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{{別人|タイガー・ウッズ}}
{{Infobox baseball player
| 選手名 = タイロン・ウッズ
| 英語表記 = Tyrone Woods
| 所属球団 =
| 背番号 =
| 画像 = IMG 1874 Tyrone Woods.jpg
| 画像サイズ = 275
| 画像説明 = 中日時代<br />(2008年6月1日、[[西武ドーム]])
| 国籍 = {{USA}}
| 出身地 = [[フロリダ州]][[パスコ郡 (フロリダ州)|パスコ郡]]{{仮リンク|デイドシティ (フロリダ州)|en|Dade City, Florida|label=デイドシティ}}<ref name="Reference"/>
| 生年月日 = {{生年月日と年齢|1969|8|19}}
| 没年月日 =
| 身長 = {{フィートとcm (身長用変換)|6|1}}
| 体重 = {{ポンドとkg (体重用変換)|225}}
| 利き腕 = 右
| 打席 = 右
| 守備位置 = [[一塁手]]、[[外野手]]
| プロ入り年度 = 1988年
| ドラフト順位 = MLBドラフト5巡目
| 初出場 = KBO / 1998年<br />NPB / 2003年3月28日
| 最終出場 = KBO / 2002年<br />NPB / 2008年10月25日
| 年俸 =
| 経歴 =
* {{仮リンク|ヘルナンド高等学校|en|Hernando High School (Florida)}}
* [[ミナティトラン・オイラーズ]] (1997)
* [[斗山ベアーズ|OBベアーズ<br />斗山ベアーズ]] (1998 - 2002)
* [[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]] (2003 - 2004)
* [[中日ドラゴンズ]] (2005 - 2008)
}}
'''タイロン・ウィリアム・ウッズ'''('''Tyrone William Woods'''<ref name="Reference"/><ref name="타이론 우즈 이야기"/> , [[1969年]][[8月19日]] - )は、[[アメリカ合衆国]][[フロリダ州]][[パスコ郡 (フロリダ州)|パスコ郡]]{{仮リンク|デイドシティ (フロリダ州)|en|Dade City, Florida|label=デイドシティ}}出身の元[[プロ野球選手]]([[内野手]]、[[外野手]])<ref name="Reference"/>。
アメリカ合衆国では{{by|1988年}}から{{by|1997年}}まで[[マイナーリーグベースボール|マイナーリーグ]]でプレーしており、[[メジャーリーグベースボール|メジャー]]昇格は果たせなかったが、{{by|1998年}}に[[韓国野球委員会|韓国プロ野球]](現:[[KBOリーグ]])のOBベアーズ({{by|1999年}}以降は「[[斗山ベアーズ]]」)に入団すると、{{by|2002年}}に退団するまでの5シーズンで通算174[[本塁打]]、510[[打点]]を記録し<ref name="神奈川新聞20030208"/>、1998年には[[KBO本塁打王|本塁打王]]・{{仮リンク|打点王|ko|KBO 타점상|label=打点王}}の二冠王を獲得<ref name="神奈川新聞20030208"/><ref name="週刊ベースボール2020-09-27"/>、シーズン[[KBO MVP|最優秀選手 (MVP) ]]を受賞した<ref name="神奈川新聞20030208"/>。
{{by|2003年}}から{{by|2004年}}は[[日本野球機構|NPB]]の[[セントラル・リーグ]](セ・リーグ)に加盟する[[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]で、{{by|2005年}}から{{by|2008年}}は同リーグに加盟する[[中日ドラゴンズ]]でそれぞれプレーし<ref name="中日新聞2008-11-05"/>、[[打順#四番打者|四番打者]]として活躍した<ref name="週刊ベースボール2020-09-27"/>。NPBでは6シーズンで通算240本塁打(年平均40本)を記録したが<ref name="woodsraireki"/>、いずれのシーズンも35本塁打以上を記録しており、セ・リーグの[[最多本塁打 (日本プロ野球)|本塁打王]]を3回(2003年・2004年・{{by|2006年}})、[[最多打点 (日本プロ野球)|打点王]]を1回(2006年)それぞれ獲得している<ref name="週刊ベースボール2020-09-27"/>。またKBO時代と合算すると日韓通算414本塁打を記録したことになる<ref name="週刊ベースボール2020-09-27"/>。本塁打・打点の二冠王に輝いた2006年には[[2006年の中日ドラゴンズ|中日のセ・リーグ優勝]]に、{{by|2007年}}にも[[2007年の日本シリーズ|中日の日本シリーズ優勝]]にそれぞれ貢献した<ref name="週刊ベースボール2020-09-27">{{Cite news|和書 |title=来日6年間で240本塁打 「控えの助っ人」から成り上がった強打者とは |newspaper=[[週刊ベースボール|週刊ベースボールONLINE]] |date=2020-09-27 |url=https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20200926-12 |access-date=2023-01-30 |publisher=[[ベースボール・マガジン社]] |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20230130132255/https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20200926-12 |archive-date=2023年1月30日}}</ref>。このことから、中日の歴代最強外国人選手とも評されている<ref>『日刊スポーツ』2009年7月30日付「巨人中日14回戦 中日 ブランコが30号ソロ、外国人でペタジーニ以来」(日刊スポーツ新聞社)</ref>。
日韓のプロ野球リーグ (KBO・NPB) の双方で本塁打王・打点王の二冠王に輝いた唯一の選手である。NPB球団への入団前は'''タイロン・ウッツ'''<ref>『日刊スポーツ』1998年10月2日付4頁「韓国プロ野球 OB タイロン・ウッツ、シーズン最多本塁打記録6年ぶり更新」(日刊スポーツ新聞社)</ref><ref name="日刊スポーツ19981102"/>と表記されることもあった。
== 経歴 ==
=== プロ入りとマイナー時代 ===
9人兄弟姉妹の第8子としてフロリダ州で生まれ育ったが、幼少期の生活は裕福ではなかった<ref name="타이론 우즈 이야기"/>。7歳か8歳のころに[[野球]]を始めたが、当時から年長者たちに劣らない体格とパワーを持ち、彼らに交ざってプレーしていたという{{Sfn|週刊ベースボール|2003|p=14}}。
フロリダ州[[ヘルナンド郡 (フロリダ州)|ヘルナンド郡]]{{仮リンク|ブルックスビル|en|Brooksville, Florida|label=ブルックスビル}}の{{仮リンク|ヘルナンド高等学校|en|Hernando High School (Florida)|label=ヘルナンド高校}}{{Efn2|ハーナンドと表記される場合もある<ref name="神奈川新聞20030208"/>。}}を卒業<ref>{{Cite web |url=https://baseballsavant.mlb.com/savant-player/tyrone-woods-569099?stats=career-r-hitting-milb |title=Tyrone Woods Stats: Statcast, Visuals & Advanced Metrics |access-date=2025-04-13 |publisher=[[メジャーリーグベースボール]] |website=baseballsavant.com |language=en |archive-url=https://web.archive.org/web/20250413142756/https://baseballsavant.mlb.com/savant-player/tyrone-woods-569099?stats=career-r-hitting-milb |archive-date=2025-04-13 |url-status=live |url-status-date=2025-04-13}}</ref>。高校時代までは[[アメリカンフットボール]]もプレーしており、大学に進学してアメフトを続ける話もあったというが、選手寿命の長さを考えて[[野球]]を選んだという{{Sfn|週刊ベースボール|2003|p=14}}。{{by|1988年}}の[[1988年のMLBドラフト|MLBドラフト]]で[[ワシントン・ナショナルズ|モントリオール・エクスポズ]]からドラフト5巡目(全体128番目)で指名を受け<ref>{{Cite web |url=https://baseballsavant.mlb.com/draft?team_id=120&year=1988 |title=Expos 1988 Major League Baseball Draft |access-date=2025-04-13 |publisher=メジャーリーグベースボール |year=1988 |website=baseballsavant.com |language=en |archive-url=https://web.archive.org/web/20250413142939/https://baseballsavant.mlb.com/draft?team_id=120&year=1988 |archive-date=2025-04-13 |url-status=live |url-status-date=2025-04-13}}</ref>、契約した<ref name="スポニチ2009-09-01"/>。同年にルーキーリーグでデビューし<ref name="KBO리그 40"/>、その後は{{by|1997年}}まで、エクスポズや[[ボルチモア・オリオールズ]]、[[ボストン・レッドソックス]]それぞれの傘下の[[マイナーリーグベースボール|マイナーリーグ (MiLB) ]]球団でプレーした。アメリカ時代は[[外野手]]の他、[[三塁手]]も経験した<ref name="スポニチ20030207">『スポーツニッポン』2003年2月7日付3頁「プロ野球 横浜 ハマのT(タイロンー・ウッズだ!ドラコン202メートル 本家タイガーばり〝スーパーショット〟隣の球場までぶっ飛んだ 元韓国キング開幕四番強烈アピール」(スポーツニッポン新聞東京本社 白鳥健太郎)</ref>。
{{by|1993年}}はエクスポズ傘下のAA級[[ハリスバーグ・セネターズ]]で106試合に出場、[[打率]].252、16[[本塁打]]、59[[打点]]を記録した<ref name="Reference"/>。{{by|1994年}}は初めてAAA級に昇格し、[[オタワ・リンクス]]でプレーしたが、後にハリスバーグに降格する<ref name="Reference"/>。同年4月に発行された『[[週刊ベースボール]]』増刊号によれば、ウッズは背番号60の外野手としてエクスポズの[[ロースター (MLB)|40人枠]]に入っていたが<ref>『[[週刊ベースボール]]』[[ベースボール・マガジン社]]、第49巻第17号(通巻:第2052号)、1994年4月23日、72頁「モントリオール・エクスポズ1994年度メンバー」{{NDLJP|7909869/37}}。 - 1994年4月23日増刊号「1994大リーグ総ガイド」。</ref>、実際にメジャーの試合に出場する機会はなかった。
{{by|1995年}}はオリオールズ傘下のAAA級[[ロチェスター・レッドウイングス]]でプレーし、[[開幕戦]]で[[打順#四番打者|四番打者]]・[[右翼手]]として起用された<ref>{{Cite book |title=Rochester Red Wings media guide |publisher=[[ロチェスター・レッドウイングス|Rochester Red Wings]] |year=2019 |page=136 |url=https://milb.bamcontent.com/documents/9/0/4/306008904/8_History_and_Records.pdf#page=28 |chapter=HISTORY & RECORDS |format=PDF}}</ref>。同年は70試合に出場して打率.261、8本塁打、31打点の成績を残した<ref name="Reference"/>。
{{by|1996年}}はレッドソックス傘下のAA級[[トレントン・サンダー]]で99試合に出場し<ref name="Reference"/>、打率.312、25本塁打と好成績を残した<ref name="Full-count"/>。25本塁打は[[アダム・ハイズデュ]]と並ぶ同年のチーム最多の本塁打数であり{{Sfn|Trenton Thunder|2019|p=13}}、トレントン球団史上歴代4位タイでもある{{Sfn|Trenton Thunder|2019|p=21}}。同年秋には古巣であるハリスバーグ・セネターズとの[[イースタンリーグ (北米)|イースタンリーグ]]{{仮リンク|1996年のイースタンリーグ (北米)|en|1996 Eastern League season#Southern Division|label=南地区プレーオフ}}第3戦で本塁打を放ったが、トレントンはハリスバーグに1勝3敗で敗退した<ref>{{Cite book |title=2014 media guide |publisher=[[トレントン・サンダー|Trenton Thunder]] |year=2014 |page=24 |url=https://milb.bamcontent.com/documents/7/3/6/310783736/2014_Media_Guide.pdf#page=27}}</ref>{{Sfn|Trenton Thunder|2019|p=24}}。
27歳で迎えたマイナー10年目の{{by|1997年}}シーズンは、レッドソックス傘下のAAA級[[ポータケット・レッドソックス]]でプレーし<ref name="Reference">{{Cite web |url=https://www.baseball-reference.com/register/player.fcgi?id=woods-001tyr |title=Ty Woods Minor, Mexican, Korean & Japanese Leagues Statistics & History |website=[[:w:Baseball-Reference.com|Baseball-Reference.com]] |publisher=Sports Reference |language=en |date= |accessdate=2020-01-05 |archivedate=2020-01-05 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20200104153722/https://www.baseball-reference.com/register/player.fcgi?id=woods-001tyr}}</ref>、29試合に出場して打率.352、9本塁打を記録した<ref name="Full-count">{{Cite news |title=NPBは「魅力的な場所」 バティスタ、ウッズら日本で成功した助っ人を米メディア特集 |newspaper=Full-Count |author=Full-Count編集部 |date=2019-09-12 |url=https://full-count.jp/2019/09/12/post535847// |accessdate=2020-01-03 |publisher=株式会社Creative2 |language=ja |archiveurl=https://web.archive.org/web/20200103134526/https://full-count.jp/2019/09/12/post535847/ |archivedate=2020年1月3日}}</ref>。また[[リーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボル|メキシカンリーグ]]の[[ミナティトラン・オイラーズ]]でもプレーした<ref name="Reference"/>。しかし守備面で問題を抱えていたため、一度も[[メジャーリーグベースボール|メジャー]]昇格はできず<ref name="スポニチ2009-09-01"/>、1997年シーズンまで10年間にわたり10球団を渡り歩いた{{Sfn|ホームラン|2003|p=122}}。エクスポズ時代にはメジャーのキャンプに選ばれ、オープン戦でも活躍したシーズンもあったが、自身ではなく[[クリフ・フロイド]]がメジャーに選ばれたという{{Sfn|週刊ベースボール|2003|p=13}}。マイナー時代の通算成績は875試合出場、打率.258、106本塁打、419打点<ref>『スポーツ報知』2003年2月7日付5頁「横浜のタイロン・ウッズが宜野湾キャンプ史上最長の165メートル弾を記録」(報知新聞社 関根泉)</ref>。
=== 韓国・OB/斗山時代 ===
ウッズは{{by|1998年}}から{{by|2002年}}の5年間にわたり、[[大韓民国]](韓国)の[[KBOリーグ|プロ野球リーグ(現:「KBOリーグ」)]]の球団である[[斗山ベアーズ]](1998年の球団名は「OBベアーズ」)に在籍し、韓国球界を代表するスター選手として活躍した<ref name="神奈川新聞20030208"/>。韓国時代の通算成績は打率.295、174本塁打、510打点で<ref name="神奈川新聞20030208"/><ref name="毎日新聞2002-12-10">『[[毎日新聞]]』2002年12月10日東京朝刊スポーツ面18頁「[プロ野球だより]横浜 2外国人野手との入団交渉が合意」([[毎日新聞東京本社]])</ref><ref>『毎日新聞』2002年12月10日大阪朝刊スポーツ面21頁「[プロ野球だより]9日(金額は推定)」([[毎日新聞大阪本社]])</ref>、中でも通算174本塁打は、2025年7月3日に[[メル・ロハス・ジュニア]]が更新するまでKBOリーグの歴代外国人最多本塁打記録であった<ref>{{Cite news|和書 |title=元阪神ロハスがT・ウッズ越え 外国人打者の通算ホームラン新記録達成<韓国KBOリーグ>(室井昌也) - エキスパート |newspaper=[[Yahoo!ニュース]] |date=2025-07-03 |author=室井昌也 |url=https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/aa67ddf0ec6122b31a435c72dea27a48adeb5ab4 |access-date=2025-10-08 |publisher=[[LINEヤフー]] |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20250704152315/https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/aa67ddf0ec6122b31a435c72dea27a48adeb5ab4 |archive-date=2025-07-04}}</ref><ref>{{Cite news|和書 |title=阪神では不発も…韓国球界で大復活 23年ぶり記録更新、元助っ人が到達した「175」 |newspaper=Full-Count |date=2025-07-04 |author=Full-Count編集部 |url=https://full-count.jp/2025/07/04/post1785829/ |access-date=2025-10-08 |publisher=[[Creative2]] |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20251008144446/https://full-count.jp/2025/07/04/post1785829/ |archive-date=2025-10-08}}</ref>。またOB/斗山の本拠地球場である[[蚕室野球場]]は韓国でも投手有利な野球場の代表格とされており、このような環境下でこれだけの本塁打数を記録したことは高く評価されている<ref name="타이론 우즈 이야기"/>。この活躍を受け、ウッズは韓国でプレーしていたころから後の所属球団である[[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]や[[中日ドラゴンズ]]だけでなく、[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ]]や[[千葉ロッテマリーンズ]]といった[[日本野球機構]] (NPB) の複数球団から注目を受けていた<ref name="日刊スポーツ20030207"/>。
横浜移籍後の2004年には『[[東亜日報]]』で[[フェリックス・ホセ]]([[ロッテ・ジャイアンツ]])とともに「韓国プロ野球史上最強の外国人選手」として紹介されたほか<ref>{{Cite news |title=私が史上最強の傭兵打者 |newspaper=東亜日報 |date=2004-06-04 |author=張桓壽 |url=http://www.donga.com/jp/article/all/20040604/281110/ |accessdate=2019-08-04 |publisher=東亜日報社|publication-place=[[大韓民国]]・[[ソウル特別市]][[鍾路区]] |language=ja |archiveurl=https://web.archive.org/web/20190804133413/http://www.donga.com/jp/article/all/20040604/281110/ |archivedate=2019年8月4日}}</ref>、2016年に同紙がプロ野球ファン1000人を対象に実施した歴代最高の外国人選手を問うアンケート調査でも、348票を獲得して1位に輝いている<ref name="東亜日報2016-02-17">{{Cite news |title=ファンが選ぶ歴代最高の外国人選手は「黒熊」ウッズ |newspaper=東亜日報 |date=2016-02-17 |author=ファン・ギュイン |url=http://www.donga.com/jp/article/all/20160217/525597/ |accessdate=2019-08-04 |publisher=東亜日報社|publication-place=大韓民国・ソウル特別市鍾路区 |language=ja |archiveurl=https://web.archive.org/web/20190804140837/http://www.donga.com/jp/article/all/20160217/525597/ |archivedate=2019年8月4日}}</ref>。KBOは2022年に発足40周年を記念し、ファン投票で「レジェンド40人」を選出したが、この中で選出された外国人選手はウッズと[[ダスティン・ニッパート]]の2人である<ref name="ハンギョレ20221101"/><ref name="타이론 우즈 이야기"/>。ウッズは2022年、ベアーズとKBOについて「私が実力を発揮できるように機会を与えた」として感謝の旨を述べており、また韓国時代の思い出としては1998年にシーズン本塁打新記録を樹立したこと、そして2001年に[[韓国シリーズ]]優勝を達成したことを挙げている<ref name="ハンギョレ20221101"/>。
韓国時代の登録名は'''ウジュ'''('''우즈''')で<ref name="東亜日報2016-02-17"/>、[[野球の背番号|背番号]]は'''33'''<ref>{{Cite web |url=https://www.koreabaseball.com/Record/Player/HitterDetail/Basic.aspx?playerId=98233 |title=타자 | 선수 기록 | 기록실 | 기록/순위 |access-date=2025-04-20 |publisher=KBO |language=ko |archive-url=https://web.archive.org/web/20250420140324/https://www.koreabaseball.com/Record/Player/HitterDetail/Basic.aspx?playerId=98233 |archive-date=2025-04-20 |url-status=live}}</ref><ref name="타이론 우즈 이야기"/>。ファンから「'''黒熊'''」のニックネームで親しまれていた<ref name="スポニチ2009-09-01">{{Cite news |title=【9月4日】2008年(平20) T・ウッズ、外国人初の6年連続!それでもイヤな予感が… |newspaper=Sponichi Annex([[スポーツニッポン]]) |date=2009-09-01 |origdate=2008-09-04 |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/yomimono/professional_bbd0709/kiji/K20090901Z00003020.html |accessdate=2019-08-04 |publisher=スポーツニッポン新聞社 |language=ja |archiveurl=https://web.archive.org/web/20190804142404/https://www.sponichi.co.jp/baseball/yomimono/professional_bbd0709/kiji/K20090901Z00003020.html |archivedate=2019年8月4日}}</ref>。蚕室野球場で開催されるベアーズのホームゲームの際、右中間の外野席には常に「WOODS HOMERUN」という横断幕が掲げられていた<ref name="타이론 우즈 이야기"/>。
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韓国プロ野球を主催する[[韓国野球委員会]] (KBO) は、1982年の創設以来禁止していた外国人選手の採用を1998年シーズンより解禁することを決めており、1997年10月から11月にかけて、アメリカ合衆国のマイナーリーグ球団を退団した選手の中から韓国でのプレーを希望する者を募集していた<ref name="週刊ベースボール19971208"/>。
KBOは応募者約50人をフロリダ州に集め、各球団のコーチやスカウトの立ち会いの下で[[トライアウト|入団テスト]]を行い{{Efn2|1997年・1998年は各球団がドラフト形式のトライアウトを通じて外国人選手を獲得していたが、1999年以降は自由競争で外国人選手を獲得することが認められている<ref>『日刊スポーツ』1998年12月31日付6頁「韓国野球委員会 1999年シーズン後のFA制導入を決定」(日刊スポーツ新聞社 ソウル=趙海衍通信員)</ref>。}}<ref name="週刊ベースボール19971208">『[[週刊ベースボール]]』第52巻第55号(通巻:第2267号)、[[ベースボール・マガジン社]]、1997年12月8日、100頁、「気になる隣国のベースボール 大韓民国最新プロ野球事情」{{NDLJP|7910083/51}}</ref>、韓国時間の11月14日、同州[[セントピーターズバーグ (フロリダ州)|セントピーターズバーグ]]にある[[ヒルトン|ヒルトンホテル]]で外国人選手ドラフト会議を行った<ref name="KBO리그 40"/><ref name="두산베어스20220822">{{Cite web |url=https://www.doosanbears.com/doorundoorun/blog/343 |title=<nowiki>[이재국의 베팬알백] <50편> ‘우동수 트리오’ 탄생과 ‘OB 베어스’의 마지막 시즌</nowiki> |access-date=2025-04-20 |date=2022-08-22 |publisher=[[斗山ベアーズ|두산베어스]] |author=이재국 |website= |language=ko |archive-url=https://megalodon.jp/2025-0421-0020-02/https://www.doosanbears.com:443/doorundoorun/blog/343 |archive-date=2025-04-20}}</ref>。KBO加盟8球団のうち、[[サンバンウル・レイダース]]を除く各7球団がドラフト指名を経て外国人選手を各2人獲得したが{{Efn2|後にヘテ・タイガースも獲得を見送ったため、最終的には6球団に10人の外国人選手が入団したことになる<ref name="週刊ベースボール19980323"/>。}}<ref name="週刊ベースボール19971208"/>、ウッズはこのドラフト会議でOBベアーズ({{by|1999年}}以降は「[[斗山ベアーズ]]」)から第2指名を受け<ref name="두산베어스20220822"/>、OBに入団することが決まった<ref name="週刊ベースボール19980323">『週刊ベースボール』第55巻第11号(通巻:第2281号)、ベースボール・マガジン社、1998年3月23日、100頁、「気になる隣国のベースボール 大韓民国最新プロ野球事情」{{NDLJP|7910097/51}}</ref>。OBの関係者が1996年に入手したスカウティングレポートによれば、ウッズはマイナーリーグの有望株トップ100には入っておらず、打撃面は秀でているが守備に難があるという評価をされていた<ref name="KBO리그 40"/>。
初年度となる1998年シーズンの[[年俸]]は7万4000[[アメリカ合衆国ドル|ドル]]、[[契約金]]は2万ドルで<ref name="週刊ベースボール19980608"/><ref name="週刊ベースボール19981214"/>、30本塁打以上を打てば6000ドルの出来高がつく契約だった<ref name="KBO리그 40"/>。なおウッズは当時、韓国でも成功できなかった場合はプロ野球選手を[[引退]]してアメリカ合衆国に帰国し、[[消防士]]になろうと考えていたという<ref name="KBO리그 40">{{Cite web |url=https://m.sports.naver.com/kbo40/legend/37 |title=레전드 37 스포츠 프로야구 첫 외인, '충격과 공포'의 우즈 |access-date=2025-05-09 |publisher=[[ネイバー|네이버]] |author=김양희 |year=2022 |website=KBO리그 40 |language=ko |archive-url=https://web.archive.org/web/20250509031616/https://m.sports.naver.com/kbo40/legend/37 |archive-date=2025-05-09 |url-status=live |url-status-date=2025-05-09}}</ref><ref>{{Cite news |title=새 외인 몸값 제한됐어도 코리안드림은 현재진행형 |newspaper=[[スポーツソウル|스포츠서울]] |date=2018-09-17 |author=윤세호 |url=https://www.sportsseoul.com/news/read/681148 |access-date=2025-04-21 |publisher=한류타임즈 |language=ko |archive-url=https://web.archive.org/web/20250421154313/https://www.sportsseoul.com/news/read/681148 |archive-date=2025年4月21日}}</ref>。また入団交渉の際には[[ボルチモア]]在住のウッズの代理人が交渉の場であるフロリダまで来なかったため、後にOB(斗山)でウッズの通訳を担当するOB球団スカウト部長のチョ・ソンイル (조성일) がウッズの個人電話を借り、入団交渉を行ったが、代理人側がより有利な条件を要求して通話が長時間におよんだところ、ウッズは[[電話料金]]を気にしてチョに対し電話を早く切るよう要求、代理人に対しても長電話をしないように伝え、OB球団側が提示した条件を受け入れようとしたという<ref name="두산베어스20220822"/>。
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1998年4月11日に[[光州無等総合競技場野球場]]で開催された[[起亜タイガース|ヘテ・タイガース]]対OBベアーズの[[開幕戦]]で、ウッズは2回表にヘテの[[エース (野球)|エース]]・[[李大振]]から左翼方向への1号本塁打を放った<ref>{{Cite web |url=https://www.doosanbears.com/doorundoorun/blog/343 |title=[이재국의 베팬알백] <94>2018년 압도적 정규시즌과 LG전 전승 도전 이야기 |access-date=2025-04-13 |date=2024-03-29 |publisher=[[斗山ベアーズ|두산 베어스]] |author=이재국 |language=ko |archive-url=https://megalodon.jp/2025-0413-1837-36/https://www.doosanbears.com:443/doorundoorun/blog/509 |archive-date=2025-04-13 |url-status=live}}</ref><ref name="두산베어스20220822"/>。KBOで[[初打席本塁打]]を記録した外国人打者は、2022年9月時点でこのウッズを含め5人のみである<ref name="スポーツソウル2"/>。しかし当初は外角球と変化球に苦戦し、[[野球評論家]]やファンからは[[二軍]]降格や解雇を求める声も上がっていた<ref name="타이론 우즈 이야기"/>。そのような状況の中でも[[プロ野球監督|監督]]の[[金寅植]]はウッズを辛抱強く中軸として起用し、やがてウッズも韓国球界の[[ストライクゾーン]]に順応し、その強力なパワーで本塁打を量産していった<ref name="타이론 우즈 이야기"/>。当時、ウッズが使っていたバットは長さ35[[インチ]]、重さ920[[グラム]]だった<ref name="KBO리그 40"/>。
