「D.B.クーパー事件」の版間の差分
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→回収された紙幣: 以下、推敲。約物を和文になど。用語、ハイジャックを受けた乗り物は「旅客機」を使用、練習機も722も戦闘機も飛行機なので。出典の引数language=en。 |
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クーパーの遺体は発見されていないものの、証拠や専門家の見解により、クーパーは高所からの転落が原因で死亡したという説が当初から提唱されていたが<ref name="FBI-Redux" />、FBIは事件から45年もの間捜査を続けていた。捜査の過程で事件資料は60巻以上にも膨れ上がったものの<ref name="Seven1996-11-17" />、クーパーの身元に関する決定的な結論は得られていない。
捜査官や記者、アマチュアたちにより、長年の間に数多くの仮説が提唱されてきた<ref name="Gray-NYmag2007-10-21" /><ref name="AP2008-01-02">{{cite news|title=F.B.I. makes new bid to find 1971 skyjacker|agency=Associated Press|date=January 2, 2008|url=http://www.sfgate.com/cgi-bin/article.cgi?f=/n/a/2008/01/01/national/a100412S30.DTL|accessdate=January 2, 2008|newspaper=The San Francisco Chronicle|archiveurl=https://web.archive.org/web/20080102170246/http://www.sfgate.com/cgi-bin/article.cgi?f=%2Fn%2Fa%2F2008%2F01%2F01%2Fnational%2Fa100412S30.DTL|archivedate=January 2, 2008|
[[2016年]]7月、FBIは公式に捜査を停止したが、捜査官はパラシュートや身代金に関係する物的証拠の発見を今も待ち望んでいるという<ref>{{cite web|last1=McNerthney|first1=Casey|title=D.B. Cooper case no longer actively investigated by FBI|url=http://www.kiro7.com/news/local/db-cooper-case-no-longer-actively-investigated-by-fbi/397251270|website=KIRO7|accessdate=July 12, 2016|date=2016-07-12|language=en}}</ref>。
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クーパーは[[ボーイング727|ボーイング727-100]] ([[連邦航空局]]機体記号N467US) に搭乗し、客室の後方にある18C席<ref name="Gray-NYmag2007-10-21" /> (ある情報源では18E席<ref name=":3">
{{Cite web|url=http://www.francesfarmersrevenge.com/stuff/archive/oldnews6/crimes.htm|title=History's Greatest Unsolved Crimes|accessdate=2011-02-07|publisher=|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160624203847/http://www.francesfarmersrevenge.com/stuff/archive/oldnews6/crimes.htm|archivedate=2016-06-24|url-status=dead|url-status-date=2019-04-07}}
</ref>、別の情報源では15D席{{sfn|Gunther|1985|p=32}}) に座った。クーパーは[[たばこ]]に火をつけ<ref>商業航空では1988年まで喫煙が許可されていた。</ref>、[[バーボン・ウイスキー|バーボン]]のソーダ割りを頼んだ。同じ旅客機に乗った乗客たちによれば、クーパーの年齢は40代半ば、身長は178[[センチメートル|cm]]から
[[File:DB Cooper Wanted Poster.jpg|thumb|D.B.クーパーに対するFBIの指名手配ポスター]]
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305便は[[ロナルド・レーガン・ワシントン・ナショナル空港|ワシントンD.C.]]から[[シアトル]]へ向かう空路で、[[ミネアポリス・セントポール国際空港|ミネアポリス]]、{{仮リンク|グレートフォールズ国際空港|en|Great Falls International Airport|label=グレートフォールズ}}、{{仮リンク|ミズーラ国際空港|en|Missoula International Airport|label=ミズーラ}}、[[スポケーン国際空港|スポケーン]]、ポートランドを経由していた<ref name="sraphjp">{{cite news|url=https://news.google.com/newspapers?id=NPAjAAAAIBAJ&pg=6509%2C3689150|work=Spokesman-Review|agency=Associated Press|title=Hijacked plane makes landing at Seattle airport|date=November 25, 1971|page=1|language=en}}</ref>。[[太平洋標準時]]午後2時50分、旅客機は予定通りポートランドを飛び立った。旅客機には定員の3分の1程度が搭乗していた。離陸してまもなく、クーパーは自分の最も近くにいた[[客室乗務員]]であるフローレンス・シャフナー ({{lang-en-short|Florence Schaffner|links=no}}) にメモを渡した。シャフナーは機体尾部の[[エアステア]] (昇降用階段) のドアに取り付けられた補助席に座っていた<ref name="Gray-NYmag2007-10-21" />。シャフナーは、メモは孤独なサラリーマンが自分の電話番号を綴ったものだろうと考え、メモを開かずにハンドバッグに入れた<ref name=":4">{{cite book|title=Myths and Mysteries of Washington|last=Bragg|first=Lynn E.|year=2005|publisher=Globe Pequot|___location=Guilford, Connecticut|page=2|isbn=978-0-7627-3427-6|date=|language=en}}</ref>。クーパーはシャフナーの方に体を傾けると、次の言葉を囁いた。"Miss, you'd better look at that note. I have a bomb."<ref name="PI">{{cite news|title=When D.B. Cooper Dropped From Sky: Where did the daring, mysterious skyjacker go? Twenty-five years later, the search is still on for even a trace|last=Steven|first=Richard|date=November 24, 1996|url=|page=A20|work=[[フィラデルフィア・インクワイアラー|The Philadelphia Inquirer]]|language=en}}</ref> (「君、そのメモを読むのが身のためだ。俺は爆弾を持っている。」)
メモは[[フェルトペン]]で丁寧に書かれており、全て[[大文字]]だった<ref name=":5">{{Cite news|title=Unmasking D.B. Cooper|date=October 29, 2007|url=http://nymag.com/nymag/features/39593/index1.html|newspaper=New York|accessdate=June 28, 2016|last=Gray|first=Geoffrey|language=en}}</ref>。メモはクーパーが返却を要求してきたため、実際にどう書いてあったかは不明である<ref name="crime museum">{{Cite web|url=https://www.crimemuseum.org/crime-library/cold-cases/d-b-cooper/|title=D.B. Cooper|accessdate=June 28, 2016|publisher=|website=Crime Museum|language=en}}</ref>{{sfn|Himmelsbach|Worcester|1986|p=13}}。しかし、シャフナーの記憶によれば、ブリーフケースの中に爆弾が入っているというようなことが書いてあったという。シャフナーがメモを読むと、クーパーはシャフナーに自分の隣に座るように言った<ref name=":6">{{Cite web|url=https://archives.fbi.gov/archives/news/stories/2006/november/dbcooper_112406|title=A Byte Out of History - D.B. Cooper|accessdate=June 28, 2016|publisher=FBI|date=November 24, 2006|language=en}}</ref>。