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{{Pathnav|スクウェア・エニックス・ホールディングス|スクウェア・エニックス|frame=1|this=スクウェア}}
{{基礎情報 会社
| 社名 = 株式会社スクウェア
| 英文社名 = SQUARE CO., LTD.
| ロゴ = [[File:Square Logo.svg|250px]]
| ロゴサイズ = 250px
| 画像 =
| 画像説明 =
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| 国籍 = {{JPN}}
| 本社郵便番号 = 153-8688
| 本社所在地 = [[東京都]][[目黒区]][[下目黒]]1丁目8番1号
| 本社緯度度 =
| 本社緯度分 =
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| 本社E(東経)及びW(西経) =
| 本社地図国コード =
| 本店郵便番号 =
| 本店所在地 =
| 本店緯度度 =
| 本店緯度分 =
| 本店緯度秒 =
| 本店N(北緯)及びS(南緯) =
| 本店経度度 =
| 本店経度分 =
| 本店経度秒 =
| 本店E(東経)及びW(西経) =
| 本店地図国コード =
| 設立 = [[1966年]]([[昭和]]41年)[[7月11日]]{{Efn|創業直後の会社設立は1986年9月であるが、その後の会社合併により登記上の設立日は1966年7月となっている<ref name="FAQ" />。詳細は[[#沿革]]を参照。}}
| 廃止 = [[2003年]]([[平成]]15年)[[4月1日]]{{Efn|[[エニックス]]と合併し、[[スクウェア・エニックス]]となり解散}}
| 業種 = 5250
| 法人番号 =
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| 主要株主 =
| 主要部門 =
| 主要子会社 = 株式会社[[デジキューブ]](2003年解散)
| 関係する人物 =
* [[宮本雅史 (投資家)|宮本雅史]](創業者)<br
* />[[鈴木尚 (ゲームクリエイター)|鈴木尚]](創業者)<br
* />[[水野哲夫]]<br
* />[[武市智行]]<br
* />[[坂口博信]]
| 外部リンク = [https://web.archive.org/web/20021130061917/{{Wayback|url=http://ir.square.co.jp/ アーカ|title=公式サブ]ト|date=20021130061917}}
| 特記事項 = 特記なければ、2003年3月31日時点のデータ。同年4月1日に[[エニックス]]と合併し、[[スクウェア・エニックス]]となり解散。
}}
'''株式会社スクウェア'''({{Lang-en-short|SQUARE CO., LTD.}})は、かつて存在した[[日本]]の[[コンピュータゲーム]]ソフト会社。[[2003年]]([[平成]]15年)[[4月1日]]に同業の[[エニックス]]と[[合併 (企業)|合併]]し、'''[[スクウェア・エニックス]]'''となった。以下ではこの旧・スクウェアについて解説する。
 
'''株式会社スクウェア'''({{Lang-en-short|SQUARE CO., LTD.}})は、かつて存在した[[日本]]の[[コンピュータゲーム]]ソフト会社。[[2003年]]([[平成]]15年)[[4月1日]]に同業の[[エニックス]]と[[合併 (企業)|合併]]し、'''[[スクウェア・エニックス]]'''(法人としては現在の[[スクウェア・エニックス・ホールディングス]])となった。以下ではこの旧スクウェアについて解説する。
古くは『[[ディスク・オリジナル・グループ]] DOG』などで[[ファミリーコンピュータ ディスクシステム]]向けソフトを開発していた。同社発売の『'''[[ファイナルファンタジーシリーズ]]'''』はエニックス(現スクウェア・エニックス)発売の『[[ドラゴンクエストシリーズ]]』と並ぶ、日本での[[コンピュータRPG]]の両巨頭である。
 
