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[[ファイル:Yasukuni Jinja.JPG|thumb|250px|靖国神社]]
'''靖国神社問題'''(やすくにじんじゃもんだい)は、主に中国・韓国への配慮、日本のマスメディア報道などを理由とした[[靖国神社]]への参拝をめぐる諸問題を指す。「靖国問題」と略称されることが多い<ref>{{Cite web|和書|title=岸田首相、靖国神社に真榊奉納 例大祭、参拝見送りへ(時事通信)|url=https://news.yahoo.co.jp/articles/36870556163c4f287d5bb647d41dda9028b72885|website=Yahoo!ニュース|accessdate=2021-10-16|language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=2年半ぶりに閣僚靖国参拝 中韓から批判|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO51092850X11C19A0PP8000/|website=日本経済新聞|date=2019-10-17|accessdate=2021-10-16|language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=靖国参拝が突然、中国・韓国の外交カードになった理由 中国に何度もご注進した朝日新聞と左翼メディアの亡国ぶり {{!}} JBpress (ジェイビープレス)|url=https://jbpress.ismedia.jp/articles/-/66493|website=JBpress(日本ビジネスプレス)|accessdate=2021-10-16|language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=衛藤担当相 靖国参拝「中韓からいわれることではない」 記者に反論|url=https://www.sankei.com/article/20200815-IS2LSFRAXFN67CYQF2O2OQOD4M/|website=産経ニュース|date=2020-08-15|accessdate=2021-10-16|language=ja|first=SANKEI DIGITAL|last=INC|}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=小泉元首相、靖国問題で中韓を批判 安倍首相の外交を支持|url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASFS1203K_S3A111C1PP8000/|website=日本経済新聞|date=2013-11-12|accessdate=2021-10-16|language=ja}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=岸信夫防衛相が靖国参拝 中韓反発の可能性(共同通信)|url=https://news.yahoo.co.jp/articles/bd6f0af9bb9fd4d475842465f74663ceb7364aeb|website=Yahoo!ニュース|accessdate=2021-10-16|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20211017000014/https://news.yahoo.co.jp/articles/bd6f0af9bb9fd4d475842465f74663ceb7364aeb|archivedate=2021-10-17}}</ref><ref>{{Cite web|和書|title=終戦の日に靖国参拝 小泉氏ら3閣僚、安倍前総理も|url=https://news.tv-asahi.co.jp/news_politics/articles/000225587.html|website=テレ朝news|accessdate=2021-10-16|language=ja}}</ref><ref>靖国問題と中国 - p121 岡崎久彦, 屋山太郎 ・ 2006</ref><ref>{{Cite web |title=生稲晃子氏の靖国参拝報道は誤り 共同通信「外交に影響の可能性」 |url=https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA259VU0V21C24A1000000/ |website=日本経済新聞 |date=2024-11-25 |access-date=2024-11-26 |language=ja}}</ref><ref name=":1">[[月刊自由民主]]第 5~8 号p75 ページ,2006年</ref>。
== 概要 ==
