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前述のように一茶は父の死去とそれに伴う遺産を巡る継母、弟との骨肉の争いを「[[父の終焉日記]]」にまとめている<ref group="†">矢羽(2004)p.162によれば、父の終焉日記という題名は[[束松露香]]によるものであり、束松の命名が定着している。</ref>。親族間の遺産相続における争いごとは比較的ありふれた出来事ではあるが、江戸期以前の日本では文学の題材として取り上げられることが無かった題材であった。赤裸々に描かれた遺産を巡る親族間の骨肉の争いは読者にやるせない思いを抱かせるものである一面、極めて人間的なテーマを[[私小説]]風にまとめ上げており、「父の終焉日記」は日本の[[自然主義文学]]の草分けであるとの評価がなされるようになった<ref>小林(1986)p.93、矢羽(2004)p.80、pp.163-165</ref>,<ref>[[マブソン青眼]]「『父の終焉日記』の文体にみる比喩表現」、俳文学会刊行『連歌俳諧研究』・100号・2001年2月</ref>。もちろん「父の終焉日記」は一茶の視点によって書かれたものであり、内容的にも創作が見られ、遺産相続問題において、一茶が善人、継母と弟が欲にまみれた悪人であるように描かれた記述は慎重に読まねばならない<ref>小林(1986)p.95、矢羽(2004)pp.80-81、p.165</ref>。
現実問題として父が倒れた時期は農繁期に当たっていて、継母と弟は日々の農作業に追われ、勢い、父の看病は一茶に任される形となった。これは継母、弟にとって終始父の看病に当たっている一茶が重態の父を
父、弥五兵衛は一茶に対してかねがね妻を娶って柏原に落ち着くように勧めていた。一茶自身も父に対して「病気が治ったら、元の弥太郎に戻って農業に精を出し、父上を安心させたい」と語り、帰郷の意思があることを表明した。そして家を離れ、俳諧師として浮草のような生活を続けていることについて反省を述べている。農民の子として生まれながら、汗して田畑を耕すことなく生きていくことに対する罪悪感は、一茶の脳裏を一生離れることが無かった<ref>小林(1986)pp.89-90、矢羽(2004)pp.81-82、青木(2013b)p.49</ref>。このような一茶の姿を見た父は、一茶と弟、仙六とで財産を均分するよう指示した遺言状をしたため、一茶に手渡したと考えられている<ref group="†">父の終焉日記には、父の遺言状について特に記載されていない。後藤、宗村(2016)p.142 では、その後の遺産相続問題の経緯から見て、遺産を均分相続させるとの内容の遺言状が実在したことは間違いないと判断している。</ref><ref>小林(1986)p.93</ref>。
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今後の一茶研究の課題としては、まず蕪村などよりも進んでいるとされる伝記面の研究に対して、作品研究が立ち遅れているとの指摘がある。中でも個々の作品、著作についての研究の深化とともに、遅れが目立つとされている連句の研究を進めていくこと、一茶が俳壇に身を投じた天明期から亡くなる文政期までの俳壇における位置づけの確認などといった課題が挙げられている<ref>矢羽(1993)p.557、高橋(2013)p.43</ref>。また一茶の資料的なものはほぼ出揃った感がある中で、学際的な研究を進めていって、文学的方面ばかりではなく、より広い視野から一茶の実像を見直していくことが求められているとされている<ref>渡邊(2006)pp.142-144</ref>。
[[2025年]]6月24日放送の『[[開運!なんでも鑑定団]]([[テレビ東京]])』において、依頼
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