削除された内容 追加された内容
m 外部リンクの修正 http:// -> {{Wayback}} (www.c20.jp) (Botによる編集)
 
(24人の利用者による、間の43版が非表示)
1行目:
[[Image:Military training courses at Osaka Municipal Commercial College.JPG|thumb|250px|大阪高等商業学校(現・大阪市立大学)の学校教練。[[イ式小銃]]を所持。弾薬盒は携行せず、下肢にレギンス式の脚絆を巻いている。画面右端には指揮官役が持つ指揮刀(模造刀身のサーベル)が写っている。]]
[[Image:Military training of Meiji University2.jpg|thumb|250px|[[代々木練兵場]]での明大予科生の軍事教練、画面左下には模造機関銃も写っている(1940年頃)]]
'''学校教練'''(がっこうきょうれん)とは、[[大日本帝国]]の学校における教練をいう。'''軍事教練'''ともいう。[[1925年]]から行われ、これによって配属された[[陸軍]][[役種|現役]][[士官|将校]]を一般に'''配属将校'''という。
'''学校教練'''(がっこうきょうれん)は、[[学校]]において行われる[[軍事]]教育のことを指す。'''軍事教練'''ともいう<ref name="軍事教練">[https://kotobank.jp/word/%E8%BB%8D%E4%BA%8B%E6%95%99%E7%B7%B4-58342 改訂新版 世界大百科事典 「軍事教練」 2024年12月19日閲覧]</ref>。
 
[[日本]]においては、[[1925年]]の導入から[[1945年]]の[[第2次世界大戦]]終戦まで実施された、[[中学校]]以上の学校・[[大学]]において、配属された現役[[将校]]が男子生徒に施した軍事教練のことを指す<ref name="学校教練"/>。諸外国にも同種の制度が存在し、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]では、現在も大学で学生の希望者に対し、[[予備役将校訓練課程|ROTC]](Reserve Officers' Training Corps)という予備将校訓練が行われている<ref name="学校教練">[https://kotobank.jp/word/%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E6%95%99%E7%B7%B4-45172 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「学校教練」 2024年12月19日閲覧]</ref>。
==概要==
学校教練を履修した者は陸軍では[[幹部候補生 (日本軍)|幹部候補生]](学校教練制度設立当初は[[兵 (日本軍)#徴兵に関する特権|一年現役兵]])を命ぜられる資格を得るなどの特典が設けられた。
 
== 日本の学校教練について ==
[[1886年]]頃、文部大臣[[森有礼]]の提唱によって学校に兵式体操が採用されたが、本来の精神とは乖離し、形式に流れ、神髄が失われかけていた。[[1914年]]に[[第一次世界大戦]]が勃発し、各国で国民教練の機運が高まり、日本においても国民の心身を発達させ、資質を向上させ、国力の根幹を養い、国運を隆盛し、その基礎を固くすることが必要であると叫ばれ、まずは学校における教練をより振作し、体育を促進し、徳育に裨益し、国防能力を増進することが図られ、現役将校を配属させることとなった。
学校教練を履修した者は陸軍では[[幹部候補生 (日本軍)|幹部候補生]](学校教練制度設立当初は[[兵 (日本軍)#徴兵に関する特権|一年現役兵]])を命ぜられる資格を得、徴兵の猶予や徴兵時に兵役期間が1年短縮されるなどの特典が設けられた<ref>[https://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1318242.htm 第二節 中等教育] - [[文部科学省]]</ref>
 
[[1886年]]頃、文部大臣[[森有礼]]の提唱によって学校に[[兵式体操]]が採用されたが、本来の精神とは乖離し、形式に流れ、神髄が失われかけていた。[[1914年]]に[[第一次世界大戦]]が勃発し、各国で国民教練の機運が高まり、日本においても国民の心身を発達させ、資質を向上させ、国力の根幹を養い、国運を隆盛し、その基礎を固くすることが必要であると叫ばれ、まずは学校における教練をより振作し、体育を促進し、徳育に裨益し、国防能力を増進することが図られ、現役将校を配属させることとなった。
学校教練教材要目としては、各個教練、部隊教練、射撃、指揮法、陣中勤務、手旗信号、距離測量、測図学、軍事講話、戦史などで、教材の配当は学校の程度に応じて差異があった。
 
