削除された内容 追加された内容
Zsax (会話 | 投稿記録)
キリスト教における使徒: 不要な記述であり、出典が見つからないため除去
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
 
(14人の利用者による、間の22版が非表示)
1行目:
{{Otheruses|宗教用語}}
{{Otheruseslist|[[キリスト教]]用語または[[イスラム教]]用語としての使徒|『[[新世紀エヴァンゲリオン]]』に登場する使徒|使徒 (新世紀エヴァンゲリオン)|[[三浦建太郎]]の漫画『[[ベルセルク (漫画)|ベルセルク]]』に登場する怪物|ベルセルク (漫画)#種族}}
'''使徒'''(しと)は、狭義には[[イエス・キリスト]]の12人の高弟を指すが、それに近い弟子([[パウロ]]、[[七十門徒]]など)にもこの語が用いられることがある。は、重要な役割を果たした[[キリスト教]]の宣教者(「神から遣わされた者」)および、その宣教者の[[号]]である。
{{Redirect|十二使徒|[[アイルランド独立戦争]]で活動した[[アイルランド共和軍]]の[[暗殺]]部隊{{仮リンク|十二使徒 (アイルランド共和軍)|en|The Squad (Irish Republican Army unit)}}}}
{{キリスト教}}
'''使徒'''(しと)は、狭義には[[イエス・キリスト]]の12人の高弟を指すが、それに近い弟子([[パウロ]]、[[七十門徒]]など)にもこの語が用いられることがある。広義には、重要な役割を果たした[[キリスト教]]の宣教者(「遣わされた者」)および、その宣教者の[[称号]]である。
 
原語の[[ギリシア語]]は {{lang|el|ἀπόστολος}} (apostolos) で、「された者」が原義である。転じて「[[使者]]」「[[Wikt:使節|使節]]」をも指す。このギリシア語は、[[キリスト教]]文書以外にも出てくるものであるが、キリスト教文書の日本語訳の際だけ「使徒」という専門語を当てて訳すため、両者の単語間には齟齬がある。この点では、他の西洋語も、ギリシア語の形を踏襲しているものの、事情はさして変わらない({{lang-la-short|apostolus}}、{{lang-fr-short|apôtre}}、{{lang-de-short|Apostel}}、{{lang-en-short|apostle}}など)。なお、「使徒」という訳語は、漢訳聖書から継いだものである。
 
また、[[イスラム教]]においては、'''ラスール'''(rasūl, {{lang|ar|رسول}})という語が同じく「使者」の意であり、キリスト教の使徒と似た意味に用いられて、訳語として「apostle」や「使徒」があてられている。
10 ⟶ 8行目:
== キリスト教における使徒 ==
=== 狭義 ===
新約聖書では、{{lang|el|ἀπόστολος}} の語は(複数形 {{lang|el|ἀπόστολοι}} も含めて)、「[[マルコによる福音書]]」、「[[マタイによる福音書]]」、「[[ルカによる福音書]]」、「[[使徒言行録]]」、[[パウロ書簡]]、「[[ヘブライ人への手紙|ヘブライ書]]」、[[ペトロ]]書、「[[ユダの手紙|ユダ書]]」、「[[ヨハネの黙示録]]」に用いられている。このうち、「マルコ<ref>{{efn2|マルコ6章30節。なお、3章14節は、本文批判上、後世の加筆と考えられる。恐らくルカから写されたもの</ref>。}}」と、「マタイ<ref>マタイ10章2節</ref>」、「ヘブライ書<ref>ヘブライ書3章1節</ref>」は文脈上、この単語を単に「派遣されたもの」または「使者」という意味で用いている。他の文書では、{{lang|el|ἀπόστολος}} は、固有名詞的に、何か権威ある称号のようなもの(日本語訳でいう「使徒」)として使われている。近代批評学では「[[原始キリスト教]]」において、「使徒」がどのような定義をもつ語として用いられていたのか、その詳細はよくわからないとされる。
 
