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==会社概要==
[[1971年]][[5月15日]]、[[日本国内航空]](JDA)と[[東亜航空]](TAW)が合併した{{読み仮名_ruby不使用|'''東亜国内航空'''|とうあこくないこうくう|{{lang-en-short|Toa Domestic Airlines:TDA}}}}として発足し、1988年4月1日に国際線進出に
大手私鉄の[[東急|東京急行電鉄]](東急)を実質的な親会社としており、[[45/47体制]]の下、国内準幹線と地方ローカル線を主力とした路線網を運航し、国際線と国内幹線を担う[[日本航空]](JAL)、国内幹線とローカル線・国際チャーター便を担う[[全日本空輸]](ANA)とともに、かつての日本の3大大手航空会社の一翼を担っていた。45/47体制の終焉後は国内幹線や近距離国際線にも本格的に進出し、独創的なサービスを展開することでJALやANAとの差別化を図っていた。しかし、現存する大手2社と異なり採算がとりにくい国内準幹線・地方ローカル線が主力だったために常にその経営基盤は脆弱だった上、[[バブル崩壊]]後の景気悪化と航空自由化に伴う競争激化によって経営不振に陥った。
親会社である東急もグループ再編の過程で身売り先を模索し、最終的に日本航空との経営統合が決定。[[2004年]]4月1日に'''株式会社'''{{読み仮名_ruby不使用|'''日本航空ジャパン'''|にほんこうくうジャパン、JALジャパン}}に商号変更し、日本航空ブランドの国内線運航会社に転換され、事実上消滅した。そして、その日本航空ジャパンも[[2006年]]10月1日に、'''株式会社日本航空インターナショナル'''(現商号は日本航空株式会社)に吸収合併され、名実ともに消滅した。なお、旧日本国内航空の英語名に由来する2レターの航空会社コード「{{スペル|JD}}」は、[[中華人民共和国|中国]]の新興航空会社、金鹿航空(現:[[北京首都航空]])に転用されている。
== 歴史(東亜国内航空・日本エアシステム時代) ==
=== 東亜国内航空(TDA) ===
[[ファイル:TDA blust-flower.png|代替文=TDAのロゴマーク|サムネイル|TDAのロゴマーク]]
'''東亜国内航空株式会社'''(''Toa Domestic Airlines/TDA'')は、[[東京]]・[[東京国際空港|羽田空港]]を拠点に幹線と準幹線・ローカル線を運航していた[[日本国内航空]](JDA)と[[広島市|広島]]に本社を置き[[大阪]]・[[大阪国際空港|伊丹空港]]を拠点にローカル線を中心に運航していた[[東亜航空]](TAW)の2つの航空会社が合併し、1971年5月15日に発足した(存続会社は日本国内航空)。
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発足直後の1971年7月3日に[[ばんだい号墜落事故|「ばんだい」号墜落事故]]が発生するなど前途多難な歩み出しであり、さらに1972年7月1日には運輸省からいわゆる「[[航空憲法]]」と呼ばれる[[45/47体制]]が示達されたことで、東亜国内航空には一部の幹線を除き採算の取りにくい国内ローカル線のみが割り当てられることとなり、厳しい経営を強いられた。
しかし、1972年に東京/羽田 - 大分線にボーイング727-100を投入して以降、ダグラスDC-9やエアバスA300を日本で初めて導入するなど、保有機材のジェット化、大型化を行
=== 商号変更 ===
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[[ファイル:JapanAirSystem MD-90 fukuoka 20050925095034.jpg|サムネイル|MD90]]
* 日本航空との統合時、日本エアシステムが運航していた機種で特に目立つのはエアバスA300、[[ボーイング777]]、[[マクドネル・ダグラス MD-90|マクドネル・ダグラスMD-90]]などだった。またエアバス機を主力としていたため、日欧貿易において[[ヨーロッパ]]からの大口輸入の象徴的存在とされていた。
* [[エアバスA300-600R]]は1998年に旅客型の生産が実質終了しているが、その後も日本エアシステム向けには2002年まで貨物機の合間を縫って生産されていた。同年受領したJA016Dは旅客型の最終号機で、長らく日本航空との経営統合後に受領した唯一のエアバス機でもあった。なお、日本航空は2019年6月13日に[[エアバスA350 XWB]]の初号機となるJA01XJ(A350-900)の引き渡しを受け、久々にエアバス機を受領した<ref>{{Cite web |和書|url=
[[ファイル:JAS RAINBOW SEVEN B777-200 TYO.jpg|代替文=レインボーセブン|サムネイル|B777-200]]
* ボーイング777導入に際しては、1990年に国内幹線向けに[[ボーイング747-400]]の導入を決定、9機を発注したものの、財政難から1993年3月に導入延期を決め、機体のコストや運航上の経済性を重視しボーイング777へ発注を切り替えた、という経緯がある<ref>日本エアシステム レインボー・セブンの記録 - 世界のエアライン9(ワールドフォトプレス 1997年)</ref>。なお、ボーイング747を発注したがキャンセルとなった理由は、航空憲法と称された45/47体制が廃止されて日本エアシステムに国際線の定期便運航が許可された時期が、丁度[[バブル経済]]の時期と重なっていた為、国際線用機材としてこの機材が計画されたが、[[湾岸戦争]]やバブル経済の崩壊に加え、成田空港の発着枠をめぐる問題などにより、導入が困難とされた為である。
