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{{画像提供依頼|ランサーエボリューションWRC|date=2025年9月|cat=自動車}}
[[Image:Kristian_Sohlberg_-_2004_Rally_Finland.jpg|thumb|300px|ランサーWRC'04 (2004年モデル)]]
'''三菱・ランサーWRC'''(ランサーダブリューアールシー、''Lancer Worldrallycar'' )は、[[三菱自動車工業]]のモータースポーツ部門であるラリーアートが[[世界ラリー選手権]] (WRC) に出場するために製作した、ランサーをベースにした[[ワールドラリーカー]]である。本項目では大まか2車種、小変更含め4台(ランサーエボリューションWRC、ランサーエボリューションWRC2、ランサーWRC'04、ランサーWRC'05)について記述する。又、当時の文献、WEB等ではランサーWRCはランサーWRC'04の事を指している場合が多い。
== ランサーエボリューションWRC==
1993年からWRCに投入された一連の[[三菱・ランサーエボリューション|ランサーエボリューション]]シリーズ(通称:ランエボ)は、三菱が先鞭をつけて開発したアクティブ・デファレンシャルと[[トミ・マキネン]]らのドライブで成功をおさめた。
=== ランサーエボリューションWRC ===
1997年から世界ラリー選手権(WRC)にワールドラリーカー規定が導入されると、ライバルチームは改造範囲の広さを活かして戦力を強化した。これに対し、グループA規定に基づく改良のみで戦っていたランサーは次第に不利となり、[[2001年の世界ラリー選手権|2001年]]に三菱はワールドラリーカーへの移行を決定した。特例措置として、シーズン前半戦はリアサスペンションのストローク増大と軽量フライホイールを装着した「ランサーエボリューションVI トミ・マキネンエディション(エボ6.5)」で参戦し、シーズン終盤の[[ラリー・サンレモ]]より、[[三菱・ランサー#6代目_CS0系(2000年_-_2010年)|6代目ランサー CS2A系]]をベースとした三菱初のワールドラリーカー'''ランサーエボリューションWRC'''を投入した。このモデルの外観は市販のCT9A型ランサーエボリューションVIIに酷似していた。
開発はベルナール・リンダウアー率いる[[ラリーアート|ラリーアート・ヨーロッパ]](RAE)が担当したが、慢性的な人員不足から計画は遅れ、トミ・マキネンでもグループA時代のような速さを発揮できず低迷した。
ランサーエボリューションWRCは、1980年代からスポーツカーおよびラリーカーに採用されてきた1996cc直列4気筒ターボエンジン「4G63」を引き続き搭載し、本仕様では5500rpmで300PS(221kW)、3500rpmで540N·m(398lb·ft)を発生したが、比較的短期間で開発された背景があり、ラリーアートは1999年にFIAと結んだ契約により旧型仕様のランサーでの参戦を続けざるを得なかったため、投入の遅れは許されなかった。
ワールドラリーカー規定では車両改造の自由度が高く、従来のグループA仕様では不可能であった改良が施された。具体的には、エンジンの軽量化、及び前方重量配分を最適化するための後方傾斜化、新型ターボや排気系統の導入が挙げられる。特にサスペンションは前後ともマクファーソンストラットを採用し、大径ホイールハウスを備えることでサスペンショントラベルを拡大した。しかし駆動系は従来型を踏襲したため、2001年末にマキネンがチームを去った後、新たに加入したドライバーたちは左足ブレーキ主体のドライビングを要する特殊なトランスミッションに順応できなかった。
初期型のランサーエボリューションWRCは「ステップ1」とも呼ばれ、2002年のラリー・フィンランド以降は改良版「ステップ2」へと置き換えられた。
=== ランサーエボリューションWRC2(ステップ2) ===
[[Image:Mitsubishi LancerEvolution WRC02.JPG|thumb|right|200px|ランサーエボリューションWRC2(2003年カラーリングの2002年モデル)]]
2002年シーズン中盤、トミ・マキネンの離脱後に[[フランソワ・デルクール]]と[[アリスター・マクレー]]が加入し、小改良版'''ランサーエボリューションWRC2(ステップ2)'''がラリー・フィンランドでデビューした。
このモデルは初代同様に1996cc直列4気筒ターボエンジン「4G63」を搭載し、最高出力は5500rpmで300PS(221kW)、最大トルクは3500rpmで540N·m(398lb·ft)を発生した。トランスミッションは6速シーケンシャル式を採用し、カーボン製トリプルプレートクラッチを介して、前後およびセンターに備えたアクティブデフによって駆動力を4輪に配分した。サスペンションは前後ともマクファーソンストラット+コイルスプリングを組み合わせ、ブレーキは前6ポット・後4ポットキャリパーとベンチレーテッドディスクを採用した。
車体面では、重量配分や重心の最適化、ラジエーター冷却効率を高めるためのフロントエアダム、新型インタークーラー、シングルスクロールターボ、新排気マニホールドの導入、軽量化されたクランクシャフトやフライホイールの採用など、多数の改良が加えられた。さらにサスペンションは強化され、トランスミッションもドライバーの異なるスタイル(デルクールやマクレーなど)に対応できるよう変更された。