靖国神社の前身である[[招魂社|東京招魂社]]は、[[大村益次郎]]の発案のもと[[明治天皇]]の命により、[[戊辰戦争]]の[[戦死|戦死者]]を祀るために[[1869年]]([[明治]]2年)に創建された。後に、[[1853年]]([[嘉永]]6年)の[[アメリカ合衆国]][[東インド艦隊 (アメリカ海軍)|東インド艦隊]]の司令官[[マシュー・ペリー|ペリー]]来航以降の、国内の戦乱に殉じた人達を合わせ祀るようになる。[[1877年]](明治10年)の[[西南戦争]]後は、[[日本]]を守護するために亡くなった戦没者を[[慰霊]]追悼・顕彰するための、施設及びシンボルとなっている。もとは幕末騒乱により死亡した志士の御霊を招魂し祭礼する一回性の儀式(招魂祭)として京都で実施されたものが定制化され、[[招魂社|東京招魂社]]の設置となった経緯があり、一方で招魂の儀式そのものの神道上の教義問題{{efn|続日本記(天平2年9月の条)には安芸長門の民が死者の霊を信奉しているが[[養老律令]]賊盗律の妖書妖言に当るので止めさせるよう詔勅が出された旨の記述がある。}}や、どの御霊を招魂し合祀するかといった論点が当初からあり、靖国神社への再編改名の際には祭礼は靖国神社および陸海軍省が実施するものとされ、天皇は例大祭に勅使を参向させることが定制と取り決められた。
「国に殉じた先人に、[[国民]]の代表者が感謝し、[[平和]]を誓うのは当然のこと」という意見がある一方、[[政教分離原則|政教分離]]や、[[第二次世界大戦]]における日本の戦争行為について「侵略だったか自衛だったか」といった[[歴史認識]]、また同戦争において日本の行為によって損害を被った近隣諸国への配慮等といった観点から、[[政治家]]の[[参拝]]を問題視する意見がある。第二次世界大戦における日本の[[終戦の日]]である[[8月15日]]の参拝は[[戦争]]の戦没者を[[顕彰]]する意味合いがあるとされ、特に日本国内の神道以外の以外の宗教団体や[[左派]]
戦後、個人の信教の自由のために、戦前の国家神道の在り方の反省から、その保障策として、憲法20条は、1項で「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」と、3項で「国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない」と定め、憲法89条は、公金その他の公の財産は宗教上の組織等のために支出してはならない旨を定めた<ref>{{Cite web |url=https://www.authense.jp/keiji/column/215/ |title=日本国憲法で定められた「政教分離」とは? |access-date=2025-6-5 |publisher=Authense法律事務所}}</ref>。これらは「政教分離」政策として捉えられている。
1975年の日本国内メディアから「政教分離」という[[内政]]理由の批判<ref>2019年に政教分離違反を唱えた原告らの敗訴が、最高裁で確定した。</ref>から始まり、1985年の中曽根康弘首相による公的参拝発言後に日本国内でも[[日本社会党]]による与党[[自民党]]への[[政争の具]]とされた。1985年以降から中国や韓国は「靖国神社に[[A級戦犯]]が合祀されているから」と主張しているが、中韓国民への世論調査からそもそも「戦前の日本軍人を慰霊すること」自体に反発していること、「1985年の朝日新聞による靖国批判報道」で靖国神社自体を知ったから反発しだしただけであることが指摘されている。以降、中韓政府は日本の政治家による参拝が行われる度に反発している(諸外国の反応の詳細については後述の[[#日本政府の見解]]を参照)<ref name=":0" />。自民党も2006年に「靖国問題」は中韓との問題だとし、両国が「靖国」を持ち出すのは、日本による「[[竹島不法占拠]]や[[東シナ海ガス田問題|東シナ海の一方的なガス田開発]]など両国による日本に対する[[不法行為]]」への批判に対して、それしか対抗に使えそうな外交的カードが無いからだと指摘している<ref name=":1" />。実際に、1979年4月にA級戦犯の合祀が公になってから1985年7月までの'''6年4月間'''、[[大平正芳]]、[[鈴木善幸]]、[[中曽根康弘]]が首相在任中に計21回参拝をしているが、1985年8月に中曽根が参拝時の朝日新聞の報道までは、中韓からも非難はされていなかった。具体的に1985年の参拝に対して、それに先立つ同年[[8月7日]]の[[朝日新聞]]が『靖国問題』を[[報道]]すると、一週間後の8月14日、[[中国共産党]]政府が史上初めて靖国神社の参拝への非難を表明した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.tkfd.or.jp/research/eurasia/a00690?id=414|title=安倍首相の靖国参拝に対する中国側反応における深層|publisher=東京財団|accessdate=2017年6月22日}}</ref>。一方で、1979年にA級戦犯合祀公表以降も靖国神社へ戦没者を慰霊追悼・顕彰するため、外国の[[要人]]も訪れている<ref>{{Cite web|url=http://bbs.tianya.cn/post-56-552968-1.shtml|title= 七嘴八舌 靖国神社公式参拝関係年表(资料,请妥善保存)(转载)|publisher=天涯社区|accessdate=2017年6月22日}}</ref>。