* 日本国内航空・東亜国内航空・日本エアシステムが発注した[[ボーイング]]社製航空機の顧客番号([[ボーイング#カスタマーコード|カスタマーコード]])は'''89'''で<ref name="747-65">[[#B747-1986|『ボーイング747ジャンボ』1986年 イカロス出版 p.65]]</ref>、航空機の形式名は727-'''89'''、777-2'''89'''の2機種のみとなる。
* DC-9導入以前に日本国内航空は[[フランス]]の[[シュド・カラベル]]の導入を検討しており、調査団の派遣日程まで決められていたが突然中止になったという<ref>『イカロスMOOK JAL JET STORY』 2009年 イカロス出版 P153</ref>。
[[ファイル:Japan Air System Beechcraft B200 (JA8784 BB-1463) (4507415184).jpg|代替文=乗員訓練に使用されたビーチクラフトB200|サムネイル|220x220px|乗員訓練に使用されたビーチクラフトB200]]
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[[ファイル:JapanAirlines MD-81 fukuoka 20040806145502.jpg|thumb|220x220px|right|日本航空の「太陽のアーク」塗装になった元日本エアシステムのマクドネル・ダグラスMD-81型機]]
[[ファイル:JapanAirlines A300-600R kumamoto 20091020 165756.jpg|thumb|right|220x220px|日本航空の「太陽のアーク」塗装になった元日本エアシステムのエアバスA300-600R]]
* 2013年3月にMD90型機が引退するにあたっては、JALパックが引退記念ツアーを企画、日本エアシステム時代の制服を着用した搭乗員が機内サービスを行うなどのイベントが行われた<ref>[https://web.archive.org/web/20130115200520/http://mainichi.jp/graph/2013/01/14/20130114mog00m040008000c/001.html 毎日新聞「JAL:鶴丸塗装のMD90が引退記念フライト」]</ref>。また引退フライトにおいては、搭乗証明書等に「JAS」のロゴが公式に記載されるなど日本航空側の配慮が見られた<ref>[https://web.archive.org/web/20160304122116/https://blogs.yahoo.co.jp/ccobouex/9054826.html MD90最後の西へ]</ref>。
* MD-90やA300-600Rが全機退役した後もボーイング777(JA8977〜JA8979・JA007D〜JA010D)については運航が継続され、2019年時点の日本航空においては旧日本エアシステムから継承された最後の機材であった。久々のJALのエアバス機となるA350-900の導入によって、段階的に退役が開始されていた。しかし
=== 日本エアシステム→日本航空ジャパン(1988年~2006年) ===
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* [[マクドネル・ダグラス MD-90|マクドネル・ダグラスMD-90-30]]
* [[マクドネル・ダグラス MD-80|マクドネル・ダグラスMD-81]] (DC-9 Super80)
*: TDA時代に導入した「DC-9 Super80」とJAS時代の「MD-81」は[[旅客機のコックピット|コックピット]]仕様に差異があるため、運航面では別機種扱いとされていた。また、JA8261以降は扁平型テイルコーンとJT8D-217Cエンジンに変更され、実態はMD-82であったがMD-81として運用されていた。
* マクドネル・ダグラスMD-87
* [[日本航空機製造]][[YS-11]]
* [[ビーチクラフト キングエア#
* [[ヒューズ 369|ヒューズ369HS]]
* [[ユーロコプター エキュレイユ|アエロスパシアルAS350B]]
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=== レインボー・デザイン ===
* レインボーカラーへの切替に端を発したのは、[[1981年]]から導入されたエアバスA300からである。[[1979年]]開催の国際航空宇宙ショーにエアバス社は、エアバス・インダストリー社のコーポレートカラーのデモ機に、既に導入が決まっておりこれに協賛していた「東亜国内航空のロゴと社名」を書き込んでデモフライトを行った。これに感激した同社役員がエアバス社にデザインの譲り受けを申し入れ、同社機の新しいデザインが決まった。「東亜国内航空」のイメージは、同社初の[[ワイドボディ機]]である同機の導入と共に一新されることになった<ref name=":0">{{Cite book|和書 |title=「月刊エアライン」2006年7月号 |date=2006年5月30日 |publisher=イカロス出版 |page=61}}</ref>。
* これに合わせて他の機材もレインボーカラーに変更することとなったが、YS-11はすんなりエアバスの許可が下りたもののDC-9では機体が細長く黄色とオレンジが不明瞭となることからなかなか許可が下りず、オレンジを抜くことでその許可が下りた。続いて導入されたマクドネル・ダグラスMD-81にも
=== 黒澤明デザイン MD-90 ===
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; [[人気者でいこう!]]
