「長瀞渓谷」の版間の差分
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{{混同|長瀞峡}}{{統合文字|長瀞|[[ファイル:長瀞.png|35px]]}}
[[ファイル:Nagatoro2.jpg|thumb|長瀞渓谷]]
[[ファイル:Nagatoro Keikoku, iwa-datami.jpg|thumb|岩畳]]
[[ファイル:Nagatoro gorge 2019 02.jpg|thumb|長瀞の渓流と
[[File:Toraiwa in Nagatoro Town Saitama Close up.jpg|thumb|虎岩]]
<!-- 過去の版で「荒川上流部」となっていたが、 彩の国秩父地域観光協議会発行「ちちぶ路」の「長瀞町観光情報館」の箇所に「長瀞は、荒川の中流域に位置する景勝地」とある<ref>{{Cite web |title=ちちぶ路|url=https://www.chichibu-omotenashi.com/documents/chichibuji.pdf |website=彩の国秩父地域観光協議会 |date= |access-date=2025-05-23}}</ref>。
-->
'''長瀞渓谷'''(ながとろ けいこく)は、[[日本]]の[[埼玉県]][[秩父地方]]に位置する、[[荒川 (関東)|荒川]]が山地部を横断して形成された[[渓谷]]<ref>{{Cite web |title=寄居地域の地質|url=https://www.gsj.jp/data/50KGM/PDF/GSJ_MAP_G050_08027_1992_D.pdf |website=地質調査総合センター |date= |access-date=2025-05-23}}</ref>。岩畳や秩父赤壁で知られる景勝地である<ref>{{Cite web |title=岩畳と秩父赤壁|url=https://www.chichibu-geo.com/geosite/geosite17/ |website=一般社団法人 秩父地域おもてなし観光公社 |date= |access-date=2025-05-23}}</ref>。
長瀞渓谷の範囲は[[秩父郡]][[長瀞町]]のほか、上流の[[皆野町]]内の川岸も含む<ref name="よみほっと20201115"/>。岩畳など渓谷美が見られるのは約4[[キロメートル|km]]の一部<ref name="東京新聞20240920">「[https://www.tokyo-np.co.jp/article/355338 秩父・長瀞天然記念物指定100年 変わる景観/岩畳に草木にょきにょき]」『[[東京新聞]]』夕刊2024年9月20日7面</ref>。[[川下り]]の発着場がある[[親鼻橋]]→岩畳→[[高砂橋 (荒川)|高砂橋]]は各3㎞、合計6㎞である<ref>秩父鉄道公式サイト:[https://www.chichibu-railway.co.jp/nagatoro/corse.html 長瀞で遊ぶ >> コースのご案内](2024年9月25日閲覧)</ref>。
== 概要 ==
岩畳(いわだたみ)など[[岩石]]の間を緩やかな流れ(瀞)が長く続くことから<ref name="よみほっと20201115">『[[読売新聞]]』よみほっと(日曜別刷り)2020年11月15日1-2面【ニッポン探景】地球の窓(埼玉県長瀞町)「月の石」満月に輝く</ref>、近代以前より長瀞と呼ばれてきた。
[[1878年]]([[明治]]11年)、[[ドイツ人]][[地質学者]][[ハインリッヒ・エドムント・ナウマン]](ナウマン博士)による[[日本列島]]各地の地質調査が始まり、博士の率いる調査団が長瀞を訪れ、長瀞の地質学的価値の高さが認められた。以来、長瀞一帯は日本の地質学研究の重要拠点として数多くの学者を育てる現場の役割を果たすこととなり、長瀞は「日本地質学発祥の地」といわれるようになった。[[埼玉県立自然の博物館]]前には「日本地質学発祥の地」の[[石碑]]がある。▼
▲[[1878年]]([[明治]]11年)、[[ドイツ人]][[地質学者]][[ハインリッヒ・エドムント・ナウマン]](ナウマン博士)による[[日本列島]]各地の地質調査が始まり、博士の率いる調査団が長瀞を訪れ、長瀞の地質学的価値の高さが認められた。以来、長瀞一帯は日本の地質学研究の重要拠点として数多くの学者を育てる現場の役割を果たすこととなり、長瀞は「日本地質学発祥の地」といわれるようになった。[[埼玉県立自然の博物館]]前には「日本地質学発祥の地」の[[石碑]]がある。また、岩畳をはじめ地下深くの高圧下で形成された[[結晶片岩]]が地表に露出するなど、[[地球]]内部を[[地質学]]的に垣間見ることができるとの意をもって「'''地球の窓'''」の雅名もある<ref name="よみほっと20201115"/>。