[[ルカ]](の著者)の十二使徒観ははっきりとしている<ref>{{Cite news|title=6.十二使徒たちは誰ですか?|url=http://opusdei.org/ja-jp/article/6-shi-er-shi-tu-tachihashui-desuka/|accessdate=2018-04-06|language=ja}}</ref>。ルカ文書(ルカ福音書と使徒言行録)によれば、「十二使徒」とは、最初にイエスによって選ばれた12人の弟子集団である<ref>ルカ 6章13節</ref>。旧約時代の神の民・[[イスラエル]]の12部族との関連で、12人という枠は維持すべきもので<ref>使徒言行録 1章20節</ref>、十二使徒の成員の条件としては、イエスの[[復活 (キリスト教)|復活]]の証人であり、またイエスと生前をともにした者でなければならない<ref>使徒言行録 1章21節~22節</ref>。またルカははっきりと[[パウロ]]を使徒と認めている<ref>「これを聞いた使徒たち、[[バルナバ]]とパウロは(使徒14:14)」[[新改訳聖書]]</ref><ref>{{efn2|[[自由主義神学]]によれば、ルカは、[[パウロ]]や他の宣教者を「使徒」とみなしていないとする。使徒言行録14章14節は、パウロとバルナバに言及した箇所で「使徒」と呼んでいるが、これを例外と考える。これはルカが、この箇所を書くために用いていた伝承資料を、引き写したものだと主張し、ルカ文書の使徒観をただちに歴史的事実とすることはできないとする。</ref>
イスカリオテのユダ}}
 
さらに、パウロ書簡は、使徒の基準を伝えている。パウロ書簡による使徒の定義は、復活した主イエスの証人であること<ref>[[コリントの信徒への手紙一|第一コリント]]9:1</ref>主イエスに使徒として召されたことである<ref>使徒26:16-20</ref><ref>[[尾山令仁]]『ローマ教会への手紙』羊群社</ref>。重要な点として、パウロは「使徒」としての権威を強調していることが挙げられる<ref>[[ローマの信徒への手紙|ローマ書]] 1章1節 他<!--その拠所は、彼が復活したイエスを目撃したとされることか?--></ref>。このパウロの使徒としての権威は、使徒[[ペトロ]]も認めている<ref>[[ペトロの手紙二|第二ペトロ]]3:15-16</ref><ref>[[マーティン・ロイドジョンズ]]『教会の権威』みくに書店</ref>。次に、パウロは、使徒は12人(あるいは、自身を含めて13人)に限定していない<ref>第1コリント書15章7節</ref>。
18 ⟶ 17行目:
近代批評学では、パウロがルカと同じく、[[ヤコブ (イエスの兄弟)|主の兄弟ヤコブ]]を「使徒」とは呼ばないことにも、「使徒」の定義の謎が残るとされる。エルサレム教会の権威が失墜した時期以降、恐らく「使徒」の厳しい定義も消えていったと考えられる。
 
歴史的な「統派」キリス教会やカリック教会は、パウロを「使徒」と認め呼んで崇敬し、それは現代にまで至る。
 
== 十二使徒 ==
前述のように、「十二使徒」は極めてルカ的概念である。ただし、ルカは「十二使徒」という言葉そのものは用いていない。新約中、この言い方は、「ヨハネ黙示録」21章14節のみである(マタイ10章2節については、前述の通り)。
 
