'''ベルジアン・ショートヘアード・ポインター'''(英:Belgian Short-haired Pointer)は、[[ベルギー]]原産の[[ポインター]]犬種である。別名は'''ブラク・デュ・ベルジェ'''(英:Braque du Belge)。
'''日経賞'''('''にっけいしょう''')は、[[日本]]の[[日本中央競馬会|日本中央競馬会(JRA)]]が[[中山競馬場]]の[[芝]]2500[[メートル|m]]で施行する[[中央競馬]]の[[重賞]]([[競馬の競走格付け|GII]])[[競走]]である。競走名は優勝杯を提供する[[日本経済新聞社]]の略称「日経」から冠名が取られている。
== 概要 ==
[[1953年]]に5歳(現4歳)以上の混合の別定の重賞競走、'''日本経済賞'''として創設、第1回は現在とは違い[[6月]]に中山競馬場の芝3200mで施行された。
[[1956年]]は中山競馬場の改修工事により[[東京競馬場]]の芝3200mで施行、[[1958年]]からは施行距離を芝2600mに変更、[[1964年]]は中山競馬場の改修工事より東京競馬場の芝2500mで施行、[[1966年]]も中山競馬場の改修工事により東京競馬場の芝2600mで施行、[[1967年]]から施行距離を現在の芝2500mに変更した。
[[1971年]]・[[1972年]]の2年間は再び東京競馬場の芝2500mで施行、[[1979年]]からは名称を現在の日経賞に変更、[[福島競馬場]]の芝2400mで施行、[[1981年]]からは施行場を東京競馬場に移す事になる。
[[1984年]]からはグレード制施行によりGIIに格付けされると同時に、開催場を中山競馬場に戻し施行時期を現在の3月下旬に変更、[[1988年]]は中山競馬場の改修工事に伴い東京競馬場の芝2500mで施行、[[1995年]]から指定競走に指定、[[地方競馬|地方]]所属の[[競走馬]]も出走可能になり、2着までに入賞すると天皇賞(春)の出走権が与えられる様になり、[[2002年]]からは国際競走に指定された。
1984年に施行時期が変更されて以降は関東圏における[[天皇賞|天皇賞(春)]]の重要な前哨戦に位置付けされており、[[美浦トレーニングセンター|美浦]]だけで無く適正距離を選び[[栗東トレーニングセンター|栗東]]からも有力馬が出走し、第32回に出走した[[モンテファスト]]を初め、多くの出走馬が天皇賞(春)で優勝を果たした。
出走資格は、[[サラブレッド系種|サラ系]]4歳(旧5歳)以上のJRA及び地方所属の競走馬([[外国産馬]]含む)と海外競走馬(5頭まで)。
[[負担重量]]は、別定で4歳は56キロ、5歳以上は57キロ、[[牝馬]]は2キロ減を基本とし、[[2005年]][[3月26日]]以降のGI優勝馬(牝馬限定GI優勝は除く)は2キロ、牝馬限定GI・GII(牝馬限定GIIは除く)優勝馬は1キロ、2005年3月25日以前のGI(牝馬限定GIは除く)優勝馬は1キロの負担が課せられる。ただし2歳時のグレード・グループ優勝は対象外。
総額賞金は1億2,200万円で、1着賞金6,400万円、2着賞金2,600万円、3着賞金1,600万円、4着賞金960万円、5着賞金640万円と定められている。
ベルギーには本種しかポインター犬種が存在しないが、それにもかかわらず犬種名に「ショートヘアード」という区別用の単語がついている理由はよく分かっていない。
== 歴史 ==
いつごろから存在していたかは不詳だが、[[フランス]]の[[セントハウンド]]犬種である[[グラン・ブルー・ド・ガスコーニュ]]や[[デンマーク]]のポインター犬種の[[オールド・デーニッシュ・ポインター]]などを掛け合わせて作出された。
*[[1953年]] 中山競馬場の芝3200mの4歳(現3歳)以上の混合の別定の重賞競走、日本経済賞として創設。
*[[1956年]] 中山競馬場の改修工事により東京競馬場の芝3200mで施行。
*[[1958年]] 施行距離を芝2600mに変更。
*[[1964年]] 中山競馬場の改修工事により東京競馬場の芝2500mで施行。
*[[1966年]]
**中山競馬場の改修工事により東京競馬場の芝2600mで施行。
**松永光雄が[[調教師]]として史上初の連覇。
*[[1967年]] 施行距離を芝2500mに変更。
*[[1971年]] 東京競馬場の芝2500mで施行。
*[[1972年]] 流行性のインフルエンザの影響で東京競馬場の芝2500mで施行。
*[[1976年]]
**ホワイトフォンテンが史上初の連覇。
**高橋司が[[騎手]]として史上初の連覇。
**大久保勝之が調教師として2人目の連覇。
*[[1979年]]
**名称を日経賞に変更。
**福島競馬場の芝2400mで施行。
*[[1981年]] 施行場を東京競馬場に変更。
