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{{ Infobox Buddhist term
| title = 天, 天部, 天人
| image = [[File:Devaloka.jpg|250px]]
| caption = Devalokaの[[三神一体]]
| en = Deity
| pi = देव<br>(deva)
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| id = dewa, dewi
}}
[[仏教]]における'''天'''(てん、{{lang-sa-short|devaदेव}}{{sfn|総合仏教大辞典|1988|p=1020-1021}} [デーヴァ])とは、[[衆生]]が[[輪廻|生死流転]]する[[六道]]のうちの最上部にある世界のことであり<ref name="コトバンク天">{{Cite webKotobank|url=https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A9-102026|title=(テン)とは - コトバンク|publisher=朝日新聞社|accessdate=2017-10-12}}</ref>、'''天界'''、'''天上界'''(てんじょうかい)、'''天道'''とも呼ばれる<ref name="コトバンク天" />{{sfn|総合仏教大辞典|1988|p=1020-1021}}。天界は、この地上から遙か上方にあると考えられている{{sfn|総合仏教大辞典|1988|p=1020-1021}}。
 
天界は[[大乗仏教]]と[[上座部仏教]]のいずれの教義においても六道輪廻の最上部に位置する世界と位置付けられている。
天界の住民の総称を'''天人'''、'''天部'''、'''天衆'''といい<ref name="コトバンク天上界">{{Cite web|url=https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A9%E4%B8%8A%E7%95%8C-578236|title=天上界(テンジョウカイ)とは - コトバンク|publisher=朝日新聞社|accessdate=2017-10-12}}</ref>{{sfn|総合仏教大辞典|1988|p=1020-1021}}、[[神]]やその[[眷属|眷族]]<ref name="コトバンク天" />が住んでいる。'''諸天部'''<ref name="コトバンク天部">{{Cite web|url=https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A9%E9%83%A8-102737|title=天部(てんぶ)とは - コトバンク|publisher=朝日新聞社|accessdate=2017-10-13}}</ref>、'''天部神'''<ref>関衛 『日本絵画史』 日東書院、1931。{{要ページ番号|date=2017-10-13}}</ref>ともいう。[[インド]]の古来の神が[[仏教]]に取り入れられて[[護法善神]]となったものである<ref name="コトバンク天部" />。
 
天界の住民の総称を'''天人'''、'''天部'''(てんぶ)、'''天衆'''といい<ref name="コトバンク天上界">{{Cite webKotobank|url=https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A9%E4%B8%8A%E7%95%8C-578236|title=天上界(テンジョウカイ)とは - コトバンク|publisher=朝日新聞社|accessdate=2017-10-12}}</ref>{{sfn|総合仏教大辞典|1988|p=1020-1021}}、[[神]]やその[[眷属|眷族]]<ref name="コトバンク天" />が住んでいる。'''諸天部'''<ref name="コトバンク天部">{{Cite webKotobank|url=https://kotobank.jp/word/%E5%A4%A9%E9%83%A8-102737|title=天部(てんぶ)とは - コトバンク|publisher=朝日新聞社|accessdate=2017-10-13}}</ref>、'''天部神'''<ref>関衛 『日本絵画史』 日東書院、1931。{{要ページ番号|date=2017-10-13}}</ref>ともいう。[[インド]]の古来[[バラモン教]]の神々や神々の住む世界観が[[仏教]]に取り入れられて[[護法善神]]となったものである<ref name="コトバンク天部" />。
 
== 語源 ==
{{出典の明記|section=1|date=2017年10月12日 (木) 00:17 (UTC)}}
サンスクリット語の[[デーヴァ]] (deva) は「神」に相当する語であり、[[インド神話]]の[[天空神]][[ディヤウス]]や、[[ 印欧祖語]]を介してラテン語・キリスト教の[[デウス]]やギリシ神話の[[ゼウス]]とは同根語である。

中国において「天」と訳され、日本語においてもそれが踏襲されている。天部の神々も「天」([[梵天]]・[[帝釈天]]など)、天部の神々が住む世界も(devaloka)と訳されるため、[[漢字文化圏]]ではしばしば混同される。仏像の「天部」の「部」は「部門」「グループ」というほどの意味であるから。例えば天部の神々の像を指すときには、「天」だけでも意味が通じるはずだが、たとえば仏像を指すときには、日本語では「天像」とは言わず「天部像」と言いならわしている{{efn|他の尊格で「部」が省略されている場合でも、「天」だけは「天部」と称されることがある。}}。なお

devaは天神、天人とも訳すが、その場合は多少ニュアンスが異なる。ゾロアスター教においてはデーヴァに相当するダエーワは悪神・悪魔に位置付けられている。
== 教義の概略 ==
{{see also|護法善神}}
[[File:Emerald Buddha, August 2012, Bangkok.jpg|250px|thumb|タイの[[エメラルド仏]]。仏法に教化され[[護法善神]]になった[[インドラ]]([[帝釈天]])と建築神[[ヴィシュヌ]]が材料調達を担い、天界からもたらされた宝玉によって造像されたという。]]
[[File:Kizil, Cave 38, Maitreya over the exit door.jpg|250px|thumb|[[兜率天]]の[[弥勒菩薩]]([[キジル石窟]])]]
 