川下りと岩畳が有名で、[[カヌー]]や[[ラフティング]]、[[キャンプ]]ができる。
大正時代に撮影されたと推定される写真と現状を比べると、[[イバラ|ノイバラ]]など草木の繁茂が増えている。長瀞町[[教育委員会]]では、[[治水]]の進歩で植物が押し流されにくくなったためではないかと推測しているが、[[景観]]維持のために伐採することは名勝・天然記念物の「現状変更」に該当する可能性あると苦慮している<ref name="東京新聞20240920"/>。
== 地形 ==
'''{{Anchors|岩畳}}岩畳'''(いわだたみ)
: 荒川の左岸、長瀞駅東方から南に幅10メートル、延長500メートルにわたって広がる日本有数の岩石段丘である<ref name="shizuoka">{{Cite journal |和書 |url=https://doi.org/10.14945/00025555 |author=川平 裕昭 |title=長瀞を訪ねて : 夏季巡検報告 |journal=静岡地学 |issue=46 }}</ref>。[[三波川変成帯]]<ref group="*">南は[[九州]]東部から長瀞まで約800kmに及ぶ世界的に見ても連続性の良い変成帯として盛んに研究が行なわれている岩石層で、[[四国]]では景勝[[大歩危]]・[[小歩危]]として知られている。</ref>と呼ばれる[[変成岩]]帯が地表に露出しているところ
'''{{Anchors|秩父赤壁}}秩父赤壁'''(ちちぶせきへき)
:
{{Anchors|ポットホール}}'''[[ポットホール]]'''
: 荒川の急流が屈曲部で渦をつくり、岩石の河床の凹部に閉じ込められた礫や小石が河床を[[すり鉢]]状に削り取ったもの。大きいものでは大人がすっぽり入れる(約1.5メートル)ほどのものもある(長瀞町井戸)。
'''{{Anchors|虎岩}}虎岩'''(とらいわ) <ref>本間岳史「[http://www.kumagaya.or.jp/~sizensi/print/dayori/43/43_5.html 長瀞地質探訪(1)──虎岩のひみつ──]」『埼玉県立自然史博物館 自然史だより』第43号
: 表面の紋様が虎の毛皮のようになっている幅15mほどの[[結晶片岩]](スティルプノメレン片岩<ref group="*">「stilpnomelane schist」という結晶片岩は、[[緑色片岩]](緑泥石片岩や緑簾石片岩)に近いが、通常よりも高い圧力と温度のもとで生成されたために緑色ではなく褐色を呈したものであると考えられている。</ref>)
: {{Anchors|賢治}}[[1916年]](大正5年)、[[宮沢賢治]]は[[盛岡高等農林学校]]の実習で長瀞を訪れた際、虎岩を次のように歌っている。
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== 交通 ==
* 鉄道
* 車
== 長瀞渓谷に関連する地名 ==
: 埼玉県[[比企郡]][[嵐山町]]の武蔵嵐山は昭和初期まで「武蔵長瀞」と称された<ref>{{Cite web |author=大林 等|title=岩畳と秩父赤壁|url=https://allabout.co.jp/gm/gc/472010/ |website=All About |date= |access-date=2025-05-23}}</ref>。
; 小矢部川の長瀞
: [[富山県]][[南砺市]]の[[小矢部川]]上流部およそ2kmを指す渓谷<ref>{{Cite web |title=小矢部川の長瀞(ながとろ)|url=https://www.pref.toyama.jp/1706/kurashi/kankyoushizen/kankyou/mizuhozen/1shirou/meisui/04/37.html |website=富山県 |date= |access-date=2025-05-23}}</ref>。
== 脚注 ==
64 ⟶ 73行目:
* [[秩父地方]]
* [[玉淀]]
* [[平成百景]]
* [[日本の地質百選]]
84 ⟶ 92行目:
{{Coord|36|5|30.42|N|139|7|1.19|E|region:JP-11|display=title}}
{{日本さくら名所100選}}
{{DEFAULTSORT:なかとろけいこく}}
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