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{{複数の問題
『'''海行かば'''』('''うみゆかば''')は[[日本]]の[[軍歌]]ないし[[歌曲]]の一。
| 出典の明記 = 2024年9月
| 独自研究 = 2024年9月
}}{{listen | filename = Umi Yukaba.ogg | title = 視聴する | description = 伴奏・歌唱: [[東京音楽学校 (旧制)|東京音樂學校]]管弦樂部・合唱團}}
『'''海行かば'''』(うみゆかば)は、[[日本]]のさながら公的な趣を示した[[軍歌]]であり、[[国民歌|国民歌謡]]、[[鎮魂歌]]の一つ<ref>[[国立国会図書館]] [http://rekion.dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1325539 歴史的音源 - 国民歌謡;海行かば]</ref>、[[歌曲]]<ref name="小川3-245">小川乃倫子「海ゆかば」『日本大百科全書 3』小学館、1989年7月1日 初版第五刷発行、ISBN 4-09-526003-3、245頁。</ref>、[[合唱曲]]<ref name="小川3-245"/><ref name="船山1989-443">[[船山隆]]「信時潔」『日本大百科全書 18』小学館、1989年7月1日、初版第五刷発行、ISBN 4-09-526018-1、443頁。</ref><ref name="後藤2007-251">[[後藤暢子]]「信時潔」『世界大百科事典 22』平凡社、2007年9月1日 改訂新版発行、251頁。</ref>。特に[[大東亜戦争]]中は準[[国歌]]、第二[[国歌]]とも呼ばれた(ただし、[[国旗及び国歌に関する法律|法的]]に認められたものではない)<ref>{{Cite news|url=https://www.christiantoday.co.jp/articles/16629/20150815/umiyukaba-nobutoki-kiyoshi.htm|title=太平洋戦争中、“第二の国歌”といわれた軍歌「海行かば」に作曲家・信時潔のキリスト教信仰|agency=[[クリスチャントゥデイ]]|date=2015-08-15|accessdate=2022-01-03}}</ref>。
 
詞は、『[[万葉集]]巻十八「賀[[陸奥国]]出金詔書歌一首并短歌」(新編[[国大観]]番号4094番。『[[新編国歌大観]]』番号4119番。[[大伴家持]]作)の長歌から採られている。作曲された歌詞の部分は原歌中の引用部分であるが「陸奥国出金詔書」(『[[大伴家持続日本紀]]』第13詔)筆が入ってひとつの作品となっていることを重視し、彼の作と見るのが適引用部分にほぼ相である。
 
この詞には[[1880年]]([[明治]]13年)に当時の[[宮内省]]伶であった[[東儀]]も作曲しており、[[軍艦行進曲|行進曲『]](軍艦』]]マーチ)の中間部に今も聞くことができる。しかしながら、夙戦前有名なのおいては、[[1937年]]に作将官礼式として用いられた[[信時潔]]の作品(信時の自筆譜では『海'''ゆ'''かば』)である
<score vorbis="1" midi="1">{
\key bes \major \time 4/4 \tempo 4 = 60 \relative bes {
d4 f8 f8 g4 f4| c'4 a4 g4( f)| d4 f4 g2|
c4.( a8) g4( f)| g4( f8 a) g4 f4| d8 d8 f8 f8 g4 f8 d8| c8 c8 c8 bes8 c2|
bes'4( c) g4( f8 g)| bes2 c2| g4 f8( d) f4( g8 f)| d4 f8 f8 g4 f8( d)| c2 c2 \bar "|."
}
\addlyrics {
う み ゆ か ば み づ くー か ば ね
やー まー ゆー か ば く さ む す か ば ね
お お ぎ み の へー にー こ そ し なー めー
の ど に は しー な じ
}
}
</score><ref name=海上自衛隊>{{Cite web|和書|title=海上自衛隊東京音楽隊:行進曲「軍艦」について|url=https://www.mod.go.jp/msdf/tokyoband/gallery/download/gunkan.html|website=www.mod.go.jp|accessdate=2019-12-25}}</ref>
 