*[[1984年]]
**グレード制施行によりGIIに格付け。
**施行場を中山競馬場に戻す。
*[[1988年]] 中山競馬場の改修工事により東京競馬場の芝2500mで施行。
*[[1995年]] 指定競走に指定。
*[[2001年]] 競走馬の年齢表示の国際基準に変更により出走条件が数え年(旧)5歳以上から満年齢4歳以上に変更。
*[[2002年]] 混合競走から国際競走に指定。
主にポインターなどとして使われていた。嗅覚で獲物を捜索し、発見するとポインティングを行って主人に[[鳥]]のありかを教える。それをもとに[[猟銃]]で撃ち落された鳥を回収する。尚、力が強いので、鳥だけでなく大型[[哺乳類]]の回収を行うこともできる。この他、セントハウンドとしてさまざまな獲物を狩ることもある。
=== 歴代優勝馬 ===
{| border="1" cellpadding="2" cellspacing="0"
!回数!!施行日!!優勝馬!!性齢!!勝時計!!優勝騎手!!管理調教師
|-
|align="right"|第1回||[[1953年]][[6月28日]]||[[タカハタ]]||牝4||3:30.0||[[保田隆芳]]||[[尾形藤吉]]
|-
|align="right"|第2回||[[1954年]][[6月27日]]||[[フソウ]]||牡4||3:37.1||高橋英夫||鈴木信太郎
|-
|align="right"|第3回||[[1955年]][[6月26日]]||[[クリチカラ]]||牡5||3:28.4||森安弘明||尾形藤吉
|-
|align="right"|第4回||[[1956年]][[7月1日]]||フクリユウ||牝4||3:32.1||[[野平祐二]]||稗田敏男
|-
|align="right"|第5回||[[1957年]][[6月30日]]||[[ハクチカラ]]||牡4||3:36.3||保田隆芳||尾形藤吉
|-
|align="right"|第6回||[[1958年]][[6月22日]]||[[オンワードゼア]]||牡4||2:43.2||野平好男||[[二本柳俊夫]]
|-
|align="right"|第7回||[[1959年]]6月28日||[[ヒシマサルI|ヒシマサル]]||牡4||2:43.0||小野定夫||矢野幸夫
|-
|align="right"|第8回||[[1960年]]6月26日||[[オーテモン]]||牡5||2:41.6||野平好男||田中和夫
|-
|align="right"|第9回||[[1961年]][[7月2日]]||[[ホマレボシ]]||牡4||2:41.2||八木沢勝美||稗田敏男
|-
|align="right"|第10回||[[1962年]][[7月8日]]||[[オンスロート]]||牡5||2:40.7||山岡忞||中村広
|-
|align="right"|第11回||[[1963年]][[6月23日]]||[[ヤマノオー]]||牡4||2:45.2||森安弘明||内藤潔
|-
|align="right"|第12回||[[1964年]]6月28日||[[ヤマトキヨウダイ]]||牡4||2:36.4||梶与四松||[[稲葉幸夫]]
|-
|align="right"|第13回||[[1965年]]6月27日||フジイサミ||牡4||2:46.1||山岡忞||松永光雄
|-
|align="right"|第14回||[[1966年]]6月26日||スピードキング||牡4||2:41.8||松永勇||松永光雄
|-
|align="right"|第15回||[[1967年]][[6月25日]]||[[スピードシンボリ]]||牡4||2:38.1||野平祐二||野平富久
|-
|align="right"|第16回||[[1968年]][[5月26日]]||ヒシヤクシン||牡5||2:36.9||小野定夫||稗田敏男
|-
|align="right"|第17回||[[1969年]][[6月15日]]||ライトワールド||牡4||2:34.1||[[吉永正人]]||三井末太郎
|-
|align="right"|第18回||[[1970年]][[6月21日]]||[[アカネテンリュウ]]||牡4||2:41.4||丸目敏栄||橋本輝雄
|-
|align="right"|第19回||[[1971年]][[5月30日]]||[[マキノホープ]]||牡5||2:34.1||野平祐二||田中和夫
|-
|align="right"|第20回||[[1972年]]7月2日||カツタイコウ||牡4||2:33.9||徳吉一己||柄崎義信
|-
|align="right"|第21回||[[1973年]]7月1日||トーヨーアサヒ||牡4||2:35.0||[[増沢末夫]]||古山良司
