちだつ}}される(勲章褫奪令第1条・第6条)。なお、褒章は[[造幣局 (日本)|独立行政法人造幣局]]が製造している(独立行政法人造幣局法3条2項、11条1項4号)。
 
褒章条例により表彰されるべき者が団体である場合には、[[ヒト|人]]でない団体はメダルを着けられないため、'''褒状'''が授与される<ref>紺綬褒状 [http://nikkoso.jp/article_160804/img/008_new_l.jpg 実物]。[[全国防犯協会連合会]]への多額の寄付により、日本遊技機工業組合に対して授けられたもの。</ref>(条例2条)。なお、個人に授与される場合にも褒章([[メダル]])とともに'''褒章の記'''が授与される。褒状、褒章の記ともに、受章者・表彰者の氏名または名称、受章・表彰理由、授与・表彰の年月日と記号番号、天皇の名で授与・表彰する旨が記されて[[国璽]]が捺され、[[内閣総理大臣]]と[[内閣府]][[賞勲局]]長が署名・押印する<ref group=注釈>2003年(平成15年)の栄典制度改革の前には、褒章は内閣の名で授与されたため、褒章の記には内閣の印が捺された。</ref>。日本の[[法令]]・行政上の扱いでは、褒章とは「○綬褒章」の名称をもつ褒章のみを指す。褒状、賞杯を含めるときは「褒賞」の表現を用いる(例: 受章・受賞者を掲載する[[官報]]の欄名)。
 
褒章の授与とともに、金銀木杯([[賞杯]])を授与することもある(条例5条)。特に、公益のために私財を寄附した者に授与される紺綬褒章を授与する場合には、合わせて授与される木杯の基準がその寄附額によって定められている<ref name="konju">{{PDFlink|[https://www8.cao.go.jp/shokun/shiryoshu/konjuhosho-juyokijun.pdf 紺綬褒章等の授与基準について]}}、昭和55年11月28日閣議決定、内閣府賞勲局。</ref>。また、本条例によって表彰されるべき者が死亡したときは、金銀木杯または褒状をその遺族に授与し、これを'''遺族追賞'''という(条例6条)。
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== 沿革 ==
* [[1875年]]([[明治]]8年)7月 - [[太政官布告・太政官達|太政官達]]第121号において、篤行者・奇特者へ賞与を与えることが定められる。
* [[1880年]](明治13年) - [[賞勲局]]から褒章制度制定について上申される。
* [[1881年]](明治14年) - '''褒章条例'''(明治14年12月7日太政官布告第63号)が制定される。当初は紅綬褒章、緑綬褒章、藍綬褒章の3種であった。これにより、褒章制度が確立した。
* [[1882年]](明治15年)[[1月1日]] - 褒章条例施行。
* [[1887年]](明治20年) - '''黄綬褒章臨時制定ノ件'''(明治20年勅令第16号)により黄綬褒章(旧制度)が制定された。
* [[1918年]]([[大正]]7年) - 褒章条例中改正ノ件(大正7年9月19日勅令第349号)により紺綬褒章が制定された。
* [[1921年]](大正10年) - 褒章の略綬が制定された(大正10年4月26日勅令第147号および第148号)。
* [[1927年]]([[昭和]]2年) - 同じ褒章を5回以上受章した者のための金色飾版が制定された(昭和2年2月1日勅令第6号)。
* [[1947年]](昭和22年) - 内閣官制の廃止等に関する[[政令]](昭和22年5月3日政令第4号)により明治20年勅令第16号が廃止されたのに伴い(同第1条)、黄綬褒章が廃止された。
* [[1955年]](昭和30年) - 昭和30年1月22日政令第7号の改正により紫綬褒章および新規の黄綬褒章が制定された。
* [[1978年]](昭和53年) - 同年春以降、黄綬褒章・紫綬褒章・藍綬褒章は毎年[[4月29日]]および[[11月3日]]に授与することとした。
* [[2002年]]([[平成]]14年) - 平成14年8月12日政令第278号(平成15年栄典制度改正に伴う改正)により、緑綬褒章の授与対象を変更。また、褒章の制式の細目は[[内閣府令]]により別途定める旨が規定された(条例第9条)。
* [[2003年]](平成15年) - 同改正により新設された条例第9条に基づく平成15年5月1日内閣府令第55号(褒章の制式及び形状を定める内閣府令(平成15年内閣府令第55号))により、新しい褒章のデザインが定められた。また、平成15年5月20日閣議決定により褒章の授与要件が緩和され、対象が広がった。
 
