ページ「石破茂」と「秘密と嘘」の間の差分

(ページ間の差分)
削除された内容 追加された内容
 
Tribot (会話 | 投稿記録)
 
1行目:
{{Infobox Film
{{政治家
| 作品名 = 石破 茂秘密と嘘
| 原題 = Secrets & Lies
|各国語表記 = いしば しげる
| 画像 =
|画像 = Gates meets Ishiba 8 November 2007 cropped for Ishiba.jpg
| 画像サイズ = 180px
| 画像 =
| 監督 = [[マイク・リー]]
|国略称 = {{JPN}}
| 製作総指揮 =
|生年月日 = {{生年月日と年齢|1957|2|4}}
| 製作 = サイモン・チャニング・ウィリアムズ
|出生地 = [[鳥取県]][[八頭郡]][[八頭町]][[郡家殿]]<br />(旧[[八頭郡]][[郡家町]]大字殿)
| 脚本 = [[マイク・リー]]
|没年月日 =
| 出演者 = [[ブレンダ・ブレッシン]]<br />[[ティモシー・スポール]]<br />[[マリアンヌ・ジャン=バプティスト]]
|死没地 =
| 音楽 = アンドリュー・ディクソン
|出身校 = [[慶應義塾大学]][[法学部]]
| 撮影 = ディック・ポープ
|前職 = [[三井銀行]]従業員(現[[三井住友銀行]])
| 編集 = ジョン・グレゴリー
|現職 =
| 配給 = {{flagicon|Japan}} [[フランス映画社]]
|所属政党 = (自由民主党)→<br />([[改革の会]])→<br />([[自由改革連合]])→<br />([[新進党]])→<br />([[無所属]])→<br />[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]([[平成研究会|額賀派]])→<br />[[自由民主党 (日本)|自由民主党]](無派閥)
| 公開 = {{flagicon|United Kingdom}} [[1996年]][[5月24日]]<br />{{flagicon|Japan}} [[1996年]][[12月21日]]
|称号・勲章 = [[法学士]]
| 上映時間 = 142分
|世襲の有無 = 2世
| 製作国 = {{GBR}}
|親族(政治家) = 祖父・[[石破市造]](大御門村長)<br />父・[[石破二朗]](鳥取県知事、参議院議員)
| 言語 = [[英語]]
|配偶者 =
| 製作費 = $4,500,000
|サイン =
| 興行収入 = {{flagicon|United Kingdom}} £1,300,000
|ウェブサイト = http://www.ishiba.com/
| 前作 =
|サイトタイトル = 石破茂オフィシャルサイト
|国旗 次作 = JPN
|職名 = 第49代 [[農林水産大臣]]
|内閣 = [[麻生内閣]]
|選挙区 =
|当選回数 =
|就任日 = [[2008年]][[9月24日]]
|退任日 = [[2009年]][[9月16日]]
|退任理由 =
|所属委員会 =
|議員会館 =
|元首職 =
|元首 =
|国旗2 = JPN
|職名2 = 第4代 [[防衛大臣]]
|内閣2 = [[福田康夫内閣]]
|選挙区2 =
|当選回数2 =
|就任日2 = [[2007年]][[9月26日]]
|退任日2 = [[2008年]][[8月2日]]
|退任理由2 =
|元首職2 =
|元首2 =
|国旗3 = JPN
|職名3 = 第68・69代 [[防衛庁長官]]
|内閣3 = [[第1次小泉内閣 (第1次改造)|第1次小泉改造内閣]]<br />[[第1次小泉内閣 (第2次改造)|第1次小泉再改造内閣]]<br />[[第2次小泉内閣]]
|選挙区3 =
|当選回数3 =
|就任日3 = [[2002年]][[9月30日]]
|退任日3 = [[2004年]][[9月27日]]
|退任理由3 =
|元首職3 =
|元首3 =
|国旗4 = JPN
|職名4 = [[衆議院議員]]
|内閣4 =
|選挙区4 = ([[鳥取県全県区]]→)<br />[[鳥取県第1区|鳥取1区]]
|当選回数4 = 8回
|就任日4 = [[1986年]][[7月8日]]
|退任日4 = 現職
|退任理由4 =
|元首職4 =
|元首4 =
}}
『'''秘密と嘘'''』(''Secrets & Lies'')は[[1996年の映画]]。[[マイク・リー]]による脚本・監督作品。[[カンヌ国際映画祭]]で[[パルム・ドール]]を受賞。アメリカの[[アカデミー賞]]でも多数の賞にノミネートされた。
'''石破 茂'''(いしば しげる、[[1957年]]([[昭和]]32年)[[2月4日]] - )は、[[日本]]の[[政治家]]。[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]所属の[[衆議院議員]](8期)。
 
== キャスト ==
[[防衛庁長官]](第[[第1次小泉内閣第1次改造内閣|68]]・[[第2次小泉内閣|69]]代)、[[防衛大臣]]([[福田康夫内閣|第4代]])、[[農林水産大臣]]([[麻生内閣|第49代]])、[[自由民主党政務調査会|自由民主党政務調査会長]](第52代)などを歴任した。
{| class="wikitable" style="text-align: center;"
|-
! rowspan=2|役名
! rowspan=2|俳優
! colspan=2|日本語吹替
|-
! VHS版
|-
| シンシア || [[ブレンダ・ブレッシン]] || [[井上瑤]]
|-
| モーリス || [[ティモシー・スポール]] || [[土師孝也]]
|-
| ホーテンス || [[マリアンヌ・ジャン=バプティスト]] || [[山像かおり]]
|-
| モニカ || フィリス・ローガン || [[宮寺智子]]
|-
| ロクサーヌ || クレア・ラッシュブルック || [[亀井芳子]]
|-
| ジェーン || エリザベス・バーリントン || [[佐藤しのぶ (声優)|佐藤しのぶ]]
|-
|}
 
== ストーリー ==
父親は[[建設事務次官]]、[[鳥取県知事一覧|鳥取県知事]]、[[自治大臣]]兼[[国家公安委員会委員長]]などを歴任した[[石破二朗]]。
幼くして母親を亡くし、10代から稼ぎに出かけつつ、弟の世話までこなしてきた主人公のシンシア。そのお節介な性格からか、夫はおろか友人すらいないまま中年を迎える。
 
== 経歴 ==
=== 生い立ち ===
[[鳥取県]][[八頭郡]][[郡家町]](現[[八頭町]][[郡家殿]])出身<ref name="jimin-tottori">[http://www.jimin-tottori.jp/isiba.html 自民党鳥取県支部連合会]</ref>。幼少の頃、父・[[石破二朗|二朗]]は[[鳥取県知事一覧|鳥取県知事]]を務めていた<ref name="ishiba2005p76">[[#石破 2005|国防]] p.76</ref>。
 
=== 学生時代〜銀行員時代 ===
[[鳥取大学附属小学校|鳥取大学教育学部附属小学校]]、[[鳥取大学附属中学校|鳥取大学教育学部附属中学校]]、[[慶應義塾高等学校]]を経て[[1979年]]、[[慶應義塾大学]][[法学部]]卒業<ref name="jimin-tottori"/>。同年[[三井銀行]]に勤務<ref name="jimin-tottori"/>。
 
=== 政治家として ===
[[1981年]]、父・二朗が死去。一周忌が済んだ頃、二朗の友人だった[[田中角栄]]に呼ばれ、田中から「おまえがあとに出ろ」と強く薦められたことが[[政界]]入りのきっかけである<ref>[[#石破 2005|国防]] p.77</ref>。
 
[[第38回衆議院議員総選挙|1986年7月の衆院選]]で鳥取全県区から立候補して初当選(本来は田中派からの出馬を希望していたが同区に同現職[[平林鴻三]]が居た為、同派内の[[創政会]]会長[[竹下登]]を頼り[[中曽根派]]幹部[[渡辺美智雄]]を頼り、中曽根派から擁立された)。以後連続当選8回。93年に[[政治改革4法|政治改革法案]]をめぐって自民党から役職停止処分を受けたため[[笹川尭]]と共に離党し、[[改革の会]]に参加。[[新党みらい]]、[[自由党 (日本 1994)|柿澤自由党]]、改革の会が合流した[[自由改革連合]]を経て[[新進党]]結党に参加するも、[[小沢一郎]]の[[安全保障]]政策に失望し、新進党を離党。1997年に自民党に復党する。
 
もともとは農水族として地歩を築いたが、自身が「国防がライフワーク」と語るとおり、「新国防族」などと呼ばれる安保通として頭角を現し、防衛政務次官、防衛副長官、[[拉致議連]]の会長などを務めた。
 
[[第1次小泉内閣 (第1次改造)|第1次小泉内閣第1次改造内閣]]において防衛庁長官に任命され、拉致議連会長を辞任して初入閣した。
 
その後、[[有事法制]]の制定に尽力し、防衛庁長官在任中に[[イラク戦争]]が勃発すると[[自衛隊イラク派遣]]を決定した。防衛庁長官の在任期間は、[[坂田道太]]に次ぐ歴代第2位。[[2007年]]、[[福田康夫内閣]]で[[防衛大臣]]に就任し、2度目の入閣を果たす。翌[[2008年]]、[[福田康夫]]首相の電撃辞任を受けて実施された[[2008年自由民主党総裁選挙|自民党総裁選]]に出馬するも[[麻生太郎]]が圧勝し、石破は最下位の5位に終わった。続いて成立した[[麻生内閣]]では、前任者たちの多くが不祥事に見舞われ、「鬼門」とされていた[[農林水産大臣]]に就任した。
 