シャフナーはその言葉に従い、それから爆弾を見せるように冷静に頼んだ。クーパーはブリーフケースを開けて、中身を一目見るだけの時間を与えた。中には赤い円筒形の物体が8本入っていた{{efn|シャフナーの説明がポートランドにあるFBIの指令所へ伝達されると、捜査官たちはダイナマイトは普通は茶色かベージュ色であることを指摘し、8本の赤い円筒形の物体はおそらく道路や鉄道で使用される発炎筒だろうと推測した。しかし、その推測は確実なものにはなりえなかったため、武力介入は推奨されえなかった<ref>{{harvnb|Himmelsbach|Worcester|1986|pp=40–41|language=en}}</ref>。}}。4本の上に別の4本が置かれている状態だった。物体には赤い絶縁材で覆われたワイヤーと、大きな円筒形の電池が付いていた<ref name=":7">{{Cite web|url=http://n467us.com/Data%20Files/Logs%2006-20-2008R.pdf|title=Transcript of Crew Communications|accessdate=February 25, 2011|publisher=|format=PDF|language=en}}</ref>。(しかしこれらの爆弾は偽物だったという説もある。)クーパーはブリーフケースを閉じると、自分の要求を伝えた。現金20万ドル ("negotiable American currency"、「交換可能なアメリカの通貨」で払うように指示した){{efn|ほとんどの情報源では、クーパーは20ドル紙幣で身代金を
操縦士のウィリアム・スコット ({{lang-en-short|William Scott|links=no}}) は[[シアトル・タコマ国際空港]]の[[航空管制官]]に連絡をとり、管制官は地元警察と[[連邦捜査局|FBI]]に通報した。他の36名の乗客には、[[シアトル]]への到着が機械の軽度のトラブルにより遅れているという偽の情報が与えられた{{sfn|Himmelsbach|Worcester|1986|p=20}}。ノースウエスト・オリエント航空社長のドナルド・ニューロプ ({{Lang-en-short|Donald Nyrop|links=no}}) は身代金の支払いを承認し、全従業員にハイジャック犯の要求に十分に協力するように命じた{{sfn|Himmelsbach|Worcester|1986|p=19}}。旅客機は[[ピュージェット湾]]上空を約2時間旋回し、その間に{{仮リンク|シアトル警察|en|Seattle Police Department}}と[[連邦捜査局|FBI]]が[[パラシュート]]と身代金を集め、救急隊員を動員した<ref name="Gray-NYmag2007-10-21" />。
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===乗客の解放===
太平洋標準時午後5時24分、クーパーは自分の要求が叶えられたと知らされた。同午後5時39分、旅客機はシアトル・タコマ空港に着陸した{{sfn|Gunther|1985|p=43}}。日没から1時間以上経過した頃、クーパーはスコット操縦士に[[タキシング]]を指示して照明が明るい[[エプロン (飛行場)|エプロン]]の孤立した区画へ移動させ、警察の[[狙撃手]]を妨害しようと客室内の窓掛けを全て閉めさせた<ref name=":8">{{Cite episode|title=Mystery: D. B. Cooper|network=[[NBC]]|date=October 12, 1988|series=
機の燃料補給を待つ間、クーパーはコックピットにいる乗員に自身の飛行計画のあらましを説明した。南東へ進路を取って最高高度1万[[フィート]] (約3千[[メートル|m]]) に達したら、失速しないで済む最低速度つまり約100[[ノット]] (時速約190[[キロメートル|km]]) を維持したまま[[メキシコシティ]]の方向へ向かえという。クーパーはさらに、[[降着装置|ランディング・ギア]]は離着陸時の位置に合わせること、フラップの角度を15度に下げること、客室の[[与圧#航空機|与圧]]はかけないでおけと詳細な指示も与えた<ref name=":9">{{harvnb|Rothenberg and Ulvaeus||page= 5}}</ref>。フラップとは主翼の後縁に備わる[[高揚力装置]]である。これを出すと、低速飛行時に翼で発生する[[揚力]]は大幅に増えるが、[[抗力]]の増加も招く<ref>{{Cite book|和書 |last=李家 |first=賢一 |contribution=高揚力装置 |editor= 飛行機の百科事典編集委員会 |title=飛行機の百科事典 |year=2009|date=2009-12 |pages=221–223 |isbn=978-4-621-08170-9|language=en}}</ref>。副操縦士のウィリアム・ラタクザック ({{lang-en-short|William Rataczak|links=no}}) はクーパーに、指定の条件では航続距離は約1千マイル (約1600km) が限界で、2度目の燃料補給をしないと[[メキシコ]]に辿り着けないと伝え、クーパーと乗員たちは協議して燃料補給地は[[ネバダ州]][[リノ (ネバダ州)|リノ]]に合意した{{sfn|Gunther|1985|p=45}}。機体後方の出口が開いてエアステアが展開されると、クーパーは操縦士に離陸を指示した。ノースウエスト・オリエント航空の本社は、機体尾部のエアステアを展開したままの離陸は危険だとして異議を唱えた。実際には安全であると反論したクーパーは、その場ではそれ以上言い募っていない。離陸後にエアステアを展開するつもりだったのである{{sfn|Himmelsbach|Worcester|1986|pp=33–34}}。
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===再度離陸へ===
[[File:Rwr727tail.jpg|thumb|ボーイング727。機体後方のエアステアが開いた状態。]]
午後7時40分ごろ、ボーイング727はクーパー、スコット操縦士、マックロー客室乗務員、ラタクザック副操縦士、航空機関士のH・E・アンダーソン ({{lang-en-short|H. E. Anderson|links=no}}) の5名だけを乗せて離陸した。2機の[[F-106 (
離陸後、クーパーはマックローに、コックピット内の人員と合流してドアを閉じ、コックピットから出てこないように告げた。マックローが同意すると、クーパーは自分の腰に何かを巻きつけ始めたという。午後8時ごろ、コックピットの警告灯が点灯、機体尾部のエアステアの起動を示した。機内の通話システムを介して乗員がクーパーに手を貸そうと申し出ると、そっけなく断られた。そのすぐ後に、乗員たちは気圧の変化を体感しており、機体尾部のドアが開いたと感知している{{sfn|Gunther|1985|p=56}}。
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FBIは機内から未特定のかすれた指紋を66点回収した<ref name="Pasternak-USNWR2000-07-24" />。クーパーが身につけていた黒いネクタイやネクタイ留め、パラシュート4個のうちの2個も発見した{{efn|アール・コッシーはパラシュートを提供したスカイダイビングのインストラクターである。複数メディア取材に対して、パラシュート4個のうちわけはメイン1個、予備2個で、3個は返却されたと述べた。FBIは機内で発見されたメイン1個と破壊されていた予備1個の計2個のみ保管している<ref>{{harvnb|Gunther|1985|p=50}}</ref>。}}。残された2つのパラシュートのうちの1つは展開されており、キャノピーからシュラウドラインが2本切断されていた<ref name=":12">{{cite news|title=F.B.I. reheats cold case|work=[[National Post]]|last=Cowan|first=James|date=January 3, 2008|url=https://nationalpost.com/news/story.html?id=211616|archive-url=https://archive.today/20080121231748/http://www.nationalpost.com/news/story.html?id=211616|url-status=dead|archive-date=January 21, 2008|access-date=January 9, 2008|language=en}}</ref>。当局はポートランドやシアトル、リノにいた目撃者や、クーパーと直接接触した全ての人々に対して尋問を行った。一連のクーパーの似顔絵が制作された<ref name="latinapp">[https://vault.fbi.gov/D-B-Cooper%20/D-B-Cooper-Part-7-of-7/view FBIの情報公開資料]</ref>。
地元警察とFBIはすぐに被疑者の尋問を開始した。800名以上が被疑者と考えられたが、20名ほどを除き捜査対象から除外された<ref name=":13">{{cite web|title=D.B. Cooper Hijacking|url=https://www.fbi.gov/history/famous-cases/db-cooper-hijacking|accessdate=7 December 2018|language=en-
