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{{Pathnav|スクウェア・エニックス・ホールディングス|スクウェア・エニックス|frame=1|this=スクウェア}}▼
▲{{Pathnav|スクウェア・エニックス・ホールディングス|スクウェア・エニックス|frame=1}}
{{基礎情報 会社
| 社名 = 株式会社スクウェア
| 英文社名 = SQUARE CO., LTD.
| ロゴ =
| ロゴサイズ = 250px
| 画像 =
| 画像説明 =
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| 略称 =
| 国籍 = {{JPN}}
| 本社郵便番号 = 153-
| 本社所在地 = [[東京都]][[目黒区]][[下目黒]]
| 本社緯度度 =
| 本社緯度分 =
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| 本社E(東経)及びW(西経) =
| 本社地図国コード =
| 設立 = [[1966年]]([[昭和]]41年)[[7月11日]]{{Efn|創業直後の会社設立は1986年9月であるが、その後の会社合併により登記上の設立日は1966年7月となっている<ref name="FAQ" />。詳細は[[#沿革]]を参照。}}
| 廃止 = [[2003年]]([[平成]]15年)[[4月1日]]{{Efn|[[エニックス]]と合併し、[[スクウェア・エニックス]]となり解散}}
| 業種 = 5250
| 法人番号 =
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| 主要株主 =
| 主要部門 =
| 主要子会社 =
| 関係する人物 =
* [[宮本雅史 (投資家)|宮本雅史]](創業者) * * * * | 外部リンク =
| 特記事項 = 特記なければ、2003年3月31日時点のデータ
}}
'''株式会社スクウェア'''({{Lang-en-short|SQUARE CO., LTD.}})は、かつて存在した[[日本]]の[[コンピュータゲーム]]ソフト会社。[[2003年]]([[平成]]15年)[[4月1日]]に同業の[[エニックス]]と[[合併 (企業)|合併]]し、'''[[スクウェア・エニックス]]'''となった。以下ではこの旧・スクウェアについて解説する。▼
▲'''株式会社スクウェア'''({{Lang-en-short|SQUARE CO., LTD.}})は、かつて存在した[[日本]]の[[コンピュータゲーム]]ソフト会社。[[2003年]]([[平成]]15年)[[4月1日]]に
== 概要 ==
[[File:Logos Square Co Ltd.jpg|thumb|right|200px|スクウェアの過去のロゴ一覧。]]▼
[[1983年]]([[昭和]]58年)10月に創業者・[[宮本雅史 (投資家)|宮本雅史]]の父が経営する[[徳島県]]の電気工事会社[[電友社]]のソフト開発部門として設立されたが、[[1986年]](昭和61年)9月に独立。設立当初の[[資本金]]は1000万[[円 (通貨)|円]]。[[2002年]](平成14年)3月31日当時の資本金は119億4500万円。また、元[[社長]]・[[武市智行]]の出身である[[四国銀行]]との関連も深い。
創業時に[[事業所]]を置いたのは、[[コーエー|光栄]]と同じ[[神奈川県]][[横浜市]][[港北区]][[日吉 (横浜市)|日吉]]だった。ここでは人材確保を目的に、40台もの最新[[パーソナルコンピュータ|パソコン]]を自由に使える会員制[[サロン]]を開設していた。かくしてすぐ目の前にある[[慶應義塾大学]]日吉キャンパスや、[[横浜国立大学]]、[[神奈川大学]]など[[横浜市|横浜]]周辺に[[キャンパス]]を置く[[大学]]の学生たちが出入りするようになる。その中からは同社で[[アルバイト]]を始め、そのまま正式入社した者もおり、同社の初期作品を手がけたスタッフには[[:Category:神奈川県の大学|神奈川県にある大学]]の出身者が多い。
創業から半年後の[[1984年]]春、サロンの会員から選ばれたメンバーと公募で集められた者、計10名のスタッフによる[[ゲームソフト]]開発が開始される。当初は[[日本電気|NEC]][[PC-8801|PC-8801シリーズ]]を中心としたパソコン用の[[アドベンチャーゲーム]]や[[ロールプレイングゲーム]]を主力商品とした。シナリオ面でも評価