|-
|align="right"|第22回||[[1974年]]6月30日||タケクマヒカル||牡5||2:35.6||矢野照正||中村広
|-
|align="right"|第23回||[[1975年]][[6月29日]]||[[ホワイトフォンテン]]||牡5||2:35.8||高橋司||大久保勝之
|-
|align="right"|第24回||[[1976年]][[7月4日]]||ホワイトフォンテン||牡6||2:37.1||高橋司||大久保勝之
|-
|align="right"|第25回||[[1977年]][[7月3日]]||[[グリーングラス]]||牡4||2:33.8||嶋田功||中野隆良
|-
|align="right"|第26回||[[1978年]]7月2日||[[カネミノブ]]||牡4||2:34.3||[[加賀武見]]||阿部新生
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|align="right"|第27回||[[1979年]]7月8日||ダンケンジ||牡5||2:26.9||増沢末夫||奥平真治
|-
|align="right"|第28回||[[1980年]][[3月30日]]||[[ホウヨウボーイ]]||牡5||2:41.9||加藤和宏||二本柳俊夫
|-
|align="right"|第29回||[[1981年]][[5月17日]]||ウエスタンジェット||牡4||2:39.2||[[柴田政人]]||柴田欣也
|-
|align="right"|第30回||[[1982年]][[5月16日]]||[[メジロティターン]]||牡4||2:32.8||[[伊藤正徳]]||尾形盛次
|-
|align="right"|第31回||[[1983年]][[5月15日]]||アサヒテイオー||牡4||2:35.8||猿橋重利||加藤修甫
|-
|align="right"|第32回||[[1984年]][[4月1日]]||ハヤテミグ||牡4||2:38.2||[[郷原洋行]]||野平好男
|-
|align="right"|第33回||[[1985年]][[3月31日]]||[[シンボリルドルフ]]||牡4||2:36.2||[[岡部幸雄]]||野平祐二
|-
|align="right"|第34回||[[1986年]]3月30日||チェスナットバレー||牡5||2:35.2||郷原洋行||奥平真治
|-
|align="right"|第35回||[[1987年]][[4月5日]]||[[ミホシンザン]]||牡5||2:33.8||柴田政人||田中朋次郎
|-
|align="right"|第36回||[[1988年]][[4月3日]]||メジロフルマー||牝4||2:35.5||田村正光||奥平真治
|-
|align="right"|第37回||[[1989年]][[4月2日]]||ランニングフリー||牡6||2:33.3||[[菅原泰夫]]||本郷一彦
|-
|align="right"|第38回||[[1990年]]4月1日||オースミシャダイ||牡4||2:34.6||[[河内洋]]||[[武邦彦]]
|-
|align="right"|第39回||[[1991年]]3月31日||キリサンシー||牡6||2:38.8||[[田中勝春]]||西塚安夫
|-
|align="right"|第40回||[[1992年]][[3月22日]]||[[メジロライアン]]||牡5||2:38.3||[[横山典弘]]||奥平真治
|-
|align="right"|第41回||[[1993年]][[3月21日]]||[[ライスシャワー]]||牡4||2:35.8||[[的場均]]||飯塚好次
|-
|align="right"|第42回||[[1994年]][[3月20日]]||ステージチャンプ||牡4||2:32.8||岡部幸雄||矢野進
|-
|align="right"|第43回||[[1995年]][[3月19日]]||インターライナー||牡4||2:41.0||横山典弘||柄崎孝
|-
|align="right"|第44回||[[1996年]][[3月17日]]||ホッカイルソー||牡4||2:37.3||[[蛯名正義]]||田中清隆
|-
|align="right"|第45回||[[1997年]][[3月23日]]||[[ローゼンカバリー]]||牡4||2:42.5||横山典弘||鈴木康弘
|-
|align="right"|第46回||[[1998年]][[3月29日]]||テンジンショウグン||牡8||2:34.4||[[江田照男]]||矢野照正
|-