[[File:727db.gif|thumb|225px|アニメーションでボーイング727後方のエアステアが飛行中に展開された
捜索範囲を精密に決定するのは困難だった。飛行機の推定速度の若干の差異や、飛行経路の環境条件
再現実験で
最初の推定では、クーパーの着
1972年の春の雪解けからまもなく、FBIのチームはもう一度、クラーク郡とカウリッツ郡の徹底的な地上捜索を実施した。空軍、州兵、民間ボランティアに加えて{{仮リンク|ルイス駐屯地|en|Fort Lewis}}の[[陸軍]]兵士約200名が
===身代金の捜索===
クーパー事件から1ヵ月後、FBIは身代金の紙幣の通し番号の一覧表を金融機関や[[カジノ]]、競馬場、その他大規模な金の取引が日常的に行われる事業所、さらには世界中の法的機関に配布した。ノースウエスト・オリエント航空は身代金を回収した場合、その15%、最大2万5千ドルの褒賞を提供すると申し出た。1972年前半、[[アメリカ合衆国司法長官]]の[[ジョン・N・ミッチェル]]は一般の人に身代金の紙幣の通し番号を公表した<ref name="timeline">{{Cite news|title=D.B. Cooper: A Timeline|date=
1973年前半、身代金は依然として行方不明であり、{{仮リンク|オレゴン・ジャーナル|en|The Oregon Journal}}は身代金の紙幣の通し番号を再発布し、自社やFBIの事務所に身代金の紙幣を最初に届けた人に1千ドルを提供すると申し出た。シアトルでは、{{仮リンク|シアトル・ポスト・インテリジェンサー|en|Seattle Post-Intelligencer}}が同様に5千ドルの懸賞金の提供を申し出た。これらの懸賞金の申し出は1974年の感謝祭の日まで有効だった。似た通し番号の紙幣は送られてきたが、完全に一致するものは発見されなかった{{sfn|Himmelsbach|Worcester|1986|p=95}}。ノースウエスト・オリエント航空の保険会社のグローバル・インデムニティ ({{Lang-en-short|Global Indemnity Co.|links=no}}) は{{仮リンク|ミネソタ州最高裁判所|en|Minnesota Supreme Court}}の命令に従い、ノースウエスト・オリエント航空の身代金に対する支払請求に対して18万ドルを支払った{{sfn|Gunther|1985|p=184}}。
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==物的証拠==
公式のクーパーの身体的特徴の説明は一貫しており、信頼性が高いと考えられる。客室乗務員のシャフナーとマックローは最も長くクーパーと行動をともにしており、同夜に別々の都市で
1978年から2017年
*[[1978年]]11月、ボーイング727型機のエアステア
[[File:Money stolen by D. B. Cooper.jpg|thumb|1980年に発見された紙幣の一部]]
*[[1980年]][[2月10日]](日曜
今日まで *[[2017年]]、ボランティアで調査
===FBIの情報公開===
[[2007年]]後半、FBIは2001年にクーパーのネクタイから
FBIは、クーパーは渡された
[[2009年]]3月、FBIは、シアトルにある{{仮リンク|バーク自然史文化博物館|en|Burke Museum of Natural History and Culture}}の[[古生物学|古生物学者]]のトム・ケイ ({{Lang-en-short|Tom Kaye|links=no}}) が調査団を結成していたことを公開した。団員にはサイエンティフィック・イラストレータのキャロル・アブラクジンスカス ({{Lang-en-short|Carol Abraczinskas|links=no}})、[[金属工学|金属工学者]]のアラン・ストーン ({{Lang-en-short|Alan Stone|links=no}}) が含まれる。後に「クーパー・リサーチ・チーム」({{Lang-en-short|Cooper Research Team|links=no}})<ref name="citizensleuths">{{cite web|url=http://www.citizensleuths.com/|title=Home|publisher=|accessdate=8 April 2019|website=Citizen Sleuths|language=en}}</ref>として知られるようになる調査団は、GPSや衛星画像、その他1971年には使用できなかった技術を用いてクーパー事件の重要な要素を再調査した<ref name="isodbc" />。埋まっていた身代金の紙幣やクーパーの着地地点については新しい情報はほとんど得られなかったが、[[電子顕微鏡]]を用いてクーパーのネクタイに付着していた数百の微小な粒子を発見し、分析にかけることができた。粒子の中から{{仮リンク|ヒカゲノカズラ属|en|Lycopodium}}の[[シダ植物]]の[[胞子]] (調合薬に由来する可能性が高い) が特定され、[[ビスマス]]や[[アルミニウム]]の破片も特定された<ref>{{Cite web|url=https://citizensleuths.com/pollen.html|title=Pollen|accessdate=8 April 2019|publisher=|website=Citizen Sleuths|language=en}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://citizensleuths.com/titaniumparticles.html|title=Titanium Particles from Cooper's Tie|accessdate=8 April 2019|publisher=|website=Citizen Sleuths|language=en}}</ref><ref>{{Cite web|url=https://citizensleuths.com/misc-particles.html|title=Miscellaneous Enigmatic Particles|accessdate=8 April 2019|publisher=|website=Citizen Sleuths|language=en}}</ref>。
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1980年に身代金の紙幣が発見されると、新たな憶測を呼んだ。結局のところ、解明された謎よりも新たに生じた疑問の方が多かった。捜査官や専門家の初期の声明は、紙幣の束は数多くの支流の一つからコロンビア川へ自然に流れ着いたという推測に基づいていた。[[アメリカ陸軍工兵司令部]]所属の[[水文学|水文学者]]は、紙幣は円を描くようにばらばらに散らばっており、もつれあっていた状態に言及している。これは紙幣は意図的に埋められたのではなく、川の作用により堆積したと示唆している{{sfn|Himmelsbach|Worcester|1986|p=110}}。もし、この結論が正しければクーパーはマーウィン湖やルイス川の支流の近くに着陸しなかったという説は傍証を得る。ルイス川とコロンビア川の合流点は、ティナ・バーよりも下流であり、着陸地点はワシューガル川の近くという推測 ([[#後の展開]]を参照) に信頼性を与えている。ワシューガル川がコロンビア川に合流する地点は、紙幣の発見場所よりも上流である{{sfn|Himmelsbach|Worcester|1986|pp=110–111}}。
しかし、紙幣は自然に流れて堆積したものであるという仮説には難点もある。紙幣の束の1つからなぜ紙幣10枚がなくなっていたか説明できない点や、紙幣3束が残りの紙幣の束から離れた1ヵ所にまとまっていたことにも、論理的な説明が存在しない点である。物的証拠は地理上の証拠とも一致しない。ヒンメルスバッハは、
ヒンメルスバッハは、もし自分がクーパーを探しに行こうとしたならば、ワシューガル谷に向かったはずだと記している{{sfn|Himmelsbach|Worcester|1986|p=115}}。後年、個人や団体がワシューガル谷とその周辺をたびたび私的に捜索してきた。今日まで、直接、ハイジャックに起因する証拠の発見は報告されていない。調査者の中には、[[1980年のセント・ヘレンズ山噴火|1980年のセント・ヘレンズ山の噴火]]により、残っていた物的証拠は抹消された可能性があると推測している人もいる<ref>{{Cite news|title=D.B. Cooper: A stupid rascal|date=November 24, 1981|accessdate=June 29, 2016|url=https://news.google.com/newspapers?nid=1298&dat=19811124&id=IfpNAAAAIBAJ&pg=6868,4075230|newspaper=The Free Lance-Star|last=Connolly|first=Patrick|language=en}}</ref>。
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==出訴期限法==
1976年、クーパー事件に対する[[出訴期限法]]による期限が差し迫るという議論が巻き起こった。出版物に掲載された法的な分析のほとんどでは、この件には重要性は認められないという見解で意見が一致した<ref name=":36">{{Cite
==被疑者==
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===ケネス・クリスチャンセン===
