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1行目:
{{ActorActress
{{サッカー選手
| 芸名 = 大口 兼悟
|名前=スチュアート・ピアース
| ふりがな = おおくち けんご
|画像=Stuart Pearce.jpg
| 画像ファ=250px
| 画像サイズ =
|本名=Stuart Pearce
| 画像コメント =
|愛称=サイコ
| 本名 =大口 兼悟
|カタカナ表記=スチュアート・ピアース
| 別名 =
|アルファベット表記=
| 出生地 = {{flagicon|Japan}} [[鹿児島県]]
|原語名=
| 生年 = 1981
|原語表記=
| 生月 = 11
|国={{ENG}}
| 生日 = 9
|誕生日={{生年月日と年齢|1963|4|24}}
| 血液型 = O
|出身地=[[ロンドン]]、ハマースミス
| 没年 =
|身長=178cm
| 没月 =
|体重=81kg
| 没日 =
|血液型=
| 職業 = [[俳優]]
|所属チーム名=
| 活動時期 = [[2003年]] -
|ポジション=[[ディフェンダー|DF]]
| 活動内容 = [[ドラマ]]<br/>[[映画]]
|背番号=
| 家族 =
|利き足=左足
| 主な作品 =
|クラブ=[[ウェルドストーンFC|ウェルドストーン]]<br />[[コヴェントリー・シティFC|コヴェントリー・シティ]]<br />[[ノッティンガム・フォレストFC|ノッティンガム・フォレスト]]<br />[[ニューカッスル・ユナイテッドFC|ニューカッスル・ユナイテッド]]<br />[[ウェストハム・ユナイテッドFC|ウェストハム・ユナイテッド]]<br />[[マンチェスター・シティFC|マンチェスター・シティ]]
| 受賞=
|年=1978-1983<br />1983-1985<br />1985-1997<br />1997-1999<br />1999-2001<br />2001-2002
| その他 =
|出場(得点)=176 (10)<br />52 (4)<br />401 (63)<br />37 (1)<br />42 (1)<br />38 (3)<!--国内リーグ戦の成績に限る-->
|クラブ成績更新日=
|代表国={{ENGf}}
|代表年=1987-1999
|代表出場(得点)=78 (5)
|代表成績更新日=
|監督年=1996-1997<br />2005-2007<br />2007-<br />2012-<br />2012
|監督チーム=[[ノッティンガム・フォレストFC|ノッティンガム・フォレスト]]<br />[[マンチェスター・シティFC|マンチェスター・シティ]]<br />[[サッカーイングランド代表|U-21 イングランド代表]]<br />[[サッカーイングランド代表|イングランド代表]](暫定)<br />[[サッカーイギリス代表|イギリスオリンピック代表]]
}}
'''スチュアート・ピアース [[大英帝国勲章|MBE]]'''('''Stuart Pearce MBE'''、[[1962年]][[4月24日]] - )は、[[イギリス]]([[イングランド]])・[[ロンドン]]出身の元[[サッカー選手]]。ポジションは左[[サイドバック]]。現在は、U-21イングランド代表監督、A代表の暫定監督を務める。
 
'''大口 兼悟'''(おおくち けんご、[[1981年]][[11月9日]] - )は[[日本]]の[[俳優]]。 株式会社トリプルエー所属。
[[1990年代]]のイングランドを代表する[[ディフェンダー]]であり、[[サッカーイングランド代表|イングランド代表]]ではキャプテンも務めた。イングランド史上最高の左サイドバックの選手に彼の名を挙げる者も多い。
 
[[鹿児島県|鹿児島]]出身。[[血液型]]はO型。身長180cm、体重62kg。バスト92.5cm、ウエスト75cm、ヒップ92cm。
== 選手経歴 ==
==== プロデビューまで ====
ウェスト[[ロンドン]]で生まれ、キングスベリーにある[[小学校|プライマリースクール]]に通い、その後、ケントンにあるハイスクールへと進んだ。[[クイーンズ・パーク・レンジャーズ]]のトライアルに落ち、[[ハル・シティAFC|ハル・シティ]]から誘いを受けたが断り、ノンリーグの[[ウェルドストーンFC|ウェルドストーン]]に加入した。ピアースは、サッカーの練習を続けながら、電気工と配管工として働いていた。およそ5年に渡って、チームのレギュラーとして活躍し、[[カンファレンス・ナショナル]]で知らぬ者はいないほどの選手となっていった。
 