|align="right"|第47回||[[1999年]][[3月28日]]||[[セイウンスカイ]]||牡4||2:35.3||横山典弘||保田一隆
|-
|align="right"|第48回||[[2000年]][[3月26日]]||レオリュウホウ||牡5||2:35.4||菊沢隆徳||杉浦宏昭
|-
|align="right"|第49回||[[2001年]][[3月24日]]||[[メイショウドトウ]]||牡4||2:33.7||安田康彦||安田伊佐夫
|-
|align="right"|第50回||[[2002年]]3月23日||アクティブバイオ||牡5||2:37.0||[[後藤浩輝]]||崎山博樹
|-
|align="right"|第51回||[[2003年]]3月29日||[[イングランディーレ]]||牡4||2:31.3||小林淳一||清水美波
|-
|align="right"|第52回||[[2004年]][[3月27日]]||ウインジェネラーレ||牡4||2:32.8||蛯名正義||国枝栄
|-
|align="right"|第53回||[[2005年]]3月26日||ユキノサンロイヤル||牡8||2:33.3||小野次郎||増沢末夫
|-
|align="right"|第54回||[[2006年]]3月25日||[[リンカーン (競走馬)|リンカーン]]||牡6||2:33.0||横山典弘||音無秀孝
|}
19世紀にはベルギーで人気があったが、[[狩猟]]区域が激減し、フランスや[[ドイツ]]原産のポインター犬種の人気が高まったことなどにより人気が下落、頭数も減少した。1960年代には一部の地域でしか飼育されていない希少種となり、1984年にベルギーの[[ベルジアンケネルクラブ]]によって[[絶滅]]認定が下された。
=== 本競走からの天皇賞(春)優勝馬 ===
1984年から天皇賞(春)の前哨戦として施行されているが5頭(内1頭が2勝)が天皇賞(春)を制覇している。
{| border="1" cellpadding="2" cellspacing="0"
!回数!!施行日!!馬名!!性齢!!着順!!備考
|-
|align="right"|第32回||1984年4月1日||[[モンテファスト]]||牡6||4着||
|-
|align="right"|第33回||1985年3月31日||シンボリルドルフ||牡4||1着||第5回[[ジャパンカップ]]優勝<BR>第30回[[有馬記念]]優勝
|-
|align="right"|第35回||1987年4月5日||ミホシンザン||牡5||1着||
|-
|align="right"|第41回<BR>第43回||1993年3月21日<BR>1995年3月19日||ライスシャワー||牡4<BR>牡6||1着<BR>6着||天皇賞(春)2勝
|-
|align="right"|第50回||2002年3月23日||[[マンハッタンカフェ]]||牡4||6着||
|}
現在純血の本種を見ることはほぼ不可能に近いが、本種の血を引くポインター犬はまだ生存していて、実猟犬として使役されている。復元活動の有無は不詳である。
== 特徴 ==
力が強く、筋肉隆々の体つきをした犬である。ポインターよりもセントハウンドに近い犬で、頭部の形もほぼセントハウンドである。マズルは太めで、あごの力は強靭である。脚は太く長い。耳は垂れ耳、尾は飾り毛のない垂れ尾だが、尾は短めに断尾する。コートはスムースコートで、毛色はホワイトを地としてブラウンやブリンドルなどの単色の斑とブチが入ったもの。大型犬サイズで、性格は忠実で従順、活発だが自制心が高い。しつけの飲み込みは普通だが状況判断力が高く、獲物が鳥ならば傷をつけないようにそっと咥え、[[シカ]]や[[イノシシ]]などの大型獣はしっかり咥えて引っ張るなど、状況に応じた回収を行う。ポインター種の犬だが走るスピードよりも力の強さを重点といて改良された犬種のため、それほど走るのは早くないが力があるので、飼育の際にはしっかりとした訓練が必要である。運動量は多めである。
== 参考文献 ==
『デズモンド・モリスの犬種事典』デズモンド・モリス著書、福山英也、大木卓訳 誠文堂新光社、2007年
== 関連項目 ==
*[[ベルジアン・グリフォン]]
*[[天皇賞|天皇賞(春)]]
*[[オーストリアン・ショートヘアード・ピンシャー]]
*[[阪神大賞典]]
*[[京都記念犬の品種一覧]]
{{DEFAULTSORT:へるしあんしとへあとほいんた}}
*[[大阪杯]]
[[Category:犬の品種]]
*[[中山記念]]
[[Category:絶滅犬種]]
[[Category:競馬の競走|につけいしよう]]
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