しかしながら、先代マシンで課題となっていたコーナー進入時の過大なアンダーステアや慢性的なトラクション不足は解消されず、成績は低迷した。ラリー・ニュージーランドではヤニ・パーソネンが一時トップ5に食い込む走りを見せたが、大半のラリーでは下位チームとトップ10争いを繰り広げるのがやっとであった。結果として、2002年シーズンのドライバーズ選手権は計2ポイント、マニュファクチャラーズ選手権も9ポイントに留まった。
三菱自動車は2002年限りで本格的なWRC活動を中止したが、2003年には開発を目的として断続的に参戦を続け、同年のラリー・ニュージーランドではアリスター・マクレーが6位入賞を果たしている。さらに同年10月には2004年の世界ラリー選手権活動計画を発表し、11月のエッセンモーターショーで新型車「ランサーWRC04」を初公開、同月下旬から英国・スペイン・スウェーデンでテスト走行を実施し、翌年の開幕ラリー・モンテカルロに向けた準備を進めた。
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=== ランサーWRC04 ===
三菱は2004年、ランサーWRC04でWRCに復帰した。本車両はWRC2(ステップ2)から6000点以上の変更を受けており、引き続き[[三菱・4G63|4G63]]エンジンを搭載するが、長年、三菱のWRCエンジン開発を手がけている[[エッチ・ケー・エス|HKS]]によりチューニングされているほか、5速セミオートマチックトランスミッションとリカルド社と共同開発した新型AWDシステムを採用した。エンジンはフロントヘビー解消のため、規定の範囲で後方に傾けて搭載されている。
ボディはランサーセディアのホワイトボディをベースとし、サスペンショントラベル確保のためホイールハウスを拡大。空力面ではローラ・カーズの風洞実験に基づき、新設計のフロントエアダムや大径ホイールアーチを備え、外観上ではルーフに流れてくる空気を効率的かつ最大限利用するために、大型のリアウイングをトランクリッド前方に設置した。このリアウイングは一見2段ウイングのように見えるが、下面部分は上面部分の高さを稼ぐためのパーツとして取り付けられており、ウイングの役割を果たさないようリアガラスに密着させて下面部分下側に空気が抜けないようにされている<ref>{{Cite journal |和書 |author= |title=異形の翼 |year=2021 |publisher=三栄出版 |journal=RALLY CARS Vol.29 MITSUBISHI LANCER WRC04/05 |issue= |pages=17}}</ref>。フロントは[[オリビエ・ブーレイ]]がデザインする以前のランサー・セディアをベースにしたものに変更されている。なお、04ではフロントグリルは所謂ブーレイ顔だったが、05ではランサーエボリューションⅨ共々廃止されている。輪ブレーキは8ポットキャリパーと370mmディスクへ強化された。
駆動系はフロント・センター・リアとも機械式デファレンシャルを採用。センターデフはニューマチックシステムで制御されていたが、細かな制御が難しいなどの課題を抱えていた。
活動は2003年12月に開発を完了し、2004年シーズン開幕戦モンテカルロからスタート。運営は従来のラリーアート・ヨーロッパ(RAE)に代わり、新たに設立された三菱自動車モータースポーツ(MMSP)が担当した。エースドライバーにジル・パニッツィを迎え、初戦では総合6位に入るが、電装系トラブルなど信頼性不足が続き、ニュージーランド戦では両車がスタート直後にリタイアするなど成績は低迷。シーズン全戦参戦は行わず、開発を優先した。参戦ドライバーはパニッツィ/エルヴェ・パニッツィの兄弟のほか、ジャンルイジ・ガッリ/グイド・ダモーレ、ダニエル・ソラ/シャビ・アミゴ、クリスチャン・ソールベルグ/カイ・リンドストロームらであった。
シーズン中盤には再び活動休止が発表されたが、終盤のカタルーニャでは開幕戦以来となるトップ5入賞を果たした。
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[[Image:Ss7 galli.jpg|thumb|right|200px|ランサーWRC'05]]
2005年仕様のランサーWRC05は大規模な変更こそなかったものの、規則改定に伴い全幅が30mm拡大された。ECUやターボのウェイストゲート更新、サスペンションリンクやドライブシャフトの延長によるワイドトレッド対応、空力改善、ギア比の一部変更、ステアリングパドルシフトの導入などが行われた。外観はランサーエボリューションIXと同様に「ブーレイ顔」を廃止している。