なお、戦没者を慰霊追悼・顕彰するための施設及びシンボルとする解釈が現在だけでなく[[戦前]]からも一般的だが、神社側としては「国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊を慰め、その事績を永く後世に伝える」場所<ref>http://www.yasukuni.or.jp/history/index.html</ref>、および「日本の独立を誓う場所」との認識が正しいとのことである<ref>『偕行』昭和20年7月「靖国神社について」より</ref>。▼
靖国神社は、広大な都心の一等地をそのまま与えられる形で民間施設化した。政府としての戦没者慰霊のためにはときに公会堂等で公開式典が行われたりする<ref>{{Cite news|和書 |title=祈りの8月15日 正午、静かな黙とう |newspaper=読売新聞 |date=1963-8-15 |edition=夕刊}}</ref>他、アメリカの「アーリントン墓地」やフランスの「無名戦士の墓」のような施設を作ることを企図して、1959年には特定宗派色を払拭した千鳥ヶ淵戦没者墓苑が作られた。しかし、靖国神社側からは国家ないし政府としての公式参拝や靖国神社法案の成立を望む声も強く、特に右派を中心にそれに対する支持が強かった。これに対し、ほとんどのキリスト教、仏教、新宗教関係者らは反対し、それを左派が支持するという傾向が見られた<ref>{{Cite news|和書 |title=シンポジウムから 靖国問題を考える |newspaper=読売新聞 |date=1972-3-26 |edition=朝刊}}</ref>。なお、神道側もあくまで靖国神社側の希望であり、例えば、神社本庁などは個人の信教の自由の問題として中立との姿勢をとっている。政府は、憲法の条項との兼ね合いもあるものの保守系・右派系の自民党政治家の顔色を窺って曖昧な態度に終始していた<ref>{{Cite news|和書 |title=[サイドライト]靖国神社の"墓参" |newspaper=読売新聞 |date=1966-7-6}}</ref>。そのため、右派・保守系からの支持を気にする首相ないし現役閣僚らは、終戦記念日を避けて春秋の祭典に出席する、あるいは終戦記念日に千鳥ヶ淵戦没者墓苑とともに靖国には私的なものとして行く等の便法をとり、その際に公的な肩書を記名した、公的な支出あるいは公用車を利用したのではないかといったことが、たびたび政治問題化していた<ref>{{Cite news|和書 |title=首相の靖国参拝 公人にも見え、私人にも・・・ |newspaper=読売新聞 |date=1978-8-1 |edition=朝刊}}</ref>。
▲1975年の日本国内メディアからの「政教分離」
== 争点 ==
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; 岩手県靖国神社訴訟
{{Main|岩手県靖国神社訴訟}}
[[1979年]]([[昭和]]54年)[[12月19日]]、岩手県議会が国に靖国神社公式参拝を実現するよう意見書を採択し、政府に陳情書を届けたことと、[[1962年]](昭和37年)から靖国神社の要請で玉串料や献灯料を支出していたことは、政教分離原則に反するとして、その費用を返還するよう住民らが提訴した。[[1987年]](昭和62年)[[3月5日]]、[[盛岡地方裁判所]]は'''合憲判決'''を示し、住民らの訴えを全面的に退けた<ref>[https://www.courts.go.jp/
勝訴したが違憲とされた県は、違憲とする傍論が示されたのは不利益で、最高裁で判断を仰ぐ必要があるとして上告した。仙台高裁は不適法として却下した。県は高裁の決定を不服として[[特別抗告]]したが、最高裁第2小法廷は「抗告の理由がない」として棄却した。
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; 福岡地方裁判所判決
[[2004年]](平成16年)[[4月7日]][[福岡地方裁判所]](裁判長[[亀川清長]])は原告の[[損害賠償]]請求を棄却した<ref name="fukuoka"/>。しかし[[傍論]]において首相の参拝について政教分離に違反し違憲と述べた<ref name="fukuoka">[https://www.courts.go.jp/
2004年(平成16年)[[10月21日]]、福岡地裁判決が傍論において「参拝は違憲」としたことに対し、国民運動団体「[[英霊にこたえる会]]」(会長:[[堀江正夫]]元参院議員)が国会の裁判官訴追委員会に裁判を担当した3裁判官の[[罷免]]を求める訴追請求状6036通を提出した。請求状によれば、訴追理由について「判決は(形式上勝訴で控訴が封じられ)被告の憲法第32条『裁判を受ける権利』を奪うもので憲法違反」、「政治的目的で判決を書くことは越権行為。司法の中立性、独立を危うくした」としている(''[[弾劾裁判]]''も参照)。