5月17日に釜山で開催された[[ロッテ・ジャイアンツ]]との[[ダブルヘッダー]]第1試合で、2点を追っていた3回表に無死満塁で[[車明珠]]から左翼方向へ本塁打を打ち、外国人選手として初の[[満塁本塁打]]を記録した<ref name="週刊ベースボール19980608"/>。同月21日時点では打率.295、8本塁打、21打点と好成績を残し、チームの中心打者となっていると報じられていた<ref name="週刊ベースボール19980608">『週刊ベースボール』第53巻第22号(通巻:第2292号)、ベースボール・マガジン社、1998年6月8日、106頁、「気になる隣国のベースボール 大韓民国最新プロ野球事情」</ref>。夏場までは[[サムスン・ライオンズ]]の[[李承燁 (野球)|李承燁]]に本塁打数で大差をつけられていたが、真夏に入って本塁打を量産し、9月13日には李承燁と並ぶ37号本塁打を記録した<ref name="두산베어스20220822"/>。9月16日時点では110試合に出場し、リーグ5位の打率.309(李承燁と同率)、37本塁打、93打点を記録しており、打率・打点はいずれもチームトップだった<ref name="週刊ベースボール19981005"/>。また[[現代ユニコーンズ]]の[[スコット・クールボー]](同日時点で打率ランキング4位の.316、26本塁打、96打点)とともに、当時最も活躍している外国人選手として報じられていた<ref name="週刊ベースボール19981005">『週刊ベースボール』第53巻第41号(通巻:第2311号)、ベースボール・マガジン社、1998年10月5日、104頁、「気になる隣国のベースボール 大韓民国最新プロ野球事情」</ref>。8月時点でウッズの本塁打数は李承燁の本塁打数を7本下回っていたが、やがてウッズはハイペースで本塁打を量産するようになった一方、李承燁はスランプに陥り、終盤にウッズに本塁打数で追い抜かれて[[KBO本塁打王|本塁打王]]のタイトルを逸する結果となった<ref name="타이론 우즈 이야기"/>。
最終的には来韓1年目で全126試合に出場<ref name="週刊ベースボール19981214"/>、[[張鍾勲]]([[ハンファ・イーグルス|ピングレ・イーグルス]]、{{by|1992年}})が保有していた韓国記録のシーズン41本塁打を更新する歴代最多(当時)の42本塁打を放ち<ref name="東亜日報2016-02-17"/>、本塁打王・{{仮リンク|打点王|ko|KBO 타점상|label=打点王}}(103打点)の二冠を獲得した<ref name="週刊ベースボール19981214"/>。本塁打数の月ごとの内訳は、4月が4本塁打、5月が6本塁打、6月から8月の3か月が各7本塁打、9月が10本塁打である<ref name="타이론 우즈 이야기"/>。10月1日にOBの本拠地である蚕室野球場で開催された[[現代ユニコーンズ]]戦では、4回裏に[[鄭珉台]]の投じた[[スライダー (球種)|スライダー]]([[球速]]130 [[キロメートル毎時|km/h]])を打ち、張鍾勲の記録を塗り替える42号2点本塁打としたが、この本塁打の打球飛距離は同年の公式打球飛距離記録としては最長となる飛距離140 [[メートル|m]]であった<ref name="타이론 우즈 이야기"/>。またこの本塁打で2打点を挙げたことにより、ウッズの打点はそれまでトップだった李承燁を上回る103となった<ref name="KBO리그 40"/>。この本塁打記録は長らく球団史上最多本塁打記録でもあったが、2018年に[[金宰煥]]が44本塁打を記録したことで更新されている<ref>{{Cite web |url=https://www.doosanbears.com/doorundoorun/blog/509 |title=[이재국의 베팬알백] <94>2018년 압도적 정규시즌과 LG전 전승 도전 이야기 |access-date=2025-04-13 |date=2024-03-29 |publisher=[[斗山ベアーズ|두산 베어스]] |author=이재국 |language=ko |archive-url=https://megalodon.jp/2025-0413-1837-36/https://www.doosanbears.com:443/doorundoorun/blog/509 |archive-date=2025-04-13 |url-status=live}}</ref>。なお蚕室野球場で放った本塁打は24本塁打で、これはベアーズの選手として初の20本塁打以上である<ref>{{Cite web |url=https://www.doosanbears.com/doorundoorun/blog/508 |title=[이재국의 베팬알백] <93> 준우승으로 끝난 2017년, ‘두산왕조’ 3연패 실패 |access-date=2025-04-13 |date=2024-03-29 |publisher=[[斗山ベアーズ|두산 베어스]] |author=이재국 |language=ko |archive-url=https://megalodon.jp/2025-0413-1857-20/https://www.doosanbears.com:443/doorundoorun/blog/508 |archive-date=2025-04-13 |url-status=live}}</ref>。また打点記録は1995年に{{仮リンク|金湘昊|ko|김상호 (1965년)}}が樹立した球団の最多打点記録 (101) を更新するものだったが、これも2018年に金宰煥(133打点)によって更新されている<ref name="타점왕"/>。なお、ベアーズの選手としては初めてシーズン30本塁打とシーズン100打点を同時に達成した打者でもある<ref>{{Cite web |url=https://www.koreabaseball.com/MediaNews/News/Interview/View.aspx?bdSe=58079 |title=<nowiki>스타 인터뷰 | 뉴스 | 미디어/뉴스</nowiki> |access-date=2025-05-11 |publisher=KBO |year=2024 |language=ko |archive-url=https://web.archive.org/web/20250511141322/https://www.koreabaseball.com/MediaNews/News/Interview/View.aspx?bdSe=58079 |archive-date=2025-05-11 |url-status=live |url-status-date=2025-05-11}}</ref>。
また[[長打率]]も.619を記録したが、李承燁が.621を記録したため、リーグ2位に終わった<ref name="이야기"/>。これはウッズの[[二塁打]]が32本にとどまった一方、李承燁はウッズをはるかに上回る38二塁打を記録したためである<ref name="이야기">{{Cite web |url=https://www.doosanbears.com/doorundoorun/blog/573 |title=[이재국의 베팬알백] 별책부록 <21> KBO & 베어스 역사 속 장타율 이야기 |access-date=2025-04-18 |date=2025-01-20 |publisher=[[斗山ベアーズ|두산 베어스]] |author=이재국 |language=ko |archive-url=https://megalodon.jp/2025-0418-2356-11/https://www.doosanbears.com:443/doorundoorun/blog/573 |archive-date=2025-04-18 |url-status=live}}</ref>。
以上の活躍を受け、タイロン・ウッズはプロゴルファーの[[タイガー・ウッズ]]をもじって「韓国プロ野球界のウッズ」と呼ばれた<ref>『週刊ベースボール』第55巻第43号(通巻:第2313号)、ベースボール・マガジン社、1998年10月19日、102頁、「気になる隣国のベースボール 大韓民国最新プロ野球事情」</ref>。また同年はウッズだけでなく、チームメイトの[[金東柱]]も24本塁打・89打点、[[沈正洙]]も19本塁打・73打点を記録したことから、この3人は「우동수 트리오」(ウドンス・トリオ)や「공포의 삼총사」(恐怖の[[三銃士]])と形容された<ref name="두산베어스20220822"/>。同年10月8日には、韓国プロ野球記者協会により外国人選手としては初めてシーズンの[[KBO MVP|最優秀選手 (MVP) ]]に選出された<ref>『[[中日新聞]]』1998年10月9日朝刊第一運動スポーツ面33頁「【ソウル・[[共同通信社]]】最多本塁打ウッズ 初の外国人MVP 韓国プロ野球」([[中日新聞社]])</ref>。ベアーズの選手のシーズンMVPは、1982年の[[朴哲淳]]、1995年の{{仮リンク|金湘昊|ko|김상호 (1965년)}}に続き、3人目であった<ref name="두산베어스20220822"/>。しかし[[KBOゴールデングラブ賞|ゴールデングラブ賞]]の一塁手部門にはウッズではなく、李承燁が選出されており、2022年時点でシーズンMVP受賞選手がゴールデングラブ賞に選出されなかった事例はこのウッズが唯一である<ref name="두산베어스20220822"/>。またウッズの活躍は韓国球界に衝撃を与え、多くのチームが外国人の強打者を複数人同時起用するきっかけになったとされている<ref name="運動視界"/>。実際にリーグの平均防御率は1998年に3.99だったのが、1999年には4.98に急上昇し、2000年は4.64、2001年も4.71だった<ref name="運動視界">{{Cite news |title=雙洋砲再現中華職棒?從韓國職棒洋將變革探討未來趨勢 |newspaper=運動視界 Sports Vision |date=2020-05-02 |author=transquirrel |url=https://www.sportsv.net/articles/73663 |access-date=2025-10-08 |publisher=TNL Mediagene |page=1 |language=zh |archive-url=https://web.archive.org/web/20251008143136/https://www.sportsv.net/articles/73663 |archive-date=2025-10-08}}</ref>。
一方で同年オフには[[日本野球機構|日本のプロ野球 (NPB) ]]球団からオファーを受けており<ref name="週刊ベースボール19981214"/>、実際にNPBの[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ]]への金銭トレードが噂されていた<ref name="スポーツ報知19981110">『[[スポーツ報知]]』1998年11月10日2頁「[[ホセ・パーラ|パラ]]投手 巨人入り 三星(韓国)が契約合意 MAX150キロの右腕 年俸交渉残すだけ 移籍金1千万円」「韓国プロ野球の事情」([[報知新聞社]])</ref>。ヤクルトは同年オフ、監督が[[野村克也]]から[[若松勉]]に交代したことから一発長打のある外国人選手の獲得を目指しており、11月1日までにウッズの身分照会を済ませ、[[西都原運動公園野球場|西都]]秋季[[キャンプ (日本プロ野球)|キャンプ]]にウッズを招待して実戦形式の入団テストを行うことを予定していた<ref name="日刊スポーツ19981102">『日刊スポーツ』1998年11月2日付2頁「ヤクルト 韓国プロ野球で本塁打新記録を樹立した、タイロン・ウッツを獲得へ」(日刊スポーツ新聞社)</ref>。その要因として、当時の韓国は日本以上の深刻な不況にあり、プロ野球の観客動員数が激減していたことに加え、親会社も経営が苦しくなっていた球団が多かったという事情があった<ref name="スポーツ報知19981110"/>。ウッズは斗山に対し、22万ドル以上の年俸をもらえなければオファーを送ってきたNPB球団に移籍する旨をOBに伝え、OBもウッズの要求を呑んだため、年俸22万ドル{{Efn2|韓国ウォンでは3億2000万ウォン、日本円では約2100万円と報じられている<ref>『日刊スポーツ』1998年11月19日付4頁「韓国プロ野球 OB ヤクルトのテストを受ける予定だったウッツの残留が決定」(日刊スポーツ新聞社 ソウル=趙海衍通信員)</ref>。}}で翌1999年シーズンの契約を結んだ<ref name="週刊ベースボール19981214">『週刊ベースボール』第55巻第53号(通巻:第2323号)、ベースボール・マガジン社、1998年12月14日、134頁、「気になる隣国のベースボール 大韓民国最新プロ野球事情」{{NDLJP|7910135/68}}</ref>。また同シーズン終盤には右手親指と人差し指の付け根を痛めており、翌1999年シーズン開幕直前時点でもスローペースの調整が続いていた<ref>『週刊ベースボール』第54巻第14号(通巻:第2339号)、ベースボール・マガジン社、1999年4月12日、104頁、「気になる隣国のベースボール 大韓民国最新プロ野球事情」</ref>。
李承燁とは韓国球界時代からライバル関係で<ref>{{Cite news |title=キーワードで見た06シーズンの李承鎏 |newspaper=東亜日報 |date=2006-10-11 |author= |url=http://www.donga.com/jp/article/all/20061011/295576/ |accessdate=2019-08-04 |publisher=東亜日報社|publication-place=大韓民国・ソウル特別市鍾路区 |language=ja |archiveurl=https://web.archive.org/web/20190804142313/http://www.donga.com/jp/article/all/20061011/295576/ |archivedate=2019年8月4日}}</ref>、李は後にNPBでも[[読売ジャイアンツ]](巨人)に所属して{{by|2006年}}にウッズと[[セントラル・リーグ|セ・リーグ]]の[[最多本塁打 (日本プロ野球)|本塁打王]]を競い合ったが<ref>{{Cite news |title=李承鎏、本塁打王の夢あきらめる |newspaper=東亜日報 |date=2006-10-09 |author= |url=http://www.donga.com/jp/article/all/20061009/295544/ |accessdate=2019-08-04 |publisher=東亜日報社|publication-place=大韓民国・ソウル特別市鍾路区 |language=ja |archiveurl=https://web.archive.org/web/20190804141816/http://www.donga.com/jp/article/all/20061009/295544/ |archivedate=2019年8月4日}}</ref>、後に当時の自分の目標は本塁打王や打点王ではなく、ウッズに勝つことだったと述べている<ref name="東亜日報2016-02-17"/>。
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李承燁は翌{{by|1999年}}8月2日、シーズン99試合目の<ref name="東京新聞1999-10-18">『[[東京新聞]]』1999年10月18日朝刊第一運動スポーツ面21頁「99日韓スーパーゲーム 隣国のヒーローたち 李承燁内野手 三星 勝負心待ち『韓国の松井』」([[中日新聞東京本社]]・記者:田中浩一郎)</ref>対[[ロッテ・ジャイアンツ]]戦([[大邱市民運動場野球場]])で、[[文東煥]]からウッズの記録を塗り替える43号本塁打を放ち<ref>『中日新聞』1999年8月3日朝刊第二運動スポーツ面18頁「韓国の大砲、プロ野球新記録 李承燁、43号本塁打」([[中日新聞社]]・ソウル2日 山本勇二)</ref>、最終的にはシーズン54本塁打を記録している<ref name="東京新聞1999-10-18"/>。ベアーズの球団名が前年までの「OBベアーズ」から「斗山ベアーズ」に改称された同シーズン、ウッズは34本塁打、101打点を記録し、チームメイトの金東柱(22本塁打・84打点)、沈正洙(31本塁打・110打点)とともに計87本塁打を記録した<ref name="두산베어스20220822"/>。なお斗山で2年連続30本塁打・100打点を達成した選手はウッズが初であり、2017年9月時点でウッズと[[金宰煥]]の2人のみである<ref>{{Cite news |title=김재환, 타이론 우즈에 이어 두산 선수로서 2년 연속 30홈런 100타점 달성 |newspaper=[[:w:ko스포츠경향|스포츠경향]] |date=2017-09-09 |author=김세훈 |url=https://sports.khan.co.kr/article/201709091957003 |access-date=2025-04-25 |publisher=스포츠경향 |language=ko |archive-url=https://web.archive.org/web/20250425145016/https://sports.khan.co.kr/article/201709091957003 |archive-date=2025-04-25}}</ref>。同年、チームはレギュラーシーズンを1位で終え、同年の[[ハンファ・イーグルス]]との{{仮リンク|KBOポストシーズン|ko|KBO 포스트시즌}}(プレーオフ)に臨んだ。ウッズは蚕室野球場で開催された第1戦で<ref name="PO 악몽의 4전패">{{Cite web |url=https://www.doosanbears.com/doorundoorun/blog/399 |title=<nowiki>[이재국의 베팬알백] <53편> 역사상 유일…정규시즌 기적의 1위→PO 악몽의 4전패 '소용돌이'</nowiki> |access-date=2025-04-29 |date=2023-05-29 |publisher=[[斗山ベアーズ|두산 베어스]] |author=이재국 |language=ko |archive-url=https://megalodon.jp/2025-0419-1217-09/https://www.doosanbears.com:443/doorundoorun/blog/399 |archive-date=2025-04-19 |url-status=live}}</ref>、4回裏に[[宋津宇]]から、球団史上初めてとなる外国人選手のポストシーズンでの本塁打を記録し、また6回裏には沈正洙が、7回裏にもウッズがそれぞれ1点本塁打を放ち、球団史上初となるポストシーズン1試合3本塁打を記録したが、チームはこの試合に敗れた<ref name="포스트시즌"/>。その後、ウッズは蚕室で開催された第2戦でも5回裏に2点本塁打を放ち、[[大田ハンバッ運動場野球場]]で開催された第4戦でも2点本塁打を放ったため<ref name="PO 악몽의 4전패"/>、単一シリーズ4本塁打を記録したが、チームは4連敗で敗退した<ref name="포스트시즌"/>。レギュラーシーズンを1位で終えたチームがプレーオフ4戦全敗を喫する形で韓国シリーズ出場を逃したのは、同年の斗山が初めてである<ref name="PO 악몽의 4전패"/>。
{{by|2000年}}、ウッズはレギュラーシーズンで打率.315、39本塁打を記録した<ref name="KS 진출하기까지"/>。同シーズンには通算324試合目で通算100本塁打を達成したが、これは{{by|2016年}}に[[エリック・テームズ]]に更新されるまで、韓国球界史上最速記録だった<ref>{{Cite news |title=<nowiki><프로야구> 테임즈 "우즈 놀라운 선수…그의 대기록 깨 좋다" 역대 최소경기 100홈런 달성…공 주운 홈팬도 흔쾌히 돌려주며 축하</nowiki> |newspaper=[[聯合ニュース|연합뉴스]] |date=2016-06-02 |author=박정헌 |url=https://www.yna.co.kr/view/AKR20160602197100007 |access-date=2025-10-12 |publisher=연합뉴스 |language=ko |archive-url=https://web.archive.org/web/20251012142527/https://www.yna.co.kr/view/AKR20160602197100007 |archive-date=2025-10-12}}</ref>。同年の[[LGツインズ]]とのKBOポストシーズン(プレーオフ)で、斗山は計6本塁打を放ち、LGを撃破した<ref name="포스트시즌"/>。ウッズは現代との[[韓国シリーズ]]でも3本塁打を記録したが、3勝4敗で準優勝に終わった<ref name="포스트시즌">{{Cite web |url=https://www.doosanbears.com/doorundoorun/blog/552 |title=[이재국의 베팬알백] 별책부록 <7> 베어스 포스트시즌 홈런 역사 이야기 |access-date=2025-04-13 |date=2024-10-08 |publisher=[[斗山ベアーズ|두산 베어스]] |author=이재국 |language=ko |archive-url=https://megalodon.jp/2025-0413-1838-13/https://www.doosanbears.com:443/doorundoorun/blog/552 |archive-date=2025-04-13 |url-status=live}}</ref>。また同年は[[KBOオールスターゲーム|韓国プロ野球オールスター戦]]の出場選手に3年目で初めて選出され<ref name="타이론 우즈 이야기"/>、ドリームチーム(東軍)の一員として出場<ref name="올스타전"/>。同年7月23日に[[済州島]]の{{仮リンク|済州野球場|ko|제주오라종합경기장 야구장}}で開催された[[本塁打競争]]では9本塁打を放って優勝した<ref name="올스타전">{{Cite web |url=https://www.koreabaseball.com/Schedule/Allstar/History/History2024.aspx |title=<nowiki>HISTORY | 올스타전 | 일정/결과</nowiki> |access-date=2025-05-11 |publisher=KBO |year=2024 |language=ko |archive-url=https://web.archive.org/web/20250511140300/https://www.koreabaseball.com/Schedule/Allstar/History/History2024.aspx |archive-date=2025-05-11 |url-status=live |url-status-date=2025-05-11}}</ref>。外国人選手の本塁打競争優勝は、韓国プロ野球オールスター戦史上初だった<ref>{{Cite news |title=한화 로사리오, 이대호 꺾고 홈런레이스 우승 SBS |newspaper=SBS 뉴스 |date=2017-07-15 |author=소환욱 |url=https://news.sbs.co.kr/news/endPage.do?news_id=N1004297674 |access-date=2025-04-25 |publisher=[[SBS (韓国)|SBS]] |language=ko |archive-url=https://web.archive.org/web/20250425144301/https://news.sbs.co.kr/news/endPage.do?news_id=N1004297674 |archive-date=2025-04-25}}</ref>。なお、同年は金東柱も打率.339、31本塁打、106打点を記録、沈正洙も打率.265、21本塁打、75打点を記録した<ref name="KS 진출하기까지"/>。また、同年には[[指名打者]] (DH) 部門で[[KBOゴールデングラブ賞|ゴールデングラブ賞]]を受賞している<ref>{{Cite web |url=https://www.koreabaseball.com/Player/Awards/GoldenGlove.aspx |title=선수 > 수상 현황 > 골든글러브 |access-date=2025-05-09 |publisher=[[韓国野球委員会|KBO]] |year=2022 |language=ko |archive-url=https://web.archive.org/web/20250509034428/https://www.koreabaseball.com/Player/Awards/GoldenGlove.aspx |archive-date=2025-05-09 |url-status=live |url-status-date=2025-05-09}}</ref>。
==== 2001年 ====
{{by|2001年}}の年俸は15万ドル(約1億7700万ウォン)だった<ref name="KBO리그 40"/>。同年、斗山はウッズや金東柱とともに強力クリーンアップを担っていた沈正洙を現代に放出し、トレードで{{仮リンク|沈哉学|ko|심재학}}を獲得した<ref name="KS 진출하기까지">{{Cite web |url=https://www.doosanbears.com/doorundoorun/blog/417 |title=<nowiki>[이재국의 베팬알백] <59편> 10승 투수 1명 없이…‘미러클 두산’ 2001년 KS 진출하기까지</nowiki> |access-date=2025-04-29 |date=2023-07-10 |publisher=[[斗山ベアーズ|두산 베어스]] |author=이재국 |language=ko |archive-url=https://megalodon.jp/2025-0429-2331-30/https://www.doosanbears.com:443/doorundoorun/blog/417 |archive-date=2025-04-29 |url-status=live}}</ref>。このため「ウドンス・トリオ」は解体され、それに反発した斗山ファンの中には球場に観戦に行くことをやめようとする動きもあったが、トレードで加入した沈哉学は開幕後に活躍を遂げ、新たに「우동학 트리오」(ウドンハク・トリオ)と呼ばれる中心打線を形成した<ref name="KS 진출하기까지"/>。
同年7月17日に蚕室野球場で開催された[[KBOオールスターゲーム|韓国プロ野球オールスター戦]]で、ウッズは東軍の3番打者として先発出場すると、1回表に西軍の[[先発投手]]・[[金守経]](現代)から先制1点本塁打を打ち、3回、4回、8回にも安打を記録した<ref name="타이론 우즈 이야기"/>。結果、東軍は6対2で西軍に勝利した<ref name="올스타전"/>。これにより、KBOの歴代オールスターゲームの試合最多安打タイ記録を樹立、MVPを決める記者投票では計56票のうち53票を獲得<ref name="타이론 우즈 이야기"/>、MVPに選出され<ref>{{Cite news |title=今日、2002韓国プロ野球オールスター戦 |newspaper=東亜日報 |date=2002-07-16 |author=金相洙 |author2=梁鍾久 |url=http://www.donga.com/jp/article/all/20020716/269492/ |accessdate=2019-08-04 |publisher=東亜日報社|publication-place=大韓民国・ソウル特別市鍾路区 |language=ja |archiveurl=https://web.archive.org/web/20190804140221/http://www.donga.com/jp/article/all/20020716/269492/ |archivedate=2019年8月4日}}</ref>、賞金1000万[[大韓民国ウォン|ウォン]]を獲得した<ref name="타이론 우즈 이야기"/>。ベアーズの選手としてはオールスターゲームMVP選出は1983年(OBベアーズ時代)の{{仮リンク|申慶植|ko|신경식 (야구인)}}に次ぐ史上2番目で、斗山としては史上初である<ref name="타이론 우즈 이야기"/>。
またレギュラーシーズンでも打率.291<ref name="KS 진출하기까지"/>、34本塁打<ref name="KS 진출하기까지"/><ref name="최다홈런">{{Cite web |url=https://www.doosanbears.com/doorundoorun/blog/548 |title=[이재국의 베팬알백] 별책부록 <5> 김우열부터 양석환까지…베어스 토종 우타거포 계보와 최다홈런 이야기 |access-date=2025-04-13 |date=2024-09-19 |publisher=[[斗山ベアーズ|두산 베어스]] |author=이재국 |language=ko |archive-url=https://megalodon.jp/2025-0413-1846-38/https://www.doosanbears.com:443/doorundoorun/blog/548 |archive-date=2025-04-13 |url-status=live}}</ref>、113打点を記録し、自身2度目の打点王を獲得した<ref name="타점왕">{{Cite web |url=https://www.doosanbears.com/doorundoorun/blog/574 |title=[이재국의 베팬알백] 별책부록 <22> KBO & 베어스 역사 속 타점왕 이야기 |access-date=2025-04-13 |date=2025-01-20 |publisher=[[斗山ベアーズ|두산 베어스]] |author=이재국 |language=ko |archive-url=https://megalodon.jp/2025-0413-1837-23/https://www.doosanbears.com:443/doorundoorun/blog/574 |archive-date=2025-04-13 |url-status=live}}</ref>。打率と本塁打はそれぞれ前年の.315、39本塁打より数字を落としたが、打点はキャリアハイだった<ref name="KS 진출하기까지"/>。なお、2024年シーズンまでに斗山で複数回打点王を獲得した打者はウッズが唯一である<ref name="타점왕"/>。また1998年から2001年まで4シーズン連続で30本塁打以上を記録したが、これはKBOでプレーした外国人打者としては2022年時点で唯一である<ref name="スポーツソウル2">{{Cite news|和書 |title=元横浜、中日タイロン・ウッズ、韓国プロ野球を代表する“強打者”として「レジェンド40人」に選出! |newspaper=[[スポーツソウル]] |date=2022-09-12 |url=https://sportsseoulweb.jp/sports_topic/id=59250?pageID=2 |access-date=2025-04-20 |publisher=[[韓流タイムズ]] |page=2 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20250420150951/https://sportsseoulweb.jp/sports_topic/id=59250?pageID=2 |archive-date=2025年4月20日}}</ref>。同年は金東柱も故障で103試合の出場にとどまりながらも打率.324、18本塁打、62打点を、沈哉学も打率.344、24本塁打、88打点を記録したため、「ウドンハク・トリオ」は3人で76本塁打、263打点を記録したことになる<ref name="KS 진출하기까지"/>。
同年のポストシーズンで斗山は、ハンファとの準プレーオフで3本塁打、現代とのプレーオフで7本塁打を記録し、2年連続で韓国シリーズ進出を達成した<ref name="포스트시즌"/>。
===== 韓国シリーズ =====
同年の韓国シリーズは、「歴代最強チーム」と呼ばれたサムスンとの対決になったが<ref name="포스트시즌"/>、ウッズは当時のサムスンの本拠地・[[大邱市民運動場野球場]]で開催された第1戦(10月20日)で3番打者として先発出場すると、0対3と負け越した状態で迎えた4回に先頭打者として、相手の先発投手である[[バルビーノ・ガルベス]]から1点本塁打を放つ<ref name="미러클 두산">{{Cite web |url=https://www.doosanbears.com/doorundoorun/blog/426 |title=<nowiki>[이재국의 베팬알백] <60편> 준PO→PO→KS…2001년 ‘미러클 두산’ KS 우승 이야기<상></nowiki> |access-date=2025-04-20 |date=2023-07-20 |publisher=[[斗山ベアーズ|두산 베어스]] |author=이재국 |language=ko |archive-url=https://megalodon.jp/2025-0420-2251-45/https://www.doosanbears.com:443/doorundoorun/blog/426 |archive-date=2025-04-20 |url-status=live}}</ref><ref>{{Cite news |title=<프로야구> 이승엽.우즈 PS 홈런왕 경쟁 |newspaper=[[聯合ニュース]] |date=2001-10-22 |url=https://www.yna.co.kr/view/AKR20011022001300007 |access-date=2023-01-30 |agency=聯合ニュース |language=ko |archive-url=https://web.archive.org/web/20230130134246/https://www.yna.co.kr/view/AKR20011022001300007 |archive-date=2023-01-30}}</ref>。その後、同点の3対3で迎えた5回表の打席では{{仮リンク|金玄旭|ko|김현욱 (야구인)}}から逆転適時打を放ったが、チームは後に再逆転を許し、最終的には4対7で敗北した<ref name="미러클 두산"/>。その後、チームは第2戦(10月22日){{Efn2|当初は10月21日に開催が予定されていたが雨天順延となった<ref name="미러클 두산"/>。}}を9対5で勝利し、本拠地の蚕室野球場で迎えた第3戦では、3対1とリードしていた3回裏、3番手投手の[[盧長震]]から左中間方向へ1点本塁打を放ち、チームは11対9で勝利した<ref name="미러클 두산"/>。この試合での両チームの合計得点は20点で、韓国シリーズの1試合の最多総得点の新記録だったが<ref name="미러클 두산"/>、続く第4戦(10月25日)では斗山が18点、サムスンが11点を獲得、早くもこの記録を更新した<ref name="우승 이야기"/>。この試合でウッズは3番打者・一塁手として先発出場し、1回裏に相手先発のガルベスからこのシリーズで3本目の本塁打となる先制2点本塁打を放つが、2回表に自身の失策からチームのピンチを招き、最終的にはこの回だけで8失点を許してしまう<ref name="우승 이야기"/>。しかしその回の裏に1点を返し、3対8と5点ビハインドで迎えた3回裏、ウッズは四球を選んで出塁し、後に無死満塁になった末に押し出し四球で生還、結果的にチームはこの回だけで12点を追加して逆転に成功、そのままリードを守って勝利した<ref name="우승 이야기"/>。10月27日に蚕室野球場で開催された第5戦(サムスンのホームゲームとして開催)でも、ウッズは3回表に1死2・3塁で打席を迎え、先制犠牲フライを放つが、チームはこの回の裏に4点を返され、最終的には4対14で敗戦した<ref name="우승 이야기"/>。