[[1925年]](大正14年)1月10日、文政審議会は総会を開催。特別委員会から軍事予備教育に関する諮詢を受け、付帯決議を附して全会一致で可決<ref>文政審議会総会で軍事教育案を可決『東京朝日新聞』大正14年1月11日(『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編p159 大正ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)</ref>。陸軍現役将校学校配属令が発布され<ref>陸軍現役将校学校配属令を公布『東京日日新聞』大正14年4月12日(『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編p159)</ref>、同年5月または8月にかけて配属が行われた<ref>師範学校への配属将校が内定『東京朝日新聞』大正14年4月2日(『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編p159)</ref>。
== 目的 ==
 
学校教練教材要目としては、各個教練、部隊教練、射撃、指揮法、陣中勤務、[[手旗信号]]、距離測量、測図学、軍事講話、[[戦史]]などで、教材の配当は学校の程度に応じて差異があった。
 
文部省では[[操縦士]]の早期育成として、1938年から男子中等学校での[[滑空]]部の設立と滑空訓練を推奨、指導のため教官が軍から派遣された。訓練で適性が認められた者は[[少年航空兵]]へ推薦された。1941年には[[太平洋戦争]]開始により大量育成のため正課として格上げされた。[[練習機]]として[[文部省式1型]]が使用された。
 
=== 目的 ===
本制度設立の目的としては、主に次の点が考えられる。
 
15 ⟶ 22行目:
* [[宇垣軍縮]]により剰員となる相当数の陸軍現役将校の予備役編入([[失業]])を防止し、補職を確保する必要があった。
 
=== 配属を受けた学校 ===
[[File:Military parade in Tokyo 19390522.png|thumb|right|250px|1939年(昭和14年)5月22日、陸軍現役将校学校配属令の施行15年を記念して、東京・宮城前広場で行われた青少年学徒親閲式。]]
[[1925年]](大正14年)4月11日に、「陸軍現役将校学校配属令」(大正14年4月11日勅令第135号)が公布された。同令によって、一定の[[官立]]または[[公立学校|公立]]の学校には、原則として義務的に陸軍現役将校が配属された。[[私立学校]]については任意的であった。なお、配属将校は教練に関しては[[学校長]]の指揮監督を受けた。
 
* [[師範学校]](官立または公立のみ)
* [[旧制中学校|中学校]](官立、公立または私立)
* [[実業学校]](官立、公立または私立)
* [[旧制高等学校|高等学校]](官立、公立または私立)
* [[大学予科]](官立、公立または私立)
* [[旧制専門学校|専門学校]](官立、公立または私立)
* [[高等師範学校]](官立または公立のみ)
* [[師範学校#臨時教員養成所|臨時教員養成所]](官立または公立のみ)
* [[師範学校#実業学校教員養成所|実業学校教員養成所]](官立または公立のみ)
* [[実業補習学校]]教員養成所(官立または公立のみ)
* [[旧制大学|大学]][[学部]](官立、公立または私立)
 
[[私立学校]]については任意的であったが、多くの私学では兵役期間が短縮されるという特典を学生獲得する目的で利用していた。軍部でもこれを認識しており、[[上智大生靖国神社参拝拒否事件]]の際に、配属将校を引き揚げる(教練を廃止する)と通告したことで[[上智大学]]が対応に追われることとなった。
 
=== 軍事教練反対運動 ===
[[File:Waseda Univ. Students Protest Against Military Training in the University 1923.jpg|thumb|250px|right|軍事教練に反対し警官とにらみ合う早大生(1923年)]]
大正期に起きた[[早稲田大学軍事研究団事件|早稲田大学軍教事件]]や[[小樽高商軍事教練事件|小樽高商軍教事件]]などに象徴される反軍学生運動のこと。[[1924年]](大正13年)秋頃から[[旧制中等教育学校|中等学校]]以上の学生生徒に対して軍事教練を施すとの案が公布確実と報ぜられるや、これに反対する学生たちによって全国学生軍事教育反対同盟が結成された。
 
翌年1月「軍事教育反対デー」を組織、
同年1月24日、九段下の[[牛ヶ淵]]公園から[[芝公園]]にかけて約3000人でデモ行進を計画したが、当日の朝に警視庁は禁止命令を出した。学生側は[[明治大学]]校庭に約1000人が集まり、田部井健次(明治大学)、[[戸叶武]]([[早稲田大学]])による示威演説を受け、高揚した学生が牛ヶ淵公園に向かおうとしたところで警官隊と衝突。田部井、戸叶ら学生4人が[[麹町警察署]]に検束された<ref>学生の反対デモ、警官に阻止される『時事通信』大正14年1月25日夕刊(『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編p159)</ref>。
 