== 信時潔の作曲 ==
これは当時の[[日本]]政府によって[[国民精神強調週間]]が制定された際、そのテーマ曲として[[日本放送協会|NHK]]が信時に嘱託して完成されたもので、出征兵士を送る歌として愛好された(やがて若い学徒までが出征するに及び、信時は苦しむこととなる)。本来は国民の戦闘意欲を昂揚せしむるべく制定された曲であるが、この曲を大いに印象づけたのは、「玉砕のテーマ」として、則ち[[大東亜戦争|太平洋戦争]]末期に[[ラジオ]]放送の戦果発表([[大本営]]発表)の際に、その内容が[[玉砕]]である場合、番組導入部のテーマ音楽として用いられたことである(勝ち戦を報道する場合は行進曲『軍艦』が用いられた)。
<!--<score vorbis=1 midi=1>\relative g' {
\partial 4*1 g\mf\< | e2 d4. a'8\!\> | g2.\! \breathe a8. b16\< | c4. g8 e'4\! e |
d2.\> \breathe d4\!\f | e2 d4 d8.\> c16 | a2.\! \breathe a4\mf | b4. a8 g d' d4 | \break
c2.\> \breathe c,4~\!\mp | c4.(f8) f4 a | g2 r4 g\mf\< | g4. a8 g e\! d8. g16 |
g2 r4 g8.\f e'16 | e4. e8 d c4-> d8-> | c2.\ff \bar "|."
}
\addlyrics {
う み ゆ か ば み ー づ く か ば ね や ま ゆ か ー ば く さ む す か ば
ね お__お__ー き み の へ に こ そ し な ー め か ー え り み は せ じ
}
</score><ref>文部省、『高等科音樂一 女子用』昭和十九年四月八日、(2015年12月31日取得、http://kindai.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1450827/13)。</ref>--->
当時の[[大日本帝国]]政府が[[国民精神総動員]]強調週間を制定した際のテーマ曲。[[信時潔]]が当時の社団法人[[日本放送協会]]の嘱託を受けて、[[1937年]]([[昭和]]12年)に作曲した。信時の自筆譜では「海'''ゆ'''かば」である。
 
放送は[[1937年]](昭和12年)10月13日から10月16日の国民精神総動員強調週間に「新しい種目として」行われたとの記録がある<ref>日本放送協会編『昭和13年ラヂオ年鑑』pp120-121</ref>。本曲への国民一般の印象を決定したのは、[[太平洋戦争]]時に[[ラジオ|ラジオ放送]]の戦果発表([[大本営発表]])が[[玉砕]]を伝える際、必ず冒頭曲として流されたことによる(ただし、[[真珠湾攻撃]]成功を伝える際は勝戦でも流された)。ちなみに、勝戦を発表する場合は「[[敵は幾万]]」、[[陸軍分列行進曲]]「[[抜刀隊 (軍歌)|抜刀隊]]」、行進曲『[[軍艦行進曲|軍艦]]』などが用いられた。これを機に、日本放送協会は積極的に戦意高揚の曲を当時活躍していた作曲家らに依頼するようになったという<ref>{{Cite web|title=音楽はかつて“軍需品”だった 〜幻の楽譜に描かれた戦争〜|publisher=NHK|url=https://plus.nhk.jp/watch/st/e1_2025081610810?cid=jp-PNVVRJ6Y5W|access-date=2025-8-17}}</ref>。
賛美歌で育ちドイツ古典音楽を学び深く愛した信時らしい、全体的にゆるやかなテンポの荘重かつ荘厳な曲にして、能く鎮魂の大任を果たすことができたといえよう。この曲は敗戦までの間盛んに愛唱され「第二の国歌」とまで呼ばれたが、戦後は事実上の封印状態が続いた(関連作品参照)。
 