== 制式 ==
[[画像:Medals of Honour Japan after 2003 type.jpg|200px|thumb|現行の褒章、飾版および略綬]]
褒章の制式については'''褒章条例'''第7条に規定されており、形状等の細目は内閣府令によって定めるとされている(同9条)。そして、現行の細目は「褒章の制式及び形状を定める内閣府令」(平成15年5月1日内閣府令第55号)で規定されている。一方、旧黄綬褒章の制式は「黄綬褒章臨時制定ノ件」第3条により規定されていた。
 
褒章はメダル本体の“章”、章を吊るして衣服に取り付けるための“綬”(リボン)、章と綬を繋ぐ“鈕”、および綬に取り付ける“飾版”からなる。ただし、旧黄綬褒章には鈕と飾版は無く、環により章と綬が繋がれている。また、常服時に着用するための[[略綬]]も制定されている。
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; 略綬
: 「褒章条例」の改正(大正10年4月26日勅令第147号および「黄綬褒章臨時制定ノ件」の改正(大正10年4月26日第148号による改正により、蝶型スティックピン式のものが制定されていたが、平成15年内閣府令により勲章と同様の円形のもの([[ロゼット (装飾)|ロゼット]])に改められた。色は褒章の種類により紅・緑・黄・紫・藍・紺の6色とする。直径は7ミリメートル。
 
なお、褒章と同一または類似する商標については[[商標登録]]を受けることができない(商標法4条1項1号)。
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== 褒章の種類 ==
{{angle bracket|}}=== 紅綬褒章 ===
[[画像:Medal with Red Ribbon.png|200px|thumb|紅綬褒章の正章(右)と略綬(左)]]
紅綬褒章(こうじゅほうしょう)は、「自己ノ危難ヲ顧ミス人命ノ救助ニ尽力シタル者」<ref group=注釈>[[1881年]](明治14年)の創設時は「自己ノ危難ヲ顧ミス人命ヲ救助セシ者」とされた。</ref>に授与される<ref group=注釈>なお、救助活動を行っても、力及ばず要救助者が落命した場合には授与されない。また、[[日本の警察官|警察官]]、[[自衛官]]、[[消防吏員]]などの[[公安職|公務執行中]]の行為についても授与されない。彼らは「[[危険業務従事者叙勲]]」の対象になる</ref>。
 
1882年(明治15年)、[[青森県]]の海岸で暴風波浪により[[難破]]した漁船乗組員を救助した工藤仁次郎が受章第1号である。戦後は年々受章者が減少していた。
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[[2011年]](平成23年)秋の褒章では、川で溺れていた男児を協力して救助した13歳の少年に贈られた(2020年現在、最年少の受章者)。
 
[[2023年]](令和5年)秋の褒章では、特急列車が迫る踏切内に取り残された90代女性を救った女子大学生(20歳)に贈られた<ref>[https://newsdig.tbs.co.jp/articles/rsk/814888?display=1 踏切内に90代女性 そこに迫る特急列車「とっさの行動」取った女子大学生(20)に紅綬褒章【岡山】] RSK山陽放送</ref>。
 