== 概要 ==
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創業時に[[事業所]]を置いたのは、[[コーエー|光栄]]と同じ[[神奈川県]][[横浜市]][[港北区]][[日吉 (横浜市)|日吉]]だった。ここでは人材確保を目的に、40台もの最新[[パーソナルコンピュータ|パソコン]]を自由に使える会員制[[サロン]]を開設していた。かくしてすぐ目の前にある[[慶應義塾大学]]日吉キャンパスや、[[横浜国立大学]]、[[神奈川大学]]など[[横浜市|横浜]]周辺に[[キャンパス]]を置く[[大学]]の学生たちが出入りするようになる。その中からは同社で[[アルバイト]]を始め、そのまま正式入社した者もおり、同社の初期作品を手がけたスタッフには[[:Category:神奈川県の大学|神奈川県にある大学]]の出身者が多い。
 
創業から半年後の[[1984年]]春、サロンの会員から選ばれたメンバーと公募で集められた者、計10名のスタッフによる[[ゲームソフト]]開発が開始される。当初は[[日本電気|NEC]][[PC-8801|PC-8801シリーズ]]を中心としたパソコン用の[[アドベンチャーゲーム]]や[[ロールプレイングゲーム]]を主力商品とした。シナリオ面でも評価されたほか、ビジュアル性にこだわりを見せた内容がクローズアップされる事が多かった。部分的ではあるが[[アニメーション]]を取り入れた『[[ウィル デス・トラップII|WILL デス・トラップII]]』、パッケージイラストに[[いのまたむつみ]]を起用した上にゲーム本編の[[アニメーション|アニメ]]風ビジュアルで人気となった『[[アルファ (ゲーム)|アルファ]]』、[[サンライズ (アニメ制作会社)|日本サンライズ]]と組んで内容面でもビジュアル面でも[[ロボットアニメ]]の雰囲気を強く打ち出した『[[クルーズチェイサー ブラスティー]]』などはゲーム情報誌でも大きく取り上げられた。またラインナップ充実のため、他社作品の移植にも力を入れていた。
 
[[1985年]](昭和60年)から[[任天堂]]とライセンス契約を結び[[ファミリーコンピュータ|ファミコン]]用ソフトを提供し始める。ファミコン市場への参入は開発スタッフからの要望に応えてのものだったという。当時のパソコンは機種ごとに独自仕様であり、後継機種であっても従来機のソフトが動かない事も多く、[[移植 (ソフトウェア)|移植]]にも新規開発と同等に労力を要したのに対し、ファミコンには内部仕様の変更はあれどハードの変更がなく、また移植の必要もないのでより腰を据えて開発に臨めるという理由からである<ref>[[辰巳出版]]刊『パソコンゲーム80年代記』(1990年5月発行)掲載のメーカーインタビューによる。</ref>。[[1986年]]には、ファミコン初の[[アクションRPG]]として『[[キングスナイト]]』を発表した。しかし実質、RPG要素の薄い従来型のシューティングゲームであり、販売本数も伸びなかった。その後もパソコンゲームメーカーと組んで[[ファミリーコンピュータ ディスクシステム]]で多くのゲームを送り出す [[ディスク・オリジナル・グループ|DOG(Disk Original Group)]](DOG) ブランドを展開するなど意欲を見せるも、なかなかヒット作を出せずにいた。
 
市場からの撤退も考えていた中、[[坂口博信]](後に副社長)らが開発し、[[1987年]]に発売された『'''[[ファイナルファンタジー]]'''』のヒットで飛躍の足がかりを掴み、その後は続く『'''[[ファイナルファンタジーシリーズ]]'''』、[[サガシリーズ|'''『サガ』シリーズ''']]、[[聖剣伝説|'''『聖剣伝説』シリーズ''']]などのRPGを主に制作、一気に大手メーカーとなった。
 