趣味は、アクセサリー作り。特技は、[[少林寺拳法]]。
1983年、ウェルドストーンは、セミ・プロの選手としては異例の額である3万ポンドのオファーを、当時トップリーグに所属していた[[コヴェントリー・シティFC|コヴェントリー・シティ]]から受けた。監督を務めていた[[ボビー・グールド]]は、視察に訪れた際に、ピアースのその判断力と好戦的なプレイスタイルに感銘を受けていた。ピアース自身はあまり乗り気ではなかったが、コヴェントリーに加入し、すぐにプロデビューを果たした。ピアースは、激しいプレイをするがフェアな選手であり、その一方で、決して手を抜かない左サイドバックの選手としての名声をすぐに確立した。
 
代表作は映画、テレビドラマ共に『[[海猿]]』、『[[クローズZERO|クローズZEROⅡ]]』
==== ノッティンガム・フォレスト ====
2年後、[[ブライアン・クラフ]]の目にとまり、ピアースは[[ノッティンガム・フォレストFC|ノッティンガム・フォレスト]]へ移籍した。30万ポンドの移籍金と、その契約に伴ってコヴェントリーのセンターバックであった[[イアン・バタワース]]もフォレストへ加入した。ピアースは、サッカー選手としての自分の将来に自信を持てておらず、フォレスト移籍後にも[[マッチデープログラム]]に広告を載せ、電気工としての自分を宣伝した。しかし、彼の熱いプレイスタイルはファンの心を掴み、サイコと呼ばれ親しまれた。
 
== 主な出演作品 ==
フォレストには10年以上在籍し、大部分をキャプテンとして過ごした。フォレストでは2度の[[フットボールリーグカップ|リーグカップ]]優勝と、フルメンバーズカップ優勝を経験し、1991年の[[FAカップ]]決勝では、[[トッテナム・ホットスパーFC|トッテナム・ホットスパー]]に敗れはしたが、フリーキックからゴールを決めた。ピアースは、FAカップ準決勝の[[リヴァプールFC|リヴァプール]]戦で起きた[[ヒルズボロの悲劇]]を目の当たりにしたノッティンガム・フォレストの選手の一人であった。ピアースは、[[オールド・トラフォード]]に会場が変更された再試合に出場し、チームは3-1で勝利した。1993年、クラブは下部に降格したが、ピアースはクラブに留まり、1シーズンで再昇格を決めたチームで素晴らしい活躍を見せた。
=== テレビドラマ ===
* [[仮面ライダー555]](2003年1月26日-2004年1月18日、[[テレビ朝日]]系) - 水野和史 役
* キャバクラかよっ!! 禁断の楽園(2003年10月1日、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系)
* [[独身3!!]](2003年、テレビ朝日系)
* [[水戸黄門 (パナソニック ドラマシアター)|水戸黄門]] 第34部 15話(2005年、[[TBSテレビ|TBS]]系) - 藤馬 役
* [[エンジン (テレビドラマ)|エンジン]](2005年、フジテレビ系) - 雅也 役
* [[海猿]](2005年、フジテレビ系) - 郡司謙介 役
* [[恋のから騒ぎ]]ドラマスペシャル 〜Love StoriesIII〜「荷台に乗せられた女(2006年9月26日、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系)
* 京都花見小路殺人事件(2007年4月7日、テレビ朝日系)
* [[山おんな壁おんな]] 第2話(2007年、フジテレビ系)
* [[相棒#Season 6|相棒Season 6]] 第10話(2008年、テレビ朝日系)
* [[ここはグリーン・ウッド]](2008年、[[東京メトロポリタンテレビジョン|TOKYO MX]]・[[テレビ神奈川|tvk]]・[[三重テレビ放送|三重テレビ]]他)- 蓮川一弘 役
* [[メン☆ドル 〜イケメンアイドル〜]](2008年、テレビ東京系) - 美吉克之 役
* 男装の麗人 川島芳子の生涯(2008年12月6日、テレビ朝日系)
* [[子育てプレイ]](2009年、[[毎日放送]]系) - 氷室輝 役
* [[松本清張]]生誕100年記念作品ドラマ「[[駅路 (小説)|駅路]]」(2009年4月11日、[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系) - 北尾刑事 役
* [[スマイル (テレビドラマ)|スマイル]](2009年、TBS系) - 近藤有也 役
* [[任侠ヘルパー]](2009年、フジテレビ系) - 暴力団員 役
* [[左目探偵EYE]](2009年、日本テレビ系) - 刑事 役
* [[世にも奇妙な物語|世にも奇妙な物語 秋の特別編2009]]「検索する女」(2009年10月5日、フジテレビ系) - 大塚裕也 役
* [[嬢王 Virgin]](2009年、テレビ東京系) - 桜木貴志 役
* [[相棒#Season 8|相棒 Season 8]] 第13話(2010年1月27日、テレビ朝日系)
* [[SP THE MOTION PICTURE#ドラマスペシャル 革命前日(Prelude to Episode VI)|SPドラマスペシャル 革命前日]](2011年3月5日、フジテレビ系) - テロリスト 飯田 役
* [[URAKARA]] 第9話(2011年3月11日、テレビ東京系) - 網浜伊知朗 役
* [[絶対零度〜未解決事件特命捜査〜#絶対零度 〜特殊犯罪潜入捜査〜|絶対零度〜特殊犯罪潜入捜査〜]] 第4話(2011年8月2日、フジテレビ系) - 諸角メグル 役
* [[Oh!デビー]](2011年10月1日~22日、[[BSスカパー!]]) - 霧島新平
* [[ランナウェイ〜愛する君のために]](2011年10月27日~12月22日、TBS系) - ホスト 役
* [[デカ 黒川鈴木]] 第8話(2012年2月22日、[[讀賣テレビ放送|読売テレビ]]・日本テレビ系) - 倉持和也 役
 