=== 緑綬褒章 ===
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1882年(明治15年)、数十年にわたり母へ孝養を尽くした青森県の外崎専四郎が受章第1号である。1950年(昭和25年)[[12月25日]]の受章を最後に一旦途絶えた。これは1955年(昭和30年)の栄典制度改正で「實業ニ精勵シ―」の部分が新たな黄綬褒章として独立したため授与対象が狭まったこと、「孝子・順孫・節婦」の部分が[[家制度]]と[[家長]]を否定し法の下の平等・両性の平等・個人の尊厳を唱える[[日本国憲法第14条]]・[[日本国憲法第24条|同第24条]]の趣旨に合わないこと、「義僕」とあるが[[家事使用人]]を長期にわたって雇うような裕福な家庭は最早見当たらないこと、などの理由による。
 
そのため、[[2003年]](平成15年)の栄典制度改正(平成14年改正)では受章機会・選考基準の見直しが図られ、褒章条例第1条中の緑綬褒章に関する部分が「自ラ進デ社会ニ奉仕スル活動ニ従事シ徳行顕著ナル者ニ賜フモノトス」と改められた(平成14年8月12日政令第278号)。これにより、社会福祉分野やボランティア活動などで顕著な実績のある個人等に授与することとなった。翌2004年(平成16年)春の褒章では、半世紀ぶりに緑綬褒章が26名に授与された。
 
[[2008年]](平成20年)には[[芸能人]]では長年の[[受刑者]][[更生]]支援等奉仕者活動を認められて[[杉良太郎]](俳優)が、また[[エレキギター]]による青少年情操教育活動を認められて[[寺内タケシ]](ギタリスト)<ref>{{Cite news2|title= 「エレキの神様」寺内タケシさん死去 卓越したテクニックでエレキブームの仕掛け人に|url= https://www.sanspo.com/article/20210620-N6O4PFMTMVKT3AVXH3HO5MKEZY/|newspaper= サンケイスポーツ|date= 2021-06-20|accessdate= 2021-06-20|agency= 産経デジタル}}</ref>がそれぞれ受章した。俳優など芸歴の長い芸能人は紫綬褒章の対象になることが多く、杉良太郎は翌2009年(平成21年)に紫綬褒章を授与された。
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[[1955年]](昭和30年)、褒章条例の改正により紫綬褒章とともに制定された(昭和30年政令第7号)。同年には、多年にわたり水稲農作技術の向上に努力した[[北海道]]の天崎正太郎が受章第1号として授与された。以後、毎年500人から600人が受章している。2003年(平成15年)の栄典制度改正では、「第一線で業務に精励している者で、他の模範となるような技術や事績を有する者を対象とし、受章者数の増加を図る」こととされた。
 
[[2020年]](令和2年)秋に[[的場文男]]が[[騎手]]として初めて、[[2022年]](令和4年)春に[[柴田善臣]]が[[日本中央競馬会]]所属騎手として初めて、2024年(令和6年)春に[[宮下瞳]]が女性騎手として初めて受章しているが、これは[[競馬]]にかかわりその発展に努めることが「畜産業の振興」の一環とみなされたためである<ref>{{Cite web|和書|url= https://www.tokyocitykeiba.com/news/48380/ |title= ~騎手として初の快挙~ 的場文男騎手 黄綬褒章を受章!|work=東京シティ競馬 ニュース |publisher= [[特別区競馬組合]]|date= 2020-11-02 |accessdate = 2023-06-02}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url= https://tospo-keiba.jp/reporter-column/14364 |title= 柴田善臣騎手が黄綬褒章受章記念セレモニーに出席「大変な名誉です」|work=東スポ競馬 |publisher= [[東京スポーツ]]|date= 2022-05-22 |accessdate = 2023-06-02}}</ref><ref>[https://www.nagoyakeiba.com/news/2024/04/post-1439.html ~ 女性騎手として初の栄誉 ~ 宮下瞳騎手 黄綬褒章を受章] - 愛知県競馬組合、2024年4月28日配信・閲覧</ref>。
 