なお、[[学校法人桜美林学園|桜美林学園]]は創立以来、[[1958年]](昭和33年)まで「海ゆかば」の旋律を校歌に採用していた。
 
==歌詞==
{{Wikisource|海行かば}}
: 海行かば 水漬(みづ)く屍(かばね)
{{quote|
: 山行かば 草生(くさむ)す屍
<ruby><rb>海</rb><rp>(</rp><rt>うみ</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>行</rb><rp>(</rp><rt>ゆ</rt><rp>)</rp></ruby>かば <ruby><rb>水</rb><rp>(</rp><rt>み</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>漬</rb><rp>(</rp><rt>づ</rt><rp>)</rp></ruby>く<ruby><rb>屍</rb><rp>(</rp><rt>かばね</rt><rp>)</rp></ruby><br/>
: 大君(おおきみ)の
<ruby><rb>山</rb><rp>(</rp><rt>やま</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>行</rb><rp>(</rp><rt>ゆ</rt><rp>)</rp></ruby>かば <ruby><rb>草</rb><rp>(</rp><rt>くさ</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>生</rb><rp>(</rp><rt>む</rt><rp>)</rp></ruby>す<ruby><rb>屍</rb><rp>(</rp><rt>かばね</rt><rp>)</rp></ruby><br/>
: 辺(へ)にこそ死なめ
<ruby><rb>大</rb><rp>(</rp><rt>おほ</rt><rp>)</rp></ruby><ruby><rb>君</rb><rp>(</rp><rt>きみ</rt><rp>)</rp></ruby>の <ruby><rb>辺</rb><rp>(</rp><rt>へ</rt><rp>)</rp></ruby>にこそ<ruby><rb>死</rb><rp>(</rp><rt>し</rt><rp>)</rp></ruby>なめ<br/>
: かへりみはせじ
かへりみはせじ<br/>
: (長閑(のど)には死なじ)
(<ruby><rb>長閑</rb><rp>(</rp><rt>のど</rt><rp>)</rp></ruby>には<ruby><rb>死</rb><rp>(</rp><rt>し</rt><rp>)</rp></ruby>なじ)
}}
 
歌詞は2種類あるとされている。「かりみはせじ」となっているのは、前述のとおり「賀陸奥出金詔書歌一首并短歌」を原典としたものであによる。一方、「長閑には死なじ」となっているのは、「陸奥国出金詔書」(『[[続日本紀]]』第13詔)による。万葉学者の[[石上朝臣乙麻呂中西進]]{{要文献特定詳細情報|date=2024年9月}}は、大伴家詠んだ[[長伝えた言挙げの]]を原典とし詞の終句に「かへりみはせじ」「長閑には死なじ」の二つがあり、かけあって唱えたものではないか、と推測している。
 