=== 映画 ===
1996年12月、監督代行に任命され、[[選手兼任監督|プレイングマネージャー]]となった。1997年1月には、月間最優秀監督賞を受賞したが、クラブは降格となってしまった。ピアースは、1996-97シーズンを最後に12年間過ごした[[シティ・グラウンド]]を去る決意を固めた。
* 跋扈妖怪伝 牙吉(2004年公開)
* 猿飛佐助 闇の軍団(2004年公開)
* [[海猿#映画1作目|海猿 ウミザル]](2004年公開) - 郡司謙介 役
* [[アオグラ AOGRA]](2006年公開) - 高城信吾 役
* [[サクゴエ]] (2007年公開) - 安田 役
* [[クローズZERO#クローズZERO Ⅱ|クローズZERO Ⅱ]](2009年公開) - 熊切力哉 役
* [[ごくせん THE MOVIE]](2009年公開) - 「ブラックスカル」のヘッド 役
* [[ランブリングハート]] (2010年公開)- 有馬克也 役
* [[仮面ライダー×仮面ライダー オーズ&ダブル feat.スカル MOVIE大戦CORE]](2010年公開) - ノブナガ / 鎧武者怪人(不完全体)(声) / 仮面ライダーバース(声) 役
* [[SP THE MOTION PICTURE#革命篇(Episode VI<The Final Episode>)|SP THE MOTION PICTURE 革命篇]](2011年公開) - テロリスト 飯田 役
* [[BADBOYS]] (2011年公開)- 川中陽二 役
* [[タナトス]] (2011年公開)
 
==== その後のキャリアバラエティー ====
* [[世界ウルルン滞在記]](TBS系)
ピアースは[[ニューカッスル・ユナイテッドFC|ニューカッスル・ユナイテッド]]に加入し、敗れはしたが、1998年のFAカップ決勝に出場した。その後、[[ルート・フリット]]と反りが合わなくなり、[[ウェストハム・ユナイテッドFC|ウェストハム・ユナイテッド]]に移籍した。2001年に[[マンチェスター・シティFC|マンチェスター・シティ]]に加入し、選手として最後のシーズンを送った。彼はキャプテンを務め、最後の試合となった[[ポーツマスFC|ポーツマス]]戦では、キャリア通算100ゴールを目指したが、[[ロスタイム|インジュリータイム]]に得たPKを失敗し、目標を達成することは出来なかった<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/eng_div_1/1939915.stm Retiring Pearce hunts ton]</ref><ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/eng_div_1/1935818.stm Pearce left red-faced]</ref>。
* [[おもいッきりイイ!!テレビ]] [[美肌泉隊SPAレンジャー]] (NTV系)
* おもいッきりイイ!!テレビ [[海盛り山盛り朝ゴハンの旅]] (NTV系)
* [[戦国鍋TV 〜なんとなく歴史が学べる映像〜]] (TVK他)
 