==== 旧黄綬褒章 ====
旧黄綬褒章は、[[1887年]](明治20年)[[3月14日]]の詔勅<ref>『官報』第1117号「詔勅」1887年3月25日。</ref>に始まった[[国献金#防献金(1897年)|海防費献納運動]]([[沿岸]][[防衛]]事業への私財提供運動)に賛同して私財を政府へ献納した者への賞与として、「黄綬褒章臨時制定ノ件」(明治20年勅令第16号)により「私財ヲ献納シ防海ノ事業ヲ賛成スルモノニ授与スル」とし、金章と銀章が定められた。政府内規では、1000円以上の献納者には銀章を、1万円以上の献納者には金章を授与することとされた<ref>{{国立公文書館デジタルアーカイブ|M0000000000001717763|防海費献納者賞典内規ヲ定ム|type=}}、2019年6月13日閲覧。</ref>。このときの受章第1号は、それぞれ金章が[[松平茂昭]]、銀章が中井新右門(中井銀行代表、清酒問屋<ref>[https://jahis.law.nagoya-u.ac.jp/who/docs/who4-6444 中井新右門]『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月]</ref>)であった<ref>『官報』第1218号「彙報」1887年7月21日。</ref>。
 
防海事業に対する私財献納の出願は同年9月30日で締め切られ<ref>『官報』第1229号「宮内省達第4号」1887年8月3日。</ref>、褒章の授与は願い出た上で献納を済ませた者から順に行われて行き、[[1894年]](明治27年)1月10日の[[荻野六郎]]を最後に停止されるまで<ref>『官報』第3160号「彙報」1894年1月13日。</ref>、金章が54名、銀章が572名、合計626名へ授与された{{Sfn|大日本勅定褒章協会|1941|ps= - 1043〜1078コマ目。}}。
 
旧黄綬褒章は、1947年(昭和22年)の[[内閣官制の廃止等に関する政令]](昭和22年政令第4号)により根拠勅令とともに廃止された。
{{Multiple image
| align = left
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=== 紫綬褒章 ===
[[画像:Medal with Purple Ribbon.png|200px|thumb|紫綬褒章の正章(右)と略綬(左)]]
{{SeeFor2|受章者|紫綬褒章の受章者一覧}}
紫綬褒章(しじゅほうしょう)は「学術芸術上ノ発明改良創作ニ関シ事績著明ナル者」に授与される。「科学技術分野における発明・発見や、学術及びスポーツ・芸術文化分野における優れた業績を挙げた方」に授与されると説明する<ref name="褒章の種類及び授与対象"/>。
 
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団体に対して紫綬褒章と同様の理由で授与された例としては、2006年(平成18年)の[[ワールド・ベースボール・クラシック]]第1回大会で優勝した[[2006 ワールド・ベースボール・クラシック日本代表|日本代表チーム]]([[王貞治]]監督)が初めてである。
 
2014年(平成26年)、[[アテネオリンピック (2004年)|アテネ五輪]]ならびに[[2008年北京オリンピック|北京五輪]]の男子柔道金メダリストである[[内柴正人]]が紫綬褒章を褫奪(ちだつ。剥奪の意)されている<ref group="注釈">[[内柴事件]]が原因で2014年(平成26年)5月10日付で褫奪された(2014年(平成26年)7月30日付『官報』6342号9頁)。</ref>。[[褫奪]]とは[[勲章褫奪令]](褒章等は同6条で準用)に基づく行政処分で、褫奪を受けると官報に掲載され、褒章等は没取され、褒章等の受章者であると名乗ることも認められなくなる。
 
=== 藍綬褒章 ===
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1882年(明治15年)、[[灌漑]]用水を開通させて荒野を農地に変え村民生活の向上に貢献した[[大阪府]]の石田長蔵・久保田伊平が受章第1号、第2号で、第3号から第7号は北海道函館の常野正義・渡辺熊四郎・平田兵五郎・今井市右衛門・平塚時蔵の5人である。戦後は毎年600人から1000人が受章している。2003年(平成15年)の栄典制度改正では、「公衆の利益を興した者に対する藍綬褒章の選考に当たっては、他の模範となるような優れた業績が認められる者を対象とする。また従来「公同の事務」とされている分野について運用の見直しを行い、「勲章の対象との関係を整理する」こととされた。
 