==原歌==
===陸奥国に金を出す詔書を賀す歌一首、并せて短歌(大伴家持)===
{{quote|
葦原の 瑞穂の国を 天下り 知らし召しける <ruby><rb>皇祖</rb><rp>(</rp><rt>すめろき</rt><rp>)</rp></ruby>の 神の<ruby><rb>命</rb><rp>(</rp><rt>みこと</rt><rp>)</rp></ruby>の 御代重ね 天の<ruby><rb>日嗣</rb><rp>(</rp><rt>ひつぎ</rt><rp>)</rp></ruby>と 知らし来る 君の御代御代 敷きませる <ruby><rb>四方</rb><rp>(</rp><rt>よも</rt><rp>)</rp></ruby>の国には 山川を 広み厚みと 奉る <ruby><rb>御調宝</rb><rp>(</rp><rt>みつきたから</rt><rp>)</rp></ruby>は 数へえず 尽くしもかねつ しかれども 我が<ruby><rb>大王</rb><rp>(</rp><rt>おほきみ</rt><rp>)</rp></ruby>の 諸人を 誘ひたまひ よきことを 始めたまひて 金かも たしけくあらむと 思ほして 下悩ますに 鶏が鳴く <ruby><rb>東</rb><rp>(</rp><rt>あづま</rt><rp>)</rp></ruby>の国の <ruby><rb>陸奥</rb><rp>(</rp><rt>みちのく</rt><rp>)</rp></ruby>の 小田なる山に 黄金ありと 申したまへれ 御心を 明らめたまひ <ruby><rb>天地</rb><rp>(</rp><rt>あめつち</rt><rp>)</rp></ruby>の <ruby><rb>神相</rb><rp>(</rp><rt>かみあい</rt><rp>)</rp></ruby>うづなひ <ruby><rb>皇御祖</rb><rp>(</rp><rt>すめろぎ</rt><rp>)</rp></ruby>の <ruby><rb>御霊</rb><rp>(</rp><rt>みたま</rt><rp>)</rp></ruby>助けて 遠き代に かかりしことを 我が御代に 顕はしてあれば <ruby><rb>御食国</rb><rp>(</rp><rt>みをすぐに</rt><rp>)</rp></ruby>は 栄えむものと <ruby><rb>神</rb><rp>(</rp><rt>かむ</rt><rp>)</rp></ruby>ながら 思ほしめして <ruby><rb>武士</rb><rp>(</rp><rt>もののふ</rt><rp>)</rp></ruby>の <ruby><rb>八十伴</rb><rp>(</rp><rt>やそとも</rt><rp>)</rp></ruby>の緒を まつろへの 向けのまにまに <ruby><rb>老人</rb><rp>(</rp><rt>おいびと</rt><rp>)</rp></ruby>も <ruby><rb>女</rb><rp>(</rp><rt>め</rt><rp>)</rp></ruby>の<ruby><rb>童児</rb><rp>(</rp><rt>わらはこ</rt><rp>)</rp></ruby>も しが願ふ 心足らひに 撫でたまひ 治めたまへば ここをしも あやに貴み 嬉しけく いよよ思ひて 大伴の 遠つ<ruby><rb>神祖</rb><rp>(</rp><rt>かむおや</rt><rp>)</rp></ruby>の その名をば <ruby><rb>大来目主</rb><rp>(</rp><rt>おほくめぬし</rt><rp>)</rp></ruby>と 負ひ持ちて 仕へし<ruby><rb>官</rb><rp>(</rp><rt>つかさ</rt><rp>)</rp></ruby> '''海行かば 水漬く屍 山行かば 草生す屍 大君の 辺にこそ死なめ かへり見は せじ'''と<ruby><rb>言立</rb><rp>(</rp><rt>ことだて</rt><rp>)</rp></ruby>て 丈夫の 清きその名を <ruby><rb>古</rb><rp>(</rp><rt>いにしえ</rt><rp>)</rp></ruby>よ 今の<ruby><rb>現</rb><rp>(</rp><rt>をつつ</rt><rp>)</rp></ruby>に 流さへる <ruby><rb>祖</rb><rp>(</rp><rt>おや</rt><rp>)</rp></ruby>の子どもぞ 大伴と 佐伯の氏は 人の祖の 立つる言立て 人の子は 祖の名絶たず <ruby><rb>大君</rb><rp>(</rp><rt>おほきみ</rt><rp>)</rp></ruby>に まつろふものと 言ひ継げる <ruby><rb>言</rb><rp>(</rp><rt>こと</rt><rp>)</rp></ruby>の<ruby><rb>官</rb><rp>(</rp><rt>つかさ</rt><rp>)</rp></ruby>ぞ <ruby><rb>梓弓</rb><rp>(</rp><rt>あずさゆみ</rt><rp>)</rp></ruby> 手に取り持ちて <ruby><rb>剣大刀</rb><rp>(</rp><rt>つるぎたち</rt><rp>)</rp></ruby> 腰に取り<ruby><rb>佩</rb><rp>(</rp><rt>は</rt><rp>)</rp></ruby>き 朝守り 夕の守りに 大君の 御門の守り 我れをおきて 人はあらじと いや立て 思ひし増さる 大君の <ruby><rb>御言</rb><rp>(</rp><rt>みこと</rt><rp>)</rp></ruby>のさきの聞けば貴み
}}
 