[[2004年]]には、国民年金の未納期間があったことが明らかになり、「未納3兄弟」の一人に数えられた。
 
[[2009年]][[9月29日]]、前日に[[自由民主党総裁]]に選出された[[谷垣禎一]]の下で、[[自由民主党政務調査会|自由民主党政務調査会長]]に就任(党鳥取県連によると、県選出国会議員からの党三役就任は初めて<ref>{{Cite news
| url = http://www.nnn.co.jp/news/090930/20090930054.html
| title = 自民政調会長に石破氏 党三役、県選出で初
| newspaper = [[日本海新聞]]
| date = 2009-09-30
| accessdate = 2009-12-26
}}{{リンク切れ|date=2010年11月}}</ref>)。
 
[[2010年]][[4月14日]]、会見で[[たちあがれ日本]]について、「私自身、新党「たちあがれ日本」に参加した[[与謝野馨]]と[[園田博之]]とは、政策的に非常に近いスタンスだ。2人は、自民党で中心的な政策の立案をしてきており、共闘していくのは当然だ」「たちあがれ日本とは、「[[民主党 (日本 1998-)|民主党]]の過半数を阻止しなければならない」という思いは共通しており、今後、政策面で共同歩調をとることは多々ある」<ref>{{Cite news
| url = http://www3.nhk.or.jp/news/html/20100414/t10013832351000.html
| title = たちあがれ日本と共同歩調も
| newspaper = NHKニュース
| date = 2010-04-14
| accessdate = 2010-04-15
}}{{リンク切れ|date=2010年11月}}</ref>と述べ、たちあがれ日本と共闘する可能性を示唆し、講演でも「ともに民主党を倒すという思いなら、罵詈雑言や裏切り者などという前に、どうやって共闘するか考えるのが大事だ<ref>{{Cite news
| url = http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100414/stt1004142044010-n1.htm
| title = 「衆参ダブル選の可能性高い」と石破氏 「たちあがれ日本」との連携も模索
| newspaper = [[産経新聞]]
| date = 2010-04-14
| accessdate = 2010-04-15
}}</ref>」と述べ、たちあがれ日本と協力する可能性に言及した。
 
[[2010年]]9月、自民党政調会長に再任。当初、谷垣は石破を退任させ、参院政策審議会長(政調会長代理)の[[林芳正]]参院議員を昇格させる人事を構想したが、党内の反対論を受け、石破を政調会長に留任させた。
 
党役員人事後に設置された[[自由民主党シャドウ・キャビネット]]([[影の内閣]])では、「影の[[内閣官房長官]]」に就任した。
 
自民党が下野した後は、予算委員会などで質問に立つことが多く、首相をはじめとする閣僚に「文民統制が有効に成立する条件とは何か」など様々な質問を行っている。答弁の不十分な点や認識の甘さを指摘しつつ、教え諭すように持論を展開する姿から、「まるで大学の講義のようだ」とインターネットの動画投稿サイトなどを中心に話題となり、新聞・テレビなどのメディアにも取り上げられた<ref>J-CASTニュース 2010/8/3 菅首相 防衛論議に「しどろもどろ」 質疑というより「石破教室」 http://www.j-cast.com/2010/08/03072623.html?p=all</ref>。
 
2011年9月30日、自民党政調会長を退任(後任は[[茂木敏充]])。その後、衆議院予算委員会野党筆頭理事、自民党安全保障調査会会長に就任。
 
== 政策 ==
=== 防衛 ===
自民党きっての[[防衛]]政策通として知られる。また、「軍事マニア」<ref>{{Cite book|和書|author=石破茂|year=2006|title=軍事を知らずして平和を語るな|publisher=ベストセラーズ|isbn=978-4584189672|page=}}</ref>「防衛オタク」<ref>『神道時事問題研究』 2010年2月1日</ref>などと呼ばれる。
 
2003年3月に情報収集機関の[[調査隊]]を改組し、[[防衛庁長官]]直轄部隊として[[情報保全隊]]を組織した。この隊は同月に勃発したイラク戦争に関する世論動向(主に市民団体)の調査をおこなっていたとされる。
 
[[徴兵制度]]の利点を認める発言をしているが、現在の軍隊にはそぐわない制度だとして実際に採用することについては否定している。自民党の[[憲法改正]]草案で当初「[[徴兵制度]]の禁止」を謳った条文が想定されていたが、石破などの「国家のために生命を懸けることができないような国家を、果たして国家と呼べるのか?」という批判で消滅した。一方で徴兵制導入への反対を主張している<ref>『CIRCUS』([[KKベストセラーズ]]){{いつ|date=2012年1月}}{{要ページ番号|date=2012年1月}}</ref>のは、ハイテク兵器が活用される現代の戦争において、兵器の扱いに慣れない素人の一般国民を戦闘員として参加させた場合、デメリットの方がはるかに大きいという理由による。
 
防衛問題を扱った著書『国防』で、{{要出典範囲|論壇から高い評価を得ている|date=2011年6月}}。ただし、[[京都府職員労働組合]]は機関紙『京都府職新聞号外』2005年6月3日において、[[京都府]][[船井郡]][[丹波町]](現[[京丹波町]])で発生した[[浅田農産]][[鳥インフルエンザ]]事件における自衛隊出動についての記述が事実と異なると主張している。
 
『[[太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。]]』では、しばしば[[太田光]]と激しい論争を繰り広げつつ、専門的知見を噛み砕いて解説を行っている。国防政策において太田によく噛み付かれており、番組内では[[山本一太]]と共に「[[天敵]]」と呼ばれたこともある。太田を特集した『[[情熱大陸]]』(2010年5月23日)には、太田を評するコメントを行った。この番組では、国家の安全保障について考える際はあらゆる非常事態を想定せねばならないと発言している。日本と米国が戦争状態に突入したらどうするか、との太田からの質問に対しては「それはありえない」と回答し、日米間の戦争は起こらないと想定している事を示した。また、[[日本への原子爆弾投下|アメリカの原爆投下]]については、「日本も原爆を開発する計画があった」「仮に[[本土決戦]]が行われていたら相当の犠牲が出ていた」と米国側の認識に一定の理解を示しながらも、2発目([[長崎市への原子爆弾投下|長崎への投下]])については「許容範囲を超えている」として米国を批判している。石破は『太田光の私が総理大臣〜』の「アメリカに原爆被害の賠償金を請求します」では原爆被爆者への補償に反対を表明した。
 
『[[丸 (雑誌)|丸]]』を愛読し、国防関連の知識を吸収している。『[[週刊アサ秘ジャーナル]]』で『丸』から引用した問題を出題されると次々に正解した{{いつ|date=2011年6月}}。「災害派遣時に自衛隊が[[実弾]]を発射した相手とは何か」の一問だけは解答できなかったが(正解は海獣<ref>海獣(正確には[[トド]]類)の被害に悩む地元[[漁業協同組合|漁協]]からの要請を受け、海棲[[哺乳類]]である[[動物]]からの被害のため[[自然災害]]であるとの論理で、自衛隊が災害派遣名目で実弾を発射し、これを駆除した(詳細は[[トド#人間との関わり]]を参照)。</ref>、つまり[[トド]]駆除)、石破は知らなかったため不正解となった。石破は当初初耳だったため、出題文に衝撃を受け、何度も「災派で撃った!?」と確認し、正解を聞いて驚いていた。
 
自衛隊を機動的に動かせるような法改正を繰り返し主張しており、特に北朝鮮有事の際の邦人救出の必要性を強調している。2008年の自民党総裁選の際には「動乱が起き、北朝鮮の(日本)国民が逃げなきゃいけない時でも自衛隊は(国内法の制約で)助けに行けない。そんな国でいいのか」と述べた<ref>{{Cite news
|url = http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/080920/stt0809201805008-n1.htm
|title = 麻生氏「危なくてしようがない」 金総書記重病説事実なら「脅威」
|newspaper = [[産経新聞]]
|date = 2008-09-20
|accessdate = 2010-01-26
}}{{リンク切れ|date=2010年1月}}</ref>。また[[2010年]][[5月6日]]のテレビ番組では、社民党の[[福島瑞穂]]に対し、「(朝鮮半島有事の際に)ソウルやプサンにいる日本人を自衛隊が助け出しに行く。反対ですか?賛成ですか?」「『輸送の安全が確保されない限りは行けない』と書いてあるでしょ。何回この法律の改正を提案しても、反対したのはあなた方じゃないですか」と質問し、自衛隊法の改正を主張した<ref>朝ズバ2010年5月26日[http://www.nicovideo.jp/watch/sm10627661]</ref>。
[[2010年]][[5月23日]]、テレビ番組で「将来的に日本のような[[島国]]に[[海兵隊]]が無いのはおかしなことだと思っている」と述べ、日本も海兵隊を持つべきだと主張した。また、日本が海兵隊を持った場合、日本の海兵隊が[[アメリカ海兵隊]]と共同で動くことがある可能性にも言及した<ref>{{Cite news
|url = http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp3-20100523-633164.html
|title = 石破氏「日本に海兵隊ないのはおかしい」
|newspaper = nikkansports.com(共同通信)
|date = 2010-05-23
|accessdate = 2010-12-10
}}</ref>。
 