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天皇が親拝を止めた原因をA級戦犯の合祀とする見解への反論も存在する。
[[櫻井よしこ]]は、メモに「Pressの会見」と題がつけられ、富田と覚しき人物が「記者も申しておりました」と会見での記者の反応も書き記していることから、記者会見のメモだと思われるとし、メモ執筆当日の4月28日に昭和天皇が会見していない事実を挙げ、富田が書きとめた言葉の主が、昭和天皇ではない別人の可能性もあると主張している<ref>{{Cite journal|和書| author = [[櫻井よしこ]] | title = 富田メモ、今や必要な全面公開 | journal = [[週刊新潮]] | issue = 2006年8月10日号 | url =
昭和天皇の側近で、戦後「A級戦犯」に指定された[[木戸幸一]]元内大臣に対し昭和天皇が、「米国より見れば犯罪人ならんも我国にとりては功労者なり」と述べたとの記述が『木戸日記』にあり<ref name="chuchousan"/>、[[鈴木貫太郎]]内閣の内閣書記官長だった[[迫水久常]]によれば、昭和天皇は[[ポツダム宣言]]受諾に関する[[御前会議]](8月9日~10日)において、次のように発言した<ref>迫水久常著『機関銃下の首相官邸――二・二六事件から終戦まで』</ref>。
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[[第二次世界大戦]]後の[[極東国際軍事裁判]](東京裁判)において処刑された人々(特に[[A級戦犯]])が、[[1978年]](昭和53年)[[10月17日]]に国家の犠牲者『[[昭和殉難者]]』として合祀されている。
=== 旧日本
第二次大戦期に日本兵として戦った[[朝鮮人日本兵]]や[[台湾人日本兵]](軍属を含む)も多数祀られているが、中には生存者が含まれていたり、遺族の一部からは反発も出ている。
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; A級戦犯の扱い
{{main|A級戦犯#主権回復後の赦免}}
いわゆる[[A級戦犯]]は、[[極東国際軍事裁判]]で戦争犯罪人と判決確定し、その後日本政府は[[日本国との平和条約|サンフランシスコ講和条約]] を結び、その第11条において「日本国は、極東国際軍事裁判所並びに日本国内及び国外の他の連合国戦争犯罪法廷の裁判を受諾し」とあり、国際的(日本を含む)には戦争犯罪人であることは確定している。その発効後[[1952年]]6月以降、条約の第11条に基づいて[[極東国際軍事裁判]]に参加した全ての国の政府と交渉し、国会決議等により服役中の受刑者に対する[[恩赦]]と刑の執行終了・釈放の合意を形成し、生存していたA級戦犯者10名を含め全員を恩赦により刑の執行を終了し釈放した。但し刑期満了者は恩赦・減刑のしようがなく、靖国神社に合祀されている
* [[1952年]]12月9日衆議院本会議にて「[https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=101505254X01119521209 戦争犯罪による受刑者の釈放等に関する決議]」
* [[1953年]]8月3日衆議院本会議にて「[https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=101605254X03519530803 戦争犯罪による受刑者の赦免に関する決議]」
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; 靖国神社の意見
:靖国神社側はA級戦犯分祀案について「[[神道]]では[[分祀]]では分離できない、神はひとつになっており選別もできない」として、[[神道]]における[[分祀]](分霊)とは、全国に同じ名前を冠する神社があちらこちらにあるように、ある神社から勧請されて同じ神霊をお分けする事であり、元の祭神と同一のものがまた別に出来上がること(いわゆるコピー)<ref>[https://archive.is/20131011024703/dic.yahoo.co.jp/detail?p=%E5%88%86%E7%A5%80&stype=0&dtype=0 小学館国語辞典>分祀]</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20131020075653/http://www.excite.co.jp/dictionary/japanese/?search=%E5%88%86%E7%A5%80&match=beginswith&itemid=DJR_bunnsi_-030 三省堂国語辞典>分祀]
; 他の意見
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{{独自研究|section=1|date=2013年12月}}
; 神道における教義上の問題
[[戦後]]、[[折口信夫]]は、[[神道]]における人物神は、特に政治的な問題について