そして斗山のホームゲームとして蚕室野球場で開催された10月28日の第6戦では、1対2の1点ビハインドで迎えた5回裏の攻撃で、先発投手の[[盧長震]]に代わってリリーフで登板した{{仮リンク|金珍雄|ko|김진웅 (1980년)}}から逆転2点本塁打を放ったが、この打球は蚕室野球場における韓国シリーズで唯一の場外本塁打かつ最長距離本塁打(飛距離145 m)として記録されている<ref name="우승 이야기"/>。またこのシリーズ4本目となる本塁打により、ウッズは韓国シリーズ最多本塁打記録を樹立したが<ref name="포스트시즌"/>、前年の韓国シリーズでも3本塁打を記録していたため、この2シリーズで通算7本塁打を記録、韓国シリーズにおける個人の通算本塁打数の新記録を樹立した<ref name="우승 이야기"/>。前者の記録は{{by|2014年}}の韓国シリーズでサムスンの[[ヤマイコ・ナバーロ]]がタイ記録を<ref name="포스트시즌"/>、後者の記録も{{by|2022年}}に[[SKワイバーンズ]]の[[崔廷]]がそれぞれタイ記録を樹立している<ref name="우승 이야기"/>。またウッズは1999年から2001年までのポストシーズンで通算13本塁打(準プレーオフで1本塁打、プレーオフで5本塁打、韓国シリーズで7本塁打)を記録しており、この数字は歴代1位だったが、後に李承燁がNPBからKBOに復帰してから通算14本(準ポストシリーズ2本塁打、ポストシーズン6本塁打、韓国シリーズ6本塁打)へ更新したため、2024年時点では歴代2位となっている<ref name="포스트시즌"/>。その後、チームは7回表に3点を失い、3対5と再逆転を許すが、7回裏に2点を返して再び同点に追いつくと、ウッズは8回裏に無死1・2塁で打席を迎え、三塁ゴロに倒れながらも1死2・3塁のチャンスを作る<ref name="우승 이야기"/>。そしてその次の打席で、四番打者の{{仮リンク|沈哉學|ko|심재학}}が勝ち越しの犠牲フライを打ち、チームは6対5と再々逆転に成功、そのまま9回表を無失点で切り抜け、球団史上3回目、そして斗山ベアーズとしては初となる韓国シリーズ優勝を決めた<ref name="우승 이야기"/>。なお、準プレーオフ・プレーオフを勝ち進んで韓国シリーズを優勝したのは韓国球界史上、1992年の[[ロッテ・ジャイアンツ]]に続いて2球団目である<ref name="우승 이야기"/>。
このシリーズで、斗山は4勝2敗で6年ぶり通算3度目となるシリーズ優勝を達成、ウッズはこの優勝に貢献したことが評価され、シリーズMVPを獲得した<ref>『中日新聞』2001年10月29日朝刊第一運動スポーツ面21頁「斗山6年ぶりV 韓国プロ野球」【ソウル28日・[[共同通信社]]】</ref>。最終的なシリーズの打撃成績は6試合で打率.391(23打数9安打)、4本塁打、8打点で<ref name="우승 이야기">{{Cite web |url=https://www.doosanbears.com/doorundoorun/blog/429 |title=<nowiki>[이재국의 베팬알백] <61편> 준PO→PO→KS…2001년 ‘미러클 두산’ KS 우승 이야기<하></nowiki> |access-date=2025-04-18 |date=2024-03-21 |publisher=[[斗山ベアーズ|두산 베어스]] |author=이재국 |language=ko |archive-url=https://megalodon.jp/2025-0420-2302-53/https://www.doosanbears.com:443/doorundoorun/blog/429 |archive-date=2025-04-18 |url-status=live}}</ref>、敗れたサムスン監督の[[金應龍]]は「斗山に負けたのではなくウッズに負けた」と振り返った<ref name="KBO리그 40"/>。シリーズMVPを決める記者投票では全59票が投じられたが、その内訳はウッズが55票、[[鄭守根]]が3票、[[洪性炘]]が1票(いずれも斗山の選手)という結果だった<ref name="타이론 우즈 이야기"/>。ベアーズの選手の韓国シリーズMVP受賞は{{仮リンク|金裕東|ko|김유동}}(1982年)、{{仮リンク|金敏浩|ko|김민호 (1969년)}}に続き3人目だった<ref name="타이론 우즈 이야기"/><ref>{{Cite web |url=https://www.doosanbears.com/doorundoorun/blog/489 |title=[이재국의 베팬알백] <90>김태형호 2015년 KS 업셋 우승…'4전5기' 14년 만의 V4 |access-date=2025-04-18 |date=2024-03-21 |publisher=[[斗山ベアーズ|두산 베어스]] |author=이재국 |language=ko |archive-url=https://megalodon.jp/2025-0419-0008-24/https://www.doosanbears.com:443/doorundoorun/blog/489 |archive-date=2025-04-18 |url-status=live}}</ref>。またこのMVP受賞により、ウッズは韓国球界における初の「トリプルクラウン」(シーズンMVP・オールスターMVP・韓国シリーズMVP)達成者となった<ref>{{Cite web |url=https://www.doosanbears.com/doorundoorun/blog/527 |title=[이재국의 베팬알백]<에필로그> 박철순부터 김택연까지…43년 세월이 묶은 전설과 추억 |access-date=2025-04-18 |date=2024-05-28 |publisher=[[斗山ベアーズ|두산 베어스]] |author=이재국 |language=ko |archive-url=https://megalodon.jp/2025-0413-1852-24/https://www.doosanbears.com:443/doorundoorun/blog/527 |archive-date=2025-04-18 |url-status=live}}</ref><ref>{{Cite news |title=<プロ野球>斗山、通算3度目の優勝 ウッズはMVPに |newspaper=中央日報 |date=2001-10-28 |url=https://japanese.joins.com/JArticle/20550 |accessdate=2020-01-23 |publisher=中央日報社|publication-place=大韓民国・ソウル特別市[[中区 (ソウル特別市)|中区]] |language=ja |archiveurl=https://web.archive.org/web/20200123085156/https://japanese.joins.com/JArticle/20550 |archivedate=2019年1月23日}}</ref><ref name="中央日報2002-12-10"/>。このKBOにおける「トリプルクラウン」達成者は2022年シーズン終了時点で、ウッズと[[李鍾範]]{{Efn2|李鍾範は渡日前の1993年・1997年に韓国シリーズMVPを、1994年にレギュラーシーズンMVPを、そしてNPBからの帰国後の2003年にオールスターゲームのMVPを獲得した<ref name="타이론 우즈 이야기"/>。}}の2選手のみである<ref name="ハンギョレ20221101">{{Cite news |title=<nowiki>[단독] KBO ‘레전드 40인’ 타이론 우즈 “김동주·김민호 그립다” 〈한겨레〉에 레전드 선정 소감 전해와</nowiki> |newspaper=[[ハンギョレ|한겨레]] |date=2022-11-01 |author=김양희 |url=https://www.hani.co.kr/arti/sports/baseball/1065225.html |access-date=2025-10-12 |publisher=한겨레신문사 |language=ko |archive-url=https://web.archive.org/web/20251012141607/https://www.hani.co.kr/arti/sports/baseball/1065225.html |archive-date=2025-10-12}}</ref>。
=====
一方で同年オフには年俸を不満として、斗山球団に対し「来季は韓国でプレーしない」と揺さぶりをかけていた<ref name="東亜日報2002-11-22"/>。当時、後の所属球団であるNPBの[[中日ドラゴンズ]]は、[[山田久志]]新[[プロ野球監督|監督]]の下で主砲候補として新外国人の補強を狙っていたが、当時の中日一軍[[プロ野球コーチ#打撃コーチ|打撃コーチ]]・[[佐々木恭介]]はウッズを[[レオ・ゴメス]]に続く主砲候補として高く評価し<ref>{{Cite news |title=竜新大砲候補 ウッズ 韓国リーグ4年で149本 |newspaper=中日スポーツ |date=2001-10-20 |author= |url=http://chuspo.chunichi.co.jp/dragons/tp2001/tp1020-1.htm |accessdate=2020-01-03 |deadlinkdate=2020-01-03 |publisher=中日新聞社 |language=ja |archiveurl=https://web.archive.org/web/20011109115843/http://chuspo.chunichi.co.jp/dragons/tp2001/tp1020-1.htm |archivedate=2001年11月9日}}</ref>、同年10月23日からウッズの獲得調査を目的に訪韓、翌24日から開幕した斗山対サムスンの韓国シリーズを観戦していた<ref>{{Cite news |title=強竜打線復活へ きょう韓国シリーズ観戦 |newspaper=中日スポーツ |date=2001-10-24 |author= |url=http://chuspo.chunichi.co.jp/dragons/tp2001/tp1024-2.htm |accessdate=2020-01-03 |deadlinkdate=2020-01-03 |publisher=中日新聞社 |language=ja |archiveurl=https://web.archive.org/web/20011109222338/http://chuspo.chunichi.co.jp/dragons/tp2001/tp1024-2.htm |archivedate=2001年11月9日}}</ref>。また、同じく後にウッズが所属することになる[[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]も同年からウッズの獲得を検討していたと報じられている<ref name="日刊スポーツ20030207"/>。
中日は同月29日、ウッズの身分照会を行った<ref>『日刊スポーツ』2001年10月30日付4頁「中日 韓国プロ野球・斗山のタイロン・ウッズの身分照会、入団テスト実施へ」(日刊スポーツ新聞社)</ref>。しかし当時の中日の補強ポイントは[[外野手]]であった一方<ref>『中日新聞』2001年10月30日朝刊第一運動スポーツ面23頁「プロ野球短信 29日 【中日】ウッズをテスト」(中日新聞社)</ref>、当時ウッズは一塁手以外の守備位置に就いておらず、中日の一塁手としてはゴメスや[[山﨑武司]]{{Efn2|山﨑は同シーズンオフ、自身とゴメス、大豊の一塁手争いの場にウッズが加わることを懸念しており<ref>『日刊スポーツ』2001年10月26日付7頁「中日 山崎武司 今年取得したFA権を、行使する方針であることを明かす」(日刊スポーツ新聞社)</ref>、[[フリーエージェント (日本プロ野球)|フリーエージェント]] (FA) の権利を行使したが、最終的には中日に残留している<ref>『中日新聞』2001朝刊25頁「FA山崎武 中日残留 『地元に愛着 ファンのため』 3年4億5000万円」(中日新聞社)</ref>。}}・[[大豊泰昭]]が在籍していた<ref name="中スポ2001-10-28"/>。このため山田はウッズについて、打撃面だけならば申し分ないと評価しつつも、本人が承諾すれば同年11月の[[浜松球場|浜松]]秋季[[キャンプ (日本プロ野球)|キャンプ]]で外野手として使えるか守備テストを行うという方針を決めていたが、韓国から中日側に「外野守備は無理」という情報も入っていた<ref name="中スポ2001-10-28">{{Cite news |title=竜新外国人戦略長期戦か 獲得は来年3月以降にずれ込みも |newspaper=中日スポーツ |date=2001-10-28 |author= |url=http://chuspo.chunichi.co.jp/dragons/tp2001/tp1028-3.htm |accessdate=2020-01-03 |deadlinkdate=2020-01-03 |publisher=中日新聞社 |language=ja |archiveurl=https://web.archive.org/web/20020615011911/http://chuspo.chunichi.co.jp/dragons/tp2001/tp1028-3.htm |archivedate=2002年6月15日}}</ref>。結局、ウッズは日韓協定により、11月いっぱいまで斗山に拘束されることとなったため、最終的に中日はウッズの獲得を断念し、[[リーガ・メヒカーナ・デ・ベイスボル|メキシカンリーグ]]に在籍していた外野手の[[スコット・ブレット]]を新外国人として獲得<ref>{{Cite news |title=第3の外国人、合格 ブレッド2割7分、25本いける! |newspaper=中日スポーツ |date=2001-11-12 |author= |url=http://chuspo.chunichi.co.jp/dragons/tp2001/tp1112-3.htm |accessdate=2020-01-03 |deadlinkdate=2020-01-03 |publisher=中日新聞社 |language=ja |archiveurl=https://web.archive.org/web/20020131005304/http://chuspo.chunichi.co.jp/dragons/tp2001/tp1112-3.htm |archivedate=2002年1月31日}}</ref>、ウッズは斗山に残留することとなった<ref name="東亜日報2002-11-22"/>。同年オフ、ウッズは翌{{by|2002年}}シーズンの年俸を15万6000ドル(1億8000ウォン)とする条件で斗山と契約した<ref name="KBO리그 40"/>。
==== 2002年 ====
{{by|2002年}}は、1998年シーズンに韓国球界入りした外国人選手で唯一韓国5年目のシーズンを迎えることとなった<ref name="東亜日報2002-11-22"/>。同年は年俸23万1000ドル+オプション10万ドルの報酬を受け取っていたが、同シーズンは打率.256、25本塁打、82打点と期待外れの成績に終わった<ref name="東亜日報2002-11-22"/>。ウッズが斗山で30本塁打および100打点を達成できなかったシーズンは同シーズンが唯一である<ref name="타이론 우즈 이야기"/>。前年(2001年)のポストシーズン前、ウッズは斗山球団GMのクァク・ホンギュ(곽홍규)から「優勝すれば5万ドルを与える」という約束を受けており、球団は約束通りの5万ドルから約22%ほどの税金を差し引いた3万ドル台のボーナスを与えたが、この約束は文書を交わさず口頭で行ったものだったことから、ウッズは税引き後5万ドルと解釈していたため、球団が嘘をついていると激怒しており、このトラブルが2002年シーズンの低迷の一因である可能性が指摘されている<ref name="타이론 우즈 이야기"/>。一方で同年のオールスター戦の本塁打競争では飛距離130 mの本塁打を記録し、最長距離賞 (최장거리상) を受賞した<ref>{{Cite web |url=https://www.koreabaseball.com/Schedule/Allstar/News.aspx?bdSe=7472 |title=올스타전 소식 | 올스타전 | 일정/결과 |access-date=2025-05-11 |publisher=KBO |year=2018 |language=ko |archive-url=https://web.archive.org/web/20250511141742/https://www.koreabaseball.com/Schedule/Allstar/News.aspx?bdSe=7472 |archive-date=2025-05-11 |url-status=live |url-status-date=2025-05-11}}</ref>。
同年オフにはアメリカ帰国後、球団から「年俸は現状維持で再契約する」という提示を出されたが、ウッズは「最高の待遇をしてくれなければ韓国でプレーしない」として、NPB移籍を模索するようになった<ref name="東亜日報2002-11-22">{{Cite news |title=来シーズンプロ野球外国人選手 とくに懸命なロッテ |newspaper=東亜日報 |date=2002-11-22 |author=金相洙 |url=http://www.donga.com/jp/article/all/20021122/271668/ |accessdate=2019-08-04 |publisher=東亜日報社|publication-place=大韓民国・ソウル特別市鍾路区 |language=ja |archiveurl=https://web.archive.org/web/20190804133418/http://www.donga.com/jp/article/all/20021122/271668/ |archivedate=2019年8月4日}}</ref>。韓国のスポーツジャーナリストであるイ・ジェクク (이재국) は、斗山球団のウェブサイトに連載したコラムで、ウッズはシーズン中から自身の代理人に対し、NPB球団への移籍を推進してもらうよう要求していたと述べている<ref name="타이론 우즈 이야기"/>。一方で契約交渉の折、斗山側はウッズの「韓国でプレーしない」という発言を「こけおどしに終わるのでは」と受け取っていたが、保留契約選手の締切期限となる11月30日までに再契約の意思を伝えてこない場合、残留交渉を断念して他の外国人選手を探す方針だった<ref name="東亜日報2002-11-22"/>。しかし、ウッズが去った斗山は翌{{by|2003年}}にウッズの穴を埋める打者が現れず、シーズン7位に低迷した<ref>{{Cite web |url=https://www.doosanbears.com/doorundoorun/blog/435 |title=<nowiki>[이재국의 베팬알백] <64편> '베어스 사령탑 9년' 김인식 감독의 퇴장…그 흔적과 기억들</nowiki> |access-date=2025-04-29 |date=2023-08-18 |publisher=[[斗山ベアーズ|두산 베어스]] |author=이재국 |language=ko |archive-url=https://megalodon.jp/2025-0429-2320-54/https://www.doosanbears.com:443/doorundoorun/blog/435 |archive-date=2025-04-29 |url-status=live}}</ref><ref>{{Cite web |url=https://www.doosanbears.com/doorundoorun/blog/437 |title=<nowiki>[이재국의 베팬알백] <65편> 김경문 감독 선임 과정과 김경문 시대의 개막</nowiki> |access-date=2025-04-29 |date=2023-08-25 |publisher=[[斗山ベアーズ|두산 베어스]] |author=이재국 |language=ko |archive-url=https://megalodon.jp/2025-0429-2322-27/https://www.doosanbears.com:443/doorundoorun/blog/437 |archive-date=2025-04-29 |url-status=live}}</ref>。
なお同年オフには後述の横浜以外にも、NPBの[[千葉ロッテマリーンズ]]([[パシフィック・リーグ]])が同年限りで退団した[[フランク・ボーリック]]の後釜となる長距離打者としてウッズの獲得を検討<ref>{{Cite news |title=ロッテがウッズ獲得へ |newspaper=デイリースポーツ |date=2002-11-11 |url=https://www.daily.co.jp/baseball/bb20021111061340.shtml |author=長谷川浩之 |accessdate=2020-01-03 |deadlinkdate=2020-01-03 |publisher=神戸新聞社 |language=ja |archiveurl=https://web.archive.org/web/20021112101708/https://www.daily.co.jp/baseball/bb20021111061340.shtml |archivedate=2002年11月12日}}</ref>、[[館山市|館山]]秋季キャンプで入団テストを行うことを検討していたが<ref>『スポーツニッポン』2002年11月11日付4頁「[https://web.archive.org/web/20030203132730/http://www.sponichi.co.jp/baseball/kiji/2002/11/11/08.html プロ野球 ロッテ、韓国で活躍タイロン・ウッズの獲得を目指す]」(スポーツニッポン新聞東京本社)</ref>、ロッテは最終的にはウッズの獲得を断念し<ref name="スポーツ報知20021127"/>、四番打者候補として{{Sfn|ホームラン|2003|p=176}}、元横浜の[[ロバート・ローズ]]を獲得した<ref group="注">しかし結局ローズは開幕前のオープン戦で不調に終わったことから「野球に対する情熱がなくなった」とロッテを退団し、ロッテは開幕直前にローズに代わる新外国人として韓国・[[SKワイバーンズ]]に在籍していた[[ホセ・フェルナンデス (1974年生の内野手)|ホセ・フェルナンデス]]を獲得した。</ref>{{Sfn|ホームラン|2003|p=185}}。
=== 横浜時代 ===
NPBの[[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]([[セントラル・リーグ]])は{{by|2002年}}12月9日、[[スティーブ・コックス]]およびウッズとの入団交渉が合意に達したことを発表<ref>{{Cite news|和書 |title=デイリーベイスターズ > 新外国人2選手を獲得◆ベイ、現役大リーガーら |newspaper=[[神奈川新聞]] |date=2002-12-10 |url=http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/0212/yb02121001.html |publisher=神奈川新聞社 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20030121060110/http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/0212/yb02121001.html |archive-date=2003年1月21日}}</ref><ref name="毎日新聞2002-12-10"/>、翌{{by|2003年}}1月29日にこの2選手と[[マット・ホワイトサイド]]の計3選手の入団発表が行われた<ref>{{Cite news|和書 |title=デイリーベイスターズ > コックスら3選手入団◆ベイ、外国人5人体制に |newspaper=神奈川新聞 |date=2003-01-30 |url=http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/0301/yb03013001.html |publisher=神奈川新聞社 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20030208021717/http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/0301/yb03013001.html |archive-date=2003年2月8日}}</ref><ref name="東京新聞2003-01-30">『[[東京新聞]]』2003年1月30日朝刊第二運動スポーツ面18頁「【横浜】外国人3選手会見」(中日新聞東京本社)</ref>。同シーズンの横浜はチーム本塁打数がセ・リーグワーストの97本塁打に終わっており<ref name="サンスポ20030130"/>、同年オフにはヤクルトを退団した[[ロベルト・ペタジーニ]]の獲得を狙ったが、失敗に終わっていた<ref name="日刊スポーツ20021123"/>。横浜は翌2003年シーズンの主砲候補の新外国人としてはコックスを第1候補、[[ブライアン・ドーバック]]を第2候補にリストアップしていたが<ref name="日刊スポーツ20021123">『日刊スポーツ』2002年11月23日付第7版4頁「横浜 現役メジャー獲得へ デビルレイズ コックス一塁手 今季148試合出場、4番候補 対応力あり 球団「全力」」(日刊スポーツ新聞社)</ref>、ドーバックは入団を拒否し<ref>『日刊スポーツ』2002年11月29日付第7版プロ野球面2頁「横浜の獲物は[[コロラド・ロッキーズ|ロ軍]][[ジェイ・ペイトン|ペイトン]]」(日刊スポーツ新聞社)</ref>、結果的にはコックスとともにウッズが入団した。ウッズの[[野球の背番号|背番号]]は'''44'''で<ref name="毎日新聞2002-12-10"/>、[[野球ユニフォーム|ユニフォーム]]の背ネームはタイガー・ウッズにあやかってファーストネームのイニシャルを冠した'''T. WOODS'''<ref name="サンスポ20030130">『SANSPO.COM』2003年1月30日「[https://web.archive.org/web/20030402073139/http://www.sanspo.com/baseball/top/bt200301/bt2003013007.html 横浜が「コックスポール」特設…本塁打量産に期待]」(産業経済新聞社)</ref>。契約期間は1年で<ref>『中日新聞』2002年12月10日朝刊第一運動スポーツ面29頁「横浜 現役大リーガー コックスを獲得」(中日新聞社)</ref>、推定年俸は5000万[[円 (通貨)|円]]<ref name="毎日新聞2002-12-10"/>。また年俸とは別に[[契約金]]・[[出来高給|出来高]]として最大1億5000万円程度のオプションも設定された<ref name="中央日報2002-12-10">{{Cite news |title=斗山のウッズ、横浜に進出 |newspaper=中央日報 |date=2002-12-10 |url=https://japanese.joins.com/JArticle/35468 |accessdate=2020-01-23 |publisher=中央日報社|publication-place=大韓民国・ソウル特別市中区 |language=ja |archiveurl=https://web.archive.org/web/20200123084328/https://japanese.joins.com/JArticle/35468 |archivedate=2019年1月23日}}</ref>。横浜から提示された年俸は当時の[[為替レート]]で5億ウォンに相当し、2002年の斗山からの年俸1億8000万ウォンを大きく上回るものだった<ref name="KBO리그 40"/>。一方で来日当時コックスは28歳、ウッズは33歳で、同時に入団したコックスの契約内容は移籍金100万ドル・年俸275万ドル(当時の日本円で推定年俸は3億円<ref name="中日新聞2003-11-29"/>ないし3億2000万円<ref name="読売新聞2002-12-10">『[[読売新聞]]』2002年12月10日東京朝刊スポーツC面19頁「横浜が現役メジャーら新外国人2人獲得/プロ野球」([[読売新聞東京本社]])</ref>)と、ウッズよりはるかに高額な契約だった<ref name="中日新聞2003-11-29">『[[中日新聞]]』2003年11月29日朝刊第一運動スポーツ面29頁「阪神がムーアを解雇 横浜・コックスも」([[中日新聞社]])</ref>。
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2003年シーズン開幕前は、ウッズと同じ一塁手の座を争うコックスが現役メジャーリーガーだったことに加え<ref name="スポニチ2003-02-07">{{Cite news |title=ウッズ タイガー並みの特大弾 |newspaper=スポニチアネックス |date=2003-02-07 |url=http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/0303/yb03031901.html |author= |accessdate=2020-01-03 |deadlinkdate=2020-01-03 |publisher=スポーツニッポン新聞社 |language=ja |archiveurl=https://web.archive.org/web/20030219114040/http://www.sponichi.co.jp/baseball/kiji/2003/02/07/01.html |archivedate=2003年2月10日}}</ref>、当時の横浜にはウッズ・コックス・ホワイトサイドの新外国人3人のほか、前年から所属していた[[クリス・ホルト]]、[[ドミンゴ・グスマン]](ともに投手)も加えると、計5人の外国人選手が在籍していた{{Efn2|なおドミンゴは2004年に中日へ移籍しており、2005年 - 2006年には中日で再びウッズとチームメイトになっている。}}<ref name="東京新聞2003-01-30"/>。球団は当初、4人の[[外国人枠 (日本プロ野球)|外国人枠]]のうち3人を投手、1人を野手(コックス)に割り振る構想であったため<ref name="サンスポ20030207">『SANSPO.COM』2003年2月7日「[https://web.archive.org/web/20030621092243/http://www.sanspo.com/baseball/top/bt200302/bt2003020701.html ハマのウッズ、202メートルの“世界最長弾”]」(産業経済新聞社)</ref>、球団はウッズはコックスの控えという位置付けであり<ref>{{Cite news |title=デイリーベイスターズ>若田部が7回無失点 ◇オープン戦 横浜7-1ヤクルト(神宮)/ウッズら打線も好調 |newspaper=神奈川新聞 |date=2003-03-19 |url=http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/0303/yb03031901.html |author= |accessdate=2020-01-03 |deadlinkdate=2020-01-03 |publisher=神奈川新聞社 |language=ja |archiveurl=https://web.archive.org/web/20030324210415/http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/0303/yb03031901.html |archivedate=2003年3月24日}}</ref>、5人の外国人選手の中で序列は一番下とみられていた<ref name="神奈川新聞20030208">{{Cite news |title=デイリーベイスターズ>165メートル弾 天切り裂く◆T・ウッズ内野手・ベイ連載(中) |newspaper=神奈川新聞 |date=2003-02-08 |url=http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/0302/yb03020802.html |author= |publisher=神奈川新聞社 |language=ja |archiveurl=https://web.archive.org/web/20030408215817/http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/0302/yb03020802.html |archivedate=2003年4月8日}}</ref>。そのため、契約時にも球団からは[[横浜DeNAベイスターズ (ファーム)|二軍チームである湘南シーレックス]]([[イースタン・リーグ]])で起用する方針を告げられていた<ref name="サンスポ20030207"/>。しかし[[宜野湾市立野球場]]で行われていた春季[[キャンプ (日本プロ野球)|キャンプ]]では、フリー打撃の際に球場のスコアボード(高さ約10 [[メートル|m]]、本塁から約120 m)を超える推定飛距離165 mの打球{{Efn2|この打球は最終的に、中堅奥のサブグラウンドまで転がっており、「ラン」を含めると飛距離202 mと報じられている<ref name="日刊スポーツ20030207"/>。}}を打つなどして、監督の[[山下大輔]]や打撃コーチの[[高木由一]]から高い評価を得ていた<ref name="神奈川新聞20030208"/>。このようなウッズのパワーを見た山下は、コックスの控えとしての当初の構想から一転、ウッズを外野手として起用することでコックスと併用することも検討していた<ref name="日刊スポーツ20030207"/>。一方、当初は四番候補として高い期待を受けていたコックスはキャンプ中の2月7日、走塁練習中に右膝を負傷、全治4週間と診断された<ref>{{Cite news |title=デイリーベイスターズ>コックスが長期離脱へ◆ベイキャンプ中に負傷、全治4週間 |newspaper=神奈川新聞 |date=2003-02-08 |url=http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/0302/yb03020801.html |author= |publisher=神奈川新聞社 |language=ja |archiveurl=https://web.archive.org/web/20030409001319/http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/0302/yb03020801.html |archivedate=2003年4月9日}}</ref>。その後、コックスは[[オープン戦]]期間中の3月14日に一軍合流を果たすも<ref>{{Cite news |title=デイリーベイスターズ>ドミンゴ制球に課題◆横浜6-9西武/ウッズ冴える |newspaper=神奈川新聞 |date=2003-03-17 |url=http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/yb03031701.html |author= |publisher=神奈川新聞社 |language=ja |archiveurl=https://web.archive.org/web/20030404134645/http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/yb03031701.html |archivedate=2003年4月4日}}</ref>、開幕一軍は見送られ、同月28日に[[専用球場|本拠地]]・[[横浜スタジアム]]で開催された[[阪神タイガース]]との[[開幕戦]]ではオープン戦で[[古木克明]]と並んでチーム最多の4本塁打を放っていたウッズが四番打者として起用されることが決まった<ref>{{Cite news |title=デイリーベイスターズ>「6番・古木」の意図◆ベイ連載「チーム再建」(上) |newspaper=神奈川新聞 |date=2003-03-27 |url=http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/yb03032702.html |author= |publisher=神奈川新聞社 |language=ja |archiveurl=https://web.archive.org/web/20030404151030/http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/yb03032702.html |archivedate=2003年4月4日}}</ref>。