=== CM ===
サッカー選手としてのキャリアを通して彼は、その妥協をしない姿勢から「サイコ」という愛情のこもったニックネームを付けられた。最初はフォレストのサポーターが付けたものであったが、後にイングランドのサポーターからも呼ばれるようになった。彼の選手としての功績と、様々な慈善団体への支援活動が評価され、1999年1月、[[エリザベス2世 (イギリス女王)|エリザベス2世]]から[[大英帝国勲章]]を贈られた<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/photo_galleries/football/1941813.stm Pearce to hang up boots]</ref>。
* [[カシオ計算機|CASIO]] 携帯電話
* [[第一三共ヘルスケア]] プレコール持続性鼻炎カプセルL
 
=== 代表経歴舞台 ===
* [[ミュージカル・テニスの王子様|ミュージカル テニスの王子様]] More Than Limit 聖ルドルフ学院(2004年7月~8月) - [[テニスの王子様の登場人物|手塚国光]] 役
==== デビュー ====
* ロックミュージカル『[[BLEACH]]』(2005年8月) - [[藍染惣右介]] 役
1987年、[[サッカーブラジル代表|ブラジル代表]]との試合でA代表デビュー。代表キャップを記録した999人目の選手であった。1988年から、代表チームの左サイドバックのレギュラーとなり、30歳の誕生日を目前に控えた[[ケニー・サンソン]]に代わり、3番のユニフォームを身に纏うようになった。怪我の影響でサンソンのバックアッパーとして、[[UEFA欧州選手権1988|EURO88]]のメンバーに入ることは叶わなかったが、大会後、監督の[[ボビー・ロブソン]]は、ピアースをレギュラーとして起用するようになった。代表では78キャップを記録し、フォレストの選手としては最多のキャップ数を誇る選手となっている。
* [[Knock.Out.Brother]]-2005Version-(2005年10月) - マルコ 役
* ロックミュージカル『BLEACH「再炎」』(2006年1月) - 藍染惣右介 役
* tatsuya 最愛なる者の側へ(2006年2月)
* ROCK MUSICAL BLEACH The Dark of The Bleeding Moon(2006年8月) - 藍染惣右介 役
* 逆アンチエイジング・ラブ・コメディ『私がオバサンになってる!?』米米CLUB演劇部(2006年12月) - 表参道ツネオ 役
* ROCK MUSICAL BLEACH the LIVE 卍解SHOW code001(2007年1月) - 藍染惣右介 役
* ROCK MUSICAL BLEACH No Clouds in the Blue Heavens(2007年3月~4月) - 藍染惣右介 役
* バラ咲く我が家にようこそ。(2007年5月)
* ぶるー・ブルー・バースディ(2007年6月~7月)
* すけだち(2007年8月)
* きっと長い手紙 〜かもめ郵便局物語〜(2007年9月)
* 執事ホテル(2008年2月)
* ROCK MUSICAL BLEACH DX(2008年3月)
 (ROCK MUSICAL BLEACH THE ALL+THE LIVE 卍解 SHOW CODE:002) - 藍染惣右介 役
* 朗読劇 あした(2008年4月6日)
* HAKANA(2008年4月)
* 罠(2009年2月)
* 広島に原爆を落とす日(2010年8月)
* カレーライフ(2011年5月)
 
==== 1990PV ワールドカップ ====
* 「Love & I. 〜恋愛遍歴〜」[[Sowelu]]
[[1990 FIFAワールドカップ]]では、グループリーグの[[サッカーオランダ代表|オランダ代表]]戦で決めたゴールは認められなかったものの、大会を通して好パフォーマンスを披露した。準々決勝の[[サッカーカメルーン代表|カメルーン代表]]戦ではスイーパーシステムを採用した代表チームにおいて、通常よりも積極的に攻め上がり、[[デビッド・プラット]]のゴールをアシストした。準決勝進出を果たしたイングランド代表の中で、ピアースはPKを失敗した不運な2選手の内の一人になってしまった(もう一人は[[クリス・ワドル]])。[[サッカードイツ代表|西ドイツ代表]]との試合は、1-1のままPK戦に突入したが、PK戦の末に敗退となった。敗戦後ピアースは、ピッチの上で涙を流した。
 