2013年、[[初音ミク]]の生みの親として知られる[[伊藤博之 (実業家)|伊藤博之]]が授与されている。([https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1311/05/news132.html ねとらぼ])
 
=== 紺綬褒章 ===
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1918年(大正7年)に創設された(大正7年勅令第349号)<ref name="eitenjyuyonikannsuruteigenn28"/>。
 
[[1919年]](大正8年)9月7日、[[済生会|恩賜財団済生会]]に5万円<ref>{{Cite web |和書|url=http://www.shiojiri.info/~ryouono/onomitsukage/HTML/page005.html |title=小野光賢・光景 略年表 |publisher=[http://www.shiojiri.info/~ryouono/ 憑の里【たのめのさとだより】信州・両小野地区振興会 ] |accessdate=2019-01-29}}</ref>(平成27年現在の価値で1億5千万円相当<ref>換算基準は「[[罰金等臨時措置法]]」の規定および、"[http://sirakawa.b.la9.jp/Coin/J077.htm 明治~平成 値段史]" [http://sirakawa.b.la9.jp/Coin/index.html コインの散歩道](2018年7月16日閲覧)によった。</ref>)を寄付した功により賜与された[[小野光景]]が受章第1号である{{Sfn|大日本勅定褒章協会|1941|p=紺1|ps= - 853コマ目。}}。
 
紺綬褒章は他の褒章のように受章機会が春秋のみに限られず、事由の発生に合わせて毎月末にまとめられ閣議で決定され発令される<ref name="konju"/>。寄付を続ければ同一人物が数回受章することも可能であり、叙勲・褒章などの受章回数でギネス世界記録に認定された[[古賀常次郎]]は紺綬褒章を60110以上(金色飾版12個)受章している<ref>[{{Cite news|title=古賀常次郎さん紺綬褒章 青少年健全育成に寄付|newspaper=佐賀新聞|date=2023-11-16|url=https://www.saga-s.co.jp/articles/-/283997 古賀常次郎氏が68度目の紺綬褒章受章] 佐賀新聞 2018年10月3日1144224|accessdate=2024-02-22}}</ref>。なお、章の裏面は他の褒章と異なり、「賜」の字や受章者の氏名は刻まれない。
 
1980年(昭和55年)の授与基準では、国や地方公共団体、公益団体{{Refnest|group=注釈|「公益を目的とし、法人格を有し、公益の増進に著しく寄与する事業を行う団体であって、当該団体に関係の深い府省等の申請に基づき賞勲局が認定した団体」と定義され<ref>[https://www8.cao.go.jp/shokun/seidogaiyo.html 勲章・褒章制度の概要] - 内閣府賞勲局、2021年3月5日閲覧。</ref>、その一覧はウェブ上でも公開されている<ref>{{PDFlink|[https://www8.cao.go.jp/shokun/kouekidantai.pdf 紺綬褒章「公益団体」として認定する団体⼀覧(令和2423268日現在)]}} - 内閣府賞勲局、20212022年3月525日閲覧。</ref>。}}などへ500万円以上の寄付をした個人、1000万円以上の寄付をした団体が主な対象となる(受けた団体から所管官庁宛てに上申―「この方は褒章を受けるに相応しい事を私共にして下さったので授与して頂きたい」という申し出―がされる){{Refnest|group=注釈|例えば[[日本赤十字社]]や[[日本水難救済会]]では、寄付に対する表彰として、500万円以上を寄付した個人や1000万円以上を寄付した団体へは紺綬褒章(褒状)を授与するよう国に申請することを告知している<ref>{{Cite web |和書|url=http://www.jrc.or.jp/contribute/commendation/ |title=表彰制度について |publisher=[http://www.jrc.or.jp/ 日本赤十字社 ] |accessdate=2020-12-12}}</ref><ref>{{Cite web |和書|url=https://www.mrj.or.jp/commendation/index.html |title=栄誉ある表彰 |publisher=[https://www.mrj.or.jp/ 日本水難救済会 ] |accessdate=2020-12-12}}</ref>。}}。
 