[[1985年]](昭和60年)から[[任天堂]]とライセンス契約を結び[[ファミリーコンピュータ|ファミコン]]用ソフトを提供し始める。ファミコン市場への参入は開発スタッフからの要望に応えてのものだったという。当時のパソコンは機種ごとに独自仕様であり、後継機種であっても従来機のソフトが動かない事も多く、[[移植 (ソフトウェア)|移植]]にも新規開発と同等に労力を要したのに対し、ファミコンには内部仕様の変更はあれどハードの変更がなく、また移植の必要もないのでより腰を据えて開発に臨めるという理由からである<ref>[[辰巳出版]]刊『パソコンゲーム80年代記』(1990年5月発行)掲載のメーカーインタビューによる。</ref>。[[1986年]]には、ファミコン初の[[アクションRPG]]として『[[キングスナイト]]』を発表した。しかし実質、RPG要素の薄い従来型のシューティングゲームであり、販売本数も伸びなかった。その後もパソコンゲームメーカーと組んで[[ファミリーコンピュータ ディスクシステム]]で多くのゲームを送り出す
市場からの撤退も考えていた中、[[坂口博信]](後に副社長)らが開発し、[[1987年]]に発売された『'''[[ファイナルファンタジー]]'''』のヒットで飛躍の足がかりを掴み、その後は続く『'''[[ファイナルファンタジーシリーズ]]'''』、[[サガシリーズ|'''『サガ』シリーズ''']]、[[聖剣伝説|'''『聖剣伝説』シリーズ''']]
『ファイナルファンタジー』のヒットは同社に多大な利益をもたらした
[[1992年]](平成4年)に宮本に代わり[[水野哲夫]]が
[[1996年]](平成8年)、水野に代わり[[武市智行]]が社長に就任。『[[トバルNo.1]]』で[[PlayStation (ゲーム機)|PlayStation]]に参入。そして翌[[1997年]](平成9年)に発売した『'''[[ファイナルファンタジーVII]]'''』は国内で400万本、全世界で1,035万本という売上を記録。しかし、同時期に任天堂と絶縁状態になり[[山内溥]]社長(当時)に[[ゲームボーイ]]でのソフトリリースを「死んでもさせるつもりはない」とまで言われるほど険悪な関係に陥る。(詳しくは[[スクウェア・エニックス#任天堂との関係]]を参照)。一方、[[1999年]](平成11年)に[[バンダイ]]から発売された、任天堂ゲームボーイのライバルとなる携帯ゲーム機[[ワンダースワン]]に参入し、同機種の売り上げに貢献。しかし、ゲームボーイの牙城は崩すことはできなかった。なお、2002年(平成14年)には和解して任天堂のゲーム機で再びソフトをリリースしている。
[[2000年]](平成12年)5月、
また2000年(平成12年)頃からは制作するゲームソフトを『ファイナルファンタジー』絡みの作品に絞ろうとする方針を打ち出した。そのため、一部の開発者が退社して[[モノリスソフト]]や[[ブラウニーブラウン]]、[[サクノス]]、[[アルファドリーム]]、[[ポンスビック]]<!--『[[クロスゲート]]』『[[コンチェルトゲート フォルテ]]』などのオンラインゲームを製作していた会社。2011年倒産--><ref>{{
米国のゲーム会社、[[エレクトロニック・アーツ]]社の日本進出の際に合弁で「エレクトロニック・アーツ・スクウェア株式会社」を設立した。また、逆にスクウェアが海外進出する際も、米国子会社「SQUARE ELECTRONIC ARTS LLC.」を合弁で設立した。
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[[2001年]](平成13年)に制作した[[ファイナルファンタジー (映画)|映画版『ファイナルファンタジー』]]の興行成績が振るわず、特別損失を計上。鈴木尚社長は責任を取って辞任し、[[和田洋一 (スクウェア・エニックス)|和田洋一]]に社長が交代。財務体質を改善するため、[[ソニー・コンピュータエンタテインメント]](SCE)の[[資本参加]]を受けた。実はSCEに資本参加を求める前に当時絶縁状態にあった任天堂に救済を求めていたが、両者の考え方の違い、特にオンライン面にまだ懐疑的だった任天堂が救済の条件に、スクウェアが推し進めていた[[PlayOnline]]事業の凍結を求めたため、交渉は決裂に終わっている{{要出典|date=2008年12月}}。
2002年(平成14年)11月26日に株式会社エニックスとの合併を発表。しかし、スクウェアの[[オーナー]]であり、筆頭[[株主]]の宮本が[[株式交換]]比率1対0.81ではスクウェアの価値を低く見ているとして合併に反対を表明し、後に比率が1対0.85に変更されるというアクシデントもあった。2003年(平成15年)4月1日に合併し、[[スクウェア・エニックス]]となった。これをエニックスによる救済措置と見る向きが多い。なお、この時点で既にスクウェアの財務状態は改善されていた<ref>{{Cite web|和書|date=2020-08-22|url=https://note.com/waday/n/n01b4c3ec81b8|title=そろそろ語ろうか(其の壱)|和田洋一|publisher=note|accessdate=2020-09-09}}</ref>。