==== EUROその他 92 ====
* イメージDVD「Vex 大口兼悟」
ピアースは、グループステージで1勝も出来ずに敗退した[[UEFA欧州選手権1992|EURO92]]の代表チームでキャプテンを務めた。0-0で引き分けに終わった[[サッカーフランス代表|フランス代表]]戦では、クロスバーの下側に直撃する雷のようなフリーキックを蹴った。フリーキックを蹴る直前にピアースは、[[バジール・ボリ]]の頭と衝突し、頬に深い傷を負っていたが、フリーキックを得るとそれを無視してピッチに戻ろうとした。レフェリーは顔の血を拭きとるように求めたが、ピアースはすぐにピッチに戻り、フリーキックを蹴ったのであった。
* 1st写真集「O.K」
 
* 1st LIVE O.K.-01
==== 1994 ワールドカップ ====
イングランドは、[[アメリカ]]で開催された[[1994 FIFAワールドカップ]]では、予選で敗退してしまった。国際試合で勝ったことがなかった[[サッカーサンマリノ代表|サンマリノ代表]]戦では、開始8秒で、ピアースが出した中途半端なバックパスを相手選手の[[ダヴィデ・ガルチェリ]]に攫われ、ゴールを許してしまった。イングランドは7-1で勝利したが、本大会へ進むには[[サッカーポーランド代表|ポーランド代表]]が[[サッカーオランダ代表|オランダ代表]]に勝利することが条件であった。しかし、オランダは3-1で勝利し、イングランドは予選敗退となってしまった。
 
==== EURO 96 ====
1994年に[[テリー・ヴェナブルズ]]が監督に就任すると、左サイドバックのポジションには[[グレアム・ル・ソー]]が起用されるようになったが、本大会を前にル・ソーは骨折によりメンバー入りせず、[[UEFA欧州選手権1996|EURO96]]でも、レギュラーとしてプレイすることになった。準々決勝の[[サッカースペイン代表|スペイン代表]]戦のPK戦では見事に成功し、イングランド代表の勝利とともに、90年以来背負っていた亡霊を埋葬することに成功した。[[ウェンブリー・スタジアム|ウェンブリー]]で勝利に沸くサポーターの前で見せた、感情に身を任せた力強いピアースのパフォーマンスは、イングランドのサッカーシーンにおいて、最も印象的な場面の一つになった。準決勝のPK戦でも成功したが、チームは[[サッカードイツ代表|ドイツ代表]]の前に再び屈した。
 
==== 代表引退 ====
ピアースは、EURO96終了後に代表引退を宣言したが、新しく監督に就任した[[グレン・ホドル]]はの説得により、代表でのキャリアはもう数シーズン続くことになった。[[ケヴィン・キーガン]]は、[[UEFA欧州選手権2000|EURO2000]]の予選の試合の2試合に、36歳になったピアースを再招集した。ピアースは骨折により、国際舞台でさらに輝く可能性を閉ざされ、1999年に78キャップで代表でのキャリアを終えた。出場試合数78試合は、当時のイングランド代表の歴史の中で、トップ10に入る記録であった。
 
[[ピーター・テイラー(サッカー選手)|ピーター・テイラー]]監督の下、[[ローマ]]で行われた[[サッカーイタリア代表|イタリア代表]]との試合でアシスタント・コーチを務めた。
 
2009年現在、ピアースは12番目のキャップ数を持つ選手であり、彼の前任者の[[ケニー・サンソン]]は85キャップ数であるが、2000年にファン投票により選出された、イングランド代表歴代ベストイレブンでは、[[アシュリー・コール]]やサンソンを抑え、左サイドバックには大差でピアースが選ばれた。
 
== 監督経歴 ==
==== マンチェスター・シティ ====
[[ファイル:Manchester City-Liverpool--Pearce and Benitez.jpg|thumb|right|180px|upright|[[リヴァプールFC|リヴァプール]]戦で指揮を執る、スチュアート・ピアース。右は、[[ラファエル・ベニテス]](2007年)。]]
現役引退後、[[マンチェスター・シティFC|マンチェスター・シティ]]にそのまま残り、[[ケヴィン・キーガン]]監督の下でコーチを務めた。2005年3月にキーガンが監督を辞任すると、ピアースは引退から3年も経たない内に代わって監督に就任した<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/teams/m/man_city/4338665.stm Keegan ends his reign at Man City]</ref>。チームは好調を維持し、[[UEFAヨーロッパリーグ|UEFAカップ]]の出場権を得られるところまで順位を上げ、ピアースは正式に監督に就任した<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/teams/m/man_city/4503717.stm Man City unveil Pearce as manager]</ref>。しかし、[[ミドルスブラFC|ミドルズブラ]]との最終戦では、[[ロビー・ファウラー]]が終了間際に得たPKを外してしまったこともあり、1-1で引き分けに終わり、UEFAカップの出場権を逃してしまった。
 