== 評価など ==
* [[ダーク・ダックス]]の喜早哲は、(楽譜通りに演奏することを条件として)自著{{Full citation needed|date=2019年5月9日}}の中で信時の『海ゆかば』の音楽性を賞賛した。
* [[谷口雅春]]は海ゆかばに反対していた。その結果、[[生長の家]]の本部講師と[[特別高等警察]]の間でトラブルが発生することもあった<ref>『生長の家四十年史』</ref>。
* 現在出版されている信時潔の歌曲集にこの曲はなく、上記[[コンパクトディスク|CD]]『海ゆかばのすべて』発売以前は、ピアノと共に演奏することは容易ではなかった。このような[[音楽出版社]]、および[[日本放送協会|NHK]]の姿勢について、臭い物にはフタ式の不誠実な態度であると、[[藍川由美]]はみずからの著作{{Full citation needed|date=2019年5月9日}}やCDの[[ライナーノーツ|ライナーノート]]{{Full citation needed|date=2019年5月9日}}などで繰り返し批判している([[2005年]]([[平成]]17年)に再刊された春秋社の曲集には、付録として『海ゆかば』が収載されている)。
*[[林光]]は、[[軍国主義]]を批判する立場から『旗はうたう』([[1987年]](昭和62年))を作詞・作曲した。この中で林は、信時の『海ゆかば』を痛烈にもじっている。
*[[小津安二郎]]の映画『[[父ありき]]』([[1942年]](昭和17年))のラストシーンにも信時作品が用いられた。しかし当該部分は戦後、[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]の[[検閲]]により音声が削除された。[[ソビエト連邦軍]]が[[満州]]から持ち去り保管していたフィルムにより、オリジナルの姿が知られる。
*[[近代に作られた神楽]]である[[近代に作られた神楽#靖國の舞|靖國の舞]]にも、この歌詞が使われている。
*[[坂本九]]の楽曲「結婚通知」の後半にこの歌が引用されている。
*50名による論集に『「海ゆかば」の昭和』([[新保祐司]]編、イプシロン出版企画、2006年)がある。
 
=== 軍歌か鎮魂歌か ===
[[大本営発表]]や出征兵士を送る際に使われた一方で、戦没者の遺骨を迎える際にも使われた経緯から、「[[軍歌]]」と認識する者と「[[鎮魂]]歌」と認識する者に分かれている。
 
[[2016年]](平成28年)から[[千葉県]][[八千代市]]で年に1回開催されている「日本の心を歌う集い」<ref>同会は開催毎に違うウェブサイトを立ち上げている。[http://nihonnouta.blog.fc2.com/ 第1回][http://nihonnouta2.blog.fc2.com/ 第4回]</ref>では、第3回となる[[2018年]](平成30年)3月3日に本曲が歌われる予定となり、それまで同イベントを後援してきた八千代市教育委員会は、一部の市民から「軍歌を歌うイベントの後援は好ましくない」との指摘を受け、第3回の後援は見送ることを決めた。同教委は主催者側に対しては「社会通念上、軍歌とされる『海行かば』が歌われる」「この歌を歌えば戦争賛美、戦死賛美を助長しかねない」といった理由を示し、[[産経新聞]]の取材に対しても「『海行かば』は作られた経緯から軍歌だと思っている」と説明した。一方、主催者側は「そもそも『海行かば』は軍歌ではなく鎮魂歌だ」「市教委は一方の市民の意見を代弁しており、公正中立とはいえない」と反発し、法的な対抗策を検討する構えも見せた。[[関東学院大学]][[文学部]][[教授]]の[[富岡幸一郎]]も「『海行かば』や本居宣長の和歌など、伝統的な文芸が戦意高揚に使われたことはあるが、本来は[[軍国主義]]と無関係」と述べている。なお、八千代市は第3回も後援を決めた<ref>{{Cite news|title=「海行かば」軍歌か鎮魂か 一部市民から指摘…市教委、公演の後援見送り|url=https://www.sankei.com/article/20180302-K4EEOZ26IBIYDJRCBP7DHEZT4E/|work=[[産経新聞]]|publisher=[[産業経済新聞社]]|date=2018-03-02|accessdate=2018-03-03}}</ref>。2020年代に開催された様子はない。
 