=== 社風 ===
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=== 宮本雅史社長時代 ===
{{seealso|宮本雅史 (投資家)}}
*1986年9月
*1987年9月 - 本社を東京都[[台東区]][[台東 (台東区)|台東]]三丁目12番1号に移転。
*[[1990年]]2月27日 - 本社を東京都[[港区 (東京都)|港区]]赤坂七丁目6番38号に移転。
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*[[1997年]]5月 - ホノルルスタジオを設置。坂口博信副社長及び[[榊原幹典]]を中心に映画や『[[ファイナルファンタジーIX]]』の開発を行う。
*1997年8月 - 『[[聖剣伝説2]]』や『[[聖剣伝説3]]』などの作曲をした[[菊田裕樹]]を中心とした社員が辞職・独立し、サクノスを設立。
*[[1998年]]5月 - [[エレクトロニック・アーツ]]と日米に合弁
*1998年11月 - フルCG映画「Final Fantasy The Movie」の制作を発表。
*1999年7月 - CG部門を株式会社スクウェアヴィジュアルワークスに、サウンド部門を株式会社スクウェアサウンズに、品質管理・ユーザーサポート部門を株式会社スクアーツにそれぞれ完全子会社として分社化。完全子会社として株式会社スクウェアネクスト(株式会社[[ゲームデザイナーズ・スタジオ]]→[[SQEX]])を設立。
*1999年10月 - 『[[ゼ
*2000年1月
*2000年1月29日 - プライベートイベント[[スクウェア・ミレニアム]]を開催、オンラインサービスPlay Onlineと[[ファイナルファンタジー]]IX、X、XIの計3作を同時発表
*2000年2月 - 『クロノ・トリガー』のグラフィックディレクターをした[[蒲田泰彦]]を中心とした社員が辞職・独立し、ポンスビックを設立。
*2000年5月 - 開発事業部の統廃合が行われた(通称[[FFシフト]])。武市智行社長に代わり鈴木尚副社長が社長となる。
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{{seealso|鈴木尚 (ゲームクリエイター)}}
*2000年6月 - 『[[聖剣伝説 LEGEND OF MANA]]』の開発メンバーを中心とした社員が辞職・独立し、ブラウニーブラウンを設立。
*2000年6月 - 経営コンサルタントの[[大前研一]]、元マイクロソフト日本法人社長の[[成毛眞]]が社外取締役に就任。
*2000年8月 - 東京証券取引所一部上場。
*2001年1月 - 株式会社スクウェアヴィジュアルワークス及び株式会社スクアーツを合併。
*2001年2月 - ファイナルファンタジーシリーズの生みの親である坂口博信副社長が『[[ファイナルファンタジーX]]』発売延期の責任を取る形で{{要出典|date=2021年5月}}辞任。その後辞職・独立し[[2004年]]に[[ミストウォーカー]]を設立する。
*2001年10月 - [[ソニー・コンピュータエンタテインメント]]に対する約149億円の第三者割当増資を実施し、ソニー・コンピュータエンタテインメントが発行済み株式の約19%を取得<ref>https://www.sie.com/content/dam/corporate/jp/corporate/release/pdf/011009.pdf</ref>。
*2001年12月 - 鈴木尚社長に代わり和田洋一が社長となる。
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== 開発・発売タイトル一覧 ==
=== パーソナルコンピュータ用ソフト ===
*[[
*[[ウィル デス・トラップII|Will -The death trap 2-]](1985年6月 アドベンチャー PC-8801、PC-9801、FM-7、X1)
*[[ドラゴンスレイヤー (ゲーム)|ドラゴンスレイヤー]] ''DRAGON SLAYER'' (1985年9月 RPG、[[MSX]]、[[PC-9801]]用への移植版) オリジナル版(1984年10月)は日本ファルコム