[[新約聖書]]内では、ルカ福音書と使徒言行録を除いては、使徒を12人に限定していないが、イエスの高弟である「十二人」({{lang|el| δώδεκα}}) については、幾つかの文書に記されている。彼らは、イエスから悪霊を払うための権能を授けられたという。12という数字は、イスラエルの12部族に対応するものと思われる。「十二人」のすべての名は、「マルコ福音書<ref>マルコ 3章14節-19節</ref>」に記されており、「マタイ<ref>マタイ 10章1節-4節</ref>」、「ルカ<ref>ルカ 6章13節-16節</ref>」、「使徒言行録<ref>使徒言行録 1章13節</ref>」は、これを写したものである。「[[ヨハネによる福音書]]」には、「十二人」の存在は語られるが、内数人のみの名が挙げられている。他に、「[[コリントの信徒への手紙一|第1コリント書]]<ref>第1コリント書 15章5節</ref>」、「ヨハネの黙示録<ref>ヨハネの黙示録 21章14節</ref>」など。使徒言行録によれば、[[イスカリオテのユダ]]による欠員を[[マティア]]で埋めたという<ref>使徒言行録 1章21節-26節</ref>。[[福音書]]によって構成員の名前が異なること、ほとんど言及されない人物もいること(後掲の表参照)から、イエス時代の史実でないと考える研究者もいる
 
今日、一般的な「十二使徒」という概念はルカに準拠した上で「正統派」教会においてドグマ化し、'''ペトロ、アンデレ、ゼベダイの子ヤコブ'''(大ヤコブ)'''、ヨハネ、フィリポ、バルトロマイ、トマス、マタイ、アルファイの子ヤコブ'''(小ヤコブ)'''、'''(熱心党の)'''シモン、タダイのユダ'''(タダイと呼ばれるユダ)'''、イスカリオテのユダ'''の12名が広く定着した。
[[福音書]]によって構成員の名前が異なること、ほとんど言及されない人物もいること(後掲の表参照)から、イエス時代の史実でないと考える研究者もいる。ルカの「十二使徒」という概念は、後に「正統派」教会においてドグマ化し、広く定着した。
 
以下に福音書その他の版を示す。
 
{| class="wikitable"
31 ⟶ 32行目:
! [[マルコによる福音書|マルコ]] !! [[マタイによる福音書|マタイ]] !! [[ルカによる福音書|ルカ]] !! [[使徒言行録]] !! [[ヨハネによる福音書|ヨハネ]]
|-
| colspan="3" | [[ペトロ|シモン・ペトロ]](B1) || シモン・ペトロ(B1) || シモン・ペトロ(B1) || ペトロ || ヨハネの子シモン・ペトロ(B1)
|-
| colspan="2" | [[ヤコブ (ゼベダイの子)|ゼベダイの子ヤコブ]](B2) || ゼベダイの子ヤコブ(B2) || ゼベダイの子ヤコブ || ヤコブ(B2) || ゼベダイの子たち(!)(?)
|-
| colspan="2" | [[ヨハネ (使徒)|ヨハネ]](B2) || ヨハネ(B2) || ヨハネ || ヨハネ(B2) || イエスに愛された弟子(?)<ref>{{efn2|教会の伝統的解釈では、彼を使徒ヨハネと同定する。近代批評学(リベラル)では否定される。</ref>}}
|-
| colspan="2" | [[アンデレ]](B1) || アンデレ(B1) || アンデレ(B1)(!) || アンデレ(!) || アンデレ(B1)
|-
| colspan="3" | [[フィリポ]](!) || フィリポ(!) || フィリポ(!) || フィリポ(?) || フィリポ
|-
| colspan="4" | [[バルトロマイ]](!) || バルトロマイ(!) || バルトロマイ(!) || バルトロマイ(!) || &nbsp;
|-
| &nbsp; || &nbsp; || &nbsp; || &nbsp; || [[ナタナエル]]<ref>{{efn2|「ヨハネによる福音書」にのみ名前の見える[[ナタナエル]]は、伝承では同書に言及のない[[バルトロマイ]]と同一視される。</ref>}}
|-
| [[マタイ]](!) || 徴税人マタイ || マタイ(!)colspan="2" || マタイ(!) ||  
|-
| colspan="4" | [[トマス (使徒)|トマス]](!) || トマス(!) || トマス(!) || トマス(!) || ディディモ・トマス
|-
| colspan="4" | [[ヤコブ (アルファイの子)|アルファイの子ヤコブ]](!) || アルファイの子ヤコブ(!) || アルファイの子ヤコブ(!) || アルファイの子ヤコブ(!) || &nbsp;
|-
| colspan="2" | [[ユダ_(タダイ)|タダイ]](!) || タダイ(!) || &nbsp; || &nbsp; || &nbsp;
|-
| &nbsp; || &nbsp; || colspan="2" | [[ユダ_(タダイ)|ヤコブの子ユダ]](!) || ヤコブの子ユダ(!) || (イスカリオテでない)ユダ
|-
| colspan="2" | [[熱心党のシモン|熱心者のシモン]](!) || 熱心者のシモン(!) || 熱心党員と呼ばれたシモン(!) || 熱心党のシモン(!) || &nbsp;
|-
| colspan="3" | [[イスカリオテのユダ]] || イスカリオテのユダ {{efn2|| イスカリオテのユダ || (ユダ<ref>使徒言行録 1章18節参照。死後、使徒ではなくなった時点で言及されている。</ref>}}) || イスカリオテのシモンの子ユダ
|-
| &nbsp; || &nbsp; || &nbsp; || [[マティア]] || &nbsp;
76 ⟶ 77行目:
ある地域に初めてキリスト教を伝えた人物や、特定地域の宣教に大きな働きを示した人物に、「使徒」の称号を冠することも一般的である。[[正教会]]では、これを[[亜使徒]](Equal to the apostles, 使徒に準ずる、あるいは使徒と同等の者の意)と呼ぶ。
 