== 音声資料 ==
* CD [[藍川由美]]『「NHK 國民歌謡〜われらのうた〜國民合唱」を歌う』(COCQ-83299)
* オムニバスCD 『海ゆかばのすべて』(KICD-3228)
**このCDには詳細なライナーノートがあり、ピアノ譜も含まれている。林光(下記参照)編曲の[[室内楽]]版も収録されている。
* CD [[ZENITHRASH]]『GENUINE PRESTIGE〜誠たる誉れ〜』(TLMRC-003)
 
== 登場する映像作品 ==
『海ゆかば』は[[大日本帝国海軍|日本海軍]]を象徴するものとして、映画やテレビドラマで度々使用された。
<!--*[[ファーストディストリビューション]]『<世紀のドキュメント> 太平洋戦史 (上)海戦編・海ゆかば』(CRBI-5023) --><!-- これはドキュメンタリー(ドキュメンタリーをいちいちあげていたらきりがないので)-->
;『[[ハワイ・マレー沖海戦]]』
: [[東宝映画]]、1942年公開、[[山本嘉次郎]]監督。
: 第二次世界大戦中の戦意高揚映画。[[中村彰 (俳優)|中村彰]]演ずる立花忠明の回想で、立花が[[海軍兵学校 (日本)|海軍兵学校]]の教育参考館で[[東郷平八郎]]の[[遺髪]]に謁見するシーンのBGMとして使用。
;『[[潜水艦イ-57降伏せず]]』
: [[東宝]]、1959年公開、[[松林宗恵]]監督。
: [[太平洋戦争]]末期を描いた作品だが、ドキュメンタリー要素は薄い(架空の潜水艦、出来事)。戦死した兵を[[水葬]]にする際、潜水艦「イ-57」の水兵たちが「海行かば」を斉唱して送り出す。
;『[[ハワイ・ミッドウェイ大海空戦 太平洋の嵐]]』
: 東宝、1960年公開、松林宗恵監督。
: [[ミッドウェー海戦]]で[[航空母艦|空母]][[飛龍 (空母)|飛龍]]が味方駆逐艦による雷撃処分で沈没する時にBGMとして使用される。
;『[[トラ・トラ・トラ!|トラ!トラ!トラ!]]』
: [[20世紀フォックス]]、1970年公開、[[リチャード・フライシャー]]・舛田利雄・[[深作欣二]]共同監督。
: [[真珠湾攻撃]]を描いた日米合作映画。新たに[[連合艦隊司令長官]]として着任した[[山本五十六]]が[[長門 (戦艦)|戦艦長門]]に初乗艦する場面。甲板上の歓迎式典での軍楽隊が吹奏する。
;『[[ヤスジのポルノラマ やっちまえ!!]]』
: [[角川ヘラルド・ピクチャーズ|日本ヘラルド映画]]・[[日本テレビ動画|東京テレビ動画]]、1971年公開、[[三輪孝輝]]・[[高桑慎一郎]]共同演出、[[新倉雅美|渡辺清]]製作。
: [[谷岡ヤスジ]]原作の長編[[アニメーション映画]]。主人公のプス夫が[[破局]]を迎え[[切腹|割腹自殺]]を遂げる直前の[[BGM]]として使用。
;『[[連合艦隊 (映画)|連合艦隊]]』
: 東宝、1981年公開、[[松林宗恵]]本編監督、[[中野昭慶]]特技監督。
: 太平洋戦争を描いた映画。[[第三艦隊 (日本海軍)|第三艦隊]]司令長官[[小沢治三郎]]などが[[航空母艦|空母]][[瑞鶴 (空母)|瑞鶴]]が沈没する時に敬礼をする。その時の[[背景音楽|BGM]]として使用されている。
;『[[大日本帝国 (映画)|大日本帝国]]』
: [[東映]]、1982年公開、舛田利雄監督。
: 東条英機を中心に太平洋戦争の開始から敗戦までを描く。[[サイパンの戦い]]で日本軍が[[ガラパン]]付近で最後の突撃を行う場面で、軍人と民間人が歌う。
;『[[日本海大海戦 海ゆかば]]』
: 東映、1983年公開、[[舛田利雄]]監督。<!--DSTD-2336-->
: [[日露戦争]]を描いた映画。当時まだ本歌は存在しなかった。
;『[[上海バンスキング#映画版|上海バンスキング]]』
: 松竹、1984年公開、[[深作欣二]]監督。
: [[上海]]のクラブに来た日本軍の将校からこの曲をリクエストされたバクマツ([[宇崎竜童]])が[[トランペット]]で演奏する場面がある。バクマツは[[ジャズ]]風にアレンジしたためこれに怒った将校が立ち上がり、演奏を止めようと舞台に近づくが、仲間たちが阻止した。
;『[[太陽の帝国]]』
: ワーナーブラザーズ、1987年公開、[[スティーヴン・スピルバーグ]]監督。
: 特攻隊員達が歌う「海ゆかば」にかぶせて、主人公ジムの“SUO GAN”(子守歌)の歌声が流れる。
;『[[ひめゆりの塔#ひめゆりの塔をテーマとした作品|ひめゆりの塔]]』
: 東宝、1995年公開、[[神山征二郎]]監督。
: [[沖縄戦]]を描いた映画。戦場で行われた女学校の卒業式の場面で、[[ひめゆり部隊]]が全員で斉唱する。
;『[[さとうきび畑の唄]]』
: [[TBSテレビ|TBS]]系列・[[BS-TBS|BS-i]]、2003年放送、[[福澤克雄]]演出。
: 沖縄戦を描いたテレビドラマ。主人公が出征する息子を港で見送る場面で、背景の軍楽隊が吹奏する。
; 『[[ハルとナツ 届かなかった手紙]]』第4話
: NHK総合テレビジョン、2005年10月5日放送、原作・脚本:[[橋田壽賀子]]
: 昭和27(1952)年5月、海野が高倉家を訪ねた。海軍中佐だった海野は、サントス港で荷役をしていた高倉家次男の実と知り合い予科練をすすめ身元保証人になっていた。海野は、実が特攻隊としてレイテ沖で敵艦に突入して戦死したことを伝え、実の遺品の軍帽とハーモニカを手渡した。高倉忠次は、気をつけの姿勢をとって『海行かば』を歌い始めた。海野も気をつけの姿勢をとって一緒に歌い始めた<ref>[[橋田壽賀子|Sugako Hashida]], ''Haru e Natsu - As cartas que não chegaram -'', 2005, [http://www.imigrantesjaponeses.com.br/iminbrasil/Haru%20e%20Natsu.pdf#page=331 pp. 322-324.] {{Pt icon}}</ref>。
 
