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[[File:AhuTongariki.JPG|250px|thumb|1990年代に復元されたアフ・トンガリキの15体のモアイ像]]
[[File:Ahu Tahai.jpg|thumb|upright|一部は目と思しき造作もされている。]]
'''モアイ'''(Moai)は、[[チリ]]領[[イースター島]]にある人面を模したとされる石像。島の海に面した'''アフ'''と呼ばれる高台に、多くの場合海に背を向けて、正確にはかつての住居跡を取り囲むように多数建てられている。大きさは
造られた時代によって様式は変化し、初期の物とされるものの多くは、高さ3メートル程度と小型だが、時代が下るにつれ大型化していった。アフに建てられたことのあるものには頭と胴体があり、後期の、とくに大きなものには'''[[プカオ]]'''と呼ばれる赤い石が頭上に乗せられ
これらの像の設置目的・用途については「[[祭祀]]目的で立てられた」と推測されているが、実際の祭祀形態については諸説あり、定説は未だにない。「[[イースター島]]」の項目も参照のこと。
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{{Seealso|タダノ#メセナ活動}}
== 文明崩壊
[[ジャレド・ダイアモンド]]『文明崩壊』など、イースター島民はモアイの作り過ぎで文明が崩壊し自滅したとする説がある。かつて島民は木材を燃料やカヌーや家屋といったインフラに使い、耕地を広げるためにも森を切り開いていった。さらに部族の権威を高めるために祭祀に使うモアイを盛んに立てたことも森林の減少に拍車をかけることになった。森林の減少は土地の浸食などの環境悪化を招いたため、食糧や耕地などの資源を巡って部族間の緊張・対立が激化することになった結果、ますます競って像を立て、森林も狭まるという悪循環に陥っていったことが推測されている。周囲から孤立した人口1万人の小さな島に1,000体もの像が乱立した結果、最終的に森林が消滅し、人口も激減し、像が作られることもなくなり、当初は立っていた像は部族間の抗争で倒されてしまったとする<ref name="Jared"/>。このことから、地球全体をラパ・ヌイに、現在の世界各地のビルを同像にたとえ、地球温暖化や森林伐採に警鐘を鳴らす人々もいる。現在イースター島(ラパ・ヌイ)には大規模な森は存在せず、前述のように地質学的調査によると、作られた当時は[[椰子|ヤシ]]の木が生い茂っていたとされる。
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争いが起こったとされる時から数百年も後になってから、収集された口承だけを頼りにすることは、研究者の間で論争となっている<ref name="natgeo022400064"/>。部族間抗争の存在については、研究が進むにつれて否定されつつある。イースター島民の人口が減ったのは、ヨーロッパ人による奴隷狩りが原因である可能性が高まっている。苛烈な奴隷狩りにより、島民の人口は100人前後まで減り、やがて疫病の流行が原因で絶滅したとされる<ref name="forbes18628" />。
{{main|イースター島#文明の崩壊}}
== 焼失 ==
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{{Commonscat}}
* [[ラパ・ヌイ国立公園]]
* [[モアイ (グラディウス)]] - [[グラディウスシリーズ]]
== 外部リンク ==
* [http://www.eisp.org/ Easter Island Statue Project] {{es icon}}
{{Normdaten}}
{{デフォルトソート:もあい}}
[[Category:世界遺産 ま行]]
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