2003年、[[ミネソタ州]]の住民ライル・クリスチャンセン ({{lang-en-short|Lyle Christiansen|links=no}}) はテレビでクーパー事件のドキュメンタリー番組を見て、自分の死んだ兄弟のケネス・クリスチャンセン ({{lang-en-short|Kenneth Christiansen|links=no}}) がクーパーであると気づいた<ref name="Gray-NYmag2007-10-21" />。最初はFBIにケネスが真犯人であると信じてもらおうと繰り返し連絡を試みたが徒労に終わり、次に著述家で映画監督でもある[[ノーラ・エフロン]]にもかけ合った。クーパー事件の映画を制作したいと望んだエフロンでも、クリスチャンセンの話を信じなかった。ライルはその後、[[ニューヨーク]]に住む[[探偵]]に接触し、2010年、刑事のスキップ・ポーティアス ({{lang-en-short|Skipp Porteous|links=no}}) がクリスチャンセンを犯人と見なす書籍を著した{{sfn|Porteous|Blevins|2010}}。翌年、「[[ヒストリー (TVチャンネル)|ヒストリー]]」という局のシリーズ番組「{{仮リンク|Brad Meltzer's Decoded|en|Brad Meltzer's Decoded|label=Brad Meltzer's Decoded}}」のエピソードでも、クリスチャンセンとクーパー事件を結び付ける状況証拠をかいつまんで解説した<ref name="BradMeltzer">{{cite episode|series=
1944年に陸軍に入隊したクリスチャンセンは、空挺兵の訓練を受け、1945年の戦線出動の時期は、すでに[[第二次世界大戦]]は終結していた。戦後、1940年代後半に[[連合国軍占領下の日本|占領軍]]の元で[[日本]]に駐在し、時折パラシュートの訓練を受けた。陸軍を退役すると、1954年、ノースウエスト・オリエント航空に[[ポリネシア]]現地の整備士として入社した。やがて拠点をシアトルに移して客室乗務員、次いでパーサーを経験した<ref name="Gray-NYmag2007-10-21" />。クーパー事件のとき、クリスチャンセンは45歳だったが、目撃者の証言した犯人像と比べると背が低く (
クリスチャンセンはクーパー事件から数ヵ月後に家を現金で購入したと言われている。1994年に[[悪性腫瘍|癌]]で死の縁に陥いた際にライルに語り、貴君に知らせるべきなのに、伝えることができないと言った。ライルは自分にその話をするように迫ったことは一度もないと述べた<ref name="Gray-NYmag2007-10-21" />。クリスチャンセンの死後、遺族たちは金貨や貴重な切手のコレクションを発見し、銀行口座には20万ドル以上の金が残されていた。ノースウエスト・オリエント航空に関するニュース記事の切り抜きのフォルダも見つかった。切り抜きはクリスチャンセンがノースウエスト・オリエント航空に雇われた1950年代頃から始まり、あの事件は同航空の社史において、他に比べるものもない最も重要な事件であったのにもかかわらず、切り抜きは事件の直前で終わっていた。クリスチャンセンは事件のあった1971年以降も長期間、ノースウエスト・オリエント航空で非常勤で働き続けたが、同社に関わる記事は一切、切り抜かなかったようだ<ref name="Gray-NYmag2007-10-21" />。
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===バーバラ・デートン===
バーバラ・デートン ({{lang-en-short|Barbara Dayton|links=no}}) は1926年生まれの[[ワシントン大学 (ワシントン州)|ワシントン大学]]の司書であり、飛行機操縦が趣味だった。出生名はロバート・デートン ({{lang-en-short|Robert Dayton|links=no}}) だった。デートンは{{仮リンク|ユナイテッド・ステーツ・マーチャント・マリーン|en|United States Merchant Marine}}で働き、それから第二次世界大戦中は陸軍に加わっていた<ref name="McNerthney">{{cite
デートンは1969年に[[性別適合手術]]を受けてバーバラという名前に改名した<ref name="Forman">{{cite book|title=The Legend of D B Cooper|url=https://books.google.com/books?id=OEtCAgAAQBAJ&pg=PA|year=2008|publisher=Lulu.com|isbn=9781605520148|first=Pat|last=Forman|first2=Ron|last2=Forman|language=en}}</ref>。2年後、デートンは自分がクーパー事件の犯人であると主張した。事件のときは男に変装しており、定期航空便のパイロットになることを認めなかった航空業界と連邦航空局に仕返しをすることが目的だったという{{sfn|Olson|2010|pp=72–73}}。ポートランドの南にある郊外地域のオレゴン州{{仮リンク|ウッドバーン (オレゴン州)|en|Woodburn, Oregon|label=ウッドバーン}}が着地地点であり、その近くの貯水槽の中に身代金を隠したという。その後、依然としてハイジャックで罪に問われる可能性があったと知ったことを表向きの理由として、自分の話を全て撤回した。FBIは公式にはデートンについての声明を全く行っていない。デートンは2002年に死亡した<ref name="McNerthney" />。
194 ⟶ 196行目:
ゴセットはクーパー事件に魅了されていたことで広く知られていた。クーパー関連のニュース記事の膨大なコレクションを収集しており、妻の1人にクーパーの墓銘碑を書けるほどの知識があると語っていた。晩年には、3人の息子や、ユタ州の判事だった人物、ソルトレイクシティの[[国選弁護制度|公選弁護人]]の事務所に務める友人に、自分がクーパー事件の犯人であると語った<ref name="yet" />。1971年ごろのゴセットの写真は、最も広く流布されたクーパーの似顔絵と非常に類似している<ref>{{Cite web|url=https://www.coasttocoastam.com/photo/view/d_b_cooper_suspect/37861|title=D.B. Cooper Suspect - Photos|accessdate=February 2, 2011|publisher=|website=Coast to Coast AM}}1967年から1973年のゴセットの写真。</ref>。
数年間、ゴセットに関する情報を収集してきた法律家のガーレン・クック ({{lang-en-short|Galen Cook|links=no}}) によると、ゴセットは一度、自分の息子たちに[[ブリティッシュコロンビア州]][[バンクーバー (ブリティッシュコロンビア州)|バンクーバー]]にある[[貸金庫]]の鍵を見せたという。ゴセットは貸金庫には長年行方不明だった身代金が収められていると主張したそうだ<ref name="The Canadian PressF.B.I.">{{cite news|title=U.S. lawyer believes notorious fugitive D.B. Cooper hid ransom money in Vcr bank|work=
1988年、ゴセットは名前を「ウルフギャング」({{lang-en-short|Wolfgang|links=no}}) に変え、[[カトリック教会|ローマカトリック教会]]の司祭になった。クックたちは自分の身元を隠そうとしたのだろうと解釈した<ref name="craig" />。他の状況証拠に、ハイジャックされた飛行機の乗客のウィリアム・ミッチェル ({{Lang-en-short|William Mitchell|links=no}}) から得たとクックが主張している証言があり、クーパーとゴセットに共通する身体的特徴に関するものであるらしいが、クックはその証言を秘密にしている<ref>Craig, John S. "1971 D.B. Cooper Letters Linked to Suspect William Gossett," associatedcontent.com.</ref>。また、クックは、クーパー事件から数日以内に3つの新聞社に届けられた"D.B.クーパー"と署名されている4通の手紙とゴセットに繋がりがある可能性を見出したと主張している。しかし、ハイジャック犯が実際にそのような手紙を執筆したり郵送したりしたことを示す証拠は存在しない<ref>{{Cite news|title=Letter to Gazette Checked in FBI Hunt for Skyjacker|newspaper=
FBIの持つ証拠には、ゴセットが犯人であることを示す直接の証拠は存在しない。クーパー事件の際にゴセットが[[太平洋岸北西部]]にいたことを示す信頼できる証拠も有していない<ref>{{Cite news|title=Skyjacker D.B. Cooper 'enjoyed the Grey Cup game,' according to 1971 letter attributed to him|date=November 24, 2011|accessdate=December 1, 2011|url=https://nationalpost.com/news/canada/skyjacker-d-b-cooper-enjoyed-the-grey-cup-game-according-to-1971-letter-attributed-to-him|first=Kent|last=Spencer|newspaper=National Post|language=en}}</ref>。カー特別捜査官は、ゴセットが他人に自分が犯人であると話したこと以外は、ゴセットにクーパー事件とのつながりは存在しないと述べた<ref name="deseret">{{Cite news|title=Was D.B. Cooper an Ogden resident?|date=July 28, 2008|accessdate=February 1, 2011|newspaper=Deseret News|___location=Salt Lake City|url=https://www.deseretnews.com/article/700246479/Was-DB-Cooper-an-Ogden-resident.html?pg=all|language=en}}</ref>。