[[プレミアリーグ2005-2006|2005-06]]シーズンは、好スタートを切ったが、ラスト10試合で9敗を喫し、15位でシーズンを終えた。また、[[フットボールリーグカップ|リーグカップ]]では、[[フットボールリーグ1|リーグ1]]に所属する[[ドンカスター・ローヴァーズFC|ドンカスター・ローヴァーズ]]に敗れ、敗退した。ピアースは、レフェリーがミスジャッジを犯してしまった場合でも、決して非難するようなことはせずに、誠実で公平な監督であると評判を高め<ref>[http://www.manchestereveningnews.co.uk/sport/football/manchester_city/s/229/229965_pearce_backs_ref_over_penalty_claim.html Pearce backs ref over penalty claim]</ref>、[[スヴェン・ゴラン・エリクソン]]の後任候補にも名前が挙がった<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/internationals/4836044.stm Butcher backs Pearce for England]</ref>。
 
ピアースは、[[プレミアリーグ2006-2007|2006-07]]シーズンは、降格圏の近辺を漂うチームを立て直すことが出来ず<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/fa_cup/6441009.stm Hughes defends under-fire Pearce ]</ref>、リーグカップでは、再びリーグ1のクラブである[[チェスターフィールドFC|チェスターフィールド]]に敗れた。ホームで10ゴールしか挙げられず、2007年以降は1ゴールも挙げられなかった。これはイングランドのトップリーグで最低の記録である<ref>[http://www.football365.com/story/0,17033,8652_2126758,00.html Man City sacking]</ref>。ピアースはシーズン終了後の2007年5月に監督を解任された<ref>[http://www.mcfc.co.uk/default.sps?pagegid={DBD12D53-8346-431D-A04F-5D0F8664DE80}&newsid=427531 Manchester City FC official website]</ref>。
 
==== U-21 イングランド代表 ====
監督を解任される前の2007年2月、ピアースはU-21イングランド代表監督に就任にした<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/internationals/6320801.stm Pearce named as England U21 boss]</ref>。当初はシティの監督との兼任で、期間限定の監督業であったが、[[UEFA U-21欧州選手権2007]]では、開催国のオランダに敗れはしたが、準決勝まで進出し、シティの監督を解任された2ヶ月後に、正式に監督に就任した<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/internationals/6906465.stm Pearce named England U21 manager ]</ref>。
 
2008年1月、A代表の監督に就任した[[ファビオ・カペッロ]]の要請を受け、A代表のコーチに就任し、ナショナルチームにおいて、U-21代表の監督とA代表のコーチの2つの役割を担っている<ref>[http://news.bbc.co.uk/sport2/hi/football/internationals/7218046.stm Capello gives Pearce coaching job]</ref>。
 
2009年6月に開催された[[UEFA U-21欧州選手権2009]]ではチームは決勝進出を果たしたが、[[サッカードイツ代表|ドイツ代表]]に0-4で敗れた。
 
==== 2012年ロンドンオリンピック イギリス代表 ====
2011年10月20日、2012年ロンドンオリンピックのイギリス代表監督に決定する。イギリス代表がオリンピックに出場するのは、52年ぶり。
 
== パーソナルライフ ==
ピアースは[[パンク・ロック]]のファンとして知られており、好きなバンドの一つである[[ザ・ルーカーズ]]のライブ・アルバムのジャケットに熱狂するファンの一人として写っている。[[ストラングラーズ]]には30回ほど会ったことがあり、ストラングラーズに名付けてもらった、サイコ・レコードというレーベルを持っていたこともある。読書や[[演劇]]を鑑賞することも趣味の一つで、妻のリズと共同で[[競馬|競走馬]]を保有している。
 