寄付に対する返礼品の類を受け取った場合は対象とならない。
ただし、返礼品の類を受け取った場合は対象とならない。寄付額が1500万円以上など多額に上る場合には、併せて[[賞杯]](桐紋付きの木盃)が授与される<ref name="konju"/>。なお、1947年(昭和22年)から1964年(昭和39年)は10万円、1964年(昭和39年)から1980年(昭和55年)は100万円が授与の基準であった<ref name="eitenjyuyonikannsuruteigenn28">{{PDFlink|[https://www8.cao.go.jp/shokun/jihenkon/teigen.pdf 時代の変化に対応した栄典授与に関する提言]}} 平成28年5月26日 時代の変化に対応した栄典の授与に関する有識者懇談会(内閣府) 2016年9月20日閲覧</ref>。寄付額の改定に際しては、数年間は中間の額を設定するなど、移行暫定期間が設けられることもある<ref name="konju"/>。
 
ただし、返礼品の類を受け取った場合は対象とならない。寄付額が1500万円以上など多額に上る場合には、併せて[[賞杯]](桐紋付きの木盃)が授与される<ref name="konju"/>。なお、1947年(昭和22年)から1964年(昭和39年)は10万円、1964年(昭和39年)から1980年(昭和55年)は100万円が授与の基準であった<ref name="eitenjyuyonikannsuruteigenn28">{{PDFlink|[https://www8.cao.go.jp/shokun/jihenkon/teigen.pdf 時代の変化に対応した栄典授与に関する提言]}} 平成28年5月26日 時代の変化に対応した栄典の授与に関する有識者懇談会(内閣府) 2016年9月20日閲覧</ref>。寄付額の改定に際しては、数年間は中間の額を設定するなど、移行暫定期間が設けられることもある<ref name="konju"/>。
[[2021年]]には[[浜崎あゆみ]]が[[国立国際医療研究センター]]に1千万円を、また[[西島隆弘]]が事業資金(義援金ではない)として[[日本赤十字社]]にやはり1千万円を、[[中居正広]]と[[香取慎吾]]が日本財団と共同で立ち上げた「LOVE POCKET FUND」基金に、[[YOSHIKI]]が自身の運営する基金「YOSHIKI FOUNDATION AMERICA」を通じて各所に多額の寄付をして、それぞれ授与されている(中居は紺綬褒章並びに賞杯を授与)<ref>[https://www.oricon.co.jp/news/2184123/full/ 中居正広・香取慎吾・浜崎あゆみ・西島隆弘ら、紺綬褒章を受章 「公益のため多額の私財を寄附」] - ORICON NEWS 2021年2月9日</ref><ref>[https://www.sanspo.com/geino/news/20210309/geo21030918450035-n1.html YOSHIKIが紺綬褒章を受章「今後も支援活動を続けられたら」] - SANSPO.COM 2021年3月9日</ref>。
 
