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{{Infobox 革命家
'''佐々木 規夫'''(ささき のりお、[[1948年]][[8月27日]] - )は、[[日本の新左翼]]活動家、[[テロリズム|テロリスト]]。元[[東アジア反日武装戦線]]「狼」部隊メンバー。元[[日本赤軍]]メンバー。[[北海道]][[小樽市]]<ref>『でもわたしには戦が待っている 斎藤和[東アジア反日武装戦線 大地の牙]の軌跡』風塵社、2004年 p.177</ref>出身。▼
|名前 = 佐々木 規夫
|画像 =
|説明 =
|通称 =
|生年 = {{生年月日と年齢|1948|8|27}}
|生地 = {{JPN}}<br/>[[北海道]][[小樽市]]
|没年 =
|没地 =
|思想 = [[マルクス主義]]
|活動 = [[連続企業爆破事件]]、[[三菱重工爆破事件]]ほか
|組織 = [[東アジア反日武装戦線]]→<br />[[日本赤軍]]
|藩 =
|受賞 =
|裁判 =
|投獄 =
|刑場 =
|信教 =
|現職 =
|記念碑 =
|廟 =
}}
▲'''佐々木 規夫'''(ささき のりお、[[1948年]][[8月27日]] - )は、[[日本
==人物==
小樽市の呉服行商人の子として生まれる。[[北海道小樽潮陵高等学校]]卒業。大学入試に失敗後、家業を手伝ったあと上京<ref>『狼の牙を折れ』 門田隆将、小学館、2013年、p.137</ref>、兄が参加していた第三[[世界革命論|世界革命]]の文献を紹介する「レボルト社」に関わるようになる。その兄の証言では、[[1967年]]頃に[[齋藤和]]と知り合う。齋藤の大学の友人で[[日本朝鮮研究所]]の研究生[[竹田賢一]]と「朝鮮革命研究会」を結成し、1960年代後半から度々[[大韓民国|韓国]]に渡航し、[[日本]]の朝鮮侵略と抵抗運動史を学ぶ<ref>『でもわたしには戦が待っている 斎藤和[東アジア反日武装戦線 大地の牙]の軌跡』p.167</ref>。
[[1972年]]、斎藤と共に[[アイヌモシリ]]を巡り、日本の[[アイヌ]]侵略史を学ぶ<ref>『狼の牙を折れ』 門田隆将、小学館、2013年、p.131 このときの神経質そうな二人の印象が旅館の女将や役所の関係者らに記憶されており、連続企業爆破事件の捜査の突破口の一つとなった</ref>。
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[[1998年]]、[[奥平純三]]とともに他人名義の[[旅券]]を不正に取得するため[[東京]]を訪れていたことがこれまでの[[捜査]]で明らかになっている。
現在も[[国際手配]]中である。[[2010年]]4月以降の手配写真は1998年に撮影されたものに差し替えられた<ref>[http://www.news24.jp/articles/2010/04/02/07156540.html 日本赤軍メンバー手配ポスターを更新] [[日テレNEWS24]] 2010年4月2日</ref><ref>[https://archive.is/20131222234603/http://tyotoiiv.com/lv_news/2882.html 日本赤軍国際手配ポスターを差し替え 有楽町旅券窓口での写真も]</ref>。さらに[[2022年]]には、70歳前後となった顔立ちを想定した指名手配ポスターも作成されている<ref>{{Cite web
== 関連項目 ==
*[[日本の新左翼]]
== 出典 ==
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{{people-stub}}
{{DEFAULTSORT:ささき のりお}}
[[Category:日本のテロリスト]]▼
[[Category:東アジア反日武装戦線の人物]]
[[Category:日本赤軍の人物]]
▲[[Category:日本のテロリスト]]
[[Category:超法規的措置により国外逃亡した人物]]
[[Category:日本へ密入国した人物]]
[[Category:北海道小樽潮陵高等学校出身の人物]]
[[Category:
[[Category:1948年生]]
▲[[Category:指名手配中の人物]]
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