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*[[クルーズチェイサー ブラスティー]] ''CRUISE CHASER BLASSTY'' (1986年4月26日 RPG PC-8801、PC-9801、X1)
*[[キングスナイト]]スペシャル ''KING'S KNIGHT SPECIAL'' (1987年6月 RPG PC-8801mkIISR、X1用への移植版)
*[[ジェネシス (ゲーム)|ジェネシス]] ''GENESIS'' (1987年 RPG PC-8801mkIISR、PC-9801)
*[[エイリアン2]] ''ALIENS2'' (1987年
<!--*[[ファイナルファンタジー]] MSXへの移植作品 移植および発売は[[マイクロキャビン]](※スクウェアからの発売ではない)-->
*[[ファイナルファンタジーVIII]]([[Microsoft Windows|Windows]]版、2000年3月23日、発売はエレクトロニック・アーツ)
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*[[オールスター・プロレスリング]](2000年[[6月8日]]、6,800円、アクション)
*[[Dramatic Game 1844#テレビゲーム|劇空間プロ野球 AT THE END OF THE CENTURY 1999]](2000年[[9月7日]]、6,800円、スポーツ)
*[[バウンサー (ゲーム)|バウンサー]](2000年12月23日、6,800円、アクションRPG)
*[[ファイナルファンタジーX]](2001年7月19日、8,800円、RPG)
*[[オールスター・プロレスリングII]](2001年[[11月22日]]、6,800円、アクション)
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== 社名の由来 ==
[[ゴルフ]]のアドレスやグリップで使われる「スクウェア」が由来である。
[[スクウェア]]([[:wikt:square|square]])には「[[正方形]]」「[[広場]]」「頑固な」「きちんとした」などの意味があり、ゴルフでは飛球線に対して90度に正対している状態を指す。問題に対して逃げ腰ではなく、直視していく企業体を目指す意味で名付けられた。また、ゲームソフトのクリエーター達が集まる広場「スクウェア」を意味している。会社生誕の地である四国(四角形から)への謝意
1992年(平成4年)、水野哲夫社長就任後に[[コーポレートアイデンティティ|CI]]を導入。[[ロゴタイプ]]が改められ、以後発売の製品には'''「''SQUARESOFT''」(スクウェアソフト)'''ブランドを用いていた。初期の雑誌広告などでは'''スクエアーソフト'''という表記も確認されている。
一時期使用していたサブブランド「AQUES([[アクエス]])」の由来は'''A'''dvanced '''QU'''ality of '''E'''ntertainment&'''S'''ports の頭文字を取ったもの<ref>ファミ通'96年11月8日・15日合併号</ref>。
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== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist}}
=== 出典 ===
342 ⟶ 338行目:
== 外部リンク ==
* [https://www.jp.square-enix.com/ スクウェア・エニックス]
* [https://www.hd.square-enix.com/jpn/index.html スクウェア・エニックス・ホールディングス]
* [https://www.hd.square-enix.com/jpn/company/history.html 沿革(1975年〜) (スクエニHD)]
* {{Wayback|url=http://ir.square.co.jp/|title=スクウェア|date=20021130061917}}
* {{Mediaarts-db}}
{{スクウェア・エニックス・グループ}}
{{Normdaten}}
{{デフォルトソート:すくうえあ}}
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[[Category:1986年設立の企業]]
[[Category:2003年廃止の企業]]
[[Category:2003年の合併と買収]]
[[Category:かつて存在した東京都の企業]]
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