『ファイナルファンタジー』のヒットは同社に多大な利益をもたらした。一時期の事業不振で[[銀座]]<!--ちなみに[[豊田商事]]が入っていたビルをまるごと借りていた-->から[[御徒町]]の雑居ビルへの移転を余儀なくされていた同社が、再び[[赤坂 (東京都港区)|赤坂]]に本社を構えられるようになったのも『ファイナルファンタジー』シリーズのヒットによるものといわれている。『[[ファイナルファンタジーII]]』の発売と前後する時期、[[代々木]]で『ファイナルファンタジー』の[[キャラクターグッズ専門店|グッズショップ]]を展開した。このショップではスクウェアから[[ライセンス]]を得て各社が発行していた出版物等の他、イメージイラストを使用した[[マグカップ]]等オリジナルグッズも扱っていた。<!--余談だがこのショップの閉店後、その空いたテナントには僅かに遅れてショップ運営を開始した[[日本ファルコム]]の[[ファルコムショップ]]が入る事となる。-->
 
[[1992年]](平成4年)に宮本に代わり[[水野哲夫]]が社長に就任。[[ゲームボーイ]]用ソフトの開発を引き上げ、タイトルをスーパーファミコンに専念。ミリオンセラーを続々と叩き出し、株式店頭公開も行う。[[1995年]](平成7年)には本社を[[目黒区]]のアルコタワーに移転。同年は『[[ドラゴンクエストシリーズ]]』を手がけた[[鳥山明]]・[[堀井雄二]]、漫画家の[[鳥山明]]と共に『[[クロノ・トリガー]]』を制作、更にはマリオシリーズのキャラクターを扱った『[[スーパーマリオRPG]]』も任天堂と共同制作し、同社は絶頂期を迎える。
 
[[1996年]](平成8年)、水野に代わり[[武市智行]]が社長に就任。『[[トバルNo.1]]』で[[PlayStation (ゲーム機)|PlayStation]]に参入。そして翌[[1997年]](平成9年)に発売した『'''[[ファイナルファンタジーVII]]'''』は国内で400万本、全世界で1,035万本という売上を記録。しかし、同時期に任天堂と絶縁状態になり[[山内溥]]社長(当時)に[[ゲームボーイ]]でのソフトリリースを「死んでもさせるつもりはない」とまで言われるほど険悪な関係に陥る。(詳しくは[[スクウェア・エニックス#任天堂との関係]]を参照)。一方、[[1999年]](平成11年)に[[バンダイ]]から発売された、任天堂ゲームボーイのライバルとなる携帯ゲーム機[[ワンダースワン]]に参入し、同機種の売り上げに貢献。しかし、ゲームボーイの牙城は崩すことはできなかった。なお、2002年(平成14年)には和解して任天堂のゲーム機で再びソフトをリリースしている。
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[[2000年]](平成12年)5月、武市に変わって[[鈴木尚 (ゲームクリエイター)|鈴木尚]]副社長が社長となる。
 
また2000年(平成12年)頃からは制作するゲームソフトを『ファイナルファンタジー』絡みの作品に絞ろうとする方針を打ち出した。そのため、一部の開発者が退社して[[モノリスソフト]]や[[ブラウニーブラウン]]、[[サクノス]]、[[アルファドリーム]]、[[ポンスビック]]<!--『[[クロスゲート]]』『[[コンチェルトゲート フォルテ]]』などのオンラインゲームを製作していた会社。2011年倒産--><ref>{{citeCite web|和書|title=オンラインゲーム開発のポンスビック、自己破産を申請・・・『コンチェルトゲート』『SFO』など|publisher=GameBusiness.jp|url=https://www.gamebusiness.jp/article.php?id=2915|accessdate=2020-09-09|archiveurl=https://web.archive.org/web/20150518102222/https://www.gamebusiness.jp/article.php?id=2915|archivedate= 2015-05-18}}</ref>などの会社を設立していった。しかし、鈴木尚社長退任後は方向を転換し、ブラウニーブラウンやモノリスソフトには外注を依頼している。
 