「天界」と「仏界の[[浄土]]」はしばしば混同されるが、[[大乗仏教]]の教義上別の世界で仏界(浄土)の方が天界より上位に位置する。[[浄土教]]系諸宗派の教義によれば、六道輪廻で生まれ変わることのできる最上位の天人(天の人々)は清浄であるが不老不死ではなく寿命を迎えれば六道のいずれかに転生するのに対して、[[阿弥陀如来]]の教化する極楽浄土に往生した者は永遠の生命と至福が得られるという。『[[往生要集]]』では現世の人間より遥かに楽欲を受ける天人でも最後は[[天人五衰]]の苦悩を免れないと説いて、速やかに阿弥陀如来に帰依し六道輪廻から解脱すべきと力説している。
 
[[上座部仏教]]の教義では、六道[[輪廻]]の最上位である天界よりも上位に位置する仏界([[浄土]])の存在を認めず、在家信者の善人は六道輪廻の最上位である天界に転生できるが不老不死ではなく、寿命を迎えると再び六道のいずれかに転生すると説く。また上座部では天の神々の存在は認めるが、[[釈迦如来]]以外の仏([[阿弥陀如来]]など)は後世に創作されたものであるとして信仰の対象にしない([[大乗非仏説]])。これらの理由により浄土を想定する大乗仏教の国々では事実上「浄土に行ったきりの来世観」になり輪廻転生が影をひそめているが、浄土を想定しない上座部の国々では[[輪廻]]転生が広く信じられて時として[[カースト]]的な思想が存在することもあれば、[[釈迦如来]]以外の仏を信仰対象にしないため代わりに[[バラモン教]]に起源をもつ[[梵天]]([[ブラフマー]])などの天の神々が現世利益のため広く信仰されていたりすることがある。このように[[上座部仏教]]と[[ヒンドゥー教]]([[バラモン教]])とでは天と天の神々に関する信仰や教義解釈が極めてよく近似しているという特徴がある。ただし仏教では[[梵天]]([[ブラフマー]])が世界の創造神だという考えを否定する。
 
[[兜率天]]は将来如来になる者が住む所とされ、現在は[[弥勒菩薩]]が住んでいるという。[[釈迦如来|釈迦]]も前世は[[兜率天]]にいたが白象に化して[[摩耶夫人|マーヤー]]の胎内に入り現世に現れたとされる。そのため死後に[[兜率天]]に転生することを望む「兜率往生」の信仰が仏教のかなり早い段階から存在したが、それが[[浄土]]思想の萌芽になったと考える説もある。[[キジル石窟]]では兜率天の弥勒菩薩が多く描かれているが、これは「兜率往生」の信仰に基づいたものと考えられている。
 
== 天界と六道 ==
{{Main2For2|天の一覧|三界#一覧}}
天道は、[[六道]]の最上位である(この文脈では天道と訳すことが多い)。そのすぐ下位が[[人間|人]]の住む人道である。[[五趣]]や[[六趣]](六道)のうち、天は苦悩が少なく最高最勝の果報を受ける[[有情]]が住む清浄な世界<ref name="コトバンク天上界" />{{sfn|総合仏教大辞典|1988|p=1020-1021}}。
 
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* [[欲界]] {{lang|sa|कामधातु (Kāmadhātu)}} - 欲にとらわれた世界。
 
== 天界の神々と ==
{{出典の明記|section=1|date=2017年10月12日 (木) 00:17 (UTC)}}
[[File:Brahma (Bangkok, Thailand) (27711854334).jpg|180px|thumb|[[タイ王国|タイ]]の[[バンコク]]で祀られる[[梵天]]([[ブラフマー]])像]]
西洋の神々・天使との違いは以下が挙げられる。
西洋の神々・天使との違いは以下が挙げられる。[[大乗仏教]]と[[上座部仏教]]でおおむね教義は同一である。仏教では[[創造論|創造神]]という概念を否定する。この世界や[[輪廻転生]]の摂理は因果によって生じたのであり[[ヤハウェ]]のような創造神はいない。『大悲経』によれば[[梵天]]([[ブラフマー]])は我こそが世界の創造神であると称していたが、[[釈迦如来|釈迦]]に「ではあなたは誰によって創造されたのか?」「輪廻転生の摂理もあなたが創造したのか?」と問われ答えることができず、自らが創造神だという考えを改めたという。
 