== 脚注 ==
葦原の 瑞穂の国を 天下り 知らしめしける すめろきの 神の命の 御代重ね 天の日継と 知らし来る 君の御代御代 敷きませる 四方の国には 山川を 広み厚みと 奉る みつき宝は 数へえず 尽くしもかねつ しかれども 我が大君の 諸人を 誘ひたまひ よきことを 始めたまひて 金かも たしけくあらむと 思ほして 下悩ますに 鶏が鳴く 東の国の 陸奥の 小田なる山に 黄金ありと 申したまへれ 御心を 明らめたまひ 天地の 神相うづなひ すめろきの 御霊助けて 遠き代に かかりしことを 我が御代に 顕はしてあれば 食す国は 栄えむものと 神ながら 思ほしめして もののふの 八十伴の緒を まつろへの 向けのまにまに 老人も 女童も しが願ふ 心足らひに 撫でたまひ 治めたまへば ここをしも あやに貴み 嬉しけく いよよ思ひて 大伴の 遠つ神祖の その名をば 大久米主と 負ひ持ちて 仕へし官 '''海行かば 水漬く屍 山行かば 草生す屍 大君の 辺にこそ死なめ かへり見は せじ'''と言立て ますらをの 清きその名を いにしへよ 今のをつづに 流さへる 祖の子どもぞ 大伴と 佐伯の氏は 人の祖の 立つる言立て 人の子は 祖の名絶たず 大君に まつろふものと 言ひ継げる 言の官ぞ 梓弓 手に取り持ちて 剣大刀 腰に取り佩き 朝守り 夕の守りに 大君の 御門の守り 我れをおきて 人はあらじと いや立て 思ひし増さる 大君の 御言のさきの[一云 を] 聞けば貴み [一云 貴くしあれば]
{{Reflist}}
 