{{Multiple image
|direction = vertical
|width = 180
|image1 = Rumsfeld meets Ishiba 15 November 2003.jpg
|caption1 = 来日した[[アメリカ合衆国国防長官]](当時)の[[ドナルド・ラムズフェルド]](右)と記者会見に臨む防衛庁長官時代の石破(2003年11月15日)
|image2 = Gates meets Ishiba 8 November 2007.jpg
|caption2 = 来日したアメリカ合衆国国防長官の[[ロバート・ゲーツ]](左)と握手を交わす石破(2007年11月8日)
|image3 = Ishiba and Gates with flags.jpg
|caption3 = ロバート・ゲーツ(右)と([[2007年]][[11月8日]])
}}
 
=== 農政 ===
初入閣は防衛庁長官であり、後に防衛大臣も務め、政調会長就任後も予算委員会では主に外交・安全保障を中心に質疑を行っているため国防・安全保障の政策通としての顔が有名だが、元々は農水族であり、農水政務次官を2度務めている。そのため、[[麻生内閣]]での農林水産大臣就任は満を持してのものだったという。「農家から防衛しか知らないと思っていたと言われた、農林水産問題を語ってもメディアが報じてくれない」と語ったこともある<ref>[http://ishiba-shigeru.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-f9d2.html 農林水産・桃太郎・ネットカフェ] - 石破茂オフィシャルブログ 2008年9月16日(2009年9月11日閲覧)。</ref>。
 
なお、農林水産大臣は[[松岡利勝]]の自殺や[[赤城徳彦]]、[[遠藤武彦]]、[[太田誠一]]の相次ぐ辞任により「鬼門」のポストとされていたが、石破は1年間、特に何の問題もなく農水大臣を務めた。ちなみに農水相就任時には、報道のインタビューに対し「誰から事務引継ぎするの?」と皮肉めいた言葉を漏らした<ref>実際には、前任の[[太田誠一]]が辞職した直後であったため、臨時代理を務めていた[[町村信孝]][[内閣官房長官]]から引き継ぎを受けた。</ref>。
 
=== 経済 ===
TPP[[環太平洋戦略的経済連携協定]]交渉について「参加しない選択はあり得ない」と述べ、交渉参加に賛成する考えを示しており<ref>[http://www.nikkei.com/news/headline/article/g=96958A9C93819481E2E7E2E3938DE2E7E3E3E0E2E3E38297EAE2E2E2 石破氏、TPP交渉「参加を」 自民内の意見割れる] 日本経済新聞 2011年11月9日閲覧。</ref><ref>[http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20111105-OYT1T00755.htm 谷垣氏は反対、石破氏は賛成…TPP交渉参加] 読売新聞 2011年11月9日閲覧</ref>、自身のブログにおいて、「総選挙において『わが党が政権を担当すればTPP交渉からは直ちに離脱する』とでも公約するつもりなのか。そこまでの覚悟があるのならそれはそれで構いませんが、私はそのような公約をすることには反対です」と表明している。<ref>[http://megalodon.jp/2012-0715-0909-38/ishiba-shigeru.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/post-c7b6.html 石破茂オフィシャルブログ2011年11月18日]</ref>。
また、「首相が交渉に参加すると表明した以上、我が党が離脱すると言ったら日米関係はもたない」<ref>読売新聞社説・2011年11月17日付</ref>とも述べ、TPP交渉参加を訴えた。ただし、野田首相は「交渉参加に向けて、関係国と協議に入る」と述べたのであり、正式な交渉参加表明をしたわけではない。なお、[[西田昌司]]の「自主防衛による対米自立を目指せばTPPは不必要である」との自説に対して、石破は「そうか」と応じたという<ref>[http://www.youtube.com/watch?v=2Qhe8SJAoyY 京都讀書會・頑張れ日本!京都]</ref>。
 
=== 外交 ===
外交問題では硬軟織り交ぜた主張をとっており、「[[タカ派]]」というわけではない。朝日新聞社の論壇誌『[[論座]]』にも寄稿して保守強硬派を批判している。『論座』2006年8月号においても、[[朝鮮民主主義人民共和国|北朝鮮]]への単独制裁に対して疑問を呈している。[[内閣総理大臣]]の[[靖国神社]]への[[参拝]]にも反対を表明し<ref>{{Cite news
| url = http://www.donga.com/fbin/output?f=f__&amp;n=200609280102
| title = “젊은 의원들 전쟁몰라 용감…日정치 지나친 우경화 걱정”
| newspaper = [[東亜日報]]
| date = 2006-09-28
| accessdate = 2010-03-27
| language = 韓国語
| trans_title = “若い議員たちの戦争を知らぬ勇敢さ … 日本の政治家らの度を過ぎた右傾化が心配”
}}</ref>、靖国神社からの「[[A級戦犯]]の分祀」を主張している<ref>{{Cite news
|url = http://megalodon.jp/2008-0915-1632-03/www.nikkei.co.jp/news/seiji/20080915AT3S1401014092008.html
|title = 靖国問題、A級戦犯の分祀で一致 自民総裁選5候補
|newspaper = [[日本経済新聞]]
|date = 2008-09-15
|accessdate = 2010-03-27
}}</ref>。
 
北朝鮮問題については、鳥取県が日本海側に位置していることから問題意識が強い。1992年に「'''見ないで批判するのはいかんだろう'''」という理由で、自民党・[[日本社会党]]・[[公明党]]合同の訪朝議員団に参加した。[[金日成]]生誕80周年祝賀式典を見た際に、全員が一糸乱れず全く同じ動きをしながら独裁者を賛美する北朝鮮国民の様子に衝撃を受け、以来、その印象の北朝鮮観を抱いている。
 
=== 教育 ===
『論座』において、[[教育基本法]]に[[愛国心]]を明文化することに反対の姿勢を示した。「愛国心は国が政策面で強制するものではない」というのが理由である(なお、改正教育基本法には「我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと」と愛国心教育について明記された)。
 
民主党政権の高校授業料無償化政策については、「いつから高校が義務教育になったのか。中学までの義務教育を充実させることの方が重要ではないか」と疑問を呈している。
 
=== 皇室 ===
2009年[[12月]]の[[天皇特例会見|天皇特例会見問題]]では、石破が委員長を務める「天皇陛下の政治利用検証緊急特命委員会」は民主党政権のとった行動を「陛下の政治利用にあたる」と指摘<ref>{{Cite news
|url = http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20091218-OYT1T01136.htm
|title = 「憲法認識の欠如」自民が天皇特例会見で見解
|newspaper = [[読売新聞]]
|date = 2009-12-18
|accessdate = 2010-01-25
}}</ref>。石破は民主党政権の対応を「かなり異例<ref>{{Cite news
|url = http://www.jiji.com/jc/zc?k=200912/2009121200001
|title = 首相、渋る宮内庁押し切る=際立つ対中配慮-陛下特例会見
|newspaper = [[時事通信社]]
|date = 2009-12-12
|accessdate = 2010-01-25
}}</ref>」「大事じゃない国はルール通りだが、大事な国はひっくり返して会見するのは政治判断だ。そういうことをしていいのか<ref>{{Cite news
|url = http://www.asahi.com/seikenkotai2009/TKY200912140349.html
|title = 特例会見に党内外から批判 「政治利用」「要請強硬」
|newspaper = [[朝日新聞]]
|date = 2009-12-15
|accessdate = 2010-01-25
}}</ref>」「(ルールが)時の政府の意向で左右されることであってはいけない<ref>{{Cite news
|url = http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20091216-OYT1T00224.htm
|title = 天皇特例会見、前原国交相「元首相から打診」
|newspaper = 読売新聞
|date = 2009-12-16
|accessdate = 2010-01-25
}}</ref>」と民主党政権を重ねて批判した。
 
[[2010年]](平成22年)[[2月25日]]、政府([[鳩山由紀夫内閣]])が[[天皇の公的行為]]に関してまとめた統一見解<ref>{{Cite news
| url = http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100225/plc1002251611013-n1.htm
| title = 「天皇の公的行為について」の政府見解全文
| newspaper = MSN産経ニュース
| publisher = 産業経済新聞社
| date = 2010-02-25
| accessdate = 2010-02-26
}}{{リンク切れ|date=2011年2月}}</ref>に関し、[[内閣官房長官|官房長官]]の[[平野博文]](当時)が記者会見で「本来、憲法で言っている概念からいくと、天皇は国政に関する権能を有しないので、政治利用が存在することはあり得ない」と述べ、天皇の政治利用はそもそも存在しないとしたことに対し、石破は「ルールはいらないというなら、憲法の趣旨や陛下の立場を無視した考えられない見解だ」と述べた<ref>{{Cite news
| url = http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/100225/plc1002252121020-n2.htm
| title = 政府、天皇の公的行為で「統一的ルール設けない」 自共は反発 (2/2ページ)
| newspaper = 産経新聞
| date = 2010-02-25
| accessdate = 2010-02-25
}}{{リンク切れ|date=2011年2月}}</ref>。
 