米国のゲーム会社、[[エレクトロニック・アーツ]]社の日本進出の際に合弁で「エレクトロニック・アーツ・スクウェア株式会社」を設立した。また、逆にスクウェアが海外進出する際も、米国子会社「SQUARE ELECTRONIC ARTS LLC.」を合弁で設立した。
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[[2001年]](平成13年)に制作した[[ファイナルファンタジー (映画)|映画版『ファイナルファンタジー』]]の興行成績が振るわず、特別損失を計上。鈴木尚社長は責任を取って辞任し、[[和田洋一 (スクウェア・エニックス)|和田洋一]]に社長が交代。財務体質を改善するため、[[ソニー・コンピュータエンタテインメント]](SCE)の[[資本参加]]を受けた。実はSCEに資本参加を求める前に当時絶縁状態にあった任天堂に救済を求めていたが、両者の考え方の違い、特にオンライン面にまだ懐疑的だった任天堂が救済の条件に、スクウェアが推し進めていた[[PlayOnline]]事業の凍結を求めたため、交渉は決裂に終わっている{{要出典|date=2008年12月}}。
 
2002年(平成14年)11月26日に株式会社エニックスとの合併を発表。しかし、スクウェアの[[オーナー]]であり、筆頭[[株主]]の宮本が[[株式交換]]比率1対0.81ではスクウェアの価値を低く見ているとして合併に反対を表明し、後に比率が1対0.85に変更されるというアクシデントもあった。2003年(平成15年)4月1日に合併し、[[スクウェア・エニックス]]となった。これをエニックスによる救済措置と見る向きが多い。なお、この時点で既にスクウェアの財務状態は改善されていた<ref>{{Cite web|和書|date=2020-08-22|url=https://note.com/waday/n/n01b4c3ec81b8|title=そろそろ語ろうか(其の壱)|和田洋一|publisher=note|accessdate=2020-09-09}}</ref>。
 
=== 社風 ===
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*[[1997年]]5月 - ホノルルスタジオを設置。坂口博信副社長及び[[榊原幹典]]を中心に映画や『[[ファイナルファンタジーIX]]』の開発を行う。
*1997年8月 - 『[[聖剣伝説2]]』や『[[聖剣伝説3]]』などの作曲をした[[菊田裕樹]]を中心とした社員が辞職・独立し、サクノスを設立。
*[[1998年]]5月 - [[エレクトロニック・アーツ]]日米に合弁にて両を設立。アメリカにはスクウェアのソフトをアメリカ向けに販売するSquare Electronic Arts LLCをスクウェアが70%、エレクトロニック・アーツが30%出資して設立し、日本にはエレクトロニック・アーツ製品を販売するエレクトロニック・アーツ・スクウェア株式会社をスクウェアが30%、エレクトロニック・アーツが70%出資して設立<ref>{{Cite web|和書|date=1998-04-27|url=https://pc.watch.impress.co.jp/docs/article/980427/square.htm|title=スクウェアがエレクトロニック・アーツと合弁会社を設立|publisher=PC Watch|accessdate=2012-08-30}}</ref>。
*1998年11月 - フルCG映画「Final Fantasy The Movie」の制作を発表。
*1999年7月 - CG部門を株式会社スクウェアヴィジュアルワークスに、サウンド部門を株式会社スクウェアサウンズに、品質管理・ユーザーサポート部門を株式会社スクアーツにそれぞれ完全子会社として分社化。完全子会社として株式会社スクウェアネクスト(株式会社[[ゲームデザイナーズ・スタジオ]]→[[SQEX]])を設立。
*1999年10月 - 『[[ゼノギアス]]』の開発メンバーを中心とした社員が辞職・独立し、モノリスソフトを設立。
*2000年1月 - 大阪開発部長の[[藤岡千尋]]及び[[水野哲夫]]元社長を中心とした社員が辞職・独立し、アルファドリームを設立。
*2000年1月29日 - プライベートイベント[[スクウェア・ミレニアム]]を開催、オンラインサービスPlay Onlineと[[ファイナルファンタジー]]IX、X、XIの計3作を同時発表
*2000年2月 - 『クロノ・トリガー』のグラフィックディレクターをした[[蒲田泰彦]]を中心とした社員が辞職・独立し、ポンスビックを設立。
*2000年5月 - 開発事業部の統廃合が行われた(通称[[FFシフト]])。武市智行社長に代わり鈴木尚副社長が社長となる。
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{{seealso|鈴木尚 (ゲームクリエイター)}}
*2000年6月 - 『[[聖剣伝説 LEGEND OF MANA]]』の開発メンバーを中心とした社員が辞職・独立し、ブラウニーブラウンを設立。
*2000年6月 - 経営コンサルタントの[[大前研一]]、元マイクロソフト日本法人社長の[[成毛眞]]が社外取締役に就任。
*2000年8月 - 東京証券取引所一部上場。
*2001年1月 - 株式会社スクウェアヴィジュアルワークス及び株式会社スクアーツを合併。
*2001年2月 - ファイナルファンタジーシリーズの生みの親である坂口博信副社長が『[[ファイナルファンタジーX]]』発売延期の責任を取る形で{{要出典|date=2021年5月}}辞任。その後辞職・独立し[[2004年]]に[[ミストウォーカー]]を設立する。
*2001年10月 - [[ソニー・コンピュータエンタテインメント]]に対する約149億円の第三者割当増資を実施し、ソニー・コンピュータエンタテインメントが発行済み株式の約19%を取得<ref>https://www.sie.com/content/dam/corporate/jp/corporate/release/pdf/011009.pdf</ref>。
*2001年12月 - 鈴木尚社長に代わり和田洋一が社長となる。
 