また哲学者の[[高橋哲哉]]は豊国大明神の廃祀や明治期の神仏分離などを挙げて、分祀や廃祀が出来ないとする靖国神社の見解に対して、日本の伝統的な日本神道のあり方に則れば可能であると主張している<ref>高橋哲哉『靖国問題』</ref>。▼
▲
; 祭神となる基準
{{see also|靖国神社#祭神}}
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=== 政党の見解 ===
; [[自由民主党 (日本)|自由民主党]]
: 党としての公式見解は決まっていない。議員の中には賛成派も反対派もいる<ref>
; [[立憲民主党 (日本 2017)|立憲民主党]]
: 党としての公式見解は決まっていない。過去に首相経験者や閣僚経験議員が参拝したことはない。
371 ⟶ 374行目:
: 党としての公式見解は決まっていない。議員の中には賛成派も反対派もいる。過去に閣僚経験議員が1人参拝している。
; [[公明党]]
: 党としての公式見解は、靖国神社に対する批判派、靖国神社参拝は反対派<ref>[https://www.komei.or.jp/
; [[日本共産党]]
: 党としての公式見解は、靖国神社に対する批判派、靖国神社参拝は反対派<ref>[
; [[社会民主党 (日本 1996-)|社会民主党]]
: 党としての公式見解は、靖国神社に対する批判派、靖国神社参拝は反対派。閣僚が参拝したことはない。
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=== 経済界の見解 ===
; 関西経済同友会
:[[2006年]](平成18年)[[4月18日]]、[[関西経済同友会]]は、「歴史を知り、歴史を超え、歴史を創る」と題した提言を発表<ref>https://web.archive.org/web/20070928000835/http://www.kansaidoyukai.or.jp/Default.aspx?tabid=132
; 経済同友会の見解
:2006年(平成18年)[[5月9日]]、[[経済同友会]]は、「今後の日中関係への提言」を発表<ref>https://web.archive.org/web/20060512081600/http://www.doyukai.or.jp/policyproposals/articles/2006/060509a.html
=== 宗教界の見解 ===
; [[神社本庁]]
{{see also|神社本庁#首相の靖国神社公式参拝}}
: 2005年6月9日に発表した声明で、靖国神社は日本における戦没者慰霊の中心的施設であり、神社祭祀における「分祀」は「分離」とは異なり、首相は参拝すべきであり、いわゆる「A級戦犯」は国内法上の犯罪者ではなく、不公正な裁判であった、との見解を表明した<ref>[https://web.archive.org/web/20120908163020/http://www.kuretakekai.jp/yasukunihontyokenkai.htm
; [[新日本宗教団体連合会]]
: [[信教の自由]]および[[政教分離原則]]の観点から、首相・閣僚の公式参拝に反対している。A級戦犯の合祀については、(一宗教法人としての)靖国神社の判断であるとして、問題視しないとしている<ref name="newspostseven20140227">{{Cite journal | 和書 | url = https://www.news-postseven.com/archives/20140227_243022.html?DETAIL | title = 神社本庁、新宗連、幸福の科学等首相の靖国参拝への見解紹介 | journal = [[週刊ポスト]] | issue = 2014年3月7日号 | publisher = [[NEWSポストセブン]] | date = 2014-02-27 | accessdate = 2014-03-10 }}</ref>。
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米紙[[ウォール・ストリート・ジャーナル]](電子版)は2014年1月23日、複数の米政府当局者の話として、安倍晋三首相が靖国神社参拝を繰り返さない保証を、米政府が日本政府に非公式に求めていると伝えた。日中、日韓関係がさらに悪化することを懸念しているとみられる。同紙によると、米政府は参拝後にワシントンと東京で開かれた日本側との「一連の会談」を通じ、近隣諸国をいら立たせるさらなる言動を首相は控えるよう要請。日米韓の連携を阻害している日韓関係の改善に向けて韓国に働きかけるよう促し、[[従軍慰安婦問題]]に対処することも求めた。さらに今後、過去の侵略と植民地支配に対する「おわび」を再確認することを検討するよう首相に求める考えだという。米国務省副報道官のハーフは23日の記者会見で、同紙の報道について問われ、「事実かどうか分からない」と述べた<ref>[https://archive.is/20140124155336/http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140124-00000033-jij-n_ame 靖国参拝、繰り返さぬ保証を=米政府要求と報道](2014年1月24日時点の[[archive.is|アーカイブ]]) - 時事通信 2014年1月24日(金)9時11分配信</ref>。