=== 外国人参政権 ===
2010年の党大会で[[日本における外国人参政権]]について、「憲法上の議論が多く残り、国民的議論も成熟していない。私どもは拙速な法案成立に断固反対する」と述べ、党として法案に反対する考えを表明、また「(憲法上の)住民とは[[日本国民]]をさすと考えており、私どもは多くの疑義があると考えている。国の形そのものにかかわる問題だ」<ref>{{Cite news
|url = http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100124/stt1001241213009-n1.htm
|title = 【自民党大会】外国人参政権「断固反対」 石破氏が表明
|newspaper = 産経新聞
|date = 2010-01-24
|accessdate = 2010-1-25
}}{{リンク切れ|date=2011年2月}}</ref>、「この問題は国の形そのものにかかわるものだ。憲法のあり方からしても、拙速な法案成立には断固反対していく<ref>{{Cite news
|url = http://www.jiji.com/jc/c?g=pol_30&amp;k=2010012400057
|title = 外国人参政権に反対=自民・石破氏
|newspaper = 時事通信社
|date = 2010-01-24
|accessdate = 2010-1-25
}}{{リンク切れ|date=2011年2月}}</ref>」と述べた。
 
=== 夫婦別姓 ===
[[2010年]](平成22年)[[3月3日]]、記者会見で、民主党政権が目指す選択的[[夫婦別姓]]導入を含む[[民法 (日本)|民法]]改正案について「これを待ち望む人々のニーズに応えながら、法案には反対だという姿勢を示したい」と述べた。また、自民党内にある選択的夫婦別姓に賛同する動きについて「党内には(夫婦別姓の)問題点が理解されず、『まあ、いいじゃないか』という風潮があるのも事実だ」と述べた<ref>{{Cite news
| url = http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/100303/stt1003031809008-n1.htm
| title = 【夫婦別姓】自民・石破氏「まあいいじゃないか」の風潮に危機感
| newspaper = MSN産経ニュース(産経新聞)
| date = 2010-03-03
| accessdate = 2010-03-04
}}</ref>。
 
=== 人権救済機関創設に意欲 ===
[[2011年]](平成23年)[[3月3日]][[部落解放同盟]]の全国大会が都内で開かれ、来賓として招かれた各党代表は、解放同盟が求める人権救済機関創設の法整備に意欲を示した。石破は「法律を制定することに与党も野党もない」と述べた<ref>人権救済機関創設に意欲=解放同盟全国大会で与野党(時事2011/03/03)</ref>。
 
=== 他党の政策に対して ===
==== 子ども手当 ====
民主党の政策である[[子ども手当]]について、子どもを母国に残した在日外国人も対象になっていることに触れ「(在日外国人であるが)子どもさんは国外にいる。そして、子どもさんは[[日本国籍]]を有していない。どう考えても、こういう方々に対して、日本国民の税金を使って支給すべきではない」と述べている<ref>{{Cite news
| url = http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00174183.html
| title = 子ども手当法案 自民党、「子どもの国内居住」要件設けず法案成立急ぐ政府与党を批判
| newspaper = FNNニュース
| date = 2010-03-25
| accessdate = 2010-03-27
}}</ref>。
 
== 総裁候補 ==
{{独自研究|section=1|date=2009年3月}}
2006年の自民党総裁選挙では[[麻生太郎]]を支持したが、最後まで地元の鳥取県に地理的に近い山口県出身の[[安倍晋三‎]]を推薦するか迷っていたようである<ref>『[[報道ステーション]]』(2007年8月、テレビ朝日)で発言</ref>。[[2007年自由民主党総裁選挙|2007年の自民党総裁選]]では[[福田康夫]]を支持している。
 
自民党の野党転落後に行われた[[2009年自由民主党総裁選挙]]では、前回の総裁選の対立候補であった与謝野馨から立候補を推されるなど、マスメディアから総裁候補の1人として有力視されるも、前回の総裁選で推薦人となった20人のうち13人が落選するなど、推薦人集めが難航したことなどから立候補を断念し、谷垣禎一への支持を表明した。
 
[[2010年]]の党役員人事では、党組織運動本部長・[[石原伸晃]]、広報本部長・[[小池百合子]]、そして石破が、それぞれ幹事長、総務会長、政調会長に就任し、党三役は全て50代で占められた。自民党総裁・谷垣は、この人事に関して「次世代のリーダーに三役に入ってもらった」と述べている。
 
なお、石破は著書『国防』の中で「総理になりたいとは全く思っていない」と述べている<ref>[[#石破 2005|国防]] p.240</ref>。
 
== 発言 ==
* 防衛庁長官在任中の2004年3月16日に、自衛隊についての発言で「今まで半分やゆ的に自閉隊と言われていたところがある。自閉症の子供の自閉と書いて自閉隊だ」と述べた<ref>{{Cite news
| url = http://www.47news.jp/CN/200403/CN2004031601004761.html
| title = 自衛隊は「自閉隊」 石破長官が不適切発言
| newspaper = [[47NEWS]]
| publisher = [[共同通信社]]
| date = 2007-03-16
| accessdate = 2011-06-27
}}</ref><ref name="asahi20040317">{{Cite news
| url = http://www2.asahi.com/special/jieitai/TKY200403160319.html
| title = 「自衛隊は『自閉隊』と言われていた」 石破防衛庁長官
| newspaper = 朝日新聞
| date = 2004-03-17
| accessdate = 2011-06-27
}}</ref>。石破は、発言について「世間でそのように自衛隊を非難する人がいると言っただけ。自衛隊が内にこもっては駄目だという意図だ」と説明した<ref>{{Cite news
| url =
| title = 自衛隊は「自閉隊」…石破長官、パーティーであいさつ
| newspaper = 読売新聞
| date = 2004-03-17
| accessdate =
}}</ref>が、[[自閉症]]に対する認識不足であるとの批判を浴び<ref name="asahi20040317"/><ref>{{Cite news
| url =
| title = 自衛隊は「自閉隊」 石破防衛庁長官が発言
| newspaper = [[中日新聞]]
| date = 2004-03-17
| accessdate =
}}</ref>、3月19日に発言を陳謝した<ref>{{Cite news
| url = http://www.47news.jp/CN/200403/CN2004031901000961.html
| title = 「自閉隊」発言を陳謝 引用不適切だったと石破氏
| newspaper = 47NEWS
| publisher = 共同通信社
| date = 2004-03-19
| accessdate = 2011-06-27
}}</ref>。
* 「佐藤正久君の時には大変お世話になった。今後3年後は海、その3年後は空というようにしていきたい。各幕の協力が必要だ」(2007年11月5日、各幕との懇談にて)
* 防衛大臣在任時、[[未確認飛行物体|UFO]]の存在を日本政府としては確認していないという公式見解を出した。
* 防衛省の航空幕僚長であった[[田母神俊雄]]の論文問題に関して、「現職の自衛官が自らの思想信条で政治をただそうというのは、憲法の精神に反している」と指摘。自身のブログでも、かつての部下である田母神を批判した<ref>[http://ishiba-shigeru.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-8451.html 田母神・前空幕長の論文から思うこと] - 石破茂オフィシャルブログ 2008年11月5日、[http://ishiba-shigeru.cocolog-nifty.com/blog/2008/11/post-a879.html 文民統制] - 石破茂オフィシャルブログ 2008年11月10日(2010年11月28日閲覧)</ref>。
* [[イージス艦衝突事故|イージス艦「あたご」の事故]]について、事故直後・捜査が入る前に航海長を省へヘリで呼び出し、大臣同席で事情調査をしたことについての民主党の[[前原誠司]]の質問「あなたは何をしているんですか?」に、「今はあなたの質問に答えています」と答弁をした。
* 『[[サンデープロジェクト]]』([[テレビ朝日]])で核密約について聞かれたとき「秘密をばらすような人間を次官や大臣にするのが間違っている」と発言した。
* 民主党の選挙対策委員長・[[石井一]]の「鳥取・島根は日本の[[チベット]]」と発言を聞き、「日本海側の人間はかつて裏日本と言われ悔しい思いをしてきた訳で、地域の人を見下す対応をする人が選挙を仕切っているのが民主党のやり方だ」と批判した<ref>{{Cite news
| url = http://www.nnn.co.jp/news/100224/20100224054.html
| title = 「鳥取や島根は日本のチベット」 発言に抗議相次ぐ
| newspaper = [[日本海新聞]]
| date = 2010-02-24
| accessdate = 2010-03-01
}}</ref>。
* 2010年11月18日に[[参議院]][[予算委員会]]にて[[内閣官房長官]]・[[仙谷由人]]が「[[暴力の独占|暴力装置]]でもある自衛隊」と述べたことから審議が紛糾して発言の撤回・謝罪に追い込まれた件に関連し、2009年3月30日に当時の現職の[[農林水産大臣]]であった石破も民間のシンポジウムにて「国家の定義というのは、警察と軍隊という暴力装置を合法的に所有するというのが国家の1つの定義」と述べていた<ref>{{Cite news|url=http://www.asahi.com/international/aan/hatsu/hatsu090414d.html|title=集団的自衛権と国連観に違いがみえた|newspaper=朝日新聞アジアネットワーク|date=2009-03-30|accessdate=2010-11-19}}</ref>ことが指摘された<ref>このシンポジウムには、当時の民主党の副代表であり、仙谷の「暴力装置」発言の時点における幹事長である[[岡田克也]]ら複数のパネリストも参加していたが、石破が警察や軍隊を「暴力装置」と表現した点について、特に誰からも問題視されなかった。</ref>。この点について石破は、2010年11月19日に自身のブログにて、北朝鮮がなぜあのようなテロ行為を引き起こすのかを説明する上で、政治学上の定義を引用したに過ぎず、自衛隊を名指ししたものではないと釈明した<ref>[http://ishiba-shigeru.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/post-b950.html 週末日程、「暴力装置」発言] - 石破茂オフィシャルブログ 2010年11月19日</ref>。ただし石破は、[[清谷信一]]との共著である『軍事を知らずして平和を語るな』(2006年)にて、暴力装置に自衛隊も含まれるとの旨を以下のように明確に述べたことがある<ref>[http://astand.asahi.com/magazine/wrpolitics/2010111900011.html 『「暴力装置」は「差別用語」か?』 清谷信一] - [[asahi.com]] Astand RONZA 2010年11月19日</ref>。
{{quote|「国家という存在は、国の独立や社会の秩序を守るために、暴力装置を合法的に独占・所有しています。それが国家のひとつの定義だろうと。暴力装置というのは、すなわち軍隊と警察です。日本では自衛隊と警察、それに海上保安庁も含まれます。」}}
* 中国共産党系の新聞「世界新聞報」(2008年1月29日)に掲載された石破茂防衛大臣の発言<ref>『WiLL』2008年6月号[[渡部昇一]]「石破防衛大臣の国賊行為を叱る」</ref>
** 私は防衛庁長官時代にも靖国神社を参拝したことがない。第二次世界大戦の時に日本の戦争指導者たちは、何も知らない国民を戦線に駆り出し、間違った戦争をした。だから私は靖国神社に参拝しない、あの戦争は間違いだ、多くの国民は被害者だ
** 日本には南京大虐殺を否定する人がいる。三十万人も殺されていないから南京大虐殺そのものが存在しないという。何人が死んだかと大虐殺があったかは別問題だ
** 日本には慰安婦についていろいろな見解があるが、日本軍が関与していたことは間違いない。
** 日本人が大東亜共栄圏の建設を主張したことは、侵略戦争に対する一種の詭弁だ
** (中国は日本に対する脅威であるから対中防衛を強化せよという人たちは)何の分析もしないで、中国は日本に対する脅威だと騒いでいる
** 日本は中国に謝罪すべきだ
* 事故を起こした福島原発を含め現在ある全ての原発の計画・建設を行い、電力会社や原発を製造したメーカーから多額の献金を受け取っていた自民党の責任が問われる中次のように述べた<ref>中央公論2011年5月号</ref><ref>【放射能漏れ】「事態改善をうながすことにならぬ」首相の東電社員叱責に自民・石破氏が批判 - SankeiBiz</ref><ref>しんぶん赤旗 2011年4月19日</ref><ref>[http://gendai.ismedia.jp/articles/-/2439 原子力ロビー「電気事業連合会」の力と実態 電力会社幹部は3年間で5600万円を自民党政治団体に献金、「味方作り」を推し進めてきた]現代ビジネス</ref>。
** 誰が悪い、彼の責任だと言っても詮無き事
** 東電社員の叱責は事態改善をうながすことにならぬ
** 福島原発事故は政府による災害だ
** 人体に影響を与えるような汚染のレベルにはほど遠い
* [[野田内閣 (第2次改造)|野田第2次改造内閣]]において、前身時代を含め史上初の民間人からの起用となった森本敏・拓殖大学大学院教授の防衛大臣起用に対し「政治家でない以上、責任はとれない」と同氏の防衛相就任を批判している<ref>[http://www.fnn-news.com/news/headlines/articles/CONN00224717.html 野田第2次改造内閣「適材適所」と野田首相も、野党からは批判](FNNニュース、2012/6/5閲覧)</ref>が、森本の能力自体は高く評価しており、森本や長島昭久との共著でも「森本先生みたいな方に、政治任用で安全保障担当補佐官になっていただきたいのです。有為な人材を得る。それは何も、政治家でなければいけないということではない。」「政治任用といっても、別に政治家である必要はありません。ローレスにしても、別に上院議員ではないですから。それは防衛参事官制度にも共通して言えることですが、政権と運命を共にする人であれば、政治家である必要はまったくない。政治家の論功賞のポストでも何でもないわけですから。」と述べている。<ref>国防の論点 日本人が知らない本当の国家危機 PHP p.115</ref>
 