: 1998年5月19日放送の「爆裂カラオケ企業バトル」企画に
; 海外における「レインボー・デザイン」
* 日本エアシステムの機材はYS-11ならびにA300を中心に、国外売却後もそのままの塗装で運用されていた事例がある。中でもフィリピンおよびスリランカで使用されていたRP-C1931(元JA8723「きび」)は、2019年にインターネットオークションに出品され、2021年に人気お笑い芸人の「[[キングコング (お笑いコンビ)|キングコング]]」の[[西野亮廣]]が購入したことで話題となった
{{Gallery|File:Air Philippines NAMC YS-11 JetPix.jpg|エア・フィリピン RP-C1930(元JA8653)|File:Fly Air Airbus A300B2K-3C TC-FLJ basic Japan Air System colors (24105992232).jpg|フライ・エア TC-FLJ(元JA8464)|File:Fly Air Airbus A300B4-2C TC-FLF.jpg|フライ・エア TC-FLF(元JA8293)}}
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東亜国内航空時代より、[[ブランド]]イメージと規模で先行していた大手2社との差別化に苦慮していた日本エアシステムは、この状況を打破するためにいくつかの独創的なサービスを導入している。また、以下のようなサービスを日本で最初に導入している。
* [[俳優#性別での分類|女優]]の[[ヘアヌード]]写真が掲載されている[[週刊誌]]などの[[雑誌]]の搭載を取りやめ。
* 半額運賃の国内線割引運賃を設定。
* 女性優先[[便所|トイレ]]を設置。
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* [[鰐淵晴子]](1960年代・日本国内航空時代)
* ジョディ・マッケンジー([[1979年]])
* [[稲光朱火]]([[1980年]])
* 石川優子([[1981年]]/歌手・[[石川優子]]とは別人)
* 松本真実([[1983年]])
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* ジーナ・ナナ([[1985年]])
* シェリー・アサンシオン([[1986年]])
* [[武市幸子]]([[1987年]]/俳優・[[高松英郎]]の長女)
* [[西田ひかる]]([[1988年]])
* [[坂井泉水]]([[1989年]]/'89フルロードキャンペーン/蒲池幸子名)
* 坂井泉水(1989年/JASカーゴ/蒲池幸子名)
* 坂井泉水([[1990年]]/JASカーゴ/蒲池幸子名)
* [[及川麻衣]]([[1991年]]/竜丘麻衣名)
* [[川島令美]]([[2000年]] - [[2001年]])
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設立当初から[[東急|東京急行電鉄]](法人としては現在の[[東急|東急株式会社]])が大株主であり、[[東急グループ]]との結びつきが強く、事実上は同グループの1社だった。しかし1990年代の[[バブル崩壊]]に伴い東急グループ全体が深刻な経営不振に陥り、一傘下企業の経営不振の解消にまで手が回らなかった。このことが、同社が経営不振から立ち直れないまま、日本航空との経営統合に至った原因のひとつとみられている。
他の大株主としては[[近畿日本鉄道]](法人としては現在の[[近鉄グループホールディングス]])<ref name="kintetsu"/>、[[不二サッシ]]、[[三井物産]]、[[野村証券]]、[[富士火災海上保険]]、[[東京生命保険]]、[[東京海上日動火災保険|東京海上火災保険]]、日本航空および国内主力銀行(メインは、経営統合前の日本航空と同様に[[日本興業銀行]]としていたことから、この流れで[[みずほコーポレート銀行]]であった)などだった。なお、東京急行電鉄は経営統合で日本航空の大株主の一員となったが、2010年1月14日に全株の売却を正式発表し、経営から完全に撤退した(現在の東急は2014年2月に[[東急カード]]が全日本空輸と業務提携したカードを発行する等、中立的な立場に移っている)。また、近畿日本鉄道は東急より先に出資を引き上げたが、2021年9月まで日本航空と提携したカード([[JMB KIPSカード]])を発行していた。
== 子会社 ==
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== 著名な出身者 ==
*[[鳥取三津子]]([[日本航空]]第14代代表取締役社長)
*池江亜希子(池江璃花子の伯母)
*井岡絵美(ボクシング世界チャンピオンの妻)
*[[堀高明]]([[スターフライヤー]]創業者)
== 脚注 ==
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{{JALグループ}}
{{Normdaten}}
{{DEFAULTSORT:にほんえあしすてむ}}
[[Category:日本エアシステム|*]]
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