開幕当初、ウッズは韓国に比べて[[球種 (野球)|変化球]]の[[制球力]]に優れる日本の投手たちに戸惑った<ref name="読売新聞2003-06-10">『読売新聞』2003年6月10日東京夕刊スポーツA面3頁「ハマの飛ばし屋 タイロン・ウッズ快調/プロ野球」(読売新聞東京本社 記者:小金沢智)</ref>。開幕戦では8回裏に[[金澤健人]]から1号本塁打を放つなど<ref>『神奈川新聞』2003年3月29日朝刊A版スポーツ面15頁「デイリーベイスターズ 飛ばし屋いきなり」(神奈川新聞社)</ref><ref>{{Cite news|和書 |title=ピッカリ初勝利!山下ベイ 新監督初戦でうれしい初勝利 |newspaper=[[スポーツ報知]] |date=2003-03-28 |url=http://www.yomiuri.co.jp/hochi/baseball/mar/o20030328_10.htm |publisher=[[報知新聞社]] |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20030415194130/http://www.yomiuri.co.jp/hochi/baseball/mar/o20030328_10.htm |archive-date=2003年4月15日}}</ref>、2安打、2打点の活躍を見せたが、翌29日の第2戦からは変化球攻めに苦しむようになる<ref name="スポーツ報知20030408"/>。開幕3戦目の30日に開催された対阪神3回戦は4打席連続三振に終わり、続く4月1日に[[東京ドーム]]で開催された対[[読売ジャイアンツ]](巨人)1回戦では「悪い流れを変えたかったから」との理由から、トレードマークのドレッドヘアを切り、右目に比べ視力の落ちる左目だけ度が入った眼鏡を着用して臨んだが、第1・第2打席とも三振に終わった<ref>{{Cite news |title=デイリーベイスターズ>大ちゃんス春眠?◆横浜0-5巨人/5安打、投手陣も力負け |newspaper=神奈川新聞 |date=2003-04-02 |url=http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/yb03040201.html |author= |publisher=神奈川新聞社 |language=ja |archiveurl=https://web.archive.org/web/20030611035912/http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/yb03040201.html |archivedate=2003年4月4日}}</ref>。4月6日の対[[中日ドラゴンズ]]戦([[浜松球場]])<ref>{{Cite news|和書 |title=不満塁竜 好機3度、快音出ず |newspaper=[[中日スポーツ]] |date=2003-04-07 |url=http://chuspo.chunichi.co.jp/dragons/tp2003/tp0407-1.htm |publisher=[[中日新聞社]] |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20030816070653/http://chuspo.chunichi.co.jp/dragons/tp2003/tp0407-1.htm |archive-date=2003年8月16日}}</ref>では先発オーダーから外され、同月8日までに21打数1安打と低調な成績に終わっていた<ref name="スポーツ報知20030408">{{Cite news|和書 |title=横浜ウッズ2軍危機 |newspaper=スポーツ報知 |date=2003-04-08 |author=小西悠二郎 |url=http://www.yomiuri.co.jp/hochi/baseball/apr/o20030408_60.htm |publisher=報知新聞社 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20030410162331/http://www.yomiuri.co.jp/hochi/baseball/apr/o20030408_60.htm |archive-date=2003年4月10日}}</ref>。本人は後年、日本に来て一番感じたのは投手のレベルの高さであり、[[球速]]・制球力・変化球の種類のいずれもレベルが高く、投手力は韓国より優れていると述べている<ref>『中日新聞』2007年9月11日朝刊第一特集面29頁「Monthly Major League タイロン・ウッズ 日⇔米 日本の投手のレベルに驚き」(中日新聞社)</ref>。
加えて当時、早ければ15日の対中日戦にはそれまでシーレックスで調整していたコックスの一軍復帰が見込まれていたことから、ウッズは9日からの[[広島東洋カープ]]・[[東京ヤクルトスワローズ|ヤクルトスワローズ]]との5連戦では[[打順#六番打者|六番打者]]としての起用が見込まれていたものの、そこで結果を残せなかった場合、二軍降格の危機に直面していた<ref name="スポーツ報知20030408"/>。しかし9日の対広島1回戦(横浜スタジアム)では1回裏、[[長谷川昌幸]]から<ref name="読売新聞2003-06-10"/>24打席ぶりの安打となる2号2点本塁打を打った<ref>{{Cite news |title=デイリーベイスターズ>今季初の連勝◆横浜7-4広島/斎藤が1勝 |newspaper=神奈川新聞 |date=2003-04-10 |url=http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/yb03041001.html |author= |publisher=神奈川新聞社 |language=ja |archiveurl=https://web.archive.org/web/20030628095501/http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/yb03041001.html |archivedate=2003年4月4日}}</ref><ref>{{Cite news|和書 |title=斎藤 972日ぶり先発白星 |newspaper=スポーツ報知 |date=2003-04-09 |author=小西悠二郎 |url=http://www.yomiuri.co.jp/hochi/baseball/apr/o20030409_30.htm |publisher=報知新聞社 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20030410121810/http://www.yomiuri.co.jp/hochi/baseball/apr/o20030409_30.htm |archive-date=2003年4月10日}}</ref>。同月11日の対ヤクルト戦(横浜スタジアム)では、第3打席で<ref name="神奈川新聞20030412"/>[[鎌田祐哉]]から推定飛距離150 mの場外本塁打を放ち<ref>{{Cite news |title=デイリーベイスターズ>6点差ひっくり返され…◆横浜6-7ヤクルト/7回にホルト崩れる |newspaper=神奈川新聞 |date=2003-04-12 |url=http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/yb03041201.html |author= |publisher=神奈川新聞社 |language=ja |archiveurl=https://web.archive.org/web/20030628100313/http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/yb03041201.html |archivedate=2003年6月28日}}</ref>、翌12日の対ヤクルト戦でも[[坂元弥太郎]]から<ref name="読売新聞2003-06-10"/>第1打席で2試合連続となる4号2点本塁打を放った<ref name="神奈川新聞20030412">{{Cite news |title=デイリーベイスターズ>6本塁打で打ち勝つ◆横浜10-6ヤクルト/中野渡2年ぶり勝利 |newspaper=神奈川新聞 |date=2003-04-12 |url=http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/yb03041301.html |author= |publisher=神奈川新聞社 |language=ja |archiveurl=https://web.archive.org/web/20030628101028/http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/yb03041301.html |archivedate=2003年6月28日}}</ref>。開幕15試合目の対中日戦では、[[山本昌]]から初の1試合2本塁打を放った<ref name="読売新聞2003-06-10"/>。
4月29日の対ヤクルト戦から再び四番を打つようになり、5月3日の対中日戦([[ナゴヤドーム]])では1回表の第1打席で[[朝倉健太]]から8号2点本塁打を打ち、4回表の第3打席にも[[平井正史]]から9号3点本塁打を放った<ref>{{Cite news |title=デイリーベイスターズ>ウッズ2本塁打で連勝◆吉見2勝目挙げる |newspaper=神奈川新聞 |date=2003-05-04 |url=http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/yb03050401.html |author= |publisher=神奈川新聞社 |language=ja |archiveurl=https://web.archive.org/web/20030528144543/http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/yb03050401.html |archivedate=2003年5月28日}}</ref>。5月18日の対ヤクルト戦では、3回表に[[花田真人]]から15号満塁本塁打を放った<ref>{{Cite news|和書 |title=ウッズ15号満塁弾 |newspaper=スポーツ報知 |date=2003-05-18 |author=小西悠二郎 |url=http://www.yomiuri.co.jp/hochi/baseball/may/o20030518_25.htm |publisher=報知新聞社 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20030812000600/http://www.yomiuri.co.jp/hochi/baseball/may/o20030518_25.htm |archive-date=2003年8月12日}}</ref>。このような好調に加え、年俸も推定5000万円と安価であったことから、同年5月26日の時点では早くも翌2004年シーズンの残留が内定していた<ref>{{Cite news|和書 |title=ウッズ&コックス来季残留へ |newspaper=スポーツ報知 |date=2003-05-26 |author=小西悠二郎 |url=http://www.yomiuri.co.jp/hochi/baseball/may/o20030526_20.htm |publisher=報知新聞社 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20030812000633/http://www.yomiuri.co.jp/hochi/baseball/may/o20030526_20.htm |archive-date=2003年8月12日}}</ref>。4月末までの通算成績は24試合、打率.271、7本塁打、13打点だったが{{Sfn|週刊ベースボール|2003|p=13}}、5月は24試合に出場し、打率.303、10本塁打、23打点を記録、6月4日には5月のセ・リーグ[[月間MVP (日本プロ野球)|月間MVP]]に選出された<ref name="神奈川新聞20030605">{{Cite news |title=デイリーベイスターズ>ウッズが5月の月間MVP◆リーグ最多の10本塁打 |newspaper=神奈川新聞 |date=2003-06-05 |url=http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/yb03060501.html |author= |publisher=神奈川新聞社 |language=ja |archiveurl=https://web.archive.org/web/20030812131755/http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/yb03060501.html |archivedate=2003年8月112日}}</ref>。また同日までセ・リーグ最多となる18本塁打を記録していたが、横浜スタジアムで2本、[[鹿児島県立鴨池野球場|鹿児島]]{{Efn2|4月16日の対中日戦<ref>{{Cite news |title=デイリーベイスターズ>救援陣踏ん張れず◆横浜3-6中日/ついに3連敗 |newspaper=神奈川新聞 |date=2003-04-17 |url=http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/yb03041701.html |author= |publisher=神奈川新聞社 |language=ja |archiveurl=https://web.archive.org/web/20030628103523/http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/yb03041701.html |archivedate=2003年6月28日}}</ref>。}}・[[福島県営あづま球場|福島]]{{Efn2|6月1日の対広島戦<ref>{{Cite news |title=デイリーベイスターズ>連敗5で止める◆横浜5-3広島/古木の2ランで勝ち越す |newspaper=神奈川新聞 |date=2003-06-02 |url=http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/yb03060201.html |author= |publisher=神奈川新聞社 |language=ja |archiveurl=https://web.archive.org/web/20030625164708/http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/yb03060201.html |archivedate=2003年6月25日}}</ref>。}}でも各1本の場外本塁打を打っており、監督の山下をして「ことしのハマの名物」と言わしめていた<ref name="神奈川新聞20030605"/>。好調の要因としては「球を長く見よう」と意識を改めたことや、高木からの助言を受け、中堅から右翼方向への[[流し打ち]]を意識したところ、外角の変化球を引っ掛けることが減ったことが挙げられている<ref name="読売新聞2003-06-10"/>。本塁打を含めた安打のうち、中堅から右翼方向への打球の割合は、4月までは61%だった一方、5月は70%に上昇した<ref name="読売新聞2003-06-10"/>。
8月24日の対阪神戦(横浜スタジアム)では[[久保田智之]]から、自身6本目(うち横浜スタジアムでは4本目)となる推定飛距離150 mの場外本塁打(3点)を放った<ref>{{Cite news |title=デイリーベイスターズ>ウッズ先制・決勝の3ラン◆横浜5-2阪神/投手陣も踏ん張る |newspaper=神奈川新聞 |date=2003-08-25 |author=[[石橋学 (ジャーナリスト)|石橋学]] |url=http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/yb03082501.html |publisher=神奈川新聞社 |language=ja |archiveurl=https://web.archive.org/web/20031002165046/http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/yb03082501.html |archivedate=2003年10月2日}}</ref>。同月30日の対中日戦(ナゴヤドーム)では、4回表に2死3塁の場面で[[岡本真也]]から30号2点本塁打を放ち、球団では1999年の[[ロバート・ローズ]]以来となるシーズン30本塁打を達成した<ref>{{Cite news |title=デイリーベイスターズ>集中打で連勝◆横浜6-3中日/加藤3勝 |newspaper=神奈川新聞 |date=2003-08-31 |author=[[石橋学 (ジャーナリスト)|石橋学]] |url=http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/yb03083101.html |publisher=神奈川新聞社 |language=ja |archiveurl=https://web.archive.org/web/20030905212122/http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/yb03083101.html |archivedate=2003年9月5日}}</ref>。終盤はヤクルトの[[アレックス・ラミレス]]と[[最多本塁打 (日本プロ野球)|本塁打王]]争いを繰り広げており、9月28日の対ヤクルト戦(横浜スタジアム)では2回裏に37号1点本塁打を、6回裏には1999年のローズが記録した球団のシーズン最多本塁打記録(37本塁打)を更新し、かつセ・リーグ単独トップに立つ38号1点本塁打を放った一方、ラミレスも2本塁打(36号、37号)を放っていた<ref>{{Cite news |title=デイリーベイスターズ>ウッズ37、38号弾◆横浜2-8ヤクルト/田崎3敗 |newspaper=神奈川新聞 |date=2003-09-29 |author=[[石橋学 (ジャーナリスト)|石橋学]] |url=http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/yb03092901.html |publisher=神奈川新聞社 |language=ja |archiveurl=https://web.archive.org/web/20031206041648/http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/yb03092901.html |archivedate=2003年12月6日}}</ref><ref>{{Cite news|和書 |title=ウッズ、ラミレス互いに譲らず2発応酬 <ヤクルト8-2横浜>◇28日◇横浜 |newspaper=[[日刊スポーツ|nikkansports.com]] |date=2003-09-28 |url=http://www.nikkansports.com/ns/baseball/f-bb-tp0-030928-0039.html |publisher=[[日刊スポーツ新聞社]] |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20031008214704/http://www.nikkansports.com/ns/baseball/f-bb-tp0-030928-0039.html |archive-date=2003年10月8日}}</ref>。10月5日の対中日戦(横浜スタジアム)では第1打席で[[紀藤真琴]]から39号、第2打席で[[遠藤政隆]]から2打席連続となる40号2点本塁打を放った<ref>{{Cite news |title=デイリーベイスターズ>ウッズ首位39、40号◆横浜6-9中日/加藤2敗 |newspaper=神奈川新聞 |date=2003-10-06 |author=[[石橋学 (ジャーナリスト)|石橋学]] |url=http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/yb03100601.html |publisher=神奈川新聞社 |language=ja |archiveurl=https://web.archive.org/web/20031206045307/http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/yb03100601.html |archivedate=2003年12月6日}}</ref>。一方で9月16日時点で得点圏打率は.252と、規定打席到達者28人中ワースト9位と低迷しており、またリーグワーストタイとなる120三振を記録、守備面でも敗戦に直結するミスが目立っていた<ref>{{Cite news |title=デイリーベイスターズ>ウッズ2打席連続弾◆横浜5-1ヤクルト/川村4勝 |newspaper=神奈川新聞 |date=2003-09-17 |author=[[石橋学 (ジャーナリスト)|石橋学]] |url=http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/yb03091701.html |publisher=神奈川新聞社 |language=ja |archiveurl=https://web.archive.org/web/20031002235002/http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/yb03091701.html |archivedate=2003年10月2日}}</ref>。
最終的にはラミレスと同数の40本塁打でセ・リーグ本塁打王のタイトルを獲得した<ref>{{Cite news|和書 |title=巨人はヤクルトと同率3位 |newspaper=[[スポーツニッポン|スポニチアネックス]] |date=2003-10-17 |url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/kiji/2003/10/17/10.html |publisher=[[スポーツニッポン新聞社]] |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20031207200001/http://www.sponichi.co.jp/baseball/kiji/2003/10/17/10.html |archive-date=2003年12月7日}}</ref><ref>{{Cite news|和書 |title=ラミレス 最後に2冠決める |newspaper=スポニチアネックス |date=2003-10-17 |url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/kiji/2003/10/17/09.html |publisher=スポーツニッポン新聞社 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20031208013404/http://www.sponichi.co.jp/baseball/kiji/2003/10/17/09.html |archive-date=2003年12月7日}}</ref>。ベイスターズの選手による本塁打王獲得は、横浜大洋ホエールズ時代の{{by|1988年}}に[[カルロス・ポンセ]]が獲得して以来だった<ref name="神奈川新聞20031114">{{Cite news|和書 |title=ウッズ残留 ◆コックスは解雇 |newspaper=[[神奈川新聞|デイリーベイスターズ]] |date=2003-11-14 |url=http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/yb03111401.html |publisher=神奈川新聞社 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20031212220115/http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/yb03111401.html |archive-date=2003年12月12日}}</ref>。またKBO・NPBで本塁打王を獲得した史上初の選手となったが<ref name="타이론 우즈 이야기"/>、これを達成したのは2023年シーズン終了時点でウッズただ1人である。一方、チームはリーグ2位かつ球団記録となる192本塁打を記録しながら、打率は.258、リーグワーストの得点もリーグワースト2位の563(他5球団の平均は647.8)に終わり、また投手陣がいずれもリーグワーストとなる防御率4.80、725失点(他5球団の平均は615.4)を記録するなどし、45勝94敗1引き分け(勝率.324)でリーグ最下位に沈んだ<ref>『読売新聞』2003年11月28日東京夕刊スポーツB面4頁「横浜“歴史的”94敗 つながり、投打とも悪く/プロ野球」(読売新聞東京本社 小金沢智)</ref>。なお同年は一塁手として6失策を記録した一方、右翼手として25試合に出場したが、右翼手としては失策0だった<ref name="中スポ20041213">{{Cite news|和書 |title=ウッズ、左翼テスト 高代コーチが秘策 |newspaper=中日スポーツ |date=2004-12-13 |author=寺西雅広 |url=http://chuspo.chunichi.co.jp/dragons/tp2004/tp1213-1.htm |publisher=中日新聞社 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20050819115025/http://chuspo.chunichi.co.jp/dragons/tp2004/tp1213-2.htm |archive-date=2005年8月19日}}</ref>。またヤクルトの[[石川雅規]]との対戦では、18打数無安打8三振と抑え込まれていた<ref name="スポニチ20040807">{{Cite news|和書 |title=土肥が「うれしい」先発初勝利 |newspaper=スポニチアネックス |date=2004-08-07 |url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/kiji/2004/08/07/05.html |publisher=スポーツニッポン新聞社 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20040809004916/http://www.sponichi.co.jp/baseball/kiji/2004/08/07/05.html |archive-date=2004年8月9日}}</ref>。
同年11月13日、前年から倍増となる年俸100万ドル(日本円で約1億1000万円)の1年契約で翌2004年シーズンの契約を締結することに合意した<ref name="神奈川新聞20031114"/><ref>『中日新聞』2003年11月14日朝刊第二運動スポーツ面24頁「ウッズ倍額 横浜に残留」(中日新聞社)</ref>。球団は当初、年俸70万ドル(約8400万円)の契約条件を用意していた一方、ウッズは同年の年俸42万ドルから約250%増額となる100万ドルの年俸を要求しており<ref>『日刊スポーツ』2003年9月21日付「横浜 ウッズ年俸250%増を要求」(日刊スポーツ新聞社)</ref>、最終的にはウッズの希望が通る形となった。一方でこの契約更改の際、ウッズは複数年契約を希望した一方<ref name="サンスポ20040921"/>、横浜はコックスを始め、[[石井琢朗]]・[[斎藤隆 (野球)|斎藤隆]]ら2002年オフに複数年契約を結んだ選手が同年に軒並み不調に終わっていたことから<ref>{{Cite news|和書 |title=ギャラード複数年契約要求 球団側は「検討」も |newspaper=スポーツ報知 |date=2004-02-09 |author=高橋俊博 |url=http://www.yomiuri.co.jp/hochi/baseball/feb/o20040209_50.htm |publisher=報知新聞社 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20040212024639/http://www.yomiuri.co.jp/hochi/baseball/feb/o20040209_50.htm |archive-date=2004年2月12日}}</ref>、同年の[[契約更改]]時からは原則として複数年契約を結ばない方針を取っていた<ref name="サンスポ20041009"/>。このことからウッズの翌シーズンの単年契約となり、それがウッズに不信感を抱かせ、翌2004年オフの流出の原因となったという報道もある<ref name="サンスポ20040921">{{Cite news|和書 |title=横浜・ウッズが退団示唆…待遇面に不満、中日移籍有力 |newspaper=SANSPO.COM |date=2004-09-21 |url=http://www.sanspo.com/baseball/top/bt200409/bt2004092109.html |publisher=産業経済新聞社 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20040922052128/http://www.sanspo.com/baseball/top/bt200409/bt2004092109.html |archive-date=2004年9月22日}}</ref>。また、当初はウッズよりはるかに高い期待を受けて入団したコックスはわずか15試合の出場に終わり、2年契約の途中ながら1年で解雇された<ref name="神奈川新聞20031114"/>。
==== 2004年 ====
来日2年目となる{{by|2004年}}の開幕前、首脳陣はウッズの守備に不安があったことからサインプレーを簡素化しており<ref>{{Cite news |title=デイリーベイスターズ>意識の低さ残る◆連載・戦力は整ったか?(上) |newspaper=神奈川新聞 |date=2004-02-27 |author= |url=http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/yb04022702.html |publisher=神奈川新聞社 |language=ja |archiveurl=https://web.archive.org/web/20040407212613/http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/yb04022702.html |archivedate=2004年4月7日}}</ref>、逃げ切り態勢の終盤にはベンチに下げることも構想されていた<ref>{{Cite news |title=秦7失点、力不足を露呈 |newspaper=神奈川新聞 |date=2004-02-29 |author= |url=http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/yb04022901.html |publisher=神奈川新聞社 |language=ja |archiveurl=https://web.archive.org/web/20040407213948/http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/yb04022901.html |archivedate=2004年4月7日}}</ref>。