== 政治資金 ==
[[東京電力]]や関連企業が[[政治資金パーティー|パーティー券]]購入額の目安として、東京電力が政治家の電力業界での重要度を査定しランク付けしていた上位10議員の内の1人であったことが報じられた。
 
議員秘書等から依頼に応じパーティー券を購入し、一回あたりの購入額を[[政治資金収支報告書]]に記載義務のない20万円以下にして東電からの資金の流れが表面化しないようにしていた<ref>{{Cite news
| url = http://www.asahi.com/national/update/0107/TKY201201070496.html
| title = 東電、10議員を「厚遇」 パーティー券を多額購入
| newspaper = [[朝日新聞]]
| date = 2012-01-08
| accessdate = 2012-03-28
}}</ref>。
 
== 人物像 ==
==== 父・二朗との関係 ====
石破が生まれた時、父・二朗は48歳の高齢だった。二朗の秘書をつとめていた高岩迪資によると、石破が誕生した際、二朗は「年寄り子で恥ずかしい」といって病院に行きたがらなかっため、高岩が代理として出掛けていた。病院側では、高岩を茂の父親と間違えることが何度かあったという<ref>[[#石破二朗回想録刊行会 1982|『回想録 石破二朗 追想篇』]] p.171</ref>。
 
元[[三井信託銀行]]社長・[[土井正三郎]](鳥取県[[米子市]]出身)によれば、「[[1978年|昭和五十三年]]初夏の頃石破(二朗)さんから令息・茂君の就職について相談を受けたことがありました<ref name="Ishiba_p422">[[#石破二朗回想録刊行会 1982|『回想録 石破二朗 追想篇』]] p.422</ref>。そのとき私は本人の志望会社を認められることを強調し、たまたま入社志望会社の人事担当役員が古くから親交がありましたので、石破(二朗)さんと一緒に訪ねたこともありました<ref name="Ishiba_p422-423">[[#石破二朗回想録刊行会 1982|『回想録 石破二朗 追想篇』]] pp.422-423</ref>。又、令息の学業、クラブ活動の成績等は極めて優秀、希望通り採用内定し、その通知を受けられた、ご両親のご安堵の程が察せられたことを想起しています<ref name="Ishiba_p423">[[#石破二朗回想録刊行会 1982|『回想録 石破二朗 追想篇』]] p.423</ref>」という。
 
==== 信仰 ====
母方の曽祖父[[金森通倫]]から4代目のクリスチャン([[キリスト教徒]])であり、[[日本基督教団]]鳥取教会に所属している。[[幼稚園]]も教会附属で、18歳のときに日本基督教団鳥取教会で[[洗礼]]を受けた。石破は、「46年間、[[キリスト教]]に触れつつ[[信仰]]をもちながら生きてきた」と述べている<ref> [[キリスト新聞]]「今週のニュース」(2006年4月22日)より<!--リンク切れ http://www.kirishin.com/news/n2006_04_22e.html --></ref>。
 