223 ⟶ 225行目:
1972年4月7日、マッコイはクーパーを模倣した事件を起こした。その犯行はクーパー模倣事件の中で最も知名度が高い<ref name="CrimeLibrary9">{{Cite web|title=The D.B. Cooper Story: The Copycats|last=Krajicek|first=David|date=|url=http://www.crimelibrary.com/criminal_mind/scams/DB_Cooper/9.html|work=Crime Library|access-date=2008-01-03|archive-url=https://web.archive.org/web/20080102145952/http://www.crimelibrary.com/criminal_mind/scams/DB_Cooper/9.html|archive-date=2008-01-02|url-status=dead|url-status-date=2019-04-20|language=en}}</ref> ([[#模倣犯]]を参照)。マッコイは[[コロラド州]][[デンバー]]で[[ユナイテッド航空]]855便 (ボーイング727型機で尾部にエアステア付き) に搭乗し、手榴弾と拳銃を見せ付けて脅迫し、4つのパラシュートと50万ドルを要求した。ただし後で判明したことには、手榴弾は形を似ただけのただの文鎮で、拳銃には弾丸が装填されていなかった<ref name="nymagtimeline" />。金とパラシュートが[[サンフランシスコ国際空港]]に届けられると、マッコイは再度、離陸するように命令し、ユタ州[[プロボ (ユタ州)|プロボ]]上空でパラシュートで降下した。機内に残された手掛かりは、ハイジャックの際に指示を記した手書きのメモと、読んでいた雑誌に付着した指紋である<ref>{{Cite web|url=https://www.fbi.gov/about-us/history/famous-cases/richard-floyd-mccoy|title=Richard Floyd McCoy, Jr. - Aircraft Hijacking|accessdate=May 29, 2013|publisher=FBI|archiveurl=https://web.archive.org/web/20160516043944/https://www.fbi.gov/about-us/history/famous-cases/richard-floyd-mccoy|archivedate=May 16, 2016|language=en}}</ref>。後に筆跡の専門家が飛行機で見つかったメモの筆跡と軍務の記録にあったマッコイの筆跡を比較し、マッコイ当人がメモを書いたと断定した<ref>{{cite web|title=Richard Floyd McCoy, Jr.|url=https://www.fbi.gov/history/famous-cases/richard-floyd-mccoy-jr|accessdate=7 December 2018|language=en-us|publisher=FBI|last=Motaher|first=Maria}}</ref>。4月9日にマッコイは逮捕され、身代金を所持していた。裁判では懲役45年という判決が下った<ref name="SkydiverHeld" />。2年後、厳重警備の{{仮リンク|ルイスバーグ連邦刑務所|en|Federal Correctional Institution, Lewisburg}}に収監中のマッコイは、数名の共犯者にごみ収集車を突っ込ませて刑務所正門を破り、脱獄した<ref>{{cite news|title=Widow of Man Linked in Book to Skyjacker D.B. Cooper Sues Authors, Provo Attorney|agency=Associated Press|page=B5|date=January 18, 1992|language=en}}</ref>。3ヵ月後に[[バージニアビーチ]]で追い詰められ、FBIの捜査官との銃撃戦の最中に死亡した<ref name="CrimeLibrary9" /><ref>{{Cite news|title=McCoy's Widow Admits Helping In '72 Hijacking|date=February 21, 1992|accessdate=February 21, 2011|url=https://www.deseretnews.com/article/211317/MCCOYS-WIDOW-ADMITS-HELPING-IN-72-HIJACKING.html|newspaper=Deseret News|first=Marianne|last=Funk|language=en}}</ref>。
1991年の''D.B. Cooper: The Real McCoy''という書籍<ref>{{Cite book|title=D.B. Cooper, the real McCoy|date=|year=1991|publisher=University of Utah Press|isbn=9780874803778|___location=Salt Lake City|first=Bernie|last=Rhodes|first2=Russell P.|last2=Calame|language=en}}</ref>で、著者であるパロール・オフィサーのバーニー・ローズ ({{lang-en-short|Bernie Rhodes|links=no}}) とかつてFBIの捜査官だったラッセル・カラム ({{lang-en-short|Russell Calame|links=no}}) は、マッコイがクーパーの正体であることを突き止めたと断言した。2人は2つのハイジャック事件の明白な類似性を引き合いに出し、さらに、マッコイの家族が飛行機に残されたネクタイと真珠母のネクタイ留めはマッコイのものであると主張したことや、マッコイ自身が自分がクーパーであることを認めることも否定することもしなかったことを根拠とした<ref name="CrimeLibrary9" /><ref name="SLT">{{cite news|last=Schindler|first=Harold|title=25 Years Later, 'D.B' Remains Tied to Utah; Skyjacker Took Story To His Grave|work=
FBIはマッコイをクーパー事件の被疑者とは見なしていない。年齢や外見が大きく異なること{{efn|ローズとカラムが引き合いに出した顕著な例を挙げる。まず、クーパーの年齢は目撃者全員から40代半ばと推定されていたが、マッコイは29歳だった。3名の客室乗務員を含むほとんどの目撃者がクーパーの目の色は暗褐色だったと証言したが、マッコイの方は明青色だった。耳に目立つ特徴のなかったクーパーに対して、マッコイは顕著に外側に突き出した耳のせいで、「ダンボ」というあだ名があった。マッコイはハイジャックを起こしたときスカーフで耳を隠していた。クーパーはバーボンを飲み立て続けにタバコを吸っが、モルモン教徒のマッコイは喫煙や飲酒をしなかった。証言ではクーパーは耳障りな声だが訛りはなく、マッコイには明らかな南部訛りがあり、舌足らずな話し方は子供の頃に口蓋裂を矯正した手術が原因という<ref>{{harvnb|Rhodes & Calame|1991|pages=86, 94, 96, 134, 145|language=en}}</ref>。}}や、マッコイがクーパーが持っていたと思しきスカイダイビングの技術を上回る水準の腕前を有していること<ref name="FBI-Redux" />、クーパー事件の日にマッコイはラスベガスにいて<ref name="timeline" />、翌日にユタ州の自宅で家族と一緒に感謝祭の晩餐を開いたことを証明する信頼できる証拠があることがその理由である<ref name="CNN2011-08-01" /><ref name="ST2">{{cite news|last=Hamilton|first=Don|title=F.B.I. makes new plea in D.B. Cooper case|work=[[The Seattle Times]]|date=October 23, 2004|url=|language=en}}</ref>。
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[[File:Rackstraw Cooper comparisson.png|thumb|1971年のFBIによるクーパーのスケッチ (左) と1970年のロバート・ラックストローの陸軍の身分証明の写真との比較。当局の専門家は、2者の間で一致する箇所を9点発見した。]]