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== 開発・発売タイトル一覧 ==
=== パーソナルコンピュータ用ソフト ===
*[[ザ・デストラップ]] ''THE DEATH TRAP'' (1984年10月 アドベンチャー PC-8801、PC-9801、FM-7)
*[[ウィル デス・トラップII|Will -The death trap 2-]](1985年6月 アドベンチャー PC-8801、PC-9801、FM-7、X1)
*[[ドラゴンスレイヤー (ゲーム)|ドラゴンスレイヤー]] ''DRAGON SLAYER'' (1985年9月 RPG、[[MSX]]、[[PC-9801]]用への移植版) オリジナル版(1984年10月)は日本ファルコム
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*[[キングスナイト]]スペシャル ''KING'S KNIGHT SPECIAL'' (1987年6月 RPG PC-8801mkIISR、X1用への移植版)
*[[ジェネシス (ゲーム)|ジェネシス]] ''GENESIS'' (1987年 RPG PC-8801mkIISR、PC-9801)
*[[エイリアン2]] ''ALIENS2'' (1987年 RPGアクション MSX)
<!--*[[ファイナルファンタジー]] MSXへの移植作品 移植および発売は[[マイクロキャビン]](※スクウェアからの発売ではない)-->
*[[ファイナルファンタジーVIII]]([[Microsoft Windows|Windows]]版、2000年3月23日、発売はエレクトロニック・アーツ)
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*[[オールスター・プロレスリング]](2000年[[6月8日]]、6,800円、アクション)
*[[Dramatic Game 1844#テレビゲーム|劇空間プロ野球 AT THE END OF THE CENTURY 1999]](2000年[[9月7日]]、6,800円、スポーツ)
*[[バウンサー (ゲーム)|バウンサー]](2000年12月23日、6,800円、アクションRPG)
*[[ファイナルファンタジーX]](2001年7月19日、8,800円、RPG)
*[[オールスター・プロレスリングII]](2001年[[11月22日]]、6,800円、アクション)
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== 外部リンク ==
* [https://www.jp.square-enix.com/ スクウェア・エニックス]
* [https://www.hd.square-enix.com/jpn/index.html スクウェア・エニックス・ホールディングス]
* [https://www.hd.square-enix.com/jpn/company/history.html 沿革(1975年〜) (スクエニHD)]
* {{Wayback|url=http://ir.square.co.jp/|title=スクウェア|date=20021130061917}}
* {{Mediaarts-db}}
 
{{スクウェア・エニックス・グループ}}
 
{{Normdaten}}
{{デフォルトソート:すくうえあ}}
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[[Category:2003年廃止の企業]]
[[Category:2003年の合併と買収]]
[[Category:かつて存在した東京都の企業]]