駆動系では、2004年モデルはフロント、センター、リヤともに機械式が採用されたが、2005年モデルはセンターのみアクティブデフが投入された。なお、開発現場ではパフォーマンスアップのためにフロントデフ・センターデフのアクティブデフ化を進めていたが、2005年シーズンには間に合わなかった<ref name=LANCER_WRC_Okazaki>{{Cite journal |和書 |author= |title=岡崎のエンジニアが見た三菱ラリーカーの進化 |year=2021 |publisher=三栄出版 |journal=RALLY CARS Vol.29 MITSUBISHI LANCER WRC04/05 |issue= |pages=63-64}}</ref>。センターデフのコントロールはニューマチックシステムで行っていたが、細かな制御が出来ない、きめ細かな制御が出来るようにすると空気の容量が足りない、といった理由から、ニューマチックから離れて他のシステムにするという議論も行われていた<ref name=LANCER_WRC_Okazaki></ref>。
2005年シーズンは[[ジル・パニッツィ]]、[[ハリ・ロバンペラ]]、[[ジャンルイジ・ガリ]]を起用。開幕戦モンテカルロではパニッツィが三菱のワールドラリーカー移行後初の3位表彰台を獲得し、最終戦オーストラリアでもロバンペラが2位入賞を果たした。信頼性を重視した改良の成果により、WRC04より堅実な成績を残したが、一方でセミオートマチックギアボックスや圧縮空気によるデフ制御がトラブルの原因となり、結果的に十分な成果を得られなかった。この不振の責任を問われ、チーム関係者フォルナリスは更迭も行われた<ref group="注">最も、フォルナリスは後年、2005年1月に自分から辞表を提出してプロジェクトへの関与を止め、2005年6月末に公式にMMSPから離れたとインタビューで語っている。また、辞職した理由に関しても本来三菱本社が約束していた予算より少ない予算しか渡されず、予定していたプロジェクトが完成できなかった、日本とイギリスのマシン開発に対する姿勢や方向性の違い、新しくMMSPの代表に就任した人物による自身の権限に越権してくるような行為があった、などから自身がこのまま居続けてもMMSPの利益にならないと判断したためとも語っている。</ref><ref>{{Cite journal |和書 |author= |title=Interview with Key Person マリオ・フォルナリス |year=2021 |publisher=三栄出版 |journal=RALLY CARS Vol.29 MITSUBISHI LANCER WRC04/05 |issue= |pages=57 - 58}}</ref>。
2005年12月、三菱は経営再建のためWRCからの撤退を表明。これにより同社のワークスラリー活動は終了した。ただし、プライベーター向けのカスタマーサービスは継続され、2006年以降はラリーアートUK(後のMMLスポーツ)がマシンを引き継いだ。
2006年のラリー・スウェーデンでは、BOS製ダンパーを導入した改良型で地元ドライバーのダニエル・カールソンが3位、ガッリが4位に入賞する活躍を見せた。その後、MMLスポーツは顧客チーム向けにサスペンションやトランスミッションの改良を施し、非公式に「WRC07」と呼ばれる仕様へと発展。WRC05に比べて1kmあたり0.5秒の短縮が可能とされた。
2007年には本来認められないマニュファクチャラー未登録マシンでありながら、他ワークスチームの同意を得て改良型インジェクターやリアクロスメンバーを投入し善戦したが、同年中盤にMMSPとしての活動を終了した。その後、イギリス・ラグビーにあったMMSPの拠点は元オペレーション・ディレクターのジョン・イーストンが引き継ぎ、MMLスポーツとしてランサーWRC05のレンタル・販売を継続。ヨーロッパ各国の国内選手権にも投入され、2008年にはチャバ・シュピチュミュラーがハンガリー選手権を制している。
== 脚注 ==
=== 注釈 ===
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=== 出典 ===
{{Reflist}}
== 関連項目 ==
* [[世界ラリー選手権]]
* [[ワールドラリーカー]]
* [[
* [[三菱・ランサーエボリューション]]
* [[ラリーアート]]
== 外部リンク ==
{{Commonscat|Mitsubishi Lancer WRC}}
* {{Wayback |http://www.mitsubishi-motors.co.jp/motorsports/01wrc_j/lancer_spec.html |title=ランサーエボリューション WRC |date=20051031022937}}
* {{Wayback |http://www.mitsubishi-motors.co.jp/motorsports/02wrc_j/lancer_spec.html |title=ランサーエボリューション WRC2 |date=20070423075421}}
* {{Wayback |http://www.mitsubishi-motors.com/motorsports/j/04wrc/lancer/index.html |title=ランサーWRC04 |date=20160304080152}}
* {{Wayback |http://www.mitsubishi-motors.com/motorsports/j/05wrc/car/index.html |title=ランサーWRC05 |date=20081121222055}}
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