ロバート・ウェズリー・ラックストロー ({{lang-en-short|Robert Wesley Rackstraw|links=no}}、[[1943年]] - [[2019年]][[7月9日]]) は元パイロットであり、犯罪の前科がある。ベトナム戦争では陸軍のヘリコプターの乗組員や他の部隊で服務した。1978年2月に、ラックストローが爆薬の所持と[[小切手詐欺]]の嫌疑を受けて[[イラン]]で逮捕され、アメリカに移送された事件が起こり、クーパー事件を追っていた捜査官の注目を集めた。数ヵ月後、[[保釈]]中だったとき、ラックストローは偽の[[メーデー (遭難信号)|メーデー]]の通報をして、管制官に[[モントレー湾]]上空でレンタルした飛行機からパラシュートを使って脱出すると告げて、自分の死を偽装しようとした<ref>{{Cite news|title=D.B. Cooper investigation focuses on California ‘off-the-books
2016年、ヒストリーチャンネルの番組<ref>{{cite news|last=Baxter|first=Stephen|title=TV investigation links Santa Cruz County native to 1971 D.B. Cooper 'skyjacking' case|url=http://www.eastbaytimes.com/news/ci_30118971/tv-investigation-links-santa-cruz-county-native-1971?source=JPopUp|newspaper=Santa Cruz Sentinel|access-date=July 12, 2016|date=July 12, 2016|language=en}}</ref>や書籍<ref>{{Cite book|title=The Last Master Outlaw|date=|year=2016|publisher=Jacaranda Roots Publishing|isbn=0997740434|last=Colbert|first=Thomas J.|first2=Tom|last2=Szollosi|language=en}}</ref>でラックストローが再び容疑者として名前が挙がった。2016年9月8日、{{仮リンク|The Last Master Outlaw|en|The Last Master Outlaw|label=''The Last Master Outlaw''}}の著者のトーマス・J・コルバート ({{lang-en-short|Thomas J. Colbert|links=no}}) と弁護士の{{仮リンク|マーク・ザイド|en|Mark Zaid}} ({{lang-en-short|Mark Zaid|links=no}}) が、[[国別にみた情報公開法#アメリカ合衆国|情報公開法]]を根拠としてFBIにクーパー事件の捜査資料を公開するように請求する訴訟を起こした。訴訟では、FBIがクーパー事件の捜査を停止したのは、ラックストローを告訴するのに十分な証拠を集めることに失敗したことで決まりの悪い思いをしないように済むために、ラックストローがクーパーであるという仮説を覆すことを目的としていたと主張されていた<ref name="oregonian">{{Cite news|title=Lawsuit filed against FBI to make D.B. Cooper investigation file public|date=September 9, 2016|accessdate=September 22, 2016|url=https://www.oregonlive.com/pacific-northwest-news/2016/09/lawsuit_filed_against_fbi_to_m.html|last=Bailey Jr.|first=Everton|newspaper=The Oregonian|language=en}}</ref>。2018年1月、小規模の未解決事件ドキュメンタリー集団が、1971年12月に書かれた手紙を入手したと報告した。調査団はトーマス・コルバートとドンナ・コルバート ({{lang-en-short|Dawna Colbert|links=no}}) が統率していた。調査団は、手紙に書かれた暗号を解読し、ラックストローが陸軍に在籍していたときに所属していた3つの部隊と一致したと報告した。FBIはアマチュアの調査団が自分たちが解決できなかった事件を解き明かしたことを認めることになるから自分たちの発見を承認しようとしなかったとも述べた<ref>{{cite news|title=Investigators think letter confirms ID of D.B. Cooper|url=https://www.seattletimes.com/nation-world/investigators-think-letter-confirms-id-of-d-b-cooper/|newspaper=[[Seattle Times]]|date=January 5, 2018|accessdate=January 7, 2018|language=en}}</ref>。
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2018年6月の記事で、民間の調査者がFBIの資料にあった以前は一般に知られていなかった手紙を解読したと主張したという話が掲載された。調査者は、手紙には隠された犯人の告白が書かれていたと主張している<ref>{{Cite web|url=https://www.msn.com/en-us/news/crime/the-search-for-db-cooper-investigators-say-theyve-confirmed-skyjackers-identity-by-decoding-long-lost-confession/ar-AAzi4Zb?ocid=ientp|title=The search for D.B. Cooper: Investigators say they've confirmed skyjacker's identity by decoding long-lost 'confession'|website=Msn.com|access-date=June 28, 2018|archive-url=https://web.archive.org/web/20180628204919/http://www.msn.com/en-us/news/crime/the-search-for-db-cooper-investigators-say-theyve-confirmed-skyjackers-identity-by-decoding-long-lost-confession/ar-AAzi4Zb?ocid=ientp|archive-date=June 28, 2018|url-status=dead|language=en}}</ref>。
ラックストローは2019年7月9日に心臓病が原因で死亡した<ref name=":2">{{cite news|url=https://www.sandiegouniontribune.com/obituaries/story/2019-07-09/army-paratrooper-suspected-in-notorious-d-b-cooper-skyjacking-dies-in-bankers-hill-home|title=San Diegan featured in program about notorious D.B. Cooper skyjacking case dies in Bankers Hill home|date=July 10, 2019|newspaper=
=== ウォルター・R・レカ ===
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* ロブ・ドリン・ヘディ ({{lang-en-short|Robb Dolin Heady|links=no}}) はベトナム戦争で兵役を務めた空挺兵であり、6月初旬にリノでユナイテッド航空のボーイング727型機を襲撃し、20万ドルとパラシュートを2個要求した。リノから南へ約40km地点の{{仮リンク|ワショー湖|en|Washoe Lake}}の近くで夜の闇へと身をひるがえした。警察は湖の近くに駐車してあるヘディの車 (バンパーにアメリカパラシュート協会のステッカー付き) を発見し、翌朝、車へ戻ってきたところでヘディを逮捕した<ref>{{Cite web|url=http://www.dropzone.com/cgi-bin/forum/gforum.cgi?post=3286950|title=Heady, 22, Night jump, Reno, $200k, Vietnam vet, gun, sticker, caught immediately|accessdate=March 8, 2011|publisher=|website=Dropzone.com|date=August 1, 2008|language=en}}</ref><ref>{{cite web|title= 逮捕されるヘディ (写真、1972年6月3日) |url= http://www.dropzone.com/cgi-bin/forum/gforum.cgi?do=post_attachment;postatt_id=101982;guest=77543628|work=gforum|website= Dropzone.com|access-date=2011-03-08|language=en}}</ref>。