例として、東洋の使徒[[フランシスコ・ザビエル]]<ref>{{efn2|正教会では崇敬されていない。</ref>}}やスラブの使徒、またはスラブの亜使徒キリル(チリロ)とメトディウス(メフォディ)、日本の亜使徒[[イワン・ドミートリエヴィチ・カサートキン|聖ニコライ]]などがある。
 
== イスラム教における使徒 ==
{{main|イスラム教の預言者}}
イスラム教での使徒(ラスール)とは、ある特定の共同体の中から選ばれ、その共同体に遣わされて、神([[アッラーフ]])から授かった言葉を伝える使命を啓示された者のことである<ref>{{Cite web |和書|url=https://www.islamreligion.com/jp/articles/37/ |title=諸預言者への信仰 - イスラームという宗教 |accessdate=2020-02-28}}</ref>。
 
[[ムスリム]](イスラム教徒)にとっては、[[ムハンマド・イブン=アブドゥッラーフ|ムハンマド]]こそ全人類・全[[ジン (アラブ)|ジン]]に遣わされた最後の使徒に他ならず、その事実を信じることがイスラム教の根幹のひとつである<ref>{{Cite web |和書|url=https://www.islamreligion.com/jp/articles/43/ |title=全人類への使徒 - イスラームという宗教 |accessdate=2020-02-28}}</ref>。そのため、[[シャハーダ]]や[[アザーン]]には「'''ムハンマドは神の使徒なり'''」という文言が含まれる<ref>{{Cite web |和書|url=http://islamjp.com/culture/urwa2-3.htm |title=シャハーダ |accessdate=2020-02-28}}</ref>。
 
ムスリムの中には、律法を伝える使命を啓示されている点で使徒を[[預言者]](ナビー)と区別する、すなわち、使徒は預言者に包括されている、という考え方<ref>{{Cite web |和書|url=http://islam.ne.jp/nabi/nabi3 |title=預言者と使徒の違い |accessdate=2020-02-28}}</ref>をする人もいるが、一般には「使徒」と「預言者」は同義であるかのように用いられ、ムハンマドは神の使徒とも預言者とも呼ばれている。
 
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
{{Reflist|2}}
{{notelist2}}
=== 出典 ===
{{reflist|3}}
 
== 関連項目 ==