* 天人(天界の神々)は[[長寿]]で、空を飛ぶなどの[[六神通|神通力]]が使える。快楽に満ち、苦しみはない
* 天人も[[衆生]]にすぎず、全知でも全能でもない。
* 天人は不死ではなく(天人が死ぬ前には[[天人五衰]]という兆しが現れる)、死ねば他の衆生同様、生前の行いから六道のいずれかに転生する。天界での生活は苦が少なく享楽に満ちているため天人はみな[[閻魔輪廻]]が決めから[[解脱]]しようとは考えず、ま利他行も行わず善行をあまり積まないため、天人が死後再び天人として生まれ変わることは稀で[[六道]]いずれか下位に転生することが多いという
* 天人は道徳的に完璧な存在ではない。[[悟り]]を開いてはおらず、[[煩悩]]から解放されていない。悟りを開いたものは得て[[仏陀解脱]]でありした者は、輪廻から解放され六道に属さない[[涅槃]]の状態になる。涅槃について[[浄土]]を想定しない[[上座部仏教]]では「灰身滅智」の状態または肉体のない不可知的な状態と解釈し[[大乗仏教]]では仏の教化する[[浄土]]・[[極楽]]と行のだと解釈する
* 天人も仏法に教化され[[解脱]]することを望んでいる。
 
天部のルーツである古代インドの[[バラモン教]]の神々は、宇宙の創造神から、悪霊鬼神の類に至るまでさまざまである。そのうちには、男性神(毘沙門天、大黒天など)、女性神(吉祥天、弁才天など)、貴紳形(梵天)、天女形(吉祥天)、力士形(金剛力士)、武将形(十二神将)など、さまざまな形態や性格のものを含む。
 
[[梵天]]、[[帝釈天]]、[[吉祥天]]、[[弁才天]]、[[伎芸天]]、[[鬼子母神]]、[[大黒天]]、[[四天王]]、[[竜王]]、[[夜叉]]、[[聖天]]、[[金剛力士]]、[[韋駄天]]、[[天龍八部衆]]、[[十二神将]]、[[二十八部衆]]などの天部が存在し、貴顕天部と武人天部に二分される<ref name="コトバンク天部" />。仏教の[[仏像|尊像]]においては、[[如来]]、[[菩薩]]、[[明王]]、[[]]という4区分の4番目にあたる<ref name="コトバンク天部" />。
天人は[[長寿]]で、空を飛ぶなどの[[神通力]]が使える。快楽に満ち、苦しみはない。
 
=== 大乗仏教の尊格と天部 ===
[[梵天]]、[[帝釈天]]、[[吉祥天]]、[[弁才天]]、[[伎芸天]]、[[鬼子母神]]、[[大黒天]]、[[四天王]]、[[竜王]]、[[夜叉]]、[[聖天]]、[[金剛力士]]、[[韋駄天]]、[[天龍八部衆]]、[[十二神将]]、[[二十八部衆]]などの天部が存在し、貴顕天部と武人天部に二分される<ref name="コトバンク天部" />。仏教の[[仏像|尊像]]においては、[[如来]]、[[菩薩]]、[[明王]]、天という4区分の4番目にあたる<ref name="コトバンク天部" />。
 
=== 仏教の尊格と天部 ===
{{出典の明記|section=1|date=2017年10月12日 (木) 00:17 (UTC)}}
{{Main|日本の仏尊}}
 
日本の[[大乗仏教]]の信仰・造像の対象となっている、広い意味での「[[仏]]」は、その由来や性格に応じ、「如来部」「菩薩部」「明王部」「天部」の4つのグループに分けるのが普通である<ref>{{Cite |和書|title=仏像でわかる仏教入門 |series=講談社+α新書 |author=ひろさちや |isbn=978-4062722384 |date=2004}}</ref>{{efn|「観音」を「菩薩」と分ける場合もある。}}。「[[如来]]」とは「仏陀」と同義で「悟りを開いた者」の意、「[[菩薩]]」とは[[悟り菩提]]を開くために修行中の者の意、なお[[顕教]]では、[[十界]]を立てて本来は明王部を含まない。これに対し密教では、自性輪身・正法輪身・教令輪身の[[三輪身]]説を立てて、その中の「[[明王]]」は教令輪身で、如来の化身とされ、説法だけでは教化しがたい民衆を力尽くで教化するとされる。そのため忿怒(ふんぬ)といって恐ろしい形相をしているものが多い。以上3つのグループの諸尊に対して、「天部」に属する諸尊は、仏法の守護神・福徳神という意味合いが濃く、現世利益的な信仰を集めるものも多数存在している。
 
=== 天部の諸尊 ===
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== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
 
=== 注釈 ===
{{notelist}}
94 ⟶ 111行目:
 
== 参考文献 ==
* {{Cite book |和書 |author=総合仏教大辞典編集委員会(編) |date=1988-01 |title=総合仏教大辞典 |edition= |publisher=法蔵館 |volume=下巻 |ref={{SfnRef|総合仏教大辞典|1988}} }}
 
== 関連項目 ==
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{{天}}
{{buddhism2}}
 
{{DEFAULTSORT:てん}}
[[Category:天 (仏教)|*]]