2001年には、自叙伝『サイコ』を発売した。
 
2006年、7歳の娘のチェルシーは、ビーニーと名付けた馬のおもちゃを、マンチェスター・シティの監督を務めていたピアースに、タッチラインに置くように頼んだ。小さい子を納得させることは難しく、ピアースはあきらめて娘の願いを聞き入れた。しかし、シティが試合に勝利したため、迷信を信じて、ビーニーは試合に敗れるまでの数試合の間、テクニカルエリアでピアースと一緒に並んでいた。チームが連勝していた12月中には、ビーニーの[[チャント]]がファンの間で歌われていた。
 
彼の兄のデニスは[[イギリス国民党]](BNP)の党員で、[[2009年欧州議会議員選挙]]では、ロンドン地区のBNPの立候補者名簿の3位に入っていた。しかしながら、[[イングランドサッカー協会]](人種差別には強く反対する態度を取っている)を通して出した短い声明の中でピアースは、「兄の考え方は兄自身のもので、決して私自身の考え方を表しているわけではない。」と、述べた<ref>[http://www.people.co.uk/news/tm_headline=psycho-s-fury-at-racist-brother&method=full&objectid=20709099&siteid=93463-name_page.html PSYCHO'S FURY AT RACIST BROTHER]</ref>。
 
== 個人成績 ==
{| class="wikitable" style="text-align: center;"
|-
!rowspan="2"|所属クラブ
!rowspan="2"|シーズン
!colspan="2"|リーグ
!colspan="2"|[[FAカップ]]
!colspan="2"|[[フットボールリーグカップ|リーグカップ]]
!colspan="2"|その他
!colspan="2"|Total
|-
!出場!!得点!!出場!!得点!!出場!!得点!!出場!!得点!!出場!!得点
|-
|rowspan="2" valign="center"|[[ウェルドストーンFC|ウェルドストーン]]
|1978–1983
|176||10||0||0||0||0||0||0||242||16
|-
|Total
!176!!10!!0!!0!!0!!0!!0!!0!!242!!16
|-
|rowspan="3" valign="center"|[[コヴェントリー・シティFC|コヴェントリー・シティ]]
|1983–84
|23||0||0||0||0||0||0||0||23||0
|-
|1984–85
|28||4||2||0||0||0||0||0||30||4
|-
|Total
!51!!4!!2!!0!!0!!0!!0!!0!!53!!4
|-
|rowspan="13" valign="center"|[[ノッティンガム・フォレストFC|ノッティンガム・フォレスト]]
|1985–86
|30||1||0||0||4||0||0||0||34||1
|-
|1986–1987
|39||6||0||0||5||2||0||0||44||8
|-
|1987–88
|34||5||5||1||3||0||1||0||41||6
|-
|1988–89
|36||6||5||0||8||1||5||3||54||11
|-
|1989–90
|34||5||1||0||10||1||2||2||47||9
|-
|1990–91
|33||11||10||4||4||1||2||0||49||16
|-
|1991–92
|30||5||4||2||9||1||5||1||48||9
|-
|1992–93
|23||2||3||0||5||0||0||0||28||2
|-
|1993–94
|42||6||2||0||1||0||1||0||50||6
|-
|1994–95
|36||8||1||0||3||2||0||0||40||10
|-
|1995–96
|31||3||4||2||1||1||8||0||44||6
|-
|1996–97
|33||5||2||0||2||0||0||0||37||5
|-
|Total
!401!!63!!34!!8!!57!!11!!24!!6!!522!!92
|-
|rowspan="3" valign="center"|[[ニューカッスル・ユナイテッドFC|ニューカッスル・ユナイテッド]]
|1997–98
|25||0||7||0||0||0||4||1||34||1
|-
|1998–99
|12||0||0||0||2||0||2||0||15||0
|-
|Total
!37!!0!!7!!0!!2!!0!!6!!1!!52!!1
|-
|rowspan="3" valign="center"|[[ウェストハム・ユナイテッドFC|ウェストハム・ユナイテッド]]
|1999–00
|8||0||0||0||0||0||0||0||8||0
|-
|2000–01
|34||2||4||1||4||0||0||0||42||3
|-
|Total
!42!!2!!4!!1!!4!!0!!0!!0!!50!!3
|-
|rowspan="2" valign="center"|[[マンチェスター・シティFC|マンチェスター・シティ]]
|2001–02
|38||3||2||0||3||0||0||0||43||3
|-
|Total
!38!!3!!2!!0!!3!!0!!0!!0!!43!!3
|-
|rowspan="1" valign="center"|キャリア通算成績
|1985–2002
|746||83||52||10||69||11||30||7||962||119
|}
 