同年5月22日の対中日10回戦(横浜スタジアム)では延長12回表、抑えの[[佐々木主浩]]が中日の[[アレックス・オチョア]]から勝ち越し本塁打を被弾し、5対6(1点ビハインド)で12回裏の攻撃を迎えたが、その攻撃でウッズが再逆転サヨナラ11号2点本塁打を放ち、佐々木のNPB復帰後初勝利に貢献した<ref>{{Cite news|和書 |title=横浜・ウッズが守護神救うサヨナラ弾! |newspaper=SANSPO.COM |date=2004-05-23 |url=http://www.sanspo.com/baseball/top/bt200405/bt2004052305.html |publisher=産業経済新聞社 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20040803093245/http://www.sanspo.com/baseball/top/bt200405/bt2004052305.html |archive-date=2004年8月3日}}</ref>。この勝利は同シーズンのチームにとって初のサヨナラ勝ちであり、またウッズにとっては来日後初のサヨナラ本塁打でもあった<ref>{{Cite news|和書 |title=佐々木助かった、被弾もウッズサヨナラ弾 |newspaper=nikkansports.com |date=2004-05-23 |edition=紙面から |url=http://www.nikkansports.com/ns/baseball/f-bb-tp0-040523-0011.html |publisher=日刊スポーツ新聞社 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20040524091358/http://www.nikkansports.com/ns/baseball/p-bb-tp0-040523-0011.html |archive-date=2004年5月24日}}</ref>。同月26日の対阪神7回戦([[阪神甲子園球場]])では6回表に久保田から12号ソロ本塁打を<ref>{{Cite news |title=プロ野球試合速報 2004年セントラル・リーグ公式戦 |newspaper=SANSPO.COM |date=2004-05-26 |url=http://www.sanspo.com/baseball/sokuho/2004/20040526c.html#3 |publisher=産業経済新聞社 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20040603163027/http://www.sanspo.com/baseball/sokuho/2004/20040526c.html#3 |archive-date=2004年6月30日}}</ref>、翌27日の対阪神8回戦で5回表に[[井川慶]]から13号2点本塁打を<ref>{{Cite news |title=プロ野球試合速報 2004年セントラル・リーグ公式戦 |newspaper=SANSPO.COM |date=2004-05-27 |url=http://www.sanspo.com/baseball/sokuho/2004/20040527c.html#3 |publisher=産業経済新聞社 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20040626073744/http://www.sanspo.com/baseball/sokuho/2004/20040527c.html#3 |archive-date=2004年6月30日}}</ref>、28日の対巨人8回戦(東京ドーム)では9回表に[[ブライアン・シコースキー]]から14号2点本塁打を<ref>{{Cite news |title=プロ野球試合速報 2004年セントラル・リーグ公式戦 |newspaper=SANSPO.COM |date=2004-05-28 |url=http://www.sanspo.com/baseball/sokuho/2004/20040528c.html#1 |publisher=産業経済新聞社 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20040603165121/http://www.sanspo.com/baseball/sokuho/2004/20040528c.html#1 |archive-date=2004年6月3日}}</ref>、そして29日の対巨人9回戦で7回表に[[河原純一]]から15号ソロ本塁打を放ち<ref>{{Cite news |title=プロ野球試合速報 2004年セントラル・リーグ公式戦 |newspaper=SANSPO.COM |date=2004-05-29 |url=http://www.sanspo.com/baseball/sokuho/2004/20040529c.html#1 |publisher=産業経済新聞社 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20040630231730/http://www.sanspo.com/baseball/sokuho/2004/20040528c.html#1 |archive-date=2004年6月30日}}</ref>、自身初の4試合連続本塁打を記録した<ref>{{Cite news |title=デイリーベイスターズ>投打ふるわず3連敗◆横浜1-6巨人/1発攻勢に沈む |newspaper=神奈川新聞 |date=2004-05-30 |author= |url=http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/yb04053001.html |publisher=神奈川新聞社 |language=ja |archiveurl=https://web.archive.org/web/20040606201031/http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/yb04053001.html |archivedate=2004年8月13日}}</ref>。しかし翌30日の対巨人10回戦では無本塁打に終わり<ref>{{Cite news |title=プロ野球試合速報 2004年セントラル・リーグ公式戦 |newspaper=SANSPO.COM |date=2004-05-30 |url=http://www.sanspo.com/baseball/sokuho/2004/20040530c.html#1 |publisher=産業経済新聞社 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20040701001313/http://www.sanspo.com/baseball/sokuho/2004/20040530c.html#1 |archive-date=2004年7月10日}}</ref>、後述の球団タイ記録に並ぶことはできなかった。同年6月16日の対巨人12回戦(横浜スタジアム)では<ref name="日刊スポーツ20040616"/>、[[審判員 (野球)|球審]]の[[森健次郎]]に暴言を吐いたとして来日後初の退場処分を受ける([[#退場歴|後述]])が<ref name="神奈川新聞20040617"/>、翌日の試合ではそれぞれ19号・20号となる1試合2本塁打を放った<ref name="神奈川新聞20040618">{{Cite news |title=3タテならず◆横浜5-10巨人/門倉3敗 |newspaper=神奈川新聞 |date=2004-06-18 |author= |url=http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/yb04061801.html |publisher=神奈川新聞社 |language=ja |archiveurl=https://web.archive.org/web/20040618150047/http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/yb04061801.html |archivedate=2004年6月18日}}</ref>。
一方で同シーズンは他球団から徹底的にマークされるようになり<ref name="日刊スポーツ2010-03-25"/>、特に7月中旬は他球団からの厳しい攻めに苦しんだ<ref name="サンスポ20040807"/>。しかし7月28日の対ヤクルト17回戦([[明治神宮野球場]])で<ref>{{Cite news |title=プロ野球試合速報 2004年セントラル・リーグ公式戦 |newspaper=SANSPO.COM |date=2004-07-28 |url=http://www.sanspo.com/baseball/sokuho/2004/20040728c.html#2 |publisher=産業経済新聞社 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20040803065625/http://www.sanspo.com/baseball/sokuho/2004/20040728c.html#2 |archive-date=2004年8月3日}}</ref>、[[杉本友]]から27号本塁打を打つと<ref>{{Cite news |title=デイリーベイスターズ>今季最悪の借金8◆横浜2-5ヤクルト/土肥1敗 |newspaper=神奈川新聞 |date=2004-07-29 |author= |url=http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/yb04072901.html |publisher=神奈川新聞社 |language=ja |archiveurl=https://web.archive.org/web/20040803042226/http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/yb04072901.html |archivedate=2004年8月13日}}</ref>、29日の対ヤクルト18回戦(明治神宮野球場)の試合中止を挟んで<ref>{{Cite news |title=プロ野球試合速報 2004年セントラル・リーグ公式戦 |newspaper=SANSPO.COM |date=2004-07-28 |url=http://www.sanspo.com/baseball/sokuho/2004/20040729c.html#2 |publisher=産業経済新聞社 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20040907221259/http://www.sanspo.com/baseball/sokuho/2004/20040729c.html#2 |archive-date=2004年8月3日}}</ref>、30日の対広島戦([[広島市民球場 (初代)|広島市民球場]])で[[大竹寛]]から28号本塁打を放つ<ref>{{Cite news |title=デイリーベイスターズ>終盤、打線が活気づく◆横浜10-6広島/横浜が8回に逆転 |newspaper=神奈川新聞 |date=2004-07-31 |author= |url=http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/yb04073101.html |publisher=神奈川新聞社 |language=ja |archiveurl=https://web.archive.org/web/20040803145959/http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/yb04073101.html |archivedate=2004年8月13日}}</ref>。同日時点で、対広島戦では打率.426、8本塁打、29打点と好成績を残しており、本人曰く「このところチャンスに打てなかった」中で4安打、4打点を挙げ、チームの勝利に貢献した<ref>{{Cite news|和書 |title=横浜・ウッズがチームの危機を吹き払う4安打4打点 |newspaper=SANSPO.COM |date=2004-07-31 |url=http://www.sanspo.com/baseball/top/bt200407/bt2004073106.html |publisher=産業経済新聞社 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20040803074209/http://www.sanspo.com/baseball/top/bt200407/bt2004073106.html |archive-date=2004年8月3日}}</ref>。続いて7月31日・8月1日の広島戦(広島市民球場)の中止と2日の移動日を挟んで<ref>{{Cite news|和書 |title=ハマの魔神が試合中止に嘆き節「これで中15日だよ」 |newspaper=SANSPO.COM |date=2004-08-01 |url=http://www.sanspo.com/baseball/top/bt200407/bt2004080112.html |publisher=産業経済新聞社 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20040803074237/http://www.sanspo.com/baseball/top/bt200407/bt2004080112.html |archive-date=2004年8月3日}}</ref><ref>{{Cite news|和書 |title=横浜・三浦「勝ってアテネへ」…3日に五輪前最終登板 |newspaper=SANSPO.COM |date=2004-08-02 |url=http://www.sanspo.com/baseball/top/bt200408/bt2004080213.html |publisher=産業経済新聞社 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20040803100916/http://www.sanspo.com/baseball/top/bt200408/bt2004080213.html |archive-date=2004年8月3日}}</ref>、8月3日の中日戦([[ナゴヤドーム]])で[[川上憲伸]]から29号<ref>{{Cite news |title=デイリーベイスターズ>三浦は五回KO◆横浜2―7中日/ウッズ本塁打も及ばず |newspaper=神奈川新聞 |date=2004-08-04 |author= |url=http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/yb04080401.html |publisher=神奈川新聞社 |language=ja |archiveurl=https://web.archive.org/web/20040804003929/http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/yb04080401.html |archivedate=2004年8月4日}}</ref>、翌4日の対中日戦(ナゴヤドーム)でも[[マーク・バルデス]]から30号を打った<ref>{{Cite news |title=デイリーベイスターズ>三浦は五回KO◆横浜2―7中日/ウッズ本塁打も及ばず |newspaper=神奈川新聞 |date=2004-08-04 |author= |url=http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/yb04080501.html |publisher=神奈川新聞社 |language=ja |archiveurl=https://web.archive.org/web/20040805171621/http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/yb04080501.html |archivedate=2004年8月4日}}</ref>。そして6日の対ヤクルト18回戦([[平塚球場]])では<ref name="サンスポ20040807">{{Cite news|和書 |title=蒸し暑さと暗雲を吹き飛ばした横浜・ウッズの一発 |newspaper=SANSPO.COM |date=2004-08-07 |url=http://www.sanspo.com/baseball/top/bt200408/bt2004080707.html |publisher=産業経済新聞社 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20040814215843/http://www.sanspo.com/baseball/top/bt200408/bt2004080707.html |archive-date=2004年8月14日}}</ref>、苦手としていた石川から5試合連続となる31号2点本塁打を放ち<ref name="スポニチ20040807"/>、{{by|1968年}}の[[長田幸雄]]、{{by|1977年}}の[[田代富雄]](当時は横浜打撃コーチ)が保有していた連続試合本塁打球団タイ記録に並んだ<ref>{{Cite news |title=デイリーベイスターズ>佐々木、また救援に失敗◆横浜2-3ヤクルト/門倉5敗 |newspaper=神奈川新聞 |date=2004-08-07 |author= |url=http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/yb04080701.html |publisher=神奈川新聞社 |language=ja |archiveurl=https://web.archive.org/web/20040813160234/http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/yb04080701.html |archivedate=2004年8月13日}}</ref><ref>{{Cite news|和書 |title=横浜ウッズ5試合連続弾! |newspaper=nikkansports.com |date=2004-08-06 |url=http://www.nikkansports.com/ns/baseball/f-bb-tp0-040806-0050.html |publisher=日刊スポーツ新聞社 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20040807034701/http://www.nikkansports.com/ns/baseball/f-bb-tp0-040806-0050.html |archive-date=2004年8月7日}}</ref>。続く7日のヤクルト19回戦(横浜スタジアム)<ref>{{Cite news|和書 |title=横浜・佐々木が救援失敗「ちょっと調子が落ちている」 |newspaper=SANPO.COM |date=2004-08-08 |url=http://www.sanspo.com/baseball/top/bt200408/bt2004080811.html |publisher=産業経済新聞社 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20040810092444/http://www.sanspo.com/baseball/top/bt200408/bt2004080811.html |archive-date=2004年8月10日}}</ref>で本塁打が出れば、球団新記録となる6試合連続本塁打となるはずだったが、この試合は無安打に終わり、球団新記録樹立はならず、連続試合安打も7で途切れた<ref>{{Cite news |title=デイリーベイスターズ>佐々木、また救援に失敗◆横浜2-3ヤクルト/門倉5敗 |newspaper=神奈川新聞 |date=2004-08-08 |author= |url=http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/yb04080801.html |publisher=神奈川新聞社 |language=ja |archiveurl=https://web.archive.org/web/20040808045851/http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/yb04080801.html |archivedate=2004年8月8日}}</ref>。5試合連続本塁打を記録してからは3試合連続で無安打に終わったが、構えた際に体重を爪先に乗せることを意識したことで復調、8月11日の対阪神17回戦([[札幌ドーム]])では3点リードで迎えた延長10回裏、[[ロドニー・マイヤーズ]]から<ref>{{Cite news|和書 |title=ウッズ 3点差から逆転サヨナラ満塁弾 |newspaper=スポニチアネックス |date=2004-08-12 |url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/kiji/2004/08/12/02.html |publisher=スポーツニッポン新聞社 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20040924094020/http://www.sponichi.co.jp/baseball/kiji/2004/08/12/02.html |archive-date=2004年9月24日}}</ref>同シーズンでは2度目の[[サヨナラゲーム|サヨナラ]]本塁打となる32号逆転サヨナラ満塁本塁打を放った<ref>{{Cite news|和書 |title=劇的!劇的すぎる延長十回ウッズ逆転満塁32号! |newspaper=SANSPO.COM |date=2004-08-12 |url=http://www.sanspo.com/baseball/top/bt200408/bt2004081203.html |publisher=産業経済新聞社 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20040813055947/http://www.sanspo.com/baseball/top/bt200408/bt2004081203.html |archive-date=2004年8月13日}}</ref>。同月21日の対中日21回戦(横浜スタジアム)では3回裏、前後を打つ[[佐伯貴弘]]、[[多村仁志|多村仁]]とともに球団としては1997年8月14日以来7年ぶりとなる3者連続本塁打を記録した<ref>{{Cite news|和書 |title=横浜連敗3でストップ!佐伯、ウッズ、多村3連発 |newspaper=SANSPO.COM |date=2004-08-22 |url=http://www.sanspo.com/baseball/top/bt200408/bt2004082204.html |publisher=産業経済新聞社 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20040822051312/http://www.sanspo.com/baseball/top/bt200408/bt2004082204.html |archive-date=2004年8月22日}}</ref>。
同年9月3日の対ヤクルト21回戦(横浜スタジアム)で、昨年に自身が樹立したシーズン本塁打球団記録を更新する41号本塁打を放った<ref>{{Cite news|和書 |title=横浜連敗脱出!ウッズが球団記録を更新する41号弾 |newspaper=SANSPO.COM |date=2004-09-04 |url=http://www.sanspo.com/baseball/top/bt200409/bt2004090405.html |publisher=産業経済新聞社 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20040904101234/http://www.sanspo.com/baseball/top/bt200409/bt2004090405.html |archive-date=2004年9月4日}}</ref>。最終的には巨人の[[タフィ・ローズ]]と並んで45本塁打を記録、2年連続のセ・リーグ本塁打王を獲得した<ref>{{Cite web ja |title=2004年 セントラル・リーグ |url=https://npb.jp/bis/yearly/centralleague_2004.html |access-date=2025-04-14 |url-status=live |archive-url=https://web.archive.org/web/20250414134710/https://npb.jp/bis/yearly/centralleague_2004.html |archive-date=2025-04-14 |website=NPB.jp |publisher=日本野球機構 |year=2004}}</ref><ref>{{Cite news|和書 |title=セ全日程終了、巨人は2年連続の3位 |newspaper=nikkansports.com |date=2004-10-16 |url=ww.nikkansports.com/ns/baseball/f-bb-tp0-041016-0034.html |publisher=日刊スポーツ新聞社 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20041018002303/http://www.nikkansports.com/ns/baseball/f-bb-tp0-041016-0034.html |archive-date=2004年10月18日}}</ref>。この本塁打数は{{by|2008年}}に[[村田修一]]によって更新されるまで球団記録であった<ref>{{Cite news|和書 |title=村田単独キングだ!球団記録の46号 |newspaper=[[スポーツニッポン|Sponichi Annex]] |date=2008-10-13 |url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2008/10/13/08.html |publisher=スポーツニッポン新聞社 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20081016072226/http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2008/10/13/08.html |archive-date=2008年10月16日}}</ref>。10月1日時点ではセ・リーグの打点ランキングは[[金本知憲]](阪神)が105でトップを走り、2位のウッズが103、3位の[[グレッグ・ラロッカ]](広島)が101という状況だったが<ref>{{Cite news|和書 |title=金本、ウッズともに1打点で2差変わらず |newspaper=nikkansports.com |date=2004-10-01 |edition= |url=http://www.nikkansports.com/ns/baseball/f-bb-tp0-041001-0048.html |publisher=日刊スポーツ新聞社 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20041023215046/http://www.nikkansports.com/ns/baseball/f-bb-tp0-041001-0048.html |archive-date=2004年10月23日}}</ref>、ウッズは同シーズン最後の出場となった5日の広島戦では打点を上げられず、103から打点を上積みすることはできなかった<ref>{{Cite news|和書 |title=横浜ウッズ打点なし、金本と4差変わらず |newspaper=nikkansports.com |date=2004-10-05 |url=http://www.nikkansports.com/ns/baseball/f-bb-tp0-041005-0047.html |publisher=日刊スポーツ新聞社 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20041023001829/http://www.nikkansports.com/ns/baseball/f-bb-tp0-041005-0047.html |archive-date=2004年10月23日}}</ref>。また同日に右肘関節炎との診断を受けたため、翌6日付で[[出場選手登録]]を抹消され<ref>{{Cite news|和書 |title=横浜ウッズが右ひじ関節炎で抹消、帰国へ |newspaper=nikkansports.com |date=2004-10-06 |url=http://www.nikkansports.com/ns/baseball/f-bb-tp0-041006-0040.html |publisher=日刊スポーツ新聞社 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20041023034331/http://www.nikkansports.com/ns/baseball/f-bb-tp0-041006-0040.html |archive-date=2004年10月23日}}</ref>、同月8日に右肘骨棘除去手術のため<ref name="スポーツ報知20041008">{{Cite news|和書 |title=ウッズ退団決意 米へ帰国 移籍発言連発「他のチーム考える」 |newspaper=スポーツ報知 |date=2004-10-08 |url=http://www.yomiuri.co.jp/hochi/baseball/oct/o20041008_40.htm |publisher=報知新聞社 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20041011133424/http://www.yomiuri.co.jp/hochi/baseball/oct/o20041008_40.htm |archive-date=2004年10月11日}}</ref>、アメリカ合衆国へ帰国した<ref>{{Cite news |title=ウッズ帰国〝お別れ宣言〟も◆「横浜とは1番に交渉始める」 |newspaper=神奈川新聞 |date=2004-10-09 |author= |url=http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/yb04100901.html |publisher=神奈川新聞社 |language=ja |archiveurl=https://web.archive.org/web/20041014033856/http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/yb04100901.html |archivedate=2004年10月14日}}</ref>。この手術は本人曰く「骨と骨が少しぶつかったりして痛かったから、きれいにしただけ」の手術だという<ref>{{Cite news|和書 |title=連覇への意気込みウズウズ!単ウッズ独インタビュー |newspaper=中日スポーツ |date=2004-12-16 |author=スプリングヒル(米国フロリダ州)関陽一郎 |url=http://chuspo.chunichi.co.jp/dragons/tp2004/tp1216-1.htm |publisher=中日新聞社 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20041229071258/http://chuspo.chunichi.co.jp/dragons/tp2004/tp1216-1.htm |archive-date=2005年1月11日}}</ref>。最終的には金本が113打点で[[最多打点 (日本プロ野球)|打点王]]のタイトルを獲得した一方、ウッズは金本と10打点差の103で、打点王のタイトルは逃した<ref>{{Cite news|和書 |title=ウッズの打点王をバックアップ 荒木、バッチリ足ストします |newspaper=中日スポーツ |date=2004-12-05 |author=中谷秀樹 |url=http://chuspo.chunichi.co.jp/dragons/tp2004/tp1205-1.htm |publisher=中日新聞社 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20050322190044/http://chuspo.chunichi.co.jp/dragons/tp2004/tp1205-3.htm |archive-date=2005年3月22日}}</ref>。同年は一塁手としてのみ出場したが、10失策を記録した<ref name="中スポ20041213"/>。
===== 横浜退団・中日移籍 =====