==== 趣味・嗜好など ====
* 高校時代から[[アイドル]]歌手グループ[[キャンディーズ]]の大ファンであり、中でも[[藤村美樹|ミキ(藤村美樹)]]がお気に入り。[[2007年]][[11月15日]]の[[守屋武昌]]元防衛次官に対する証人喚問において、[[久間章生]]、[[額賀福志郎]]両名の名前が出てきた日の夜、キャンディーズの曲を熱唱した。キャンディーズの30年ぶりの同窓会では、テレビのインタビューに「キャンディーズは青春そのもの。あの頃を思い出してもっと頑張ろうと思う」と答えている<ref>『[[ハッケン!!]]』(2008年4月、[[フジテレビジョン|フジテレビ]])で発言。</ref><ref>『[[週刊文春]]』([[文藝春秋]])[[2007年]][[11月29日]]号 p.26-28「石破大臣が歓喜のキャンディーズ熱唱-守屋喚問、久間、額賀実名暴露の夜に」</ref>。メンバーの一人で解散後女優に転向した[[田中好子]]が2011年4月21日に死去した際には「本当の同時代を生きた私たちの青春そのもの。大事な友達を亡くしたような思いだ」とコメントした<ref>[http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/110422/ent11042211510014-n1.htm 自民・石破氏「青春そのもの。ありがとう。忘れないよ」] 産経新聞 2011年4月22日閲覧</ref>。
* 自他ともに認める[[軍事]][[おたく|オタク]]にして、ミリタリー系[[プラモデル]]の愛好家でもある。[[静岡ホビーショー]]における自衛隊車輌展示も彼の働きかけにより実現したと言われている。少年時代は[[自動車]]、[[タクシー]]、[[蒸気機関車|SL]]が大好きな[[自動車|車]]マニア、[[鉄道ファン|鉄道マニア]]でもあった。現在でも[[戦車]]や[[戦闘機]]の[[プラモデル]]を集めるのが趣味のようである。防衛庁長官時代、[[ロシア]]国防大臣が来日した際に大臣を喜ばせるために2日間徹夜して[[航空母艦|空母]][[アドミラル・クズネツォフ (空母)|アドミラル・クズネツォフ]]の模型を組み上げた(この時、「在任中はプラモ制作を我慢する」という自戒を破ったと後に述懐している)。ただ、石破自身は、「子供のころから戦車、戦闘機、軍艦といった、乗り物が好きで、国防や外交について『筋金入りのオタク』という意見や批判はいささか買いかぶりのような気がしてならない」と述べている<ref>[[#石破 2005|国防]] p.74</ref>。また、近頃は「軍艦が好き」「プラモデルが好き」などと言うと、すぐに危ない軍事オタクのように言われるが、それは短絡的な決め付けであるとも述べている<ref name="ishiba2005p76"/>。
* アニメファン。アニメ専門チャンネル「[[ファミリー劇場]]」製作のトーク番組「アニメ問わず語り」(2009年7月16日放送)で、1978年公開の「[[さらば宇宙戦艦ヤマト]]」を30分に渡って語っている。中で、「公開後すぐ観に行った。一日4回上映を全て観、それを3日続け、当時、付き合っていた女性に頭がおかしいんじゃないの?と云われた」と告白している。
* [[鉄道ファン]]でもあり、[[ブルートレイン (日本)|ブルートレイン]]「[[銀河 (列車)|銀河]]」の廃止の際、寝台券が入手できず残念がった。2010年3月に寝台特急「[[北陸 (列車)|北陸]]」と夜行急行「[[能登 (列車)|能登]]」が廃止された際にもテレビ番組のインタビューに答えている。現在でも鳥取と東京の往復に[[寝台列車|寝台特急]]「[[出雲 (列車)|サンライズ出雲]]・[[瀬戸 (列車)|瀬戸]]」と[[特別急行列車|特急]]「[[いなば (列車)|スーパーいなば]]」を利用する姿がたびたび報じられている。雑誌『[[週刊プレイボーイ]]』([[集英社]])2009年2月16日号のインタビュー記事では、「寝台車で過ごす時間は側近にも邪魔されず、好きな事をして過ごせるとても楽しい時間だ」と述べている。
* 石破自身は[[喫煙]]者である。[[カレーライス]]と[[コロッケ]]が好物だが、[[納豆]]は苦手であるという。
 
==== 交友関係 ====
* コラムニストの[[泉麻人]]は、慶應義塾高校での同級生。
* [[民主党 (日本 1998-)|民主党]]の議員では[[前原誠司]]と親密。双方とも[[鳥取県]]出身<ref>前原本人は[[京都]]生まれ京都育ちだが、父祖の地は鳥取県(父は[[境港市]]、母は日野郡[[日南町]]出身)である。</ref>で、内閣総理大臣の靖国神社公式参拝に反対している他、防衛問題でも意見が一致し、共同で本を出版したこともある<ref>石破茂・前原誠司ほかが集中講義!日本の防衛 7つの論点(石破・前原らのインタビュー集、2005年、宝島社、ISBN 978-4796647892)</ref>。鉄道やプラモデルといった、趣味の話題でも話が盛り上がるという。石破が2008年9月に行われた自民党総裁選に立候補したが、これは前原との会話が間接的な原因となったとする報道もある<ref>【自民総裁選】続々名乗り、麻生氏苦虫 - [[産経新聞|MSN産経ニュース]] 2008.9.6<!-- リンク切れ http://sankei.jp.msn.com/politics/situation/080906/stt0809060053000-n1.htm --></ref>。また、[[菅直人]]政権の下では民主・自民・公明3党の枠組みでの政策協議が積極的に行われたため、菅政権下で一貫して[[政策調査会|政策調査会長]]を務めた[[玄葉光一郎]]とも親しい。
{{節stub}}
 
==== その他 ====
* 2004年から2005年にかけて、『[[ULTRAMAN (2004年の映画)|ULTRAMAN]]』、『[[戦国自衛隊1549]]』、『[[亡国のイージス]]』など[[自衛隊]]の大規模な協力を得て撮影された[[映画]]が公開されたが、これは防衛庁長官を務めていた彼の映画産業への理解が深かったことが大きい。そのため、当時は[[テロリズム|テロ]]や[[サイエンス・フィクション|SF]]といった大胆なテーマの作品にも自衛隊の協力が得られるのが特徴であった<ref>『[[日経エンタテインメント!]]』2007年11月号([[日経BP社]])</ref>。
* [[道路特定財源]]を資金源とする[[道路運送経営研究会]](道路特定財源の一般財源化に反対している)から献金を受けている<ref>[http://www.shugiin.go.jp/itdb_shitsumon.nsf/html/shitsumon/b169030.htm 衆議院議員鈴木宗男君提出社団法人全日本トラック協会への補助金のあり方に関する質問に対する答弁書] - [[第169回国会|第169通常国会]]における[[答弁書]](内閣衆質169第30号 平成20年2月5日)</ref>。
* 2008年12月、政治家をモチーフにした商品を数多く手がける菓子問屋「大藤」から「希望戦士 ISHIDAM」(定価735円)なる商品が、石破の地元である鳥取と[[秋葉原]]限定で発売された。同商品は二十世紀梨の果汁入り[[饅頭]]で、皮には石破が農水大臣だったことにちなみ、[[米粉]]が配合されている。プラモデル風のパッケージには石破をモチーフにしたイラストが描かれており、20種類+シークレット2種類のオリジナル缶バッジが同梱されている。
* 2010年12月、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系『[[ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!]]』の「[[絶対に笑ってはいけないスパイ24時]]」に、防衛問題について[[ジミー大西]]と対談するVTRでゲスト出演した。
 
== 主な所属議員連盟 ==
* [[日本会議]]国会議員懇談会(副会長)
* [[北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟]]
* [[みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会]]
* [[真・保守政策研究会]]
* [[日韓議員連盟]](幹事)
 
== 略年譜 ==
* 1957年2月4日 - [[建設省|建設]][[官僚]]・[[石破二朗]]、和子の長男として生まれる
* [[1969年]]3月 - [[鳥取大学附属小学校|鳥取大学教育学部附属小学校]]卒業
* [[1972年]]3月 - [[鳥取大学附属中学校|鳥取大学教育学部附属中学校]]卒業
* [[1975年]]3月 - [[慶應義塾高等学校]]卒業
* [[1976年]]12月 - 昭和51年度[[全日本学生法律討論会]]第1位
* [[1979年]]
** 3月 - [[慶應義塾大学]][[法学部]]法律学科卒業
** 4月 - [[三井銀行]](現[[三井住友銀行]])入行
* [[1983年]]
** 1月 - 三井銀行退社
** 2月 - [[木曜クラブ]](田中派)事務局勤務
* [[1984年]]9月 - 同事務局退職
* [[1986年]]7月 - [[第38回衆議院議員総選挙]]に自民党公認で鳥取全県区より出馬し衆議院議員初当選(全国最年少<ref name="jimin-tottori"/>)、[[政策科学研究所 (派閥)|政策科学研究所]](中曽根派→渡辺派)に所属
* [[1992年]]12月 - 農林水産政務次官に就任( - [[1993年]]6月)
* [[1993年]] - 自民党離党
* [[1994年]]
** 4月 - [[新生党]]入党
** 12月 - [[新進党]]結党参加
* [[1996年]]10月 - [[第41回衆議院議員総選挙]]で新進党離党。無所属で鳥取1区より出馬し再選、会派「21世紀」に参加
* [[1997年]]3月 - 自民党復党。[[平成研究会|小渕派]]に所属(前年の総選挙では無所属で再選)
* [[2000年]]7月 - 農林水産総括政務次官 12月 - 防衛総括政務次官に就任
* [[2001年]]1月 - 防衛庁初代副長官に就任( - 2001年4月)
* [[2002年]]
** 3月 - [[北朝鮮による日本人拉致問題|拉致議連]]会長に就任
** 9月 - [[防衛庁長官]]に就任( - 2004年9月)
* [[2004年]]4月 - [[第2次小泉内閣]]の閣僚の中で[[麻生太郎]]・[[中川昭一]]とともに[[国民年金]]保険料が未払いだったことが発覚
* [[2007年]]9月 - [[福田康夫内閣]]で[[防衛大臣]]に就任( - 2008年8月)
* [[2008年]]
** 9月 - [[2008年自由民主党総裁選挙|08年自民党総裁選]]に出馬
** 9月 - [[麻生内閣]]で[[農林水産大臣]]に就任( - 2009年9月)
* [[2009年]]
** 1月 - 新設の農政改革担当大臣を兼任( - 2009年9月)
** 9月 - [[2009年自由民主党総裁選挙|09年自民党総裁選]]に擁立する動きがあったものの自身は出馬せず、谷垣禎一を支援。谷垣のもとで自由民主党政調会長に就任
* [[2010年]]
** 4月 - 自民党の[[政権力委員会]](ネクスト・ジャパン)において、谷垣禎一本部長の下、[[石原伸晃]]組織運動本部長、[[小池百合子]]広報本部長と共に本部長代理に就任
** 9月 - 党役員人事で政調会長に留任
** 9月 - 政権力委員会に代わる影の内閣(シャドウ・キャビネット)において、影の官房長官に就任
* [[2011年]]
** 9月 - 自民党政調会長を退任。衆議院予算委員会筆頭理事に就任
** 10月 - 政調会長退任に伴い、影の内閣(シャドウ・キャビネット)における影の官房長官からも退任
** 12月 - 派閥横断型政策勉強会「さわらび会」を立ち上げる。初会合には38人を集めた
 