== 獲得タイトル ==
==== 選手として ====
;ノッティンガム・フォレスト
*フットボールリーグ100周年記念トーナメント:1988年
*[[フットボールリーグカップ|リトルウッズ・チャレンジ・カップ]]:1988-89
*フルメンバーズ・カップ:1989、1992年
*[[フットボールリーグカップ|ランビロウズ・カップ]]:1989-90
*[[FAカップ]]準優勝:1991年
*フルメンバーズ・カップ準優勝:1992年
 
;イングランド代表
*[[FIFAワールドカップ]]ベスト4:[[1990 FIFAワールドカップ|1990年]]
 
;ニューカッスル・ユナイテッド
*FAカップ準優勝:1999年
 
;ウェストハム・ユナイテッド
*[[UEFAインタートトカップ|インタートトカップ]]:1999年
*プレミアリーグ月間最優秀選手賞:2001年2月
 
;マンチェスター・シティ
*フットボールリーグ・ディヴィジョン1:2001-02
 
==== 監督として ====
*[[UEFA U-21欧州選手権]]3位:[[UEFA U-21欧州選手権2007|2007年]]
*[[UEFA U-21欧州選手権]]準優勝:[[UEFA U-21欧州選手権2009|2009年]]
 
== 監督成績 ==
{| class="wikitable" style="text-align: center"
|-
!rowspan="2"|クラブ
!rowspan="2"|国
!rowspan="2"|就任
!rowspan="2"|退任
!colspan="5"|記録
|-
!試合!!勝ち!!分け!!負け!!勝率 %
|-
|align=left|[[ノッティンガム・フォレストFC|ノッティンガム・フォレスト]]
|{{flagicon|England}}
|align=left|[[1996年]][[12月20日]]
|align=left|[[1997年]][[5月8日]]
||23||7||9||7||30.4
|-
|align=left|[[マンチェスター・シティFC|マンチェスター・シティ]]
|{{flagicon|England}}
|align=left|[[2005年]][[3月11日]]
|align=left|[[2007年]][[5月14日]]
||97||34||20||43||35.1
|-
|align=left|[[サッカーイングランド代表|U-21 イングランド代表]]
|{{flagicon|England}}
|align=left|[[2007年]][[2月1日]]
|align=left|
||17||9||7||1||52.9
|-
|}
 
== 脚注 ==
<references />
 
== 外部リンク ==
* [http://www.aaa-triple-a.co.jp/art/kengo/kengo01.html Kengo Ohkuchi][トリプルエー]
* [http://www.soccerbase.com/players_details.sd?playerid=6210 出場記録] Soccerbase.com
* [http://ameblo.jp/ohkuchi-kengo/ 大口兼悟オフィシャルブログ「兼愛」]
* [http://www.soccerbase.com/managers2.sd?managerid=1166 監督成績] Soccerbase.com
* [http://www.leaguemanagers.com/manager/history-1346.html プロフィール] リーグ監督協会によるもの。
* [http://www.news-digest.co.uk/news/features/8549-stuart-pearce-football-team-gb-manager.html インタビュー] www.news-digest.co.uk。
 
 
{{Actor-stub}}
{{1990 FIFAワールドカップイングランド代表}}
{{DEFAULTSORT:おおくち けんこ}}
{{UEFA欧州選手権1992イングランド代表}}
{{UEFA欧州選手権1996イングランド代表}}
{{UEFA U-21欧州選手権2007イングランド代表}}
{{UEFA U-21欧州選手権2009イングランド代表}}
{{UEFA U-21欧州選手権2011イングランド代表}}
 
[[Category:鹿児島県出身の人物]]
{{DEFAULTSORT:ひああす すちゆああと}}
[[Category:イングランド日本サッカー選手俳優]]
[[Category:イングランドのサッカー指導者1981年生]]
[[Category:コヴェントリー・シティFCの選手]]
[[Category:ノッティンガム・フォレストFCの選手]]
[[Category:ニューカッスル・ユナイテッドFCの選手]]
[[Category:ウェストハム・ユナイテッドFCの選手]]
[[Category:マンチェスター・シティFCの選手]]
[[Category:1990 FIFAワールドカップ出場選手]]
[[Category:選手兼任監督]]
[[Category:ロンドン出身の人物]]
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[[Category:存命人物]]
 
[[en:Kengo Ohkuchi]]
[[bg:Стюарт Пиърс]]
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