帰国前、ウッズは来季も横浜でプレーすることを希望すると述べた上で、翌{{by|2005年}}シーズン以降の複数年契約と、年俸を同年の100万ドル(約1億1000万円)から倍増することを求めていた<ref>{{Cite news |title=ウッズ、現実味帯びる2冠◆来季の契約はシビアに |newspaper=神奈川新聞 |date=2004-10-04 |author= |url=http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/yb04100401.html |publisher=神奈川新聞社 |language=ja |archiveurl=https://web.archive.org/web/20041019045441/http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/yb04100401.html |archivedate=2004年10月19日}}</ref>。一方で横浜は同年9月中旬の時点でウッズに残留を要請する方針を決めていたが<ref>『読売新聞』2004年9月15日東京朝刊スポーツA面17頁「横浜のギャラードが退団へ/プロ野球」(読売新聞東京本社)</ref>、前述のように前年オフから原則として複数年契約を認めない方針を取っていたため、残留に向けての交渉は難航した<ref>{{Cite news|和書 |title=横浜ウッズ、今季限りの退団が濃厚に |newspaper=nikkansports.com |date=2004-10-08 |url=http://www.nikkansports.com/ns/baseball/f-bb-tp0-041008-0043.html |publisher=日刊スポーツ新聞社 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20041023155024/http://www.nikkansports.com/ns/baseball/f-bb-tp0-041008-0043.html |archive-date=2004年10月23日}}</ref>。しかし2年連続で本塁打王を争った実績を高く評価し<ref name="サンスポ20041004"/>、同シーズンの倍額に当たる年俸200万ドル(当時のレートで約2億2000万円<ref>{{Cite news|和書 |title=横浜・ウッズ獲得へ 中神が争奪戦 |newspaper=スポニチアネックス |date=2004-10-04 |url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/kiji/2004/10/04/07.html |publisher=スポーツニッポン新聞社 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20041010140216/http://www.sponichi.co.jp/baseball/kiji/2004/10/04/07.html |archive-date=2004年10月12日}}</ref>)を基本線に<ref name="スポニチ20041009">{{Cite news|和書 |title=退団必至 ウッズが球団に“最後通告” |newspaper=スポニチアネックス |date=2004-10-09 |url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/kiji/2004/10/09/02.html |publisher=スポーツニッポン新聞社 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20041012034249/http://www.sponichi.co.jp/baseball/kiji/2004/10/09/02.html |archive-date=2004年10月12日}}</ref>、2年目({{by|2006年}})の契約を違約金を払うことで解除できるバイアウト方式や、年俸の基本額を抑え、出来高を増やした形の2年契約を検討しているとの報道もあった<ref name="サンスポ20041004">{{Cite news|和書 |title=横浜がウッズに条件付きの2年契約を用意 |newspaper=SANSPO.COM |date=2004-10-04 |url=http://www.sanspo.com/baseball/top/bt200410/bt2004100409.html |publisher=産業経済新聞社 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20041023135242/http://www.sanspo.com/baseball/top/bt200410/bt2004100409.html |archive-date=2004年10月23日}}</ref>。また契約内容は年俸プラス出来高払いで総額300万ドル(約3億3000万円)の2年契約(バイアウト方式)であり、1年目の成績次第では2年目の年俸を減額できる変額制となっているとする報道もあった<ref name="神奈川新聞20041031">『神奈川新聞』2004年10月31日朝刊A版スポーツ面18頁「〝マネーゲーム〟参加しない方針 山中専務が明言」(神奈川新聞社)</ref>。球団専務取締役の[[山中正竹]]は「マネーゲーム」に参加するつもりはなく、このような提示条件を変更するつもりはないと述べていた一方<ref name="神奈川新聞20041031"/>、ウッズはあくまでそのような条件付きではない2年契約を求めたため、両者の溝は埋まらなかった<ref name="スポーツ報知20041008"/><ref name="スポニチ20041009"/>。横浜はウッズに契約条件の最終提示を済ませた上で、同月30日までに回答するよう求めていたが、ウッズからは回答はなかったため、横浜との契約条項により、同年11月1日から横浜以外の他球団との契約交渉が可能な状態になった<ref>『サンケイスポーツ』2004年11月1日付「[https://web.archive.org/web/20041103035045/http://www.sanspo.com/baseball/top/bt200410/bt2004110106.html 横浜・ウッズ退団が事実上決定!中日、阪神の争奪戦へ]」(産業経済新聞社)</ref>。これを受け、横浜退団は確実と報じられた<ref>『読売新聞』2004年11月1日東京朝刊スポーツC面18頁「ウッズが横浜を退団へ/プロ野球」(読売新聞東京本社)</ref><ref>『朝日新聞』2004年11月1日東京朝刊スポーツ2面16頁「横浜のウッズ内野手が退団へ(プロ野球短信)」(朝日新聞東京本社)</ref>。
その後は[[中日ドラゴンズ]]に加え、同年オフに[[ジョージ・アリアス]]を解雇し一塁のポジションが空いていた[[阪神タイガース]]<ref>『[[毎日新聞]]』2004年12月2日東京朝刊第一スポーツ面17頁「プロ野球:横浜退団のウッズ、中日へ移籍--2年で10億円」([[毎日新聞社]]、記者:仁瓶和弥)</ref>が獲得オファーを出していたが、前年(2003年)オフに横浜から中日へ移籍した[[ドミンゴ・グスマン]]と[[代理人]]が同じ<ref group="注" name="代理人"/>であることから、移籍先は中日が本命であると報じられていた<ref name="サンスポ20041009">{{Cite news |title=横浜・ウッズの退団が決定的…複数年契約ならどこでも |newspaper=サンケイスポーツ |publisher=産業経済新聞社 |url=https://www.sanspo.com/baseball/top/bt200410/bt2004100904.html |date=2004-10-09 |accessdate=2019-03-05 |language=ja |archiveurl=https://web.archive.org/web/20041209193555/https://www.sanspo.com/baseball/top/bt200410/bt2004100904.html |archivedate=2004年12月9日}}</ref>。中日の球団オーナーを務めていた[[白井文吾]]、および球団社長の[[西川順之助]]らは[[埼玉西武ライオンズ|西武ライオンズ]]との[[2004年の日本シリーズ|日本シリーズ]]で敗退した直後の同年11月1日までに、ウッズの獲得競争に名乗りを上げた<ref>『中日新聞』2004年11月2日朝刊第一運動スポーツ面23頁「ウッズ獲得へ 中日が名乗り」(中日新聞社)</ref>。一方で阪神監督の[[岡田彰布]]もウッズに強い関心を示しており、中日と阪神は当初、ウッズにそれぞれ2年契約、総額6億円以上の契約条件を用意していると報じられていた<ref>『サンケイスポーツ』2004年11月1日付「[https://web.archive.org/web/20041103030507/http://www.sanspo.com/baseball/top/bt200410/bt2004110103.html 岡田阪神“背水の陣”でウッズ獲り!アリアス解雇を明言]」(産業経済新聞社 畑恵一郎)</ref>。後に残留交渉を進めていた横浜、そして競合相手とみられていた阪神が相次いで争奪戦から撤退したことにより、中日移籍が確実と報じられる<ref>{{Cite news|和書 |title=竜のウッズ、12・2誕生へ |newspaper=[[中日スポーツ]] |date=2004-11-25 |author=渋谷真 |url=http://chuspo.chunichi.co.jp/dragons/tp2004/tp1125-1.htm |publisher=[[中日新聞社]] |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20041209183750/http://chuspo.chunichi.co.jp/dragons/tp2004/tp1125-1.htm |archive-date=2004年12月9日}}</ref>。同年12月1日、西川はウッズとの契約について条件面で合意したことを明かし<ref>『読売新聞』2004年12月2日東京朝刊スポーツA面21頁「中日、横浜のウッズ獲得合意/プロ野球」(読売新聞東京本社)</ref>、翌2日にウッズは[[コミッショナー (日本プロ野球)|NPBコミッショナー]]事務局から横浜を[[自由契約]]になった選手として公示され<ref>{{Cite web ja |title=2004年度公示 > 自由契約選手 |url=https://npb.jp/announcement/2004/pn_released.html |access-date=2025-04-13 |date=2004-12-02 |url-status=live |archive-url=https://web.archive.org/web/20250413145235/https://npb.jp/announcement/2004/pn_released.html |archive-date=2025-04-13 |website=NPB.jp |publisher=[[日本野球機構]]}}</ref>、同日には中日がウッズの獲得を発表した<ref name="中スポ20041203">{{Cite news|和書 |title=ウッズ、2年10億円 破壊力満点!!05年竜打線 |newspaper=中日スポーツ |date=2004-12-03 |author=渋谷真 |url=http://chuspo.chunichi.co.jp/dragons/tp2004/tp1125-1.htm |publisher=中日新聞社 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20051201132213/http://chuspo.chunichi.co.jp/dragons/tp2004/tp1203-1.htm |archive-date=2005年12月1日}}</ref><ref name="中日新聞2004-12-03">『中日新聞』2004年12月3日朝刊第一運動スポーツ面27頁「本塁打王ウッズ中日入り 球団史上最高年俸5億円・2年契約」(中日新聞社)</ref>。契約期間は2006年シーズンまでの2年間で、総額1000万ドル(日本円で約10億2000万円)と、球団史上最高年俸であり<ref name="中スポ20041203"/>、同月4日付で正式に選手契約が締結された<ref>『毎日新聞』2006年7月19日中部朝刊社会面27頁「プロ野球:中日・ウッズ選手を提訴 代理店、報酬巡り」(毎日新聞中部本社【月足寛樹】)</ref>。同シーズン、年俸5億円超の外国人選手はいずれも巨人の[[ロベルト・ペタジーニ]](7億2000万円)とローズ(5億5000万円)の2選手のみで、ウッズは彼らに次ぐ高年俸選手となった<ref>{{Cite news|和書 |title=中日がウッズに2年10億円提示へ |newspaper=nikkansports.com |date=2004-11-02 |edition=紙面から |url=http://www.nikkansports.com/ns/baseball/p-bb-tp0-041102-0009.html |publisher=日刊スポーツ新聞社 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20041103013823/http://www.nikkansports.com/ns/baseball/p-bb-tp0-041102-0009.html |archive-date=2004年11月3日}}</ref>。また無理に本塁打を狙って打撃状態が悪化するような事態を防ぐため、本塁打よりも四球、および打点の出来高払いを高く設定する条件も盛り込まれた<ref name="日刊スポーツ20041203"/><ref name="中スポ20041203"/>。さらに金銭面だけでなく、住居として本人の希望する物件を用意し、家賃などの諸経費を全額負担するという条件や{{Efn2|中日はそれまで、外国人選手の住居として名古屋市内に専用のマンションを用意していた<ref name="日刊スポーツ20041203"/>。}}、同年には2月1日から全選手が参加した球団春季キャンプへの途中参加を許可するという異例の条件も盛り込まれていた<ref name="日刊スポーツ20041203">{{Cite news|和書 |title=ウッズ“超VIP待遇”中日と正式契約 |newspaper=大阪日刊スポーツ |date=2004-12-03 |edition=紙面から |author=伊藤馨一 |url=http://osaka.nikkansports.com/obb/p-ot-tp2-041203-0010.html |publisher=[[日刊スポーツ新聞西日本|大阪日刊スポーツ新聞社]] |archive-url=https://web.archive.org/web/20041210215342/http://osaka.nikkansports.com/obb/p-ot-tp2-041203-0010.html |archive-date=2004年12月10日}}</ref>。
中日移籍の背景には、ウッズ自身が「優勝できるチームでプレーしたい」と考えていたことに加え<ref name="中日新聞2006-10-10">『中日新聞』2006年10月11日朝刊第12版第一スポーツ面25頁「球心 ウッズ満塁弾トドメ 『この瞬間のため、呼ばれた』」(記者:西沢智宏)</ref>、中日側も[[レオ・ゴメス]]が退団して以降、長距離砲不在が懸案となっていたことから、課題点の長打力を補強することを目標としていたという事情があり、2年連続本塁打王に輝いたウッズはその補強ポイントに合致する存在だった<ref name="中日新聞2004-12-03"/>。また、同シーズンに四番打者を担っていた[[福留孝介]]への相手[[バッテリー (野球)|バッテリー]]のマークが分散されることも期待された<ref>{{Cite news|和書 |title=福留、点量産4番&一発はウッズに任せた |newspaper=中日スポーツ |date=2004-12-16 |author=寺西雅広 |url=http://chuspo.chunichi.co.jp/dragons/tp2004/tp1205-1.htm |publisher=中日新聞社 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20041207160229/http://chuspo.chunichi.co.jp/dragons/tp2004/tp1205-1.htm |archive-date=2004年12月7日}}</ref>。同年12月14日、背番号は横浜時代と同じ44と発表された<ref>『中日新聞』2004年12月15日朝刊第一運動スポーツ面21頁「プロ野球短信 ウッズ背番号は44」(中日新聞社)</ref>。中日への移籍当初は一塁手としてだけでなく、[[左翼手]]として起用する構想もあった<ref name="中スポ20041213"/><ref>{{Cite news|和書 |title=森野、ウッズに挑戦 |newspaper=中日スポーツ |date=2004-12-21 |author= |url=http://chuspo.chunichi.co.jp/dragons/tp2004/tp1221-2.htm |publisher=中日新聞社 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20050111151343/http://chuspo.chunichi.co.jp/dragons/tp2004/tp1221-2.htm |archive-date=2005年1月11日}}</ref>。
なお中日時代の2006年には契約交渉などで代理人を務めていたアメリカの法人{{Efn2|name="代理人"|当時の代理人会社はアメリカ・[[イリノイ州]]のプロタレント・インク社<ref name="読売新聞2009-03-03">『読売新聞』2009年3月3日東京朝刊第二社会面34頁「元中日・ウッズ選手敗訴 報酬支払い命令 米代理人に1300万円/東京地裁」(読売新聞東京本社)</ref>。}}が「2003年1月{{Efn2|代理契約締結時期は原告側訴状では「2003年1月」<ref name="読売新聞2006-07-19"/>、判決では「2002年12月」<ref name="読売新聞2009-03-03"/>。}}に代理人契約で『ウッズが受け取った年俸などの6%を報酬として受け取る。契約を解除した場合はその時点で未払いの報酬金を支払う』とする契約を締結したが、ウッズが翌2004年12月に中日入りした直後に契約を解除され、契約金から報酬を支払われていない{{Efn2|ウッズ側は中日との契約交渉に関して「自分で契約した」と主張して代理人への報酬支払いを拒んでいた<ref name="読売新聞2009-03-03"/>。}}」として報酬6000万円(2年契約・年俸10億円のうち6%)の支払いを求めて[[名古屋地方裁判所]]へ[[民事訴訟]]を提訴しており<ref name="読売新聞2006-07-19">『読売新聞』2006年7月19日中部朝刊第三社会面36頁「中日・ウッズ選手訴えられる 米の代理人、報酬を請求/名古屋地裁」([[読売新聞中部支社]])</ref>、中日退団後の{{by|2009年}}(平成21年)3月2日には[[東京地方裁判所]]([[山崎勉]]裁判長)が[[被告]]・ウッズに対し、[[原告]]である代理人へ約1300万円を支払うことを命じる[[判決 (日本法)|判決]]を言い渡している{{Efn2|ウッズの弁護士によればプロ野球選手の代理人報酬をめぐる判決は異例だった<ref name="中日新聞2009-03-04"/>。}}<ref name="中日新聞2009-03-04">『中日新聞』2009年3月4日朝刊第三社会面33頁「中日ウッズ元選手1300万円支払い命令 代理人報酬」(中日新聞社)</ref>。
=== 中日時代 ===
==== 2005年 ====
{{by|2005年}}シーズンを迎えるにあたり、チームとしての目標は中日のセ・リーグ優勝と日本一、そして個人目標としては自身の前年の本塁打数を上回る46本塁打を掲げていた<ref>{{Cite news|和書 |title=ウッズ「最低でも46本塁打」竜の新主砲に国際電話で直撃 |newspaper=中日スポーツ |date=2004-12-04 |author=関陽一郎 |url=http://chuspo.chunichi.co.jp/dragons/tp2004/tp1204-1.htm |publisher=中日新聞社 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20041214032509/http://chuspo.chunichi.co.jp/dragons/tp2004/tp1204-2.htm |archive-date=2004年12月14日}}</ref>。
同年4月2日の横浜戦([[ナゴヤドーム]])で6回裏に移籍後初本塁打を放った<ref>{{Cite web|和書|url=http://chuspo.chunichi.co.jp/dragons/tp2005/tp0403-2.htm |title=古巣に恩返し 1号アーチ |access-date=2022-09-10 |publisher=中日新聞社 |date=2005-04-03 |website=中日スポーツ |archive-url=https://web.archive.org/web/20051201133512fw_/http://chuspo.chunichi.co.jp/dragons/tp2005/tp0403-2.htm |archive-date=2005-12-01}}</ref>。しかし、[[セ・パ交流戦]]開始前日の5月5日に開催された対ヤクルト6回戦(ナゴヤドーム)で[[藤井秀悟]]の頭部付近への投球に激怒し、右手で顔面を殴って退場処分を受け([[#退場歴|後述]])<ref name="サンスポ20050506">{{Cite news|和書 |title=中日・ウッズが藤井に暴行!ヤクルト激怒「計画的だ」 |newspaper=SANSPO.COM |date=2005-05-06 |url=https://www.sanspo.com/baseball/top/bt200505/bt2005050601.html |publisher=産業経済新聞社 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20050507024233/https://www.sanspo.com/baseball/top/bt200505/bt2005050601.html |archive-date=2005年5月7日}}</ref>、10試合の出場停止という処分を課された。交流戦の開始と同時にウッズが出場停止となったことが大きく響き、チームはウッズの離脱中に2勝8敗と大苦戦を強いられた<ref>{{Cite book |和書 |title=完全保存版 プロ野球 セ・パ両リーグ12球団全選手カラー百科名鑑2006 |publisher=日本スポーツ出版社 |series=[[ホームラン (雑誌)|ホームラン]] |date=2006-03-31 |language=ja |pages=154 |volume=第30巻 |issue=第4号(2006年3月号増刊・通算295号)}}</ref>。ウッズは出場停止期間明けの5月18日に復帰したものの<ref name="毎日新聞2005-05-27"/>、セ・リーグのそれとは異なる[[パシフィック・リーグ]]の[[ストライクゾーン]]への適応に苦しみ、度重なる遠征や慣れない球場でのプレーによって疲労が蓄積、慢性的な腰痛に悩まされていた<ref name="chuspo20050617"/>。また打線もつながりを欠き{{Efn2|[[広岡達朗]]は当時の中日打線の低迷の原因について、前年は打線につなぐ意識が浸透していたが、今年はウッズに依存しようという意識がマイナスに働いていると指摘していた<ref name="毎日新聞2005-05-27"/>。}}<ref name="毎日新聞2005-05-27">『[[毎日新聞]]』2005年5月27日[[毎日新聞中部本社|中部夕刊]]社会面6頁「プロ野球:“降竜”戦、なぜ勝てぬ 中日、12球団で“最下位”--セ・パ交流戦」(記者:仁瓶和弥)</ref>、チームは交流戦で「'''降竜戦'''」と揶揄されるほどの深刻な低迷に陥った<ref name="毎日新聞2005-05-27" /><ref>『東京新聞』2005年5月13日朝刊第一運動スポーツ面21頁「あれれ…降竜戦? 中日、ただいま1勝5敗」(中日新聞東京本社・記者:西沢智宏)</ref>。しかし6月16日の対[[オリックス・バファローズ]]戦(ナゴヤドーム)では、6回裏に15号逆転本塁打を打ち、NPB以上6番目の速さとなる通算321試合目でNPB通算100本塁打を達成<ref name="chuspo20050617">{{Cite web|和書|url=http://chuspo.chunichi.co.jp/00/baseball/20050617/spon____baseball000.shtml |title=ウッズ、交流戦は100号締め 逆転白星で竜2位浮上 |access-date=2023-02-10 |date=2005-06-17 |publisher=中日新聞社 |website=中日スポーツ |author=寺西雅広 |archive-url=https://web.archive.org/web/20050619002328/http://chuspo.chunichi.co.jp/00/baseball/20050617/spon____baseball000.shtml |archive-date=2005-06-19}}</ref>。7月は打率.378(リーグ1位)、3本塁打、15打点、28安打(リーグ1位)の成績で、月間MVPを受賞した<ref name="月間MVP2005-07">{{Cite web|和書|url=https://npb.jp/award/2005/month/win_cl7.html |title=2005年7月度「日本生命月間MVP」受賞選手 (セントラル・リーグ) |access-date=2023-02-10 |publisher=NPB.jp 日本野球機構 |archive-url=https://web.archive.org/web/20230210080844/https://npb.jp/award/2005/month/win_cl7.html |archive-date=2023-02-10}}</ref>。8月6日の対横浜戦([[横浜スタジアム]])では、来日後初の1試合3本塁打を放った<ref>{{Cite web|和書|url=http://chuspo.chunichi.co.jp/00/baseball/20050807/spon____baseball000.shtml |title=竜劇勝!ピタリ2.5差 落合監督、ついに出たV宣言 |access-date=2023-02-10 |date=2005-08-07 |publisher=中日新聞社 |website=中日スポーツ |archive-url=https://web.archive.org/web/20050808000943/http://chuspo.chunichi.co.jp/00/baseball/20050807/spon____baseball000.shtml |archive-date=2005-08-08}}</ref>。最終的に3年連続の本塁打王こそ逃したがチームトップの38本塁打を放ち、2年連続の100打点と初の打率3割を記録した<ref>{{Cite web|和書|url=http://chuspo.chunichi.co.jp/dragons/tp2005/tp1009-3.htm |title=マル中日愛強調 外国人3選手帰国 |access-date=2022-11-19 |date=2005-10-09 |archive-url=https://web.archive.org/web/20061022015934fw_/http://chuspo.chunichi.co.jp/dragons/tp2005/tp1009-3.htm |archive-date=2006-10-22 |publisher=中日新聞社 |website=中日スポーツ}}</ref>。交流戦で低迷していたチームもリーグ戦再開後には成績を持ち直したが、最終的には阪神に遠く及ばず、リーグ連覇を逃すことになった<ref>『中日新聞』2005年10月3日朝刊第一運動スポーツ面29頁「失速 中日連覇への落とし穴(下) 相対的強者 交流戦でもろさ露呈」(連載担当記者:西沢智宏)</ref>。
====
{{by|2006年}}、来日当初から指摘され続けていた勝負弱さを克服した<ref name="中日新聞2006-10-10"/>。開幕当初は不振に喘いだが<ref>{{Cite web|和書|url=http://chuspo.chunichi.co.jp/dragons/tp2006/tp0410-3.htm |title=ウッズ驚弾 2号2ラン |access-date=2022-11-19 |date=2006-04-10 |archive-date=2007-02-06 |archive-url=https://web.archive.org/web/20070206143158fw_/http://chuspo.chunichi.co.jp/dragons/tp2006/tp0410-3.htm |publisher=中日新聞社 |website=中日スポーツ}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://chuspo.chunichi.co.jp/dragons/tp2006/tp0412-1.htm |title=ウッズよ、1本勝負だ 川又氏が提言「二刀流バットが不振原」 |access-date=2022-11-19 |date=2006-04-12 |archive-url=https://web.archive.org/web/20070206143256fw_/http://chuspo.chunichi.co.jp/dragons/tp2006/tp0412-1.htm |archive-date=2007-02-06 |publisher=中日新聞社 |website=中日スポーツ}}</ref>、シーズンでは自己最多の47本塁打{{Efn2|本塁打の内訳は、ソロ本塁打21本、2点本塁打16本、3点本塁打6本、満塁本塁打4本<ref>{{Cite news|和書 |title=[2007キャンプリポート]巨人 試行錯誤 1、2番探し |newspaper=読売新聞 |date=2007-02-22 |edition=東京朝刊 スポA 27頁 |agency=読売新聞社}}</ref>。}}を放ち、2年ぶりの本塁打王と初の[[最多打点 (日本プロ野球)|打点王]]を獲得し、リーグ優勝に大きく貢献した。球団としては、本塁打王は{{by|1996年}}の[[山崎武司]]、打点王は{{by|1994年}}の[[大豊泰昭]]以来で、両タイトルとも本拠地がナゴヤドームに移転後では初であった。古巣の横浜相手には特に強く、打率.372、本塁打12本を記録。2006年9月には23試合で打率.321を記録、また本塁打・打点はいずれもリーグトップの9本塁打、28打点を記録し、自身通算3度目の月間MVPに選出された<ref name="月間MVP 200609">{{Cite web ja |title=<nowiki>2006年9月度「日本生命月間MVP賞」受賞選手 (セントラル・リーグ) | 2006年 表彰選手</nowiki> |url=https://npb.jp/award/2006/month/win_cl9.html |access-date=2025-10-12 |date=2006-10 |url-status=live |archive-url=https://web.archive.org/web/20251012145433/https://npb.jp/award/2006/month/win_cl9.html |archive-date=2025-10-12 |website=NPB.jp |publisher=[[日本野球機構]]}}</ref>。リーグ優勝への[[マジックナンバー (野球)|マジックナンバー]]を1として迎えた10月10日の対巨人戦(東京ドーム)では46号先制3ラン、47号満塁本塁打を放ち7打点を挙げ、[[西沢道夫]]の持つシーズン本塁打球団記録(46本)を更新し、優勝を決めた<ref>{{Cite web|和書|url=http://nagoya.nikkansports.com/baseball/professional/dragons/victory2006/p-nd-tp0-20061011-102142.html |title=2発7打点ウッズ「最高だ」 |access-date=2023-02-10 |date=2006-10-11 |publisher=名古屋日刊スポーツ新聞社 |website=日刊スポーツ名古屋版 |archive-url=https://web.archive.org/web/20061026110442/http://nagoya.nikkansports.com/baseball/professional/dragons/victory2006/p-nd-tp0-20061011-102142.html |archive-date=2006-10-26}}</ref>。この野球中継で実況を担当した[[河村亮]]が47号満塁本塁打を放った際「'''痛烈!一閃!'''」という名実況を残している<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.chunichi.co.jp/article/471359 |title=「痛烈!一閃!」河村アナの名実況”追悼再現”か…15日の巨人-中日戦の日テレアナ実況に注目集まる |access-date=2023-02-10 |publisher=中日新聞社 |date=2022-05-16 |website=中日スポーツ・東京中日スポーツ (chunichi.co.jp) |archive-date=2023-02-10 |archive-url=https://web.archive.org/web/20230210093759/https://www.chunichi.co.jp/article/471359}}</ref>。なお47号は前日9日に続く2試合連続満塁弾で、これは日本プロ野球史上、前年の[[ベニー・アグバヤニ]]([[千葉ロッテマリーンズ|ロッテ]])に続き史上6人目、セ・リーグでは{{by|1953年}}の[[藤村富美男]]([[阪神タイガース|大阪タイガース]])以来53年ぶり2人目の快挙だった。144打点も球団新記録でプロ野球史上歴代6位の記録であり、2020年現在最後の140打点達成者となっている。[[北海道日本ハムファイターズ]]と対戦した[[2006年の日本シリーズ|日本シリーズ]]でも全試合4番を務め、打率は.267(15打数4安打)と悪くはなかったものの本塁打0、打点は0で、日本一にはなれなかった。同年12月19日には優勝旅行先のアメリカ・[[ラスベガス]]で契約更改交渉を行い、1年契約・年俸6億円で合意した<ref>『中日新聞』2006年12月20日朝刊第一運動スポーツ面25頁「プロ野球 中日 ウッズ単年6億円」(中日新聞社)</ref>。