== 家族・親族 ==
[[File:Zirou Ishiba Family.jpg|thumb|150px|right|<center>父・石破二朗(後列右、昭和14(1939年)夏)</center>]]
; 実家
* 父・'''[[石破二朗|二朗]]'''(官僚、政治家)
** 明治41年([[1908年]])7月〜昭和56年([[1981年]])9月没
* 母・'''和子'''(官僚[[金森太郎]]の長女、宗教家[[金森通倫]]の孫)
* 姉(2人)
 
; 自家
* 妻・'''佳子'''(元[[昭和電工]][[取締役]][[中村明 (実業家)|中村明]]の二女)<ref>[http://mediajam.info/topic/934108 中村明氏死去 石破茂農相の義父 - mediajam]</ref>
* 長女([[東京電力]]社員)
** [[2011年]]、[[東日本大震災]]の年に東京電力に入社。
* 二女
 
== 系譜 ==
; 石破家([[鳥取県]][[八頭郡]][[八頭町]][[郡家殿]]、[[鳥取市]])
[[File:Zirou Ishiba01.jpg|thumb|250px|right|<center>父・石破二朗(後列左端、大正10(1921年)3月、殿尋常高等小学校卒業式記念写真)</center>]]
*'''家系'''
: 石破家は[[鳥取県]][[八頭郡]][[大御門村]]大字殿(旧[[郡家町]]大字殿、現[[八頭町]][[郡家殿]])の[[農家]]だった。八頭町郡家殿は、集落の半数が“石破姓”で、同町は[[農林業]]が基幹産業である<ref>[http://www2.asahi.com/senkyo2009/localnews/TKY200908280099.html asahi.com(朝日新聞社):〈09総選挙〉鳥取1区 石破・農林水産相の「ふる里」八頭 - 2009総選挙]</ref>。
 
*'''祖父・市造について'''
: 祖父・[[石破市造|市造]]は大御門村の[[村長]]を長い間つとめた<ref name="Ishiba_p86"/>。[[菩提寺]]の[[浄土宗]][[西橋寺]][[住職]]・河中隆幸によると、「(市造は)自己を飾らぬ豪気不屈な人であったと聞いている」<ref name="Ishiba_p86"/>という。鶴田憲治著『因伯青春の譜』によると、「…数期にわたり大御門村の[[村長]]をつとめた篤実厳格な人、とくに子供の教育には熱心だった」、「しかし、当時八頭の山村の中[[農家]]で二人の男の子を鳥取の中学に出し、さらにそれ以上に進学させることは、それ程容易なことではなかった。」という<ref>[[#石破二朗回想録刊行会 1982|『回想録 石破二朗 追想篇』]] p.682</ref>。二朗は市造について、「若い時から物好きだったと見えまして、他にさきがけて、[[山]]を拓いて[[二十世紀梨]]を作ったり、御所[[カキノキ|柿]]を植えたり、[[蚕]]種の製造をやったりなどしておりましたが、どれも成功とまではいかず随分[[母]]を困らせていたようでありました。
: それでもどこか良いところがあったと見えまして、後年[[中田政美]]さんが“君のおとうさんは君より偉かった”と仰言って下さったことがありました。中田さんは御承知の通り、[[建設事務次官]]をおやりになり、[[衆議院議員]]をなさった方ですが、若い時[[八頭郡]]役所にお勤めになった当時、父との御交際があった由であります。事実子供の私の方が出来が悪かったかと思いますが、兎に角有難い父であったと思います。父は[[1942年|昭和十七年]]冬大東亜戦争勃発前に六十九歳で没しましたが、日米相戦うことになるか否か見極めなければ死ねない、とまで言い、大変な関心を持って居たようでありました。今から考えると若死にのほうだったかと思いますが、大東亜戦争を見ずに亡くなったのは或は幸せだったかもしれません」と述べている<ref>[[#石破二朗回想録刊行会 1982|『回想録 石破二朗 追想篇』]] p.683</ref>。
 
*'''父・二朗について'''
: 父・二朗は[[東京帝国大学]]法学部を卒業し内務官僚となり、昭和30年([[1955年]])11月建設官僚トップの[[建設事務次官]]に就任、退官後[[鳥取県知事一覧|鳥取県知事]]を4期務め、昭和49年([[1974年]])7月参議院議員に当選、昭和55年([[1980年]])7月[[自治大臣]]兼[[国家公安委員会委員長]]に就任した。
[[File:Zirou Ishiba.jpg|thumb|200px|right|<center>父・[[石破二朗]]<br />[[本所]][[厩橋]][[警察署長]]の正装<br />昭和12(1937年春)</center>]]
: 清貧と努力の人だった<ref name="Ishiba_p14">[[#石破二朗回想録刊行会 1982|『回想録 石破二朗 追想篇』]] p.14</ref>。八頭郡[[郡家町]]後援会長・平木正男によると、「“家屋敷売っても出来る子には勉強させろ”これは亡父[[石破市造]]村長の言葉である<ref name="Ishiba_p14"/>。小学校・鳥取一中・高等学校・[[東京帝国大学|帝大]]へ<ref name="Ishiba_p14"/>。夏休み帰省の時必らず私の父を訪ねて帰宅、[[八東川]]で子供の頃の四つ身の着物に[[笠|菅笠(すげがさ)]]姿で[[魚]]獲り<ref name="Ishiba_p14"/>。破衣破帽で道中饒舌(しゃべ)りまくっての通学姿の石破さん<ref name="Ishiba_p14"/>。何処に全甲の頭脳が秘められて居たのか<ref name="Ishiba_p14"/>。未だに不思議な性格と頭の良かった石破さんが判らない<ref name="Ishiba_p14"/>。将(まさ)にこの親に応えられた此の子石破さんであったかなあ<ref name="Ishiba_p14"/>」という。
 
: [[菩提寺]]の[[浄土宗]][[西橋寺]][[住職]]・河中隆幸によれば、「(二朗)氏誕生の当時家産は必ずしも隆盛であったとはいえないが、両親は青雲の志(せいうんのこころざし).に燃える兄弟の為、[[祖先]]から受け継いだあらゆる私財を[[学費]]につぎ込み、己の身は倹しく、僅(わずか)な[[田畑]]を耕しながら、吾が子の成功を念じておられたものである<ref name="Ishiba_p86">[[#石破二朗回想録刊行会 1982|『回想録 石破二朗 追想篇』]] p.86</ref>。両親の苦労に報いるべく苦学に苦学を重ねた彼は、[[東京大学大学院法学政治学研究科・法学部|東大法学部]]を卒業後、[[内務省 (日本)|内務省]]、[[建設省]]等、あらゆる重要なポストを歴任後、[[鳥取県知事一覧|鳥取県知事]]に立候補したのである<ref name="Ishiba_p87">[[#石破二朗回想録刊行会 1982|『回想録 石破二朗 追想篇』]] p.87</ref>」という。
[[File:Zirou Ishiba 02.jpg|thumb|150px|right|<center>父[[石破二朗]]<br />[[建設事務次官|建設省事務次官]]当時<br />1956年([[昭和]]31年)11月)</center>]]
 
 
; 臼井家([[鳥取市]])
: 臼井宗(教育者)は父・二朗の長姉の夫。『続 因伯の医師たち』([[森納]]著) p.88-90によると、「[[臼井幾蔵|臼井家]]はもと高田姓を名のっていた。[[八東郡]]下私都村峰寺に代々[[医師|医]]を業として住み、時には[[御典医|御殿医]]として[[藩]]に仕えたこともあった。[[臼井幾蔵|臼井家]]六代目宗順(宋順)の時に峰寺より中私都村市場に移った。宗順に医家を継ぐ男子なく三女のちよに八上郡本角村の医師田淵養玄の二男[[臼井幾蔵|幾蔵]]を迎えて[[婿養子]]とした。[[臼井幾蔵|幾蔵]]の二男宗は[[教職]]につき丹比小学校長等をつとめた。宗の子宗雄は[[鳥取市]]で眼科医院を開業している。」という。
 
; 金森家([[熊本県]]、[[東京都]])
: 母方の[[大おじ]]には[[金森次郎]](実業家)、[[金森五郎]](医師)、[[金森九郎]](鉄鋼技師、東大教授)などがいる。[[ジャパンタイムス]]の社長、[[会長]]、[[相談役]]を務め、[[国際基督教大学]]の設立に尽力した[[東ヶ崎潔]]、元[[明治学院大学]]教授[[浜健夫]]などは大おばの夫である。元[[同志社]]総長[[牧野虎次]]長男操の[[夫人]]弥生は母和子の[[従姉]]に当たる<ref>[[#石破二朗回想録刊行会 1982|『回想録 石破二朗 追想篇』]] p.421</ref>。
 