* マーティン・マクナリー ({{lang-en-short|Martin McNally|links=no}}) はガソリンスタンドの案内係の職を失っていた。6月下旬に[[セントルイス]]から[[タルサ (オクラホマ州)|タルサ]]へ向かう途中の[[アメリカン航空]]のボーイング727に[[短機関銃]]を持ちこんでハイジャックし、東に方向転換して[[インディアナ州]]へ向かわせ、50万ドルの身代金を受け取るとパラシュートで降下した<ref>{{cite news|url=http://www.stltoday.com/news/local/metro/article_1aac5de6-6eb4-5245-a126-7adf324d5eb2.html|title=A Look Back • Airline hijacking at Lambert in 1972 turns bizarre|first=Tim|last=O'Neil|publisher=|accessdate=April 20, 2019|date=June 25, 2011|newspaper=
1972年に発生したクーパー事件に似たハイジャック事件は全部で15件あり、すべて失敗に終わった<ref name="gladwell">
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===アール・コッシー===
クーパーに渡されたパラシュート4個は、元々はスカイダイビング・スクールの経営者アール・コッシー ({{lang-en-short|Earl Cossey|links=no}}) の私物だった。2013年4月下旬、コッシーはシアトル郊外にある[[ウッディンビル (ワシントン州)|ウッディンビル]]の自宅で遺体で発見された。頭部の鈍的外傷による他殺と結論が出たまま、犯人は不明である<ref>{{Cite web|url=https://patch.com/washington/woodinville/homicide-victim-identified-as-earl-cossey-of-woodinville|title=Man Who Packed DB Cooper's Parachutes ID'd as Woodinville Homicide Victim|accessdate=2020-08-09|publisher=patch.com|author=Lisa Baumann|date=2013-04-30|language=en}}</ref>。一部の評者はクーパー事件との関係があるかもしれないと主張した<ref>{{cite web|last=Smith|first= BA |date
==文化への影響==
ヒンメルスバッハがクーパーを "rotten sleazy crook"{{sfn|Himmelsbach|Worcester|1986|p=116}} (直訳すると「腐った薄汚いペテン師」) と呼んだことは有名だが、クーパーの大胆で危険を冒す犯行は[[カルト|カルト的]]な支持者を生み出し、歌や映画、文学の題材となった。太平洋岸北西地区にある料理店やボーリング場は定期的にクーパーをテーマに宣伝活動を行い、観光客向けのみやげを売り、エアリアル・ジェネラル・ストア・アンド・タヴァーン ({{lang-en-short|Ariel General Store and Tavern|links=no}}、直訳すると「アリエル雑貨店・居酒屋」) では1974年から毎年11月に「クーパーの日」のお祝いが開かれた。ただし、経営者のドナ・エリオット ({{lang-en-short|Dona Elliott|links=no}}) が亡くなった2015年は行っていない<ref>{{cite web|url=https://themountainnewswa.net/2015/11/16/death-in-the-db-cooper-family-dona-elliott/|title=Death in the DB Cooper "family" – Dona Elliott|last=Smith|date=November 17, 2015|website=themountainnewswa.net|accessdate=April 20, 2019|publisher=|author=Bruce A.|language=en}}</ref>。
クーパーはテレビシリーズの『[[プリズン・ブレイク]]』や『[[THE BLACKLIST/ブラックリスト]]』、『{{仮リンク|NewsRadio|en|NewsRadio|label=''NewsRadio''}}』、『[[レバレッジ 〜詐欺師たちの流儀]]』、『[[ジャーニーマン 時空を越えた赤い糸]]』、『[[反逆のヒーローレネゲイド]]』、『[[NUMBERS 天才数学者の事件ファイル]]』、『[[30 ROCK/サーティー・ロック]]』、『{{仮リンク|Drunk History|en|Drunk History|label=''Drunk History''}}』、『[[ロキ (テレビドラマ)|ロキ]]』、1981年の映画の『{{仮リンク|ハイジャック・コネクション/クーパーの大仕事|en|The Pursuit of D. B. Cooper|label=ハイジャック・コネクション/クーパーの大仕事}}』、2004年の映画『{{仮リンク|Without a Paddle|en|Without a Paddle|label=''Without a Paddle''}}』、テレビシリーズ『[[4400 未知からの生還者]]』を元とした書籍''The Vesuvius Prophecy''の筋書きにも登場している<ref name="slatta">{{cite book|first=Richard W.|last=Slatta|year=2001|title=The Mythical West: An Encyclopedia of Legend, Lore and Popular Culture
; プリズン・ブレイク
: ドラマ『プリズン・ブレイク』第1期の登場人物チャールズ・ウェストモアランドが、実はクーパーであると他の囚人から噂される描写がある。チャールズは犯行後、着地の際に足を負傷して、現金を土に埋めた後、自動車で人をはねて逮捕収監されている。
; NUMBERS
: ドラマ『NUMBERS 天才数学者の事件ファイル』の第6期、第10話には裁断して処分する古
; ハイジャック・コネクション/クーパーの大仕事
: 1981年の映画『ハイジャック・コネクション/クーパーの大仕事』(原題:The Pursuit of D. B. Cooper) では、冒頭でクーパー事件を元にしたハイジャック事件が描かれる。物語のほとんどは保険調査員 (クーパーの軍隊時代の元上官) がクーパーを追跡するフィクションである。
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{{reflist|25em
| colwidth =
| refs =<ref name="CNN2011-08-01">{{cite news| url= http://www.cnn.com/2011/CRIME/08/01/fbi.db.cooper/| title= FBI working new lead in D.B. Cooper hijacking case | date=August 1, 2011| publisher= CNN| access-date= August 1, 2011
| last = Gray | first = Geoffrey
| title = Unmasking D.B. Cooper
333 ⟶ 335行目:
| url = http://nymag.com/news/features/39593/
| access-date = April 24, 2011
| last = Pasternak | first = Douglas
| title = Skyjacker at large
340 ⟶ 342行目:
| volume=129 |issue=4 |pages=72–73
| issn =0041-5537
| title = D.B. Cooper Redux: Help Us Solve the Enduring Mystery
| date = December 31, 2007
365 ⟶ 367行目:
==参考文献==
項目内は発行年順。
;捜査を追った、または証拠をまとめた
*{{Cite book|title=D.B. Cooper: Dead or Alive?|date=|year=1984|publisher=Tosaw Publishing|last=Tosaw|first=Richard T.|isbn=0-9609016-1-2
| ref = harv|language=en}} 自費出版
:クーパー事件の情報を捜査の早い段階でまとめた。一部、後に得られた信頼性の高い情報との差異が見られる。身代金の紙幣の通し番号の完全な一覧を収載。
* {{cite book
| last = Himmelsbach
386 ⟶ 382行目:
| ___location = West Linn, Oregon
| isbn = 978-0-9617415-0-1
| ref = harv|language=en
|date=}}
:著者ヒンメルスバッハはFBI職員で当事件の主任捜査官であり、事件を追い続けて1980年に退職。題名の「Norjak」は職域でクーパー事件を呼んだ符丁。
* {{cite book
| last = Olson
| first = Kay Melchisedech
| year = 2010
| title = D.B. Cooper Hijacking: Vanishing Act
| publisher = Compass Point Books
| isbn = 978-0-7565-4359-4
| ref = harv|language=en
}}
:公式発表や証拠を虚偽なく記した。