{{by|2007年}}5月は全26試合に出場し、打率では.379の[[小笠原道大]](巨人)にはおよばなかったものの.368と高打率を残し、また本塁打11、打点29と2部門でいずれもリーグトップの活躍を果たした<ref name="月間MVP 200705"/>。チームもウッズの活躍に支えられ、16勝10敗、勝率.615で月間トップになったことが評価され、自身通算4度目の月間MVPに選出された<ref name="月間MVP 200705">{{Cite web ja |title=<nowiki>2007年5月度「日本生命月間MVP賞」受賞選手 (セントラル・リーグ) | 2007年 表彰選手</nowiki> |url=https://npb.jp/award/2006/month/win_cl9.html |access-date=2025-10-12 |date=2007-05 |url-status=live |archive-url=https://web.archive.org/web/20251012145438/https://npb.jp/award/2007/month/win_cl5.html |archive-date=2025-10-12 |website=NPB.jp |publisher=[[日本野球機構]]}}</ref>。8月16日の対[[阪神タイガース]]戦([[大阪ドーム|京セラドーム大阪]])で、6回表に[[下柳剛]]からNPB通算200号本塁打を放った<ref name="chunichi20070817">{{Cite web|和書|url=http://www.chunichi.co.jp/chuspo/hold/dragons/news/2007/200708/CK2007081702041618.html |title=ウッズ、ガツンと日本通算200号 史上4位のスピード記録 |access-date=2022-11-19 |publisher=中日新聞社 |date=2007-08-17 |website=中日スポーツ |archive-url=https://web.archive.org/web/20090711150105/http://www.chunichi.co.jp/chuspo/hold/dragons/news/2007/200708/CK2007081702041618.html |archive-date=2009-07-12}}</ref><ref name="sponichiosaka20070817">{{Cite web|和書|url=https://www.sponichi.co.jp/osaka/ser3/200708/17/ser3209218.html |title=落合竜が首位に立つ 「監督通算300勝」で決めた |access-date=2022-11-19 |date=2007-08-17 |archive-url=https://web.archive.org/web/20071029044828/https://www.sponichi.co.jp/osaka/ser3/200708/17/ser3209218.html |archive-date=2007-10-29 |publisher=株式会社スポーツニッポン新聞社 |website=スポニチアネックスOSAKA}}</ref>。この年よりセ・リーグに導入された[[2007年のセントラル・リーグクライマックスシリーズ|クライマックスシリーズ]]では、ファーストステージとセカンドステージ初戦で本塁打を放った<ref>{{Cite news |title=逆転3ラン放った中日・ウッズが独白!日本ハムは勝負しろ! |newspaper=[[サンケイスポーツ|SANSPO.COM]] |date=2007-10-21 |url=https://www.sanspo.com/baseball/top/bt200710/bt2007102116.html |publisher=[[産業経済新聞社]] |language=ja |archive-url=[https://web.archive.org/web/20071022021206/https://www.sanspo.com/baseball/top/bt200710/bt2007102116.html |archive-date=2007年10月22日}}</ref>。日本シリーズでは日本一になった第5戦で、この試合の唯一の得点となる[[平田良介]]の犠牲フライでホームを踏み<ref>{{Cite news|和書 |title=ウッズが突破口「チーム勝つため打った」 |newspaper=[[日刊スポーツ]] |date=2007-11-02 |edition=名古屋版 |url=http://nagoya.nikkansports.com/baseball/professional/dragons/p-nd-tp0-20071102-277826.html |publisher=[[日刊スポーツ新聞西日本|名古屋日刊スポーツ新聞社]] |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20071103050759/http://nagoya.nikkansports.com/baseball/professional/dragons/p-nd-tp0-20071102-277826.html |archive-date=2007年11月3日}}</ref>、最後の打者となった[[小谷野栄一]]の二塁ゴロでウイニングボールを掴んだ。同年オフには残留することで合意し、2008年1月4日には現状維持の年俸6億円で1年契約を結んだ<ref>『中日新聞』2008年1月5日朝刊第二運動スポーツ面26頁「プロ野球 中日・岩瀬 4億3000万円 1年契約、現役投手で最高年俸」(中日新聞社)</ref>。
同シーズンは8月22日の対巨人戦で、それまで打率.364、9本塁打、18打点と得意にしていた巨人投手陣から4四球(全21球のうちストライクは4球)を喫したが、本人は敬遠攻めに遭うことは「リスペクトされている証拠だから、気にしていない」と語っていた<ref>『毎日新聞』2007年8月28日東京朝刊運動面25頁「冨重圭以子の納得の一言:プロ野球、タイロン・ウッズ 全打席四球」(毎日新聞東京本社)</ref>。
{{by|2008年}}は開幕前、チーム目標としてはリーグ優勝と日本一を、また個人成績の目標としては打率3割、50本塁打、150打点を掲げていた<ref name="毎日新聞20080219">『毎日新聞』2008年2月19日東京朝刊運動面20頁「冨重圭以子の納得の一言:プロ野球、タイロン・ウッズ 準備は万全」(毎日新聞東京本社)</ref>。また前年に巨人や阪神の投手陣から敬遠攻めに遭い、リーグトップの121四球を記録したことを踏まえ、自分に勝負を挑んで三振を奪った投手は「キング」(王様)と敬意を表す一方、敬遠策を取った投手は「チキン」(臆病者)呼ばわりする旨も語っていた<ref name="毎日新聞20080219"/>。
同年も4番打者を任されていたが、中日打線がセ・パ交流戦に入ってからチーム打率1割台と低迷していた<ref name="sponichiosaka20080530">{{Cite news |title=中日新打線が裏目 落合監督「突き破るのは選手」 |newspaper=スポニチ Sponichi Annex 大阪 |date=2008-05-30 |url=http://www.sponichi.co.jp/osaka/ser3/200805/30/ser3211408.html |publisher=スポーツニッポン新聞社 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20080602043210/http://www.sponichi.co.jp/osaka/ser3/200805/30/ser3211408.html |archive-date=2008-06-02}}</ref>ため、5月29日のオリックス戦(ナゴヤドーム)では4番を[[和田一浩]]に譲り3番でスタメン出場<ref name="sponichiosaka20080530" /><ref>{{Cite web2|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20080530-366145.html|title=竜貧打深刻、新打線機能せず連敗|access-date=2023-02-10|date=2008年5月30日|website=日刊スポーツ (nikkansports.com)|publisher=日刊スポーツ新聞社|archive-url=https://web.archive.org/web/20230210043631/https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20080530-366145.html|archive-date=2023-02-10}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://npb.jp/bis/2008/games/s2008052900665.html |title=2008年5月29日 【公式戦】 試合結果 (中日vsオリックス) |access-date=2023-02-10 |publisher=NPB.jp 日本野球機構 |archive-url=https://web.archive.org/web/20230210044233/https://npb.jp/bis/2008/games/s2008052900665.html |archive-date=2023-02-10}}</ref>。中日移籍後初めて4番を外された<ref name="sponichiosaka20080530" />。その後6月14日のオリックス戦(京セラドーム大阪)で4番に復帰した<ref name="chuspo20080615">{{Cite web|和書|url=http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/200806/CK2008061502000078.html |title=新打線で上向き3発 結果には結びつかず |access-date=2023-02-10 |date=2008-06-15 |publisher=中日新聞社 |website=中日スポーツ |archive-url=https://web.archive.org/web/20081029011646/http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/200806/CK2008061502000078.html |archive-date=2008-10-29}}</ref>が、自身の不振が原因で<ref name="chuspo20080727">{{Cite web|和書|url=http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/200807/CK2008072702000088.html |title=落合竜、月間勝率ワースト ウッズ先発外しも効果なし |access-date=2023-02-10 |date=2008-07-27 |publisher=中日新聞社 |website=中日スポーツ |archive-url=https://web.archive.org/web/20081029005346/http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/200807/CK2008072702000088.html |archive-date=2008-10-29}}</ref>7月26日の阪神戦([[阪神甲子園球場]])<ref name="chuspo20080727" />から前半戦終了まではスタメンから外れた<ref name="chuspo20080802">{{Cite web2|url=http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/200808/CK2008080202000080.html|title=ウッズだ!井端だ!和田だ! 球宴、竜祭りだ!!|access-date=2023-02-10|date=2008年8月2日|website=中日スポーツ|publisher=中日新聞社|archive-url=https://web.archive.org/web/20081020033031/http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/200808/CK2008080202000080.html|archive-date=2008-10-20}}</ref>。選手間投票で選出された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20080708-381257.html |title=ウッズ尻に火、異例の休日トレ |access-date=2023-02-10 |date=2008-07-08 |publisher=日刊スポーツ新聞社 |website=日刊スポーツ (nikkansports.com) |archive-url=https://web.archive.org/web/20230210102056/https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20080708-381257.html |archive-date=2023-02-10}}</ref>[[2008年のオールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]では、8月1日の第2戦(横浜スタジアム)で[[成瀬善久]]から本塁打を放った<ref name="chuspo20080802" />。
9月4日のヤクルト戦(明治神宮野球場)にて9回表に30号2点本塁打を放ったことで外国人選手初となる6年連続30本塁打以上を記録し<ref name="スポニチ2009-09-01" />、最終的には来日以降6年連続35本塁打以上を記録したものの<ref name="中日新聞2008-11-05" />、攻守に精彩を欠き<ref name="毎日新聞20081105"/>、35本塁打、77打点と、本塁打・打点はともに来日以降最低の数字に終わった<ref name="スポニチ2008-10-26">{{Cite news |url=http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2008/10/26/kiji/K20081026Z00001550.html |title=ダウン提示拒否!ウッズ 退団濃厚 |date=2008-10-26 |newspaper=Sponichi Annex([[スポーツニッポン]]) |publisher=スポーツニッポン新聞社 |author=[[鈴木忠平]] |language=ja |accessdate=2020-01-23 |archivedate=2020年1月23日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20200123090530/http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2008/10/26/kiji/K20081026Z00001550.html}}</ref>。特に打点に関しては、横浜時代の2004年から前年まで4年連続で継続していた100打点が途切れる結果となった<ref name="毎日新聞20081105">『毎日新聞』2008年11月5日東京朝刊運動面19頁「プロ野球:ウッズ、中日退団」(毎日新聞東京本社【村社拓信】)</ref>。また同年は得点圏打率.227と勝負弱さが際立ち、チャンスで凡退する場面が何度も見られ、高額な年俸に見合った成績とはいえなかった<ref name="中日新聞2008-11-05">『中日新聞』2008年11月5日朝刊第二運動スポーツ面19頁「プロ野球 中日・ウッズの退団決定 落合監督と3年契約、2度目更新」(中日新聞社)「大砲不在 チーム改造へ第一歩 自前の4番育てる好機に」(記者:村井博美)</ref>。39歳と高齢なことに加え、守備面の不安・体力の衰えから中日球団は同年限りの解雇を検討していたが、[[2008年のセントラル・リーグクライマックスシリーズ|クライマックスシリーズ]]では7試合で5本塁打<ref name="スポニチ2008-10-26" />(チームトップ)<ref group="注">このうちの1本塁打は第1ステージ第3戦(阪神戦)の0対0で迎えた9回に抑えの[[藤川球児]]から打った2ラン本塁打でこれが決勝点となった。</ref>を放ち活躍した<ref name="スポニチ2008-10-26" />。そのため球団内部で「新外国人選手獲得よりウッズと再契約するほうがいい」という意見が噴出し<ref name="スポニチ2008-10-26" />、監督の[[落合博満]]も「(ウッズは)戦力として必要かと言われれば必要だろう」との見解を示した<ref>{{Cite news |url=http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20081027-423219.html |title=落合監督新たに3年契約、ウッズ退団決定 |date=2008-10-27 |newspaper=日刊スポーツ |publisher=日刊スポーツ新聞社 |author= |language=ja |accessdate=2020-01-23 |archivedate=2008年10月30日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20081030011822/http://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20081027-423219.html}}</ref>。最終的に中日は1年契約で年俸300万ドル(約2億8200万円)をベースに残留交渉する方針を固めたものの、ウッズは「自分にもプライドがある」と減俸を拒否した<ref name="スポニチ2008-10-26" />。結局、2008年11月4日に中日は正式に来季の契約を結ばないことを発表し<ref name="中日新聞2008-11-05" /><ref>{{Cite news |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20081105-426232.html |title=落合監督新たに3年契約、ウッズ退団決定 |date=2008-11-05 |newspaper=日刊スポーツ |publisher=日刊スポーツ新聞社 |author=鈴木忠平 |language=ja |accessdate=2019-08-05 |archivedate=2019年8月5日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20190805043257/https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20081105-426232.html}}</ref>、同年12月2日付で[[日本野球機構]](NPB)より[[自由契約]]選手として公示された<ref>{{Cite web|和書|url=https://npb.jp/announcement/2008/pn_released.html |title=公示 自由契約選手 2008年度 |date=2008-12-02 |publisher=日本野球機構(NPB) |language=ja |accessdate=2019-08-05 |archivedate=2019-08-05 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20190805043502/https://npb.jp/announcement/2008/pn_released.html}}</ref>。
当時の中日打線にはシーズン30本以上の本塁打を打てる打者がウッズ以外にいない状態だったが、落合監督以下首脳陣は[[フリーエージェント (日本プロ野球)|フリーエージェント]](FA)選手の獲得・大物新外国人の補強はせず、既存戦力もしくは[[ドミニカ共和国]]を中心とした将来性のある外国人選手などで「大砲不在」の状況を克服する方針を決めていた<ref name="中日新聞2008-11-05"/>。そのウッズの穴埋めとして獲得したのがドミニカ共和国生まれで米国下部リーグ出身の[[トニ・ブランコ]]で<ref>『中日新聞』2009年6月9日夕刊E版運動スポーツ面7頁「スポーツが呼んでいる 中日・ブランコ 格安の大砲“大当たり”」(中日新聞社。スポーツライター:藤島大が寄稿)</ref>、ブランコは来日1年目の{{by|2009年}}シーズンこそ契約金500万円・年俸3000万円の1年契約だったが<ref>『中日新聞』2008年12月16日朝刊第一運動スポーツ面29頁「プロ野球 中日、2外国人と契約 ブランコ内野手、パヤノ投手」(中日新聞社)</ref>、同シーズンに全試合で4番打者を務め39本塁打・110打点で本塁打王・打点王の二冠王を獲得し、ウッズの穴を埋める大活躍を果たしたことで同年オフには2年契約・年俸1億7000万円+出来高払い(2年総額約4億6000万円)と大幅な年俸アップを勝ち取った<ref>『中日新聞』2009年10月27日朝刊第一運動スポーツ面25頁「中日 ブランコと2年契約 年報1億7000万円 李は退団へ」(中日新聞社)</ref>。
=== 中日退団後===
退団が濃厚となった際には「[[指名打者]](DH)制がある[[パシフィック・リーグ]](パ・リーグ)球団が獲得に乗り出すことは確実。[[福岡ソフトバンクホークス]]・[[東北楽天ゴールデンイーグルス]]など複数球団による争奪戦も予想される」と報道されたが<ref name="スポニチ2008-10-26"/>、高年俸・高齢がネックとなり実際にはオファーはされなかった。当時、『[[中日スポーツ]]』の電話取材では「まだ日本でやりたいという気持ちが強い。他球団からのオファーを待つ」と語っている。また{{by|2009年}}5月には[[阪神タイガース]]が打撃不振の新外国人[[ケビン・メンチ]]の代役候補としてウッズの名前を挙げていたが<ref>{{Cite news |url=https://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2009/05/18/kiji/K20090518Z00000950.html |title=阪神 メンチ切って新助っ人調査中 |date=2009-05-18 |newspaper=Sponichi Annex([[スポーツニッポン]]) |publisher=スポーツニッポン新聞社 |author= |language=ja |accessdate=2020-01-23 |archivedate=2020年1月23日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20200123092714/http://www.sponichi.co.jp/baseball/news/2009/05/18/kiji/K20090518Z00000950.html}}</ref><ref>{{Cite news |url=http://www.sanspo.com/baseball/news/090518/bsb0905181621016-n1.htm |title=阪神、メンチを再降格…新外国人獲得か? |date=2009-05-18 |newspaper=サンケイスポーツ |publisher=産業経済新聞社 |author= |language=ja |accessdate=2020-01-23 |archivedate=2009年5月19日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20090519193754/http://www.sanspo.com/baseball/news/090518/bsb0905181621016-n1.htm}}</ref>、球団は[[クレイグ・ブラゼル]]と契約したため日本復帰は実現しなかった。
{{by|2010年}}プロ野球シーズン開幕前(3月24日)にテレビ番組収録のため来日して退団後初めてナゴヤドームを訪れ、次代の4番である[[トニ・ブランコ]]らを激励した<ref name="日刊スポーツ2010-03-25"/><ref>『中日新聞』2010年3月25日朝刊第一運動スポーツ面29頁「脱衣室」(中日新聞社)</ref>。
中日退団後はフロリダで不動産業を営んでおり<ref name="日刊スポーツ2010-03-25">{{Cite news |url=https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20100325-610017.html |title=ウッズ氏に約束!中日ブランコ連続2冠 |date=2010-03-25 |edition=紙面から |newspaper=日刊スポーツ |publisher=日刊スポーツ新聞社 |author=鈴木忠平 |language=ja |accessdate=2020-01-23 |archivedate=2020年1月23日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20200123093438/https://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20100325-610017.html}}</ref>、正式な表明をしてはいないが野球選手としては完全に引退状態にある。2010年11月には『[[中日スポーツ]]』([[中日新聞社]])の取材に対し<ref>{{Cite news |url=http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/201011/CK2010110902000009.html |title=あるぞ、ウッズ復帰 |newspaper=中日スポーツ |publisher=中日新聞社 |date=2010-11-09 |language=ja |accessdate=2019-08-09 |archivedate=2010年11月11日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20101111193257/http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/201011/CK2010110902000009.html}}</ref>「パ・リーグよりよく知っているセ・リーグの方が力になれる」と語り、セ・リーグ球団からのオファーがあれば検討する意志を示したが<ref>『[[東京中日スポーツ]]』2010年11月9日付1面(中日新聞社)</ref>、オファーはなく現役復帰していない。
2020年には、[[フロリダ州]][[タンパ]]で牧場経営を行っており、牛を飼育していることが公表された<ref name="woodsraireki"/>。
== 選手としての特徴 ==
韓国時代から、打撃に起伏がなく大きな短所がない点や、他の選手と異なり大舞台でも緊張せず普段通りの力が出せる点に加え、野球に真摯に打ち込む姿勢が高く評価されていた<ref name="東亜日報2001-10-26">{{Cite news |title=「黒熊」ウッズ、優勝を狙う |newspaper=東亜日報 |date=2001-10-26 |author=金相洙 |url=http://www.donga.com/jp/article/all/20011026/215256/ |accessdate=2019-08-04 |publisher=東亜日報社|publication-place=大韓民国・ソウル特別市鍾路区 |language=ja |archiveurl=https://web.archive.org/web/20190804133736/http://www.donga.com/jp/article/all/20011026/215256/ |archivedate=2019年8月4日}}</ref>。
持ち味のパワーは高校時代からの[[ウェイトトレーニング]]の賜物である<ref name="読売新聞2003-06-10"/>。高校時代には[[アメリカンフットボール]]を経験しており、アメフトで鍛えた体が後の日本球界での活躍に繋がった<ref name="woodsraireki"/>。そのパワーは[[金本知憲]]が「横浜時代にライナーで[[ナゴヤドーム#アリーナビューレストラン|ナゴヤドームのレストラン]]に直撃させた」と証言し、[[広澤克実]]が「多分横浜に来た選手でバックスクリーンを超える選手は(ウッズ以外に)いなかった」と太鼓判を押すほどであった<ref>[https://www.youtube.com/watch?v=braRQRB5aK0 “アニキ”金本知憲も驚愕した 球界の飛ばし屋とは?【ザ・伝説の野球人大全集】] フルタの方程式【古田敦也 公式チャンネル】 2021/11/09 (2021年8月30日閲覧)</ref>。また来日時にはパワーだけでなく、[[アロンゾ・パウエル]]や[[セシル・フィルダー]]といったNPBで成功を収めた外国人打者と同じような柔軟な手首の使い方を横浜から評価されていた<ref name="スポーツ報知20021127">{{Cite news|和書 |title=横浜の新4番にタイロン・ウッズ 韓国プロ野球・5年で174発男! ペタ獲得失敗で決めた右の大砲 |newspaper=[[スポーツ報知]] |date=2002-11-27 |url=http://www.yomiuri.co.jp/hochi/baseball/nov/o20021127_50.htm |publisher=[[報知新聞社]] |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20021201110057/http://www.yomiuri.co.jp/hochi/baseball/nov/o20021127_50.htm |archive-date=2002年12月1日}}</ref>。
2003年6月8日の巨人戦では[[工藤公康]]からバックスクリーン右のスタンドを飛び越える[[本塁打]]を放っている。この時点で2003年シーズン19本中5本目の場外弾となったため、あまりのパワーに球団が事故防止のため横浜スタジアムの場外に警備員を配置することを急遽決定。横浜の新名物として盛り上がった<ref name="woodsraireki"/>。
初来日時に打撃練習で用いていたバットはミズノ製のマスコットバット(長さ34.5インチ、重さ950グラム)だったが、実戦では910グラム前後のバットを使用する予定と報じられており<ref name="スポニチ20030207"/>、中日移籍時は2004年に清原和博が用いていたものと同じミズノ製のバットをメーカーに注文してするなど<ref>『スポーツ報知』2005年4月1日付2頁「セ・リーグ1日開幕 中日・ウッズが〝清原バット〟で3年連続キング目指す」(報知新聞東京本社 戸田和彦)</ref>、6種類のバットを試していた。同年のバットも940グラムと、平均重量900 - 920グラムが一般的とされる中でも重いバットを用いていたが、2006年は緩いボールへの対策として、前年よりさらに40グラム重い980グラムのバットを仕入れていた<ref>『スポーツ報知』2006年3月11日付8頁「中日・ウッズがキング奪回へ超重量バットで準備万全」(報知新聞東京本社 戸田和彦)</ref>。
一方、守備力は[[アライバコンビ]]の足枷になるほど低かった。その極端な守備範囲の狭さから[[荒木雅博]]を送球[[イップス]]に追い込み、ある時[[井端弘和]]が投じた頭部付近へのノーバウンド送球をミットに当てることすらできず後ろに逸らし、井端は「あれも俺の[[失策|エラー]]になるの?」と嘆いたという<ref>{{Cite news|和書 |title=名手・荒木雅博がイップスの恐怖に引きずり込まれたウッズの守備範囲(1/4ページ) |newspaper=[[Sportiva|web Sportiva]] |date=2021-05-13 |author=菊地高弘 |url=https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/npb/2021/05/13/post_100/ |access-date=2025-10-12 |publisher=[[集英社]] |page=1 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20251012143553/https://sportiva.shueisha.co.jp/clm/baseball/npb/2021/05/13/post_100/ |archive-date=2025-10-12}}</ref>。
足はそこまで鈍足ではなかったものの、NPBでは一度も[[三塁打]]を打つことがなかった。2940打席連続生涯無三塁打はNPB歴代1位の記録である<ref>{{Cite web|和書|url=https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20200514-10|title=どれだけ知っている? 意外と知られていない「連続記録」|work=野球コラム|website=週刊ベースボールONLINE|date=2020-05-14|accessdate=2022-08-02}}</ref>。
斗山でウッズの通訳を担当したチョ・ソンイル (조성일) は、ウッズは食事の際の箸の使い方をすぐに完璧に習得したり、特別打撃練習を熱心に行ったり、韓国語を積極的に学んだりするなど、韓国で成功するために努力を惜しまなかったと評している<ref name="타이론 우즈 이야기">{{Cite web |url=https://www.doosanbears.com/doorundoorun/blog/430 |title=<nowiki>[이재국의 베팬알백] <62편> 정규시즌+올스타전+KS MVP…역대 최고 외국인타자 타이론 우즈 이야기</nowiki> |access-date=2025-04-19 |date=2023-08-07 |publisher=[[斗山ベアーズ|두산 베어스]] |author=이재국 |language=ko |archive-url=https://megalodon.jp/2025-0419-1217-12/https://www.doosanbears.com:443/doorundoorun/blog/430 |archive-date=2025-04-19 |url-status=live}}</ref>。殊勲選手に選ばれた当初、ウッズは賞金を仲間たちと分配するという斗山の慣行に従おうとせず、賞金を全額自分のものにしようとしたが、チームの先輩である[[金泰亨]]から通訳を通じて諭され、彼の忠告を聞き入れたという逸話がある<ref name="타이론 우즈 이야기"/>。また斗山時代には[[シチュエーション・コメディ|シットコム]]番組{{仮リンク|『順風産婦人科』|ko|순풍산부인과}}([[SBS (韓国)|SBSテレビ放送]])に[[カメオ出演]]したことがある<ref name="타이론 우즈 이야기"/>。斗山時代のチームメイトであった金東柱のことは「코뿔소」([[サイ]])というニックネームで呼んでおり、2022年には再会したいかつての仲間として彼や{{仮リンク|金敏浩|ko|김민호 (1969년)}}らの名前を挙げている<ref name="ハンギョレ20221101"/>。
中日時代に結果を残した背景には、監督を務めていた落合からの配慮によるストレスフリーな環境があり、試合日以外は完全に自由時間であった上に、遠征先で雨天中止になると自宅への帰宅を落合に許可された。落合は「あいつは放っておいても成績を残すよ。だから、自由にやらせているんだ」と調整に全幅の信頼を寄せ、当時30代半ばを迎えていたウッズも身体のケアやウエートトレーニングに精を出し応えた<ref name="woodsraireki">{{Cite news|和書 |title=平成助っ人賛歌 超大砲ウッズが場外弾連発でジャパニーズドリームをつかんだ理由とは/平成助っ人賛歌【プロ野球死亡遊戯】 |newspaper=週刊ベースボールONLINE |date=2020-11-21 |url=https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20201121-11 |access-date=2023-01-30 |publisher=ベースボール・マガジン社 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20230130132704/https://column.sp.baseball.findfriends.jp/?pid=column_detail&id=097-20201121-11 |archive-date=2023年1月30日}}</ref>。