<pre>
            中村明━━━━佳子
                    ┃    ┏女
    石破市造━━━石破二朗     ┣━━━━┫
             ┃      ┃    ┗女
             ┃    ┏石破茂
             ┃    ┃
     浜健夫     ┣━━━━╋女
      ┃      ┃    ┃
     ┏女      ┃    ┗女
     ┃       ┃
     ┣金森太郎━━和子
     ┃
     ┣金森五郎
金森通倫━┫
     ┣女
     ┃┃
     ┃東ヶ崎潔
     ┃
     ┣金森九郎
     ┃
     ┗金森次郎
        ┃
       ┏岸子
 上野吉二郎━┫
       ┗梅子
        ┃
        ┃
        ┃
        ┃  (妻は今里広記の娘)
        ┃   ┏早川二郎
        ┣━━━┫
        ┃   ┗早川一郎
早川智寛    ┃  (妻は牧田与一郎の娘)
  ┃     ┃
  ┃     ┃  (元総理大臣)
  ┃     ┃   ┏佐藤栄作
  ┃     ┃   ┃
  ┃     ┃   ┗岸信介━━━━洋子
  ┃     ┃  (元総理大臣)   ┃        (元総理大臣)
  ┃     ┃            ┣━━━━━━━━━安倍晋三
  ┃     ┃            ┃           ┃
  ┣━━━━早川種三        安倍晋太郎         ┃
  ┃                              ┃
  ┃                ┏女            ┃
  ┃                ┃             ┃
  ┃                ┃松崎昭雄         ┃
  ┃    森永太一郎━森永太平━━┫ ┣━━━━━━━━━━昭恵
  ┃                ┣恵美子
  ┃                ┃
  ┃                ┗森永剛太
┏長子                  ┃
┃                  ┏孝代
┃            城戸崎武━━┫
┃      ┏戸田直温       ┗城戸崎博孝
┃      ┃              ┃
┃      ┣戸田良直 岩間和夫   ┏裕子
┃      ┃      ┣━━━━━┫
┗戸田鋭之助━┻収子  ┏菊子     ┗岩間紀夫
        ┃   ┃
        ┃   ┣盛田正明
        ┣━━━┫
        ┃   ┣盛田和昭
        ┃   ┃
    盛田久左衛門  ┗盛田昭夫
              ┃   ┏盛田英夫
              ┣━━━┫
              ┃   ┗盛田昌夫
      亀井豊治━━━━良子
</pre>
 
== 著作 ==
=== 単行本 ===
* 職業政治の復権―混迷からの脱出 それは無党派層がめざめるとき(1995年、[[サンドケー出版局]]、ISBN 978-4914938772)
* 坐シテ死セズ([[西尾幹二]]との共著、2003年、[[恒文社21]]、ISBN 978-4770411044)
* {{Cite book ja-jp
| author = 石破茂
| year = 2005
| title = 国防
| publisher = [[新潮社]]
| series =
| isbn = 9784104737017
| ref = 石破 2005
}}
** 本書を原案としたコミックとして 『国防入門』(漫画・[[原望]]、2007年、[[あおば出版]]、ISBN 978-4873177885)がある。
* 軍事を知らずして平和を語るな([[清谷信一]]との共著、2006年、[[KKベストセラーズ]]、ISBN 978-4584189672)
* 構想日本 第4巻 政治時評([[構想日本|構想日本J.I.フォーラム]]編、2006年、[[水曜社]]、ISBN 978-4880651644) 「政治とカネの関係を考える」
* 国防の論点―日本人が知らない本当の国家危機([[森本敏]]・[[長島昭久]]との共著、2007年、[[PHP研究所]]、ISBN 978-4569659558)
* 自民党の底力([[小泉純一郎]]・[[中川秀直]]らとの共著、2007年、[[成甲書房]]、ISBN 978-4880862149)
* 「国力」会議(麻生太郎・[[平沼赳夫]]らとの共著、2008年、[[祥伝社]]、ISBN 978-4396613075)
* 日本の戦争と平和([[小川和久]]との共著、2009年、[[ビジネス社]]、ISBN 978-4828415024)
 
=== 雑誌 ===
* [[宝島30]]([[宝島社]]刊の月刊誌、現在は休刊)
 
== 参考文献 ==
* 「「いじめられっ子」石破茂の逆襲』 [[山村明義]] (『[[文藝春秋 (雑誌)|文藝春秋]]』2004年5月号)
* 「生粋の愛読者が抱く『[[正論 (雑誌)|正論]]』『[[諸君!]]』への違和感」石破茂(『[[論座]]』2006年8月号)
* {{Cite book ja-jp
| author = 石破二朗回想録刊行会
| year = 1982
| title = 回想録 石破二朗 追想篇
| isbn =
| ref = 石破二朗回想録刊行会 1982
}}
 
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{Reflist|2}}
 
== 関連項目 ==
* [[鳥取県出身の人物一覧]]
* [[平成研究会]]
* [[世襲政治家]]
* [[親族関係にある政治家一覧]]
* [[日本のクリスチャン有名人一覧]]
* [[太田光の私が総理大臣になったら…秘書田中。]] - たびたび出演していた。
* [[モーニング娘。]] - 石破が贔屓にしているアイドル。
* [[キャンディーズ]] - 石破が贔屓にしていたアイドル。特に[[藤村美樹]]のファンだったという。
 
== 関連人物 ==
* [[田中角栄]]
* [[常田享詳]]
* [[奥田保明]]
* [[前原誠司]]
 
== 外部リンク ==
* {{Movielink|allcinema|51828|秘密と嘘}}
{{Commonscat|Shigeru Ishiba}}
* {{Movielink|kinejun|30036|秘密と嘘}}
* [http://www.ishiba.com/ 石破茂 Official Site]
* {{Movielink|allmovie|1:135935|Secrets & Lies}}
* [http://ishiba-shigeru.cocolog-nifty.com/blog/ 石破茂オフィシャルブログ]
* {{Movielink|imdb|0117589|Secrets & Lies}}
* [http://www.shinchosha.co.jp/shinkan/nami/shoseki/473701.html 『国防』刊行記念対談]
 
母親に対する不満からいつもイライラしている娘、カメラマンとして活動し裕福な生活を手に入れた弟と不妊治療に励むその妻、そして、シンシアがその存在さえ忘れていた生まれてすぐに養子に出した黒人の娘。そして、それらの人物をさらに取り巻くトラブルや人々。嫉妬や憎悪、疑い、嘘、秘密、依存、罪の意識。さまざまな感情が渦巻く中、「家族」という幻想の中で、積もりに積もった不平不満がそこに噴出する。
{{Start box}}
{{S-off}}
{{Succession box
| title = {{Flagicon|日本}} [[農林水産大臣]]
| before = [[町村信孝]](臨時代理)
| years = 第49代:2008年 - 2009年
| after = [[赤松広隆]]
}}
{{Succession box
| title = {{Flagicon|日本}} [[防衛大臣]]
| before = [[高村正彦]]
| years = 第4代:2007年 - 2008年
| after = [[林芳正]]
}}
{{Succession box
| title = {{Flagicon|日本}} [[防衛庁長官]]
| before = [[中谷元]]
| years = 第68・69代:2002年 - 2004年
| after = [[大野功統]]
}}
{{Succession box
| title = {{Flagicon|日本}} [[防衛庁副長官]]
| before = 創設
| years = 2001年
| after = [[萩山教嚴]]
}}
{{S-par}}
{{Succession box
| title = {{flagicon|JPN}} [[国土交通委員会|衆議院運輸委員長]]
| years = 1998年 - 1999年
| before = [[大野功統]]
| after = [[仲村正治]]
}}
{{S-ppo}}
{{Succession box
| title = [[自由民主党政務調査会|自由民主党政務調査会長]]
| before = [[保利耕輔]]
| years = 第52代:2009年 - 2011年
| after = [[茂木敏充]]
}}
{{End box}}
 
舞台出身のマイクー・リー監督らしく、脚本は一切使用せず、現場で役者とともに即興的に作り上げられていった世界観は極限のリアリティーを生んだ。
{{農林水産大臣}}
{{防衛大臣}}
{{自民政調会長}}
 
{{マイク・リー監督作品}}
{{DEFAULTSORT:いしは しける}}
{{英国アカデミー賞作品賞 1981-2000}}
[[Category:日本の閣僚経験者]]
{{パルム・ドール 1980-1999}}
[[Category:日本の副大臣経験者]]
{{DEFAULTSORT:ひみつとうそ}}
[[Category:衆議院議員]]
[[Category:自由民主党の国会議員パルム・ドール受賞作]]
[[Category:新進党の国会議員ロンドンを舞台とした映画作品]]
[[Category:新生党イギリス国会議員映画作品]]
[[Category:鳥取県選出1996年国会議員映画]]
[[Category:日本会議の人物ドラマ映画]]
[[Category:三井住友フィナンシャルグループの人物]]
[[Category:鳥取県出身の人物]]
[[Category:1957年生]]
[[Category:存命人物]]
 
[[deca:ShigeruSecrets Ishibaand Lies]]
[[encs:ShigeruTajnosti Ishibaa lži]]
[[de:Lügen und Geheimnisse]]
[[fi:Shigeru Ishiba]]
[[fren:ShigeruSecrets Ishiba& Lies (film)]]
[[ites:ShigeruSecretos Ishibay mentiras]]
[[fi:Salaisuuksia ja valheita]]
[[pl:Shigeru Ishiba]]
[[fr:Secrets et Mensonges]]
[[zh:石破茂]]
[[it:Segreti e bugie]]
[[nl:Secrets & Lies]]
[[pl:Sekrety i kłamstwa]]
[[pt:Segredos e Mentiras]]
[[ru:Тайны и ложь]]
[[tr:Sırlar ve Yalanlar (film)]]