[[2021年]]には[[浜崎あゆみ]]が[[国立国際医療研究センター]]に1千万円を、また[[西島隆弘]]が事業資金(義援金ではなく運営経費になる金)として[[日本赤十字社]]にやはり1千万円を、[[中居正広]]と[[香取慎吾]]が日本財団と共同で立ち上げた「LOVE POCKET FUND」基金に、[[YOSHIKI]]が自身の運営する基金「YOSHIKI FOUNDATION AMERICA」を通じて各所に多額の寄付をして、それぞれ授与されている(中居は紺綬褒章並びと共に賞杯を授与も受けた)<ref>[https://www.oricon.co.jp/news/2184123/full/ 中居正広・香取慎吾・浜崎あゆみ・西島隆弘ら、紺綬褒章を受章 「公益のため多額の私財を寄附」] - ORICON NEWS 2021年2月9日</ref><ref>[https://www.sanspo.com/geino/newsarticle/20210309-HXUOE6E2UVI45KJEBPAX66XHDA/geo21030918450035-n1.html YOSHIKIが紺綬褒章を受章「今後も支援活動を続けられたら」] - SANSPO.COM 2021年3月9日</ref>。また、同年に[[大幸薬品]]が1万個の[[クレベリン]]を[[大阪府]]へ寄附した実績により紺綬褒章を授与されたが、翌[[2022年]]に[[消費者庁]]より同商品の[[景品表示法]]違反に基づく措置命令を出されたことを受け、同社は褒章を自主返納した<ref>{{Cite news|title=大幸薬品、「紺綬褒章」を返上していた…空間除菌うたった「クレベリン」1万個寄贈で授与|newspaper=弁護士ドットコム|date=2022-09-12|url=https://www.bengo4.com/c_18/n_14989/|accessdate=2023-04-11}}</ref>。
{{seealso|ノブレス・オブリージュ}}
 
=== 褒状 ===
褒章を授与される理由の事績を残した者が団体である場合には、自然人ではない団体がメダルを着けることはできないので、受章者名を法人・団体とした賞状「褒状」が授与される。褒状には各褒章と同様に授与の理由が記されているが、頭書には「緑綬」「紫綬」等の区分は冠されずすべて単に「褒状」となる。
 
===賞杯===
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=== 遺族追賞 ===
[[ファイル:Meritorious Mention for Otojiro Terasaki s family 19370123.png|thumb|200px|遺族追賞による褒状([[寺崎乙治郎]]の遺族に対する褒状)]]
褒章(紺綬褒章を除く)の授章対象者が死亡した場合は、[[遺族]]へ銀杯か木杯か褒状が授与される。これを遺族追賞という。叙勲対象者でもあるときは、遺族追賞ではなく死亡叙勲が行われることとなる
 
叙勲対象者でもあるときは、遺族追賞ではなく死亡叙勲が行われることとなる。
 
== 根拠法令 ==
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* 褒章条例取扱手続(明治27年閣令第1号)<ref>{{Egov law|127M10000001001|褒章条例取扱手続}}、2019年8月14日閲覧。</ref>
* 勲章、記章、褒章等の授与及び伝達式例(昭和38年7月12日閣議決定)<ref name="juyodentatsu"/>
* 褒章の制式及び形状を定める内閣府令(平成15年5月1日内閣府令第55号)<ref>{{Egov law|415M60000002055|褒章の制式及び形状を定める内閣府令}}、2019年8月14日閲覧。</ref>
なお、褒章について定めた[[法律]]は存在しない。[[1952年]](昭和27年)、褒章を含め[[栄典]]に関する事項は法律で定めるべきとの解釈の下、栄典法案が国会に提出されたことがあったが成立しなかった。そのため政府は褒章条例を[[政令]]により改正することで戦後の褒章制度の整備をするに至った。
 
== 関係官庁 ==
栄典を所管するのは[[内閣府]]であり、事務執行機関として[[賞勲局]]が置かれている。元は[[1876年]]([[明治]]9年)、[[太政官 (明治時代)|太政官]]に新設された賞勲局が始まりであり初代長官には[[伊藤博文]]が就任、代々[[三条実美]]や[[西園寺公望]]らがトップに就く要職であった。戦後は[[総理府]]の一部局となった。
 
褒章の選考手続きについては各都道府県・各関係団体から具申を受けた各省庁大臣が賞勲局へ褒章候補者を推薦し、慎重な審査の上、閣議に請議されて決定されている。
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* [[記念章]]
* [[位、勲章等ノ返上ノ請願ニ関スル件]]
* [[瓜生岩子]](女性初の藍綬褒章受章者)
{{Columns-end}}
 
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* {{Wiktionary-inline|褒章}}
* {{Commonscat-inline}}
 
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:ほうしよう}}