* {{cite book|last=Smith|first=Bruce A.|year=2016|title=DB Cooper and the FBI: A Case Study of America's Only Unsolved Hijacking|publisher=Bruce A. Smith Publishing|ISBN=978-0-99731-200-3}}
:クーパー事件を包括的に研究した。主要な被疑者の記述もある。
'''人物が主題'''
;(a)クーパー関係者
* {{cite book
| last = Gunther
| first = Max
| year = 1985
| title = D. B. Cooper: What Really Happened
| publisher = Contemporary Books
| ___location = Chicago
| isbn = 0-8092-5180-9<!--was: 0-8092-4854-9, neither of which is showing in worldcat, and 4854 doesn't match 1985/contemporary books in google/amazon-->
| ref = harv|language=en}}
:自称クーパー夫人。本書の仮称「クララ」({{lang-en-short|Clara|links=no}}) という女性の聞き取りに基づく。クララは事件の2日後に負傷したクーパーを発見し、10年後にクーパーと暮らし始めたという。
* {{cite book|last=Koenig|first=Joe|year=2019|title=Getting the Truth: I am D.B. Cooper
|publisher=Principia Media
| ref = harv|language=en}}
:自称「クーパー」の独白
;(b)真犯人説
;リチャード・マッコイ犯人説
* {{cite book
| last =Rhodes
396 ⟶ 425行目:
| title = D.B. Cooper: The Real McCoy
| publisher = Univ. of Utah Press
| ref = harv|language=en
| isbn = 0-87480-377-2}}
:模倣犯リチャード・マッコイこそクーパーの正体であると示す状況証拠の概要。
;バーバラ・デートン犯人説
* {{cite book
| last =Forman
412 ⟶ 437行目:
| title = The Legend of D.B. Cooper – Death by Natural Causes
| publisher = Borders Personal Publishing
| ref = harv|language=en
| isbn = 1-60552-014-4}}
:デートンの話を再構成。男性に変装してハイジャックを実行したと主張したデートンだが、後に自説を撤回した。
;ケネス・クリスチャンセン犯人説
* {{cite book
| last = Porteous
441 ⟶ 450行目:
| publisher = Adventure Books of Seattle
| ___location = Seattle, Washington
| ref = harv|language=en
| isbn = 978-0-9823271-8-0}}
* {{cite book|last=Gray|first=Geoffrey|year=2011|title=Skyjack: The Hunt for D.B. Cooper|publisher=Crown
| ref = harv|language=en|ISBN=0-307-45129-1}} :著者は '''フィクション'''
* {{cite book
| last = Reid
| first = Elwood
| year = 2005
| title = D.B.: A Novel
| publisher = Anchor Books
| ref = harv|language=en
| isbn = 0-385-49739-3}}
:クーパー事件の真相を描こうと企画しながら、事実上、裏付けに失敗。
* {{cite book
| last = Grant
| first = Walter
| year = 2008
| title = D.B. Cooper, Where Are You?
| publisher = Publication Consultants
| ref = harv|language=en
| isbn = 1-59433-076-X}} (自費出版)
:クーパー事件の顛末を空想仕立てにした。
* {{cite book|last=Nuttall|first=George C.|year=2010|title=D.B. Cooper Case Exposed: J. Edgar Hoover Cover Up?
|publisher=Vantage Press
| ref = harv|language=en
|isbn=978-0-533-16390-8}}
:陰謀と隠蔽工作があったと唱えるが、事実の裏付けはない。
* {{cite book|last=Elmore|first=Gene|year=2010|title=D.B. Cooper: Aftermath|publisher=iUniverse
| ref = harv|language=en
|ISBN=1-4502-1545-9}} 自費出版
:広く知られた事実の一部を貼り合わせたフィクション。
* {{cite book2 |last1=Colbert |first1=Thomas J. |title=The Last Master Outlaw: How He Outfoxed the FBI Six Times—but Not a Cold Case Team |date=2016 |publisher=Jacaranda Roots Publishing |isbn=978-0-9977404-3-1 |pages= |edition=1st |url=|title-link=:en:The Last Master Outlaw }} 全330頁。
== 関連項目 ==
* [[フィリピン航空812便ハイジャック事件]] - 同様に犯人が空中で脱出したものの、パラシュートが開かず[[転落死|墜落死]]した。
*
==外部リンク==
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公的資料
* [http://vault.fbi.gov/D-B-Cooper%20/ D.B.クーパー事件関連の捜査資料] - FBI公開資料
*[https://
* [https://citizensleuths.com/ Citizen Sleuths]{{en icon}}
* [https://dbcooper.com/ D.B. Cooper - The Last Master Outlaw]{{en icon}}
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* [https://www.stevenrinehart.com/uploads/LarryCarrInterview.mp3 ラリー・カーFBI主任捜査官のインタビュー] ラジオ、stevenrinehart.com
* [https://www.newspapers.com/topics/crimes-mysteries/d-b-cooper-hijacking/ D.B. Cooper Hijacking]{{en icon}} - D.B.クーパー事件を取り上げた新聞記事集 newspapers.com
* [https://www.washingtonpost.com/news/post-nation/wp/2017/01/16/the-d-b-cooper-case-baffled-investigators-for-decades-now-scientists-have-a-new-theory/?wpisrc=nl_most-draw10&wpmm=1 捜査官を惑わせ続けて数十年
* [https://web.archive.org/web/20120122125846/http://www.fortnightjournal.com/dolan-morgan/286-hijacking-myth-3.html ハイジャックの謎第3弾]{{en icon}} -『[[フォートナイト (雑誌)|フォートナイト]]』誌 (アーカイブ版)
地方紙『[[オレゴニアン]]』紙
* [https://www.oregonlive.com/expo/news/erry-2018/11/e18eba2aa14557/new-suspect-in-db-cooper-skyja.html 陸軍データ分析家、D.B.クーパー・ハイジャック事件の新容疑者を発掘、FBIは沈黙]{{en icon}} -『オレゴニアン』紙、2018年11月13日付。
* [https://www.oregonlive.com/pacific-northwest-news/2019/10/ralph-himmelsbach-fbi-agent-who-led-search-for-db-cooper-and-also-handled-uo-bombing-case-dies-at-94.html 訃報:FBI捜査官ラルフ・ヒンメルスバック氏死去、94歳 - D.B.クーパー捜索を指揮し、オレゴン大学爆破事件も担当]{{en icon}} -『オレゴニアン』紙、2019年10月4日付。
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