==音声資料 関連項目 ==
* [[黄金山神社 (石巻市)|黄金山神社]] - 原歌に付属する反歌の一つである「天皇の御代栄えむと東なる陸奥山に金花咲く」に由来する。
* CD [[藍川由美]]『「NHK 國民歌謡~われらのうた~國民合唱」を歌う』 COCQ83299
* [[冨士大石寺顕正会]] - 会歌「遺命重し」は本曲を編曲したものである。
* オムニバスCD 『海ゆかばのすべて』 KICD-3228
**このCDには詳細なライナーノートがあり、ピアノ譜も含まれている。皮肉なことに、林光(下記参照)編曲の[[室内楽]]版も収録されている。
 
== 外部リンク ==
==関連作品==
*[https://nobutoki.com/ 信時潔研究ガイド] - 信時潔の孫である信時裕子のサイト。信時作曲『海ゆかば』についての記載があり、「曲名の表記は『海ゆかば』として欲しい、作曲年代が大正となっている文章があるが誤りである」としている。
* 『海ゆかば』は帝国海軍を象徴するものとして、各種タイトルに使用された。
*{{NHK放送史|D0009060041_00000|海ゆかば}}
**ファーストディストリビューション『<世紀のドキュメント> 太平洋戦史 (上)海戦編・海ゆかば』 CRBI-5023
*[https://www.youtube.com/watch?v=wXSCoKqy8MI 海行かば]東京音楽学校演奏
**[[東映]]『日本海大海戦 海ゆかば』 DSTD-2336 (もちろん[[日露戦争]]当時は信時作品は存在しなかった)
*[https://www.youtube.com/watch?v=rwzU9zufJDo 海ゆかば]Taishi
* [[ダーク・ダックス]]の喜早哲は、(楽譜通りに演奏することを条件として)自著の中で信時の『海ゆかば』の音楽性を賞賛した。
*{{YouTube|PfBebI2oFp4|<軍歌・準国歌>海行かば}}
* 信時潔は日本を代表する作曲家の一人であり、『海ゆかば』はその作品の中でもっとも人口に膾炙したものである。言うまでもなく音楽性も申し分ない。しかしながら現在出版されている信時の歌曲集にこの曲の姿はなく、上記CD『海ゆかばのすべて』発売以前はピアノと共に演奏する事は容易でなかった。このような[[音楽出版社]]及びNHKの姿勢について、臭い物にはフタ式の不誠実な態度であると、[[藍川由美]]は自著及び上記CDのライナーノート等で繰り返し批判している。
*合唱組曲『[[原爆小景]]』の作曲者であり[[緋国民楽派]]や[[こんにゃく座]]との関連で知られる[[林光]]は、[[軍国主義]]を批判する立場から『旗はうたう』([[1987年]])を作詞/作曲した。この中で林は信時の『海ゆかば』を痛烈にもじっている。
*[[小津安二郎]]の映画『父ありき』([[1942年]])のラストシーンにも信時作品が用いられたが、当該部分は戦後[[連合国軍最高司令官総司令部|GHQ]]の[[検閲]]により音声が削除された。ソ連軍が[[満州]]から持ち去り保管していたフィルムにより、オリジナルの姿が知られる。
 
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[[Category:軍歌|うみゆかは]]
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[[Category:楽曲 う|みゆかは]]
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