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[[File:AhuTongariki.JPG|250px|thumb|1990年代に復元されたアフ・トンガリキの15体のモアイ像]]
[[File:Ahu Tahai.jpg|thumb|upright|一部は目と思しき造作もされている。]]
'''モアイ'''(Moai)は、[[チリ]]領[[イースター島]]にある人面を模したとされる石像。島の海に面した'''アフ'''と呼ばれる高台に、多くの場合海に背を向けて、正確にはかつての住居跡を取り囲むように多数建てられている。大きさは
造られた時代によって様式は変化し、初期の物とされるものの多くは、高さ3メートル程度と小型だが、時代が下るにつれ大型化していった。アフに建てられたことのあるものには頭と胴体があり、後期の、とくに大きなものには'''[[プカオ]]'''と呼ばれる赤い石が頭上に乗せられ
これらの像の設置目的・用途については「[[祭祀]]目的で立てられた」と推測されているが、実際の祭祀形態については諸説あり、定説は未だにない。「[[イースター島]]」の項目も参照のこと。
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{{Seealso|タダノ#メセナ活動}}
== 文明崩壊
[[ジャレド・ダイアモンド]]
しかし、実際に部族同士の争いがあったかどうかについては論争がある。というのも、部族の争いがあったにしては、[[殺人|人を殺す]]ことを目的としたような殺傷能力のある「[[武器]]」が島内からほとんど発掘されていないためである。島で使われていた「マタア」と呼ばれる[[石器]]は、人を刺し殺すような作業には適しておらず、島内から発掘された469個の[[頭蓋骨|頭骨]]を調べたところ、マタアによるものと思われる切り傷の痕が見つかったのは、そのうちわずか2個だけだった。西洋人による侵略時にも、現地人は[[投石]]で戦ったとされる。この事から、口伝にあるような激しい戦闘があったのかどうか疑問視する専門家もいる<ref name="natgeo022400064">{{cite news |title=イースター島、人殺しの武器を作らなかったと新説|newspaper=[[ナショナルジオグラフィック (雑誌)|ナショナルジオグラフィック]] |date=2016-2-25 |url=https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/16/022400064/ |accessdate=2017-3-11}}</ref>。
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争いが起こったとされる時から数百年も後になってから、収集された口承だけを頼りにすることは、研究者の間で論争となっている<ref name="natgeo022400064"/>。部族間抗争の存在については、研究が進むにつれて否定されつつある。イースター島民の人口が減ったのは、ヨーロッパ人による奴隷狩りが原因である可能性が高まっている。苛烈な奴隷狩りにより、島民の人口は100人前後まで減り、やがて疫病の流行が原因で絶滅したとされる<ref name="forbes18628" />。
{{main|イースター島#文明の崩壊}}
== 焼失 ==
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{{Commonscat}}
* [[ラパ・ヌイ国立公園]]
* [[モアイ (グラディウス)]] - [[グラディウスシリーズ]]
== 外部リンク ==
* [http://www.eisp.org/ Easter Island Statue Project] {{es icon}}
{{Normdaten}}
{{デフォルトソート:もあい}}
[[Category:世界遺産 ま行]]
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