同年9月、軍事教練が始まった[[青山学院大学|青山学院]]では[[キリスト教]]精神に反するものとして学生から反対の声が上がった<ref>青山学院でも軍教反対、院長に決議文『東京朝日新聞』大正14年11月11日(『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編p160)</ref>ほか、同年10月に発生した[[小樽高商軍事教練事件]]で表面化した軍事教練に対する抗議運動は東京にも波及。同年11月5日には早稲田大学で小樽高商軍教事件批判演説会が企画(総長の命令により直前に中止)された<ref>早大の軍事教育批判演説会禁止される『東京朝日新聞』大正14年11月6日(『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編p160)</ref>。また、[[立教大学]]では同年11月15日号の[[大学新聞]]にて、立教大学、[[東京大学|東京帝国大学]]、早稲田大学の三大学新聞の名で軍事教練反対の共同宣言を掲載。大学当局が新聞の頒布を禁じ、新聞を全部押収する出来事もあった<ref>反軍教宣言掲載の「立教大学新聞」没収に『東京日日新聞』大正14年11月14日(『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編p160)</ref>。相次ぐ学生らの反対運動を受け、同年11月27日、[[東京朝日新聞]]も当局のやり方のまずさ、不合理さを記事を通じて批判した<ref>青少年訓練を見直せ『東京朝日新聞』大正14年11月27日(『大正ニュース事典第7巻 大正14年-大正15年』本編p161)</ref>。
 
===教材===
学校教練ではコストを抑えるため、陸軍で使われなくなった旧式や[[イ式小銃]]のように配備を見送った銃器が使用されたが、数が揃わず動作が安定しない物も含まれていたことから、軍で使われる練習銃も利用された。
 
* [[三八式歩兵銃#狭窄射撃その他の試作銃・特殊銃|狭窄射撃用小銃(教練銃)]] - 学校教練で用いられた[[有坂銃]]の模造銃
* [[南部式教練軽機関銃]] - 学校教練で用いられた、空砲専用の模造[[軽機関銃]]
* [[文部省式1型]] - 男子中等学校などでの滑空訓練で用いられた初級滑空機
 
== 関連文献 ==
* [[菊川忠雄]] 『[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1062476 学生社会運動史]』 海口書店、[[1947年]]
* [[夏堀正元]] 『小樽の反逆 小樽高商軍事教練事件』 [[岩波書店]]、1993年 ISBN 9784000002516
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist}}
 
== 関連項目 ==
* [[京都学連事件]]
* [[予備役将校訓練課程]](米国の大学等に設置された予備役将校を養成する課程)
* [[勝利軍団]] - 米国で1942年から1944年まで高校生向けに実施されていた軍事教練プログラム
* [[三八式歩兵銃#狭窄射撃用小銃|狭窄射撃用小銃(教練銃)]](学校教練で用いられた[[有坂銃]]の模造銃)
* [[予備役将校訓練課程]] - 米国の大学等に設置された予備役将校を養成する課程
* [[南部式教練軽機関銃]](学校教練で用いられた模造[[軽機関銃]])
* {{仮リンク|軍訓教官|zh|軍訓教官 (中華民國)}} - 台湾の制度
 
== 外部リンク ==
* [https://www.chuo-u.ac.jp/aboutus/history/history_06/2ndww_hist_materials/materials_02/ 軍事教練] - [[中央大学]]で行われた軍事教練の資料。
* [http://ddb.libnet.kulib.kyoto-u.ac.jp/cgi-bin/retrieve/sr_bookview.cgi/BB00000055/Contents/cont14.html 京都大学百年史資料編]{{リンク切れ|date=2020年3月}}
* [{{Wayback|url=http://homepage3.nifty.com/hongo/mokuji5.htm |title=学校(軍事)教練の本当の担い手] |date=20040203191924}}{{リンク切れ|date=2020年3月}}
* [{{Wayback|url=http://www.c20.jp/1925/04gakko.html |title=陸軍現役将校学校配属令公布] |date=20070927003552}}
 
{{japanese-history-stub}}
 
{{DEFAULTSORT:かつこうきようれん}}
[[Category:教科]]
[[Category:訓練]]
[[Category:大日本帝国陸軍の教育]]
[[Category:大正時代の教育]]
[[Category:昭和時代戦前の教育]]
50 ⟶ 88行目:
<!--[[Category:日本の中等教育]]-->
[[Category:戦時下の日本]]
[[Category:日本の軍事教育と訓練|歴きようかかつこう]]
{{japanese-history-stub}}