[[リチャード・アーミテージ]]元国務副長官は2014年2月27日首都ワシントンで開かれたシンポジウムで、安倍晋三首相の靖国神社参拝について「中国政府が喜んだはずだ」と述べ、中国の日本批判を結果的に後押しする形になったという意味で反対だと語った。日本政府首相による靖国神社参拝自体については「日本の指導者が国全体にとって何が最善かを考えて決めることだ」と話した。中国が「(第二次世界大戦後の国際秩序の基礎となった)カイロ宣言やポツダム宣言を受け入れていないのが日本だ」との批判を広めているとし、「中国政府は首相の靖国参拝を喜んだはずだ。なぜなら、彼らは参拝後、各国の外交担当者に電話をし『見た? 言った通りでしょ』と言うだけで良かったからだ。これが参拝への反対理由だ」と語った。またアミテージ元国務副長官は仮に(靖国神社から)A級戦犯が分祀されても中国は(靖国神社)参拝を問題視し続けるとの見方を示した<ref>[https://web.archive.org/web/20140228105738/http://mainichi.jp/select/news/20140228k0000e030236000c.html アーミテージ氏:安倍首相の靖国参拝「中国が喜んだ」] 毎日新聞 2014年2月28日</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20140228065944/http://sankei.jp.msn.com/world/news/140228/amr14022809200002-n1.htm 靖国参拝「中国利するだけ」 慰安婦「日本の評価傷つけている」 米の知日派重鎮アーミテージ氏] 産経新聞 2014年2月28日</ref>。
=== 国連 ===
548 ⟶ 551行目:
:第67代内閣総理大臣・[[福田赳夫]]が参拝。公用車の使用、公職者の随行のうえ「内閣総理大臣」と記帳しながらも、私的参拝を主張。
; [[1978年]][[10月17日]]
:極東国際軍事裁判(いわゆる東京裁判)におけるA級戦犯
; [[1979年]][[4月21日]]
:[[キリスト教徒]]の第68代内閣総理大臣・[[大平正芳]]が春期例大祭で参拝(A級戦犯合祀報道の2日後)。
588 ⟶ 591行目:
:第82代内閣総理大臣:[[橋本龍太郎]]が自身の59歳の誕生日に靖国神社参拝。11年ぶり。
; [[1997年]][[4月2日]]
:[[愛媛県|愛媛]]玉串料訴訟で違憲判決。最高裁大法廷判決「たとえ戦歿者遺族の慰藉が目的であっても県が靖国神社・護国神社などに玉串料を公費から支出したことは憲法が禁止した宗教活動にあたり、違憲である」<ref>[https://www.courts.go.jp/
; [[1999年]][[8月6日]]
:官房長官:[[野中広務]]、記者会見で個人的見解と断りつつ、「首相はじめすべての国民が心から慰霊できるよう、あり方を考える非常に重要な時期にさしかかっている」、「A級戦犯を分祀し、靖国が宗教法人格を外して純粋な特殊法人として国家の犠牲になった人々を国家の責任においてお祀りし、国民全体が慰霊を行い、各国首脳に献花してもらえる環境を作るべきではないか」と述べた<ref>『毎日新聞』 1999年8月17日</ref>。
675 ⟶ 678行目:
|第87-89代||[[小泉純一郎]]|| style="text-align:right;" |{{Display none|0}}6回<!--http://www.j-cast.com/2006/08/16002557.html-->||2001年8月13日、2002年4月21日、2003年1月14日、2004年1月1日、2005年10月17日、2006年'''8月15日'''||2001年4月26日 - 2006年9月26日
|-
| style="line-height:1.25em; white-space:nowrap;" |
|}
750 ⟶ 753行目:
* 基幹運動本部事務局編『平和問題・ヤスクニ問題研修カリキュラム』本願寺出版社、1998年4月、ISBN 4894166208
* [[安西賢誠]]『浄土の回復 愛媛玉串料訴訟と真宗教団』樹花舎、1998年8月、ISBN 4795250391
* {{Cite book|和書|author=小堀桂一郎 |date=1998 |title=靖国神社と日本人 |publisher=PHP研究所 |series=PHP新書 052 |NCID=BA37730048 |ISBN=4569601502 |id={{全国書誌番号|99019639}} |url=https://
* [[坪内祐三]]『靖国』新潮社、1999年1月。新潮文庫、2001年
; 2000年代
827 ⟶ 830行目:
== 外部リンク ==
* [
* {{NHK放送史|D0009030198_00000|中曽根首相 靖国神社に初の公式参拝}}
{{靖国神社問題}}
|