「新勅撰和歌集」の版間の差分
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{{混同|勅撰和歌集|x1=勅撰の21の和歌集の総称である}}
『'''新勅撰和歌集'''』(しんちょくせんわかしゅう)は、[[十三代集]]の最初、通算で第9番目の[[勅撰和歌集]]。仮名序は[[藤原定家]]筆。20巻。別名は『'''宇治河集'''』(うじがわしゅう)。
== 概要 ==
[[貞永]]元年([[1232年]])6月13日、[[後堀河天皇]]の下命を受け、藤原定家が単独で撰出を開始した<ref name=":0">{{Cite|和書|author=日本古典文学大辞典編集委員会|title=日本古典文学大辞典第3巻|date=1984-04|publisher=岩波書店|pages=494-495|ref=harv}}</ref>。しかし、後堀河天皇が貞永元年10月4日に[[四条天皇]]へ
伝本によって歌数が違うが、1370首強ある<ref name=":0" />。部立は春(上下)・夏・秋(上下)・冬・賀・羇旅・神祇・釈教・恋(1-5)・雑(1-5)から成り<ref name=":0" />、従来の勅撰集の部立よりも単純化されている<ref name=":0" />。最多入集歌人は[[藤原家隆_(従二位)|藤原家隆]](43首)で、[[九条良経]](36首)、[[藤原俊成]](35首)、[[西園寺公経]](30首)、[[慈円]](27首)、[[源実朝]]・九条道家(共に25首)、[[飛鳥井雅経]](20首)が続き<ref name=":0" />、定家が庇護を受けた九条家・西園寺家の貴顕(公経は定家の義弟にして、関白九条道家の岳父である)の入集が目立つ<ref name=":0" />。
歌風は華やかな『新古今和歌集』調から一転して、平明温雅な趣向である<ref name=":0" />。『新古今和歌集』を「花」、『新勅撰和歌集』を「実」として「花実相兼」と評された<ref name=":0" />。中世和歌の世界、特に二条派では『新勅撰和歌集』の定家の和歌が手本とされた<ref name=":0" />。
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== 脚注 ==
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[[Category:勅撰和歌集]]
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