幼少期にはMLB通算536本塁打を記録した[[レジー・ジャクソン]]に憧れており、NPB時代に着用した背番号44はジャクソンが所属した[[ニューヨーク・ヤンキース]]の[[野球界の永久欠番|永久欠番]]に肖ったものである<ref name="神奈川新聞20030208"/>。
[[ドレッドロックス]]が特徴。自身の来日前からNPBで活躍していた[[アレックス・カブレラ]]や[[タフィ・ローズ]]とはマイナー時代から夜遊び仲間だったという<ref name="神奈川新聞20030208"/>。
自身より5歳年上のシェリル夫人と<ref name="スポーツ報知20041203">『スポーツ報知』2004年12月3日付3頁「中日が元横浜、ウッズと正式契約 2年契約で球団史上最高年俸の5億円」(報知新聞社)</ref>、一人の息子(2003年時点で16歳)がいる<ref name="スポーツ報知20030919">『スポーツ報知』2003年9月19日付2頁「横浜のタイロン・ウッズがシーズン途中での帰国希望」(報知新聞社)</ref>。2003年時点では息子を1人アメリカに残し、日本で妻と2人で暮らしていた<ref name="スポーツ報知20030919"/>。
私生活では「ヌードル」と名の付いた[[イングリッシュ・コッカー・スパニエル]]を飼っていたが、この名前は前の飼い主が付けた名前をそのまま使っていたものである<ref name="woodsraireki"/>。
本塁打を打った後、ホームベース付近で右手拳で胸を2回叩き、顔を上に向け右手人差し指に口づけをする。これは'''ホームランを打つ肉体を作ってくれたことに対して神に感謝する'''という意味を込めているといわれている<ref name="woodsraireki"/>。
同じ[[アフリカ系アメリカ人]]の[[タイガー・ウッズ]]と名前・イニシャルが似ているため、横浜入団直後の2003年2月に宜野湾春季キャンプ・フリー打撃練習で特大本塁打を放った際にはタイガー・ウッズを引き合いに「タイガー・ウッズばりの飛距離」「202メートルのスーパーショット」と報じられたほか<ref name="スポニチ2003-02-07"/>、2003年6月10日には『[[読売新聞]]』[[読売新聞東京本社|東京夕刊]]で「(当時19本塁打と)セ・リーグ本塁打王争いのトップを走るタイロンも『飛ばすこと』ではタイガー・ウッズに負けていない」と報じられた<ref name="読売新聞2003-06-10"/>。ただし、本人はタイガー・ウッズとの血縁関係を否定している<ref>{{Cite web ja |title=◆新外国人選手入団発表◆ |url=http://www.baystars.co.jp/visit/topics/0129.html |access-date=2025-05-11 |date=2003-01-29 |url-status=dead |archive-url=https://web.archive.org/web/20030210160607/http://www.baystars.co.jp/visit/topics/0129.html |archive-date=2003-02-10 |website=横浜ベイスターズ オフィシャルサイト |publisher=[[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]}}</ref>。中日入団決定時に[[中日スポーツ]]紙で「'''タイガー・ウッズ選手が中日入団決定'''」と、名前を間違えて報じられた。球場のアナウンス・テレビでの呼称ともに単に「ウッズ」ではなく「'''タイロン・ウッズ'''」とフルネームで呼ばれることが多かった。
本人が『[[週刊ベースボール]]』2003年6月23日号の独占インタビューで語ったところによると、アメリカ球界の場合チームがその選手にどれだけお金を使ったかという政治的な事情が考慮されて試合に出場するメンバーが決まるが、韓国球界や日本球界はチーム内で調子の良い9人をゲームで使う意識が根付いているとのことである。政治的なことを抜きに出場機会が決まる環境は自分にとっていい環境なのではないかと本人は考え、[[アロンゾ・パウエル]]からも「ニッポンはいい国だぞ」と予てより聞いていた<ref name="woodsraireki"/>。
[[クリーンナップ#野球におけるクリーンナップ|クリーンナップ]]を組んでいた[[福留孝介]]とのコンビは「'''FW'''」や「'''FW砲'''」と中日スポーツで名づけられたことがある<ref>{{Cite web|和書|url=http://chuspo.chunichi.co.jp/dragons/tp2006/tp0517-2.htm |title=竜のFWは得点力抜群 福留・ウッズ |publisher=中日新聞社 |date=2006-05-17 |accessdate=2022-04-09 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20060626192223fw_/http://chuspo.chunichi.co.jp/dragons/tp2006/tp0517-2.htm |archivedate=2006-06-27 |website=中日スポーツ}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://chuspo.chunichi.co.jp/dragons/tp2006/tp0603-2.htm |title=福留&ウッズ砲だけじゃ…ソロ2発 あ~つながらない…散発5安打 |publisher=中日新聞社 |date=2006-06-03 |accessdate=2022-04-09 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20060623102055fw_/http://chuspo.chunichi.co.jp/dragons/tp2006/tp0603-2.htm |archivedate=2006-06-23 |website=中日スポーツ}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.chunichi.co.jp/chuspo/hold/dragons/news/2006/200608/CK2007031902102481.html |title=福留&ウッズ“怒りのアベック弾” ブラウン発言を一発粉砕 |access-date=2022-11-19 |publisher=中日新聞社 |date=2006-08-16 |website=中日スポーツ |archive-url=https://web.archive.org/web/20080302091559/http://www.chunichi.co.jp/chuspo/hold/dragons/news/2006/200608/CK2007031902102481.html |archive-date=2008-03-02}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.chunichi.co.jp/chuspo/hold/dragons/news/2006/200608/CK2007031902102486.html |title=福留、気迫で本塁突入 ウッズ独走94打点 |access-date=2022-11-19 |publisher=中日新聞社 |date=2006-08-17 |website=中日スポーツ |archive-date=2008-03-02 |archive-url=https://web.archive.org/web/20080302104345/http://www.chunichi.co.jp/chuspo/hold/dragons/news/2006/200608/CK2007031902102486.html}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.chunichi.co.jp/chuspo/hold/dragons/news/2007/200705/CK2007050602014009.html |title=黄金FWで3連勝 福留だ、ウッズだ アベック2点打 |access-date=2022-09-10 |publisher=中日新聞社 |date=2007-05-06 |website=中日スポーツ |archive-url=https://web.archive.org/web/20081201175950/http://www.chunichi.co.jp/chuspo/hold/dragons/news/2007/200705/CK2007050602014009.html |archive-date=2008-12-02}}</ref>。また、[[和田一浩]]が移籍してきた2008年は「'''WW砲'''」と名づけられた<ref name="chuspo20080615" /><ref>{{Cite web|和書|url=http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/200803/CK2008030502092710.html |title=和田、オープン戦地元初戦で初安打 「WW砲」好発進 |access-date=2022-11-19 |publisher=中日新聞社 |date=2008-03-05 |website=中日スポーツ |archive-url=https://web.archive.org/web/20080308041215/http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/200803/CK2008030502092710.html |archive-date=2008-03-08}}</ref><ref>{{Cite web2|url=http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/200806/CK2008060802000069.html|title=逆転連弾Wパンチ 連日の3発 今度は勝った!|access-date=2023-02-10|date=2008-06-08|website=中日スポーツ|publisher=中日新聞社|archive-url=https://web.archive.org/web/20080608220306/http://www.chunichi.co.jp/chuspo/article/dragons/news/200806/CK2008060802000069.html|archive-date=2008-06-08}}</ref>。
食事の好き嫌いは特にないが、辛いものは苦手だという<ref name="日刊スポーツ20030207"/>。ただし日本のキムチは韓国のキムチより辛くなく、おいしいと語っていた<ref name="日刊スポーツ20030207"/>。また、来日直後は鍋料理<ref name="日刊スポーツ20030207">『日刊スポーツ』2003年2月7日付「横浜 タイロン・ウッズ内野手165M特大アーチ、「ラン」含むと202M」(日刊スポーツ新聞社【中村泰三】)</ref>、および[[しゃぶしゃぶ]]を好んでいた<ref name="スポニチ20030207"/>。
シーズンオフは筋力増強を目的に2-3時間、シーズン中は筋力維持を目的に約30分のウェートトレーニングを行っていた<ref name="日刊スポーツ20030207"/>。ベンチプレスの最高記録は150 kgである<ref name="日刊スポーツ20030207"/>。
== 退場歴 ==
2004年6月16日に開催された横浜対巨人12回戦(横浜スタジアム)では2回裏の打席で、審判員の[[森健次郎]]に対し、内角球のストライクの判定を不服として暴言を吐いたとして退場処分を受け<ref name="日刊スポーツ20040616">{{Cite news|和書 |title=横浜ウッズ、暴言で退場 |newspaper=nikkansports.com |date=2004-06-16 |edition= |url=http://www.nikkansports.com/ns/baseball/f-bb-tp0-040616-0044.html |publisher=日刊スポーツ新聞社 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20040617003622/http://www.nikkansports.com/ns/baseball/f-bb-tp0-040616-0044.html |archive-date=2004年6月17日}}</ref>、この件でセ・リーグから厳重戒告と制裁金5万円の処分を科された<ref>{{Cite news|和書 |title=横浜ウッズに厳重戒告と制裁金5万円 |newspaper=nikkansports.com |date=2004-06-17 |edition= |url=http://www.nikkansports.com/ns/baseball/f-bb-tp0-040617-0024.html |publisher=日刊スポーツ新聞社 |language=ja |archive-url=https://web.archive.org/web/20040617115136/http://www.nikkansports.com/ns/baseball/f-bb-tp0-040617-0024.html |archive-date=2004年6月17日}}</ref>。退場処分を受けたのは来日2年目でこれが初のことだった<ref name="神奈川新聞20040617">{{Cite news |title=3連勝で勝率5割◆横浜14-4巨人/金城満塁弾 |newspaper=神奈川新聞 |date=2004-06-17 |author= |url=http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/yb04061801.html |publisher=神奈川新聞社 |language=ja |archiveurl=https://web.archive.org/web/20040805054135/http://www.kanagawa-np.co.jp/yb/yb04061701.html |archivedate=2004年6月18日}}</ref>。
2005年5月5日に開催された中日対ヤクルト6回戦(ナゴヤドーム)では、5回裏の打席で顔付近への投球に怒り、更に[[藤井秀悟]]から舌を出して挑発をされたと受け取り(藤井は投球時に舌を出す癖がある)、右手で顔面を殴って殴って退場処分になり<ref name="サンスポ20050506"/>、出場停止10試合と制裁金50万円処分を受けた。これに関しては、同年4月6日の対ヤクルト戦(神宮)で3番手・[[五十嵐亮太]]から左手小指に死球を受け、骨折(亀裂骨折で全治6週間と診断)させられていた中でもチームのために出場を続けていた<ref>{{Cite web|和書|url=http://chuspo.chunichi.co.jp/dragons/tp2005/tp0417-1.htm |title=ウッズ、骨折していた 左手小指に亀裂!6日ヤクルト戦で死球 |publisher=中日スポーツ |date=2005-04-17 |accessdate=2022-04-09 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20051203173113fw_/http://chuspo.chunichi.co.jp/dragons/tp2005/tp0417-1.htm |archivedate=2005-12-03}}</ref>状況下で、同じように前日の対ヤクルト戦で死球を省みない内角高めのコースを攻め続けられた配球に対して怒りを示しており、その変化の無い危険な配球も伏線に繋がったと考えられる(捕手は五十嵐の時と同じ[[古田敦也]]){{Efn2|この時は二塁ベース上の[[立浪和義]]らグランドに居た選手が止めたので事なきを得た。}}。出場停止の影響で、その時点で首位を走っていた中日が直後に始まった交流戦で大きく負け越し、リーグ連覇を逃す結果となった。ウッズの抜けた穴は大きく、交流戦で連敗している間スポーツ紙には「ウッズ・ショック」の見出しが躍った。なお、藤井は日本ハムに移籍した2008年3月5日更新の自身のブログにおいて、ウッズとのツーショット写真を掲載して和解している<ref>{{Cite web|和書|url=https://ameblo.jp/yakyukozo/entry-10077539895.html |title=仲直り |date=2008-03-05 |accessdate=2022-04-09 |publisher=藤井秀悟オフィシャルブログ 『野球小僧』}}</ref>。
2007年5月2日に開催された中日対巨人戦(ナゴヤドーム)では、2回裏の打席で見逃し三振に倒れた際に球審に暴言を吐いたとして退場処分を受けた<ref name="chunichi20070503">{{Cite web|和書|url=http://www.chunichi.co.jp/chuspo/hold/dragons/news/2007/200705/CK2007050302013350.html |title=ウッズ退場、竜6連敗 延長11回岩瀬KO ついに借金 |access-date=2022-09-10 |publisher=中日新聞社 |date=2007-05-03 |website=中日スポーツ |archive-url=https://web.archive.org/web/20080205144148/http://www.chunichi.co.jp/chuspo/hold/dragons/news/2007/200705/CK2007050302013350.html |archive-date=2008-02-05}}</ref>。チームも試合に敗れ6連敗を喫した<ref name="chunichi20070503" />。ただ、その翌日の同カードでは同点の9回裏二死一、二塁の場面で右中間にサヨナラ適時打を放ち、チームの連敗を止める活躍を見せた<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.chunichi.co.jp/chuspo/hold/dragons/news/2007/200705/CK2007050402013582.html |title=ウッズ、サヨナラ打「最高の気分」 竜6連敗でストップ |access-date=2022-09-10 |publisher=中日新聞社 |date=2007-05-04 |website=中日スポーツ |archive-url=https://web.archive.org/web/20081201175930/http://www.chunichi.co.jp/chuspo/hold/dragons/news/2007/200705/CK2007050402013582.html |archive-date=2008-12-02}}</ref>。
== 詳細情報 ==
=== 年度別打撃成績 ===
{| {{年度別打撃成績}}
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|1998}}
|rowspan="5" style="text-align:center;"|[[斗山ベアーズ|OB<br />斗山]]
|126||521||452||77||138||14||1||'''42'''||280||'''103'''||1||2||0||2||65||5||2||'''115'''||13||.305||.393||.619||1.013
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|1999}}
|124||544||454||90||135||20||0||34||257||101||5||2||0||3||83||'''8'''||4||126||14||.297||.406||.566||.972
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|2000}}
|127||565||479||91||151||22||0||39||290||111||4||1||0||3||77||5||6||132||13||.315||.414||.605||1.020
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|2001}}
|118||525||436||101||127||16||2||34||249||'''113'''||12||3||0||5||83||4||1||114||11||.291||.402||.571||.973
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|2002}}
|119||469||407||53||104||18||3||25||203||82||5||2||0||7||50||3||5||123||11||.256||.339||.499||.838
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|2003}}
|rowspan="2" style="text-align:center;"|[[横浜DeNAベイスターズ|横浜]]
|136||551||479||73||131||17||0||'''40'''||268||87||2||3||0||4||66||2||2||'''132'''||14||.273||.361||.559||.921
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|2004}}
|130||551||476||84||142||15||0||'''45'''||292||103||2||1||0||0||74||8||1||142||16||.298||.394||.613||1.007
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|2005}}
|rowspan="4" style="text-align:center;"|[[中日ドラゴンズ|中日]]
|135||584||506||92||155||20||0||38||289||103||3||0||0||4||67||3||7||139||'''24'''||.306||.392||.571||.963
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|2006}}
|144||614||523||85||162||29||0||'''47'''||'''332'''||'''144'''||1||2||0||6||'''84'''||4||1||151||22||.310||.402||.635||1.037
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|2007}}
|139||593||466||85||126||16||0||35||247||102||3||1||0||5||'''121'''||19||1||'''153'''||15||.270||.418||.530||.948
|-
|style="text-align:center;"|{{by2|2008}}
|140||573||490||77||135||18||0||35||258||77||0||1||0||2||78||3||3||'''138'''||18||.276||.377||.527||.904
|-
!colspan="2"|[[韓国野球委員会|KBO]]:5年
|614||2624||2228||412||655||90||6||174||1279||510||27||10||0||20||358||25||18||610||62||.294||.393||.574||.967
|-
!colspan="2"|[[日本プロ野球|NPB]]:6年
|824||3466||2940||496||851||115||0||240||1686||616||11||8||0||21||490||39||15||855||109||.289||.391||.573||.964
|}
* 各年度の'''太字'''はリーグ最高
* OB(OBベアーズ)は、1999年に斗山(斗山ベアーズ)に球団名を変更
=== タイトル ===
; NPB
* [[最多本塁打 (日本プロ野球)|本塁打王]]:3回(2003年、2004年、2006年)
* [[最多打点 (日本プロ野球)|打点王]]:1回(2006年)
; KBO
* [[KBO本塁打王|本塁打王]]:1回(1998年)
* 打点王:2回(1998年、2001年)
=== 表彰 ===
; NPB
* [[ベストナイン (日本プロ野球)|ベストナイン]]:3回(2004年、2006年、2007年)
* [[月間MVP (日本プロ野球)|月間MVP]]:4回(2003年5月<ref name="神奈川新聞20030605"/>、2005年7月<ref name="月間MVP2005-07" />、2006年9月<ref name="月間MVP 200609"/>、2007年5月)
* 優秀[[JCB・MEP賞]]:1回(2007年)
; KBO
* [[KBO MVP|最優秀選手]]:1回(1998年)
* [[KBOゴールデングラブ賞|ゴールデングラブ賞]]:1回(2000年)
* [[韓国シリーズ]]MVP:1回(2001年)
* [[KBOオールスターゲーム]]MVP:1回(2001年)
; その他
* [[ドラゴンズクラウン賞]]:優秀選手賞2回(2006年<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.chunichi.co.jp/chuspo/hold/dragons/news/2006/200610/CK2007032102102420.html |title=岩瀬、札幌黙らせる!! 感激クラウン賞 “ドーム揺れる”強烈なノリ警戒 |access-date=2022-11-19 |publisher=中日新聞社 |date=2006-10-14 |website=中日スポーツ |archive-url=https://web.archive.org/web/20080526160928/http://www.chunichi.co.jp/chuspo/hold/dragons/news/2006/200610/CK2007032102102420.html |archive-date=2008-05-27}}</ref>、2007年<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.chunichi.co.jp/chuspo/hold/dragons/news/2007/200709/CK2007093002052673.html |title=森野感激クラウン賞 守って1人7役、打ってミスター3ラン |access-date=2022-11-19 |publisher=中日新聞社 |date=2007-09-30 |website=中日スポーツ |archive-url=https://web.archive.org/web/20090714011103/http://www.chunichi.co.jp/chuspo/hold/dragons/news/2007/200709/CK2007093002052673.html |archive-date=2009-07-14}}</ref>)
=== 記録 ===
;NPB初記録
* 初出場・初先発出場:2003年3月28日、対[[阪神タイガース]]1回戦([[横浜スタジアム]])、4番・[[一塁手]]で先発出場
* 初打席:同上、2回裏に[[井川慶]]から四球
* 初安打・初打点:同上、3回裏に井川慶から左前適時打
* 初本塁打:同上、8回裏に[[金澤健人]]から左越ソロ
* 初盗塁:2003年4月2日、対[[読売ジャイアンツ]]2回戦([[東京ドーム]])、6回表に二盗(投手:[[高橋尚成]]、捕手:[[阿部慎之助]])
;NPB節目の記録
* 100本塁打:2005年6月16日、対[[オリックス・バファローズ]]6回戦([[ナゴヤドーム]])、6回裏に[[加藤大輔]]から中越逆転3点本塁打<ref name="chuspo20050617" /><ref>{{Cite web|和書|url=https://npb.jp/bis/2005/games/s2005061600797.html |title=2005年6月16日 【公式戦】 試合結果 (中日vsオリックス) |access-date=2023-02-10 |publisher=NPB.jp 日本野球機構 |archive-url=https://web.archive.org/web/20230210080334/https://npb.jp/bis/2005/games/s2005061600797.html |archive-date=2023-02-10}}</ref> ※史上240人目
* 150本塁打:2006年8月3日、対[[横浜DeNAベイスターズ|横浜ベイスターズ]]10回戦(横浜スタジアム)、9回表に[[加藤武治]]から左越2ラン ※史上144人目
* 200本塁打:2007年8月16日、対阪神タイガース16回戦([[大阪ドーム|京セラドーム大阪]])、6回表に[[下柳剛]]から中越2ラン<ref name="chunichi20070817" /><ref name="sponichiosaka20070817" /><ref>{{Cite web|和書|url=https://npb.jp/bis/2007/games/s2007081601262.html |title=2007年8月16日 【公式戦】 試合結果 (阪神vs中日) |access-date=2022-11-19 |publisher=NPB.jp 日本野球機構 |archive-url=https://web.archive.org/web/20221118200606/https://npb.jp/bis/2007/games/s2007081601262.html |archive-date=2022-11-19}}</ref> ※史上88人目
;NPBその他の記録
* 3年連続最多四球:2006 - 2008年 ※[[王貞治]]、[[落合博満]]に次ぐセ・リーグ歴代3位タイ
* [[オールスターゲーム (日本プロ野球)|オールスターゲーム]]出場:3回(2003年、2007年、2008年)
* [[全球団から本塁打]]:2008年6月6日、対[[北海道日本ハムファイターズ]]3回戦(ナゴヤドーム)、1回裏に[[多田野数人]]から左中間へ先制ソロ ※史上13人目
=== 背番号 ===
* '''33'''(1998年 - 2002年)
* '''44'''(2003年 - 2008年)
== 脚注 ==
551 ⟶ 324行目:
== 参考文献 ==
* {{Cite book |title=2019 media guide |publisher=[[トレントン・サンダー|Trenton Thunder]] |year=2019 |page=24 |url=https://milb.bamcontent.com/documents/7/3/6/310783736/2014_Media_Guide.pdf|ref={{SfnRef|Trenton Thunder|2019}}}}
* {{Cite book|和書|title=完全保存版 プロ野球 セ・パ両リーグ12球団全選手カラー百科名鑑2003|publisher=日本スポーツ出版社|series=[[ホームラン (雑誌)|ホームラン]]|date=2003-03-29|language=ja|pages=122,176,185|volume=第27巻|issue=第3号(2003年3月号増刊・通算270号)|ref={{SfnRef|ホームラン|2003}}}}
* {{Cite journal|和書|journal=[[週刊ベースボール]]|author=市瀬英俊(取材・構成)|date=2003-06-23|title=タイロン・ウッズ[横浜]インタビュー われに打席を。人々に驚弾を。|volume=58|issue=26|pages=12-15|publisher=[[ベースボール・マガジン社]]|ref={{SfnRef|週刊ベースボール|2003}}}}
== 関連項目 ==
* [[フロリダ州出身の人物一覧]]
* [[北米・欧州出身の日本プロ野球外国人選手一覧#アメリカ合衆国]]
* [[横浜DeNAベイスターズの選手一覧]]
* [[中日ドラゴンズの選手一覧]]
* [[強竜打線]]
== 外部リンク ==
{{BASEBALLstats |brjpn=woods-001tyr |cube=100545 |kbo=98233 |brkbo=woods-001tyr |cpbl= |brcpbl= |mlb=}}
{{NPB|51855117}}
{{Navboxes|title=業績([[日本プロ野球|NPB]])
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{{セントラル・リーグ本塁打王}}
{{セントラル・リーグ打点王}}
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{{Navboxes|title=業績([[KBOリーグ|KBO]])
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{{韓国野球委員会MVP}}
{{韓国野球委員会韓国シリーズMVP}}
{{韓国野球委員会本塁打王}}
{{韓国野球委員会打点王}}
}}
{{デフォルトソート:うつす たいろん}}
[[Category:
[[Category:
[[Category:
[[Category:ボストン・レッドソックス傘下の選手]]
[[Category:
[[Category:横浜DeNAベイスターズ及びその前身球団の選手|たいろんうつす]]
[[Category:中日ドラゴンズ及びその前身球団の選手|たいろんうつす]]
[[Category:
[[Category:
[[Category:NPBオールスターゲーム選出選手|たいろんうつす]]
[[Category:在日アメリカ人のスポーツ選手]]
[[Category:在韓外国人の野球選手]]
[[Category:在日外国人の野球選手]]
[[Category:アフリカ系アメリカ人の野球選手]]
[[Category:フロリダ州パスコ郡出身の人物]]
[[Category:1969年生]]
[[Category:存命人物]]
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