「日本の降伏文書」の版間の差分
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{{Pathnav|第二次世界大戦|日本の降伏|frame=1}}
{{条約
|題名 = 日本の降伏文書
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'''日本の降伏文書'''(にほんのこうふくぶんしょ)は、[[1945年]]([[昭和]]20年)[[9月2日]]、[[日本]]と[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]](事実上、[[アメリカ合衆国]])との間で交わされた[[休戦協定]](停戦協定)<ref>{{Cite book|和書 |editor=[[小堀桂一郎]] |date=1995年8月 |title=東京裁判 日本の弁明 「却下未提出弁護側資料」抜粋 |publisher=講談社学術文庫 |isbn=4-06-159189-4}}新版・[[ちくま学芸文庫]]、2011年(平成23年)8月</ref>の名称。この協定により[[日本の降伏]]が確認され、[[ポツダム宣言]]の受諾は外交文書上確定された。
[[ミズーリ (戦艦)|戦艦ミズーリ]]内で
== 調印式 ==
[[ポツダム宣言]]受諾が公表された[[玉音放送]]からおよそ半月後の1945年9月2日、[[東京湾]]上の[[アメリカ]]戦艦[[ミズーリ (戦艦)|ミズーリ]]の[[甲板 (船)|甲板]]上において調印された<ref name="sengo">
内容は以下の通り<ref>{{Cite web |title=降伏文書 - データベース「世界と日本」 |url=https://worldjpn.net/documents/texts/docs/19450902.O1J.html |website=worldjpn.net |access-date=2025-08-05}}</ref>。
* 天皇、日本国政府及び大本営の名においてポツダム宣言を受諾する
* 所在地に関わらず全[[日本軍]]及び日本の支配下にある全軍隊に対し[[無条件降伏]]を布告する
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=== 文書の保管 ===
2通作成された降伏文書のうち、連合国側の1通は米国の[[アメリカ国立公文書記録管理局|国立公文書館]](National Archives)に保管され<ref name="sengo" />、もう1通は日本側のもので[[外務省外交史料館|外交史料館]]で所蔵している<ref name="sengo" />。原本は節目に一般公開されており日本側所蔵の原本が近年公開されたのは、戦後70年となる2015年8月31日から9月12日。場所は外交史料館の展示室にて「[[一般命令第一号]]」と共に特別展示された<ref name="genpon">
== 降伏文書調印に関する詔書 ==
以上を受けて[[昭和天皇]]は「[[s:大東亞戰爭終結ニ關スル關係文書調印ニ關スル件|降伏文書調印に関する詔書]]」を発した<ref>
== 紙 ==
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* [[カサブランカ会談]]
* [[欧州戦線における終戦 (第二次世界大戦)]]
* [[アジアにおける第二次世界大戦の終結]]
* [[無条件降伏]]
* [[ポツダム宣言]]
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